●
「えっ、フロちゃんがクロに決まった!?」
はーい二人組作ってーからの美しい流れ。フローレンスは見事にハブられた。
端的に言うと誰も絡みに行く人がいなかった。
「それシロっていうんじゃないの?」
「てぃこー! てぃこー!」
唯一、巫 聖羅(
ja3916)だけがエプロンドレスを着た犬のぬいぐるみで遊んでいた。
もうなんか懐かしいティコちんは、どうやら学園内では戦闘が出来ないよう設定されているらしい。正真正銘みんなのおもちゃである。
ぴこぴこと耳を引っ張ってみたり、武器を取り上げてほーれ取ってみろーしたり、うりうりと頭をこづいたり。
「うわーんうわーん! いぢわるー!」
「むう、その台詞を引き出すとはセーラちん……SかMかで言うと、イニシャルはS!」
「やっといて何だけど、止めなさいよ。自分のディアボロがいぢめられてるのよ」
びえー、とギャグ漫画的に望陀の涙を流すティコちん。その姿が実にカワイくて、そのケがなくてももっとこう、もっとしたくなる。
――これが戦場だと『下手な相手なら一発で消し炭に出来る』猛獣と化すのだから、目の前の猫悪魔も度しがたいものだが。バカとアホは紙一重的なアレである。
「まあよいのです。本筋から外れた行動はデメリットが多いからね、是非もないネ! 一人寂しく追い出されるルートを実現してくるにゃんこ!」
「真面目にお見舞いしたら?」
「え。いくら停戦中だからって現役の悪魔をホイホイ学園の要人に引き合わせる病院はちょっと」
「唐突に真面目なこと言わないでくれない?」
「にゃんこにゃんこ。それよりお見舞いにスマート本はどうかと思うにゃー?」
「? 何かおかしい?」
希代の超新星『小田切サファイア』の新刊、今春の正午前には完売したレアもの。乙女の夢が詰まった一冊を、先生の元へ届けます。
同盟締結の現状、リアルルシレミ爆誕もワンチャンあり得るからね!
いや、ないかな。
BL(ゆめ)はファンタジーだからよいのです。
●
気を取り直して。
「うぅーん……」
月乃宮 恋音(
jb1221)は困っていた。
恋音は初対面の相手に弱い。久遠ヶ原学園という環境でだいぶ鍛えられたとはいえ、根底の性格はそうそう覆せるものではない。
まして、
「そ、その……す、すごいです、ね?」
相手が萎縮しているとなればなおさらだ。
江戸川葉月が言っているのは間違いなく自分の胸部のことであり、それは最大のコンプレックスでもある。指摘されるとやはり複雑だし、
「うう……」
「あ、す、すみません!?」
素っ頓狂なリアクションをされてもやはり困ってしまう。
何を思ったのか、この後輩はまっすぐ恋音の所にやってきた。
経歴を見た限り他に知り合いがいるだろうに、初対面であり、お世辞にも見目は良くない――あくまで恋音の自己評価だが――自分の所へやってくる理由が分からなかった。
しかも最初の振る舞いだけを見れば物怖じしないように見えたのに、いざ対面してみれば会話の停滞と視線の乱反射である。どうやら意外と人見知りする性格らしい。
困った。どうしよう。
恋音も葉月に聞きたいことはあるのだが、ちょっとどう切り出していいか分からな――
「あ、江戸川さん! ちょっといい? 先生の好きなラーメンって分かる?」
「なんでラーメン限定!? とんこつ派だったと思います! 背脂が多いやつ!」
助かった。佐藤 としお(
ja2489)の的確な割り込みにより、緊迫した空気が一気に弛緩する。
相手によって対応が変わるタイプなのでしょうか、などと思ったりした。あと律儀。そして先生、それは重い。
「あ、でも……茅原先生の好みといいますか……喜びそうなお土産を、教えてくれるとありがたい、です……」
ともあれようやく本題を切り出せる。
「えっと、そうですね……」
似た議題のためか、すぐに会話は成立した。どうやら、最初のきっかけを作るのが苦手らしい。
学園で鍛えられたものは生徒ごとに違えど、恋音の場合は事務処理、指揮官という裏方方面の才能が開花した。もはや大規模な戦線において、恋音率いる【内務室】の存在は欠かせなくなっている。
