●命がけの誘導
二月の金沢は昼過ぎにも関わらず氷点下を下回り、凍えるような寒さが人々を襲う。
しんしんと雪が降り積もる中、若菜 白兎(
ja2109)は温かいお汁粉を手にディアボロの潜む氷室の中を覗きこんだ。
一見して雪と見分けの付かないディアボロは斡旋所から伝えられたとおり、氷室に収まって大人しくしている。撃退士がこれだけ側に寄っても危険は感じられず、むしろ身を裂く寒さのほうが強大な敵に思えるほどだった。
「このまま、大人しくしてくれるなら………」
ふと、頭によぎった思いを懸命に振り払う。
あくまで大人しいのは今の時点である。明日は、明後日は安全なのか、それはだれにも保証できない。多くの天魔と対峙してきた撃退士たちにはそのことがよくわかっていた。
「ううっ、さむさむだよぅ」
白兎の隣でともに氷室を覗きこんでいたエルレーン・バルハザード(
ja0889)がかちかちと歯を鳴らしながら声を上げる。
十分な防寒対策を行ってきたエルレーンだが、なお寒さに身を震わせる。彼女を慰めているのは、依頼を終えた後にこたつで読む趣味の本のことだった。
「はやくおこたでどうじんし読みたーい」
そんなエルレーンの願いを聞き届けたかのように永連 紫遠(
ja2143)の携帯が鳴り響く。除雪後に降り積もった雪を確認していた清純 ひかる(
jb8844)はスノーダンプから手を離し、緊張した面持ちで紫遠を見つめた。
応対した紫遠は一言二言、言葉を交わし、金鞍 馬頭鬼(
ja2735)と繋がったままの携帯を手に皆の顔を見回した。
「準備出来たみたいだよ。さっそく始めようか」
全員の視線が交差する。小さく頷いたひかるは氷室小屋の前に立ち、さっと中に飛び込んだ。
雪の上に降り立つと同時にひかるは違和感を覚えた。今、自分が踏みしめているものはそれまで除雪していたものとは明らかに感触が違う。柔らかく、また、若干の反発がある。例えるならば動物の毛のようだった。
考えをまとめる暇も無く足元の雪が盛り上がる。氷室の入口近くまで上昇したひかるの身体は、投げ捨てられるように外へと押しやられた。
「今だみんな! 頼む!」
ひかるを押し出した雪はまた氷室の中に戻ろうとする。その一瞬の隙を狙って紫遠の拳銃が火を吹いた。
弾丸はサクッと小さな音を立てて白い物質に吸い込まれていく。ディアボロは後退を止め、弾丸を外に吐き出しながら氷室から這い出てきた。
500kgにもなる雪はしかしその密度は高く、重さの割にはそれほどの量ではない。それもつかの間、みるみるうちに姿を変え、人の三倍はあろう大馬へと変化した。
ディアボロは馬の頭部を低く構え、地面を蹴って頭部のツノを紫遠に向けて突き出した。
「………ッ!」
間に立った白兎が片手で柄を、片手で刀身を押さえて攻撃を受け止める。全体重に突進力を乗せた突撃はツヴァイハンダーをへし折るまではいかないまでも、小さな白兎を吹き飛ばすには十分過ぎる威力であった。
「っと、大丈夫か白兎。僕のために……ごめんな」
すぐ後ろにいた紫遠が倒れそうになる白兎を抱き止める。心配そうな表情を見せる紫遠に対し、白兎は無理に笑顔を作り、だいじょうぶです、と答えた。
「わたしを忘れてもらっちゃこまるよ! ぷりてぃーかわいいえるれーんちゃんがあいてだあっ!」
高々と名乗りを上げてエルレーンがポーズを取る。紫遠に対して怒りを見せていたディアボロは再び姿を変え、今度は大蛇となってエルレーンに牙を伸ばした。
「これぞ忍法ッ! たたみがえしぃ!」
拳で地面を叩いたエルレーンの前に畳のようなものが現れる。ディアボロがそれに噛み付いた頃には、エルレーンの姿ははるか彼方にあった。
