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永い、相対となった。
少年は泣いていた。少女は言葉を継げずに押し黙った。
そして。
残る少年が、剣を大地へと突き刺し祈りを捧げた。
●
分厚い葉葉を貫いて落ちる光が映し出す世界は、どこか鈍色じみていた。その昏き森の影に音が響く。
大天使に対して紡がれる威勢の良い声もその一つだ。
「あ〜…大丈夫だ、直ぐに戦争交響曲ってェので煩くなるぜ」
法水 写楽(
ja0581)だ。髪を掻きながら皮肉げに笑う。
「終曲の最後の一音は――大天使サマが地に伏す音で〆させて貰おうかィ」
啖呵を切る彼の言葉に続き、獅童 絃也 (
ja0694)は大天使に言葉を投げた。
「ご自慢の使徒はどうした。出すまでも無いと余裕の表れか?」
「おや、私ではご不満ですか?」
応えるミロスファの手は滑らかに魔法陣を描き続けている。急所と踏み、敢えて発した言葉が意にも介されなかったことに絃也は眉を顰める。
――刻々と響き続ける、魔法の音。
重なる音の只中に響く音を聞いて、歌い手たる少年が往った。亀山 淳紅(
ja2261)。
「ミロスファ! 」
言葉は明滅するように断ち切れて響き、淳紅の姿は――ミロスファの眼前に届く。瞬間移動。実戦的でない動きに大澤 秀虎(
ja0206)が眉根を寄せる中。
「撃たないでっ!」
少年は叫び、刻まれる印を押し留める大天使の手を両手で握り締めた。
「おや…」
少年の抑制に鈍りはしつつも、なおも印を刻みつづける手。大天使は微笑を返して、言った。
「気持ちには応えたい所ですが、それでは私が此処に居る『意味がない』」
「…ッ!」
優しい拒絶に、少年は掻き抱くようにミロスファの腕を引き寄せた。
せめて、届かせまいとするように。
果たして。
「――貴方の行動には敬意を表しましょう」
印が刻まれなくなった魔法陣が暴発するように解けていく、その間際に。
爆光が、淳紅を包んだ。
間違いなく、範囲魔術であった。
●
「亀山さん!」
淳紅の身体、御堂・玲獅(
ja0388)の声を飲み込んで、爆炎が狂い咲く。
少年の行動を無謀と嗤う者は嗤えばいい。
――だが、それこそが『果たすべき責任』であった。
玲獅が駆け寄る先、弾かれた淳紅が土に塗れて横たわっていた。
「ご、め…」
「いま、治療を」
生きている。意識もある。それを確認して、玲獅は小さく安堵の息を吐いた。
「今は喋らないでください。呼吸に集中して」
玲獅が癒しを施す他方、秀虎、写楽、絃也、ラグナは戦闘態勢を整えている。当然だろう。淳紅が身を挺していなければ、先行した面々が焼き払われていた。
「貴様…ッ!!」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)が憤怒を込めて叫ぶ。
――謀られた。
事ここに及んで、その確信を抱いた。
『行きたい者は行きなさい』。『止めたい者は止めると良い』。言葉が反芻され、ラグナの心中に激憤が募る。爆炎が晴れた先に立つ大天使は微笑した。
「その怒りはご尤もですが。怠慢のみではなく、蒙昧もまた罪ですよ」
「――私は、止めるぞ! お前を!!」
引き出されるように、ラグナは術式を展開した。ラグナの幻影が七体、円陣を成すように顕現。それぞれが流す血涙が、ラグナの胸中を示すように紅く光るや否や、護りの加護が撃退士達に降り注ぐ。
「…成る程、手は出さないとは言ってねェ、ってか」
「汚いやり口ではあるがな」
「いやァ、渋ィねェ」
ただ一人写楽だけが口の端に笑みを乗せていた。その笑みに固い表情で応じるのは絃也だ。秀虎はただ開戦の時を待つように身を低く構えているように見える、が。
