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昼間の住宅街は人気が薄かった。
「い、いや……! こ、来ないで……!」
そんな叫びは誰にも届かない。
住宅街の隅、開発の際にうっかり出来たデッドスポット。誰も見向きもしない街の影に、女子高生は追い詰められていた。
「成のためなのよ、素敵な髪型ね、いいお日柄ね」
ゆらり、と幽鬼じみた女が歩み寄る。
その髪は白と黒のまだらで、その身体をどす黒い返り血で汚し、その手には刃が半分ほど残った包丁が握られている。
「どこの学校なの、そう三流ね、うちの子はとても優秀だわ」
「い、いやあ……」
女はぶつぶつと何かを呟きながら、にたにたと笑って包丁を振りかぶる。
そんな鬼女めいた姿に、女子高生は目に涙を浮かべて懇願する。フィーチャーフォンを握りしめ、ぶるぶると哀願するように女を見上げる。
「生きてる意味ないの、病気なの、あら素敵な髪型ね」
そして女は一切の躊躇無く、折れた包丁を女子高生に向かって振り下ろした。
「そこまでだーッ!」
不意打ち気味に。弾丸のように飛び出してきた雪室 チルル(
ja0220)のタックルが、その背中に炸裂した。
女――重生いずきはよろめいたものの、怯むことなく包丁をチルルに向かって、
「だいじょーぶ、いちめーはとりとめた!」
「そうですか!」
優位だったはずの女子高生に、手にした包丁をあっけなく蹴り飛ばされた。そして流れるように女子高生はいずきの足下を掬い、そのまま膝関節を極める。
遠くから聞こえる救急車のサイレンに、女子高生――桜庭愛(
jc1977)は安堵の息を吐く。いずきは獣じみた唸りを上げ、もはや言葉になっていない。
「大人しくして――ください!」
愛はふうと気合を入れると、そのままいずきの意識を刈り取った。
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救急車が去って行く。応急手当こそしたが、まだまだ予断を許さない状況だと救急隊員は言った。
「よろしく頼む」
遠石 一千風(
jb3845)は祈るように言うと、振り返って『現場』である路地裏に目をやった。
「酷いものだな……」
どす黒い血痕があちこちに飛び散っている。これを一介の主婦がやったのかと思うと目も当てられない。
それも『教育熱心な母親』――子供の声を聞くつもりのない、ただ己のエゴを押しつけるだけの存在が、
一千風は首を振って思考を止めた。……関係ない。母親のことは、今は。
「ええ、ええ。分かったわ。こっちは一段落ついたから、その通りよろしくね」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は携帯電話を仕舞うと、一千風と同じように現場に目をやった。
「もうじき警察もこっちに来るわ。いずきはチルルと愛が捕縛、エカテリーナの避難誘導も落ち着いたみたい」
「……そうか」
この路地裏――『三人目の被害者』が出た場所に駆けつけた時、既に重生いずきの姿は見えなかった。そこには全身を滅多刺しにされた女子高生がぐったりと横たわっていただけである。
駆け寄ってギリギリ息があると判断するや否や、ケイはアウルの力で治癒を試みた。感覚としては首の皮一枚。一千風が救急車を呼んでいる間、必死に手当てし続けた。つなぎ止めることには成功したが、もしあらかじめ活性化してこなければと思うとぞっとする。
そして同時にいずきの追跡も行わなければならなかった。もちろん次の犠牲を抑えるというのが大前提だが、もう一つ。
――『覚醒者の犯行の目撃者』を減らさなければならないという理由。
白昼堂々の犯行、そして滅多刺しともなれば返り血は避けられない。異常な姿の覚醒者が衆目に晒されることになる。下手な目撃情報は余計な噂や憶測を生む。想定している『落としどころ』に対して、それは大変よろしくなかった。
ここで愛は自ら囮役を名乗り出た。被害者の共通点を汲んで、あらかじめポニーテールのセーラー服に着替えていたのである。
普段の快活さはどこへやら、鞄をだらしなく提げて、ぽちぽち携帯電話をいじっている姿は見事なまでの『今時の女子高生』だった。身長や髪型からしても、このメンバーの中では最適任だと納得の仕上がりだった。
そして万が一に備えて一千風は回復に専念するケイの守護へ、チルルは愛のサポートへと回ることとなった。
警察と消防の指示により、避難所に指定されているのは中学校だった。
――重生成が本来通っているはずの市立中学校なのは皮肉とでも言うべきか。
「な、なあ。撃退士さん、本当なのかい? 『悪魔がこの街で暴れてる』って……」
不安そうに訊ねてくる初老の男性に、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は冷静な表情のまま答えた。
「現在調査中だ。心配は要らない。このまま一時間程度で解決する見込みだ」
エカテリーナが請け負ったのは周辺市民の誘導である。すぐさま各機関と連携して、近隣住人を避難させるよう指示を飛ばした。
曰く『天魔の眷属が潜伏しているという通報が入った。念のため避難して欲しい』。
