●
午前十時、ゆるーいテンションでお食事会は幕を開けた。
お昼ご飯あるいは遅い朝ご飯の時間帯である。家庭科室はなかなか盛況であった。
さて。
「よろしくお願いしまーぅ」
ちょっと舌っ足らずな甘い声。高垣彩子は、ぱっと見素朴な中学生の少女である。
多少幼さが残るほやっとした笑顔からは、その経歴――邪悪な組織に束縛されていたなど想像も付かない。事情を知るものからすれば、よくぞここまで立ち直ったと感涙するであろう。
逆に言えば。
事情なんて知らなければみんな正直だということである。
開場三十分をして、既に百人近い来客があった。主に待機していた貧乏学生である。タダ飯上等、彼らはこの機にとにかく飢えを凌ぐ腹づもりだ。足りない栄養と心にひとときの安寧を。
故に、わざわざ地雷原に飛び込む理由がなかった。
「しまぅー……」
彩子の料理は『ちょっと』尋常ではない。素人目にというか、動物的な本能として避けるべき代物である。
イメージとしては御伽噺の悪い魔女。こうなんか、土留め色とか綺麗な青色とか、食べ物がしてちゃいけないと思うんだ。
みるみるしょぼくれていく彩子を見て、お料理研究会部長はとあるスイッチを押した。なんてことはない、単なる通信機である。
こうして勇者達は現れる。部屋に踏み込んだ撃退士達は、今にも泣きそうな新入生の料理の前に陣取った。さあ食え、食うのだ。それが今回の依頼なのだ。
勇者と書いて『イケニエ』と読むのは言うまでもない。
さて、第一波。
「なんで俺がこんなクソ依頼に……」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が手に取ったのは、真っ青に彩られた鶏肉?である。青い鳥? 幸せ運ぶの?
「汚いな流石**きたない」
甘い言葉にホイホイ乗せられちゃったね、仕方ないね。玉置 雪子(
jb8344)はサラダを手に取った。生野菜にドレッシング程度なら魔改造の余地がない。大丈夫だ、問題ない。
「戦前のことを思えばこんなん可愛いもんよ」
少年の見た目でそんなことを言われても困るのだが、赭々 燈戴(
jc0703)は正真正銘の八十代である。貧困だったあの頃に比べれば、キッシュ?なんて料理は贅沢ですらある。多少のメシマズ程度は笑って流すのが大人の流儀というものだ。
ラファルに関しては『義体の耐久テスト』というやんごとない事情があるにせよ、ともあれ料理で人死にが出るなんてそんなそんな、
いっせーのーせ、
「ヴォエ」
ドレッシングは自作でした。雪子はゆっくりと膝を突き、そのままその場にがっくりと倒れ伏した。
幻聴。「ゆ、雪子ダイーン!」
そんな早すぎる! まだレタスを噛み砕いてもいないのに、ドレッシングを一舐めしただけでこの威力ッ! 回避型の雪子に、回避不能はヘヴィすぎるッ!
「らめぇ、もう入らにゃいのぉ……」
びくびくと痙攣しながら、雪子は涎と譫言を零した。
「死ぬ、これは、俺、死ぬ」
ラファルの舌をソースが蹂躙し尽くす。食道を駆け抜ける灼熱、胃酸なんて生温いと言わんばかりのアシッドが義体を蝕む。
「俺の怒りが有頂天んーッ!」
しかしラファルくん、ガッツで二口目に飛びついたァーッ!
「……それは、雪子の、芸ふ、う……」
「知るかァーッ!」
あ、ダメ、溶ける。冗談抜きで溶ける。魔法攻撃かな? 飯で機械が壊れるってどういう理論? いや飯をぶっかけたらそら壊れますけどね、そういうことじゃなくてね?
