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暗がりに生い茂る木々が、深々と横たわる冷気と静寂に縁取られていた。
仮初の沈黙だ。誰しもが、それを嵐の前の静けさだと知っていた。
その中で生命探知を用いた命図 泣留男(
jb4611)。範囲内に自分達以外の反応はない。
風が鳴る。夜風の冷気が、一層厳しさを増したように見えた。
「…俺のブラックソウルは夜闇よりも尚深い黒」
張り合うように言うメンナクだが応答は無かった。委細問題ない。ガイアは囁き続けている…ではなく、至近に天魔が伏せている事は否定できたのだから。
再び、沈黙。
「…どうして、こんな所で争ってるんです?」
光坂 るりか(
jb5577)のどこか憂いを含んだ声が、切欠となった。
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「アイツが急に襲ってきたの」
「……」
言う悪魔に、六万は無言を貫いていた。
そんな六万に、自分たちの方針を顧みて、亀山 淳紅(
ja2261)は鬱々とした気分を抱いた。理屈、道理は少年にも了解できている。分別ゆえに、彼は主張を呑み込まざるを得ず。
――でも、理屈じゃないんよなぁ…。
じくじくと、苦みが胸中を侵すのを感じて。淳紅は隣に立つ赤坂 白秋(
ja7030)を見た。
「ぁふぁあふぁ」
阿呆が桃色吐息を吐きながら、口元を戦慄かせて固まっている。
少年は見なかったことにした。
「貴様、天界の勢力が強いこんな場所で何をしている?」
「え、そうなの?!」
鳳 静矢(
ja3856)が言えば、悪魔は心底驚いたようだった。
「そんなのリザベル様から聞いてないし…騙された? いや、でも…」
ブツブツと疑心暗鬼に陥っている悪魔に静矢は続けた。
「双方この市から退け、大人しく退くというなら追わん 」
「…退く理由は?」
六万が横合いから差すと。
「吠えるなよ、屍人が」
蘇芳 更紗(
ja8374)が、抜身の憎悪と共に切り返していた。
「まだ伸う伸うとのさばっているのか。人を捨て、人を裏切り、人を越え、さらに人を喰らうか」
幼顔から、ずるずると憎悪が吐き出される。
――好機だ。
言葉に違わず、内心にも殺意が満ちていた。どうすればこの使徒を殺せるか。彼女の思考はそこに凝っている。だからこそ、彼女は悪魔に言った。
「助けを求めたな、悪魔。ただ一方的に助力を請うわけではあるまいな、助力する代わりに此方の要求は呑んで貰うぞ」
「え?」
「出来ぬと言うなら交渉の余地無しとして、動くだけだ、この意味わかるだろう」
「は?」
唖然とする悪魔。更紗と同様のアプローチを考えていた静矢も頷く。更紗の交渉――否、脅迫が積もる。
「其処のシュトラッサーに討たれるか、そこにわたくしたちを加えて討たれるか、それとも要求を呑むか好きなものを選べ」
「…白か、黒か。恐れる事はない。何れも伊達ワルの象徴なのだから…」
深い息が二つ落ちる。メンナクが自身の言葉の余韻を味わう吐息と、悪魔のそれだ。
るりかは横目で六万を伺った。ずっと、気にかけてはいたのだ。撃退士の提案は六万に不利な筈。常ならば男はそういう機会を見逃さない。なのに。
――見守っている。そう見えた。
「なんで、」
問いを、発しようとした。その時に。
「…なんかさぁ、アンタたち、カンジわるくない?」
苛立たしげな悪魔の、声が。
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「なんで脅されないといけないの? アタシが悪かったの? 助けを求めてゴメンね、勘違いさせちゃったね?」
目には明らかな怒気。この悪魔にとっては伸ばした手に唾を吐き返された形だ。悪魔は無い胸を張る。
「ね、人間たちは貴方を討とうとしてるけど、どう? 今は手を」「ちょっと待ったー!」
