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「人殺しはいけないことです……」
懺悔するように胸の前で手を重ね、悲壮な顔をして折原五月は呟いた。
「そんなのあまりに残酷で、醜くて、非人道的で……」
そんな彼女の後ろから、三人の男女が現れる。男が二人、女が一人。
「絶望的ですよね……」
素性は知れない。だが堅気でないことは明らかだった。
「そんなことをしてしまった自分があまりにも、あまりにも嫌いで……」
笑顔という情報を貼り付けただけの表情に、その手には血塗られたV兵器。
――そして、圧倒的な死の臭い。
「――だから、ついやっちゃうんです!」
何の脈絡もなく、折原五月はとても晴れやかな笑顔を浮かべた。
――これは、何。
あまりの様子に、山里赤薔薇(
jb4090)は思わず息を呑んだ。
アレはもう『聖女』の残党どころの話ではない。思い返せば、連中にだってそれなりの道理があったはずなのだ。
けれども、目の前の四人からそんなものは微塵も感じられない。
「あれ、どん引きされてる? されてますね。そうですよね、こんなの気持ち悪いですよね……」
落ち込む五月を、周りの三人が取り囲んでやんややんやと嘲笑う。とても電波に乗せられない罵倒の嵐が、五月に雨あられと降り注ぐ。
「ああっ、そんなホントのことを言わないで……言わないでぇ……」
みるみる落ち込む少女は、弱々しい声を少しの快感に染めていき、
「――ああ! 絶望的に悲し(きもちい)い!」
その全身に、禍々しくもアウルの力が漲っていくのが見て取れた。
これはもう、おぞましい『何か』だ。
――狐センパイ。貴方は、何がしたいの。
気持ち悪い。ケイ・リヒャルト(
ja0004)は内心で毒づく。
二年前の折原五月は、こんな怪人ではなかったはずだ。あの時は気の弱い『ただの少女』でしかなかったのに。
「やだぁ、私の黒歴史、知ってる人がいるぅ……」
絶望(こうふん)しちゃう、と。ぼろぼろ涙と涎を零しながら、しかし力は加速度的に張り詰めていく。
信田華葉と一緒にいたこの二年で、一体何があったというのだろう――
――ダメだな、アレは。
牙撃鉄鳴(
jb5667)は静かにライフルを構える。
「ああ、ああ――! そんな蔑むような目で見ないでくださいぃ……!」
解釈する余地も意味もない。アレは単に『絶望』に酔っ払っている異常者だ。
どんな態度も行動も都合のいいように解釈してしまう。そして会話は成立しない。
ならばこれは獣狩りだ。
鉄鳴は黒い翼を広げると、ふわりと空に浮き上がった。
「もう十分です、折原さん」
ずい、と。桜庭愛(
jc1977)は立ちはだかるように一歩前へ踏み出した。
境遇だけを見れば、似ていると思った。
五月は家庭が原因で歪んだという。愛も虐待された過去を持つ。
ならば似て非なるもの。自力で逃げ出した後に両親を『殺されてしまった』のか、目を塞いで悪魔に『殺してもらった』か。共感はともかく、『いらない』という心情は理解できる。
そう思っていた。
「――あなたの地獄の案内は私です。不動明王に成り代わり、あなたたちを調伏します」
愛は八極拳の構えに移行し、剥き出しの殺気を叩きつける。
「が、がっごいいぃ……それにひきかえ私ときたらぁ……!」
――違う。
アレはもうそういう次元にない。
『弱さ』を極限まで煮詰めて人間性を放棄した、ただの殺人鬼だ。
●
だん。足跡が深く刻み込まれるほど強く。
先陣を切ったのは遠石 一千風(
jb3845)だった。一千風は爆ぜるような勢いで五月に突撃する。
その表情は面に隠されて窺えない。
