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さあさあと雨が降る。
六人の撃退士は、件の廃工場の前に立っていた。
「うわあ、いかにもすぎる……」
藤村 蓮(
jb2813)は工場を見上げてぽつりと呟いた。錆びた鉄扉、蔦の絡んだ外壁、禿げたコンクリート、おまけにこの雨天。ホラーの舞台としては申し分なかった。
僅(
jb8838)は頷いた。
「良い心霊写真が撮れそう、だ」
もっとも、正体見たり枯れ尾花、中にいるのはディアボロなのだが。「違う、そうじゃない」と蓮が声を上げるが、誰も耳を貸さない。
「というか、肝試しって楽しいのか?」
屋代 礼矢(
jc1340)が首を傾げる。恐怖を楽しむという感覚がさっぱり理解出来ない。まだ娯楽に疎い故に零れた、素直な感想だった。
Дмитрий(
jb2758)は豪放に笑った。
「そりゃあ怖いもの見たさってのは人間の特権だからな!」
「いやアンタ天使や」
蓮のツッコミにドミートリイはげらげら笑う。同調ではなく『観察結果』なのだが、今はどうでもいいことではある。本能の忌避を娯楽と捉える愚かしさは、彼にとって実に興味深いものだった。
「さて、それでは作戦開始です。皆さん大丈夫ですね?」
ユウ(
jb5639)は手を打ち鳴らし、雑談を遮った。彼女の手には工場の見取り図があり、色々書き込みがなされている。
廃工場は体育館程度の広さだが、物が多くて視界が悪いという。ならば二班で探索というのがユウの作戦だった。この中で一番実践慣れしているのが彼女であり、性格的にもリーダー向きと判断されたのであった。
「通話は出来ていますね? 対象と遭遇したらすぐに連絡を」
既に全員のスマートフォンは通話状態となっている。ハンズフリーだ。いちいち手に取る必要がない辺り、文明の進歩というのは著しい。
「では、開けます。まず光源の確保を」
「ああ、少し待ってほしいですの」
鉄扉に手を掛けたユウの言葉を、紅 鬼姫(
ja0444)は遮った。
「とっておきの作戦があるんですの。灯りはその後にして欲しいですの」
鬼姫はユウに耳打ちする。ユウは首を傾げたが、「分かりました」と答えた。
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鉄扉を開くと、倉庫からむわっとした空気が吐き出された。生温く湿りきった空気。微かに漂う腐臭が『死んだ』施設であることを匂わせる。
――嫌だなあ、ほんと。
一歩踏み込み、蓮はぶるりと震えた。分かってはいる。中にいるのはディアボロという現実的な問題で、意味不明な魑魅魍魎ではない。
だが理屈と感情は別の話だ。闇を恐れるのは人間の本能、ましてこの工場は雰囲気が出来過ぎていた。まさしく湿っぽい和風ホラーの舞台であり、
「ねえ蓮? ところで資料にあったここの怪談……その続きですの」
背後から鬼姫が囁いてきた。それはまさしく怪談を語るにふさわしい口調であり、連は直感した。
――ああ、またオモチャにするつもりだ。
だがしかし。毎回いじられてばっかの俺と思うなよ!
