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整備された高層ビル、六車線の大通り、生活の気配が薄い画一的な施設群。人のいないオフィス街はがらんどうだった。
今日が休日で良かったとミハイル・エッカート(
jb0544)は思った。サラリーマン故に、こんな不測の事態で業務中断など他人事ではないからだ。仕掛けた悪魔が『遊び気分』であれば尚更である。
「ふうん、こいつが元ネタか」
ともあれ、ミハイルは移動中の車の中でスマートフォンをいじっていた。『タコ殴り英雄譚』というゲームが今回の元ネタらしいと未唯が調べたのだ。
「あら、可愛いわね」
ミハイルが画面を見せると、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は率直な感想を述べた。そこにはあのエプロンドレスを着た犬が映っている。
「アステカの女神……? へえ、始めて聞いたな」
龍崎海(
ja0565)は出てきた名前を検索してみるが、あまり詳しい結果は得られなかった。『憤怒とかまどを司る女神。断食中に禁忌である焼き魚とパプリカを口にしたために犬の姿に変えられた』としか書かれていない。相当マニアックな部類なのだろう。
「これ著作権的にどうなのかしらね。映像記録を取るなら、モザイクかけないといけないんじゃないかしら」
創作に関わる者として、巫 聖羅(
ja3916)は涼やかに言い放った。これでは海賊版だ。悪魔が版元に許可なんて取っているはずもなかろう。いや、炎上しようが知ったこっちゃないのだが。
さて、そんな感じで待ち合わせ場所に辿り着く。
そこは企業戦士達のオアシス、チェーン店のお洒落カフェ。猫人間の悪魔は、オープンテラスで待っていた。
撃退士達は車を降りると、それなりの緊張感を保ったまま近づいた。
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「おー来た来た! ずっと待ってたにゃんこ! んーん私も今来たところだから! 一緒に帰って噂とかされると恥ずかしいし……」
開口一番ツッコミが追いつかない。
フローレンスはタブレットを操作しながらスマートフォンで電話をし、眼鏡をクイクイといじる。『いかにも』なスタイルだが、服装が致命的にだらしないのでそういうコントにしか見えない。馬鹿にしているのか。
「見て見て、フルコンしたお! いやージュエルが溶けまんた。私達は登り始めたばかりだからよ、この果てしない道玄坂を……」
そして始まるマシンガントーク。脈絡もなければ収拾も付かない。会話のドッジボールどころかピンボール。本題どこ行った。
「こ、こいつはヤベぇ。ノリが皆目見当つかねェぞ……」
法水 写楽(
ja0581)は普通にドン引きした。
「……うぜえ」
鈴木悠司(
ja0226)の独り言は万感籠もっていた。
「いいからとっとと本題入れこのタコ!」
舐めきった態度に天王寺千里(
jc0392)の怒りゲージが速攻でカンストし、見事なグーパンがフローレンスの顔面に、
ちゃりーん☆ というふざけた効果音と共にその拳の軌道が『書き換えられる』ような錯覚を、
結果として喫茶店の壁に拳が突き刺さり、
「やだイケメン……壁ドンいただきましたーッ!」
きゅんきゅんとハートマークを飛ばすフローレンス。修羅のような形相をする千里に、一切動じた様子がなかった。
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改めて、これは『ただのディアボロ討伐』である。
たかがそれだけの本題に入るまでに、二十分以上を消費することとなった。いちいち描写していてはEXフラグでも足りないので、要点を纏める。
一つ、ティコちんは受けたダメージを二回まで記憶してそのまま返すので注意すべし。
