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「ジジイとババアだ! 殺そう!」
孤児院に踏み込んだ瞬間、聞こえたのはそんな嬉々とした声だった。
子供達の先頭には、どす黒いオーラを纏った年端もいかぬ子供――小金井ジャックが笑っている。心底楽しそうに笑っている。その後ろには、表情をなくした子供達がぞろぞろと揃っている。
目眩がするほど異様な光景だった。
そしてジャックは右手を二回振った。
「今のは……」
藍那湊(
jc0170)の呟きを受けて、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は頷いた。
「何か、やったわね」
間違いなくアウルの流れを感知した。何かしらの能力行使が行われたと見て間違いないだろう。
「ここはあの子の庭よ。トラップが仕掛けられているかもしれないわ」
言って、巫 聖羅(
ja3916)は目を凝らす。――ぱっと見では判別がつかないようだった。その程度には能力を使い慣れているらしい。
「……打ち合わせ通りに」
山里赤薔薇(
jb4090)が一歩踏み出す。
「おう」
と一川 夏海(
jb6806)は答える。
「予定へんこーう! 今日はそこのジジイとババアどものぎゃくさつごっこだ!」
開戦を告げるジャックの声は、たまらなく、嬉しそうだった。
がちゃりと牙撃鉄鳴(
jb5667)はレールガンの安全器を外した。
「ガンバルゾー」
ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)の掛け声は、どこか緊張感に欠けていた。
●
小金井ジャックの能力が『爆発』に関する、ということはもはや自明である。
そして出会い頭の能力行使。――見えない技、仕込み、ここは相手にとってのホームグラウンド。
であるならば。
ケイは数歩距離を詰めると、オートマチックを連射した。狙いは地面。孤児院の庭が掃射され、土埃がたちまち立ち上る。
どかん、どかん。
同時に子供達との直線上で、二つの爆発が起こった。
「あー、何するんだよクソババア!」
「過ぎたオモチャよ、ボクちゃん」
暴言は涼やかに受け流して、ケイは塀の向こうへ身を潜める。土埃が視界を遮っているから、潜行は容易だった。
――ひとまず正解。先程の能力行使は『地雷』と見ていいだろう。爆発物を含む罠と言えば十中八九それだ。
しかし、そうなると厄介な問題が浮上する。
二日前に発見された身元不明の死体――爆弾でも飲まされたかのような。そして今ので『地中に爆発物を仕込む』という能力が明らかになった。
嫌な推測が立つ。
ジャックの周りには虚ろな目をした十二人の少年少女。さて、何のためにそこにいるのでしょう?
夏海は明朗な声を張り上げた。
「お近づきの記念だ。いいこと教えてやるぜ、坊や」
土埃が収まると同時に、アウルによって夏海の存在感が増す。そしていかにも気のよさそうなあんちゃんといった風に、上空を指さした。
「ほら、あそこにUFOが飛んでるぜェ!」
「は? 黙れよボケジジイ。息臭いんだよ!」
……にべもない返事、というよりどんな教育を受ければその歳でそんな言葉が出てくるのか。親の顔が見てみたい、なんて一瞬本気で思ってしまった。流石にカチンと来る。
だが、本来の目的は果たした。
ジャックは夏海に意識を向けた。
子供達でもなく、他の仲間でもなく、夏海だけを見ていた。
だからあっさりと引っかかった。
「眠って」
赤薔薇の放った催眠の霧が、ジャックと周囲の子供達を覆い隠した。
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きょうはとてもたのしかったです。
ババアころしごっこをするつもりでしたが、ジジイとババアがなんかきました。
いっぱいえいやっとしました。
しにました。しにました。しにました。しにました。しにました。しにました。しにました。
とってもたのしかったです。
ジジイとババアをころすのが、やっぱりいちばんたのしいです。
あ。
ついでになんとかくんとなんとかちゃんがしにました。
にんげんばくだんってたのしいね!
「……きみは、元からそうだったの?」
ジジイかババアかわかんないのがいった。
「戦うことに憧れていたの? ……それとも、ただ、殺すことが楽しいの?」
バカだこいつ! ぴくぴくかみのけゆれてるし!
ひとごろしはたのしいにきまってるだろ!