「…ゲートが開く、というのも嘘か。時間が無いと錯覚させることで、貴様は一八名の撃退士と戦わずに済み、本命の背を撃てるようになる」
つと。その秀虎が言った。一つ一つの言葉に恣意が見えた。なれば、と。思考を辿るうちに辿り着いた答えだった。
ミロスファはそれには応えないまま。
「…そろそろ、治療も済みましたか?」
そう言って、新たな魔術を展開した。
●
疾、と。軽い足音が響いた。体躯に見合わぬ軽妙さで、絃也が往く。遮蔽を取るように加速しミロスファへと向かっていく。
残る面々もそこに続く。撃退士達の疾走は夫々の意図に乗ってこの深き山に刻まれた。それらの向かう先。ミロスファは余裕げな表情を崩さずに魔法を紡ぎ――突如湧いた焔が、遮蔽にと取った樹林ごと絃也へと喰らいついた。
「ぐ、ぅ…ッ」
熱量が肌を灼き、異臭が肺腑を焦がす。
「大丈夫!?」
「ちッ…」
庇おうと動いた淳紅ではあるが、位置関係故に為せず。ラグナにしても同様だ。守護と攻勢がどうしても咬み合わない。
「ああ、なんとか、な」
応答する絃也の言葉には、苦悶が滲んでいた。ラグナの結界。そして、彼自身が施していた防護が無ければ、斃れていたかも知れない。
「成る程、強い」
阿修羅である彼――彼らにとって、天使の身で魔法を操るミロスファは鬼門だった。
「だが、届く…ッ!」
言葉通り。絃也の足は距離を踏み越え、それを成し得た。狙いは大天使の傍らに浮かぶ二つの水晶。その傍らの金の水晶へめがけ。
――全身全霊、渾身の一打を打ち込んだ。
「――――ッ!!!」
咆哮し、体軸を保ちながら深く踏み込み――震脚。その勢いのままに、右腕を大きく振り落とした。伏虎と名付けられた技だ。絃也にできる最高の一撃。長くは保たぬと知って、今、放つ。
金水晶へと打ち込まれる、伏虎。
だが。
銀の水晶がそれを阻んでいた。硬質な手応えに、絃也は歯噛みし低く吠える。
「こちらは守りの為の物か…ならッ」
無傷の金水晶。そこから、
「獅道! 気をつけろ!」
写楽の言葉に乗るように光条が、吐き出されていた。絃也はそれを交差した腕で阻むように受け、後方へと大きく飛んだ。
「――助かった」
「いえ、おかげで一つ明かすべきものが解りました」
反撃を意識していなければ、絃也は玲獅が癒しの手を翳す間も無く倒れていた筈だった。肌は焼け焦げ貫かれた腕は力なく垂れ下がる。一打の代償が、重く絃也の身体に刻まれていた。
故に。
故に撃退士は、止まらない。
「生憎とお前さんが、何を引きずっているのかは、それに興味もない」
ミロスファの傍らに、影が生まれていた。
「だが無下にする気もないのでな、全力で挑ませてもらう」
絞りこまれた身体は一本の矢のよう。その身体が、鋭く廻った。
秀虎。
印、と。抗するように結ばれたミロスファの魔術と真っ向から打つかる大剣。右の膝裏を断ち切るように振るわれたそれが、硬質な音とともに弾かれる。
「そう簡単には切れんか」
「ええ」
大天使の余裕げな応答に、まあいい、と秀虎は呟いた。
「ぶっ壊しタイムと行くか…まずはてめェからだ!」
彼の意図するところは、隙を作る所にあったから。
意に添うように写楽の銃撃が重なる。魔銃から、銀水晶へと小気味よくアウルの弾丸が吐出される。
「同じトコなら多少は脆くなってンだろ!」
絃也が打ち込んだ面へと向かって、怨怨と弾丸が銀水晶へと届く。
しかし。
――幸先悪ィな。
軽快な射撃とは裏腹に苦い言葉で、写楽は状況をそう評した。
ミロスファの火力は過大だ。攻勢は良いかもしれないが、こちらの守りが甘い。ラグナの結界に頼る形になってしまっている。
「さあ、人々を守る神聖騎士たる私を見ろッ…! 私は逃げも隠れもしない!」
「それは重畳」