言葉が募る程に生まれた緊迫を、引き裂いて。頬を上気させた白秋の威勢が響いた。
「息を飲むほど美しい花が月明かりの下に咲いている…そう思ったが 、よく見ると一人の女性だったみたいだ、な☆ 」
「組…え?」
「ああ、あんたは美しい。月夜に映える幽玄の銀髪。花弁を支える茎を思わせるしなやかな身体。あるんだかないんだか分からない胸!」
「は?」
「この感覚、まさしく九十八回目の、初恋だ…!! 」
言いながら、近づいていく阿呆が一人。気圧されるように悪魔が一歩退くが、今更気にするわけもなく。
「俺は赤坂白秋。全ての女性の味方だ。名前を教えてくれよ、マイスイート☆ 」
「ゆ、ユー・イン」
「ユー・イン。ステキな名だ。聞いてくれないか。あの使徒には借りがある。返さなきゃならねえんだ 。だから…助けさせて、くれないか!」
緊迫の後に残る混沌を激しくかき乱す、白秋の長口上。握手を求めるように手を差し出す白秋。目を見開いて固まる悪魔。
「…そ、そこまで言うんだったらアンタ達と組んでやってもいいけど!」
阿呆は、二人いたようだった。
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「……」
珍しく呆れ顔となった六万を他所に、話しが纏まるや否や静矢と更紗が疾走した。
対する六万は動かない。日本刀を手に自然体で接敵を待つ。後衛には白秋、メンナク、淳紅。それらを守護するように、るりかが間に立った。離れて立つ悪魔は肌を冷やすように、手で顔を仰いでいる。
「嫌やなぁ…」
「やべぇ、めっちゃ手応え感じるわ!」
「シーズン無用の激モテ弾丸トラベラーが相手だぜ!」
「…はいはい、そやね…もうええよ…」
淳紅の呟きは聞こえなかったのだろう。白秋もメンナクも絶好調だった。他意がないのは解っているので、淳紅は唇を尖らせ、渋い顔にならざるをえない。
「…命図さん、どこにいくんです?」
「俺が、俺らしく輝ける場所に」
悪魔の背後に回ろうとしていたメンナクに、るりかが声を掛けるとそんな言葉が返った。
意味は全く分からなかったが、るりかは小首を傾げて言う。
「こちらに居ていただけると嬉しいです。皆さんを護れる位置を保ちたいので」
「……ふむ」
そこでメンナク、気づいた。
悪魔の背後では味方の援護をするにも射程が足りなくなってしまう。
「…そう、俺の時代はここに在る」
す、と。何事もなかったかのようにるりかの隣で威勢良くポーズを決めるメンナクを、他所に。
先手、更紗が行った。右側に静矢が続く。
「死ねぇ…ッ!」
更紗の、肚の底からの気勢が木霊する。声ごと引き裂くように、大上段からの一閃。六万は静矢の反対側へと踏み込み、線の一撃を回避すると、直線上に更紗と白秋らの射線が重なった。常通り、六万は後衛火力に対し遮蔽をとろうとしたのだろう。
戦斧が大地を叩いた。鈍い低音に次いで土塊と、土煙が舞う。
瞬後。
「馬鹿の一つ覚えが!」
更紗が――屈んだ。
その、更紗の軌跡を貫くかのように。
銃弾が、湧いた。白秋の放った嵐の如き弾幕、そしてるりかの放った散弾。
「…ッ」
六万。更に横合いへと移動しながら、るりかの散弾に紛れる白秋の射撃を優先し切り落とすが、処理しきれなかった散弾が、僅かに六万の身を抉る。
「――手合わせ、願おうか」
そこに喰らい付く剣影。重心を落とし、大太刀を下段に構える静矢だ。
幽然と仄揺れて見える刀身と、詰まる間合い。即ち、射程範囲内。
「ッ!」
気勢は、何方のものだったか。剣戟が音となり、爆ぜる。
「…手練だな」
振るわれた刃――六万のそれは、僅かに静矢の片腕を傷つけたのみ。
静矢は厳しい表情を崩さずに応じた。
「生憎、鋭い剣の使い手とは戦い慣れている」
「そうか」
言の葉、その立ち振舞から、静矢が防御に専心している事を六万は悟った。技量の差を活かし、攻め気を見せた所に合わせるのが男の打ち筋だ。固められた守りを崩すには、段取りが要る。
