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間下 慈(
jb2391)は、簡潔な自己紹介の後大天使に方針を告げた。共闘の意を。
「そこで、ミロスファさんには殲滅側に同行して頂きたいです」
「はい、了解しました」
返答の早さは、慈の方が面食らうほどだった。
「私がこのまま此処にいては、ご迷惑をお掛けするでしょうしね」
添えられた微笑は脅える弱さを赦すもの。排斥を嘆くでもなく、当然のものと受け止める優しい笑み。
寛容は、過ぎれば異質を孕む。その笑みは凡人を自称する慈に、どう映ったか。
「…助かります」
――彼は、そう結ぶに留めた。
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「まさか、大天使と共闘することがあるとはな」
堕天使である綾羅・T・エルゼリオ(
jb7475)が、携帯電話の地図アプリで周囲の地形を確認しながら、言う。出自は天使とのことだが、なかなか適応力のある男だ。
「…まぁ、天魔にも色々いるからな」
ファウスト(
jb8866)の言葉が返る。声には興味の色。視線の先には、慈と会話するミロスファがいる。
「なんか思惑があるんかねー。サーッパリわかんねーが」
赤坂白秋(
ja7030)。投げやりな言動の端々に理知の気配が滲む、何とも不思議な男である。
「確かに不安はあるが…今は、立場も、種族も関係ないさ。守るべき人のための共闘だ」
月野 現(
jb7023)がやや語気を強めて言った。ミロスファに対しての信用、信頼の拠り所はただ一点、ミロスファが『住民を守った』点にある。信じたい、と。そう思うからこその言葉だった。
そんな彼に、ルーガ・スレイアー(
jb2600)が重々しく頷く。
彼女も、綾羅と同様にスマートフォンを操作していた。佇まいこそ凛としているが、彼女が『天使キタ!(´∀`)』など呟いていることは、余人の預かり知る所では無い。電子の海の片隅が僅かに波打っただけだ。
静かな沈黙が落ちる。
綾羅が再び口を開いた。
「例え何らかの思惑があったとしても、戦う必要の無い時に矛を交える事も無いだろう」
「…せやろかねぇ」
ボンヤリとした言葉に、亀山 淳紅(
ja2261)の思索もまた宙を舞う。視線は、この場を見張っているかもしれないサーバント…八咫烏を探してのものだったが――今のところ、見当たらなかった。
――かくして。
大天使と撃退士の共闘が、成された。
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撃退士達は殲滅と防衛の二役に別れた。前者には慈、ルーガ、ミロスファ。後者に淳紅、白秋、現、綾羅、ファウスト。
自然、殲滅役が先行する形となり――戦端は、そこで開かれる。
羽音が確かな音圧を伴って響く距離まで三人が至ると、敵方に動きがあった。
音曳き迫る、蜂の群れ。
最初に動いたのはルーガだ。女は怜悧な美貌を無骨なガスマスクに収め、篭った笑い声と共に飛翔。
『このアイディアはタイムラインの愉快な野郎どもに貰ったンゴ!』
篭った声は地上の二人には届かない。ただ、二人は彼女が手にしたソレ――『ヘアスプレー』に訝しげな顔を返していた。
『フアハハハハーーッ!』
爽快な音を立てて整髪剤が蜂の頭上へと撒布された。女は降下しながら一心不乱にスプレーを撒く。着地と同時、ルーガは切り札を振りぬいた。180cmを超える長身から繰り出されるソレは、余さず蜂の群れへと叩き込まれ…羽音が、弱まる。
しかし。
数瞬の後、再度羽音は勢いを増し――彼女の得物を突き破った。
『なん…だと…』
得物は、市販の虫取り網だった。撒布したスプレーも多少の効果はあるもののディアボロの蜂には些か心許なかった。何より、数と範囲が、足りない。
