●
ばきゅん、と生駒真凪の足下で銃弾が跳ねた。真凪は振り上げた足を止め、ゆるりと振り返る。
「動くな」
黒羽 拓海(
jb7256)はモーゼルを構え、冷淡にそう告げる。暴行を受けていた男は――大丈夫、まだ息がある。
「それ以上は敵対行為と見なす」
拓海は慎重に間合いを計る。いつ動いても対応出来るよう、刀の間合いの一歩手前をキープする。
「……どうして、こんな」
惨状を見て、藤村 蓮(
jb2813)は思わずそんな言葉を漏らした。面識はないにしろ、同じ鬼道忍軍の先輩である。しかもエリートと称される撃退士が、一般人をその手にかけている。信じられない、信じたくない話だった。
「――――」
しかし真凪は呆けたように撃退士達を見ているだけで、何の反応も返さない。
奇妙な手応えを感じながらも、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は口を開く。
「貴方のやっていることは『ただの殺人』よ? それが例え、正義の名の許でも」
真凪の表情に明らかな動揺が生まれた。ケイは訥々と続ける。
「それは貴方の正義の押しつけに過ぎないわ。それは本当に、貴方の望むものなの?」
――強烈な正義感。行きすぎた正義漢。この凶行の理由は大方その辺りだろうと当たりを付けていた。
生駒真凪はいわゆる『悪人』と呼ばれる人間を選んで手に掛けている。いや、それは正確ではない。犠牲者には『ただの嫌な人』も含まれているからだ。無軌道な若者や、悪辣ないじめを行う児童、嫌味な老人など、『ちょっと問題がある程度の人』ですら制裁の対象になっている。
故に『暴走した正義』、それが生駒真凪の正体である。そう考えていた。――しかし。
「ちょ、ちょっと待って」
不意に真凪は声を上げた。あらぬ誤解を受けているとでも言いたそうな、実に間の抜けた声だった。
そして、
「……今、この辺りに天魔被害って出てたっけ?」
――は?
全く意味の分からないことを口にした。
●
「ごめん、依頼掲示板はちゃんと見てたつもりなんだけど……あ、もしかして秘密裏の依頼?」
真凪はまるで『人当たりのいい先輩』のように、ぺらぺらと喋り出す。
「何を言っている」
拓海は刀に手を掛け、睨め付ける。妄言を弄して油断を誘うつもりだろうか。
「ドッペルゲンガーとかその類の天魔被害が出てるんでしょ? それなら僕は違うよ、本物」
「おい、コイツ頭大丈夫か?」
思わず法水 写楽(
ja0581)は口を挟んでしまう。静観しているつもりだったのだが、あまりの意味不明さについ反応してしまった。
「え、ええ? 傷つくなあ……。別に先輩面するつもりはないけど、ちょっと言葉は選んで欲しい」
しょげかえる真凪。その様はあまりにも日常めいていて、どこまでも不穏な態度だった。
「……生駒真凪さん。あなたを確保するのが私達の任務ですが」
不意にセレス・ダリエ(
ja0189)が口を開く。真凪は今度こそ驚きの表情を露わにした。ケイは慌ててセレスの袖を引っ張る。
「ちょっとセレス」
「話が噛み合ってないわ。埒があかない」
セレスは本を取り出して構える。それを見て、ますます真凪は困惑するのであった。
「え、ちょ、ちょっと。僕が何をしたって言うんだい」
その手を血に染めながら。足下に転がっている男性を無碍に扱っておきながら。
まるで、本当に心当たりが無いとでも言わんばかりに。
「――まあまあ。ちょっと皆さん落ち着いて」
人当たりの良い柔和な笑みを浮かべて、狩野 峰雪(
ja0345)は割って入った。
「まずは話し合おうよ。武器を向け合ってちゃあ、いけない」
気の抜けた声で、年長者らしく諫めるように。
峰雪の脳裏には、一つの可能性が浮上していた。
●
「いや、しかしすごいね。みんなに恨まれてる人だけを狙ってるんだね」
峰雪はのほほんとした口調で、そう真凪を褒めそやす。
「その人もそうなのかい?」
転がっている男を指さす。ひゅうひゅう、と呼吸が怪しい。危険な状態なのは素人目にも明らかだ。今すぐ救急車を呼んでも、間に合うかどうかといったところだろう。
