●
まるで安価なステーキハウス。
ぱちぱちという炎の音、辺りに漂う脂の焦げる臭い、そして、
がつがつがつ。
獣が肉を食い散らかす音。
巨大な狼と獅子が、マナーも遠慮も一切無視して、何か布きれのようなものが残った肉を奪い合っている。
そんな地獄絵図を背後に、天使は悠々と佇んでいた。そんなことは些事だとでも言わんばかりに、現れた撃退士達を見下ろしていた。
「さっさと去ね、有象無象が」
天使は端正な青年の面持ちをしている。背は高く、ハリウッド映画の俳優と言われても納得しそうな美貌である。『一切汚れていない』その身体は、なるほど確かに天使的だ。
そんな御使いじみた天使――ジュライ・ダレスはしかし、現れた八人の人間を、打ち捨てられた家畜でも見るかのような視線で蔑むのであった。
「そういう大口は、ザインエルぐらいの実力を持ってから言いな」
そんな傲慢を受け止め、押し返す。先頭に立っていた龍崎海(
ja0565)は、強い視線を以て一歩先へ踏み出した。その目前に、宙に浮いた盾が具現化される。
「――まあ、そのザインエルも、この有象無象達に追い返されたわけだけど?」
さらにもう一歩。天使の目が海を見る。にぃと笑ってそれに応えた。
「いやあ、最高ですね」
不意に響く拍手の音。数多 広星(
jb2054)はシニカルに笑った。
「人間と悪魔を殲滅するためには手段を選ばない。双方が因縁の決着を付ける瞬間、というのもまさにベスト。褒めるところしかありません」
あくまでもフラットに、皮肉ではなく、
「――まさにゴミクズの所業で弱者の手段だ。素晴らしい」
裏社会の人間として、惜しみない賛辞を送った。
――無論、そんな機微など天使に伝わるわけもなく。
天使は小さく息を吐いた。呆れかえったような仕草にも見えた。
「つまらん。なんとも浅ましく、愚かしく、安い挑発だ」
そしておもむろに右手を上げた。
「だが、看過するには思い上がりも甚だしいというものだ。よろしい」
べしゃり。狼と獅子が、貪っていた肉を無造作に放り捨てた。
「塵芥は処理せねばな」
刹那、蝶の羽が滑り込んだ。そして手にした自動拳銃が、弾丸の雨を天使に降らす。
「――ここは任せたわよ」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は海に小さく言い残すと、そのまま砂埃に紛れて消えた。
●
「煩わしい」
土埃の向こう、天使の手が無造作に振るわれた。見るからに雑な一撃を、海は盾で受け止めた。
「…………ッ!」
着弾の瞬間、盾にアウルの鎧を纏わせる――殆ど反射的だった。経験に裏打ちされた直感。それが明暗を分けた。
――まともに食らったら消し炭になる。
海の武装もスキルも『壁役』として調整してきた。その海ですらこのダメージを受けるというのなら、なるほど撃退士と悪魔を纏めて殲滅出来るのだろう。実に認めたくない現実である。
だが、何も『撃退』とは討伐のみを意味しない。
海は視界の端、天使陣営の向こう側に、ゲートコア方向へと滑る蛇を確かに見た。
「――他のゲートコアにも蛇がくっついてた! アレをコアに近づけるな!」
先日の調査任務、そして悪魔のゲートにまつわる一件、海はどちらにも参加していた。その経験が最適解を弾き出す。
――要は、相手の目的を達成不可能にしてしまえばよい。アレが『乗っ取り』の鍵ならば、破壊すればそれまでだ。
「……ガンバルゾー……」
