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雁鉄 静寂(
jb3365)はアパートの扉をノックした。古びた鉄製の扉がごんごんと無骨な音を立てる。
「撃退士です。お話を伺いに参りました」
「大人しく出てきなさい」
巫 聖羅(
ja3916)は警戒を込めた声音でそう告げる。
反応はない。
「出てこないなら、部屋の電気を落とすわよ」
「分電盤とネット回線の無事は保証しません。パソコンが大事なら、表に出てきなさい」
扉にはうっすらと錆が浮いている。古いアパート故に仕方ないのだが、どうにも不気味さを醸していた。
――反応がない。
二人はそれを確認すると阻霊符を展開する。そして管理会社から教えられた手順で、部屋の電気を落とした。
奇声が上がった。
ヒステリックにわめき散らす男の声が、部屋の中から確かに聞こえてきた。
「――――」
遠石 一千風(
jb3845)はぐっと拳を握りしめる。
その隣で、ぱたぱたと森田良助(
ja9460)の召喚したヒリュウが浮いている。
「……フヒヒ」
小さく笑うと、玉置 雪子(
jb8344)はスマートフォンのカメラアプリを起動した。
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『管理人』が天魔である可能性は十分に検討できた。
「目眩がするわね、こういうやり方」
一千風は率直な感想を述べた。
一千風はネット文化に詳しくない。故にこういう手口は理解しかねるし、賛同者が現れるという事態も、趣味の悪い夢物語のようだった。
「相手にするのも馬鹿馬鹿しい下劣な手口だよ。まるで小学生だ」
良助は鼻を鳴らす。
流言飛語で賛同者を集めようなど、子供のイジメと大差ない。いい大人が何をやっているのだと、呆れて物も言えない。
「それな。マジ草生える」
雪子はケタケタ笑う。軽薄な振る舞いの一方で、笑い事ではないことも理解していた。
――デマは時に人を殺せる。確かに稚拙で下劣だが、実に嫌らしい。
――あたし達の知らないところで、何かが動いている?
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は思考を巡らせていた。
とかくやり口が汚い。そしてこの趣味の悪さには既視感がある。今まで関わった『恒久の聖女』の事件に、似たようなものがいくつかあるのだ。
外奪が手口を変えてきた――にしては、どこか違和感を覚える。
「ともかく状況を整理してみましょう。この管理人が引きこもるようになったのは二ヶ月ほど前よね?」
聖羅は資料にペンで書き込みをしていく。
「で、アンチ記事が増えたのもそのくらい。その間に、管理人の身に何かが起こったと考えるべきでしょうね」
「宅配すら利用していないというのは異常ですからね。『まっとうな』状態でないことは明らかでしょう」
静寂は未唯に確認した事項を改めて述べた。
曰く、『キャッシュカードの使用履歴がない』『防犯カメラに映っていない』『宅配の使用履歴もない』。端的に言って『食事を取っていない』ことになる。
そのくせブログは更新されている。つまり『部屋に籠もってひたすらブログを更新し続けている』となるのだ。
「ピザも食わないデブとか矛盾すぎて草生える」
「体型を知っているの?」
「そういうスラングな件」
フヒヒと笑う雪子に、一千風は首を傾げた。意味が分からない。日本語のようなそうでないような、変な言葉だと思った。
「悪臭がする、って証言もあるのよね」
ケイは資料の該当部分を指でなぞる。
「『目撃証言がない』『悪臭がする』。以前にも似たような話があったわ。そしてあの時も『天魔の関与』を示唆していた」
「天魔が成り代わっている。あるいは、管理人が天魔にされている、って線かしら?」
聖羅が論を補強し、ケイが頷く。
「管理人が人質に取られているっていうのはないの? ほら、天魔は食料いらないし、透過できるし」
良助の疑問に、静寂は首を横に振った。
「それでも人質を生かすための食料が必要です。補給が見受けられない以上、その線は切っていいかと」
このような推論を重ね、『管理人=天魔』という方針で作戦を組むことになったのである。
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まず一千風と良助は、手分けしてアパートの住人を近所の公園に避難させることにした。
天魔との戦闘がありうる以上、一般人には安全なところにいてもらわなければならない。
一千風は避難させた住人達から話を聞いた。
「あの部屋の住人はどういった人だったのでしょう? 頻繁に出入りしていた人とかは?」
結論はおおむね、以下の通りだった。
『引きこもり』『感じが悪い』『時々奇声を上げる』――要するに、嫌われていたらしい。友達らしい友達も覚えがないという。
ただ、一つ気になる証言が浮上した。
「そういえば。上品そうな着物のお兄さんと、いかにも不良って感じの女の子が来たのよね。それからかしら、あの人が出てこなくなったのって」
管理人を名乗る女性は、そう証言した。