一つ、ティコちんの攻撃は自然現象再現なので火災に注意すべし。
一つ、フローレンスへの直接攻撃は罰金。先程の千里の一発は説明前なのでノーカウント(返金済)。
一つ、撃退士が危なくなったらそこで中止とする。
完全にゲーム気分、しかもイニシアチブはあちらにある。端的に言って舐めくさっていた。
だだっ広い大通りの真ん中には、ぬいぐるみのように愛らしいティコちんが三体ふんぞり返っている。その手には無骨な炎の槍。『てぃこてぃこ』とそれはもう可愛らしいボイス。
「……不愉快だ。さっさと倒そ」
「全くね」
完全に不機嫌な悠司の呟きに、ケイは苦笑した。そして使い慣れた愛銃を一旦仕舞って、可愛らしい花の指輪を指に嵌める。
海は気を取り直すように咳払いをすると、宙に浮く盾を具現化した。
「俺と巫さんが抑えに回る。その間に一点集中で行こう」
「空から狙い撃ちにしてあげるわ」
言って、聖羅は悪魔の翼を顕現する。今日の得物は魔道書だ。
「まさに『タコ殴り』って訳だ」
ミハイルが肩を竦める横で、ずうんと重たい音がした。
「……何だっていい。速攻でブッ殺(とば)すぞ」
ドドドド、と書き文字を背負っていそうな程、千里のアウルは高まっていた。というより完全に修羅と化していた。特攻服めいたロングコートがはためいて、ごきりごきりと拳を握る。一人だけ世界観が違う。
「お、おお。こいつァ頼もしいぜ……」
美人なのになァと思いつつ、とても口には出せない写楽であった。
「ヤンキーてぃこ」「あれはレディースっていうてぃこ」「やだこわいてぃこ」
ぷるぷる。なんか喋った。
「っぜーぞバカ犬共がァーッ!!!」
天王寺千里は激怒した。必ず、かの邪知暴虐な悪魔、いやぱっぱらぱーのぼけなすを除かねばならぬと決意した。
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千里の咆吼を合図として戦闘が開始された。
作戦は至極単純。海と聖羅が一体ずつ引き受ている間に、残りの五人で囲い込むという形である。
ただし『思考停止の力押しでは痛い目を見る』というヒントも呈示されている。
ケイの指先から白色の花弁が射出される。それをティコちん――仮にAとする、はひょいっと避けた。攻撃力に振ってあるとフローレンスは言っていたが、回避力がないというわけではないらしい。
「……厄介ね」
受けたダメージを自身の攻撃に上乗せする特性を持つ、とわざわざ解説された。ストックできるのは二回まで、とまで。
つまり『最初の二回は強力な攻撃を当てられない』ということになる。迂闊に最大火力をぶち込めば、仕留められなかった場合、非常に危険だ。
「おらおらァ!」
写楽もまたオートマチックで攻める。だが『敢えて』カス当て狙いは存外に難しい。「てぃこっ♪」とティコAは踊るように避けていく。
「チッ、マジうぜぇ……」
「……」
千里と悠司はタイミングを伺っていた。二人で紫煙を燻らせながら、『総攻撃のタイミング』を待っている。
激情こそしているが、千里とて歴戦の撃退士である。感情優先で作戦を台無しにするわけにはいかない。だからこうして無理矢理煙草で押し込める。ついでに路傍の石に蹴りを入れる。
一方の悠司は、自身の魔法耐性を鑑みた結果であった。ティコちんの攻撃は見るからに魔法属性である。自身の魔法に対する防御及び回避力を、悠司は『役に立たない』と判断した。
また、『爆弾を使う』という予告――まったくふざけている――もある。いくら道が広いとはいえ、下手に固まると投げられかねない。
その代わり。
悠司は刀を握りしめた。掌に吸い付く。大丈夫、問題ない。
ぱきゅん、とティコAのドレスにアウルの弾丸が刺さった。ようやくまともな一発目だ。
ミハイルはそのまま手にした銃を入れ替える。慣れない魔法攻撃よりも、銃そのものの攻撃力を落とした方が早いという判断だった。