同じく調査任務に関わっていたベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)は、意を得たりとサムズアップした。そして召喚したヒリュウと共に、ゲートコアへと駆けていく。
天使ジュライの表情がにわかに険しくなる。その表情が『図星を突かれた』と雄弁に物語っていた。
「……まあ、小細工を弄したところで変わらんな」
重苦しく言うジュライの前に巨大な獅子が立ちふさがる。見るからに雄々しい肉体には傷一つ無い。ケイの放った弾丸は、確かにコレも巻き込んだはずなのに。
「まあいい。早々に駆逐するとしよう――ジェヴォーダン」
フランスの魔獣の名を冠した二体の狼が、それぞれ海に襲いかかる。海は盾を駆使してその爪と牙を捌ききった。
●
「あいつら追ってこないわね……」
全力疾走でゲート入り口に滑り込みながら、雪室 チルル(
ja0220)は憮然と呟いた。
連中の目的がゲートコアなら当然こちらに意識を割いていないはずがないのだが、天使ジュライは一顧だにしない。
「それだけ舐めてるってことでしょうねー」
光信機越しに、先行していた間下 慈(
jb2391)が返答する。その声音は平坦で、微妙に感情が窺えない。
「……舐めプ……ピノキオ……鼻っ柱チェーンソー……ジャスティス……」
イェーイ。言いながらもベアトリーチェはヒリュウと共に内部を探る。
「それとも、海と広星の挑発がよっぽど効いたのかしらね?」
何にせよ好都合だとケイは涼やかに言った。念のため二手に分かれた上で気配を消していたのに、とんだ肩すかしである。
ゲート内部はゲートコアを覆い隠す最後の砦だ。
天魔にとってゲートとは最大級の奇跡であり、文字通り人生の一部を賭けたプロジェクトである。故に簡単に破壊されては意味が無い。そのため、コアは簡単には分からないように隠されているのが定石である。
もっとも、ここは作成者の気質が如実に表される部分でもある。
残念ながら、このゲートの創造主である悪魔マヘスはあまり知略に長けたタイプではなかった。その辺りの軍略は仲間に任せ、突撃するタイプの将だったのである。
つまり、ゲート内部は実に『ありきたりな』構造だったのだ。
植物の絡みついた迷路にはなっているが、ある程度の経験を積んだ者ならあっという間に看破出来るような、何処に出しても恥ずかしくない教科書通り。恐らく時間稼ぎになれば儲けものくらいの認識だったのだろう。
しかし問題は。
「こうなってしまった以上は先手必勝ですねー。蛇の狙いはコアですしー」
討伐対象を見失ってしまったことだと慈がぼやく。石塊の多い地面と、土壁に太い蔓が絡みつくアナクロな迷路は死角に溢れている。おそらくはそういう実用性を含めての『蛇』というモチーフなのだろう。
ケイは相手の気配を探るが、地味に迷路の作りが邪魔になって上手く見えない。良くも悪くもマニュアル通りということだ。
「そうね、コアで迎え撃ちましょう」
どうせお互い目的は同じだ。嫌な待ち合わせだが、その方がよっぽど確実である。
ここで重要になってくるのが、『コア内部特有の圧迫感』を感じないということだ。通常、ゲート内部は敵対勢力の力を抑えるように設計されている。天使は悪魔を、悪魔は天使を、撃退士については何をか況んやだ。
だが、四人の撃退士はいつも通りの力がみなぎるのを感じる。『悪魔マヘスがゲートの設定を対天使に設定した』というフローレンスの前情報はどうやら正しかったらしい。