その成果が認められ、最近は学園の事務業務の一部を引き受けるに至った。
つまり、未唯が倒れたことで応援要請がかかった、ということだ。
来たるべき大決戦を前にして、一人の欠員は決して無視できない負荷となる。動乱の現在、能力の前に教師だ生徒だなど、もはや些末な問題である。
しかし何分急なことだったので、引き継ぎも満足に出来ていない現状だ。
そして恋音は未唯とあまり接点がなく、人となりを把握出来ていない。
挨拶も兼ねてお見舞いというのはいい機会だと思うのだが、いかんせん何が喜ばれるのかが分からなかった。
気づけば、葉月は一方的に喋り続けていた。喋れない、というわけではないらしい。
「ただでさえハードなのにズボラ飯ばっかやってたんですよねえ。あまつさえネットしながらジャンクフード。まったく歳も歳なんだから――」
というよりただの愚痴になっていた。
ええと、つまりまとめると――
「……そのぅ、ちゃんと、栄養を摂ってほしい……ということですかぁ……?」
「そうなんです! なのでこの果物セットとかです、ね――――」
そこで言葉が途切れた。
お見舞いにフルーツ盛り合わせ。定番である。葉月の手にしたカタログには瑞々しく映った美味しそうな――
「……うぅ……」
歯がゆそうにしながら、また言葉が止まる葉月である。
――そうする理由がなんとなく分かってしまった。彼女の言動の端々から察するに――
とはいえそれを指摘するのは忍びなくて、どう切り出したものか迷ってしまった。解決策は思いついたのけれど、
「うわ、これ特上品じゃない。江戸川さん、これはみんなで割り勘した方がいいわよ」
いつの間にかそばにやってきていた聖羅によって救われた。つくづく話の早い撃退士たちである。
「えぅ!? そ、それは……」
ぶんぶんと首を振る葉月である。申し訳なさとプライドが許さないの半々といった所だろうか。
「無い袖は振れないわよ。頼らないといけない時には頼っておきなさい」
でしょ? と振られて、恋音は小さく微笑んだ。
「……はぃ。それも、撃退士に必要な……能力、かと……」
「うぅ……」
流石にこの場にいる全員でなら、いくらブランドものとはいえ、ちょっとしたカンパ程度で済む。
かくして葉月の懐事情は、身の丈に合った慎ましい金額で結論したのであった。
●
広い病室だった。
撃退士をやっていく以上、どうしても病院とは無縁ではいられない。そうして知っている風景よりもいくらか広い。
つまり、上部屋だった。学園の職員ともなれば、十分に要人扱いということらしい。
「いや、たかだかオーバーワークなんだがな」
「十分に重病だろう。模範的なサラリーマンとして、そういう考え方はいただけないな」
未唯の軽口に、ミハイル・エッカート(
jb0544)は肩を竦めた。
「何はともあれ、わざわざ悪いな。気を遣わせたみたいで」
未唯の顔色は悪くない。点滴が済んだところらしく、もう数日療養すれば問題なく退院できるということだった。
「というか、覚醒者じゃなきゃ危なかったって先生……お医者さんが言ってたんですけどー」
腰に手を当てて、葉月は不満げに言う。
「……それは一般的に過労死ラインって言うんだぞ」
ミハイルはがっくりと肩を落とす。そこまでとは聞いていなかった。現代の闇を学園で体現されても本当、困る。
いつぞやの飛び降り事件を思い出す。アレは――いや、アレは違う。あれは純粋な悪魔(ディアボロ)の事件だったのか。……似たような話が多すぎる。
「ま、それはともかく見舞いの品だ」
よっ、とミハイルは紙袋の中身を取り出した。
やけに大きく、そして重量がある。
――果たして登場したのは、数リットルはありそうな卵と牛乳と砂糖の結晶体。
「バケツプリン!? 病人になんてもの持ってくるんだアンタは!?」
「病気といえばプリンだろ? シケた病院食ばっかじゃつまらんぜ。このサイズなら夢もいっぱいだ」
「それアンタが食いたいだけじゃないの!? 賞味期限とかどうすんの!?」
思いの外常識的なツッコミを飛ばしてくる元天使と、
