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午後二時。
刀を抜いた二人のヴァニタスを前にして、しかし撃退士達は素手だった。
「な、舐めてるのか……!」
前に立った宗一が唸る。二刀流は、剣道でもやっていたのか、割と様になっていた。
「……宗兄ぃ」
だが、後ろの永遠は明らかに萎縮していた。縋るように宗一の服の裾を掴む。見れば宗一だって震えている。
当然だ。二人にとってはこれが初陣で、目の前には戦力も経験も圧倒的に違う撃退士。
結果など始めるまでもなく自明であり、
「まあ待て、誰も邪魔をするとは言っとらん。まずは話を聞かせてくれんか?」
故に、アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)は、何も持たない右手を差し出した。
二人が話した『事情』は、おおむねフローレンスから聞いていた内容と一致した。
カルト教団に両親を殺されたこと、自分たちも実験材料にされそうになったこと、あわやというところで悪魔に縋り付いたこと。
威嚇しながらも戦力差に怯える二人は、まるで子犬のようだった。
「なるほど、事情は分かった。君たちの邪魔はしたくない――むしろ、手伝わせてくれんか?」
「――え?」
優しいアルドラの言葉に二人の瞳が揺らぐ。悪魔の囁きが、切羽詰まった二人の心に染みていく。
「そうだな、目的が一緒だ。ここは協力と行こうじゃないか」
警戒心が緩んだところに、ミハイル・エッカート(
jb0544)は自分のスマートフォンを二人に見せる。そこには『教会』の暗部――人体実験を初めとした悪巧み各種の証拠が収められていた。
「……むゆ、どういうこと?」
全く理解していないのか、頭にはてなマークを浮かべる永遠である。
「連中に、死ぬよりキツい引導を渡してあげるってことよ、可愛いわんこちゃん」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は微笑むと、書類が詰まった封筒を取り出した。中にはやはり問題しかない書類の山。
「……告発するつもり?」
はっとしたように宗一が呟く。意を得たりと撃退士は頷いた。
「そう、二度とお天道様の元を歩けなくしてやるんだ」
「今ここで終わってしまうのと、長い余生を監獄で過ごす。さて、どっちが辛いのかしらね?」
くつくつ笑う二人の大人に、宗一は目を逸らした。
「でも、それじゃ――」
そしてきつく刀を握りしめる。気が収まらない、とその表情が語っていた。
「ダメだ。君たちはまだ『何もしてない』。だからまだ間に合うんだ」
それを、アルドラは窘めた。
「いいか。君たちが誰かを殺せば、その時点で『討伐対象』になる。相手が何であれ『人間を殺した悪魔』として扱わなくてはならなくなるんだ」
強い語調に二人は押される。そこに逢見仙也(
jc1616)が手を伸ばした。
「まあ、戦闘したいってんなら止めないけど」
仙也の気怠げな言葉と共に、指先から派手な放電が起こる。「ひう!」と永遠が身体を強ばらせた。
「俺の攻撃は派手だから、そこのカルト連中には逃げられるよ?」
「う……」
怯んだように宗一が一歩後じさる。
「俺は別に構わないけどね。死ぬほど痛い思いした挙句、復讐相手に逃げられてもいいなら」
シニカルに笑う仙也に、宗一は歯噛みする。けれど明らかに戦意が折れた。
ここで戦闘を行っても、二人には何の利点も存在しない。勝ち目はなく、目的も遂行できず、待っているのは殺処分。
しかし、
「……協力してくれるっていうんですか。何のために?」
敵であるはずの撃退士は、お節介にも手を差し伸べてくれるという。心底怪訝そうに、宗一は訊ねた。
アルドラは言った。
