●かまくらと鍋
凍て付くような寒空の下、元気な女性の歌声が人気のない集落の中に響いている。
楽しげにかまくらをつくっているのは神ヶ島 鈴歌(
jb9935)と夏木 夕乃(
ja9092)だった。ふたりはそれぞれに自作のテーマソングを歌い合い、辛いはずの雪中作業をイベントのように行っている。
「これなら快適に過ごせますぅ〜」
僅かの間、自分が過ごすことになるかまくらにリボンを結び、これで完成と鈴歌は大きくバンザイをする。夕乃も同じように喜んだ仕草を見せた。
ふたりは揃ってかまくらの中に入る。はしゃいでいる鈴歌とは対照的に夕乃は表情を無くし、自分自身を抱きしめるように身を縮こまらせた。
「さむっ……」
吐く息白く外気温はマイナス四度。かまくらに入ってまず夕乃が優先したのは、一秒でも早く火鉢に火を入れることだった。
女子ふたりのかまくらが完成する頃、少し離れた場所では和泉 大和(
jb9075)と剣崎・仁(
jb9224)によってもうひとつのかまくらが出来上がっていた。
前者に比べれば天井が高く、入り口を大きく取られた作りは、視界の確保と不意打ちを受けた際に即座に脱出するための工夫である。
「こんなものか。大和、頼んだぞ」
「任されよう」
ぐっと胸の前で親指を突き立てる。その太い首には村の住民から借りた熊よけの鈴がぶら下がり、風に吹かれて甲高い音を鳴らしている。
「割と平坦で開けた場所が見つかったのはいいが、民家での待機組と離れてしまったな」
「その分、この場所であれば大立ち回りを演じても村への被害は少ないだろう」
撃退士たちが戦闘場所として選んだのは壊された公民館の前である。住民がささやかなイベントを行うための場所として用意されているため、ほどよく広く、民家から多少の距離がある。被害を最小限に抑えるための配慮だった。
「危機が去っても村が壊滅していては意味が無いからな。ご老体にこれ以上の心労を与えないためにも……」
かまくらの強度を確かめながら仁は周囲を見回す。事前に聞いていたとおり、村の状態は目を覆いたくなるような惨状だった。
三十軒しか無い民家の三分の一が無残にも破壊されている。ディアボロの脅威があるために復旧の目処すら立っていない。家財道具もほとんどが使い物にならなくなっていた。
その意味では、公民館と民家が離れているのは幸運だった。広場の中心にふたつのかまくらをつくり、周囲を幅広くロープで囲む。後はこの場で熊よけの鈴を鳴らし続ければ都合の良い場所に敵を誘導することができる。
重要な仕掛けのひとつ、敵の接近を知らせるためのロープを張っているのは向坂 玲治(
ja6214)である。ひと通りの設置を終え、効果の程を確認し終えると、四人に手を振りながら戻ってきた。
「ま、こんなもんだろ。そっちも終わったみたいだな」
言いながら、玲治はロープに縛り付けた紐を引っ張ってみせる。軽く引っ張れば抵抗はあるが、強く引っ張ればロープが切れ、手応えが無くなる。アナログだが視覚や聴覚が頼りにならない状況では優れた罠であった。
「よく出来てますねこれ。雪に混じって見えにくいですし」
白いロープを用意したのは夕乃だった。ただでさえ吹雪で視界が悪い中、雪と同じ色では知らなければ仕掛けに気づくことも難しい。戦いのための準備は上々であった。
「そろそろ腹も減ってきたな。ここらで一休みしてメシにしようぜ」
玲治の提案に、鈴歌が真っ先に声を上げる。
「ごはんですぅ〜。レモネードといっしょに食べるですぅ〜」
言うが早いか、我先にとかまくらから駆け出していく。
ようやく温まってきた火鉢を前に手をこすり合わせていた夕乃も、防寒着のフードを被ってかまくらを出た。
「もしかして熊鍋……なわけないですよねー」
真冬の熊狩りに勤しんだ在りし日の思い出を胸に、皆に続いて民家へと歩みを進めた。
古い民家の窓から覗く外の風景は身震いするほどの冬景色だった。
まだ日の沈まない内から雪が吹き荒れ、田舎の集落をまばゆい銀世界に変えてしまう。ほんの数十メートル先で作業をしている撃退士たちの姿も窓に張り付いた雪のせいでうかがい知ることができなかった。
「うん、こんなもんだね。これならみんな喜んでくれるかな」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は満足気に頷きながらガスコンロの火を弱めた。大きな土鍋で煮込まれた料理は食欲をそそる匂いを民家に漂わせている。
外で作業を続けている仲間たちのことを思いながら小麦粉で出来た生地を一口大に千切っていると、玄関のドアが開く音が室内に届く。エプロンで手を拭きながら出迎えると、ネコノミロクン(