「ああ。一度やってみたかったんだ、そういうの。任せろ、一気に飲んでやる」
「アンタはもうちょい食生活を見直せーッ!」
ツッコミがいるとボケに回る、過労で倒れた教師の図。血液検査とかそろそろ怖い時期である。
「にはは、そのくらいインパクト重視の方が良かったかなー」
空気が暖まったのを見てか、九鬼 龍磨(
jb8028)は手にしていた紙袋を差し出す。
中には小綺麗にラッピングされた、小分けにしたクッキーがいくつも入っていた。
「九鬼だからクッキー。僕の持ちネター」
綺麗に焼けた生地は、ほのかな甘い香りと共にカラコロ音を立てる。スタンダードな小麦色と、ココア色の二色で拵えてあった。
「ちょっと作りすぎみたいだから、みんなにもあげるー」
人好きのする笑顔を浮かべながらそんなことを言う龍磨に、葉月はぎょっとした。
「……って、え。手作り!?」
「そうだよー。あ、そうそう。この絵本もおすすめだよー。大人でも面白いって評判でー」
龍磨が次に取り出したのは、かわいらしい猫が描かれた絵本だった。
暖かみのあるタッチで、誰かへの感謝と敬意を伝えていく心温まる一冊である。
「――ほう。それは、すごーい、な」
「?」
未唯が妙な口調で、思いの外反応する。
実はこの冬に伝説へと昇華されたとあるアニメの原作本であり、現在品薄で入手困難な一品である……という事情は、しかし龍磨にはあずかり知らぬことだった。
「こ、これが男の女子力……!」
一方で葉月は何かズレた敗北感に包まれていた。
こうして飾りっ気のなかった病室がにわかに彩られる。
特に聖羅の持ってきたプリザーブドフラワー――ピンクの薔薇とカスミソウ――がひときわ雰囲気を明るくしていた。
「ほらね、やっぱり白一色だと殺風景でしょ?」
ささやかな花は主張しすぎず、さりとて雰囲気を明るくする。
「まあ、流石に私も花を無碍にするほど女は捨ててないからな」
「むぅ……」
苦笑する未唯に葉月はうなる。『効率主義だから花はあまり喜ばないと思う』と葉月は主張したが、お見舞いで花を縛るというのもそれはそれで悩ましい。
ちなみに、共に感謝の花言葉を持つ花である。果たして未唯に花言葉を解せるかどうかは別問題だが、あくまで気持ちの問題だ。選ぶ際の指針と言ってもいい。
もちろん、こっそり枕の下に忍ばせた薔薇色の本については誰も言及しないし、させない。
「じゃーん、見てくださいよこれ! 江戸川さんが選んだんですよ!」
「ちょ!」
とっておきとばかりに、としおがフルーツバスケットを取り出す。一方で葉月が一気に赤面する。
「うわあ……だいぶ奮発したなあ」
「ちち、違いますよ。これはみ、みなさんで選んで、」
「はいはい、照れないの」
うりうり、と葉月の頬をつつく聖羅であった。『みんなから』というお題目でごまかす予定だった葉月にとって、完全に予想外の展開だったのである。
ともあれリンゴ、バナナ、洋ナシ。どれも瑞々しく艶やかに照り返している。数は多くないが粒ぞろいだ。
「――え、えっと……それじゃあ……飲食物は……先生の部屋に、運んでもらえるように……手配しますぅ……」
おずおずと小声で恋音が言うと、未唯はくすりと笑った。
「いやはやまったく、如才ないな」
ちなみに病院で絶対に刃物は貸し出してくれないし、衛生面の問題を抱える生鮮食品にもいい顔はしない。
その辺りの病院の都合はしかし、今言うのは野暮というものだった。
●
後の予定が支えているとのことで、恋音を事情を優先することになった。事務作業の引き継ぎである。
「ほい、それじゃあこれがアドレス。ただしメールチェックはあんまりしないから、ASAPならチャットでくれ」
「わ、わかりましたぁ……」
退院後も現在の業務を一部委託したまま、あるいはさらに他の教師陣に引き継ぐという約束で決着した。現在の仕事量でオーバーワークしたのだから当然の措置である。
ただ一つ恐ろしいのは、この作業に三十分とかからなかったことである。結構な情報量をやりとりしたにもかかわらず、実に滑らかに作業が進んだのであった。