「あーーーっ!」
途端、ティコAが悲鳴を上げた。まるでお気に入りの人形が壊れた女の子みたいな泣き声だった。
「ティコのドレスがー! ひどいよ、ひどいー!」
着弾した部分からぐずぐずとほつれ出すエプロンドレス。やがてぐずぐずと黒く泡立って台無しになっていく。
「悪いね」
ミハイルはクールに言い放つと、すぐに次の銃に弾を込める。装甲低下――腐食の弾丸『AS』。ティコAはギャンギャンと泣きわめきながら、
「うわーん! 激おこてぃこてぃこまるー!」
途端、切り返すように炎の槍が射出された。完全なノーモーション。不意打ちじみたそれに、ギリギリ弾丸を撃ち込んで角度を逸らす。
ゴォと猛る青い炎がミハイルの頬を掠め、上空に逸れていった。ウェルダンなど生温い、一瞬で昇華してしまいそうな熱量である。
なるほど『開発能力』自体は確かなのかと、ようやくここでギャップが埋まった。
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「やめて! 酷いことするんてぃこ! スマート本みたいに!」
そうティコちん――仮にBとする、は叫んだが、あいにく海にはネタが通じなかったようだ。
「悪いけどしばらくじっとしていてもらうよ」
生真面目に切り返すと、海はティコBを『審判の鎖』で縛り上げる。ティコBは苦し紛れにパプリカ――の形をした爆弾を転がすが、海の召喚した盾がその前に立ちはだかる。
ドォンと派手な音が轟くが、瞬間、盾が広くアウルを纏う。アウルは衝撃を全て吸収すると、後にはアスファルトの上の焦げ痕だけが残った。
――それでも、生半可な威力じゃない。
今回は上手くしのげたが、この火力を連発されればたまったものではないと海の経験が告げる。それこそ三体揃えば辺りが焦土と化すだろう。
「ひどいてぃこ! これハメてぃこ! うちのシマじゃノーカンてぃこー!」
……ぎゃんぎゃん泣きわめく姿はまるで子供だ。チャンスが来るまで、きちんと縫い止めておかなければならない。
海は戦局を見る。三分割自体は上手く行った。もう一人の抑え役は――
「うわーんうわーん! いじわるー!」
最後のティコ――Cとする、は号泣していた。まるでいじめっ子に遊ばれている女の子のように。
「ずるいてぃこー! 降りてきてよー!」
「何とでも言いなさい」
聖羅は冷たく切り捨てた。そして空の上で意識を研ぎ澄ます。高層ビルの屋上よりも高い位置から、空気の刃を錬成する魔道書が唸る。
「いじめっこ! れいけつかん! どえす! にんげんのくず! しゃかいのぼとむず!」
「あ、今ので吹っ切れたわ。実は少し悪いかなってほんのちょっぴりでも思ってたんだけど、そんな必要全くないみたいね」
そして容赦の無い一撃が空から振ってくる。ティコCはあえなく直撃を食らう。
「むせる!」
『ふんぬのめがみ』は撃ちきったので、もはや泣きわめくしかないぬいぐるみである。
最初こそ少し焦った。聖羅は陽動のために、空からティコCを狙い撃った。
その際、反撃の炎の槍が足を掠めたのである。あまりにも速い一撃。痛みに足を顰めたが、動けないほどではない。聖羅はそのまま飛び上がり、空中からティコCに照準を合わせた。
結果、聖羅の最大射程に槍が届かないことが分かった。こうなれば一方的である。
問題は、
――これ以上は近づかないとダメか。
弾切れである。
「うわーん! いじわるいじわるー!」
このまま逃げに徹しても、いずれ興味を失って逃げられる。そうなる前に決着を――
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「あーッ! まだるっこしィーッ!」
限界だった。
千里には政治が分からぬ。けれども天魔に対しては人一倍敏感であった。
火の付いた煙草を投げ捨てる。それが地に落ちるよりも速く、千里の拳はティコAの腹部を殴りつけていた。
