●
ざく、ざく、ざく。
嬲るような攻撃に、江戸川葉月は悟った。
――ああ、ここまでかあ。
音が遠い。腕はもう使えない。盾の活性化が間に合わない。
因果応報。
世界は「大人しく仲間になってめでたしめでたし」で許してはくれなかったのだ、と。
攻撃の手は緩まない。まるで流れ作業のような気軽さで、葉月の首筋にナイフが落ちる。それはさながらギロチンのような、
ぱしゅん。
「――――」
その腕を、牙撃鉄鳴(
jb5667)の放った弾丸が掠める。
「ああ、ダメだ。あれは、ダメだ」
微かに聞き取れたのは、そんな歓喜の色を含んだ声。
乱雑に蹴り飛ばされて、葉月の意識はそこで途切れた。
●
純白の男は、目を爛々と輝かせてこちらに走り込んでくる。
獲物を見つけた肉食獣のようなその姿に、ミハイル・エッカート(
jb0544)は思わず口の端を歪めた。
先行しているのはミハイルと鉄鳴。応援の六人の中で、間違いなく『堅気ではない』二人である。
素人目にもそうなのだから、況んや『正義の味方』に於いておや。
どのような手段かは不明だが、生駒真凪は確かに二人の属性を見抜いたらしい。
――ああ、ゾクゾクするぜ。
かつての本業を思い出す、社会から大きく逸脱した狂気の瞳。冗談めいた悪性。行きすぎた行動理念。
信田華葉に関わった覚醒者は、皆このような手合いなのだと報告書で知っていた。
ほんの一瞬、内からこみ上げる衝動にミハイルの表情が彩られた。
とはいえ。
ふ、と真凪の姿がかき消える。確かにそこにいるはずなのに、うまく認識できない。
どのような技術か、白昼夢のようにあやふやになる。いくら元が鬼道忍軍だからとて、人間の分際で障害物もないのに消えるのは反則行為だ。
そしてミハイルの足下から掬い上げるようにナイフが振るわれ、ようやく認識が追いつく。
滑らかに白刃はミハイルの土手っ腹に吸い込まれ、
「あ」
うっかりした。そんな素朴な声を真凪は漏らした。
ナイフが引き裂いたのはただの布。ミハイルはいつの間にか自分を通り過ぎている。
「しまった、忘れてた」
鬼道忍軍なら知らぬはずもない変わり身の術。その定番として使われる、学園指定のジャケットである。
真凪は回転しながらぼろ切れを捨て、背後を一瞬だけ見る。
金髪の男はあの天使に向かっている。救助のつもりか。まあいいや、と独り言つ。
――アレはもうどうでもいい。
にたり、と真凪の口元が歪む。そのまま身体を捻り、畳み、矯める。
その肩が弾け、赤黒いものが飛び散る。
しかし一切を気にせず繰り出される、鮮やかなアンダースロー。飛び魚のような白刃は、空に舞う黒い翼を穿つ。
「だって、君はぶっちぎりに『ダメ』じゃないか」
「随分とご挨拶だな、『下手くそ』」
銃弾と投げナイフの応酬。結果(ダメージ)はほぼイーブン。
さりとてそんなことはおくびにも出さず、真凪は笑い、鉄鳴は涼やかに、次への布石を打つ。
●
『CQCQ、こちら緋打石』
目の前の状況に混乱していた後輩の一人に、緋打石(
jb5225)からのテレパスが入る。
『今から応援六名が入る。葉月はグラサンのナイスガイが助けるので、諸君は一般人の避難を』
視界の端。このコンビニが面している道路の向こうから、確かに歴戦の先輩達の姿が見える。
あの中の誰かが自分に繋げているのだろう、と後輩はなんとか理解した。
『大声で共有、行動!』
強く言われて、後輩は我に返る。
「――そうだ、コンビニの人たち!」