つまり、こちらは万全。対して蛇は抑圧を受けているということだ。
勝ち筋は十分に残されていると言えた。
●
がきぃん。飛びかかってきた狼の牙を、海の盾が弾き飛ばした。
「ッ、この――!」
瞬間、盾からアウルの衝撃波が放たれ、狼を貫く。手応えは――そこそこ。受けたダメージの回復は――心許ない。
一般的なサーバントと比べても遙かに『硬い』。魂を吸い取ろうとしても帳尻が合っていない。このままではジリ貧である。
狼は優雅に地面に降り立った。まるでダメージなどあってないかのような振る舞い。その傲慢さは主によく似ており、
ゴ。
漆黒の焔を纏った聖骸布が、その土手っ腹を確かに打ち据えた。ギャンと無様な声を上げて、狼はよろめく。
「――――」
諧謔の名を持つ鎧通し――確かな手応え。しかしまだ遠い。マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)はそれを確認すると、静かに迎撃の姿勢を取った。
ジュライの視線がマキナに向く。
「木偶が。大人しくしていればいいものを」
「――舐めるな、と言いたいところですが。そのままで結構ですよ」
生憎、そんな安い挑発に乗ってあげられるような精神構造をしていない故に。
それに。
天使の背後。きらりと上空で魔法陣が煌めいた。
「――む」
ジュライが反応するより早く、光の驟雨が天使達を打ち据えた。
天使を、獅子を、二体の狼を、マシンガンのような光の魔弾が包み込む。
「背中がお留守だ、団体さん」
奥義・蒼刻光雨――負担が大きいから無差別に撃っているというのに、見事なまでに敵だけを撃ち抜ける陣形になっていた。ここまで綺麗に誘導に引っかかってくれると、もはや皮肉を飛ばす気も起こらない。
「終焉(おわ)らせるぞ、偽神」
会敵と同時に背後に瞬間転移していたアスハ・A・R(
ja8432)はマキナにそう告げる。そして魔刀を仕舞い、即座に鋼糸を呼び出した。
「いやはや、傑作ですね。見下していた有象無象の、こんな見え見えの策にまんまと引っかかる。実に弱者だ」
駄目押しとして、広星は炎の塊を土埃の向こうへ撃ち込んでいく。
だって、ここまで来ると滑稽でしかない。相手を見下している割に、やっていることは雑な力押しなのだから。
「弱者とは? 弱いものという意味ですよ。だから強いコマを揃えて、勝てるタイミングを見計らって、奇襲を掛けるようなことでもしないと勝てないゴミクズです」
天使が偉大だと言いたいのなら、正々堂々と勝てばよかろうに。まさに漁夫の利を狙ったあくどいやり口だ。
いや、別にそれが悪いことだとは広星は思わない。闇社会に生きる者として士道など論外、実力が上の者に対しての奇襲というのは立派な解法の一つだと考える。
愚かしいのは、自分の行為がそういうものだと自覚せず、どこまでも思い上がれるその精神だ。
「分かるよなあ、ゴミクズ? まあ、流石は天使だとでも言おうか」
さてさて、これで余計に茹で上がり、どんどん攻撃が雑になるだろうと広星は再び気配を消、
「――言いたいことはそれだけか?」
土埃が『吹き飛ばされた』。
あれだけの猛攻に晒されてなお、天使は『傷一つ無く』悠然と立っていた。
その傍らには雄々しい獅子が立ちふさがっている。その身体には、『ほんのちょっとの掠り傷』。
「――――」
流石のアスハも息を呑んだ。
――獅子は浅葱色の盾のようなものでジュライを覆っている。おそらくはあれで攻撃を庇いに入ったのだろうが、だとしても『二人分』の光雨を受けてその程度で済んでいるというのか。たかがサーバントの分際で、非常識にも程がある。