だが。
「…ごめんな!」
撃退士に、その隙が、無いのだった。
言葉と共に。静矢の向こうから、男の足元を抉るように至る魔法の風威を、黄金色の刀で払う。刃に触れるや否や、解けるように風が消えた。その間に静矢の傷が癒えていく。メンナクの癒しの力だ。六万はメンナクと、それを守護するように立つるりかを見据え。
「――そうか」
と、言った。
至近から零れた、反復に。相対し六万の動向を注視していた静矢は、眉根を寄せた。言葉に籠もる万感を感じた…それもある。
「…なぜ、笑っている」
六万が、ほんの微かに、笑っていたからだった。
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六万は左手で頬を触った。そこに唐突に湧いた微熱を、確かめるように。
「…さて、な」
戸惑いが、言葉の端に滲んでいた。
ふと。
右手の刀が爛々と、光を強めてきた。振るえと、高らかに謳うような光が。
蕭々と、風。中心は、六万の刀だと直ぐに知れた。
「――む」
静矢が僅かに間合いを外し、さらに切り込もうとする更紗を片手をあげて押しと留め、言う。
「…その刀」
明らかに、天使の手による刀だと知れた。
六万の手が、動く。左手が刀に添えられた。ぎし、と。軋むほどに込められた力に、光が――鎮まった。
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「…らしくねぇぜ、ジャック・ザ・リッパー」
白秋。弾丸をばら撒いた後、暗闇に身を隠している中で、そう呟いた。過日の相対。垣間見えた冷酷と、今のこの表情ではこの上なく印象が異なって。
淳紅もそうだ。現状を好ましく思えないでいた所に、これだ。六万は、何らかの思惑で力を鎮めたように見え。
「なぁ、やっぱり、」
切り出そうとした淳紅を。
「撃退士を…学園の仲間を、傷つける…それだけでも許されざるカルマ」
「……」
傍らに立つメンナクが止めた。強く響いた声に、淳紅も続く言葉を言えずに押し黙る他ない。
そして。
「あ、避けてね!」
阿呆二号が声を張った。無論、悪魔だ。
白い仮面と同様に黒い仮面が三個、何処からか湧いて出てきていた。
黒紫の粒子を引いて宙空を舞う仮面が、悪魔の頭上に正三角形を描くように固定されるや否や、黒光が収束していく。
「てーっ!」
そうして放たれた、太い光芒。黒紫の光が、真っ直ぐに六万――のみならず、彼と相対する静矢、更紗を呑み込………む筈も無く。
「え、何で避けんの!」
「撃つ前に言うやつがいるか! 屍人! 貴様も黙って当たれ! 死ね!」
更紗が言う。左方に飛んで離れた更紗の視線の先で、同じく黒光を回避する六万が気に触ったか。
「うっさいなぁ、アンタこそ黙ってよ、いちいちウルサいんだから!」
「……次に妙な動きを見せたら、斬るぞ」
「…うっわー、カンジわる…」
静矢と悪魔のやり取りを聞きながら、るりかの胸中には疑念が湧き上がっていた。
――この悪魔、手を抜いている。
その実力、行動は、腐っても六万と相対して生存していた悪魔とは思えない。
「…私達への不信も、あるんでしょうけど」
六万の立ち回り、表情――それらの変化が、何故か胸に刺さるるりかにとって、この悪魔はどうにも気に食わない。
戦闘は、戦術的な面で勝利を収めている。だからこそ、悪魔の動向により注意を払おうとした。そこで。
――悪魔が、悪戯っぽい目でるりかを見返していた。
ぞくり、と。背筋が戦慄いた。笑う悪魔の、その内奥を、理解出来なくて。
悪魔は興味を無くしたように視線を外したが、それでもるりかは、悪魔から目を離せずにいた。
そこに。
「逃げるなァ!」
更紗の怒声に、るりかが振り向けば。
六万が木々の向こう、夜闇へと逃れる姿を目にした。
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逃走、あるいは奇襲のためか。