「人?」
しかし、真凪は首を傾げた。
「ほら、あなたが『お仕置き』している」
「ああ、『これ』。お仕置きなんて上等なものじゃないよ。『掃除』」
真凪はぞんざいに男を蹴りつける。まるで虫でも踏みつぶすような、そんな適当さだった。
今のやりとりでなんとなく見えた。長く積み上げた人生、この手合いと出会った経験が無いわけではなかった。
――この男は『正義漢』ではない。生駒真凪の思考回路は、恐らく、
「すごい情報収集能力だよね。しかも一人で実行なんて恐れ入った」
慎重に言葉を選ぶ。
「……それとも、誰か協力者がいるのかな?」
何が起爆剤になるか分かったものでは、
「――――ああ、そうか。そういうこと」
不意に真凪の声が鋭さを帯びた。一瞬で空気が張り詰める。
「ごめん、やっと理解した。えっと、誰の差し金?」
一瞬、言うか言うまいか考えた。しかし黙るのは上手くない。もう少し、会話を引き延ばさないと。
「茅原先生だよ」
そう告げると、真凪の顔から血の気が引いた。まるで手ひどく裏切られたかのような、そんな表情。
「……そんな。そんなことって」
「――何を言っている。殺人犯を野放しにする理由がどこにあると言うんだ」
拓海は剥き出しの殺意を叩き付ける。しかしどこか手応えがない。まだ噛み合っていない、何かが。
気味の悪さに耐えきれなくなって、蓮は思わず叫ぶ。
「先輩……お願いだから投降してください! 今ならまだ、」
かちり、と何かの音がした。空気が一瞬で張り詰める。
「オーケイ、把握した。そうか、単騎でディアボロ退治なんて変だなって思ってたけど、そういうことね。このための布石か」
そして真凪の雰囲気が、ようやく『討伐すべき殺人鬼』のものへと変移した。
「残念だ。本当に残念だ。分かってくれているものだと信じていたけど、なんて手ひどい裏切りだ。――結局のところ、僕を分かってくれるのはあの人だけなんだね」
「……あの人? 誰のこと?」
ケイの問いを、真凪は鼻で笑い飛ばした。
「いや、そこでペラペラ喋っちゃ駄目だよ。漫画の悪役じゃないんだからさ。……ん? でもこの構図だと、まるで僕が怪人みたいだよね。一対六、正義という名の袋叩き。なんか皮肉だなあ」
「まるで、じゃなく、まんま怪人だろ。お前、本当に頭大丈夫か?」
待ちわびた、という風に写楽は前に出る。向こうの決意は固まったらしい。なら、まだるっこしい会話パートはこれで終わりだ。
「君は本当に先輩への態度がなってないね」
真凪はナイフを捨てると、滑らかな動作で武器を構える。ヒヒイロカネから取り出した、いかにも熟練の撃退士が使う刀がそこにある。
「いや、人殺しを専攻したことは一度もねえから。先輩風吹かすんじゃねえよ」
――どうせ話が通じないのなら、戦争しかないのである。
「なるほど。センスはいいね」
生駒真凪はにこりと笑うと、自然な動作で駆けだした。
●
鬼道忍軍。
古来より伝わる忍びの教えを体得した者。
その何よりの特性は、高い行動力と回避力。彼らは立ちはだかる壁すら思いのままに足場としてしまう『忍者』である。
故に、この相手、この状況において取れる対策はシンプルなものだった。
真凪は躊躇いなく、背後の塀に足を掛けた。
「おいおい、いきなり逃げかよこの劣等!」
写楽の挑発に、真凪が動じた様子はない。そのまま背後の民家に、
「させるか!」
拓海はワイヤーを振るう。腱を狙ったが躱された。しかし初手の逃亡は潰すことが出来た。これで問題なく『潰せる』。
ケイと峰雪の銃が火を噴く。セレスの魔法が唸る。弾幕の隙間を縫うように、拓海の剣が薙ぎ払われる。合わせて写楽の攻撃が打ち込まれ、それらが雪崩のように生駒真凪に襲いかかる。
要するに、数の暴力だ。『避けられない攻撃をぶつければいい』。
いくら優秀な鬼道忍軍とて、『面』となった攻撃をすり抜けることは至難の業である。
壁を走る、後ろに引く、跳び越える。
いずれの逃亡も許さない。六対一の火力差は、生駒真凪を追い詰めて、
「ぐ!」