「なんですか紅さん、今は仕事中で」
「依頼にも関わる話ですの。そのディアボロがどうして子供の泣き声を上げるのか……それは、元が本当に子供だったからですの」
蓮は腹の底に力を入れる。
「ディアボロ化した子供は親を探す……『お母さん、どこ?』。でも声帯はもうない。必死に泣いても届かない……」
すっと鬼姫の気配が背後にやってくる。蓮は覚悟を決めた。こうなれば先手を打つべきだ。
「そして嘆きは気づかぬうちにすり替わって――」
「紅さん、そういうのいいですか、
先を言わせまいと、振り返った。
「――『アナタノイノチ、チョウダイ?』」
輝く髑髏と目が合った。
絹を裂くような悲鳴。
「またそういうことするーッ!」
連は思わずその場から逃げ去った。図らずも全力で工場の中へと突撃する形となった。
「蓮は本当に恐がりですの」
鬼姫はくつくつと笑う。その手には髑髏を模したランタン。いかにもお化け屋敷にありそうな代物だ。
「……いいセンス、だ」
この情景にはぴったりだ。オカルトマニアとして僅は頷く。
「ああ、まったくいいセンスだな!」
ドミートリイも笑いながら頷く。こちらは『仕事中に仲間で遊ぶとはいい根性してやがる』という意味でだが。
「あの、今の話はどこで? 資料のどこにもなかったと思いますが」
礼矢は首を傾げる。彼にとってこれは初陣だ。どういうルートでそんな情報収集をしたのか参考にしようと考えた。
鬼姫はくすりと笑った。
「ペテンに決まってますの。ついでに言うと即興」
「ええ……」
礼矢は頬を掻く。あまりにも非効率だ。悪戯に足並みを乱しただけではないか。
うええ。
その時、子供の泣き声が工場内に響いた。
『ちょ、降ってきた! 応戦中! プリーズヘルプミー!』
スマートフォンから蓮の声が響く。子供の泣き声はそこからも聞こえてくる。
「――なるほど、囮作戦ですか!」
目の前の茶番に眉を顰めていたユウも、納得したと柏手を打った。彼女は彼女でホラーの機微が分からないため、鬼姫の『作戦』の意図を測りかねていたのである。
『納得しないで!』
もちろんそれが主目的でないことは言うまでもない。
「ほらほら、作戦開始だ! 俺と嬢ちゃんで援護するから、他に潜んでないか対処頼むぜ!」
既に鬼姫は黒い翼を展開して、滑るように飛んでいた。ドミートリイは大笑しながらストレイシオンを召喚し、蓮の元へ走る。
「はい! 僅さん、光を!」
「……了解し、た」
僅は『星の輝き』を展開する。彼を中心に、美しい光が工場の闇を焼き払う。
「見えている敵はあの三人に任せます! 僅さんと礼矢さんは増援あるいはトラップの警戒を!」
ユウはてきぱきと指示を出すと、黒い翼を広げて舞い上がる。そして天井の中央辺り、全体を見渡せる位置をキープする。きちんと阻霊符を起動し、万が一にも逃さないように。
――撃退士ってこんなんでいいのか?
礼矢は内心で困惑していた。今の状況は結果オーライかもしれないが、やっていたのはただのおふざけだ。合理性の欠片も無い。
それともこれが『普通の人』のあり方なのだろうか。いや、この場の半数が天魔であることはさておいても、こんな調子について行けるのだろうか。
……考えても仕方がない。今は戦闘中だ。目視できる敵は応戦中だし、今の自分の役割はオペレーターに従っての索敵である。
「Y−08……じゃなかった。屋代礼矢、行きます」
呪文のように独りごちる。光の塊を呼び出し、素早く工場の構造を把握する。死角が多いというのなら、それを照らして残りを炙り出す。礼矢は駆けた。
その迅速さにユウは舌を巻いた。
初陣の割に手慣れている。けして見下していた訳ではないが、想像以上だ。ビギナーだから、と懸念せずとも良さそうだ。
「礼矢さん、次は右手のコンベアを照らしてください! 僅さんは立ち位置を左方3メートルずらして!」
影はみるみるうちに狭まっていく。その度に漆黒が蠢く気配がする。――この調子なら問題はない。
