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死。
廃村に足を踏み入れた瞬間、感じたのは絶望的な死の臭いだった。
朽ち果てた建物、打ち捨てられた古い車、ざあざあ流れる川の音。
ただそれだけなのに、ありとあらゆる死という概念を流し込んで煮詰めたような、そんな気配に満ちた世界。
――どうして、こう、吐き気のするものばかり。
電話越しの飄々とした声を思い出して、遠石 一千風(
jb3845)は拳を強く握りしめた。
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空は曇天。風はなくて湿気った空気が停滞している。
立っているだけで黴が生えてきそうな陰鬱さ。強く流れる川の音だけが鼓膜を打つ。
「その道は罠だらけだな」
しかし気にした風もなく、牙撃鉄鳴(
jb5667)は簡潔に言った。
この村は道と廃屋だけで構成されている。中央に通り道が走っており、東西に四軒ずつ家屋があるという配置だ。
恐らく小学校のグラウンドほどの広さもないのだろう、かなりせせこましい印象を受ける。周囲を鬱蒼とした森に囲まれているから余計にだ。
かつては田畑もあったのだろうが、そういった生活の痕跡はすっかり自然に呑まれてしまっている。
朽ち果てた旧式の車と、切り倒されて苔むした丸太だけが、かろうじて文明の名残だった。
「数は分かる?」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)の問いに、鉄鳴はゆるく首を振る。
「範囲外を数えた方が早い」
けして広くない道に放たれた探知のアウルは、数えるのも億劫になる結果を返してきた。
コトリバコが罠として仕掛けられている可能性を、あの『先輩』は匂わせてきた。世上要がそういった搦め手を好むということも。
「そう……つまり地雷原ってことね」
ケイは嘆息した。
推測するまでもなく、コトリバコは目の前にたくさん埋まっているということだろう。
元ネタの『コトリバコ』なら効果も女子供に限られるかもしれない。
しかし今相対しているのは、あくまで怪談を下敷きにしたオカルト爆弾なのだ。事件の被害者に男性も含まれている以上、誰にでも効果があるものと見てかかるべきである。
「それじゃあ、土の色を見て動けばいいんだね」
あどけない声で、Robin redbreast(
jb2203)が何でもないことのように言う。
確かに目を凝らしてみれば、地面がうっすら斑模様になっている。そこを踏まなければ問題はないだろう。
「けど、いくつか潰しておかないと。いざという時動けない」
逢見仙也(
jc1616)が杖を取り出しながら言う。――戦闘時に足下を気にしている余裕があるかどうかが問題だった。
「外に釣り出すのはやめた方がいいかな? 鉄鳴くん、家の中は?」
盾を構えた九鬼 龍磨(
jb8028)の問いに、鉄鳴はやはり淡々と言い放った。
「――どの家にも仕込んであるな。周到だ」
『サーチトラップ』はその特性上、複雑な罠は見抜けない。どこに基準を置くかは個人差があるが、おおむねトラップとしての完成度が高いものほど読み取れない。
今回の結果はその逆だ。『単純な罠が山のように引っかかる』。質より量の大量生産ということだ。
「つまり、何発かは覚悟した方がいいってことだね……」
龍磨は盾をぐっと握りしめ、一歩を踏み出す。
「……それにしても、要自身はどうやって移動するつもりかしら?」
ふと挟まれたケイの疑問に、翼を展開した鉄鳴が答える。
「爆弾ではなく呪詛の類だ。この様子だと、仕掛けた本人には効果が無いように調整しているのかもな」
「なるほど。自爆は望み薄ってわけね」
斑色の地面。朽ちた家々。
その中には圧倒的な死の塊が山と積まれている。
すぐ近くに見えている村の奥が、果てしなく遠く映った。