ラファルは霞む視界の中、投票用紙を手に取った。「イイネ!」と書き残すと、そのまま真っ白に燃え尽きた。
――やべぇ、齧り付いていたら即死だった……。
目の前で無残に飛び散る同胞を見ながら、燈戴は持ち込んだ日本酒で消毒を計る。一欠片が猛毒だった。
ヤバい。これは、ヤバい。戦後の貧困とかそういうレベルじゃない。むしろ防空壕に毒ガスとかの類である。
「…………」
彩子は首を傾げながらも、その瞳がどこか潤んでいる。マズいか。燈戴は少し考えた。
「ちょっと失礼」
そして手近にあった、副部長の生春巻き(とても綺麗に盛りつけられている!)の皮でキッシュをくるむ。
副部長の料理が『味がしない』ということも既に部長から聞いている。であればこれがオブラートとして機能するはずだ。して欲しい。
「嬢ちゃんもどうだ?」
「……はぃ?」
皮で包んだキッシュを彩子に手渡す。自分の料理のヤバさを認識しろ、するんだ! 燈戴もこれでなんとかなればと一口、
「ゴフッ」
なんともならなかった。彼岸が見える。霞む視界の向こう、平気な顔をして自分の料理を食べている彩子が見えた。
隣のテーブルで一部始終を見ていた黒井 明斗(
jb0525)は眉を顰めた。
「お見事なものですね――失礼します」
副部長の料理、というか包丁の腕は見事なものだった。すわ食品サンプルかと思わんばかりというか、どうして普通の食材から無味無臭の芸術品が完成するのかはさておいて。
明斗は昼飯目的でふらり立ち寄った一般参加者である。一通りつまんで、最後に独創的、そう、独創的なゾーンを覗いている最中だった。
目の前で、女の子の料理を食べて人が気絶したなんて。
――口に合わないとしても、その態度は失礼だと思いますが。
「ぅー……」
ほら、少女もショックを受けている。ならばと明斗は割り込んだ。
「失礼、一口いただきますね」
洋風が得意なのだろうか、ミートパイなんていかにも雰囲気が、
肝臓(急所)を思いっきり殴られたかのような衝撃が全身を駆け抜けた。控えめに言ってそんな表現だった。
二口目には、的確に五臓六腑を抉られる錯覚がした。オラオラオラって感じだった。
しかし明斗は試食分をなんとか食べきると、にこりと笑顔を浮かべた。多少引きつっているのはもう詮方ないことである。
「こ、個性的でよろしいかと……。ただ、一度基本に立ち返ってみるのをお勧めしま、す」
それじゃ、と手を上げて、明斗は紳士の振る舞いでその場を去った。
ただ、ちょっと動けそうにない。お腹が落ち着くまで、あそこのバーカウンターでホットミルクでも飲んでいよう。あと、これ以上気絶者が出ないように見張っておこう……。
●
惨状を受けての第二波である。
「――んん復活ゥ!」
佐藤 としお(
ja2489)は一口のスープで意識を刈り取られた。しかし気合で復活した。さりとて口腔内は絶望で満たされている。
義理は果たした。ラーメンを、とにかくラーメンを。こういう時はラーメンで口直しをしないと。部長の用意した本格湯麺がそこに待っているのよ。
としおは幽鬼のように、ふらふらとラーメン求めて立ち去った。
おぐう。胃が変な声を上げた。
「と、とても斬新だ、よ……」
浪風 悠人(
ja3452)は踏みとどまった。深すぎる闇の呪いを鋼の意思で受け止めた。
あらかじめ食前用の胃薬で調子を整えておいた。その上でまともな料理をいくつかつまんでおいた。途中副部長の美術品で『不毛』という言葉が浮かんだが、そんなカルチャーショックは可愛いものだった。