――峰雪の胸元から肩口にかけて、鋭い斬撃が走った。
「狩野さん!」
蓮が悲鳴を上げる。
「まったく。ゴミなんかを気にするから」
真凪は刀に付着した血を振り飛ばすと、皮肉げに嗤った。そしてそのまま駆け抜ける。
――弾幕を張ることができない、唯一の面。
倒れ伏している、襲われていた男性である。生駒真凪を制圧するためとはいえ、巻き添えを食らわせるわけにはいかなかった。『トドメは自分たちが刺しました』など笑い話にもならない。よってそこだけはどうしても狙うことが出来なかった。
恐るべき事に、真凪はそこを突いてきた。弾幕の中にあってなお、回避に集中してなお、そんな僅かな綻びを見逃さなかった。
そして突破口として峰雪を狙ってきた判断力もおぞましい。五分とない会話の間に、いつの間に目星を付けたというのか。
拓海と写楽は阿修羅である。真凪の得意な物理攻撃には極めて優秀な耐性を持つため、前線に立つのが基本だ。写楽はそれを考慮した上で挑発を繰り返していたのだが、肝心の真凪が何処吹く風であった。この男にプライドというものはないのか、と写楽は内心毒づく。
あとの四人、ケイはインフィルトレイター、セレスはダアト、蓮は鬼道忍軍、そして峰雪はナイトウォーカーである。
一般的にナイトウォーカーは最も防御面が弱いとされている。しかし物理攻撃においてはダアトの方が狙い目だ。そして峰雪は敢えて射撃に専念していたのだ。銃撃を得意とするインフィルトレイターと勘違いさせるための、『相手が撃退士だからこそ』の心理的トラップ。
だのに、経験の違いを見抜かれた。ジョブだけを見れば穴であるはずのセレスは、この六人の中でも屈指のベテランである。そこに誘い込むつもりだったのだが、読まれた。
賞賛に値する観察眼、エリートの面目躍如である。こんな状況で無ければ、だが。
しかし、攻撃動作に移ったことで一瞬の隙が生まれた。こればかりは撃退士だろうとエリートだろうと避けられない摂理である。そしてケイはそれを見逃さなかった。
だんだんだん、ばきゅん。オートマチック拳銃による容赦の無いつるべ打ち。真凪はそれでもひらひらと避けていくが、ケイの本命はそうではなかった。
着弾しなくてもいいのだ。むしろ、本命は。
「セレス!」
雷鳴が走る。――セレスの得意な射程に誘導する。それがケイの役割だった。
そしてそれは確かに、真凪の喉元に的中した。
「――――」
ぐら、と真凪の身体が一瞬傾ぐ。悲鳴を上げないのは声帯が痺れているからだろう。ここは住宅街、無駄に叫ばれても困る、というセレスの配慮であった。
……いや、もう十分すぎるくらい銃声が轟いているので、今更なのではあるが。
鬼道忍軍は回避特化の性能である以上、当たってしまえば脆いという弱点を抱えている。
特に今の真凪は十分な武装をしていない。直前に出ていたという依頼の疲労もあるのだろう。だから、この一撃で倒せるだろうと威力を調節した。
しかし。
真凪は、それでも足を止めなかった。
「まずい!」
誰の叫び声だったか、ともかく包囲網を抜けられた。このままでは住宅街の中に逃げ込まれてしまう。そうなってしまえば最悪と未唯は言った。だから最悪が想定される場合は手段を選ばず止めるべきであり、
拓海はモーゼルを引き抜いて、手加減を考慮せず引き金を、
咆吼。
「うおおおおおおお!」
蓮はなりふり構わず真凪に突撃した。蓮とて鬼道忍軍である。実力の違いはあれど、足の速さは決して劣らない。
そして蓮のそれは『ひたすら突撃するだけ』の何も省みないトップスピードだった。『逃げよう』と『策を巡らせていた』真凪よりも、コンマ数秒早かった。
――どうして。
蓮は真凪にしがみつく。真凪は目を開いたが、すぐに刀を逆手に持ち替えて、蓮の首を、
――どうしてこんなことをしたんだ。みんなには優しいと思われていたはずで、こんなに強くて、目標にしたいくらい、嫉妬するくらい優秀で、自分よりもっと人の役に立てるはずなのに。
ありったけの感情を乗せて、蓮は吼えた。
「紅さんッ!」
真凪の表情が今度こそ驚愕に彩られた。