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探索は、仙也と龍磨を先頭に据えて行われることになった。
二人とも男性で、なおかつ魔法に対する抵抗力が高い。不測の事態には『庇護の翼』によるカバーリングで対処する。
地道に慎重を期して、六人の撃退士は廃村に乗り込んでいく。
数歩歩くと、すぐに土の色が変わっていた。風化してはいるが、掘り返した痕跡だろうと思われる。
仙也は丁寧にそれを掘り返してみた。
案の定。
土を被ってなお、場違いなまでに装飾された箱が姿を現した。
「これか」
軽く触れてみる――それだけで、悪寒が背中を駆け抜けた。間違いない。これがコトリバコだろう。
血の臭いはしない、ぱっと見ただけでは凡庸な箱。けれど、確かに禍々しい。
仙也は精神を集中させると、解呪を試みた。
それを見て、一千風はそっと距離を取る。誤爆を防ぐためだ。まだ程度が分からない以上、女性である一千風はリスクを負うべきではない。
代わりに廃屋をそっと確かめる。
前時代的な作りの家屋は、もはやあばら屋と化していた。触れば今にも崩れそうなほど、脆い。
人が住まなくなった家は急速に滅びるというが、これではまるで白骨死体のような、
「……!」
扉に手をかける直前で気がついた。
糸が扉の板に結わえ付けられている。比較的新しい、裁縫用の糸。それがどこに繋がっているのかは分からなかったが、何を目的としているのかは自明だった。
家にも罠があると鉄鳴は言った。
「なんて執拗な……」
回り込んでみても結果は同じ。窓にもやはり糸の影が見える。
中は死の臭いに満ちている。
――何を考えているのかしら。
一千風とは別の家に聞き耳を立てながら、ケイはそんなことをふと思った。
未だに姿を見せようとしない世上要のこともそうだし、この状況を作った信田華葉のこともそうだった。
三つ目の家を探る。――気配はない。ぞっとするほど何も聞こえない。聞こえてくるのは川の音だけ。
コトリバコには生贄が必要だという。ならば捕らえた人質がいるのかと思ったが、どうもその気配すら感じない。
鋭敏にした聴覚は、確かに『自分達以外の誰か』がいる気配を聞き取ってはいる。
けれど大した動きが見えない。それが要だとして、まさかこちらに気づいていないのだろうか?
そもそも。この状況だけを見るなら、『犯罪者を摘発したので解決を依頼された』という形になる。
もし信田華葉が『聖女』の残党だとしたら、どうしようもない利敵行為だ。行動原理が破綻している。
――何を成そうとしているの?
今考えることではないかもしれない。だが、放置できない違和感だった。
「きりがないね」
不意にRobinがそんなことを言った。その手にはコトリバコが乗っている。
「あ、あれ、いつの間に?」
そういえばいつの間にか姿が見えなかったと龍磨は慌てるが、Robinはけろっとしたものである。
「大丈夫、解呪出来たから。強さの目印も分かったし」
言って、Robinは箱の装飾を指で突く。そこには二本の線が交差して、ちょうど「+」のような形になっている。
「この線の数で強さを分けているみたい。これは二つだからニホウだね。埋まってるのはイッポウとニホウがほとんどみたい」
口ぶりから察するに、もういくつか解呪を済ませたということだろう。効果覿面なはずの『少女』であるRobinが積極的に解呪しているのは、なんだかとても皮肉な構図だった。
「にはは……それはいいんだけど、やる前に言って欲しかったなあ」
「うん、ちょっとね」
Robinはにこりと笑う。そして、何事か龍磨に耳打ちした。
そして。
「ごっこ遊びに付き合うのもばからしいから、もう済ませちゃおうよ」
大きな声で、言った。
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沈黙。要への挑発は――どうやらまだ空振りらしい。