このカレー?はなんだか灰褐色なのである。臭いのである。苦いのである。なんかごりごりじょりじょりして酸っぱいのである。こう、呪殺耐性がなかったら即死してたみたいなアレなのである。誰かホムンクルス持ってこい。
どうしたら、どうしたらこんな代物が作れるのだ。食材のテロリズム。食材を間違えても魚の餌が関の山のはずなのに、それを突き抜ける亜空間の感性。少なくとも、家事が得意な悠人(持つ者)には理解出来ない領域だった。
細胞レベルで否定するが、悠人は本能を理性で押しのけた。乾坤一擲。ええいままよと二口目が胃の腑に滑り込み、
「はじめて、の、味、かな……」
清らか過ぎる浄化の光を、鋼の意思で受け止めた。
悠人は彩子に投票すると、今度は強めの胃腸薬で解毒を試みた。
横になったらもう起き上がれない。そっとしておこう。
「う、う、美味いぞォォォォーッ!!!」
悲鳴。口からは青い光がダダ漏れる。あ、ファンブル。では爆発します。完璧で幸福ですね。それ違うゲーム。
ミハイル・エッカート(
jb0544)の胃腸は実際そんな感じだった。メルティ。溶けてしまいそう。とてもつらい。
ピーマンさえなければこんなものよと(サラダにしっかり生ピーマンが添えられていた。なんでや)飛び込んだ地獄の先はまた地獄だった。もはや見た目と内容が一致しない。何を食べたのかが分からない。
イメージはピストル。胃にダメージが入る前にこう、お腹に向かってパリーンと撃つ感じ。こうなった以上なんでもありだ。アウルの汎用性は無限である。
毒物への抵抗。呪いへの抵抗。そして臓腑へのダメージ回避。
そしてどれも気休めである。
……しかし、幸か不幸かミハイルの意識は飛ばなかった。
「……ふ、ふ。なかなか、だ、ったぜ。嬢ちゃん」
もはや自分のものとは思えない腹部を抱えながら、ミハイルはその場を後にした。なんとか辿り着いた部長のテーブル前では、本格湯麺を抱えて涙を流しているとしおがいる。
「……ところで。彩子のアレはスキル扱いなんだよな……?」
「? 多分、そういうことになるんですかね……?」
部長は首を傾げながらも同意した。ミハイルはそっと自分の盾を取り出す。
「なら……『シールドバッシュ』はどうだ。俺はこの盾を、こうして」
それは一瞬にしてアサルトライフルへと変化した。部長はぽかんとしていたが、すぐにぽんと柏手を打つ。
「……、ああ!」
「勘が良いな……。そうだ。アウルさえ止めれば、ただのメシマズのはずだろ……?」
アウルを通した手袋なりを使って、作る際に軽く肩を叩いてやる。『アウルの行使』を『キャンセル』できれば殺人料理にはならないはずなのだ。きっとそうだ。そうであって欲しい。
「後は指導次第だ……健闘を祈る……。あと、俺にもスープでいいから一杯くれ……」
さっきから味蕾が麻痺してる感覚がするの。
●
軽やかにシェイカーが振られて、心地よいリズムを刻む。見た目が派手で『分かりやすい』。こんなパフォーマンスがあった方が場が暖まる。
「お待たせ。『シンデレラ』だ」
滑らかな黄金色の液体がグラスに注がれる。相手が未成年ということで、月詠 神削(
ja5265)はこれをチョイスした。
オレンジ、パイン、そしてレモンジュース。この三つをシェイクすることで作られる『ノンアルコールカクテル』、それがシンデレラ。魔法にかかった灰被り。ただのミックスジュースと侮るなかれ。シンプルなメニューだからこそ腕が試されるのだ。
テーブルを出しているが、神削は部員ではない。言うなれば辻バーテンダーである。
様々な調理スキル持ちがいる久遠ヶ原であるから、発表会を開けば自ずと『触発される』人間が出てくる。そして勝手に店を開くまで『あるある』だ。その辺りの対策として『部外者枠』を作ることにしたらしい。まあどうでもいいことではある。