「一つ、思い上がりを正しておかねばな」
天使は二回、手を振った。途端、鋭い光の弾が地面に放たれる。
それは丁度、背後に回ったアスハを除く三人を囲むように、
「――いけない!」
海の叫びをかき消すように、地面が唸った。
「これは余裕と言うのだ。『弱者』共」
そして光に包まれた。
●
激しく地面が震動する。
それはゲート内も例外ではなく、そしてこのゲートは地下へと潜っていくダンジョンのような構造をしていた。
つまり下り坂が多いのである。それも割と急斜面。
「ひょわーーーーッ!?」
「……ガッデム……」
間の悪いことに、チルルとベアトリーチェが長いスロープに足を踏み入れたタイミングだったのだ。
手すりなんて気の利いたものが存在するはずもなく、二人はバランスを崩してそのまま転がり落ちていく。
「……メリーポピンズ……イェーイ……」
「ちょ、ずーるーいー!?」
もとい、ヒリュウに拾い上げられたベアトリーチェを残して、チルルだけがごろごろごろと転げ落ちていった。
「大丈夫ですかー?」
慈の呼びかけに、「だ、だいじょーぶー!」と元気な声が返ってくる。どうやら階段構造でなかったことが幸運に働いたらしい。変に頭をぶつけたりすることもなく、ギャグ漫画のように転がり落ちるだけで済んだようだった。
「大丈夫、何があったの――?」
一方で、ケイはゲート外の4人に通信を試みる。この状況で『ただの地震です』はあり得ないだろう――いや、それはそれで歴史に残る大災害になってしまうのだが――そのくらいの揺れだった。
応えたのはアスハだった。
『天使が範囲攻撃を撃った。僕以外の3人が攻撃範囲内だ』
アスハの声は淡々としている。
「被害状況は?」
ケイも務めて冷静に応える。――状況次第ではこちらの動き方も考えなければならない。
『少し待て――――ッ』
不意の衝撃音。アスハの口から息が漏れるのが聞こえた。
「どうしたの?」
『……攻撃された。どうやら伏兵がいるらしい。状況が分かり次第、すぐに連絡する』
「了解。危なくなったらすぐに連絡を頂戴」
通信が切れる。
伏兵――見えていた敵は天使と狼、獅子、そして蛇。動物三つは見るからにサーバント――そうか、天使陣営と言えばシュトラッサーが足りないのだ。こうなると四対三プラスアルファ。つまり数の差でも不利ということ。
ちんたらしている暇は一切ない。ケイは螺旋階段じみたスロープを、一足飛びで駆け下りた。
「まったく、腹立つわね!」
ぐらつく視界が収まるのを待ちつつ、チルルは毒づいた。
あのいばりくさった天使め! すぐにでも殴りかかりたいくらい腹が立つ態度だった。
しかしそれでは『コア死守&脱出役』という自分に与えられた役割が台無しである。ぐっとこらえてここまで来た。だのにこの有様はなんというか、もうちょーぜつに腹が立つのである。
――ぜーったい、返り討ちにしてやるわ!
視界が元に戻る。怒りをエネルギーにして立ち上がる。さて、コアまではあとどのくらい――
ぼと。ぼと。
「……?」
不意に何か大きなものが落ちてきた。空から振ってきた二つの……なんだろう、と思って足下を見た。
二匹の蛇だった。
蛇はうごうごと悶えたかと思うと、すぐに体勢を整え、
「あーッ! 蛇いたーーッ!!」
慌てて大剣を振りかぶる。しかし思った以上に蛇はすばしっこかった。このままでは逃げられてしまう!