「そうね。怪談を実際に試すなんて、小学生じゃないんだから」
次いだのはケイだった。
既に東側の廃墟を調べて、中に誰もいないのは確認済みである。であれば、西側のどれか――じわじわ奥に詰めているのだから、一番奥の家と見ていいだろう。
「そろそろ観念して出てきたらどうだ、殺人鬼! お前がやっているのは、ただの卑劣な犯罪だ!」
一千風が叫ぶ。いくらかの本音を乗せて、怒号が廃村に響き渡る。
あれだけ『正義』とやらを主張していた相手だ。レッテルを貼り付けてやれば怒りもするだろうと踏んだ。
――けれども、やはり反応がない。
「野垂れ死んでたりしないよな?」
仙也のぼやきに、ケイは首を振って否定する。
「いいえ、誰かがいるのは間違いないわ」
「……じゃあ、乗り込むしかないってこと」
沈黙が降りる。
ざあざあと川の流れる音が聞こえる。
朽ちた扉は、どことなく手招きしているような錯覚がした。
「仕方ない、俺が開ける。フォローは頼んだ」
「……分かった」
仙也が扉に手をかける。龍磨は頷いて全員を下がらせた。
どの家にも罠が仕掛けられていることは確認した。ならば、当然ここも例外ではあるまい。
いや。分かっているからこそ、なおさら強烈な圧迫感を感じた。
意を決して扉を開く。
瞬間、目に見えるほどの『ナニカ』が、扉から溢れだした。
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何か。何かは何かとしか言えない。どす黒いオーラのような、もやのような、瘴気のような、そんなものが廃墟を丸ごと包み込んだ。
「――づ……」
ぐらり。
盾で凌ぐも、思わずバランス感覚が崩れてしまう。そのくらい圧倒的な質量が仙也の身体に襲いかかった。
「っ!」
爆弾。世間ではそう例えられていた。良くないことに、実に正鵠を射ていたらしい。
容赦なく後ろに下がった面々にまで被害が及ぶ。龍磨はとっさに庇護の翼を広げて女性陣を庇った。
身体中の精気を毟り取られるような錯覚。血が凍り、脳髄が痺れ、脊髄が反射する。
「逢見さん! 九鬼さん!」
一千風が思わず叫ぶ。
龍磨は遠くなる意識をなんとか握りしめると、自身の代謝を瞬間的に活性化させた。
「だい、じょうぶ……」
神経に叩き込まれた呪いを強制的にシャットダウン。汚染された血液を排出。骨髄をフル稼働させて補填。
結果として喀血するという図になったが、なんとか重症は免れた。
「チ――確定で最大火力か。趣味が悪い」
悪態をつく。それでも仙也は耐えきった。
ぱちぱちぱち。
拍手の音がした。
「いや、普通に耐えられるとはね。正直侮ってたよ。今時の後輩はすごいねえ」
軽薄な、ICレコーダーから聞こえたあの声だった。
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世上要は、廃墟の奥にゆったりと腰掛けていた。
――山と積まれたコトリバコに囲まれて、悠然と待ち構えていた。
「動くな! 指一本動かしたら切り落とす!」
その意味に行き当たって、一千風が吼える。だが要は、
「切り落とす、ってどこを? やだ、怖い怖い」
おどけるようにひらひらと手を振る。
「ふざけるな! こんなことが許されるとでも!?」
「許されるよ。当たり前じゃん」
まるで会話が通じない。
ケイは一千風を手で制すると、しかし容赦なく銃を突きつけた。
「――一応確認するわ。武器を捨てて投降しなさい」
「おかしなことを言うね。まるで犯人に対峙した警察だ」
「間違いなく犯罪者に対峙した撃退士よ。あなた、頭大丈夫?」
処置なし。信田華葉絡みで何度か相対した、『根本的にズレている』手合いだと確信した。
人間のような何か。とはいえ、一千風にはまだ躊躇があった。
撃退士の力。天魔から人々を守るために授かった異能。それをいくら大量殺人犯とはいえ、人間に向けるのは。
Robinが口を開いた。