塀の向こう。何も気配を感じていなかったはずの、民家の庭。
そこから黒い影が滑り出してきた。このタイミングのためだけに、ずっと気配を殺し続けてきた漆黒の翼。
真凪は攻撃動作に移っている。もう対応出来ない。南無三、という呟きが蓮の耳に届いた。
紅 鬼姫(
ja0444)は、容赦も加減も見境も無く、小太刀の二刀を振り下ろした。
●
「蓮ッ!」
ケイは慌てて駆け寄る。珍しく顔から血の気が引いていた。
だってあんなのはほとんど自爆特攻で、実際に首を刎ねられる直前まで行っていた。
それより何より、
「大丈夫!?」
「……な、なんとか」
蓮と真凪は、路上に血塗れで倒れていた。
鬼姫が『容赦も』『加減も』『見境も』なく、二刀小太刀で切り刻んだ結果である。
……要するに、しがみついた蓮ごとなます切りにしたのであった。
「心配せずとも、加減はしましたの」
鬼姫はしれっと言うと、治癒膏を向けた。蓮の傷が少しずつ癒えていく。
「そうは言っても、このやり方はどうなの?」
「でも、蓮のおかげで確保できましたの。お手柄ですの」
それはそうなのだが。確かにあの状況で相手を選んでいる余裕はあるまい。
「ほ、ほら。飛び出したのは俺だからさ……」
蓮はばつが悪そうに頬を掻く。そんな表情をされては敵わないと、ケイは溜息を吐いた。
「次は勘弁してね。心臓に悪いわ」
「……え。あれ、もしかして、そういうのだったりすんの?」
「知らん」
写楽は目の前の光景に若干うろたえ、拓海は空気の落差に溜息を吐いた。
「……いやあ、若いっていいなあ……」
峰雪は年の功より大体の事情を察する。
「……確保しました。応援をお願いします」
最後に、全く空気を読まずに淡々と仕事をこなすセレスであった。
鬼姫の攻撃によって、生駒真凪は無事に戦闘不能状態に陥った。
全身から出血しているが、まだ息はある。同時に意識もない。確保としてはほぼ理想的な状態と言えた。
ケイはまだ不満があるようだったが、とにもかくにも覚醒者用の拘束具で真凪を確保する。そしてすぐさま護送車が現れ連行していった。
その後に救急車がやってきて、暴行されていた男性を引き取る。念のため鬼姫が治癒膏で回復しておいたため、命に別状はないだろうというのが、救急隊員の見解であった。
ともあれ、現役撃退士の殺人鬼はこうして確保されたのだ。
これにて一件落着である。
●
「……お疲れさん。報告よろしく」
「……大丈夫ですか」
「……気にするな」
後日の報告会、未唯は目の下に隈を作っていた。明らかに眠そうで、事後処理に追われているだろうのは想像に難くなかった。
気遣うような雰囲気を払うように、未唯はこほんと咳払いを一つする。
「生駒の処遇を決定するために、参考資料として報告を聞きたい。実際に相対してどういう印象を受けたのか。あるいはどういう動機で殺人を行っていたのか、聞き取ることは出来たか?」
ケイはすっと手を上げ、自分の携帯電話を取り出した。
「会話は全部、これに録音してあります」
「周到だな。助かる」
――あの時の会話の一部始終が流れる。
十分にも満たない音声データ。再生が終わると、未唯はぽつりと呟いた。
「なんだ、こいつ」
「ほんとソレっすね。なんつーか、まるで宇宙人とでも話してるみてーだった」
写楽は真凪との戦闘を思い出して、思わず同調した。
劣等、悪党、殺人鬼。『正義の味方ぶった』真凪が反応しそうな言葉を選んで挑発したのだが、そのどれもが不発に終わった。暖簾に腕押し、糠に釘。真凪の神経を逆撫ですることは出来なかったのである。
「自分の行いにプライドがあるのなら、もう少し反応してもよさそうよね」
「正義の味方を気取る――にしては、若干違和感があるな」
こうして改めて聞いてみると、確かに何かが違う。ケイと拓海は唸った。
鬼姫はくすりと微笑んだ。
「蛙の子は蛙、というやつですの。どんな理論武装をしようと、所詮は下らない犯罪者ですの」
「そういえば紅さん、警察で話を聞いてきたんだよね? どうだった?」
「あら、結果は任務前にも報告しましたの。蓮は忘れっぽいですの」