写楽の懸念を払拭するように大剣を振りかざしたラグナがミロスファに肉薄。獲物に喰らい付く獣のような執心にミロスファが笑み返す。
「ですが――今は貴方以外を討つべきでしょうかね」
「ちっ!」
斬撃を光盾で受け止めながら、大天使が他の者達を品定めするように見据えた事にラグナが舌打ち。
瞬後だ。
唄が。
淳紅の歌声だ。声に導かれ、大きな魔法陣が編み込まれていく。
「ミロスファ。貴方が立ちはだかるのは何の為ですか」
歌声に乗るように、玲獅が告げた。
「私が今此処に在るのは、未来へと生きる命を繋ぎ、護る事を強欲する為」
長い銀髪を靡かせながら歌声に沿うように言う。癒し手たる彼女には、見えている筈だ。
彼女は及ばず、仲間たちは斃れることになる、と。
…それでも、続けた。
「いかに不条理が強くても。逃げず、挑み続け、明日に進む事を強欲する為です!」
玲獅が言い終えるのと、同時。
魔術が、成った。
「ミロスファ…っ!」
名を呼んで、弾かれるように高空へ浮かぶ淳紅。五線譜様の魔法陣から音符が弾ける。
展開されるは荘厳なる音律。
見下ろす世界は、いやに広く見えた。
その中で、ただ一人立つ大天使が。
「ミロスファ。自分は、貴方にあいたくて、此処に来た」
何故だろう。とても孤独に見えて。
「やって、貴方のこと…すき、やし」
紡ぐ。言葉と想いと共に音を紡ぐ。
「さ、398回目の、一目惚れ、やからねっ」
――渾然となる感情。それを借りてきた言葉で軽妙に、無理矢理に纏めあげて。
「だから……ッ!」
そして。
音楽が、崩落した。
大天使と水晶を飲み込む大瀑布となって――弾ける。
●
金属が悲鳴を上げるとしたら、斯様な音になろうか。銀水晶…だったもの、というべきだろう。土塊となったそれが崩れ落ちていく。
「良い答えを、貰ったのですね。六万」
逃げぬと声を大にして謳う撃退士達を見つめ、大天使は微笑した。
少年の執着が、歪さが見えて、笑みが深くなる。
「私も、好きですよ」
願いを。意志を持つ者。彼自身には無い、強く眩しい光。
「六万が願いを託した撃退士――ならば、私が焦がれぬ理由も、ない」
だからこそ、彼は言った。
「この身が塵芥になっても…貴方達を阻みましょう」
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淳紅の絶技に盾たる水晶が砕けた。
「チャンスじゃねェか!」
ゴキゲンな写楽の声を聞く前に、身体が動いていた。
秀虎だ。ミロスファの至近に迫り、銃を顕現させる。ショットガンSA6。
――銃は嫌いなんだが。
内心をおくびにも出さず、散弾でその視界を覆うように猛射。ミロスファは手にした杖でそれらを払い、印を組んだ。
「意図は良い。しかし、一撃が軽くてはそれも霞みますね」
「…ッ」
見透かされていたと知ると同時、この立会で初めて叩きつけられた濃密な殺気。先ほどまでとは違う相対になると、身体の奥が痺れた。
「オォッ!」
秀虎は咆哮し、飛んだ。生命の危機故にではない。もっと闘っていたいという希求が勝った。
だが。
「燃えなさい」
慈悲は、無かった。護りの加護すら貫いて爆炎が秀虎の身を灼く。咆哮ごと喰らい尽くす爆炎。それを打ち消すように、すかさず玲獅から癒しが齎されるが、焼死を免れる程度の意味しかなかった。
「……ッ! 私を、狙えェェ!」
切り込んだラグナを、ミロスファは刃を受け止めはするものの、相対をしようとはしない。そのまま大天使は――獅堂と写楽を、視た。
視線に、ただの一撃で焼死寸前の秀虎が想起され、写楽の背筋が震えた。
「ッと!」
予感を覚えて写楽が木影に身を隠すや否や、悍ましい視線に添うように金水晶から飛んだ光条に肩口を貫かれた写楽は、苛々しげに吐き捨てる。