「……いや、なんだ。ほんとそつがないな君は。真面目な話、卒業後も色々やってほしい。伝説になるぞ」
そんな未唯の本気のつぶやきに、恋音は顔を赤くして俯いた。
「そ、それでは、お先に失礼しますぅ……」
恋音は病室を出ると、外で待機していた面々に頭を下げて帰路に――いや、次の仕事に向かう。
いかんせん機密事項も含まれているから、いかに実績と信用のある生徒とはいえ同席は出来なかったのだ。
「お仕事がんばってねー」
後ろ姿をとしおが手を振って見送った。そして角を曲がって見えなくなる。
「――さて。こっちの本題に入るか」
しかつめらしく、ミハイルが言った。
華やかになった病室は、しかし独特の緊張感に包まれた。ちょうど、切羽詰まった依頼直前の雰囲気に似ている。
間違ってはいないだろう。
現在進行形の問題。おそらくは、未唯が倒れる直接の原因となった依頼の数々について、これから話すのだから。
「先に言っておく。――信田華葉の所在については、まだ決定的な手がかりがつかめていない」
希代の天才陰陽師。かつて葛の葉という白狐の名を冠したことのある卒業生。
そして今は、覚醒者を用いて外道を歩む犯罪者。
「それはどういう意味で捉えればいい? 『決定打に欠ける』のか、それとも――『何の手がかりもない』のか」
挑むように言うミハイルに、未唯は「前者だ」と答えた。
「候補はいくつか絞れてはいる。だが、その先に繋がる情報がどうしても見えてこない、というのが現状だな」
「それは……嫌な感じだね」
神妙にとしおが頷く。
「何の情報もない、という訳じゃないのよね? えっと、確か最後に姿を現したのが……」
「――コトリバコの事件。今年の初め」
資料を思い返していた聖羅の言葉を、当事者である龍磨が引き継いだ。
「そう、あの時もヤツはこちらに携帯電話をよこした。二回目だ。それを逆探知できないほど、こっちも警察も間抜けじゃない」
おおむね、近畿地方。
京都は除外するとして、大阪市から神戸の辺り。去年の末から年始にかけて、確かにその辺りにはいたはずなのだ。
「だが、詳細な情報を詰めようとするとぱったり足取りが途絶えてしまう。なんていうか――そうだな、『まだフラグが立っていないから進めない』みたいな感じ」
「ゲーム気取りってわけだ。……なんとなく、その方がイメージが合うな」
崩壊した家庭を思い出す。あの少女に信田華葉が関わっていたとミハイルが知ったのは後のことだ。その後はどうにも縁が無いが、所業は報告書を読んで一通り頭に入っている。
隔靴掻痒。届きそうで届かない。
人類にとって天魔をウイルスに喩えるなら、敵に回った覚醒者は癌細胞と言える。
『恒久の聖女』という病原菌は治まったはずなのに、まだ終わりきらないパブリックエネミー。
「ん、あれ? ちょっと待って。二ヶ月以上も経ってるのに、その間に何もないの?」
浮かんだ疑問をとしおが口にすると、未唯は頷いた。
「ああ。覚醒者の暴走事件はないこともないが、アレが関わっているとおぼしき事件は一切ない。こちらに連絡も取ってこない。……普通に考えれば、かき回すなら今だろう?」
「確かに。こう言っちゃなんだけど、学園を狙うなら王権派のゴタゴタでバタついてる今よね」
王権派との大規模な抗争も佳境に入っている。どうしたって学園の守りはそちらに向き、そこを横から狙われたらたまったものではない。
もちろん悪魔とエルダー派の天使との同盟関係にあるから一概に攻めやすいとは言えないし、今までも半年以上ブランクがあったこともある。それにしたって『学園を狙うのなら』何の音沙汰もないのは不自然だ。
「まるで、俺たちじゃなきゃ意味が無いとでもいった風だな」
ミハイルは言葉を続ける。
「これは覚醒者退治ゲーム。撃退士に倒させることで何かを実験している――そういう印象を、俺は受けた」
「……おそらく、その筋で考えるべきなんだろうな」
未唯はふうと息を吐く。
「アレはまっとうな神経をしていない。常人の物差しで測ろうとすると絶対に噛み合わない」
そうだ。報告書に残っている覚醒者はいずれもまっとうな感性から外れていた。