蹴り飛ばされた葉月は動かない。けれど『敵』は悪魔の射手に向かっているし、サングラスの男性が葉月を抱えて回復魔法をかけている。
……力のない自分たちに出来ることは限られる。ならせめて与えられた役割はこなそうと、新人達はコンビニに取り残された人たちに向けて走った。
「指名手配犯、生駒真凪! 確保する!」
アスファルトに遠石 一千風(
jb3845)の怒号が反響する。
「ヒーローごっこはそこまでだ!」
まるでこの『場』そのものに訴えるような声は、コンクリートの街を跳ね回る。
――嫌な感じがする。
きっとそれは気のせいではない。
「何を言ってるのかよく分からないな」
ぱきゅん。地面を弾丸が跳ねる音と共に、真凪の姿がかき消える。
「そんなそんな、僕みたいなのに『そんな高尚なこと』できないよ」
日常会話のような気安さで、よく分からない返答が返ってくる。
それはいい。まともな会話など最初から期待していない。
今の言葉は『周りの』人たちに投げかけたものだ。
じろじろと舐め回されるような嫌悪感。数知れぬ『視線』がこの場に注がれている感触。
――どうやら盗撮はもう始まっているらしい。
アングラ系サイトにいくつもアップされているという、生駒真凪のスナッフビデオ。アレを『正義の味方』と祭り上げる、インターネットに蔓延る狂気。
闘気を全身に張り巡らせながら、一千風は吼える。
そんな需要(もの)、どうしたって認められるわけがなかった。
●
異様な空気のまま攻防は続く。
陽炎のように揺らめく真凪を上手く捉えきれない。攻撃を避けられているのはまだ仕方の無いこととしても、『狙いがそもそも定まらない』。
――あり得ない妄想を相手取っているような不安感。気を確かに保たないと、いつの間にかそこにいたことさえ忘れてしまいそう。
だから、うかつに包囲を緩めようものなら、するりと隙間から抜け出していくのだろう。
まるで初めからそこにいなかったかのように。
閃く白刃。『正面からの不意打ち』を、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は容赦なく零距離射撃で弾き返した。
身体を屈め、懐を狙う。そしてすぐさまその喉元を狙って一発を見舞った。
「おおう」
――だが間の抜けた声と共に、紙一重で躱される。いや、『狙いがズレた』のか。
ともあれケイはすぐさまバックステップで距離を取る。
当たり前の話ではあるが、二年前よりも遙かに強くなっている。
技量的にはもちろん、精神的にも――ベクトルはどうあれ。
幻影の毒蛇が虚空を噛んだ。
「おわったった」
真凪は暢気な声を上げる。……当たったようには見えない。
いつの間に切り返したのか、対面に控える仄(
jb4785)の術の圏内にいた。
前は『強行突破』だったものが、しれっといなくなろうとしている。
同じ練度の撃退士による一対六。
冷静に考えれば、逃げの手を打つのは当然だ。年始のコトリバコ事件を思い返せば、確かにその選択は正しい。
けれど、
――ちらりと鉄鳴とミハイルに視線をやる。
真凪が最初に『食いついた』ということは、『そういうこと』でいいのだろう。
だが、二人ともまだ大した傷は負っていない。
最初こそ二人に的を絞っていた真凪だが、全員で囲んで逃がさないという布陣が成立してからは、逃げを狙い続けているように見える。
アレの行動原理は病的に自己中心的な思想のはず。それを覆してまで、生き延びることを目標とするのだろうか――?