「……そういうのはいいから。ほら、先生への報告もあるし」
鬼姫は一つ溜息を吐くと、警察で調査した情報を開示した。
●
生駒真凪の両親は、窃盗の常習犯だったという。
元よりあまり裕福な家庭ではなかったそうだが、どうも万引きや空き巣などの不法行為で生計を立てていたらしい。筋金入りの盗癖の持ち主だったということだ。
当時の真凪については満足な証言が得られなかったが、それはつまり学校にもまともに通えていなかったということでもある。近所づきあいもろくになかったらしく、ひとまず分かっていることは、年齢を偽ってアルバイトを行っていたらしいということだけ。
そんな生活をしている中、天魔による攻撃で両親は死亡。真凪はアウル適正があると見なされ、久遠ヶ原学園に編入となった。
「よって生駒の動機は『過剰な正義感』。憎むべき両親及び同類への復讐。……妥当だな」
未唯は頷く。
しかし、調書には監察医の走り書きがあった。『気がかり』が書かれていたのだ。
曰く。
――両親の死因は本当に天魔によるものか? 遺体の損壊が激しくて分かりづらいが、裂傷が走っている。直接の死因はこれではないだろうか?
「まるでナイフや包丁、そういった『普通の凶器で』殺されたのではないか? と刑事さんは言っていましたの」
鬼姫は情報を整理した手帳を畳む。
「あと『事件の規模が小さすぎる』とも。たかが野良ディアボロ一匹だとしても、安アパート一軒潰してそれで終わりというのは、少々腑に落ちませんの」
「……親殺し」
それまで興味なさそうに窓の外を見ていたセレスが不意に口を挟む。連は腰を浮かせた。
「……え、ちょっと待って。それってどういう」
「――まさか『親殺しを隠蔽するために天魔事件に見せかけた』とでも言いたいのか?」
拓海の推測に、鬼姫は「さあ?」と首を傾げた。
未唯は咳払いをする。
「……まあ、その辺りは本人に聞いてみないとわからんな。聴取の参考にさせてもらう。そういうことをしでかしてもおかしくない、そういう印象を受けた、ということでいいか?」
まとめに入った未唯を遮るように、峰雪は「あのう」と手を上げた。
「ああ、最後に一つ。いえ、私は専門家ではないので筋違いかもしれませんが、もしかして……と思うことがありまして」
そう言って峰雪は録音データを再生する。
――人?
――ほら、あなたが『お仕置き』している。
――ああ、『これ』。お仕置きなんて上等なものじゃないよ。『掃除』。
「生駒君はどうも、あの男性を『人間として意識してないんじゃないか』という気がしましてね。この部分、比喩でも何でもなく、本当に言っているとおりなんじゃないかと」
峰雪はぽりぽりと頭を掻く。
「いえ、昔ね。似たような発想をする人と仕事をご一緒したことがあって……」
「え、狩野さん何の仕事してたの?」
「ただのサラリーマンだよ? いや、意外とそういう人って成功しやすいというか」
「藤村、気持ちは分かるが水を差すな。……で?」
峰雪は肩を竦めた。
「『悪人』――ああ、彼にとってですよ、は『人間じゃない』。人間じゃないなら『殺人』ではない。それこそ本当に『掃除』、そういう理屈が彼の中にはあったのではないか、と。そういう雰囲気を感じたんですよ」
良心の欠如。反社会活動を行うに当たっての徹底的な理論武装。自身の行動に一切の罪悪感を持たない精神構造。
これを心理学用語では――
「――ああ、なるほど」
未唯は得心したように呟いた。
●
後日、生駒真凪の処遇が決定したと未唯からの連絡があった。
「……納得いかねえ」
写楽は新聞をぐしゃりと握りつぶす。トップ記事は――何のことはない、いつも通りの新聞だ。
週刊誌も、ニュース番組も、バラエティも、今回の事件については一切触れられていない。
「仕方ないだろう。あんなものが公になってみろ。今頃学園はマスコミで大盛況だ」
拓海はコーヒーを啜りながら苦々しげに呟く。
購買の雰囲気はいつもと変わらない。久遠ヶ原学園は今日も平常運転だ。
――報道規制。生駒真凪の殺人は、『連続性のない別個の事件』としてそれぞれ処理されることになった。