打ち合わせのない動きに、同行者達も対応が遅れた。たちまち黒波に飲まれてしまうルーガ。刺され、噛まれ、身動きも取れない間に毒に侵され、身体が痺れる。
『あ、アバババ!』
「何しに来たんですかあなた…!」
叫ぶ、慈。飛翔したルーガにあわせて援護射撃を開始していたが、こうなっては彼女を救うべく蜂を撃ち抜くのは至難の技。ならば、と。更に群がろうとする蜂を穿つ。
どうしても、手が足りない。
「ミロスファさん! 対応を!」
言って。状況を俯瞰した慈の背を、冷汗が伝った。
――彼は今、大天使と二人きりだった。
振り返れば…彼は慈とルーガを見やりながら、笑っていた。
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殲滅側が戦闘を開始してまもなく、蜂の群れはそこから溢れるように能代市側へと移動を始めた。
彼処に対応している蜂は囮、本命は――こちら、という事だろう。散らばり、街へと至ろうとする蜂。
その波が、不意に纏まる。
「わ、わ、わ…!」
その先に、疾走する一人の少年の姿があった。淳紅だ。得物を持たず、撃退士にしてはとろとろと走る姿はそう、力無き人の子が逃げ延びようとしているかのよう。知恵あるものならばそれを欺瞞と見破る事も出来ただろうが――結果は、こうなった。
少年の背に喰らいつこうと我先にと追う蜂。暴威を秘めた『音』が背に迫るのを聞きながら、少年は。
「ほな、おやすみなさい♪」
笑みと共に告げた。途端、その背から後方へと濃霧が湧き立つ。眠りの霧が黒雲の如き蜂を呑み込むと、儚い墜落が乾いた音を立てた。同胞の危機を悟ったか、残った蜂はたちまち散開を選んだ。
そこに。
「――薙ぎ払う」
声が落ちるや否や。濃霧を避ける蜂に弾丸の雨が降り注いだ。飛翔した綾羅が構えるガトリング砲が、上空から暴威を落とす。同時に、横合いから白秋の二丁拳銃が嵐の如き弾丸を浴びせ、ファウストが残党に対して掌から魔力の波を放ち、現の自動拳銃が火を吹いた。
――此程までに情け容赦のない後衛火力の乱舞も珍しい。
数瞬も待たずに、流れてきた蜂の大部分の駆除がなされた、が。
「…質はともかく、数だけは多いな」
言葉は、現のもの。ここからが前衛たる彼の戦場だと示すように盾が鳴る。
――前方から、蜂の後続が迫っていた。
先程よりは数も、勢いも乏しい。
「まぁ、この分なら大丈夫だろう…大天使殿達は上手くやってくれたか…?」
綾羅の言葉に五人の視線が一斉に前方に流れ――。
「ん?」
不意に、ファウストが訝しげな声を上げた。視線の先には先行していた筈の殲滅班の姿があるが。
「…動きが乏しいな」
疑念が湧いた、その時だ。
――爆炎が、咲いた。
重低音が遅れて響き、身体を叩く。黒煙は上がらず、ただ炎の存在だけが生々しく世界に刻まれた。ディアボロ達の存在を呑み込んで、尚も燃え上がる紅い炎。
「…おぉぅ」
誰ともなく、呻いた。
撃退士の魔装を想起するまでもない。
大天使の、御業だった。
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戦闘はそう時間を置かずに終了した。殲滅側が巣に至るその最後まで、蜂達は街への侵入を試みたが、全てを撃退士達の手によって阻止された。完封と言って良いだろう。
「…ミロスファさんは、どうでした?」
現は負傷したルーガに治療を施しながら、慈に尋ねた。
「そう、ですね…」
――すいません、呆気に取られてしまいました。…さて、此処で働かなければ、大天使の面汚しですね。
微笑みながらそう言い、放った初撃。
以降、ミロスファは細やかな攻撃に終始した。潜り抜けて接近してきた敵は障壁で受け止め、擬似的に前衛を務めもした。射撃手である慈を勘案しての立ち回りだったろうが…その背を思い返しながら、慈はこう結んだ。
「こちらの意図を、見越していたんでしょうね。余り多くは得られませんでした」
「…なるほど」
落ちた沈黙。それも、長くは続かなかった。