「こしみっ、」
「ご主人様のケツでも噛んでろ駄犬がァーッ!」
まさしく乾坤一擲の一撃。煮えたぎった憤怒の一撃は、ティコAをまるでバレーボールのトスのように打ち上げた。
刹那、悠司は音もなく走り寄った。地面を縮めるかの如き足捌きで、宙に浮いたティコAに飛びかかる。
トスからのスパイク。まさしく速攻の勢いで、曲刀がティコAに叩き付けられる。バァンといい音がして、ティコAはアスファルトに叩き付けられた。そのままぴくりとも動かなくなる。
その際に腐食していたエプロンドレスが綺麗にはじけ飛んだが、だからどうしたという話である。
「切ない話よね……」
車に轢かれた野良犬を思い出す。いくら可愛い外見でも、ディアボロである以上はこうなるのだと、ケイは嘆息した。
趨勢は決した。
「んもー! てぃこちんカム着火インフェルノー!」
鎖が解ける。ティコBは海に向かって炎の槍を構える、が。
「残念。時間切れだ」
「だぶるおーせぶん!?」
背後に現れたミハイルの盾――アサルトライフルの銃床が後頭部へ振り下ろされる。行動は否応なくキャンセルされる。
「さっきからどういう言語センスなんだ……?」
海は首を傾げつつも、盾で殴りつけトドメを刺した。
「いぢわるいぢわるいぢわるー!」
「そんなに泣いたら疲れちまうぜェ?」
「てめーのかおもみあきたぜ!?」
聖羅を見上げて泣いていたティコCを、突撃してきた写楽の大剣が吹き飛ばす。
「ごめんなさいね」
ケイがそれを的確に射貫き、こうして討伐は完了した。
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で。
「お疲れー♪」
配下のディアボロが討伐されたにも関わらず、ものすごい楽しそうな猫悪魔。テーブルの上には人数分のコーヒーと茶菓子。お茶会する気満々である。
「……アタシはパス」
早々に車に戻る千里にフローレンスはぶうぶうと口を尖らせるが、それに構うのも馬鹿らしい。
六人は顔を見合わせたが、ひとまず情報収集するべきだと同席することにした。
「それで。今回のゲームは何点?」
飲食物には手を付けず、悠司は淡々と聞いた。
「百点、面白かったもん♪ 今の撃退士ってこんな強くなってるんだにぇ」
「ふうん。お気に召すデータは取れたのかしら?」
警戒しながら聖羅が聞く。馬鹿のフリをした狡猾さを持っていると、
「そりゃーもうティコちんのマッパよ。眼福眼福!」
……思いたいのは山々なんだけどなあ。
「勝者として聞くけど、十年越しに現れたのは関東と関係が?」
しかつめらしく海が聞いてみるも、
「え、それ何の話?」
逆に聞き返してくる始末である。
因果関係としては、昨今の諸々の混乱に乗じて監禁状態から抜け出してきた――ということになるらしい。
その後至極どうでも良い雑談の末、『どうやら遊ぶ事しか頭にねーぞコイツ』という結論に至った。
「フロ、こういうのは冥魔同士でやってくれ。迷惑だ」
「えー、だってこっちのが楽しいんだもん」
ミハイルの忠告にも何処吹く風。悪魔の事情も人間の都合にもとことん無関心のようだった。
「ところでよォ。元の顔はどんなんだい?」
写楽は興味半分に聞いてみた。
「なんでー?」
「美人だったらもったいねェだろ?」
その瞬間、ナイフのような殺気が場を支配した。
「は? これが一番美人だろ」
ドスの効いた声に、これ以上の追求は諦めた。
去り際。ケイはふと思いついて聞いてみた。
「ところで、未唯先生の武勇伝ってないの?」
フローレンスは「うにゃ」と言った。そして、
「そーいや格好が普通だったねえ。どうした『コスプレ撃退士』。その時ハマってるアニメキャラになりきる芸風でね――」
垂れ流される武勇伝(くろれきし)。
ちなみに。未唯は今年三十二歳。十年前でも二十二歳。
そうか、だからあんなに嫌がっていたのか、とケイは納得した。