●厩舎の中で
ドリーム乗馬クラブの厩舎は広い。
厩舎の中を歩いて回るのは体験コースの一環であり、参加者がまず初めに喜ぶポイントである。それは今回の依頼を受けた撃退士たちにとっても同じだった。
ただ一人、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)だけは違っていた。
「違う。そうじゃねーんだ。これじゃねーんだよ」
ラファルはペンギン帽子の目を押さえながらため息をつく。
右を見れば白毛の美しい牝馬、左を見れば瞳の可愛らしい栗毛の牝馬、母親に甘えて擦り寄る鹿毛の仔馬も牝馬である。
人によってはドリームを満喫できる状況ではあるが、ラファルが期待していたものは別の、具体的には哺乳類ヒト科の女性によるドリームだった。
「だーまーさーれーたー」
このニアミスに長い金髪を振り乱したラファルは、感情たっぷりにひとつの言葉をつぶやくしか無かった。
そんな官女には構わず、撃退士たちはそれぞれに馬房を見て回っている。
ユリア・スズノミヤ(
ja9826)は早くもお気に入りを見つけ、ファルコンと名付けられた赤毛の馬に歩み寄った。
「きゃーん、ファルコンちゃんかわいー!」
物怖じひとつ見せずにファルコンの首に腕を回す。当のファルコンはユリアに細い目を向け、迷惑そうに首を大きく傾げた。
その無愛想な態度にユリアはほほ笑みを浮かべる。愛する恋人を彷彿させる赤毛に触れながら、すぐ隣に並ぶ飛鷹 蓮(
jb3429)を横目に見た。
「みゅ、ぶすっとした感じがだれかさんにそっくりですにゃー」
「だれのことだろうなそれは」
本当にわからないのか誤魔化しているのか。思っていた通りの返答にユリアは含み笑いを漏らした。
バツの悪さを感じた蓮はユリアから視線を逸らし、すぐ隣の馬房に目をやる。
リリィと名付けられた白毛の馬は耳をぴんと伸ばし、ユリアたちを覗きこむようにして顔を突き出していた。
蓮の動きに合わせて顔を動かし、好奇心旺盛な瞳でその姿をしげしげと眺める。その様子に蓮はユリアが最初に浮かべたものと同じ、優しい微笑みを浮かべた。
「だれかを彷彿とさせるな。まあ、可愛いからいいか。今日はよろしくなユリ」
つい、意識せず恋人の名前が口をついて出る。
慌てて言葉を止めたものの、隣で眺めていたユリアには丸聞こえであった。
「んー? 私のこと呼んだよねー?」
「リ、リリィと言ったんだ。よしよし、良い子だリリィ」
「ま、いいケド。ねーファルコンちゃん。素直じゃないところもかわいいよー」
「リリィ、君は少しおてんばなところがあるみたいだな。だがその姿が何よりも愛らしい。君の魅力なんだろうな」
それぞれがそれぞれの愛馬を決め、甘い言葉をささやく。互いに背を向け合ってはいるものの、相手の言葉はよく耳に入っていた。
二人とはまた別の場所では浪風 悠人(
ja3452)、ハミル・ジャウザール(
jc1096) 、星歌 奏(
jb9929)の三人が厩務員から馬の紹介を受けていた。
「この子がですか。なるほど、雰囲気がありますね」
悠人がリクエストしたのは元競走馬だった。
凛々しい顔つきをした青毛の牡馬はかつて重賞レースを勝ったこともある名馬であり、老いてなおその風格を漂わせている。
競走馬としての名前と共に記されている幼名はイーグルとなっている。悠人は幼名を呼びながらゆっくりと歩み寄り、厩務員の許可を得てイーグルの首元を軽く叩いた。
「はじめまして、浪風悠人です。今日は貴方の背に乗せていただけますか」
悠人の誠実な態度が伝わったのか、イーグルは低い調子でいなないた。
それが親しい者へのあいさつだと聞き、悠人は感謝の言葉を伝えた。