一千風は五月めがけて駆ける。目の前の『敵』に対して拳を振るう、今すべきことはそれだけなのだ。
様々な戦闘を経験してきた撃退士達である。先ほどのやりとりから、既に折原五月の『特性』はなんとなく察しは付いていた。
どうやら『絶望する』ことで『力を増幅する』のだろう。奇怪すぎる能力だが、厄介には違いない。
しかもこちらの一挙手一投足に反応しているようだから、下手な会話は避けた方が無難だ。表情だって見せない方がいい。
いや。
そういう話ではないのだ。
一千風の斜線上に、棍棒を持った男が転がり込んでくる。
ニタニタと不気味な笑顔を浮かべながら、
「やだ怖い。あまりのセンスに絶望しちゃうよ」
五月と似たようなことを言う。
――単純に、コレと会話したくない。
悪趣味の極限。信田華葉の事件はいつもそうで、そして『家族』は一千風にとって拭いがたいトラウマだ。記憶のデリケートな部分を無遠慮に踏み荒らされる嫌悪感。
だからこそ冷静であらねばならない。
……悲嘆の表情をした面は、それを助けるものでしかない。
一千風とは逆方向から鈴木悠司(
ja0226)が滑り込む。
「……違うみたい」
悠司はぽつりと感想を漏らす。
「何が違うんですかぁ……育ってきた環境ですか、好き嫌いは否めないんですかぁ……」
五月は一瞬にして悲哀の表情を浮かべたかと思うと、次の瞬間には爛々と目が輝いている。
そうして手にしたストールを振り回すと、ナイフじみた魔力の斬撃が雨のように振ってきた。さながらガトリングガンを思わせる射撃である。
悠司は身体を捻って躱すも、さくりと腕をかすめる感触があった。
なんというか、この力は、別にいらない。
力に飲まれて振り回されている。ただそれだけの敵のような気がした。
●
ぱきゅん。
不意に一発の銃弾が五月めがけて放たれた。
「ナイバーッチ!」
それを、男の片割れが棍棒じみた武器で弾き返す。
斜線は空中から。ジャンプして独楽のように回転しながらのふざけた防御。
それを見届けると、鉄鳴は何の反応も見せずに空中を旋回する。
「ノリ悪くて絶望しかねぇ! 『自分で言うな』とかねえんだ! 絶望!」
どうやら野球を気取っているらしいが、鉄鳴にしてみれば非効率極まりない。それ以上の感想が出てこない。
「そんなクソつまらんボケ、誰も拾ってくれるわけないじゃん。絶望的にウケないわー」
鉄鳴は反応せず、男に向かって射撃を繰り返す。
それを見た女が野球男に、実に雑な手つきで回復魔法をキャストした。
そして頭も悪い。
あっさりと手札を晒した。
オートマチック、ガトリング、ライフル、ショットガン。
宙に浮いた六挺の銃は、男と女を狙い澄ました。
そして男が棍棒を振り抜いた瞬間、爆ぜる。
「――――」
バレットパレード。持てるだけの銃を使い、アウルの弾丸を驟雨の如く叩きつける、インフィルトレイターの最奥。
やがて土煙が晴れ、二人が動かなくなっていることを確認すると、ケイは愛銃を回収した。
『盾』と『回復』。パーティーの生命線とも言えるこの二つを、こうして二人の射手はあっさりと壊滅させた。
●
――どうして。
赤薔薇は奥歯を噛みしめながら、目の前の男めがけて電撃を放つ。
男はぼろぼろになりながらも、それでもどこか楽しそうに魔法戦を楽しんでいる。
その横で、味方の容赦のないつるべ打ちが敵の男女を巻き込んでいく。
――もう、二度と人を殺めたくないのに。
銃撃で倒れた二人の安否は知れない。今は確認するすべがない。いや、敵の心配をしている場合ではない。
だが、それでも。
「破ッ!」
ずん。腹の底に響くような振動が走る。
愛の放った崩拳が、寄ってきた男の土手っ腹を貫いたのだ。
「うひゃぁ!?」