良助はアパートに耳をそばだてる。鋭敏になった聴覚が、どんな些細な音も拾い上げる。
「……うん、大丈夫。全員避難出来てる。例の部屋以外は」
ハンズフリーのスマートフォンを介して、情報が全員に伝わる。それを合図に、作戦開始だ。
そして、冒頭に戻る。
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乱暴に扉が開け放たれる。
果たしてそこから出てきたのは、一見して普通の青年だった。いかにもオタク然とした冴えない男。
問題があるとすれば、顔色が土気色であるということと、
「oレhka!sネッsネ神jo弱ッ!hhh!」
奇声が、言語の体をなしていないこと。
そして、背中にぽっかりと空いた大穴だった。
むわりと腐臭が辺りに漂う。男の体臭と、部屋に充満していたものが流れ込んできた形だ。
「そりゃ投降を呼びかけても無駄よね――!」
聖羅は眉を顰めて臨戦態勢に入る。どう見ても天魔だ。ならば容赦する必要は無い。
「他に敵影はなさそうです」
静寂は冷静にそう告げると、同じく臨戦態勢に入る。
「手口に違わぬ醜い敵だ」
一千風は防御のアウルを身体に込めて、一気に踏み込んだ。
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果たして。
「草も生えねえ」
しかしケラケラと笑いながら、雪子は独りごちた。
「シッ!」
一千風の拳が男の頭部を撃ち抜くと、それだけで大きくのけぞった。
併せて静寂が影にアウルを込める。闇の手が男を掴み取り、その身体を拘束する。
男はもがくように両腕を振るが、もはや攻撃になっていない。
「何があったのか白状してもらうわよ!」
聖羅は男の額に掌を押しつける。共感のスキル――しかし、何も読み取ることができなかった。
「死体ってことか……」
偶さか理性が残っているディアボロの線も考えたのだが、空振りだったらしい。
「仕留めるッ!」
聖羅が引くのに合わせて、一千風の紫焔を纏った大剣が振り下ろされる。
影に囚われたままの男は逃げることも叶わず、首を刎ねられあっさりと絶命した。
ヒリュウと共有している視界からその光景が流れ込む。
「え?」
合流しようとしていた良助は、思わずそんな声を上げてしまった。
なんだこれは。あまりにも、弱すぎる。
――何かがおかしい、何かが。
討伐完了の連絡を受けて、ケイは構えを解いた。万一に備えて窓から狙撃しようとしていたのだが、どうやら無駄骨に終わったらしい。
それ自体はいい。無事に天魔を討伐出来たのなら問題はない。
だが、どうにも釈然としないのであった。
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「はい確定。このパソコンでブログ編集してますた」
雪子は手慣れた手つきで部屋の隅にあったパソコンを操作する。モニタにはブログの編集画面が現れており、雪子はスマートフォンにその様子を収めた。
「それが証拠になるの?」
要領を得ない風の一千風に、静寂がフォローする。
「管理している人間しか入れない部屋ですので」
静寂は机周りを捜索する。
程なくして、英数字の文字列が書かれたノートを発見した。おそらくはパスワード類。これも証拠になるだろう。
「しっかし、ひどい有様ね……」
聖羅はベランダのドアを開け放った。あまりに臭気がキツくてやっていられなかったのである。
ワンルームの一室、ど真ん中には黒ずんだ血だまり。冷蔵庫からは吐き気を催す腐乱臭。元々散らかっていたであろう部屋は、正真正銘のゴミ溜めと化していた。
「こういう杜撰さも、これを仕立てた奴の品性なのかな?」
良助は唾棄するように言う。
「そうかもね。悪臭に何かしら拘りでもあるのかしら」
下品、とケイは呟くと、そのまま視線を部屋中に彷徨わせる。何事か思案を巡らせているようだった。
「よーし、パパ特盛り頼んじゃうぞー」
雪子はにたにたと邪悪な笑みを浮かべると、カタカタと高速でキーボードを叩き始める。
ドメインから運営会社を特定し、このブログがいかに規約に違反しているかをテキストに纏める。
次いで広告収入を提供している会社に送るためのテキストも作成する。
これだけあれば、いつでもこのブログは閉鎖させられるだろう。
「フヒヒ。いつでもオッケーだぜ。流石だよな俺ら」
ぐっ、とサムズアップを決めて、雪子はヘラヘラと笑った。
「…………」
あまりにも鮮やかな手つきに、一千風はうっかり見とれてしまった。
雪子については『変な人』という認識だったのだが、なるほど、ここまでのスキルを持つならむしろ変人で妥当である――という納得をしたらしい。
そんなことはつゆ知らず、雪子は手近に転がっていたフラッシュメモリにデータを格納する。証拠になりそうなデータは片っ端からサルベージした。
「うい、魚拓取ったーっと。で、こっからどうするお?」
雪子の言葉に、しばし沈黙が降りた。
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「ひとまず、警察とマスコミにリーク、ですよね」
最初に口を開いたのは静寂だった。
「それなら私に任せて。信用できる記者なら心当たりがある」