「ねえ、どこの悪魔の差し金?」
「は?」
意外にも、これに対して要は食いついた。
「だってその箱、ディアボロだよね?」
「違う違う。正真正銘、人間の力で作り上げた代物だよ。何でもかんでも天魔のせいっていうのはちょっと時代遅れだって」
開き直るのとも違う。むしろどこか誇らしげに、世上要は言い放った。
限界だった。
「何人――何人殺した!」
思わず漏れた一千風の怒りに、
「『お前は今まで食べたパンの数を覚えているのか?』」
嬉々として、そう答えた。
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一千風が飛び込むのと、要が腕を振るうのはほぼ同時だった。
世上要の現役時代はダアト。それなら、得意な攻撃は遠距離魔法攻撃。そして得物は魔導書――
先んじてケイの銃弾が本を撃ち抜く。腐食の弾丸は間違いなくV兵器を蝕む。要の魔法はあさっての方向へ、
コトリバコに着弾した。
部屋に呪いが溢れ出す。密閉空間では避ける手段もなく、
「まだまだ!」
龍磨と仙也が庇いに入る。先ほどよりも弱い箱だったのだろう、倒れるには至らない。
そして、吹きすさぶ呪いの逆風を一千風は踏破した。
阿修羅の膂力を以て、一瞬で世上要への距離を詰める。そしてそのヘラついた顔を、全力で殴り飛ばした。
いや、殴り飛ばした、のだが。
――軽い。
受け身を取られたかのような。手応えの違和感に気づくより早く、吹き飛ばされた要は廃屋の壁に叩きつけられた。
すると、くり抜かれたように綺麗に壁が抜けた。そしてそのまま『背後の川』へ落ちていく。
川の流れは速い。木の板は軽い。要は器用に板の上に乗ると、川上に向かって魔法を構えた。
「な――」
遊園地のアトラクションを思い出す。アレがやろうとしているのは、
「ばいばーい」
水流のジェットコースター。要は魔法を推進力にして、一瞬のうちに視界から消えた。
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世上要は元撃退士である。故に、撃退士に対しての戦力計算はすぐに終わった。
結論。勝ち目がない。
所詮引退した身である要にとって、最前線で戦う撃退士が六人。相手になるはずがない。
罠をいくら仕込んだところで、時間稼ぎにしかならないだろう。今の戦争は、自分がいた頃よりも遥かに激化しているのだから。
だから、逃げることに注力した。正面突破が不可能なら、とにかくこの廃屋にまで引きつけて、一か八かの逃亡劇。
その僅かな可能性にかけた。
その結果が、
「……うん。一人、足りないとは思ってた、んだ」
川下。村の入り口付近。
勢いを付けて下った結果、そこにあったのは『川をまたいで置いてある廃車と丸太』だった。
気づいたときにはもはや手遅れで、あえなく正面衝突。車の部品が見事に土手っ腹をぶち抜いた。
鉄鳴は、磔になった要のその心臓に、容赦なくレールガンを突きつけた。
「躊躇いなく逃げを選ぶのは悪くない。が、そんな手を想定していないはずがないだろう」
Robinが思いつき、龍磨と協力して設置した『保険』。鉄鳴は上空からその意図を察し、敢えて待機を続けた。
「遺言があるなら聞いてやる。例えば貴様を売った信田華葉への意趣返しとかな」
「へえ、意外と、優しいんだ」
けれど、要はふるふると首を振った。
「いや、申し訳ないけど。既に彼の目的は済んでいる、としか言えない」
要領を得ない回答。けれど要とて、これ以上の事は答えられない。説明するには生命力がもう足りない。
「そうか」
そして鉄鳴は容赦なく、弾を三発撃ち込んだ。心臓に二発、脳天に一発。
正直な話。鉄鳴にも世上要の言い分は理解できてしまった。
ただそれを『正義』などと宣うのが我慢ならなかっただけ。
清濁併せ持って世界は成り立つ。綺麗なだけの世界などあり得ない。
人殺しは『悪』である。たったそれだけの話だった。