類は友を呼ぶ――ということなのだろうか。
「多分、彼は衝動に理屈をくっつけるのが得意なんだ」
殺人のために、数え切れない殺人を犯した覚醒者を思い出す。龍磨が見たあの男は、心の底から自分の信念を愉しんでいるように見えた。
「……ああいうのをクズって言うんだろうね。葛の葉だけに」
つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。
「学生時代はどんな奴だった? 模範生だったのか、それともどこか冷めていたのか」
「そうだね、そこから探れば行動パターンも分かってくるかも」
ミハイルの質問に龍磨が賛同する。未唯は口元に手を当てて考える仕草を取った。
「――模範生だな。成績優秀、品行方正、人徳あり。……奴とコンビだったから現役時代の私が無事だった、というのはある」
「え、それって」
としおの言葉を、未唯は遮った。
「や、別にそこはどうでもいい。間違ってもそういうのはないし、掘り下げてくれるな。とにかく『非の打ち所のない』という扱いだったよ。私の見聞きしていた範囲ではな」
――天才は乱心する。
かつて電話越しに龍磨が聞いた、妙に優しい声。まるでただ面倒見のいい先輩だと錯覚してしまいそうな声色。
「確か卒業した後は企業のお抱えだったわよね。そこで何かあったのかしら?」
聖羅の疑問にミハイルが答える。
「それもあり得なくはないだろうが……どうだろうな。この手合いは『環境に溶け込む』ことは非常に上手いことが多いと聞く」
「つまり……優等生だったのも演技?」
考え込むとしおに答えたのは龍磨だった。
「うーん……。実際に優等生だけど、『こうすれば馴染める』程度の感覚だった、って事例ならいくつかあったらしいよー」
覚醒者とは直接関係の無い、かつての犯罪者のデータベース。その天才性を以て環境に適応し、秘めた邪悪を悪とも思わない異常性。そういうタイプであるという可能性。
――ともあれ覚醒者も人間である以上、龍磨の将来に、こういった研究が無駄になることはないだろう。
考察してもこれ以上の答えは出ない。ミハイルは時間を確かめた。
「ところで体調はどうだ?」
「まだ問題ない。もう少し続けて」
「それじゃあ軽く。華葉の事件絡みで存命中の覚醒者が何人かいたはずだが、そいつらはどうしてる?」
一瞬、沈黙が降りた。
「……すまん、ちょっと私の一存では答えられない。ただ、『何も聞き出すことは出来ない』、とだけ」
それがどういう意味を示すのか、いずれにせよろくな話ではない。だが、立場の問題なら無理に問いただすことは出来ない。
「じゃあ最後に一つ」
面会時間のこともあるし(それにしたってかなり長時間もらってはいるが)、入院中の相手にこれ以上の負担はよろしくないだろう。
「――コトリバコや広範囲に幻覚を見せるなんていう、人間がやるにしては相当派手な能力が目についた。そして、華葉は能力強化が得意な外奪と接触していた可能性がある」
ゲーム。
極限状況の実験。
悪魔との取引。
「――まさか、能力開発?」
龍磨の零した呟きに、としおと聖羅が目を丸くした。
「……俺の考え過ぎならそれでいいんだがな」
そこで未唯がギブアップを宣言したため、打ち止めとなった。
龍磨のクッキーで一息入れると、そのままお開きとなったのである。
●
一方その頃。
追い出されてしまった葉月は、待合室のソファーで暇を潰していた。
……あれー、私主催者じゃなかったかなー。
とはいえ『監督者として聞かせるわけにはいかない』と保護者に言われてはどうしようもない。
とりあえず挑戦中の文庫本を開く。読書家を名乗るにはやはり古典文学から入るべきだろうと図書館から借りてきたが、どうにも頭に入ってこない。
やっぱりやめときゃよかったという気もするし。
でもなんだかんだ人が集まってくれたのは嬉しかったし。
あー。
どうしよう。
すぐに気がそぞろになる。気持ちをもてあましながら、葉月はなんとなく視線を巡らせた。
そして硬直した。
葉月は立ち上がって逃げ出した!