あるものは野良ディアボロ・サーバントの暴走として、またあるものは違法な薬物の影響として。そのようにして水面下で『なかったこと』にする。そう決定されたという。
「仕方ないねえ。なんといっても『声』の影響は全く受けていなかったってのは、流石に」
いつつ、と峰雪は肩口を庇いながら対面に腰掛ける。
「無理矢理にでも殴りに行くべきだったな……。くそ、もやもやする」
そもそもいけ好かない態度の上に、蓋を開けてみればこの有様だ。冗談抜きで、あの好青年風の顔をボコボコに凹ませたいと写楽は憤った。
精神鑑定の結果、生駒真凪は『京臣ゐのりの声』の影響を全く受けていなかった。それどころか『恒久の聖女』の思想にすら否定的であったという。『劣等種』という単語は、『単にスラングとして使い勝手が良かったから』ということらしい。
だが、ここでの問題は『紛れもなく自分の意思で殺人を行っていた』ことに尽きる。
すなわち、『エリートと称される撃退士がその力を悪用していた』。こんなニュース、世間様に流したらどうなるかなど考えるまでもない。
……この決定は、自分たちの生活を守るためのものだ。とはいえ、すぐさま納得出来るかと問われれば。
「くそったれが」
その呟きは、購買の喧噪に揉まれて消えた。
「嫌になるわ」
同時刻。シンクロするように、ケイは廊下を歩きながら独りごちた。
「……何が」
「今回の件……いえ、前回の件も合わせてかしらね。連中に関わると、本当碌な思いをしないわ」
「……そう」
セレスは淡々と相槌を打つだけで、ちゃんと聞いているのかどうかも怪しい。だが、この友人とはこれでいいのだ。
生駒真凪、それに八月の一家殺人事件――どうにも悪趣味な事件が続く。『恒久の聖女』の趣味など改めて論うまでもないが、それにしたって限度というものがあるだろう。
ケイが内心毒づいていると、不意にセレスが口を開いた。
「……ところでケイ、気になることが」
「あら、なあに? 珍しいわね」
まさかセレスも今回の件は流石に堪えたのだろうか? そう思っていると、
「……確保した時、珍しく動揺していたけれど、あれは?」
――完全に予想外のボールを投げられた。
「え」
「……何か問題でも?」
「――――ええっと」
なんと答えたものだろう。セレスの性格を鑑みるに、これは純粋な疑問だ。間違っても『からかおう』なんて意思はない。そうに違いない……と思いたい。
「いや、ほら。流石に味方ごとというのは見ていて焦るわよ」
「……ふうん」
「結果オーライだから良かったけれど、そうでなかったらと思うと、ね?」
「……そう」
――なんだろう。いつもの生返事のはずなのに、どうしてそこにそれ以上の意味合いが乗っていると邪推してしまうのだろうか。それともまさか本当にからかわれているのだろうか。いや、いやいや。
「あ、おおい。ケイさん! セレスさんも」
埋没しそうになっていたケイの意識を、そんな声が引っ張り上げる。
視線を上げると、蓮が朗らかな笑顔でこちらに手を振っていた。そしてゆっくりとこちらに歩いてくる。
「例の件、聞きました?」
「え、ええ。大丈夫よ」
「……はい」
「酷い話ですよね……生駒さんと仲よかったっていう人は随分ショック受けてました。事情は聞かされてないみたいでしたけど」
そこにくすくす、と笑う声一つ。
「真凪も擬態だけは上等だったみたいですの。下らない犯罪者にしては」
鬼姫である。いつの間にか蓮の後ろに立っていた。
「うわ、いつの間に」
「お陰で情報規制が楽なことだけは評価してあげますの」
嘲笑を含んだ鬼姫の物言いに、ケイは苦笑した。
「随分な言いぐさね。まあ、同感だけれど」
学内では、真凪は『退学処分になった』とだけ公開されている。真凪のプライベートを知る人間が殆どいなかった故に、様々な噂話で真相が隠されているのが現状だった。
くすくす、と鬼姫は微笑む。
「あんなモノ、覚えておくだけ記憶容量の無駄ですの。さっさと忘れてあげるのが学園のためにもよろしいですの」
「……資源の無駄、ですか」
