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「案外本当に、幽霊が出るいわくつきの旅館だったりして」
室内に散らばる砂埃を箒で払いながら、シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)はそう口にした。
「あっはっはっ。そりゃ考えすぎやて――ぇほっ、げほっ、あだぁっ!?」
黒神 未来(
jb9907)は埃を吸い込んだのか、涙目になりながら咳き込む。
更にその拍子に包帯だらけの全身が痛んだらしく、悲鳴を上げて畳に蹲った。
「だから、あなたは掃除が終わるまで外で休んでいなさいな」
呆れたようにため息をつくシェリア。しかし未来は「平気や平気」とからから笑ってハタキをくるりと回す。
そしてハタキの先で、背後を指した。
「誰かは、あの子のこと見ておいた方がええやろ?」
ばちゃーん。
まさに未来が指し示した先で、水入りバケツに片足を突っ込みうつ伏せになっている依頼人、
エメラ・プレシデントの姿があった。
未来に抱き起こされたエメラは「すみません、すみません」と何度も何度も頭をさげる。
しかしそれとは別に、なにか不安そうで、
「もしかして、さっきシェリアクンが言うてた話を真に受けてるん?」
未来はエメラの体を拭きながら、苦笑いを浮かべた。
「んなドラマやあるまいし、いわくなんかあらへんって」
「あら、そうとも限りませんわ。例えば――この柱の傷、獣のひっかき傷のようにも見えませんか?」
どうやらシェリアは、この手の怖い話が大好きのようだ。
声に重々しい感じを乗せて、表情も神妙なものにしているが、どこか楽しそうである。
「もしかしたらここで誰かが襲われて……。きっとこの山の主を怒らせてしまったのですわ。
祟りが獣の形となり、哀れな男を頭からバリバリと……あら? エメラちゃん?」
エメラは目と口を大きく開いたままカタカタと震えていた。
しかしその視線はシェリアではなく、その向こう側――窓の外に向けられていて、
「なんや?」
未来とシェリアも釣られて窓の外に目を向けていたが、そこには並び立つ木立があるだけだ。
……いや。何か、尻尾みたいなのが一瞬だけ見えたような。
困惑するふたりに挟まれ、エメラは震え声で呟いた。
――や、山の主さまです……。
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撃退士達が一時間以上かけて廃宿を掃除した結果、なかなかに快適な状態となった。
さて、寝床と温泉を確保できた今、次にすることは――
「山の主ぃ? なんだそりゃ」
麻生 遊夜(
ja1838)は河原の岩に腰掛け、手元の作業を続けながら言葉を返した。
隣の岩に座るエメラが「山の主さまがいたのです!」と訴えるのだが、ちょっと何を言ってるのかよくわからない。
お目付役の未来に目を向けても、苦笑いで肩を竦めるのみだ。
「ま、何だかんだで楽しんでるってことか? っし、できた!」
遊夜が掲げてみせるのは、お手製の釣り竿だった。
長くて丈夫な枝に、救急箱に入っていた糸と針を組み合わせて作った一品である。
山の主の話から一転。目をキラキラさせて感心しているエメラに笑みを見せ、針を川へと投じた。
「人の手が入ってねぇなら、簡単にイケるはず……っと、来たァ!」
遊夜は岩の上に立ち上がる。
ぐっと足を踏ん張り、強く撓る枝を握り直す。
そして、
ざばーん、と大きな魚が釣り上がった。
「こりゃ大物だな。捌き甲斐がありそうだぜ」
釣った魚を籠に放り込み、釣り竿はエメラへと差し出した。
「ま、何事も経験ってな」
エメラは喜んでその竿を受け取り、それっぽく構えてみせた。けどなんかぶきっちょだった。
遊夜は小さく笑いながらその隣に片膝をつき、手に手を重ねて持ち直させ、針の投げる位置を指し示して指導する。
その度にエメラは素直に「はい!」「はい!」と従った。
「それじゃあ、やってみな」
小さな手で針が投じられ、水面越しの魚影が動き出す。
「おっし、今だ!」
エメラは岩の上に立ち上がる。
ぐっと足を踏ん張り、強く撓る枝を握り直す。
そして、
すぽーん、とエメラの体が飛んでいった。
「社長さぁぁぁん!?」
すかさずお目付役の未来がジャンピング。見事に足をキャッチした!