一千風はさる資産家の令嬢とのことだった。ならばそういうコネがあってもおかしくはないと納得出来た。
「かしこまり。警察とマスゴ……失礼、かみまみた」
雪子はてへぺろ、と自分の頭を軽く小突く。
「――――?」
ケイは何か引っかかる物を感じた。ずっと感じていた違和感に繋がりそうな気がして、思案を巡らせる。
「マスコミに情報提供してバンバン報道してもらう、っと。とりまこの録画データも証拠になると思われ」
雪子はスマートフォンを手で弄ぶ。
「それってアレの討伐シーンとかも入ってるんじゃ……。大丈夫なの?」
聖羅が眉を顰めるが、雪子はひゅうと口笛を吹いた。
「ヤバいところはテキトーに編集してくれるっしょ。印象操作は連中の十八番っすわー」
「ちょっと、言い方ってものがあるでしょ」
「しかしネット民にとってデフォがエネミー扱いなんだね、仕方ないね」
窘めるような聖羅の言葉に、雪子は何処吹く風である。
「――――」
ケイは口元に手を当てて、考え込む仕草を取った。聖羅がそれに気づく。
「ケイ、どうしたの?」
「……気にしないで、続けて」
もう一歩。何かが、
「ブログがデマってことを知らしめなきゃいけないよね」
良助は何か思いついたように、ぽんと手を打った。
「ブログの記事はでっちあげなんだから、『証拠がない』ことを示さないと」
「それ、悪魔の証明な件」
雪子の茶々に、良助は首を傾げた。ともかく続ける。
「それと、学園に申請して『撃退士の活躍の記録』をネットに上げよう。こっちはちゃんと『証拠がある』。だからちゃんとした機関に協力を頼めばどっちが事実かはすぐに、」
「それだわ」
遮るように、ケイは唐突に声を上げた。
「何が?」
良助は不思議そうに首を傾げた。
「それが、この事件の狙い。『あたし達の正義感と反感を焚きつけること』。そういう可能性よ」
ずっと感じていた違和感を、ケイはようやく形に出来た。
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「それで、この処置か」
報告会の会議室。パソコンを睨みながら、未唯は淡々とした声で言った。
そこには例のブログが映し出されている。削除されずそのまま残っていた。しかし更新は止まっており、貼り付けられたアフィリエイト広告はデッドリンクになっている。規制の証である。
「ええ。こういうコミュニティでは、マスコミは敵視するもの――そうよね?」
「フヒヒ。この雪子ちゃんとしたことがうっかりしてたぜ。ケイ先輩、マジパネェっす」
本来、警察やマスコミへ情報リークするのは正しい解決法である。しかし、そういう組織と相容れないというコミュニティはウェブ上に存在する。『感情的にまず否定する』。件のブログは、そういうコミュニティに属していた。
「私はまだ納得できないんですけど」
「僕も」
一千風と良助は不満げに口を尖らせる。なあなあで済ませているという印象しか残らないからだ。消化不良にも程がある。
「でも、確かに言われてみればそうなのよね……。証拠があっても『でっち上げだ!』なんて騒がれたら、水掛け論になるし」
「活字だけではこちらの感情も伝わりませんからね。下手に刺激するより、飽きさせる方が確かにいいのでしょう」
聖羅は溜息を吐きながら、静寂は訥々と、現状を納得するように言葉を重ねる。
ブログの通報はきちんと済ませたし、警察へ話も通した。暫定処置としてアフィリエイトが停止された状態となっている。
しかしマスコミへのリークと、ネット上へのアピールは控えることとなった。
『炎上を防ぐため』である。
もしアンチ覚醒者を煽るブログが閉鎖された直後に、撃退士達の活躍が強くアピールされたらどうなるか?
『陰謀』『好感度を上げるための茶番』――アンチ思想に染まった、そんな暴論が飛び出す危険性。理屈ではなく、感情で否定されかねない。そして燃え上がった悪感情は、間違いなく禍根を残す。
「ベターな落としどころだな。……うん、連中も飽きてきたようだ」
未唯はブログのコメント欄にざっと目を走らせる。かつての勢いはどこにもなく、そして矛先は管理人に向いていた。
>ここが天魔のハウスね……
>失望しました。ギーちょんのファン辞めます
>つかディアボロが運営したってこれマジ?
>マジっぽい
ブログは遠からず削除されるらしい。しばらく泳がせてガス抜きをする。それが今回の結論だった。
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「先生、ちょっといい?」
パソコンを仕舞おうとする未唯を、良助は呼び止めた。
「どうした?」
「今回は……まあ、相手が悪かったと思っておく。でも、これだけは『ヤツら』に伝えておきたいんだよ」
ブログのコメント欄を示す。良助は思いの丈を未唯にぶつけた。
未唯は少し迷ったようだが、やがて
「――分かった」
にこりと笑って、コメント欄にそれを打ち込んでいった。
『所詮嘘は嘘だ。真実には勝てない。こんな下劣な作戦しか考えられないとは、程度が知れる』
『お前達は、三流だ』
『by 正義の味方』
『敵』に伝わったかどうかは、定かではない。