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誰もいないがらんどうの住宅街。初芝家は、ぽつんとそこに建っていた。
「――――」
チャイムの前に立つと、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は妙な既視感を覚えた。
今にも崩落しそうな雰囲気。死臭とでも言おうか。『場』自体が瘴気に満ちあふれているような、そんな錯覚。
――前にも、こんな。
防犯カメラの映像を思い出す。あそこに映っていた『彼女』の家も、確かこんな雰囲気だったと。
ともあれ、感傷に浸っている場合では無い。
ケイはスマートフォンの通話が繋がっていることを確認すると、意を決してチャイムを鳴らした。
数秒の後。
玄関のドアが開け放たれた。
そして、
「死ねドブス」
初芝恋歌の斬撃が、ケイめがけて振り下ろされた。
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「ふざけんなふざけんなふざけんな、死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
不意打ちは想定内であったものの、『ここまで』の状態だとは思わなかった。ケイはバックステップで躱すと、庭に向けて走り出す。恋歌は刀を振り回しながら、血走った目で追いかけてくる。
――様々な目撃証言から、恋歌は『玄関を使用する』だろうということは推測出来た。二階から飛び降りるだの、裏口から逃げるだの、そういった小細工は使ってこないだろうと。
そこでケイは正面から訪問することにした。会話が通じれば御の字である。そして犠牲者の傾向を考えて、『男装』すれば糸口が掴めるかと思ったが、
「ブスのくせに男のブスのくせに男のブスのくせに男の」
……どうやら逆効果だったらしい。
それにしても、返り血を浴びた髪と服と刀を振り回し、狂乱しながら追いかけてくる様はなんというか、
「がなるな山姥。息が臭うてたまらん」
開けた庭に出るや否や、そんな嘲笑が飛んできた。
「ああ、理解した。『自分が醜いと認めているから口に出して相手になすりつける』という心理学のアレか」
唐突に響いた男の声に、恋歌の瞳がギラギラと輝く。
「なんて愚昧、なんて蒙昧。哀れを通り過ぎて惨めとも思わん。どうすればそんなに頭と要領が悪くなるのか三周回って興味も湧かんな」
そんな口上を並べながら、鷺谷 明(
ja0776)は優雅に一歩を踏み出した。
同時に、恋歌の刀が明の脳天に振り下ろされた。
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「のろまが」
言いつつも、明はその攻撃を紙一重で回避した。斬撃は地面をたたき割り、塀ごと粉砕する。
ゆらりと立ち上がる恋歌の動きは、明らかにキレが増していた。少なくとも、訓練を受けていないはずの野良覚醒者としては異例の破壊力である。
「おい、煽りすぎだ!」
庭に隠れていた三人が姿を現す。
向坂 玲治(
ja6214)は注目効果のあるアウルを纏って、恋歌を殴りつける。恋歌の瞳が揺れた。
途端、恋歌の唇が動き出す。
「好き好き大好き好き好き好き好き好きが好きして好きが好きの好きが好きで好き貴方が好きの好きで好きが」
恋歌の爛々と輝く瞳はまさに『恋する乙女』だった。全身全霊で飛び出すハートマークが、玲治めがけて降ってくる。
玲治の背中にぞっとしたものが走る。無論、生理的嫌悪感である。
「うっわあ……」
高瀬 里桜(
ja0394)は思わず口元を抑え、
「……イカれてる」
天羽 伊都(
jb2199)は小さく吐き捨てた。
――振り切れている。どうしようもなく振り切れていた。
「貴方が好きなの好き好きなのねえ答えて私の初恋貴方に捧げる好き好き好きが好きの好きで、――貴方は私のこと」
「黙れ」
玲治はぴしゃりと遮った。
あまりにも早い掌返し。言うが早いか、恋歌は玲治の首を刎ねにかかった。