「ナイスですー。目と耳を塞いでくださいー」
間延びした声が降ってくる。飛び降りてくる慈が見える。その右手を高く掲げて――何をしようとしているのか、ギリギリ思い出すのが間に合った。チルルは剣を放って、耳を塞いで目を閉じる。
薄暗いダンジョンに突然の轟音と閃光がもたらされる。いくら嗅覚に特化した蛇とはいえど、視覚と聴覚が退化しきったわけではない。ましてモチーフにしただけのサーバントなら、『そのくらいの機能は付与されていてもおかしくはなかった』。
案の定、蛇の動きが固まる。そこをめがけて、慈はありったけの弾丸の雨を降らせた。
●
「ぐ――」
焼け付くような肺腑。痛みを訴える全身。首の皮一枚――それもちぎれる寸前の実感。
「ほう、耐えたのか」
息も絶え絶えな海は、しかし嘲るような声に顔を上げた。天使ジュライは、にたにたと不愉快な笑みを浮かべている。
「しかし、そっちの『弱者』は駄目だったようだな」
心底愉快でたまらないといった風に、ジュライは海の背後を指さす。
――そこには力尽きている広星が倒れていた。
「弱い犬ほどよく吠えるというが、なるほどなあ! たかだか人間風情も、たまには核心を突くらしい!」
くつくつくつ。ジュライは笑う。心底嬉しそうに笑っていた。
確かに状況はとてもまずいと海は思った。
自分の体力はもはやジリ貧。あと一発でももらえば力尽きるだろう。
広星は――まだ息があるようだが、トドメを刺される危険性が非常に高い。
対して、相手はほぼ万全の状態と言っていいだろう。
先発の撃退士と悪魔達を倒し、自分たちとの戦闘を経てもなお、天使は無傷である。
それは天使の火力が規格外というのもあるし、加えてあの獅子の力だ。非常識なまでに堅牢な盾。アレが生きている限り、こちらは有効打を与えることは決して出来ない。
さらには二体の狼と、数も場所も分からないシュトラッサーまで潜んでいるという。
確かに、どうしようもない。
この状況をひっくり返せと言われても、どだい無理だと答えるしか無い。
ジュライの笑いは、いつしか高笑いに変わっていた。それは勝者の笑み。絶対的勝利を確信した者の笑いだった。
だが。
ギャイン。
その笑いは、獣の断末魔によって遮られた。
「――――は?」
ジュライは表情を硬直させて、音のした方へ振り返る。
「凄いな。たかだか『有象無象』を一人倒したくらいで、そんな勝ち誇れるのか」
そこには、影の手によって全身を絡め取られ、腹部を布でぶち抜かれている狼の姿があった。
「――傲慢も、そこまで行くと滑稽ですね」
アスハとマキナは率直な感想を述べると、無造作に狼の遺体を打ち捨てた。そして敵討ちとばかりに襲ってくる、残った狼を迎え撃つ。
どうということはない。
戦闘はまだ終わっていない。故に従者たるサーバントは敵を殲滅しようと行動した結果、返り討ちに遭っただけのこと。
主が現を抜かしている間も、従者は己の職務に忠実であったというだけの話だ。
「貴、様……ッ!」
ジュライの表情がにわかに憤怒に彩られる。誇りを傷つけられたとばかりに――あるいは。
そして。
「…………は、は。いやはや、流石にそこまで弱者だとは、思いませんでしたよ」
「!?」
背後から聞こえてきた声に、天使は血相を変えてまたも振り返る。
「……不意打ちだけなら、まあ、褒めるに値するんですが」
確かに倒したはずの広星の声――どこから聞こえてくるかが分からない。姿がどこにも見当たらない。
天使はきょろきょろと辺りを見回す。
「何処だ、何処にいる弱者め!」
「落ち着きなよ。相手は『有象無象』なんだろ?」
いつの間にか、瀕死だったはずの海がきちんと立っていた。実に堂々と、自信に満ちあふれた姿だった。
「殺し切らなかったんだ。そこから回復させる手段なんていくらでもある」