ja0229)が防寒着に付いた雪を払いのけていた。
「お疲れ様。明かりはバッチリかな?」
「無事な民家はもちろん、壊れた公民館の辺りにも大きめの外灯を置かせてもらったよ。しかし思った以上に酷い壊され方だったね。仕事が片付いたら少しでも再建のお手伝いをしていかないと」
答えたネコノミロクンは、室内に漂う匂いに気づいて顔を上げる。
「美味しそうだね。鍋だってことは聞いてるけど」
「すいとんだよ。こういうロケーションにはぴったりだと思ってね。そうだ、味見を頼めるかな」
ぐつぐつと音を立てる鍋を前に、ネコノミロクンは表情を硬くする。
ジェラルド特製の野菜たっぷりすいとんを菜箸で混ぜる。混ぜるふりをしながら緑色の死神が存在しないことを確認し、ほっと胸をなでおろした。
「いやー、この寒さは堪えるなー」
出汁の味に舌鼓を打っていると佐藤 としお(
ja2489)が戻ってきた。十分な明るさの外灯を電柱に取り付けてきたと説明し、温かいすいとんに目を付ける。
「醤油味か、いいね。これなら最後にラーメンを入れても美味しそうだ」
としおとネコノミロクンのふたりから絶賛を受けたジェラルドは気分よく最後の仕上げに取り掛かる。
完成までに全員が勢揃いし、十分に英気を養う団欒となった。
●吹雪の中に熊
陽が沈み、真冬の集落が吹雪に襲われる。
凍て付くような寒さの中、一定の間隔で甲高い鈴の音が響いている。強風の中にあっては頼りなげな音色だが、辛抱強く音を鳴らし続けた。
「八時か。来るならそろそろ来てくれないもんかな」
民家に待機している仲間たちと定時連絡を取りながらとしおがぼやく。
もうひとつのかまくらにも視線を移す。それほど距離が離れていないにも関わらずお互いの顔を認識できない。かろうじて見えるのは、サードアイを使って周囲を見渡している仁の輪郭と、その腕に付けられたペンライトの光のみだった。
『見える範囲に敵の存在はないね。姿を消す相手だから目で追うのは難しいかもしれないけど、足あとなんかも見当たらないよ』
民家から監視をしているネコノミロクンがトランシーバー越しに返答する。
警戒を始めてからすでに三時間が過ぎた。夕方前に除雪を終えた広場にはもう雪が積もり始めている。寒さと緊張感により、撃退士たちは戦いの前から軽い疲労を感じていた。
『としお! ロープに異常アリだ!』
割りこむようにして玲治の張り詰めた声が届く。
即座に反応した大和は火鉢に灰をかぶせる。かまくらを飛び出し、広場の中心に仁王立ちした。その背後ではかまくらに身を潜めたとしおが片膝を付いた姿勢でライフル銃を構える。吹雪で視界の定まらない中、未だ見えぬ敵の姿を求め、引き金に指をかけた。
首から下げた熊よけの鈴が風に揺られて暴れ出す。耳をつんざくような音に混じって、雪を踏みしめるような足音が聞こえてきた。
大和は盾を構えたまま周囲に目を凝らす。いくら闇夜の猛吹雪とはいえ、五メートルを超える怪物を見逃すはずがない。場所の特定を諦め、身を固めることに専念した。
足音はだんだんと大きくなり、消えた。その刹那、車にぶつけられたような衝撃が大和を襲う。
想像以上の力に体勢が崩れる。街灯の光に浮かび上がるのは白い雪に覆われた巨体。野生の本能をむき出しにして雄叫びを上げる巨大熊の姿だった。
うっすらと透け始めたディアボロに向けてライフルが火を噴く。相手は意に介さず姿を消した。としおにとってもそれは傷を負わせるために行ったものではなかった。
「右だ大和さん!」
としおの助言に従い、力強く大地を踏みしめて防御の姿勢を取る。突き刺さる豪腕。足元が雪でわずかに滑り、膝を折りながらも、視線は真っ直ぐにディアボロを睨みつけた。
「これしきのことで!」
耐え忍ぶ大和の傍にヒリュウが呼び出される。吹雪でも目立つ赤き竜は主人の目となり、仲間の位置を探った。
ヒリュウの視覚を通して最初に見つけたのは、マフラーをはためかせながら猛スピードで走る鈴歌の姿だった。
鈴歌は拳を握り締め、地面を蹴って高々と跳ね跳ぶ。
「熊さん覚悟なのですぅ〜!」
鋼鉄のように硬い拳が熊の顔面を打つ。十分な手応えを感じたが巨大な体躯は微動だにしない。
相手を飛び越して着地した鈴歌は自分の持つ鈴を鳴らす。しかしディアボロは鈴の音にも殴り付けた鈴歌自身にも興味を示さない。あくまで熊よけの鈴を持った大和に憎悪を向け続けている。
執拗に熊よけの鈴を狙うディアボロの頭上に巨大な火球が浮かび上がる。夕乃が指を鳴らすと同時に砕け散った炎がディアボロを包み、白い毛皮に焦げ跡をつくった。