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作戦は拍子抜けするほどにあっさり進んだ。
「これで全員?」
聖羅の言葉に、ベアトリーチェが諸手を挙げた。
「……オールオッケーイ」
付き従っているフェンリルが小さく唸る。同意しているように見えた。
「問題ない」
レールガンのスコープを覗きながら、鉄鳴は素っ気なく答える。
ここは孤児院の屋上である。本来は物干しとして機能していた場所だが、二階建ての上にフェンスが備え付けられているので、地面からたっぷり十メートル前後は離れている。
子供のジャックが相手なら、こちらの射程内かつ相手を隔離できる丁度良い場所だった。
赤薔薇が提案した作戦はこうである。
睡眠効果を持ち、なおかつ殺傷力を持たない『スリープミスト』でジャックを眠らせる。その間に子供達を安全な場所へ避難させ、それから鎮圧する。
偏に『子供達が巻き込まれる危険性』を考慮してのことだった。
ジャックが爆発物を操る以上、攻撃範囲はどうしても広くなる。こちらが気をつけても、ジャックが頓着しない可能性は十分にある――いや、一般人を連れ歩いている時点で考慮していないだろう。
そして――あまり考えたくはないが、ジャックが人体を爆発させられるのは『身元不明の死体』で証明されている。ジャックが『子供達を武器として使用する』可能性。あり得ない、とは言い切れなかった。
グラウンドには睡眠担当の赤薔薇と、ジャックが目を覚ました場合のサポート役としてケイと湊がそれぞれ構えている。
飛行能力を持つ聖羅とベアトリーチェが主体となって子供達を屋上に運び、夏海と鉄鳴は子供達の監視に付くことにした。
夏海は屋上への階段を、鉄鳴は壁を直接登ってくる可能性を警戒する。
「ここまでしなくてもよくない? 可哀想じゃない」
聖羅は眉を顰めて、十二人の子供達を示した。
――子供達はロープで繋がれ、身動きが取れなくなっていた。さらに数珠のようにそれぞれのロープが繋がっている。一般人の、それも子供に行う仕打ちとしては少々苛烈と言えた。
「そいつらの救出が任務だろう」
鉄鳴のぶっきらぼうな答えに、「だから」と聖羅は食い下がろうとする。
夏海は「どうどう」と割って入った。
「落ち着け。こうしないとマズいんだよ。えーとなんだっけ、スコットランド?」
「……北欧。神話的フェンリルの出身地……ジャスティス」
イェーイ、とベアトリーチェが茶々を入れた。そして侍るフェンリルの首元に顔を埋める。
「違えよ。……アレだ。長いこと人質に取られると、強盗に感情移入しちゃうってやつ」
夏海の説明に、聖羅は少し考えた。そしてすぐに行き当たる。
「――ストックホルム症候群?」
「そう、それ」
ストックホルム症候群。長期間監禁状態に置かれると、被害者が犯人に共感・同調してしまう現象のことを指す。
「この子らはジャックを囲むように動いてたし、実際戻ろうとしたんだよ。『ジャックのため』とか言いながらな」
「――――」
聖羅は息を呑む。そしてよく耳を澄ませば、確かに子供達は呟いている。『ジャック』『戻らなきゃ』『頑張って』。
――典型的だった。
「……こんなの、あんまりだ」
聖羅は唇を噛む。湧き上がる怒りと虚無感で肩が震えた。
「死の意味さえ分からないうちに両親を亡くして、聖女に化け物にされるなんて」
そんな人生、あんまりだ!
「どうだか」
鉄鳴は小さく独りごちた。
牙撃鉄鳴はレールガンを構え続ける。スコープを覗き続ける。照準はずっと、小金井ジャックに合っている。
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赤薔薇はふう、と息を吐いた。
――子供達の救助は完了した。グラウンドには眠りこけているジャックが一人だけ。
ここまでは順調だ。
あとは、目の前の可哀想な子供を鎮圧するだけ。
安らかに寝息を立てている姿は年相応の子供なのに、蝿を模した禍々しい光纏が『まだ終わっていない』と告げている。
――悪い夢はもう終わり。必ずみんな助けるから。
山里赤薔薇に、『小金井ジャックを殺す』という選択肢は存在しなかった。
より正確には『これ以上、恒久の聖女の被害者を出さない』という行動理念だ。ここでいう被害者には、『聖女の妄言を真に受けて道を踏み外した者』も含まれる。
まして『居場所を乗っ取られ、邪悪な思想に染められた』小金井ジャックなどその極致である。
まだ幼い子供なのだ。やり直しは効く。いくらでも。
赤薔薇は黄金の鎌を構える。
「――そろそろ起きるわよ。準備はいい?」
どこかに潜んだケイの声が聞こえる。
「…………」
合わせて、対面に位置していた湊が構える。どこかその面持ちは悲痛だ。
無理もない。ただでさえ気の滅入る相手なのに、湊は子供好きだと聞いている。
「……んあ?」
ジャックが目を覚ます。ゆっくりとその身を起こし、きょろきょろと辺りを見回した。
「なんで、しんでないの」
そして愕然とした表情をする。
「ぼくがころしたんだから、しんでなきゃだめじゃん!」
「山里さん!」
同時に、屋上から聖羅とベアトリーチェが飛んでくる。
「一気に決める――合わせて!」
赤薔薇は、鎌を振り上げた。
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決着は一瞬だった。
聖羅が放った無形の手と、湊の氷の蔦が、ジャックを拘束する。
ケイの撃った腐食の弾丸が、ジャックの右手を貫く。
ベアトリーチェとフェンリルが喚びだした雷が、ジャックの全身を灼く。
そして赤薔薇は、ジャックを中心にアウルの花火を咲かせた。
小金井ジャックは黒焦げになりながら、その場にばったりと倒れ伏した。
その身体から既に黒い蝿は消えている。戦闘不能状態なのは、誰の目にも明らかだった。
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赤薔薇の行動は素早かった。
ロープを取り出すと、すぐさまジャックの身体を縛り上げにかかる。
「山里さん、先にこれ使って」
聖羅はその隣に降り立つと、覚醒者用の拘束具を取り出す。
思うところは一緒だったのだろう。頷き合うと、二人はジャックの身体をガチガチに拘束した。
「トドメはいいのかしら?」
建物の影に隠れていたらしいケイが歩み寄ってくる。ふっと柔らかい笑みを浮かべたかと思うと、その両目に浮かんでいた炎のような光が消えた。どうやら相当の精密射撃を行えるようにしていたらしい。
「……限りなくマックスに近いギルティ……」
言いながらも、ベアトリーチェはあまり興味がなさそうだった。あちらこちらに視線を巡らせ、何かを探しているようである。
――外奪のおにさーん、いない。しょぼーん。
そんな聞き捨てならないことを言った気もするが、今はそれどころではない。
赤薔薇はジャックを庇うように立ちふさがった。
「この子も被害者。したことは許されないけど、きっとまだ間に合う」
聖羅も頷く。
「もしかして異形化だったんじゃないかしら。あの言動も別人格を植え付けられていた可能性だってあるわ」
黒い蝿――光纏とは思えないほど禍々しい姿。
ここは『聖女』の実験施設と化していたという。元々異常な能力だったことも含めれば、そのくらいは平気でやりそうだ。
「……ん」
湊は浮かない顔をしながら、肯否どちらとも取れない相槌を打つ。
――ジャックの『寝言』が耳から離れない。果たしてアレは、本当にただの寝言だったのだろうか?