――『生命の芽』。弛まぬ修練を積んだ撃退士のみが辿り着ける境地。死亡してさえいなければ、多大なる生命力をもたらすことが出来る奇跡の一つ。
状況だけを見れば圧倒的不利のはずの撃退士達は、しかし余裕に充ち満ちていた。
「弱い犬ほどよく吠える、か。なるほど、確かにな」
アスハが呟く。二発の光弾が飛んでくる。恐らくは潜んでいるシュトラッサーだろうが、既にクセは割れている。
狼の牙を受けながらも、マキナはすぐさま黒の焔でその魂を奪い取る。狼は憎々しげに地面に降りる。するとそこにシュトラッサーの弾が的中し、その姿勢を崩してしまう。
アスハは一歩身体を引くだけで良かった。……実に単純で面白味がない撃ち方だ。誘導のしがいも無い。
――シュトラッサーは主たる天使の分身という側面もあるという。従者の質もまた、主の品格の一部分と見なされるということらしい。
であれば、この性質はそういうことなのだろう。
良く言えば単純明快。そこに慢心という性質を足せば、すなわち視野狭窄である。
「ところで随分と俺達に構っているけど、本命に増援は割かなくていいのかい?」
右手を振り上げたジュライを遮るように、海が言った。その指がゲートを示す。
「何だと……?」
「自分の勝利条件を忘れるなんて、いやあ……オツムが弱いですねえ」
どこかに隠れた広星が言った。
次の瞬間、ゲートから光があふれ出した。
●
洞窟の最奥、ゲートコアは青白く輝いている。
「ちょっと変な感じがするわね」
「何が?」
ケイの呟きに、チルルは首を傾げた。
「だってこれじゃあ、あたし達が障壁みたいじゃない」
コアを包む障壁は既に消滅している。主である悪魔マヘスが死亡したことによるものだろう。剥き出しのコアは、破壊しようと思えばいつでも破壊できる状態にあった。
「……三百六十度(サブロク)……オールオッケーイ……」
「まあ、間違ってはいないんじゃないですかねー」
しかしそれは今ではない。このゲートは間違いなく人類の敵で、こうしている今も周囲の人々の魂を吸い上げているのだとしても、今すぐ破壊するのは早計だと判断した。
このゲートは天使だけを抑制している。であれば、そのアドバンテージを簡単に放棄するのはよくなかった。
やがて聞こえる、しゅるしゅると這い寄る蛇の音。アレを辿り着かせてしまえば――恐らく、もっと酷いことになる。
「あたしの右手三十度、慈の左手十五度」
「了解ですー」
ケイの視界には二体の蛇がクッキリと映っている。もう見落としようが無い。インフィルトレイターの鷹の目をもってすれば、一度捕捉した相手を見逃すなどあり得ない。
背後は既に行き止まり。連中がコアに辿り着くには、自分たちを経由しなくてはならない。
ケイと慈の銃弾が火を噴く。腐食と闇の弾丸が、光の眷属である蛇を狙い撃つ。
だが。
「……タフね」
「……流石に蛇って感じですねー」
細長い身体が巧妙に銃弾から身を逸らす。土塊などの死角に滑り込む。カス当たりで、上手く致命傷を与えられない。
蛇というモチーフからくるタフネスか、それともアレ自身の性能か。コア乗っ取りなんていう大それたことを行う以上、そう簡単に潰させれては困ると言うことなのだろう。
――光信機から聞こえてくる地上の様子。
あの天使が帥の素人なのは間違いない。『コアを乗っ取る』という目的のくせに、鍵となる蛇に一切の護衛を付けないという判断――あるいはこちらが二手に分かれるということすら想定していなかったのか――は愚策にも程がある。
しかし『桁違いの破壊力を持っている』という一点において、間違いなく強敵である。
どれだけ策を弄そうとも、上から圧倒的火力で叩きつぶす。それはそれで正解の一つなのだ。そこに『鉄壁の防御』であるあの獅子のサーバントが加わることで、手が付けられない移動砲台と化している。
最強の矛と最強の盾は、同じ兵が持てばいいだけの話だ。あの傲慢さは、きっとそういう戦い方から醸成されたものなのだろう。