「おーい! ミロスファも風呂に入るってよ!」
そんな白秋の声が響いたからだ。
――さて。
温泉である。
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大天使オススメの湯は、彼が最初に戦闘していた付近の大衆浴場であった。
男達は既に銭湯態勢万端である。腰にはタオルを巻き、手首にはロッカーキー。惜しげも無く肉体を晒す男が“六人”、脱衣所に並び立つ。
「入られないのですか?」
大天使は脱衣所の入り口で着衣のままの淳紅にそう問うた。
「いやぁ、火傷もあって肌あんまり綺麗やないもんで…」
頬を赤らめて、ついと少年は目を逸らす。多少の演技も混じっているが、素面で全裸の男達と対面する事に気恥ずかしさがないでもない。
「そうでしょうか。別に、恥じ入る必要は」
「ッああああッーーー!」
大天使の声を貫いて白秋の奇声。苦笑した淳紅が両手で促すと、大天使は会釈をひとつして、浴場へと向かう。現と慈、ファウストは先に身を清めていた。
その中で、綾羅だけが唖然としている。
「…何だこれは」
流れに任せて服を脱いだ彼だったが、このまま全員で湯に浸かる事になるとは想定GUYであった。
見れば、凛と背筋を伸ばし、離れていく大天使の後ろ姿は実に熟れたもの。
――彼に付いていけば、大丈夫か。
綾羅は頷くと、同じようにしゃんと背を伸ばして歩を進めた。
「任務後の温泉最高だわ! これで混浴なら死んでも良かった!」
ぷはー。と、白秋が顔を洗いながら、言う。なお、「トウジ…クサツの湯…」とフラつきながらも入湯を希望したルーガは諸般の都合により女湯入りとなった。ご了承頂きたい。
「正直あんたの目的がわからず、腹の内で悩んでたが、どうでも良くなったわ!」
「白秋さん、さすがにそれは…」
言った白秋が、続いて入浴してきた現に窘められる。身体を洗っている大天使の背が、愉快げに揺れていた。
「なあオッサン」
「…白秋さん」
「硬い事いうなって! なあオッサン、キララちゃんいるだろ。俺の97回目の初恋の相手なんだけどよー、どうも俺は好みじゃねえようなんだよな…どうしたら振り向いてもらえるだろう?」
「白秋、吾輩が良いことを教えてやろうか。初恋は、実らんぞ」
「マジで? いや、実るまで初恋をすれば…」
悪戯気なファウストの言葉に白秋は暫し、思考の迷路に落ち込む。
「…白秋さんも、飲みますか?」
不憫に思ったか、現は密かに持ち込んだ酒を手にそう言った。
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自然と、話題は大天使に集中した。
「その傷痕は人に付けられたのか? それとも冥魔に…?」
たっぷりと二人分くらいの幅を空けて座る綾羅が、大天使の肩に残る痕を指して言う。
「冥魔、ですね。傷は癒えましたが…戒めとして残しているのです」
「ほう。余程の手練だったのだろうな…」
ファウストが頷きを返す。すると、苦笑が零れた。大天使ではなく――慈だ。
「私はてっきり六万さんに斬られたものかと思ってました。実は…僕も先日、スパッとやられてしまったので」
片手でかつて斬られた場所をなぞる慈に、大天使もまた苦笑を返した。
「六万は…純粋ですからね。私も、彼に首を斬られた事があります。彼がまだ、人間だった頃に」
言って、慈と同じように首元をなぞる。
「勿論、人間の振るう武器でしたから、ご覧のとおり無傷ですけどね」
回顧する眼が、酷く優しい。その感傷に添うように、現はこう問うた。
「…これからどうするか、決まっているんですか?」
「どう、とは?」
「…俺は、人間を護ると決めているんですよ。だから――」
「なるほど…暫くはディアボロの掃討をする予定です」
「そうですか…」
その後は、どうなるのか? 弱気が混じり、現は言葉が継げずにいた。
予感していた。彼が天魔である限り、どこかで衝突は避けられないと。