――こりゃァ、厳しい。
「…チッ、まず水晶をやるぜ獅堂!」
だが、と。写楽は思った。逃げるのは性に合わねェ、と。
それは、絃也にしても同様だったのだろう。
「ああ、そうだな」
この場に彼らを庇護するものはなかった。いや、常ならばラグナの結界は十全に機能していた筈だ。ただ、彼らにとってはそれすらを貫く強敵というだけ。
覚悟を、決めた。
先手。絃也が行った。時間が無く、放てる至高の一打から遠いが、それでも。
「――――ッ!」
巨躯を獣のように奔らせ吼えた。大上段からの爪の猛撃。
「落ちな…ッ!」
そこに続いた、写楽の剣戟。鬼神一閃。削り合いの定めを注ぎ込むように。
秀虎に魔法を放った直後のミロスファは動けず、見送るしかない中で放たれた、彼らに成せる渾身の一打であった。
瞬く間に軋み始める金水晶と、その反撃。
そこに、ミロスファの猛火が加わってもなお、玲獅の癒しを背にした写楽と絃也は手を止めなかった。
――その身体が、業火で動く事すら叶わなくなるまで。
相対する先。金水晶が崩れていく様と大天使の顔を認め、絃也は無理の効かぬ身体で小さく嗤った。
「随分、と湿っぽい、顔だ、な、」
焦げた声帯で、無理やりに声を紡ぐ。
「失って、その意味、を、知り、喪にでも…服したか。随分人間臭いな天使」
まるで地の底からの呪いのように、響いた。
「…だが、後の祭りだ」
写楽と絃也が倒れてから間もなくして――戦闘は、硬直した。
●
永い、相対となった。
逃げず、退かず。其の身すべてを吐き出すように、力を振るい、ぶつけあった。
――気づいた時には、もう、遅かった。
「歌は感情を表現する事。旋律等は手助けに過ぎません」
玲獅は余さず理解していた。これは、彼が、彼の使徒を謳うための闘いだと。
「…だから、今、貴方は確かに『己』を謳っている」
彼女にはそれを言葉を紡ぐ理由があった。背に立つ少年が、泣いている。
「ミロスファ。貴方が六万を忘れぬ事。『生きる事』が、世界に六万が生きた証です」
大天使の魔法を、残る撃退士は能く耐えた。
そうして、今、ミロスファの存在が――
「貴方の生きた証も、望めば作れます! だから…ッ」
――消えていこうとしている。
「私を踏み越えし、人の仔よ」
だから。
己の身を削り、魔法を刻む大天使の口元から紡がれようとしている言葉は。
――最後の言葉に、他ならぬ。
「人々を守る、と貴方達は言いました」
そう名乗りを上げたラグナ。強欲する者だと告げた玲獅の二人に。
「……貴方達こそが、六万が生きた証だ。どうか、其の輝きを曇らせないで欲しい」
そう、告げた。
そうして、淳紅を見つめて笑った。その手は尚も魔法を刻み続けたまま。
「貴方は、良い声をお持ちだ」
笑みに、淳紅は答えられなかった。
「その声で、貴方自身の生を謳いなさい。六万がそうしたように。そうして――微笑って逝けるように、生きなさい」
駄々をこねる幼子のように、淳紅は首を振る。別れを受け止めきれずに。
――刻々と響き続ける、音。
最後の魔法が、描き切られようとしていた。
だが……少年にはもう、止められなかった。
だから。
「もう、いい」
ミロスファの眼前に立っていたラグナが、それを果たした。
死の間際まで願いを込めて立つ姿に対する、畏敬を込めて。
――今度こそ、護るために。
「私は貴様らの行いを許しはしない、が。その願いには応えても良い」
最後にそう添えて、大剣を大きく振りかぶった。
「だから…もう、眠れ」
一閃。
それは、始まりの軌跡をなぞるように振るわれた。
満足気な笑みと共に、掻き消えるように消えていく大天使の身体。
彼は、最後に彼の名を呼んでいた。
――こうして。この深き山で、一柱の大天使が光に還った。
暑い、夏の日の事だった。