「じゃあ死ね」
玲治はトンファーで刀を弾く。――じんじんと手が痺れる破壊力だったが、そんなことはどうでもいい。
「あいにく俺の隣は埋まっててね――それに男として言わせてもらうなら、誰もお前なんざお断りだろうよ」
心底侮蔑の念を込めて、玲治は恋歌を見据えて言い放った。
「じゃあ死ね」
会話は成立しない。何もかもが噛み合っていない。刀は閃き、今度は玲治の胴めがけて、
「いい加減にしろ!」
伊都が割り込み、それを盾で弾き返した。「きゃっ」とわざとらしい悲鳴を上げて、恋歌は数歩後じさる。
「ッ!」
伊都も一歩後退する。里桜はすかさずその後ろにつき、回復魔法を準備する。
「大丈夫!?」
「大丈夫……だけど。何か、おかしい」
伊都はじんじんと疼く腕を庇いながら、疑問を口にした。
野良覚醒者がV兵器を持っている、これはいい。『聖女』の横流しとしてギリギリ説明がつく。
しかし初芝恋歌が野良覚醒者である以上、ここまでの『攻撃力』を持っていることがおかしかった。
伊都はこのメンバーの中で、一番『受ける』防御に秀でている。いや、撃退士全体から見てもトップクラスの防御性能を誇っている、いわば要塞だ。
なのにたかが野良覚醒者(しろうと)が、なまくらの刀で(高度なV兵器を装備出来るのもまた修業の賜である)、伊都に僅かとはいえダメージを通せることがたまらなく異常だった。
「何かトリックがあるのかもしれない! 気をつけて!」
伊都の目が金色に輝く。なんであれ、これ以上好きにさせるわけにはいかない。
「こんな愚図にそんな能があっては遍く全てに失礼だとは思わないかね?」
からからと嘲笑しながら、明は風を身に纏う。そして一歩近づいた。
恋歌の刀が揺れる。明はそれを『観』た。そして確信を得るために、もう一言。
「消えろ。お前如きが死んだところで、世界は何も変わらない」
「じゃあ死ね」
恋歌の振るった一撃は大地を叩き割り、隣家がぐらりと傾いだ。
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「つまるところ、挑発されるとつけあがるようだこの戯けは」
確信を得て、明は大仰に頷いた。
「分かってんなら何してくれてんだお前!」
玲治は的確にツッコんだ。――玲治とて伊都に負けず劣らずの要塞である。しかしそれでも、この破壊力を何度も受けるわけにはいかない。
「なあに、タコのようにグツグツ茹で上がっている。そもそも当たらなければいいだけの話だろう?」
「死ね死ね、死ね死ね死ね死ね」
恋歌は完全に明をターゲットに定めたようである。明もまた執拗に纏わり付いて、それを回避する。そしてけらけらと嗤い、挑発に余念が無い。
どうやらいわゆる『回避盾』という戦法のよう、だが。
「ヒーラーの負担も考えてよ、もう!」
里桜ははらはらしながら、いつ被弾してもいいように『神の兵士』を準備していた。一発ならなんとかなる――と思いたい。
大ぶりの一撃が来る。袈裟斬りだ。空気の切れる音を感じながら、明は一歩前に踏み出す。
そして立ち位置を入れ替えた。
次の瞬間、二発の銃声と共に恋歌の身体が爆ぜた。
「確かにそうね。当たらなければどうということはないわ」
目の前で堂々と照準を合わせていたのに、完全に無視というのはいかがなものか。ケイは涼やかに言い放つ。
「……まあ、あんまりリスキーなのもどうかと思うけれど」
「生き恥の塊だ。このくらい盛り上げないとつまらないだろう?」
くつくつと笑う明に、どこからともなく溜息が漏れた。
「――ッ! 避けて!」
里桜の叫びに、明は反射的に身を翻す。すぐそこに恋歌の刀が一閃した。
「おおう、これがゴキブリ並の生命力という」
「――――――――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死死死死死死死死死死」
恋歌は頭から血を流しながらも、ギラギラした瞳で明を睨め付けている。
五体万全だ。確かに急所を狙ったはず――とケイは体勢を整える。すぐに違和感に思い至った。
――『爆ぜた』?