花言葉のように、カクテルにも意味がある。人生にささやかで華やかな彩りを。お酒との付き合いはかくありたいものだ。
「あまーい! まるで御伽噺の魔法だにゃ。ミーたちの素敵な出会いを祝福しているようだにゃー」
「え、あ、えーっと……」
まあ、ダシにして甘い雰囲気を作ろうというのもよくあること。度を超さない限りは不干渉。それがバーテンの嗜みである。
「でも、折角だからここは大人の階段登りたいにゃ? アルコールと行こうにゃ。あ、ミーは天使だからそこんとこ気にしなくてもオーケイにゃよ?」
にゃひひと星野 木天蓼(
jc1828)は笑って距離を縮める。明らかに困っている風の美人撃退士がその分だけ距離を離す。
いわゆるナンパ。木天蓼は部長の依頼を受けている身ではあるが、そんなんどーだっていいから梅雨のせいにして温め合おうという算段だ。今のところ空振りのようではある、が。
神削は考えた。年齢と外見が一致しないのはよくあることだが、いくらなんでも見た目未成年に堂々と酒を振る舞うのは問題があるだろう。いっそ『ロングランド・アイスティー』でも作ってやろうかと一瞬ちらついたが、よく考えなくても大問題である。
「こら木天蓼、やっと見つけたぞ」
「うにゃ、正宗!?」
不意に金髪の美少女――いや美少年が現れ、木天蓼の意識がそちらへ行く。
「依頼は依頼だろう……全く、酷い目に遭った」
御剣 正宗(
jc1380)はどこかげっそりしている。それもそのはず、高垣彩子の料理に特攻させられたからだ。幸いに軽傷で済んだから良かったものの、金輪際御免だと早々に場を後にした。そうしたら同行していたはずの木天蓼の姿が見えないことに気づいたのである。
「だいじょーぶ、ヒリュウが食べてくれるにゃ」
あっけらかんと答える。哀れな毒味役は召喚獣に任せたというわけだ。
「そういう問題じゃない。彩子が納得するかどうかだろう」
「まーまー、正宗も口直しするにゃ」
「おい、酒はどうかと思う……それに、」
正宗がまさしく『その懸念』を口にしたタイミングだった。
「あべぶっ」
突然、木天蓼が呻いた。そしてそのままテーブルに倒れ伏す。
「ま、まず、まずい……」
がくがくと身体を震わせて、木天蓼はお腹を抱えて蹲る。
「……『召喚獣が負ったダメージは召喚者に還る』んだ……」
正宗ははぁと息を吐く。一方その頃、彩子のテーブルの前で消えそうになっているヒリュウが目撃されていた。
「……あ、介抱はボクがやるから。好きにしていいよ」
おろおろしている女性に、正宗はクールに言い放った。
●
「よーし、ここはあたいも料理で稼げるってところを証明してあげるわ!」
雪室 チルル(
ja0220)は高らかに宣言してきしきしと笑った。
クーラーボックスにはチルル謹製のアイスクリームがどっさと積んである。これをお食事会で売りさばこうという算段だ。
ただのアイスクリームではない。アウルを調節した『氷結晶』によって滑らかシルキーな口触りに仕上げたヴァニラアイスである。クリームなのである。
さあ、これで一財産築くぞ。チルルは意気揚々と家庭科室に突撃した。
目を疑った。
ロケットパンチが飛ぶ。罪の無い通りすがりの学生が打ち上げられる。暴走した武器を受け止める有志達。
「これが人を殺せる料理か。興味深い」
ローニア レグルス(
jc1480)は淡々と呟いた。義肢の制御がえらいこっちゃになって、あちらこちらに被害が及んでいるにも関わらず、すっごいマイペースにガーリックステーキ? をオリーブオイルで流し込んでいた。