が、怪我をしている体では力が入らず、そのまま一緒に川へとダイビング。
水柱はふたつ。
――河原には遊夜ひとりが取り残される。
まるでコントのような一連の流れにぽかんと立ち尽くし、しかし、程なくけらけら笑い声をあげていた。
「いやぁまぁ、楽しそうでなによりだぜ。助けてやるから溺れるんじゃないぞー!」
●
「――って、ことがあったんだ」
「なるほどぉ……」
遊夜の話を聞いた月乃宮 恋音(
jb1221)はこくこくと頷き、起こした焚き火の方に目を向ける。
そこでは未来とエメラが並んで体操座りをしていて、シェリアが温かい紅茶を振る舞っていた。
「あっちは、シェリアさんに任せて大丈夫そうですねぇ……」
「だな。そんじゃ、こっちも働くとするか。せっかく立派なのが揃ってるんだしな」
宿の庭先に並べられているのは、BBQセットだった。
調理用具一式は当然として、紙皿に焼き肉のたれ、更に調味料やハーブまで揃っているとの徹底ぶりだ。
これらは全て、恋音が持ってきたものである。
「恋音さんは、ここが潰れてるって知ってたのか?」
「事前にちょっと調べてましたからぁ……。でもぉ、社長さんがうきうきしてるのを見ると、言い出せなくて……」
「だろうなぁ。ま、気を遣わせたって思われてもアレだし、黙っておこうや」
「ですねぇ……」
と、そこへ足音が近づいてくる。
「クラクラクラ。あの子は見ていて面白いねぇ〜」
無畏(
jc0931)は貼り付けたような笑顔で、脇に抱えていた袋を調理台の上に置いた。
ざぁ、と零れ出てきたのは、食べられる木の実類である。
「お疲れ様ですぅ。――えぇ、そうですねぇ。放っておけない感じ、というのでしょうかぁ」
「クラクラ、それはそれは……」
無畏の目が細まり、より一層、口調は楽しそうなものになる。
「――彼女はとてもラッキーなんだねぇ〜」
言葉の真意がわからず、恋音は首を傾げ、遊夜は眉根を寄せた。
「ラッキー、ってのはどういう意味だ?」
「別にぃ〜、深い意味はないよぉ〜」
明確な答えを得られぬまま、無畏は踵を返した。
なんだかもやもやするものの、ふたりは調理に取りかかる。
食材は遊夜が採ってきた山菜と魚。今しがた無畏が持ってきた木の実。
「うん? 獣肉は狩れなかったのか?」
「あ、いぇ〜……。処理するとき臭いが出ちゃいますから、ジョンさんが川のところで――」
恋音は言葉を切る。
何気なく焚き火に目を向けると、ひとつ、違和感を覚えた。
重体の上に寒中水泳を行い、疲労ゆえかウトウトしている未来。
飲み終えたティーカップを片付けをしているシェリア。
そして、そして、
「……あれ。エメラさんは……?」
●
エメラは山の主に出会った。
ちょっとトイレに行くつもりが、迷子になってしまったのだ。
体長2mを越えた、二本足で歩く獅子の姿。
その身が纏っているのは袴ひとつであり、毛皮と筋肉に覆われた荘厳な肉体美には畏怖の念さえ覚えた。
脳裏を横切るのは、シェリアの怖い話。
『きっとこの山の主を怒らせてしまったのですわ』
『頭からバリバリと……』
「なぁ」
まるで地の底から響いてくるような声。
エメラは背筋を伸ばし、慌てて返事をする。
その眼前に差し出されたのは――焼きたてほやほやのお肉だ。
反射的にそれを受け取り、肉と山の主を交互に見比べる。
意を決して……食べた。
美味しかった。
「肉も魚もとりあえず焼けば食べられる。塩もある。それで十分」
こくこく、と頷き返す。山の主のありがたいお言葉である。
「――良かったらエメラもやってみるか?」
なぜなまえをっ!?