続けて二発の銃声が鳴り響く。輪郭しか捕らえられない位置でも、大きな標的を狙うことは仁にとっては造作も無い。
肉を焼かれ、いくら弾丸を撃ち込まれようとも、攻撃の手が緩むことはない。標的を一点に定め、吹雪の中に身体を溶けこませた。
「あ、熊さん待ってほしいのですぅ〜!」
完全に見えなくなる前に鈴歌が肩に飛び移る。
消えかけた身体ははっきりとした実態を取り戻す。ディアボロは大きく揺さぶって鈴歌をふるい落とした。その隙を再び炎と弾丸が狙い撃つ。
「大和さん、ご無事で何より」
民家から駆け付けたネコノミロクンが大和の傍に寄り、傷を癒やした。
「助かる。ここからはこちらの番だ」
完全では無いものの立ち上がれるまでに回復した大和は反撃のためのバンテージを巻き付ける。鈴の音を響かせながら側面に周り、脚部を狙って力強く殴り付けた。
「やっぱり狙うなら足だよね。スキに動かれたら危ないし」
大和に続いて、ジェラルドが自分の身長ほどもある戦斧を振りかざし、右足のすねを切り裂いた。
さらに傷口を狙って仁のワイヤーを巻き付く。肉が裂け、血が流れる。自らの足元が赤く染まるのを見て、ディアボロは悲鳴にも似た咆哮を上げた。
力任せにワイヤーを引っ張り、脚部を拘束する仁を逆に引き倒す。血走った目で鈴を睨み付け、三度、大和に腕を振り上げた。
振り上げた腕が大和の身体に突き刺さる。首から下げた鈴が千切れ、音もなく雪の上に零れ落ちた。
これまで以上の怒りを感じたにも関わらず、大和の負った傷はそれほどでもない。丸太のようなその腕にはネコノミロクンによって鎖が縛り付けられていた。
「俺たちが見えてるなら、もう少し警戒するべきじゃないかな」
聖なる鎖は悪しきものを拘束し、その勢いを削ぐ。
自由に身動きできなくなったのを好機と見たとしおが自分の周囲に数多くの銃器を浮かべる。銃口は全てがディアボロを捉え、来るべき時を待っていた。
「さあ、パレードの始まりだ!」
二丁のスナイパーライフル、リボルバー、イクスパルシオン、シルバーマグ、アサルトライフル。六丁の銃がとしおの合図で一斉に火を吹いた。
硬い毛皮も分厚い皮膚も、雨あられと降り注ぐ銃弾には次第にメッキが剥がれていく。全身から血が吹き出し、痛みで叫び声を上げた巨漢の熊は、鎖による拘束から逃れて村の外に向けて駆け出した。
全力での逃走を図るディアボロを誘うように鈴の音が響く。鳴らしているのは夕乃だった。
闘争本能は生存欲求を勝った。雪上を滑るように急旋回し、夕乃に跳びかかる。
猛る敵の姿に動じることなく、箒を真っ直ぐに突き付ける。その先端から炎が現れ、勢い良く飛び出していった。
「傷を追った獣を逃がすほど甘っちょろい撃退士じゃありませんよ、っと」
炎は確実にディアボロを包み込んだ。すでに息も絶え絶え、限界であることはだれの目にも明らかだった。
しかし勢いは衰えない。自らの身体を焼かれるままにしながら、炎をかき分けて凶暴な爪を突き出す。予想だにしない底力に夕乃は表情を硬くする。
「テメェ――させるかよっ!」
地に染まる爪先を狙って玲治が弓を引く。
爪を砕き、手のひらに突き刺さった矢により、攻撃の軌道がわずかに逸れる。豪腕の一振りは身をかがめた夕乃を外し、頭の三角帽子を叩き落とすだけに終わった。
「夕乃! 無事かお前!」
「い、今のはさすがに、肝を冷やしました」
胸を押さえる夕乃の手から鈴がこぼれ落ちる。小さな音が鳴り、ディアボロはまるで何かに憑かれているかのように腕を振り上げた。
「往生際の悪い」
獣の腕は降ろされることなく、仁によって絡め取られる。瀕死の身では振り払うこともできず、雪を飛び散らせて引き倒された。
間髪入れずに拳銃を突き付ける。抵抗しようともがくが、新たな鎖によって縛り付けられ、ただうめき声を上げるばかりだった。
「何がお前をそうさせたのかは知らないが、人間の脅威となった以上は排除させてもらう」
ぶっきらぼうな言葉とともに引き金を引く。乾いた音が鳴り、ディアボロは完全に動かなくなった。同時にそれまでの吹雪が嘘のように止み、辺りが静寂に包まれる。
「これでようやく、終わったかな」
敵の沈黙を確認し、ジェラルドは明るい声を上げる。
「それじゃ、遅くなったけど夕食にしようか。明日からは再建の手伝いをしないとね」
「うむ。一日でも早く自宅に戻れるよう、力を尽くそう」
傷つき、重い体を持ち上げながら大和が同意する。
田舎の雪景色は外灯の光を反射し、美しい原風景を撃退士たちの面前に映し出していた。