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うええ、うええ。
子供の泣き声のようなその音に不快感をあらわにしながら、蓮は纏わり付く粘液を軽くいなしていく。
どうやら演出過剰なだけで、性能はさほどでもないらしい。もっとも、その演出が曲者なのだが。
うええ。うええ。
――いちいち癇に障る。心の傷を逆撫でしてくる。
大ぶりな攻撃を躱して、ざっくりと刀で斬り付ける。手応えは、
「あれま、これダメだわ。やっぱり物理はちょっと……」
ぶにょん、と嫌な感触がした。生理的嫌悪感を催す弾力。本当に演出過剰である。
「しっかりしろよメイン盾ー」
ドミートリイがそんな茶々を入れてくる。悠々と見ているだけで、いっこうに手を貸そうとしない。
「メイン盾言うな! というか手伝って!」
「おっと、サボってるみたいな言いぐさはよしてくれよ。俺は周囲を警戒してるんだぜ」
ねー、と召喚した竜に笑いかけるドミートリイ。どこからどう見てもふざけていた。連は言い返そうとしたが、やめる。暖簾に腕押し、糠に釘。天魔ってみんなこうなのかしら。
「ああんもう! 紅さん、頼むよって!」
眼前に迫った牙を打ち払う。粘液なので弾き飛ばすには至らなかったが、バックステップで自分から距離を取る。
クスクスという笑い声が頭上から降ってきた。
「本当、連は恐がりですの」
刹那。
だん、と。上空から地面に縫い止めるように、漆黒に刃が突き立てられる。
うええ、うええ、うええ。
「心地よいほどの血の香り。泣き声? そんな可愛らしいものではありませんの」
鬼姫は心底嘲るように嗤った。
「餌を見つけた歓喜の声。まったく、卑しい」
古来より物の怪の類は、哀れみを誘って生者を引きずり込む。なるほど確かにコレは妖怪だ。だが、所詮は殺せば死ぬ程度の現象でもある。化け物は不死身だからこそホラーたりうるのだ。これではなんとも安い猿真似ではないか。
ともあれこのタイミングを待っていた。上空で観察し、コレが『戦闘』するに値しない雑魚であることは理解している。
――だから、一撃で仕留める。
「紅蓮の浄炎――灼ける苦しみに舞い踊ればよろしいですの」
刀身が炎に包まれる。内と外から炙られ、漆黒が紅蓮に塗り変わる。ぼたぼたと粘液が溶けて落ちる。
「まるで炭化したバーベキューだなあ!」
ドミートリイの風情のない比喩は聞き流す。なんであれこれで終わりだ。さっさとこんな所からは引き上げて、熱いシャワーでも、
粘液が啼いた。今までの啜り泣きとは違う、劈くような慟哭だった。
「危ない!」
ユウが叫ぶ。
その瞬間、工場内の各所から、弾丸のような粘液が鬼姫と蓮に向かった。
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鬼姫は舌打ちをすると、刀を抜いてするっと空に舞い上がった。
「ちょ、俺は!」
蓮の反応が一瞬遅れる。散弾めいた粘液が集中する。
「させません!」
代わりに反応が早かったのがユウだった。腕を振ると、蓮へ向かう粘液が一瞬で凍り付く。氷塊となって、その場にごとごとと落ちていった。
礼矢も反射的に本を開き、速射の効く攻撃魔法で相殺していく。的確に粘液が弾けていく様は爆竹を連想させた。ヒュウとドミートリイは口笛を吹く。
「ビューティフォー」
それでも残った粘液は、ストレイシオンの吐き出した雷によって焼け焦げる。
結果として、粘液はどれも蓮に辿り着くことはなかった。ガードの姿勢で固まっている姿を見て、鬼姫はクスクス笑う。
「本当、蓮は恐がりですの」
「そういう紅さんは薄情だ」
ちなみに正しくは、本体めがけて残った部位が戻ろうとしていたのだが、どうでもいいことではある。
「最後のドッキリ。嫌いじゃな、い」
僅は光の鎖を呼び出すと、ギチリと粘液を締め上げた。うええ、と弱々しい泣き声が上がり、漆黒の中身から真紅の塊が露出する。