使ったのはオートマチックだ。散弾ではない。そうなるとその表現はどこまでも噛み合わず、
「これは――」
爆ぜたのは、肉だった。
肉――いや、人の手、足、顔。形からして男のそれらが、あちらこちらに散らばっている。
そして初芝恋歌の服が裂け、その身体には巻き付いた男の腕が、
「最ッ――低ッ!」
里桜は思わず吠えた。命を尊ぶ彼女にとって、これは最大級の侮辱にも等しい。
「文字通り『肉壁』って訳ね――」
ケイは吐き捨てる。アウルの力を通した人肉を巻き付けることで盾とする――大方こんな所だろう。
――既に里桜の生命探知で、中に生存者がいないことは分かっていた。
それでも犠牲者を辱めるわけにはいかないと、庭を戦場に選んだ結果がコレである。
「ほらほら、女子の同意も得られないぞ。無様な。醜女(しこめ)と呼ぶのは古語に失礼かな?」
明の挑発に、恋歌は顔を紅潮させて何度も斬りかかる。威力は上がっているが、既に太刀筋を明に誘導させられていることすら気づいていない。
不意に、その影が揺れた。
そして影は実体を持って、初芝恋歌を取り押さえる。
「そろそろ終わりだ」
玲治は淡々と言い放つ。彼の仕込んだ『ダークハンド』は、完全に恋歌を束縛していた。
「いい加減気が済んだろ――いや、もう済ませる」
「――――――――――ッ」
影の手が喉元を抑えて、恋歌は呻く。何事かを叫んでいるのか、泡を吹いている。
「……初芝さん」
伊都はたまらず、そう声を掛けた。恋歌の視線が伊都に向く。
「恋することは別にいい。けど、相手を尊重しない恋は、それは違う。意味が無い」
伊都は真摯に語りかける。恋歌はぱくぱくと口を開いている。
「……それじゃあ、何にもならない。自分を貶めているだけだ。だから、今からでもやり直そう。ちゃんとした恋を、」
不意に恋歌は言葉を発した。
「は、何言ってんの? 死ねこの******」
開き直りも甚だしい、醜悪な面で。
「処置無し、だ。同胞」
声と共に、白く輝く鎖が煌めいた。
人の魔を戒める鎖が初芝恋歌を絡め取り、そのヘドロじみた心の闇を打ち据える。
「殺人(こい)は終わりだ、人間」
ギャア、と恋歌は呻いたきり、動かなくなった。
そうしてフローライト・アルハザード(
jc1519)は、透過を解いた。
「――戦闘終了。こんなもんだろ」
仕切るように言って、玲治は学園に連絡を入れる。すぐに応援が来るようだった。
ケイは貸与申請した拘束具を恋歌に嵌める。抵抗らしい抵抗もない。完全に気絶しているようだった。
「……結局、誰にも好かれようとしなかったお前が悪いんだよ」
恋歌を見下ろし、玲治は重苦しく呟いた。
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「お疲れ。報告を頼む」
翌日、会議室にて未唯はそう切り出した。その顔には若干疲れが浮かんでいるようにも見えた。
「今回の報告書、及び押収したV兵器だ」
フローライトは抜け目なく相手の武器を回収していた。それだけではなく、
「……む、犠牲者リスト、ね。よくもまあ短時間で調べ上げたな」
「遺族への報告はスムーズであるべきだろう」
報告書にはあらかたの犠牲者の名前が並んでいる。フローライトが『最初から』透過して初芝家に潜り込んでいたのは、この目的もあったのだ。
勿論、主目的は死角からの攻撃である。切り札としての隠密。それが今回のフローライトの役回りであった。
「先生。対外的には『処分した』ことにしてもらえませんか?」
里桜の提案に、未唯はふむ、と頷いた。
「それはどういう?」
「生きてるって分かったら遺族は納得しないと思いますし、『聖女』の連中がまた狙うかもしれません」