「君たちがまだ生きるべき命だからだ。それをむざむざ見捨てては、誰も幸せにならん」
手段はどうあれ、この二人は己の信念に基づいて行動しようとしているのだ。それを見過ごすのは、アルドラの理念にも反していた。
「まあ、加えるなら馬琴への冒涜を防ぐためでもあるな」
「人としての幸せを投げ捨てた上、私怨で人斬りするのが八徳の示すものとは到底思えないしねえ」
仙也の皮肉に宗一が苦い顔をする。それでもその通りなのだ。
悪魔に身を窶すことを死んだ両親が望むわけもなく、私怨による復讐は人道に悖る。
「それに、君たちの力はまだまだ活かせる場所がある。思ったよりも世界は優しいぞ、『同胞』」
アルドラの言葉に、二人は顔を上げた。
「それって――」
「――受け入れ準備は調っている。後は君たち次第ということだ」
既に学園の門は開いていると撃退士は笑った。
●
前後して、午後一時。
『先生』は後悔していた。
「孤児のネットワークで、よりグローバルな信頼関係をですね……」
この施設は教会を模している。教会である以上は礼拝堂が必要で、原則出入り自由なのだ。
「近年中には全国の学校でWi−Fiが導入されますし……」
だからうっかり対応してしまった。せめてインターフォン越しなら居留守が使えたのに。
髪を一つに纏め、眼鏡にスーツの美人。外回りに疲れたOLに見えてしまった。
「ですから、うちはそういうのはちょっとですね」
「是非一度ご検討を。子供達に何かあってからでは遅いのですよ?」
だと思ったらただの販売員! しかもやたら強かで、何を言っても暖簾に腕押し!
果たして、四十分近く時間を食わされた。これから大事な会議だと言うのに、なんという厄日。
「クソッ、インチキ業者が……!」
『先生』は憎々しげに毒づきながら、一旦奥へ引っ込んでいった。
「そういうのは、鏡を見てから言いなさい」
扉の影に潜んでいた販売員は小さく笑った。そして携帯電話を取り出す。
大丈夫、これからもっと酷いことになるから。販売員――ケイは『結果』を聞きながら、変装を解くために一度教会を離れた。
その間の出来事である。
橘 樹(
jb3833)はするりと壁から抜け出した。
「こ、これは地下室だの!」
陰陽師の潜行に悪魔の透過を合わせることで、一般人にはほぼ観測不能になる。当初は床下から潜り込むつもりだったのだが、思わぬ形で大当たりを引いたらしい。
「ほむ。これは、いかにもだの……」
ファイルが詰まった資料棚。何に使うのか分からない機械類。――拘束具の付いたベッド。
「あけび殿、これは完璧に駄目な奴だの――」
「――地下室。まさにカルト教団って感じだね……」
裏口に回っていた不知火あけび(
jc1857)はそう返答する。樹の『意思疎通』が繋がっているため、離れていても会話が成立している。
二人は潜入調査に回ることにした。
方針が早々に『永遠と宗一の保護』に定まり、それなら組織の摘発は必須である。無論、見過ごす理由なんてないのだが、
――なら、それも説得の材料にしましょう。
あけびの判断は早かった。それに情報収集は先手であるべきだ。万が一取り逃して、証拠隠滅なんてことになったら目も当てられない。
……そういえばあの時ミハイルが「流石忍者だな」と笑ったが、アレはもしかしてからかわれたんだろうか。
そんなことを思った瞬間、裏口の鍵が開く音がした。
樹である。
「今だの。ケイ殿がうまくやってくれているみたいだの」
「よし、手早く行こう」
二人は改めて足音と気配を消すと、速やかに地下室へ潜っていった。
そして。
「うん、これは本当にダメなやつだ……」
可能な限りの資料を回収する。そこに記されていたのは碌でもない内容ばかりだった。
「これはもう、フローレンス殿に改造された方がよっぽどマシだの……」