チルルは戦慄した。遠目でも見るからにヤバい料理の周辺が地獄絵図と化している。
腕から槍が、剣が、刀が飛び出す。冷静な顔のまま、オリーブオイルを瓶ごと呷りながら、ブリッジの姿勢でかさかさと走り回るローニアである。こんにちは三匹のムカデ。誰かエクソシスト呼んでこい。
「天界にもこんな兵器はなかったぞ。彩子とやら」
「ひぅぅー!!」
「ご教授願いたいものだな」
彩子は彩子で目の前の現状で手一杯なのか、目と耳を塞いでしゃがみ込んでいる。
ある意味名物と化していた『ホットケーキと書かれたガーリックステーキ』をローニアが一口食べた途端にこうなった。体内のアウルが暴走し、義肢の制御が効かなくなったのである。飛び散るオリーブオイル。まあまあオリーブオイルどうぞ。
「こ、ここはあたいに任せろーッ!」
たまらずチルルは飛び出した。ローニアの武器をひたすら氷の盾で受け止める。
乱戦になること数分、ようやく落ち着く頃にはすっかりみんな疲れ切っていた。
「つ、疲れた……アイス食べよう、アイス」
チルルがクーラーボックスを開くと、その甘い香りに疲れた戦士達が寄ってきた。「すげえ!」「美味そう!」「これ、あなたが作ったの!?」
大好評に気をよくしたチルルは、束の間のアイスクリームパーティーを開いた。その間に散らかった家庭科室を掃除して、再開の準備を始める。部員一同の感謝の言葉に、これまたチルルは大変気をよくした。
「お礼と言ってはなんですが、沢山食べて行ってください」
そんな部長の言葉に誘われて、チルルはすっかりお食事会を満喫した。和洋中、美味しいご飯がタダだなんて! たらふく堪能した。
ご満悦で部屋に帰ってから気がついた。
「しまったー! お金もらってなーい!」
いつの間にか自分のアイスも『タダ飯上等お食事会』に組み込まれていたことに、チルルは慟哭した。
●
さて。同時刻、家庭科室、別の修羅場。
「あぅあぅ〜……お腹空いたのですぅ〜」
可愛い声で泣きながら、しかしそれはそれはパワフルに暴れるアルフィミア(
jc2349)である。ばるんばるんと大きな双丘が揺れるが、こうなると色気と殺気が紙一重状態である。飛び散る涎をどう取るかは個々人にお任せするとして。
「アミィ! これ食べて、これ!」
姉であるアルティミシア(
jc1611)は手当たり次第にまともな料理を妹の口に突っ込んでいく。アルフィミアに繋いだリードを軋ませながら、とにかく『食欲』を満たすことに集中する。
だってこれ放置したら倫理規定引っかかるし。もとい大惨事だし。主に男子生徒が! サキュバスだもんね、仕方ないね!
「お弁当忘れたのです〜! じゅるり……はっ! レッドアラームです〜!」
「アミィ! 気をしっかり! ほら、このトマトとモッツァレラチーズのサラダがとっても美味しい!」
「あぅあぅ〜、首元が暑いのですぅ〜!」
「このスパゲッティは……娼婦風!? なんて破廉恥な名前なんですか! え、そういうことじゃないんですか?」
「ンまぁぁぁ〜い!!!」
「落ち着いてアミィ! アミィはそんなこと言わない! ほらこの子羊の林檎ソースがけを食べて!」
これらはあくまで真っ当な料理なので、体調不良が治ったりはしません。本当にあったらいいのにね。
すったもんだの挙げ句、満腹になったアルフィミアはようやく理性を取り戻した。
「よく分かりませんが……お腹いっぱい……幸せですぅ〜」
どうやら記憶は無いらしい。アルティミシアは深く安堵の息を吐いた。
「ふう……。よし、投票はあのイタリア料理の人にしましょう」