「……なるほど、道理だな。前例もある。そういう風に手回しをしておこう」
それを受けて、ケイはすっと手を上げた。
「そのことなんだけれど。センセイ、防犯カメラに映っていたあの子って、もしかして」
「……ああ。お察しの通り、『聖女』の手先によって脱獄したらしい」
着物の男と、それに同行していた女子高生。――ケイは、その女子高生をかつて捕らえたことがあった。今回のように、自宅で大量殺人を行った野良覚醒者。
「あの着物の男の情報を集めたいわ。センセイ、何か知らない?」
その言葉に、未唯はうっすらと笑った。
「――ああ、知ってるよ。今のことは調査中だが、昔の話ならな」
それは何かを堪えるような、そんな表情だった。
「信田華葉。天才陰陽師と謳われた卒業生で、私の元クラスメイト。そして今は『聖女』の手先として動く恥知らずだ」
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屋上。
伊都は空を見上げていた。冬空は曇っていて、寒い。
「よう、どうした」
そうしていると、玲治に声を掛けられた。
「いえ、何でも」
「……そうか」
――無言。
「……あんまり気負うなよ」
やがて、ぽつりと玲治は呟いた。
「どうあれ、ヤツはもう取り返しの付かない状態だった。あとは専門家の領分だ――それより、これから倒すべき敵のことを考えよう」
伊都はふうと息を吐いて、小さく頷く。
「黒幕は卒業生……ですか」
それもまた伊都にとっては腹立たしい。覚醒者の能力を悪用し、悪用するよう唆す卒業生(せんぱい)。目眩がしそうな現実だった。
「何であれ、分かりやすい敵さんのご登場だ。この胸糞悪い事件、さっさと終わらせようぜ」
ひゅう、と寒風が吹き抜ける。
「お疲れー。ケイちゃん、あんまり根詰めても何だよ?」
「ああ、ありがとう里桜。少し休むわ……」
会議室。里桜の差し入れた紅茶の香りに、ケイは柔らかな笑みを浮かべた。
お茶菓子の甘さが疲れた身体に丁度良い。ほう、と一息吐く。
「先生は?」
「授業中。……まあ、お互いこればかりにかかりきるわけにもいかないのだけれど」
机の上には資料らしき紙束が纏められている。――例の卒業生についてだろう。
未唯はその男と親しかったらしい。浮かない顔の理由はそれかとケイは当たりを付けていた。それが友情によるものか、それとも違うものかは勘ぐるつもりはない。
――それにしても、『聖女』は何を考えているの?
分からない。行動方針が読めない。言い方は悪いが、こんな『覚醒者を使って遊ぶ』ような事件を起こす理由は一体?
「ケイちゃん、眉間に皺寄ってるよ。リラックスリラックス」
「あら、これは失礼」
ともあれ、次の事件を起こさせるわけにはいかない。こんな痛ましい事件がまた起こる前に、対策を――
明はにこにこと笑いながら、適当に校舎を歩き回っていた。
今回の敵にはさほど興味が湧かなかったことが、我ながら不思議なのである。
あんな愚か者、昔なら適当に罵倒して悦に入っていたもののだけれど。
――最近調子が悪い?
まあ、考えてもしょうがない。つまらないことを考えるより、次の楽しいことを見つけましょう。
こうして明は、初芝恋歌(クソザコ)のことなど綺麗さっぱり忘れることにしたのであった。
フローライトは目を伏して、黙祷を捧げていた。
死者を弔うのも、平穏を保つための一環である。人の世を守ること。フローライトの行動原理はここに帰結する。
故に、初芝恋歌にカウンセラーを依頼したのは、同情などといった理由ではなく。
――情報源でもなければ、首を刎ねていたところだ。
例の『黒幕』とやらに少しでも近づくためなのだから。
人の世に平穏と安寧のあらんことを。