吹っ飛んだ男は、嬉々としてストールを振り回していた五月に当たる。間の悪いことに、そのストールは刃物のような魔力を覆っていて、
「――――ッ!」
さながらフードプロセッサのごとく。
「ああ、なんてホラー的に美味しい死に方を……! 持って行かれました……絶望しかありません……」
そしてそれを目の当たりにして、言うことがそれなのか。
かつての『聖女』問題。
悪魔に唆された人間の、人間による、人間のための惨劇。
もう終わったと思っていたのに。そう思いたいのに、終わってくれない。
人間同士によるおぞましい悪夢を、今度こそ止めなければならない。
――そのためなら。
赤薔薇は走った。
「あぁ、あぁ……えっと……名前も忘れた雑魚の皆さんがこんなあっさり……!」
あと一人。絶体絶命の状況に陥った五月は、しかし恍惚の表情を浮かべた。
「こんなの、こんなの、あとは嬲り殺しじゃないですか……!」
『それがたまらない』とでも言わんばかりに、五月はストールを振り回す。
渦巻いた魔力はドリルのように螺旋を描いて、撃退士めがけて射出される。
「いえ、もう終わらせます」
愛はそれを敢えて受ける。魔のドリルは容赦なく愛の腹を抉りにかかるが、愛は不敵に笑んで見せた。
相手の渾身の一撃を、敢えて食らってねじ伏せる。これぞプロレスラーの魂なり。
「――天誅!」
そして召喚される退魔の剣。不動明王の名を冠したそれらは、折原五月を一瞬にして取り囲む。
「――――ああ、すっごく」
かっこいい。五月の口がそう動いた瞬間、剣はその空間の一切を断絶した。
●
状況は終了した。
ストールに巻き込まれた男は見るまでもないが、後の三人は――
だだだん。
ちゅいん。
「……何のつもりだ」
鉄鳴の放った三発の弾丸――正確に三人の頭部を狙ったもの――は、ケイと赤薔薇によって弾かれた。
やっぱりと内心で呟きながら、赤薔薇は五月の前に立つ。その身体に纏った緋色の龍が、アウルの銃弾を受け止めた。
「こいつらは天魔じゃない。人は、人の法で裁くべきだと思う」
「あの有様を見てもか。どうやっても手遅れだが」
赤薔薇は鉄鳴を睨み付ける。
「それでも、人には変わりない」
しばらく無言の睨み合いは続いたが、先に視線を切ったのは鉄鳴だった。
「好きにしろ」
ここで言い争うことに価値を見いだせない。ならばやるべきことはまだある。鉄鳴はそう判断し、さっさと教会の方へ歩いて行った。
「……五月から、狐センパイのこと、何か聞き出せないかしら」
煮え切らないものを感じながらも、ケイは気絶している五月の隣に立った。
それを一千風は緩く頭を振って否定した。冷静に冷徹に、拘束具を嵌めていく。
「――信用できない。どんな妄言を吐くか、分かったものじゃない」
……傷が痛む。
一千風は五月をずっと引きつけていた。己の役割はそれだと自分を律して、言い聞かせて、徹底して、あの錯乱した相手を縫い止めていた。
痛い。受けた傷が痛い。普段ならなんてことないような傷が、なんだかとても、痛い。
――お母さんは嫌いです。理想しか押しつけてこないから。だから殺していいんです。
打ち合っている時に不意に聞こえてしまった、そんな呟き。一千風の理性の箍を無理矢理引きちぎるような、そんな独り言。
「――ああッ!」
気絶しながらもニタニタ笑っているその口元があまりにも腹立たしくて、一千風は思い切り地面を殴りつけた。
「……でも、シンパシーなら」
一つ息を吸って、赤薔薇は五月の額に手を当てる。
……ここ三日の記憶、記憶、記憶、は――――
絶望。
絶望。絶望。
絶望に絶望して絶望を絶望し絶望で絶望に絶望が絶望を絶望で絶望絶望絶望絶望絶望絶望――――――――!