「どこを見てるんだ! お前の相手はこっちだよ!」
目標を見失った相手に対しひかるが手招きをする。三度姿を変え、巨大な獅子となったディアボロを背に、ひかるはうっすらと雪の積もる道を走りだした。
ひかるに狙いを定めたかと思えば紫遠に、続いてエルレーンにと、3人がかりで敵の注目を逸らさせた撃退士たちは、道中ほとんど危険な目に合うこともなく効率的にディアボロを惹きつけることに成功した。
「うん、もう見えてるよね。こっちは大丈夫。確実に背後を取れるところまで我慢して」
紫遠は通話を切り、携帯をポケットに忍ばせる。目の前には見事なまでに除雪された平地がある。周囲の雪はカラフルに色付けされ、戦いのフィールドをこれ以上ないほどわかりやすく示していた。
舞台の中心にディアボロがたどり着く。その背後から待ち伏せしていた撃退士たちが現れた。
仲間の出現を察知したひかるは足を止め、威風堂々と向き直った。
「ようこそ僕たちの領域へ。さあ、勝負と行こうか」
●氷獣決戦
四人が道中の除雪を終えて氷室の前で待機している頃、残る四人は氷獣との決戦を行うための場所を用意していた。
氷室から1km先に適した広場があることはわかっていた。しかしそこまで敵を誘導する労力と時間を考えた際、あまりに困難であるとの結論から氷室にほど近いこの場所に戦いのフィールドを用意することに決めた。
午前中から始めた除雪は昼過ぎまでかかり、ようやくすべての準備が整うところだった。
「寒い! この寒さも天魔の仕業じゃねーだろうな!」
氷室から決戦の場までを繰り返し除雪して回った杜七五三太(
ja0107)が息を切らしながら地面の上に腰を下ろした。
防寒具を着込んだ七五三太は最初の頃こそ除雪で動き回っていたために暑さすら感じていた。しかし徐々に汗が乾き、服に雪が染み込み始めたことで一気に体温が奪われ、今では身の凍るような寒さに襲われていた。
「あまり雪国で生活したことは無いけれども。これが毎年というのは大変ね」
除雪のため周囲に積み上がった雪を見ながら暮居 凪(
ja0503)が独り言つ。
七五三太と同じく寒さは感じているのだろうが、その表情は笑顔だった。地面の滑り具合を確かめている姿などは、あるいは本当に楽しんでいるのかもしれないと思わせるものだった。
「町の人が協力的で助かったわね。除雪車が借りられなかったらもっと遅くなっているところだったわ」
月臣 朔羅(
ja0820)は色とりどりに染まった周囲の雪を見て、満足そうに頷く。
色付けのために使った染料も草木染めのために使われるものを快く借り受けたものである。カラフルになったことで目印としてわかりやすく、戦いの上で非常に有利となった。
3人がつかの間の休息をとっていると、除雪車を返しに行った馬頭鬼が戻ってきた。除雪を終えていることを再確認した馬頭鬼はスマートフォンを手に皆と顔を合わせる。
「では、準備はよろしいですね」
準備完了の旨を氷室で待機している紫遠に伝える。その後、馬頭鬼たちは揃って高く積み上げた雪の裏に隠れ潜んだ。
凍て付く吹雪の中、離れた場所から人の声と物音が聞こえてくる。繋がったままのスマートフォンからはさらに詳細な、仲間たちが懸命に敵を引きつける様子が声と音で伝わってくる。今すぐその場に駆けつけたい衝動に耐えながら、黙ってディアボロが現れるのを待った。
数分もしないうちに、先頭を走る紫遠の姿が見えた。それからエルレーンが、ひかるが、白兎が、次々と除雪の行われた範囲内にやってくる。ディアボロの姿はもう見えている。それは雄々しき獣の姿をした純白の氷獣であった。