幸か不幸か、ここ連日の戦火と殺人事件によって住民の危機意識は上がっていたのだろう。避難誘導は思いの外スムーズに進んだ。渋る住人には銃火器を見せつけて黙らせた。
そうして重生家の周りを徹底的に人払いし、その間に決着を付ける。
「――こちらは問題ない。あと一時間程度と宣言した。それでいいな?」
あたかも戦闘に備えるかのように、エカテリーナはライフルを構え直す。背後の市民が怯えたような声を上げた。構わない。『天魔の仕業』だと思ってくれるのなら、それで何ら問題は無い。
「……ああ、問題ない。重生いずきの身柄は確保、被害者の女子高生も一命は取り留めたみてえだ。これから合流して重生家の様子を見る」
通信機越し。空から状況をオペレートしていた小田切ルビィ(
ja0841)は、覚悟を決めるようにそう言った。
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マンションの一室。重生家の扉は――どこか、空気が死んでいるような錯覚を覚えた。さながら廃墟を目の前にしたような虚ろさである。
「どう思う」
眉を顰めながら、ルビィはぽつりとそう呟いた。
「どうって?」
チルルはインターフォンに指を掛けながら、首を傾げた。
「半々……と思いたいわよね」
ケイは難しい顔をしながら、祈るように言う。
「父親はどうだったんだ?」
一千風の問いに、ルビィはふるふると首を横に振った。
「てんで出やがらねえ。三度目には電源が入っていませんと来た。出張先に問い合わせたら『本日は出社していません』の一点張り。面倒事はお断りってオーラがぷんぷんしやがる」
父親――重生露秋。二日前から出張で家を空けているという、いずきの夫。
決して広くはないファミリーマンション。それでなくとも家族なのだ。妻と息子の異常に気づいていないわけがない。
何かしら事情が聞ければと思ったのだが、なしのつぶてで終わってしまった。
そして、この薄い扉一枚向こうには、重生家の事情が全て詰まっている。
「インターフォン……押さないんですか?」
不意に訪れた沈黙に薄ら寒いものを覚えながらも、愛はそう切り出した。
「おっと、そうだった」
チルルはあっさりとインターフォンのボタンを押した。
ぴんぽーん。
ぴんぽーん。
ぴんぽーん。
都合、三回。
応答はなく、電子音が虚しく木霊しただけだった。
「よし、行くよ!」
確保したいずきから拝借した家の鍵をドアに差し込むと、チルルは勢いよくドアを開け放った。
「――どうか」
祈るようなケイの独り言。
果たしてそれに答えるように、開け放たれた部屋の中身は、
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>それでは今回の事件は『恒久の聖女』とは無関係だと?
「無論だ。公表されたとおり、潜伏していた野良ディアボロによる被害だ。それ以上でもそれ以下でもない」
>ネット上では地元主婦が犯人だという説が濃厚ですが?
「なんだそれは。件のディアボロは鬼をモチーフにしていたと推測されている。成人女性と間違えるのは無理がないか?」
>その地元主婦、『聖女』事件の被害者って話ですけど?
「だからどうした?」
>被害者だから覚醒して復讐したんでしょう?
「それは随分飛躍しているな。何が『だから』だ。何も繋がっていない。ロシア人に日本語の指摘をさせるな。それとも何だ、そんなに『聖女』の仕業にしたいのか?」
>いえ、それはそういう話がネットで
「くどい、他人の意見を振りかざすな。そして終わった話を蒸し返すな。どうやらかなり『聖女』に入れ込んでいるようだな?
――いい加減言わせてもらうが、覚醒者を敵視するということは天魔に与するということを理解しろ。敵は天魔だ、間違えるな。人間同士で足を引っ張り合う暇があるなら、敵をしっかり認識しろ。確かに覚醒者は諸刃の剣やもしれんが、アウルは中立の存在だ。ほら、言うだろう」
「――なんとかと鋏は使いよう、と。それと同じ事だ。その程度が分からんようなら、記者なんぞ向いていないぞ」
(動画終了)
『インタビュー動画』は、蔑むようなエカテリーナの表情で止まっている。
「素敵よ」
ケイはパソコンの前で独りごちた。
この動画を特集したブログエントリーは大いに賑わっている。アンチ覚醒者に染まったサイトも、ただ流行を追いかけてアクセス数を稼ぎたいだけのサイトも、こぞってエカテリーナを記事にしている。
状況は五分五分と言ったところ。
エカテリーナの言を『正論』と捉える者と、『覚醒者の戯言』とわめき散らす者。議論は平行線で、届かせるつもりのない文章のドッジボール。
――さて、このインタビューが『学内で』『そういう台本』として撮られたと知ったらどんな反応をするだろうか。
自ら汚れ役を被ろうというエカテリーナの意気込みに敬意を表しながら、ケイは匿名掲示板に向き合った。
『ロシア女は微妙に嘘言ってる』
『俺は奴に銃で脅されて嫌々避難したんだが、癪なんで盗聴したった』
(ICレコーダーの音声)
――はあ、ただの一般人だと?――金持ちの息子? ストーカー?……それを『ディアボロ』と? つまり揉み消せというのか?