「待、て。逃げる、な」
しかし回り込まれてしまった。というか腕を捕まれた。
いつの間に!?
隣にはぼうっとした表情をした仄(
jb4785)が座っている。全く気づかなかった!
「病院は――いえ、廊下は走っちゃダメよ、葉月」
「ぎえぇ!?」
ダブルパンチで品もクソもない悲鳴が漏れた。ケイ・リヒャルト(
ja0004)までもが気づいたらそこにいる!
「な、な、な、なんで! なんでここに!」
「決まって、いる、だろ、う。見舞い、だ」
「ええ。あたしたちもあの教室にいたのよ? センセイにはお世話になっているんだから、それは当然来るでしょう」
気づいてはいた。気づいてはいたけど。
全力で気づかないフリしてたら絡んでこないから、スルーしてくれているものだと思っていたのに!
葉月がこの二人を嫌がるわけは極めてシンプルである。
「随分、と、久方ぶり、だな。その後、息災、そうだ、な」
「元気そうで何よりよ。ちょっと淑女らしさは足りなくなったけれど、そこは追々よね」
『過去の所業を知られている』。というか『当事者』である。
忘れたい過去の象徴のようなもので、なんとか顔を合わせないようこの半年間やってきたというのに!
「いや、に、変装じみている、気がし、なくもない、が。口調も、似合わん、ぞ」
「いやー! いやーっ!」
「どう? 今度はUMAにも手を出してみない?」」
「やめてーっ!」
生きるのが、とても、つらい!
自分の殻にこもろうとしている葉月を見て、クスクスとケイは笑った。
ともあれこの堕天使の更正は上手くいっているらしい。ちょっと変わってはいるが、なんとか「年頃の少女らしい」感情表現になっている。
……と、いけない。
時計を見ると、病院自体の面会時間はもう少しだ。いたいけな後輩をからかうのもほどほどにしないと。
頭を抱えてしまった葉月にかまわず、仄はその膝元に文庫本を押しつけた。
「土産、だ」
カバーのかかった文庫本を開くと、タイトルを見て葉月はがっくりと肩を落とす。
「や、私もうこういうの、は……」
「無理矢理、趣味に、合わない、読書、は、苦痛だ、ぞ」
だから、興味のあるものから徐々に広げていくべきだ。
仄の差し出した本は、葉月がかつての名前で繰り広げた事件の元ネタに連なる一冊だ。ブームに合わせて最近発売された『現代のライトノベル風に書き直された』一冊である。
そもそも、元々の文章、それに忠実な翻訳版からしてかなり難解な文章なので、葉月は本読みとしてかなりの素養があるはずなのだ。
あとは変なこだわりを捨てれば、世界はそこからさらに広がる。
「うう……」
「あと、は、これ、も、やろ、う」
仄はラッピングされた小箱を差し出す。中身は何の変哲も無いリボンだった。おとなしい色のシックなデザインなので、好みから外れるということもあるまい。
葉月の反応も気にせず、仄はマイペースに話を続ける。
「……そう言えば、アイツは、どこ、だ?」
「……あいつ?」
「き……きみまろ……だった、か? 息災、だろう、か?」
かつてのシュトラッサーは、もうその力もなければ執事という縛りもない。
「漫談はやらねーわよ。……私の部屋にいるわ」
最近はすっかり落ち着いたので、おそらく部屋で惰眠をむさぼっていることだろう。そんな身内の恥を晒すわけにはいかないので、適当な表現でお茶を濁す。
「ならば、何より、だ」
……普通に心配されているのは理解できた。
それでも何というか、本当に落ち着かない。