「……スライム系のお約そ、」
僅が言い切る直前だった。
その真紅の塊を、鬼姫の刀が一刀両断した。
途端、水を打ったように静かになる。工場内の嫌な気配がぴたりと絶えた。スライム系のお約束、核を破壊したのだ。
「……嬢ちゃん、ここはルーキーに譲るとかさあ」
ドミートリイは呆れたように礼矢を指さす。礼矢はいきなり振られて首を傾げた。
鬼姫はこともなげに答える。
「別に誰が倒しても同じですの。ちんたらして取り逃すのが最悪ですの」
「……こういう人だから」
蓮はやれやれと溜息をついた。
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ユウは念のため、工場内を一通り見回した。
結果、ここにいたのはあの一体だけのようだ。これで取り壊し工事に支障はないだろう。
それにしても。
「……遺体は、ありませんね」
昨日食い殺されたという例の少女。たとえ素行の悪い不良で、自業自得だったとしても。それでも、出来ることなら弔ってやりたいと思った。誰にでも親がいて、死を悼む人間がいるはずなのだから。
せめて何か遺品でも、と思ったその時、何かを蹴り飛ばした。
「……あら」
それは先程、『常夜』で凍らせた粘液だった。その黒い塊の中に、カラフルなものが見える。
ピアスだった。色とりどりで、様々なデザインのピアス。おそらくは消化しきれずに残ったのだろう。
ユウは手を合わせると、それを回収することにした。
僅と礼矢は念のため、近くの森を見回ることにした。他に潜んでいるものがいないかどうかの確認である。
「……たまには雨に濡れるのも悪くないと思ったのだ、が」
「晴れてるけど」
「……ホラーのお約束、だ」
突入時とは打って変わって、雨は止み、青空が広がっている。雨に濡れた木々は美しかった。全ての禍根が流されたような、そんな錯覚。
「……何もないっぽ、い」
「何か根拠が?」
「…………」
クライマックスから幕引きまでは早急に。そんなお約束を踏襲しているように思えた。これ以上は無粋かもしれない。
礼矢にはまだ、その機微は分からない。
まあ、後で学園なり警察なりに調査してもらえれば済む話ではある。
三人を待っている間、蓮は鬼姫に詰め寄っていた。
「なんでこんな光源なんよ、もっと普通の……」
「あら、灯りは必須ですの。形は趣味ですの。人の趣味にケチを付けるなんて、まったく蓮は狭量ですの」
髑髏型のランタンを手にとって、蓮は溜息をつく。『趣味』。それは何を指すのだろう。
「ああもう……いや、もういいや。うん」
結果オーライ、依頼は無事に済んだのだ。それにグチグチ言ったところで、またぞろ何を言われるか分かったものじゃない。
年下の少女にいいように弄ばれる現状、いつかどうにかしたいなあと連は空を仰いだ。
「よし、んじゃ帰るか」
ユウ、僅、礼矢が戻ってきて、ドミートリイは待ちかねたという風に声を上げた。
「お待たせしました。では帰還しましょう」
「……ちょっと待ってほし、い」
僅はそう言うと、デジカメを取り出した。
「……心霊写真が撮れるかもしれないか、ら。最後、に」
「おいおい、ほんと好きだなあ」
ドミートリイは呆れたように言ったかと思うと、そうだ、と呟いた。
「それじゃ、折角だし全員で記念写真にするか!」
「……は?」
鬼姫が眉を顰めるが、ドミートリイは構わず続ける。
「心霊写真は記念写真と相場が決まってるだろ? それに新人もいるんだ。一石二鳥だろ?」
「あ、いや、俺は別に」
「そうですね。初陣の思い出は大切です」
「……お約束。確か、に」
「はあ。で、なんで蓮の隣に据えるんですの?」
「それすら不満なん?」
「おーし、撮るぞー!」
乗り気と渋々半分。脅威の去った廃工場をバックに、六人は各々ポーズを取る。
かしゃり。
それに何かが映り込んだかどうかは、ここでは特に語るまい。
ともあれ、今回の事件はこれにて閉幕。
次の依頼まで、しばし待て。