「はーい、アミィもそうしますぅ〜」
こうして今日も人知れず学園の風紀は守られるのである。
●
ところで。
これだけの被害を見せているが、実は今のところ重体判定を食らっている者は一人もいない。それどころか気絶者すらいないのだ。
体力をモリッと持って行かれて崩れ落ちることはあっても、(幸か不幸か)意識を手放してはいない。一応行動が出来る程度の体力は残っている者が殆どである。
その理由の一つが明斗である。神削に牛乳をもらって胃を休めながら、彩子のテーブル前をずっと見張っていたのだ。
「思った以上に大変なことになっていますね……」
偶さか活性化していた『神の兵士』が命を繋いでいるのであった。というかこんなスキルが有用になる時点でおかしいんだよ。
そして、もう一人。
「危険がデンジャーなんだよ……」
カマキリフードの私市 琥珀(
jb5268)が片っ端から回復魔法を投げていく。食らった傍から焼け付いた消化器を癒して、なんとか致命的な犠牲者は出ずに済んでいた。
カマキリ救助隊、きさカマとしてこのデンジャラスな状況を見逃すわけにはいかない。命は投げ捨てるものではないのだ。
「これ以上の犠牲者は出させないんだよ!」
小声で独りごちる。ああ、また気絶者が。神の兵士がその命をそっと掬い上げる。だからなんでこんなサバイバルなんだよって話だ。
「……つくづく。初めて見ました、あんな料理……」
一部始終を眺めていた雫(
ja1894)はそんな言葉を漏らす。
――それはアナタの料理もどっこいなんじゃないかなあ……
口には出さない琥珀であった。あと多分他の人もそう思っていた。
雫も飛び込み参加だ。料理は……まあ普通の家庭料理である。
問題はお菓子だった。自信満々に披露されているお菓子が大問題なのであった。
アップルパイという名の、手に取れば人の顔が浮かぶナニカ。
キェェェと悲鳴を上げながら共食いをするシュークリーム状のナニカ。
太陽のように輝いて見えないホットケーキという名のナニカ。
はい、名状しがたいこれらの物体を見たあなたたちは正気度チェックでーす。0/1d6でーす。待って、ゲーム違う。そうだ、便宜的にSUNチェックと名付けよう。輝いてるし。
そんな錯乱を催すほどアレなのであった。アレはアレであり、アレでしかない。
前門の体力削り、後門の精神削り。
まさに時既に時間切れ、違う、時は世紀末、そうでもない、要するに阿鼻叫喚。
その中で孤軍奮闘する琥珀は、まさに飯(メシ)アであった。飯アカマキリ琥珀なのであった。
しかし限界は来る。やめときゃいいのに特攻する人がいる。無情にもスキルの残弾は減っていく。
きさカマは願った。ヒーローの到来を願った。
――助けて、ラコトラマーン!
「キュッ!」
不意に家庭科室に入ってきた鳳 静矢(
ja3856)はそんな声を上げた。
「どうしたのですぅ?」
隣にいた鳳 蒼姫(
ja3762)が首を傾げる。
「いや、なんとなく……?」
そして、さらなる飯アが現れる。
●
家庭科室は驚愕に包まれた。
「あーん☆」
「あーん……な、なかなかダイナミックというか、独創的というか、なあ……」
鳳夫妻は人目も憚らずイチャイチャしている。それはいい。それはいいとして、『彩子の料理を互いに食べ合いっこ』などという狂気の沙汰に及んでいることだった。
「こ、この料理達は攻撃的なのですよぉ……!」
いや、ダメージは入っている。二人とも脂汗をかいている。しかし、熟練の撃退士としての力量がなんか胃袋にアウルでどうのこうのしてダメージを弾いているのだ、多分!