もう時間が無い。このままずるずる行けば、そう遠くないうちに殲滅される。
蛇は縦横無尽に這い回る。コアに向けて、今か今かと隙を探している。
ならば。
すっと、チルルは大剣を突きの形に構える。その刀身が瞬く間に凍てついていく。
「あたいに任せて。あんな蛇っころ、あたいがまとめて吹っ飛ばしてやるわ!」
速攻勝負、最大火力の範囲攻撃。ここが決め時だと、チルルは直感した。
「……Bダッシュ……」
不意にベアトリーチェが前方に駆けだした。生まれた一人分の隙間に、二匹の蛇が勢いよく滑り込みに来る。
それを狙ってケイと慈が銃を連射する。しかし悉くを躱され、泡立つように蛇の周囲の土が抉れる。
いや、躱されたのではない。
「まっすぐにー……!」
「今よ!」
二匹の蛇の『進路が重なった』。『銃撃によって作られた一本道』に、蛇はまんまと乗っかった。
「『浮け』、カス共」
突然変わったベアトリーチェの声色と共に、『コアの上空に浮いて待機していた』ヒリュウが吼えた。そして弾丸のように蛇達めがけて突撃する。
完全なる不意打ち。二匹の蛇は対応出来ず、さながらボウリングのピンのように宙に舞った。
「レッツゴー……ジャスティース……」
勢い余ってゴム毬のように転がってくるヒリュウを受け止めると、ベアトリーチェはその場に伏せた。
「せーのッ!」
満を持して。そしてチルルは大剣を突き出した。
「凍れェーーーッ!」
咆吼と共に先端に収束していたアウルが解き放たれる。凍てつくアウルはさながら吹雪のように、白く煌めいて洞窟を照らす。
浮き上がった蛇達はなすすべもなく、一筋の光線に包み込まれた。
最後に、がしゃん、と砕ける音がした。
突然の光に眩む視界から立ち直ると、そこにはカチカチに凍りついて、花瓶を落としたかのように砕けている二体の蛇の姿があった。
生死については、確認するまでも無かった。
●
「『蛇』は死んだ。これで詰みだ、天使」
通信を受け、海はそう啖呵を切った。
「お、おのれ、おのれおのれおのれ――――!」
天使ジュライは、瞬く間に顔を紅潮させてわなわなと手を震わせる。端正な顔が台無しだが、そこまで分かりやすく表現してくれるならいくらか溜飲も下がるというものである。
もっとも、未だに危険なことには変わりない。
ゲート内の四人もすぐさまこちらに合流するとのことだが、長い上り坂になっているので多少の時間がかかる。
状況確認。
天使陣営の被害は狼一体だけ。もう一方の狼はマキナとアスハが交戦中で、シュトラッサー――恐らく二体、への対応が間に合っていない状態だ。加えてマキナの『魄喰』にも使用回数限界があるため、いつまでも『受けたダメージをすぐさま回収』とはいかなくなる。
さらに海の『生命の芽』は一度きりの奥義だ。誰かが倒れた時点で破綻するし、そもそも海自身が既にギリギリである。受けるダメージと回復量の釣り合いが取れていない。
広星が隠密状態で出てこないのはそういう判断だからだろう。下手にもう一度天使の攻撃をもらえば、今度こそ戦闘不能があり得る。最初の挑発(正確には「素直な評価」だが、やはりどう見ても挑発である)が思いの外天使の神経を逆撫でしてしまったらしく、顔を出せば狙い撃ちにされること必至だ。
そもそもジュライ自身には一撃だって当たっていない。そしてその前に立ちふさがる獅子は、まだ余裕綽々といった風だ。――コレが一度も攻撃してきていないことが気がかりではあるが、しかしここまで防御に徹している以上、そういう性質だと見なしたいところだった。
海はアスハとマキナに視線を送る。二人はすぐさま頷いた。
相手の目的は防いだ。自分たちの目的はそれ。そして状況は言うまでもなく劣勢である。
海はゲート内の仲間にも伝えるため、光信機に向かっ、
「許さん――許さんぞ! この私の、この私に、有象無象風情が――――!」