多分プライドが許していないんだろうし、けれど今の葉月に主張すべきプライドなんて残っていないのも事実で。
とても歯がゆい。
「さ、て。見舞いの、品、だ。どれ、が、いい?」
どさり。仄はどこからか文庫本の山を取り出した。
「ど、どれって……」
「怪奇、ホラー、UMAも、捨て、がた、い。どれ、が、喜ばれる、と、思う?」
完全に葉月に寄せたチョイス――いや、これは単なる仄の好みなのだが、もう葉月はそこまで思考が回らない。
いかにもなタイトル、表紙。ぐるぐると混乱してきて、葉月はとりあえずうっちゃって逃げだそうと、
「逃げる、な」
今度は襟元を捕まれた。猫のような扱いである。
そして仄は一冊を決めたようだった。
「よし、ミステリに、する、ぞ。もちろん、乱歩、だ。葉月」
江戸川乱歩。かつてかの怪奇小説を最初に翻訳した日本人であり、葉月の名字の元ネタだった。
ちゃんと『今の』名前を呼んでくれたことの意味に葉月が気づくのは、もう少し後の話である。
●
もう春だ。面会時間の終わりは近づいているが、まだ外には日があった。
伸びる窓枠の影がベッドに落ちる。もう少しすれば夕焼けになるだろう。
「ごめんなさいね、入れ替わり立ち替わり」
「構わんよ。いい気分転換になった」
先客たちと入れ替わる形で、ケイは最後に訪れた。
未唯の顔色は悪くないが、やはり少し疲れたような印象を受ける。
「やっぱり無理してたんじゃない。少しは頼って欲しいって、前に言わなかったかしら?」
「面目ない。問題ないつもりだったんだがな」
苦笑しあう。その笑顔にもやはり疲れ気味で、あまり長引かせるのもよくないなとケイは思った。
「これ、私の差し入れよ。気晴らしにちょうどいいと思うわ」
携帯音楽プレーヤーと新品のイヤホン。中にはイージーリスニングなどのリラックスできる曲をいくつか見繕って入れてある。
本は集中しなければならないが、音楽なら適度に気分を散漫にしてくれるだろう。思い詰めているなら、その方がいいと考えた。
「そうか。あまり人のお勧めは聞かないからな。センスに期待しているよ」
こつん、と小さく時計の針が動く音がした。
「ところで、信田の話は聞かないのか?」
未唯の質問に、ケイはゆるく首を横に振った。
「それは後でも大丈夫よ。無理に仕事の話よりも……ねえ、先生。あたしじゃ力になれないかしら?」
ケイの真摯な瞳に、未唯は目を丸くした。
「なんだ、唐突だな」
「狐センパイの問題は確かに大事だけれど……。それだけじゃなくて、あたしは先生自身の力になりたいわ」
だから、もう少しでいいから襟を開いて欲しい。
なんだか他人のように思えないのだ。スイッチの切り替え、場による仮面の付け替え、どうしてもケイの在り方に似ているような気がしてしまう。
このままだといつか自壊してしまうような気がする。そんな心配をどうしても抱いてしまうのだ。
「むう。そこまで気に入られるようなことをした覚えもないんだが」
「別にそういうことじゃないわよ。……先生、人との壁が少し高すぎない?」
「……教え子に言われるとなんか堪えるな、それ」
こつん、と時計の音。
「もう、ここまで来ると教師と生徒もないんじゃないかしら。せめて戦友くらいには思って欲しいかしら、なんて」
「ははは、まあ、違いないな」
降参、と未唯は両手を軽く挙げた。
そしてその後はたわいもない雑談で時間が過ぎていく。
少しは肩の荷が降ろせたら、これからも預けてくれたら。
そう願いつつ、ケイは最後に静やかな子守歌を歌って、病室を後にした。