「そういうことなら、早く連絡を入れましょう。搬送してもらわなきゃ」
ともあれ、それを判断するのは専門家の仕事だろう。湊は苦笑して、電話を手にとった。
「そうね。他の子供達の保護もお願いしなくちゃいけないし――あれ、そういえば男二人は、」
言いかけて、聖羅は屋上に目をやった。
目を疑った。
だん。だん。だん。だん。だん。
小金井ジャックの身体が五回ほど跳ね、その額にぽっかりと穴が開いた。
拘束具とロープ、そしてグラウンドが赤く濡れた。
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「やったのか」
夏海の問いに、鉄鳴は答えなかった。代わりにずっと構えていたレールガンをヒヒイロカネに収納する。
それで十分だった。
不意に縛られた子供達から嗚咽が漏れ始めた。それまでずっと虚ろな面持ちだった彼ら彼女らは、ここに来て感情を取り戻したらしい。
――異常な忠誠心は、多少なりともアウルの影響があったということだろう。
夏海は拘束していたロープを優しく外すと、慰めるようにその頭を撫でる。
「……なんて説明するつもりだ?」
鉄鳴は小さく息を吐いた、ように見えた。
「『山里と巫の背後で攻撃行動を取っていたからやむなく射殺した。拘束具の影響下で動けるとは、研究内容を改める必要があるだろう』」
「そうかい」
夏海は泣きじゃくる子供達を慰めながら、後味の悪さを噛みしめていた。
手遅れだった。どうしようもなく、小金井ジャックは手遅れだったのだ。
これについて少なくとも、鉄鳴と夏海の見解は一致していた。
より正しく言えば、手遅れどころか『初めから間違っていた』のだろうと。
日記の記述と時系列を精査する。
ジャックの両親は『ただの悪魔の被害で』殺された――『そっかと思いました』。
養護施設として当たり前の『ご飯とお風呂がちゃんと出てくる。先生は優しい。兄弟だから仲良くしよう』――『おかしい』。
本来の保護者は殺害され、『成り代わった』。『他の子供が殺された』――『先生がまともになりました』
すなわち、『聖女の影響を受ける前から価値観がずれていた』ことになる。洗脳でも別人格でもなく、天性の快楽殺人者。
そんなものを生かしておけば、どうなるかなど考えるまでもない。
鉄鳴はどこまでも冷静に、そう結論づけた。
――聖女サマ、ねえ。
夏海の中に昏い感情が芽生える。理由はどうあれ子供殺し。罪深いことには変わりない。
許せないという気持ちが肥大化して、どうにかなってしまいそうだった。
●
報告は終始悲痛な空気で行われた。
小金井ジャックの処分については不問。むしろ犠牲者ゼロで済んだことから、多量の報酬が出ることとなった。
――子供を殺したにも関わらず。
感情の整理については、もう少し時間がかかりそうだった。
鉄鳴は一人、屋上に立っていた。
――悪を裁き、子供達を助けたという希望。
――被害者『だったかもしれない』小金井ジャックを助けられなかったという絶望。
『名無鬼』は敢えて絶望を選んだ。それが自分の在り方だと、汚れ役を受け持った。
「下手くそ」
不意に思い出した。かつて『ゴミ掃除』なるお題目を掲げていた殺人者の報告書。
悪役は世に憚る。殺しはどうあろうとも殺し。世直しなどと片腹痛い。
あるいは今回の事件。その背後にいる奴も、似たような思想なのだろうか?
冬の終わりを告げる、ぬるい風が吹き抜けた。
そして『恒久の聖女』の林檎が実るのは、この数日後の話――