だが、そんなことは今はどうでもいい。
もとより付き合い続けるつもりなどない。
鉄鳴の銃撃がアスファルトを叩き続ける。空の薬莢が落ちる度、今度はミハイルの放った十字架がプレッシャーをかけていく。
アスファルトが跳ねる、砕ける、音を鳴らす。舞うナイフを、ミハイルは大げさに後ろへ飛んだ。
――ケイは、合図代わりに五挺の愛銃を宙に舞わせる。
円の中心。ぽっかりと開けた駐車場の真ん中。誰からも等距離なその位置。
「ん」
仄の魔力が澱みを産む。砕けたアスファルトが舞い上がる。砂塵と化したそれが、魔力を帯びて吸着する。
「そら、よッ!」
合わせて緋打石が炎を呼び出す。罪深き亡骸を地獄に連れて行くもの。その名を冠した戦車(チャリオット)は、ゴウと地面を焦がしながら爆走する。
そして、ケイは手にした最後の一挺のトリガーを引いた。
銃弾の驟雨。走る火車。煙る砂塵。
どこまで突き抜けた技術を持っていようと、空間を制圧されれば、透過の出来ない人間に回避することは叶わない。
『回避特化』の相手だ。『打たれ弱い』のが定石である。つまり一発でも当てれば、その性能は大きく落ち、
「ッ――緋打石さん!」
一千風の踏み込む音とほぼ同時。
緋打石の眉間に、赤い尾を引きながら、白いナイフが穿たれた。
「――は、まったく。悪魔でも身震いする最低さだ」
「……ちぇ、なんだ。君もそれかい」
突き出されたナイフの先には、砕け散るスクールジャケット。
全身が焼け焦げ、血に塗れた生駒真凪は、それでも確実に緋打石の命を取りに来た。その身体を間一髪飛び越えながら、緋打石は獰猛に笑う。
「いっそ清々しいな。十王の手間を煩わせるのは忍びない」
「いやだな。どうしてこう、肝心なところでツキがないんだろう……」
会話にならない言葉。
真凪の声色に落胆が混じる。まるで『今から苦手なテストなんです』程度の場違いな感情。コンマ秒後に待っている現実とまるで釣り合わない、暢気な感想。
「――ら、あァッ!」
さながら狼のような。
裂帛の気合いと、十分な加速の乗った一千風の拳が、生駒真凪の顔面を貫いた。
●
真凪の身体が吹き飛び、コンビニの壁に激突して止まった。
だらんと投げ出されたその両手両足に、無慈悲な弾丸が何発も突き刺さる。
勝敗は決した。鉄鳴は淡々と頭部に狙いを付けようとして、レールガンが過熱されていることに気がついた。
仕方無いので拳銃に持ち替え、
「まあ待てよ。せっかくまだ口がきける状態なんだ。ちょっとくらいお喋りさせてくれよ」
飄々と言いながら、ミハイルがわざと射線を遮る。――だがその手にはきちんとライフルが握られており、何より口の端が愉しそうにつり上がっている。
「まともに答えるとは到底思えないが」
構えながら一千風が鋭い声で言う。態度にこそ出さないが、鉄鳴も同意見だった。
「……酷いなあ。質疑応答くらいなら、対応できるって……」
あはは、と力なく笑いながら、真凪はごろんと仰向けになった。
その顔面は砕け、両手両足に力はない。そしてきちんと『存在感』がある。
「ああ、でもそうか。前が折原さんだったし、そう思っても無理は……うん、あの子と比較されると、純粋にへこむな」
「仲間だったんでしょう? 随分辛辣なのね」
銃口を突きつけるケイに、真凪はまるで友人のような気安い笑顔を向ける。
「いや、それとこれとは別問題だって……」
「聞きた、い事、があ、る」
「うわ」
にゅっ、と。仄はマイペースに、いきなり真凪の顔を覗き込んだ。
「『ゴミ』処理を全、て、熟した時、お前、は、如何在るつも、り、だったの、だ?」
「ああ、それは俺も聞きたい」
凄惨に笑いながら、あくまで軽口のようにミハイルが言う。
そして、答えは簡潔だった。
「どうあるも何も。終わるわけないじゃないか」
は、とミハイルは吐き捨てた。
「日本人だろ。ちゃんと日本語で話せ」
真凪はくつくつと笑う。