「と、ところで彩子さん。この、ホットケーキなんだけれど」
「は、はぃ……?」
静矢に突然話を振られて、彩子は首を傾げた。
「肉ではなくて、小麦粉と卵と砂糖を溶いたものを流し込めば、もっとそれらしく仕上がると思うよ?」
「えっ……」
彩子は目をぱちくりさせた。
そして『ホットケーキ』を手にとって、
「これ、小麦粉とココアパウダーですょ……?」
「なんでじゃあーッ!」とどこからか怒声が届いた。なんでその材料でそんなガーリックステーキ的な代物が、
「あ、ほんとですねぇ……。よく見たら堅焼きパン……? 遠目に見るとステーキに見えるのですよぉ」
蒼姫の冷静な指摘に、「だからなんでやぁーッ!」とどこからか怒声が響いた。どういう錬金術だというのか。
もっとも、それ以前に『食べたら洒落にならないダメージが入る』時点で些細と言えば些細ではある。『見た目がおかしい』担当はそこにあることだし。
「……?」
不意に集まった視線に、雫は首を傾げた。
何はともあれ。
「……そろそろいいかな」
静矢は静かにそう切り出した。
「そうですねぇ。彩子ちゃん、これを」
蒼姫は小さなタッパーを彩子に差し出す。そこに入っていたのは、綺麗な焼き目の付いた卵焼きだった。
「試しにちょっと食べてみてくださいねぇ☆」
「……あ、はぃ」
彩子はおずおずと箸を差し出し、そっと卵焼きを口に入れた。
ほろほろと優しい出汁の味がして、ふと彩子の表情が綻んだ。
「……おいしぃ」
その表情に、鳳夫妻は苦笑した。
「こういうのを作れるのが一番平和ですよぅ?」
「良かった。どうやら上手くいったようだ」
彩子の反応に、どよ、と部員達がざわめいた。
「あ、彩子ちゃん? 味、分かるの!?」「どういうことなんですか!?」「幻覚でも見ているのか……!?」
「その反応は酷くないかな……」
静矢のぼやきに、しかし部長は食い下がった。
「それでも不思議なんですよ。彩子ちゃんは『味が分からない』……だからいくら矯正しようとしてもダメだったんです。それがどうして……」
「説明しましょう!」
すぱーん、と扉を開きながらRehni Nam(
ja5283)が現れた。
「そのだし巻きは、我らがチチノミヤ(中略)知識魔神が開発した特殊なレシピが使われているのです!」
キッ、と見得を切るRehniであった。なんかテンションがおかしい。例えるならば、目の前をフルスロットルのトラックが通り過ぎていった直後のような感じ。つまり九死に一生を得た感じ。
「さあさあ皆さん、解毒の時間ですよ! この清浄ハンバーグと聖浄和風ハンバーグ! 彩子さんの料理に対抗するアウルが込められたこれを召し上がれェーッ!」
「そ、その、Rehniさん……は、恥ずかしいですぅ……」
顔を真っ赤にして俯きながら、台車を押した月乃宮 恋音(
jb1221)が現れた。台車には芳しい香りを漂わせたハンバーグがいくつも載せられており、キンキンに冷えているであろうウーロン茶が清涼感を醸し出している。
「え、えっと……。お腹痛い、人を、優先的に、お願いしますぅ……」
こうして、果敢にも彩子の料理に挑んでいった勇者達に救いの手が差し伸べられた。ハンバーグとウーロン茶いう名の解毒剤は、平等に配られることとなった。
流石にみるみるうちに回復、とは行かなかったが、少なくとも消化器の違和感はある程度改善されたはずである。
こうしてチチノミヤ(略)こと恋音は、飯(めし)アとして崇め奉られることになったのであった。何故かRehniが率先していた。
「飯(めし)ア様ァーッ!」
「や、やめてくださいぃぃ……」
「……ところで。Rehniさんはどうしてあんなテンションに?」
静矢がこっそり聞いてみると、恋音は顔を真っ赤にして俯いた。
「……そ、そのぉ……。試しに、彩子さんの、料理を、食べてから、あんな風に……」
「精神にも作用するのか……」
末恐ろしい才能であった。