だから。
「…俺はな、思うんだよ」
白秋の言葉が、この場に酷く、沁みた。
「ある天使は夏のビーチに突然現れボディビルコンテストに出場して、優勝を掻っ攫って行った」
懐かしむように、笑って。
「ある悪魔はサーカスを開催し、人間と共演し、最後に喝采を送りあった。ある人間は天魔を口説いてはフラレ続け――そしてある天使は、人間と風呂に入ってる」
これから97回目の失恋をするのであろう男は、それでも笑って、こう言うのだった。
「色んな事があって、世界は少しずつ動いてる。その結果は、『ひょっとする』かも知れない。やってみなくちゃ分からない…そう思うんだよ。だからさ。
キララちゃんをどうやったら口説けるか一緒に考えてくんね? 」
「…初恋は実りませんよ?」
「やめてくれ」
白秋が盛大にうなだれると、浴場に笑いが満ちた。
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一同が湯から上がると、飲み物を手にした淳紅が迎えた。マッサージチェアには重傷の身を沈めるルーガの姿もある。身体を起こす事も叶わぬのだろう、女は大天使を認めると、そのままの姿勢で「大天使殿よ。聞きたいことがある」と言った。
「貴殿は街の者達を守ろうとした。それは、弱き者を守る矜持だと…私は思いたい。今、天魔の戦いを『外側』…即ちそのとばっちりを受ける側から見る者となって、私は、思うのだ」
「なんでしょう?」
「…強者が弱者を踏みにじっている現状は、果たして正しい世の在り方、だろうか」
言い切って、女は深く息を吐いた。綯い交ぜになった感情が、重く、響く。
大天使は、その問いをどう受け止めたか。
「…堕ちた悪魔の貴女に言うのは心苦しい事ではありますが。私達にとって、分水嶺はとうの昔に超えてしまっています。その上で、秩序の元とはいえ人の世に自由を育めるのは…私達しか居ないでしょう。そこで、正しさを公平に論じる事は…申し訳ない。私には、出来ません」
「そうか…」
答えは、果たして女の意に添うものであったか。重い身体をチェアに沈めたまま、彼女は呟いた。
「…私は、人の世で生きたいと思うよ」
その答えしか言えない不自由さを痛感し。
――例え、最後に人間たちに、我が心臓を貫かれるとしても。
願いのように。そう零した。
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別れ際、撃退士達はそれぞれに礼を言って離れていった。
街を、人を守ってくれてありがとう、と。口々にそう言って。敵対したくないという者すら居た。
最後に一人、淳紅と名乗った少年が残る。彼は手にした機械を撫でながらこう言った。真っ直ぐに見つめる、幼い眼差しと共に。
「以前、ダル…他の大天使に、何故戦うのかを問われました…貴方にも、理由はあるんですか?」
ふむ、と。小さく唸った。通り一遍等の答えは…少なくともこの少年は期待していないだろう。
――全く、気持ちが良い子たちだ。
眼差しの強さに、そう思った。だから。
「…私は、一度死んでいます。生の確信が持てない私にとっては…輝きを放つ生者こそが戦う理由であり、存在理由でもあります」
曖昧な答えを、曖昧なままに、言う。少年は首を傾げていたが…暫くして、手にした機械を差し出した。
――音楽は、敵味方も関係なく耳に届きます。
そう言って、小さな約束を告げると去っていった。“もし”という、言葉を添えて。
去る背中を見ながら、私は苦笑した。
撃退士達は疑念を持っていたし、警戒もしていたのだろう。
“もし”私に他意があるのなら?
そう仮定した時、共闘を訴えた私の言動は、全てに詐意が満ちていたことになる。
…だからこれは、一時の夢、なのだろう。
「そちらは順調でしょうね…六万」
首元に手がのびる。
感傷が、募る。自分のシュトラッサーに――ただ無性に、会いたくなった。