と、聞きたくなったが、言葉を呑み込んだ。きっとなんでもお見通しなのだ。失礼があってはいけない。
緊張で思考がぼんやりする。
山の主に促されるまま、お手伝いをした気がする。
――
――――社長さんっ。
ハッ、と。
我に帰ったときには、未来の顔が目の前にあった。
「あんまりひとりで行動するなよ、エメラさん。山には危険がいっぱいなんだからな」
大皿に刻んだ肉を盛りつけている遊夜は、苦笑いを向けてきた。
いつの間にか、宿の庭だ。
「ま、ジョンさんが無事に連れ帰ってくれたんだし、結果オーライか」
ジョン――確か、いまここにいる五人の他にもうひとり、
ジョン・ドゥ(
jb9083)という赤毛の男のひとがいるのは知っていた。
ただ、資料で顔写真は拝見させてもらっているものの、まだ一度も出会えていない。
転送装置で現地やってきた撃退士らと合流した時点で姿が見えなかったので、
てっきり欠員となったのかとも思ったが……、誰よりも早く山に入って色々と調達してくれていたようだ。
今もまた、先に食事を終えて山に戻っているらしい。
それにしても。
大騒ぎになっていないということは……さっきのは夢だったのだろうか。
エメラは不思議に思いながらも、夜ご飯のお手伝いに参加した。
●
「温泉やー!」
未来の声は夜空遠くまで響き渡り、山彦となって反響した。
そのまま湯船へと飛び込み――痛みに悶え苦しむ。重体の傷に障ったようだ。
「相変わらず、元気なお人ですわね」
反してシェリアは静々と湯船へ。
恋音もまた、騒がしくすることなく湯船へと使ったが――
たぷん。
圧倒的戦力とも言えるそれがタオルから零れ、水面に揺れ、軽いさざ波を起こしたッ。
「はぅぁ……。も、申し訳御座いません……」
恋音はいそいそと体にタオルをまき直していたが……。
はしっ、と。背後からその胸に掴み掛かる黒影がひとつ!
「おおー、立派な胸やなぁ」
「えっ…。ええと、ええとぉ……」
「けどなぁ、ウチかてDあるんやで。そこそこあるんやで。なのに、なのになぁぁ……っ」
どうやら、その戦力差が未来の琴線に触れてしまったようである。
ふたりはもつれあうようにしながら、ばっちゃんばっちゃんと水柱を立てていた。
残った女子ふたりは、微笑ましく(?)それを見守るのみである。
「――エメラちゃんは、わたくしより全然年下なのに」
ぽつり、と。
シェリアがそんな事を口にする。
「立派ですわね……辛くはないのですか?」
シェリアもまた、親に西欧企業の資本家を持つ、経営者側に立つ人間だった。
もし自分が親の役目を継いだ時、どうすればいいか。
エメラは少し考えた後に……口を開いた。
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夜も更け、就寝時。
「蔓やら木の葉は、意外と使い勝手良いんだよなー」
そう言って遊夜が「じゃーん」と見せてくれたのは、お手製の枕、そして布団である。
温かそうで、それなりに見栄えも良い。エメラが試しに寝転がってみると、とっても快適だった。
――しかし、やはり寒い。
季節は冬で、山の上。しかも建物が劣化していないとは言え、多少の風は吹き込んでくる。
エメラはきゅっと身を窄めて、ずず、と詰まる鼻を啜る。
……と。
布団でくるんでいる体が、もっと温かく、柔らかい感触に包まれた。
「自分の事一人ぼっちやと思ったらアカンで? うちが付いてるさかいな」
未来が、体を抱きしめてくれていた。
申し訳ない、と思ったのも一瞬。温かくて、心地良い。
今宵は、甘えてしまおう。
エメラの方も未来に身を寄せるようにして、穏やかに目を閉じた。
扉の前で、無畏がその様子を見聞きしていたことには、気付かなかった。
●
早朝。
エメラは、目を覚ました。
おといれ……。
未来を起こさないように慎重に立ち上がり、眠い目を擦りながら外に出る。
「――クラクラクラ」
頭上からの笑い声。
まだ薄暗い空の下。屋根の上に座って足をブラつかせているのは、無畏だった。
「君は運がいいねぇ〜。どんなに大変な事になっても、誰かが助けてくれたんでしょぉ〜?