『ボンボンの尻ぬぐいww乙すぐるww』
「……ふう。こんな感じかしら」
たったこれだけの文章でもだいぶ頭を捻った。キャラに合わないことはするものではないが、このくらい『軽く』ないとこの場にはそぐわない。
真実の中に真実めいた嘘を溶け込ませることで、微妙に矛先をずらすのだ。
無論、ICレコーダーも『台本』の一部である。自分の品位を貶めることになるにも関わらず、エカテリーナは進んで引き受けた。
――私は元軍人。憎まれ役こそが私の仕事だ。
素晴らしい。素直にそう思った。
ケイは鬱憤を晴らすように伸びをすると、携帯電話を手に取った。
「もしもし、ルビィ? こちらの書き込みは終わったわ。そちらはどう?」
「ああ、こっちも終わった。普通に名誉毀損が成立だとさ、クソッタレ。酷いブログはもうそろそろ止まってるだろ」
ルビィの声は微妙に疲れている。管理会社やプロバイダに誹謗中傷・個人情報に関わる記事の削除を申請し、裁判所にも申し立てした。『これ以上は法に訴えるぞ』という直接的なアプローチだ。あちこちかけずり回った分、効果は覿面だろう。
そして先のケイの書き込みを合わせて削除することにより、信憑性を高めて『落とし込む』。
重生いずきは事件と関係無いところで精神を病み、入院しただけの存在である。
殺人犯は偏執的なストーカーであり、その親は財力を使って事件を揉み消そうとした。久遠ヶ原はとんだ骨折り損。
それがこの依頼の真相だ。
そして、重生成と重生露秋は、
「……クソ。なんだか煮え切らねえ。全部信田の掌の上って感じがするぜ……」
電話越しに、ルビィが歯を食いしばる音が聞こえた。
「あの『先輩』、何を考えているのかしら……」
ケイはふと未唯の顔を思い出した。彼女は今、何を思っているのだろう――。
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花を添える。マッチを擦る。線香に火を付けて、手を合わせて目を伏せる。
ざわ、と風が吹き抜けた。微妙に空気が湿気っていて、生温い。
「…………」
一千風は重生家の墓前から立ち上がることが出来なかった。
予想通り、と言うべきか。
踏み込んだ重生家の奥。あまりにも散らかった部屋の奥。
――そこには、白骨化の進んだ子供の遺体が打ち捨てられていた。
分かってはいた。恐らく全員が予想していた。
『半年も目撃情報が無い』時点で、『重生いずきの動機』からして、恐らくこうなっているだろうとは。
それでも、やはり目の当たりにすると厳しいものがあって。
「どうして」
独りごちる声が震えていた。
――どうして、母親は何も見ないし聞こえないのだろう。
かつてレールに乗せられ続けた一千風の人生。それでも一千風はこの力に目覚めたことで、親という戒めから抜け出すことが出来た。
この子にはそれが許されなかった。『母親』のエゴで、その人生ごと叩きつぶされてしまったのだ。
「どうして」
そしてそれを『他人事』としてあざ笑うネットの世界が、どうしても不愉快で仕方なかった。
この事件は何もかもが悪辣で、いつの間にか握りしめた拳が痛くて、ぽつぽつと水滴が膝を、
「……そろそろ行きましょう。雨降ってきました」
愛に肩を叩かれて、我に返った。
「んむ、そーだなー。お腹空いたし、ご飯食べたらあたい達も火消し?しよう!」
チルルに腕を引っ張られて、思わず転げそうになった。
「おあっと、ごめんごめん。でもとにかくしんどい時はご飯だ! めそめそしてたら成に笑われるかも!」
「お父さんのこともありますからね。しばらくそっとしておいてあげましょう」
二人の笑顔は心なしか陰っているような気がする。それでもなんとか気丈に振る舞っているのだと、一千風は自身の激情を恥じた。
重生露秋は、出張先で行方不明になっていた。
泊まっていた部屋に遺書が残されていたことから、警察は近隣の山中を捜索している。けれども棲み着いている野良天魔の影響を鑑みるに、あまり期待は持てそうにないということだった。
結局、何も救われていない。
つまるところ、一つの家庭が壊れていく様を見せつけられただけだ。
確かに自分たちへの被害はある程度防げたのかもしれないが、ならばもっと早く救えるものがあっただろうにと。
「何を考えているのかは知らないが」
一千風はどんよりとした雨雲が集まってくる空を見上げ、言った。
「――信田の望む結末にするつもりはない」
「うむ、そのとーり!」
「いつか必ず、とっちめてやりましょう!」
撃退士達は、静かに決意を滾らせた。