「――!?」
おおよそ人間のものとは思えない『情報』の濁流に、赤薔薇の身体は思わず汗をかいてしまっていた。
●
その後の探索において、特に異常は見受けられなかった。
「録画機器なんかは無かった」
けだるげに悠司は言う。
「ええ、不審な機械音みたいなものも無かったし、その心配はクリア……でいいと思うわ」
言いながらも、ケイは居心地の悪さを覚えていた。
――これだけのことをやっておいて、暴露をする気もない?
もし信田の目的が『聖女』の延長だとして、だとすれば辻褄が合わない。折原五月の異様さは、覚醒者の評判を下げるにはうってつけだったろう。
……まだ、足りない。何かが。
「こんなものを見つけた。これが例のサイトだろう」
鉄鳴は一台のノートパソコンを全員の前で開帳した。
中身を確認すると、確かに『煉獄通信』というサイトのHTMLファイルが見て取れた。
いかにも素人拵えの安っぽいレイアウトに、稚拙な『それっぽい』文章。
見る人が見れば、よくもこんなものに人が集まったものだと逆に感心してしまうような仕事である。
「……じゃあ、誰がこれをネットに繋げていたの……?」
ケイが呟く。
ここは廃墟で回線など通っていない。無線――いや、携帯も圏外なのである。だというのに、通信は確かに通じている。
そしてこのお粗末な仕事を見る限り、そんな技術力のあるメンバーはあの四人の中にいなさそうだ。
だとすれば。
「……信田」
赤薔薇と一千風が同時に呟く。
そして。
「ああ。そういえば、こんなファイルも残っていた」
鉄鳴は至極どうでもよさそうに言うと、デスクトップに残っていたテキストファイルを開いた。
そこに記されていたのは、
『お疲れ様。
あと二人+α、がんばってね。
その時に会おう。
優秀なる後輩諸君へ 信田』
●
「お疲れ。……色々思うところはあるだろうが、今は気を落ち着けてくれ」
報告に当たって、未唯は全員分の紅茶と茶菓子を用意していた。信田絡みの事件は気疲れするから、ということらしい。
「いえ、私の心配はご無用です。美少女レスラーは、あんな『弱さ』には絶対に挫けません」
おそらくは心底からであろう強い言葉に、未唯は苦笑した。
「いやはや、頼りがいのある。……とはいえ、家庭問題か。悩みがあるなら後で個別に聞くぞ」
言いながら、未唯はパソコンを操作する。
「――折原五月は重度の心神喪失状態にある、ということらしい。洗脳かどうかは調査中。だが、件数と動機の観点から……間違っても軽くは済まないだろうな」
「……」
赤薔薇はぐっとぬいぐるみを抱きしめる。それは極刑も十分にあり得るということだろう。つまりは死に追いやった、という見方も出来る。
――だが、あの場で私刑にかけるよりも、ずっと筋は通っている。そう思いたい。
「それにしても、あと二人、か」
持ち帰ったパソコンのデータを映しながら、未唯は言った。
「……おそらくは、あの時の二人、ということなんだろう」
――喜屋武貴梨子と生駒真凪。かつて撃退士によって捕らえられ、信田華葉によって脱走した覚醒者。
「少しでも気配がしたら、すぐに連絡する。みんなが頼りだ。その時は、どうかよろしく頼む」
●
後日。街の雑踏。
「お前が――か」
「ですけど」
「煉獄通信は閉鎖されたが、『いらない家族』の処分を代わりに請け負おう。いらないのは祖母と伯母だろう。いくらまで払える?」
「は? 金取るんだったら別にいいです」
その、ある意味あまりに清々しい回答に、鉄鳴は「そうか」とだけ返した。
隠れてUSBメモリに抜き取ったデータも、これでは使い道がなさそうだ。