「……ほら、掃除ってさ。家に人がいる限り、絶対しなきゃいけないことじゃない。エネルギー活動には、どうしたって廃棄物が出る。つまり『人類がいる限り、ゴミはどうしたって発生する』。最初から不出来なものが、どうしたって出るんだ」
僕みたいな、と真凪は笑った。
無邪気な笑みだった。
「資源の無駄、なんだ。じゃあ資源の無駄同士、消し合った方が、節約くらいにはなる、でしょ?」
吐き気がするくらいに。
「――その論だと。人間は滅ぶべき、と言っていることになるが」
緋打石の感情のない言葉に、真凪は屈託の無い笑顔を浮かべた。
「……ああ、うん。そういうことになる、のかな?」
「不、毛」
仄は、ぽつりとそんな言葉を零した。
「随分勝手なことを言うんだな。その基準なら、華葉だって立派な『ゴミ』だろう。奴の撒いた種で、どれだけ『そうじゃない』人が巻き込まれたと思ってる?」
ミハイルの瞳は、サングラスに隠されて見えない。
「そんなにゴミ掃除がしたいなら、政治家にでもなった方が良かったな。――所詮、お前は華葉のオモチャか実験台だぜ?」
ぬたり。
蔑むようなその言葉を受けて。真凪はそんな、得体の知れない表情を浮かべた。
「『そのとおり』。よく分かってるじゃないか」
ぱん。
弾けるような音がして、真凪の頭部ががくんと揺れる。
そしてそれきり動かなくなった。
いつの間にか地面に降り立っていた鉄鳴は、煙を噴くリボルバーをヒヒイロカネに仕舞うと、
「何か奥の手を晒すつもりかと思ったが、当てが外れたか。まあ、やってしまったものは仕方が無い」
事も無げにそう言った。
●
誰もが駆け出しの頃にお世話になったような普通の病室。
江戸川葉月は、そこで横になっていた。
「しかしあそこまで後輩に慕われているとはな。無事に馴染んでいるようで何より」
「やめて、やめてください……」
ベッドの側で快活に笑う緋打石から、極力葉月は目を逸らそうとする。
葉月にとって緋打石は『会いたくないようで会いたい、やっぱ会いたくない』くらいのとても微妙な立ち位置である。なぜなら『黒歴史を洗いざらい知られた上で』好意的に絡まれると、とても反応に困るからである。
しかし対岸には、
「葉月が頑張って耐えたから、みんな無事だったのよ。誇って良いと思うわ」
「成長し、た」
ケイと仄という、やっぱり『握られている』見舞い人がいるのである。
その、そんな和やかなムードを出されても、困る。
逃げ場がない。ダレカタスケテ。
「そう嫌そうな顔をするな。いずれ一緒に依頼をこなす仲なんだから、いつまでもそんなじゃ困る」
言って緋打石は数冊の文庫本を取り出す。
「そろそろ読みたい本が減ってきた頃だろう? おすすめだ。ちゃんと返しに来いよ?」
その表情は後輩を慮るそれ以外の何物でもなく、大変反応に困る。
ともあれ。
「……その。ありがとう、ございまし、た……」
か細く言って、耳まで赤くなる。
「んー?」
「ごめんなさい、聞こえなかったわ」
「もう、一度」
ニコニコしながら迫ってくる『先輩』を、布団に潜り込んで回避する。
そして、
「おう、邪魔するぞ」
「見舞いにきた。大丈夫か?」
ミハイルと一千風が現れて、救われたような気持ちになったのもつかの間。
「ところで、葉月って何をやらかしたんだ?」
「ああ、それはな」
「ギャー! ヤメテー!」
そんな感じで騒いでいたら、看護師達に怒られた。
こんな一つの、団円の形。
●
最後に。
「殺すときはばれずにやるものだ、『下手くそ』」
コレの思想も異常性も興味は無い。
ただ一つ。
人殺しは『悪』である。行うのであれば、その罪深さを知れ。
それが【名無鬼】としての矜恃であり、在り方であり、譲れない一線である。
――詭弁を弄して正義の味方呼ばわりなど、虫酸が走る。
生駒真凪の亡骸を前にした鉄鳴の瞳は、まさしく塵芥を見るソレだった。