ぽつりとセレスの零した言葉に、意を得たりと鬼姫は笑った。
●
――失敗した。失敗した。失敗した。
本当、僕は駄目な奴だ。
何のためにこの生を受けたというのだろう。こんなことなら、あの時にまとめて死んでしまえばよかった。
そうすれば、こんな浪費はせずに済んだのに。
悔やんでも、悔やみきれない。
考えるまでもない。僕は終身刑だろう。
いくらゴミとはいえ、世間一般ではアレらを維持すべきものとして認識している。実に嘆かわしいことだが、それが多数決の結果なら仕方がない。社会とはそういうもので、要するに僕はマイノリティなのだ。マジョリティには逆らえない。理屈として、大量**犯はそうあるべきなのだから。
それでも感情は別の話で、どうしたってゴミ掃除はしなければいけないのだ。だってそれが僕の生き様だから。例え後ろ指を指されても、やり遂げなければならない僕の使命なのだ。
――だのに、失敗した。僕は、僕の定めた指針すら達成できないクズだったのだ。
そしてこの施設は、そんなクズを終身維持し続けなければならないという使命を帯びている。なんという浪費だろう。申し訳なさで死にたくなる。
けれど、それすらも許されない。
覚醒者用の立派な拘束具。これの開発や維持にかかっている費用を想像するとぞっとする。こんな貴重なものを僕なんかに使うなんて本当どうかしている。言われなくても大人しくしているから、早々に人の役に立つもののために予算を組み直して欲しい。
ああ、本当、酷い話だ。
世界はどうして、こんなに意地悪なんだろう。
頑張ったのだから、少しぐらいは報いてくれてもいいじゃないか。そして、このくらいの愚痴を言う権利くらいはあるだろう。
「生駒君」
だから、幻聴だと思った。愚かにも救いを求めようとした僕が作り出した、哀れな幻聴。
「今回のことは残念だったね、本当に」
けれど、視線を上げると――
「君は自分を責めているかもしれない。けれど違う。『今回はそういう流れだった』だけだ」
――あの人が、確かにそこにいた。
「どうして、ここに」
「うん。君を助けに来た」
「そんな。そんなことをしたら、あなたが」
「分かっているよ。でも遅かれ早かれそうなるんだ。だったらいつでも構わないだろう? それに」
にこりと、穏やかな微笑み。
「友達を助けるのに理由は要らない」
「――あ」
不覚にも、泣きそうになった。
「さあ行こう。大丈夫、今度はきっと上手くやれる。君と私と――新しい友達と、一緒にね」
僕は、素直に頷いた。
今度こそ、僕はこの人の力になりたい。
●
「――――は?」
茅原未唯は、絶句した。
――覚醒者用の収監施設からの脱獄者、三名。
生駒真凪、折原五月(おりはらさつき)、喜屋武喜梨子(きゃんきりこ)。
いずれも『恒久の聖女』の影響を受けたとされる、覚醒者の殺人犯。
ゴミ掃除と称して、一般人を大量虐殺した真凪。
家庭事情から逃避して、妄想に留まるために人を殺した五月。
妹のいじめの復讐として、中学生を血祭りに上げた喜梨子。
防犯カメラの映像には。
「いや、ちょっと、待って」
それらに声を掛けて、牢屋をぶち破る着物姿の男が、鮮明に映し出されていた。
「人違い、じゃ」
しかし、それでは筋が通らない。
何せ、男は『堂々と正面玄関から入った』のだから。
警備員にも看守にも疑われることのない、それだけの信頼を勝ち得ていた人物なのだから。
「嘘、だろう」
未唯は喉がからからに渇いていくのを感じた。これだけ動揺したのはいつぶりだろう。
少なくとも、この男と一緒にいた頃以来なのは間違いがなかった。現役時代の、死と隣り合わせの、それでも楽しかった日々の。
「――信田」
信田華葉(jz0364)。
元撃退士であり、未唯の同級生であり、『葛の葉』の異名を馳せた天才陰陽師。フリーランスの撃退士として学園を去った、気の置けない友人。
それが、どうして。
映像の中の華葉は、監視カメラに振り返った。
そしてにこやかな笑顔で、ひらひらと手を振った。それが宣戦布告なのか、離別の挨拶なのか、未唯には判別がつかなかった。