「す、すごいですね浪風さん……気位の高そうな馬さん相手に……」
慣れた様子で馬と交流を深める悠人を見ながら、ハミルは感嘆のため息を漏らす。
厩舎に入った時からハミルは馬たちの大きさに圧倒されていた。ハミルも悠人も背は高いほうだが、仔馬以外はどの馬もそれ以上に大きい。
思わず気後れしてしまい、どの馬にも触れないままここまで歩いてきた。
「できれば……大人しい馬さんがいいのですが……」
ハミルの希望通りの馬は仔馬と共に居た。
体躯の大きな芦毛の牝馬で、ここに来た時からおっとりとしていたという。
一緒に生活するようになった仔馬を甲斐甲斐しく世話するなど、ドリーム乗馬クラブでは一番気の優しい馬だと厩務員は語った。
「それなら僕でも大丈夫でしょうか……えっと、どんな風に接すれば……」
助けを求めるように視線を送る。
悠人はそれに答え、まず馬の左側に移動した。
「どんなに強そうに見えても馬は臆病な生き物なんです。ですから一番大切なことは視覚外から近づかないこと。何事も馬の見える位置で行うことです」
「み、見える位置からですね……ええっと、お世話になりますエリーさん……宜しくお願いしますね……」
芦毛馬の名前を呼びながら慎重に歩みを進める。恐る恐る手を触れさせると、エリーは軽く目を閉じ、耳を横に向けた。
それがリラックスしている時の仕草だと聞き、ハミルは安堵のため息をついた。
「お馬さんどうしたのー? いっしょに遊ぼー?」
ようやくハミルがエリーに慣れてきた頃、厩舎の隅では奏が一匹の馬に何度も呼びかけていた。
ノワールと名付けられた青毛のその馬は他と比べてまだ身体が育ちきっていない、若い馬だった。
奏の呼び掛けにも答えず馬房の隅で肢をたたんでいる。ノワールは警戒心が強く、まだ人を乗せるには向かないと厩務員が説明する。
しかし奏はそんなことには構わず、柵を乗り越えてノワールのすぐ傍に座り込んだ。
「ノワールちゃんひとりで寂しくないのー? 私はひとりだととっても寂しくて悲しいのー。だから今日はいっしょに遊んでほしいの。ノワールちゃんがいっしょなら嬉しくて幸せになれるのー」
屈託の無い笑顔で話し掛ける奏に初めは耳を伏せていたノワールだったが、次第に耳を真っ直ぐに戻し、奏をじっと見つめるようになった。
おもむろに立ち上がったかと思うと、自分から奏の頬に顔をすり寄せた。
「私と遊んでくれるのー? ノワールちゃんありがとうなのっ!」
ノワールが気を許したのを見て厩務員も納得し、奏が乗る馬も決まった。
最後まで決めかねていたのはラファルだった。もはや文句は口にしていなかったが、触れ合いを苦手としていたラファルは馬をからかうばかりで、徐々に避けられるようになった。
最後にようやく、隠した餌ごとラファルの手に噛み付いてくる気性の荒い馬を見つけた。
こちらも元競走馬であり、プライドの高さから熟練した人間にしか紹介していないとのことだった。
「ま、お前でいいか。よろしく頼むぜ相棒」
白毛の牝馬、シスに向けて指を突き付ける。その指をがっつりと噛み付かれる様が、今日一日の人馬の関係を表しているかのようであった。
●それぞれの乗馬体験
「じゃあ乗ってみようかなー。初めてなんだから蓮、ちゃんとサポートしてね」
「ああ。まずは馬の左側から、そうだ、左足を鐙にかけて、右手を鞍に触れさせるんだ」
馬を怖がらせないよう配慮しながら、ユリアはどっこいしょと声を上げてファルコンの背中に乗る。
茶色をベースとしたカウガールの衣裳に身を包んだユリアが馬に乗る姿は、本人の端麗な容姿も相成って映画の登場人物のようであった。
「おー、目線たか〜い。はいよー、ファルコーン」