人体実験。覚醒者を作る――ではなく『生体兵器』の作成。言うなれば人間勢力のサーバント・ディアボロ。
何を思ってそんな実験を始めたまでかは掴めなかったが、これだけあれば十分だ。突き出すには十分な証拠が揃っている。
あけびは先に裏口から出て、後に続いた樹が透過しながら鍵を閉める。
間一髪、毒づく『先生』の声が聞こえてきた。
――言うまでもなく、実際に犠牲になった子供もいる。
これはいよいよもって、許されない連中のようだった。
●
そして、午後三時。
この施設が孤児院を兼ねている以上、教会の扉とは別に住居用の入り口が存在する。そしてそこにきちんとインターフォンが設置されていた。
ミハイルはその前に立つと、「もふもふ」と小さく呟いた。そして呼び鈴を押す。
ぴんぽーん、というありふれた音。そしてしばらくの静寂。
……やがて、『はい』という気怠げな男の声が聞こえてきた。
ミハイルはサラリーマン然とした丁寧な口調で、こう切り出した。
「失礼致します。わたくし、市役所の福祉課の者なのですが。児童手当加算申請の周知のため、お子さんのいるお宅を回っております。少々、お時間よろしいでしょうか?」
少しの間。
インターフォンにカメラが付いていることは見れば分かる。ミハイルは笑顔のまま、辛抱強く待った。
そして、
「立て込んでるんで、手短にお願いしま――」
男の声と共に少しだけドアが開いた。チェーンロック越しという、おおよそ孤児院としてはあり得ない対応であり、
それだけあれば十分だった。
「すまんな、あれは嘘だ」
にわかに霧が漂う。それは瞬く間に男の鼻腔に滑り込み、男は姿勢を崩した。
そして即座に引き出したミハイルの銃がチェーンを撃ち抜く。ドアが開くと共に、男はずるりと倒れ落ちる。完全に眠りに落ちていた。
「匿名のタレコミがあってな。調べさせてもらうぜ」
ミハイルはその額を掴むと、ここ三日ほどの記憶を探り取った。
「二階建て。出口は教会へ抜ける道と裏口、地下通路。対象は残り四名、うち覚醒者は三十代男性一名のみ。子供達は二階の奥の部屋!」
簡潔かつ冷静に要点を。それはハンズフリーのスマートフォン越しに、全員に共有される。
「さてお二人、お仕事だ。君たちの友人を助けに行くぞ!」
「うん!」
先陣を切ったアルドラに続いて、永遠が元気な返事をする。
「子供達を盾にするかもしれないわ。どこかしら?」
「こっちです。誰かいるとしたらその前の部屋!」
ケイの指示を受けて、宗一が先を行く。
すると丁度階段を降りてきた『先生』と鉢合わせた。
「な、なんだお前ら!?」
「薄情だなあ。一応は育ての親なんだろ?」
さらっと言うと、仙也の投げた鎖がその足をひっかける。突然の闖入者に動揺していた『先生』は、そのまま無様に転んだ。
そこに永遠と宗一が乗りかかる。二人は刀を引き抜いて、冷めた瞳で『先生』を見下ろした。
「お前らが」「俺達の家族を」「殺したんだ」
「ヒ――」
突き刺すような殺気に、『先生』は声にならない悲鳴を上げる。そしてそのまま気絶した。
「うむ、これでこいつはもう逃げられん。司法と世間が罰を下してくれる」
「――うん」
アルドラの言葉に、二人は刀を収める。あれほど憎んでいた仇の一人は、なんてことはない、ただの人間だった。
「よくできました。それじゃあ、子供達を助けに行きましょう」
「――はい!」
勢いよく階段を駆け上がる二人に追随する。その様に、ケイは小さく微笑んだ。
地下通路を男が走る。いかにも高級そうな服を着た、それでいてどことなく歪んだ人相をした二人。
こんな話は聞いてない。久遠ヶ原には割れてなかったはずなのに、と二人は喚く。
けれどここからなら逃げられると安堵し、
「ほう、それは興味深い話ですね」
「どうして、わしらには割れていないと断言できるんだの?」