●
つまり、恋音とRehniは『彩子の料理を解析し』『対抗策を作っていた』のである。
元々アウルを使った料理を研究していた二人だ。特に分析は恋音の最も得意とする分野であるからして、こういった対策はお手の物と言える。
彩子が所属していたという組織の情報を集め、研究内容を精査し、サンプルとして彩子の料理を調査した。そして導き出された『対抗するアウル』をハンバーグとウーロン茶に込めたのである。
その際にうっかりRehniが臨死体験を経験したが、ともあれ生きているのならオーライである。
これで余計な犠牲者はもう出ることはないだろう。お食事会は平和であるべきである。飯テロが本物のテロになってはいけないのである。
「…………」
彩子は気まずそうに俯いている。二人が開発したアウルに『彩子の味覚異常を矯正する』という作用も現れていたのであった。
「……彩子ちゃん」
部長は優しく語りかける。
「また勉強し直そう。大丈夫、時間は一杯あるよ。今度の発表会では、美味しいものを作ろうね」
「……はぃ。皆さん、ごめんなさぃ……」
部長はむずがる彩子を抱きしめる。感動的な一幕だった。
「オーケイロリコン!」「イエスロリコン!」「パーフェクトだロリコン!」「次は美味いもの期待してるぞロリコン!」「ロリコンロリコン連呼で台無しだロリコン!」
感動的な一幕である。
感動的な一幕なんだったら!
さあ、ここからは大団円。お料理研究会の次回作にご期待くださ、
ズギャァァァーン。
奇妙な爆音が響いた。それはキッチンの方から響いてきたようで、
「……やっと出来た。食べてくれないか」
何故か埃と煤塗れで、疲労困憊している水無瀬 快晴(
jb0745)が現れた。その手には平凡な野菜炒め定食が載っている。
完全に凍り付いている空気に、快晴は首を傾げる。
「……料理を作るんだよ、な?」
「あ、いや、うん。そうだけ、ども」
「……食べてくれ」
そして部員達の目の前に並べられる快晴の料理。イメージは氷海を突き進む鉄の船。凍った空気などお構いなしに進んでいく状況。
部長、副部長、彩子、そして部員達は、流されるままに快晴の料理を口にした。
ゴブッ
「……あ、あぁ……こ、こういうこと、だった、ん、です、ね……」
彩子は倒れ伏す瞬間、そんなことを呟いた。
「分かって、くれ、て、うれ……」
言い切ることも出来ず、部長と他の部員もその場に昏倒した。
毒を以て毒を制す。一部始終を見ていた参加者達は、皆一様にそう思ったという。
「キッチンが破損しています。弁償を希望しますが」
そしてしれっとノーダメージな副部長。
●
グダグダになったので撤収することになった。部員がほぼ全滅してしまったので、残っていた善意の協力者による撤収である。
問題は彩子の料理である。副部長の料理も余ってはいるが、アレは芸術品なので無害だ。彩子の料理は『兵器』である。そのまま投棄するのは、なんていうか、色々問題なのであった。
みんなでどうしようかと考えていると、ふと彩子の料理の前で立ち尽くしている少女がいた。
ゴスロリ衣装の少女は微動だにしない。周りが働いているのに何のつもりだと、憤慨した女生徒が肩を叩いた。
「ちょっと。手伝ってよね」
微動だにしなかった。
よく見ると目が虚ろで、身体が完全に硬直していた。
「た、立ったまま死んでいる――ッ!?」
彼女は高垣彩子の料理に強い興味を抱いた。
今まで物理攻撃しか知らなかった彼女は、『人を殺せる料理』というものに可能性を見いだした。
一口食べた彼女は、その威力に戦慄し、感動した。そして、なんとしても解析してみせると身体の悲鳴を無視して食べ続けた。アウルで痛覚を遮断し、理解出来るまで食べ続けた。
そしてアウルが切れた途端、身体中のダメージが一瞬で襲いかかり、立ったまま事切れた。
それが少女――燐(
ja4685)の顛末である。
いや、死んでねえよ。