見よう見まねでファルコンのお腹を蹴り、手綱を軽く引く。
本人は常歩で歩かせるつもりだったが、速足になって走りだしてしまった。
「お、おいユリア!」
「うひょーい! はやいはやーい! 蓮ーっ、あれやろあれっ! 西部劇みたいなやつ―!」
「言ってる場合か! ちょっと待ってろ!」
素早くリリィの背に乗り、同じく速足でユリアを追いかける。
ファルコンが走りだした時には焦りで冷や汗をかいた蓮だったが、追いついてみればユリアはカウボーイハットを片手で押さえながら無邪気に笑っている。その姿を見て、蓮は胸を撫で下ろした。
それもつかの間、ユリアは先端に輪をつくったローフを振り回し始めた。
「ほーら蓮、ロープだよロープ。早く逃げないと捕まえちゃうよー!」
「ユ、ユリア! 君はどうしていつもそう――」
言葉を止め、ユリアから逃げるようにリリィを走らせる。
仲睦まじい二人の姿は厩務員のカメラにしっかりと収められた。
初心者でありながらも素早く乗りこなしてしまったのはユリアだけではない。奏も厩務員の説明を一度聞いただけでさっとノワールの背にまたがり、首筋をよしよしと優しく撫でた。
「ありがとうなのノワールちゃんー。きれいな景色を見に行くのー」
感心する厩務員に対し、ユリアは森の動物達はお友達だからと事も無げに言ってのけた。
その隣では、ハミルがなかなかエリーに乗れずに苦戦していた。
「やはり……慣れていないと難しいものですね……」
優しい馬を選び、手順も教わったとおりに行うなど、準備に問題はない。
しかし背に乗る際には鐙を脚で押したり飛び乗って衝撃を与えたりと、多少なりとも馬に負担を与えてしまう。それを心配しすぎるあまりに寸前のところで二の足を踏んでいた。
「心配ないの。エリーちゃん、ハミルちゃんのこと大好きなの。はやくいっしょに遊びたいって思ってるの―」
「そう、なのでしょうか……それなら……嬉しいのですが……」
奏の言葉に勇気づけられ、意を決してエリーの背に跳び乗る。
一度乗ってしまえば後は簡単だった。エリーは人の言うことをよく聞く馬で、軽くお腹を叩いただけでゆっくりと歩き出した。
奏もその後を追ってノワールを歩かせる。
「ハミルちゃんもエリーちゃんも今日はいっしょに遊ぶの―。みんなでいっしょのほうが楽しいの―」
「ええ……よろしくお願いします……海岸にまで出るのは難しいと思いますが……」
「おさんぽも楽しいのー。後でちょっと走るのもやってみるの―。ね、ラファルちゃんも」
ノワールに乗ったまま、くるりと背後を振り返る。
ちょうどその時、ラファルはシスから落馬していた。スピードは出ていなかったためにほとんど痛みはなく、なんでもないといった様子で立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか……お怪我は……」
「かすり傷もねーよ。しかしお前、わざと乗りにくく揺らしてんだろ。いい度胸してんじゃねーか」
懲りずにシスの背にまたがり、腹を蹴り付ける。
シスの歩き方はエリーやノワールのものとはまるで違う。異物を振り落とさんとばかりの乱暴な常歩であった。
「くっ……こいつ、ホントにいい度胸してやがるぜ。まあそうじゃなきゃ面白くねーしな。このまま砂浜まで行ってやろうじゃねーか」
言うが早いか、それはそれで安定した走りで屋外馬場を飛び出していった。
「僕のパートナーが……エリーさんで良かったです……」
一部始終を眺めていたハミルが心からのつぶやきを漏らす。
三者三様の乗馬体験は、やはり厩務員によって思い出として残された。