――何方でも良い。
静矢は判じ、即座にアウルを両の手足に籠めると、出来うる限りの最大加速で追撃を為した。
「…届かんか」
しかし、届かない。
それでも動き出しの早さ、機動力、いずれも六万に分があるのだ。その間に、六万は木々の影に身を潜め――。
そこに。
「そこだ。俺の悪メンズソウルが」「了解した」
続く言葉を遮って、声の主、メンナクが指し示す方へと静矢は視線を転じた。
逃走に、静矢と時を同じくして、メンナクは生命探知の魔法を放っていた。
六万の刃は魔法を祓う。だが、その動作そのものが、隠密を阻害する形となる。
故に、結果は。
疾駆する先に――居た。身を隠そうとしている六万に、静矢は強引に、喰らいつく。
相対は一瞬。
大太刀が月下に閃いた。対して、それを撃ち落とそうとする金色の剣閃。
ゆらり、と静矢の刃が揺れた。その様は古の武人の秘剣、燕返しと近しく――鮮血が、暗い夜を彩る。
「……届いたか」
そう零す静矢の、視線の先。六万の左肩と腹部から、じくじくと血が滴り落ちていた。
奇襲の為に身を隠そうとしていた六万の姿勢は十分とはいえず、静矢の刃を流せなかった。
そうして、もう一つ。
「なぁ。ジャック・ザ・リッパー。お前、今は何の為に戦ってる」
潜伏すると見て白秋の放った、闇色の弾丸が、六万の腹を撃ち抜いていた。
「……」
男は答えない。
彼が寡黙なことは白秋も知っていた。
それもいいだろうと、白秋は続けて六万の顔写真を得るべく携帯電話を取り出そうとした、瞬間。
「いつか、…いや」
何かを言いかけて、逡巡する六万に気を取られていた。
声は小さく、その余韻も短い。
そして。
「……貴様らは、逃げるなよ。撃退士」
結局、それだけを言い残し、今度こそ全力で逃走を図る六万を、誰も止める事は出来なかった。
奇襲に対する備えは十全だった。それ故に、六万も逃走せざるを得なかったのだが。
「ち、ィ…殺し損ねたか…!」
唾棄するような更紗の怨嗟の声が、夜の公園に木霊した。
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「あ」
淳紅の呟きが落ちる。驚くほどに、短時間の戦闘だった。
――渡し損ねてもうた…。
見渡せば、悔しそうに六万が消えた方向を睨む更紗、刃に付いた血を払う静矢、月光に身を晒すメンナク。るりかだけが、淳紅と同じように六万に同情的に見えることが、せめてもの救いだろうか。尚、白秋は悪魔と記念撮影を熱望し、ドゲザの末に写真を撮っていた。
その横合いから、静矢が悪魔に言葉を投げる。
「…退くなら、今は追わんぞ」
「言われなくても帰りますー…って」
言葉に、淳紅は悪魔の視線の先を見やると。
月光を飲み込む黒雲がそこにあった。
「…雲にしては、流れが…変、ですけど」
るりかが言うと、黒雲はみるみるうちに千切れ、拡散していく。
そうして、彼方から音。
「ミロスファ…?」
思わず、淳紅は呟いていた。ポケットにいれていたモノが、急に熱をもったように感じられて。
――その雲の正体は、鴉の鳴き声を辺りに響かせていた。
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鴉の群れの襲来に、俄に北秋田市に注目が集まることとなる。
悪魔に襲われたと思われる男性が発見され…そして、淳紅がその男性から記憶を読み取った事もまた、それに拍車を掛けていた。悪魔と天使が、北秋田を中心に思惑を巡らせている可能性がある、と知れて。
それを受けて、というわけでも無いだろうが、白秋は悪魔ユー・インの写真を東北の各機関に流した。だらし無く笑う彼自身の顔も添えられている。
――九十八回目の初恋と謳いながらも、何とも酷い話である、が。
兎角、この一夜を糧に東北の舞台は刻一刻と動いていく。
中でもこの物語はまだ、始まったばかり。続く第二の夜は、もう間もなく訪れる。