ディアボロが戦場の中心付近に足を踏み入れた瞬間、真っ先に飛び出したのは凪であった。自ら力を得るために鍛え直したディバインランスを構え、ディアボロの背後から突撃する。
円すい形のランスが後ろ足となっている部分に突き刺さる。手応えはあまり感じられない。引きぬいた場所はすぐに塞がれて元通りとなった。
「妙な相手ね。でも、効いているんでしょ?」
攻撃の際に散らばった雪が凪の目に映る。地面に触れると同時に溶け出し、消えてなくなった。
さらに銃撃音とともに複数の小さな穴が空く。こちらもすぐに修復するが、全体的な質量は明らかに低下していることが見て取れた。
「どんな姿であろうともやることは変わりません。倒れるまで続けるだけです」
馬頭鬼に続き、朔羅、七五三太も雪の身体に傷を付ける。それまで惹きつけに専念していた四人も攻撃に加わる。敵の数が多いと見るや、氷獣は自らの身体を五つに分割し、それぞれに違った獣の身体を与えた。
「あら、そのサイズで良かったのかしら」
目の前に表れた犬の姿をした氷獣に素早く鞭を打ち込む。硬質化したつめ先が一度突き刺さるあいだに二度、三度と朔羅の鞭が雪を削り取る。相手の攻撃も決して軽いものではないが、単体時に比べれば御しやすい形態であった。
「これでも食らってちっちゃくなりやがれー!!」
朔羅に意識を取られている氷獣の背後から七五三太が鉄槌を打ち下ろす。頭部が完全に削り取られた氷獣が元に戻った時には全体的な大きさがわずかに小さくなっていた。
「なるほど、切るより崩すほうが有効ってわけか。だったら」
鉄槌を捨て取り回しのしやすいトンファーに持ち替える。素早い連撃で雪をかき分けていくと、みるみるうちに氷獣の身体が小さくなっていった。
「まずは一体。それとも、貴方が本体?」
子犬のように小さくなった氷獣に最後の鞭を打ち込む。全身が崩れ去った後には何も残らず、完全に地面に溶け込んでいった。
自分の重量が100kgほど失われたことで残り四体のうち二体ずつが一つに集まる。二体の大きな氷獣となったタイミングを狙って凪が自らの髪を伸ばした。
「私からは逃げられないわよ。いくら身体を大きくしてもね」
まるで意志を持つかのように伸びた頭髪は今にも身体を縛り付けんばかりに小刻みに蠢く。幻影に襲われた氷獣の一体は動きを止め、凪の前で棒立ちになった。
「こちらも、まずは逃げ足を奪います」
帯刀した刀の柄に手をかけた馬頭鬼はもう一体の氷獣に向けて走り出す。ゼロ距離まで近づいたところで抜刀し、柄頭で虎を模した身体に打ち込んだ。
馬頭鬼の腕ごと雪の中にめり込む。大きく開かれたままの口は馬頭鬼を噛み砕くこと無く、氷像のようにその場に凍り付いた。
「有効、のようですね」
雪の中から手を引き出し、翼を広げてわずかに距離を取る。
「今のうちに、みなさん……」
白兎が祈りを捧げるように胸の前で手を組み合わせると、撃退士たちに向けて輝く星を思わせる淡青色の光が降り注ぐ。柔らかな風は痛々しい傷口を優しく撫で、傷ついた身体を癒やした。
「そういうの効くんだったら、これもっ!」
エルレーンは動きの止まった二体が直線上になる位置まで素早く移動する。その場で薙刀を高々と掲げ、恍惚の表情を浮かべながらぶつぶつと何事かをつぶやいた。
エルレーンの中で何かが極まった瞬間、目を大きく見開いて薙刀を振り下ろす。直線上に放たれた名状しがたい一撃が氷獣の身体を通り抜ける。もともと身動きの出来なかった二体はさらに身体を硬直させ、身悶えするように身体を震わせた。
「よし、後は完全に無くなるまで砕き続けてやるぜ!」