咆吼。そしてもの凄い量のエネルギーがジュライの両腕に集まっていく。
修羅のような形相をした天使は、その手を空にかざす。
上空に一つの大きな魔法陣が展開され――
「いけない、退避――!」
「ゲートに籠もっといてください!」
叫ぶと同時に海と広星は駆け出す。
「――――」
アスハは不愉快そうに眉を顰めるが、盗作に文句を付けている場合ではない。とっさにマキナの身体を抱えて、とにかく一足でいける距離まで『跳んだ』。
「この「ジュライ・ダレスに「こんな屈辱をォ――――ッ!」
そして悲鳴じみた声と共に、魔法陣が光り輝く。刹那、辺り一面を光の弾丸が焼き尽くした。
「ふは「ふはは「ふははははは「ふははははははははははははははは―――――
炎と煙でけぶる視界の向こう。天使の哄笑が、いつまでも木霊している気がした。
●
結果報告。
あわや山火事になりかけたが、その直後に降り出した雨と、現場にいた撃退士たちの応急処置により無事に鎮火。
近隣住民の犠牲者は奇跡的にゼロ。ゲートの被害で衰弱し、病院に搬送された人はいるが死傷者はなし。
ゲートコアは無事に破壊され、二、三週間程度で消滅する見込みである。
「というわけでまあ、結果だけ見ればほぼ理想的だ。回収したサーバントの遺体は解析中だが、結果次第では大きな情報となり得るということだ。よくやってくれた」
しかし、会議室の空気はどうにも重たい。未唯はふうと息を吐いて苦笑した。
「……何はともあれ、全員無事で良かったよ。報告を見る限り、よっぽどバ火力な天使だったようだな」
「バ火力っていうか、バカ力(りょく)っていうかですけどね」
広星が口を尖らせる。海が補足した。
「挑発にはめっぽう弱いみたいでした。殆ど俺と数多さんに攻撃が集中して、他が見えてないって感じで」
「あと、サーバント一体倒された程度で激昂したな」
「――状況は圧倒的にあちらが有利だったのですが」
アスハとマキナが淡々と述べる。
「光信機越しに聞いていたけど、なんていうか……子供のワガママみたいだったわね」
「……意識高い系……作戦ガバガバ……」
辛辣なベアトリーチェの感想に、ケイは苦笑する。
「蛇だけゲートに送り込むってのはほんとバカよね!」
自信満々なチルルの言いぐさに、しかし否定しきれない一行なのであった。
そう。今回の成功の理由を考えてみれば、とにかく『相手の手落ち』が殆どなのである。
「――シュトラッサーの攻撃が単調、ともあったな。高火力かつ、高い防御性能を誇ったサーバントを持つが、それ以外がとにかく雑。力押しの脳筋タイプで、なおかつ性格は高慢、と」
未唯の所感を引き継ぐ形で、慈は口を開いた。その口調はどこか重々しかった。
「……子供大人ってヤツでしょうー。挫折知らずのエリート志向みたいなー」
「ああ、なるほど。『自分の持ち物』を壊されたからキレたのか」
得心いった、とアスハは頷いた。
最後に。
海と慈は、現場から回収した遺留品を整理していた。
といっても殆どが焼けてしまって原形を留めていない。遺体も――だ。
その中で比較的まともに残っていたのがロケットペンダントだった。きっと女性の誰かの持ち物だったのだろう。失礼だとは思いつつ、慈はそっと中を開けてみた。
――中には、在りし日の写真が収められていた。八人の仲間での記念撮影。元々かなり小さい縮尺だったのに、所々焦げてしまって殆ど分からない。
お前らの物語はこれで終わりだ、なんて言われているような気がしてしまった。あんな、どこまでも傲慢で愚昧な天使風情に、一つの友情が踏みにじられた。
「――いつか必ず、懲らしめてやりましょうー」
ゆったりとした、しかし確実に怒気を孕んだ声で、慈はそう呟いた。海は少し驚いたような表情を浮かべたが、
「……そうだね。自分がやったことの意味を、徹底的に分からせてやろう」
小さな声で同意した。