――道が塞がっていた。本棚やベッドで、しっかりと逃げ道を塞がれていた。
「まあ、それは今はいいんだの」
「そうですね。取調室でじっくり話してもらいましょう!」
一般人の二人にはなすすべもない。瞬く間に取り押さえられ、意識を失った。
何のことはない。「もふもふ」という合図と共に、樹とあけびは同様の手段で先回りした。故に地下通路は塞がっている。
「逃がすかクソ野郎!」
最後の一人。三十代の男は躊躇うことなく撤退を選んだ。礼拝堂に続く扉を抜けようとする。
――他よりも足が速い。となると、コレが唯一の覚醒者だろう。
だが所詮は在野。歴戦の撃退士達に敵うはずもなく、それを察してすぐ逃げる辺りは評価に値する、が。
礼拝堂に抜けたその瞬間、あっという間に意識を失った。
霧が充満した礼拝堂。ミハイルのスリープミストを、永遠の刀が発した霧で固定したものだ。どうやら相性が良かったらしく、持続時間と効果が強化されるという偶然のマリアージュ。
「……ちょっと拍子抜けだが」
効果がありすぎるのか、相手が弱すぎるのか。ともあれ、ミハイルは気絶した男の額に手を当てた。そしてコホンと咳払い。
「――お前らのやってることは、まるっとさくっとお見通しだ!」
芝居がかった声と共に、『証拠』がミハイルの脳裏に流れ込んできた。
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午後四時。
救急車が子供達を搬送する。無事ではあるが、状況を鑑みて一度検査を受けることになったのだ。
サイレンの音を見送りながら、永遠と宗一は立ち尽くす。
――異形のヴァニタスを見て、子供達の目は確かに怯えた。かつて一緒に住んでいたはずの友達は、二人を認識できなかった。当たり前の話だが、それでも来るものがあり、
「大丈夫。ちゃんと伝わってるよ、君たちがヒーローだって」
「わぷ」「うわ」
そんな二人を、あけびは後ろからがばりと抱きしめた。
「そうよ。貴方たちは確かにあの子達を守ったわ」
優しく言って、ケイは二人の頭を優しく撫でる。
「十分に敵討ちは果たしたよ。後はもう、幸せになることが親孝行だと思う。これ以上やるのははもう、義じゃないよ」
「そうだのう。学園ならわしみたいな悪魔やら色んなひとがいるからの! 楽しいことが一杯あるんだの!」
「ふわ」「むう」
あけびに追随するように樹まで二人をもみくちゃにする。
ふわふわでさらさらの、とても気持ちいい感触。
「というわけだ。改めて、二人とも学園に来ないか」
ぷにぷに。あ、柔らかい。アルドラも真面目に言っているはずなのだが、もはや不可抗力だ。
「そうだの。わしと友達になってほしいんだの!」
「わ、わー!」
もふもふ。そう、一息ついてみれば二人のなんと可愛らしいことか。
「わ、分かりましたから! ちょ、ちょっと!」
もふもふ。この、なんとも抗いがたい魅力なことか!
そして満足するまで、二人はもふり倒されたのである。
「……何やってんの?」
呆れたように仙也が呟く。少し離れた場所で、ミハイルは召喚したフェンリルをもふもふしていた。
「いや……確か二人とも中学生だろ。中学生をオッサンが触りまくるのは犯罪だろ……」
「ふうん」
興味ないとばかりに、仙也は一段落付くのを待っていた。
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「ところで、そろそろ猫ちゃんの実力も見たいのだけれど」
報告。何故か普通に(通話越しに)参加しているフローレンスに、ケイはそう伝えた。
「働いたら負けかなって思ってる」
「つれないわね。まあ、考えておいて」
「ういおー。まあ、お願い聞いてくれたからね。なんか考えておくお」
その約束が果たされるかは、定かではない。