逃走の足を失った氷獣にトンファーの一撃を叩き込む。動けないまでも接近してきた七五三太に牙を向けるが、すぐに距離を離してしまえば虚しく空を切るばかりである。
どうにか形態を変化させようとの雪を動かすが、痺れているためかまともな形にならない。異形となった部分が密度を失って切り離され、自らで重量を減らしてしまう結果に終わった。
「これで、二体目だっ!」
紫遠によって斬り裂かれた氷獣の一体が形を失って沈む。こちらからもコアは現れず、最後の一体に撃退士たちの視線が集中した。
追い詰められた氷獣はしかし本人にとっては幸運なことに身体を蝕む痺れから開放された。自らの重量がもう残り少ないことを感じ取ったのか、形状を幼い子どものような大きさの兎に変化させ、脱兎のごとく駆け出した。
色づいた雪を越え、足を青緑色に染めながら逃げ出したディアボロは、突如目の前に現れた壁にぶつかって足を止める。前に立ちふさがったのは朔羅とひかるの二人だった。
「早く仕事を終わらせてのんびりしたいの。だから……ここで沈みなさい」
初めの巨大さなど見る影もない、もはや氷獣とも呼べなくなったディアボロに漆黒の刃を振り下ろす。刃が獲物を切り裂くと同時に朔羅の瞳が黄金に輝き、刃がそれに同調して金色に変わった。
真円を描き、無慈悲な二撃目がディアボロを両断する。二つに分かれた雪の中心から、輝くコアが姿を現した。
「見えた、コアはそこかっ!」
両手で力いっぱい振り回した斧槍の刃がコアを砕く。破壊されたコアは大きな音を立て、破片も残さず消滅した。
戦いの後には何も残らない。ただ安堵し、喜び合う撃退士たちの姿があるばかりであった。
●雪舞い降りる温泉
「冬の温泉はやっぱり格別だなぁ。生き返る思いだよ」
深々と温泉につかったひかるが感嘆のため息を漏らす。
戦いの後、安全が確保されたことを報告した撃退士たちは旅館の従業員たちから何度もお礼を言われた後、勧めを受けて温泉にやってきた。
終わった後に気づいたことだが、撃退士たちはだれもが雪にまみれて水浸しであった。休んでいるあいだに洗濯と食事の用意までしてもらえるという至れり尽くせりである。
「まったく。戦いの疲れが吹き飛ぶようですね」
馬頭鬼もリラックスした様子で空を見上げる。
雪が降りしきる中での露天風呂はとても贅沢なもので、先ほどまで厄介に思っていたことなど忘れてしまうほどであった。
(俺もまだ……いけるはず!)
自分より背丈の高い二人を見ながら、七五三太は自分の頭に手を当てる。ひかるが自分の一つ上だと知り、その身長差に落胆したものの、まだいけると湯船の中で希望を抱いていた。
その一つ壁を挟んだ向こうでは女湯につかる女性陣の姿があった。こちらは男湯よりも賑やかであり、楽しげな会話が壁の向こう、男湯まで聞こえてくる。
「いいわね、雪の中の露天風呂って。このためだけに来る価値ありね」
湯船の中で身体を伸ばしながら朔羅がつぶやく。少し温めのお湯も冷えきった身体にはちょうど良いものであった。
「そうね……って、どうしたのエルレーン」
口元まで湯に使ってぶくぶくと泡を立てるエルレーンに気づいた凪が声を掛ける。なんでもない、と答えて背を向けたエルレーンは自分の身体を見て、はあっと小さなため息をついた。
「戦いの後だしちゃんと洗わないとね。白兎、よかったら背中流してあげるよ」
「は、はい。じゃ、じゃあ、わたしも」
紫遠の提案に白兎は少し恥ずかしそうに笑って答えた。
温泉から上がった撃退士たちは豪華な食事を振る舞われ、さらに氷室の時期にだけつくられる氷室万頭をいただいた。
「甘くて、おいしいの」
優しい甘さの氷室万頭を、白兎だれよりも嬉しそうに頬張っていた。