ドリーム乗馬クラブからほど近い場所にある千里浜では、悠人が感触を確かめるようにイーグルを歩かせていた。
寄せては返す波の音にしばし心を委ね、砂浜を馬に乗って歩く情緒感をたっぷりと味わった。
「さて、そろそろいいかな。お願いしますよイーグル」
手綱を引き、常歩から速足に切り替える。速度が上がった分、上下の揺れが大きくなった。
イーグルのテンポに合わせて衝撃を和らげていると、次第にリズムカルな走りに変わっていく。
「さすがは元競走馬。これなら期待しても良さそうですね」
馬上で背伸びの格好をした悠人は体重をやや後ろに掛け、手綱で馬に内方姿勢をとらせる。
一呼吸置いてから足で馬腹を軽打すると、イーグルの走りが先ほどまでとは明らかに変わった。
馬体が沈み、悠人の身体も沈み込む。左右の肢が非対称に動き出したかと思うと、四肢が空中に浮き上がった。
人間がスキップをするような動きでザクザクと音を立てながら砂浜を駆け出す。騎乗者にかかる負担も大きくなるが、乗馬経験者の悠人は慌てず、自らの身体を巧みに動かしてノワールの扶助を務めた。
「まさかここまでとは……現役時代の君を知らなかったことが悔やまれますよ」
あまりの速さにさすがの悠人も疲れを感じる。
負担の少ない速度に落としたところで、背後から砂をかき分ける音が聞こえてきた。
振り返ると、白毛のシスに乗ったラファルが後を追いかけてきていた。どこか威風堂々とした姿は、時代劇のワンシーンを思わせた。
「よう、ようやく追いついたぜ」
「初めてだと聞いていましたが、よくここまで」
ラファルの騎乗技術はどう贔屓目に見ても素人そのもので、とても元競走馬を扱える水準にはない。
それでも持ち前の負けん気でシスにしがみつき、どうにか駈歩まで持ってきた。
「せっかく競走馬が並んだんだ。ここで久遠ヶ原杯といこうじゃねーか」
「直線レースですか。悪くありませんね」
「そっちは重賞勝ちだってな。だがこいつはダートの鬼だったらしいぜ。砂浜では負けねーぞ」
お互いに手綱を強く握り締める。
元競走馬を隣に並べた二体の馬は気合十分で、レースの開始と共にハミを強く噛み締め、持てる力を振り絞って冬の千里浜を駆け抜けた。
ほぼ同着となった二人のレースはしっかりとビデオカメラに収められ、映像としてドリーム乗馬クラブのトップページを飾ることとなった。
●体験会終了
夕刻を迎え、楽しかった体験会は終わりを告げる。
蓮とユリアは最後には二人でリリィに乗っていた。蓮が手綱を握り、ユリアがその前に座る格好となり、完全に攻守が逆転していた。
「ユリアが悪いんだぞ? いつもイタズラばかり仕掛けられればたまには君の困った顔も見たくなる」
「うみゅー、困らせてたつもりはないのになー。蓮が魅力的だって言ってくれる私の姿を見せてあげてるだけですにゃー」
「……そういうところが困らせてると言ってるんだがな」
しかしそれは束の間のことで、一言二言を交わすあいだに二人の立場はまた元に戻ってしまう。
二人は馬を降り、それぞれのパートナーに今日一日の感謝を伝える。他の撃退士たちも毛並みを整えたり餌を与えたりしながら思い思いにそれぞれの相棒に語りかけていた。
それはラファルも同じだった。交流を深め合ったシスの身体を洗ってやるうちに、胸の奥からこみ上げてくるものを感じていた。
ラファルの気持ちを知ってか知らずか、シスは自ら顔を近づけ、ラファルの頬に自分の顔を擦り合わせる。
「そ、そんなことしたってな、泣いたりとかはしねーからな。絶対の絶対にだ」
だれにも見せられない涙を隠すように、シスの身体に自らの顔をうずめた。
かくして、一日乗馬体験はその楽しさを十分に伝えられる成果を持って幕を閉じた。