だから君はここにいるわけだからねぇ〜」
それは、その通りだった。
今回のことも当然として、今まで全て、助けられてばかりいる。
「『誰かに助けてもらえる』、なんて。凄く幸運だと思わなぁ〜い? クラクラクラ」
暗がりの中では、無畏の表情を見る事は出来ない。
彼の真意もわからない。
だから、エメラは素直に答えることにした。
はい、と。
とても幸運で、感謝したくても言葉では足りないくらいだ、と。
自分にできることは、信じて待つことしかできない。
でも、だから――
――お風呂でシェリアに言ったことと、殆ど同じになるけれど。
「だからこそ、何があっても、絶対に、絶対に、信じております。
それしかできないから、それだけは必ず、誰がなんて言おうと、皆さまを肯定し続けます」
きっと疑うことも、否定することも、必要なことだろうけれど、それは自分の役目じゃない。
経営者としても、そうだ。
全ての上に立つ者が信じないことを、下の誰が信用するというのか。
信じる事。肯定すること。
それは守られ、助けられる者が行うべき義務だ。
少なくともエメラは、そう思っている。
「ふぅ〜ん」
無畏はどう受け止めたのか、屋根から飛び降りて、目の前に着地した。
そして、
「じゃ、これにも付き合ってよぉ〜」
がちっとエメラの体を抱きあげ、そのまま空へ飛び上がった。
空へ、空へ。高く、高く。
「クラクラクラ。高い所から見たここはどうかなぁ〜?」
――無畏に支えられ、空中にいた。
目下には広大な森、周りには更に高い山々。
そしてその山の向こう側からゆっくりと現われる朝日。
とても、美しい景色だった。
で、終わっても良いのだが、もうひとつ見えてしまったものがあった。
太陽の中に、ヒト型のシルエットが見える。日の光を受けてか、ほんのり赤いシルエットである。
朝日が小高い丘の頂きに、誰かが立っているのだ。
その『誰か』は両腕を天に突き上げて――
雄叫びを、上げた!
よく見てみると、その丘の周りには熊や猪っぽい姿があり、平伏している。(というか気絶してる?)
それは、まさに……山の主にふさわしい姿だった!!
●
朝、宿の前にて。
「え、あの、エメラちゃん? あれは冗談で……」
エメラは興奮気味に「山の主さま見ました! 実在しました!」とはしゃいでいた。
「どうよ、休暇は楽しめたかね?」
遊夜のさむずあっぷに、エメラもぐっと親指を立てて応える。
そう、色々あったけど、楽しかった。とても楽しかったのだ。
あと残すは――
「クラクラクラ。それじゃぁ〜皆そろったかなぁ〜?」
無畏が持ってきてくれていたカメラで、最後に写真を撮ることだった。
宿の前に全員が並んで、セルフタイマーを……
しかし、結局ジョンがいない。
それをエメラが言おうと振り返ると、皆は不思議そうに首を傾げる。
「えぇとぉ……。いらっしゃいますよぉ?」
恋音が指し示す方向に顔を向けると、壁しかない。
――いや、壁じゃない。そろーっと顔を上に向けると……
「や、山の主さま!?」
ぱしゃり。
終