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何も知らなければ絵に描いたように平和な村だと思えただろうか。
昼下がりの村役場の一角でやや型の古いパソコンと書類を前に鈴代 征治(
ja1305)はふと思った。昼食後の怠惰な時間を楽しむ者もいれば、電話を掛けたり来る人に対応したりする者もありと普通の日常が広がっている。
けれど、事態はいつもそんな普通の陰で日常を侵食しているものだ。
(一人しかいない駐在さんが消えれば不安がると思うんだけど)
遺体発見を報告したのは司。その後別の村人が遺体の消失を通報しているが、この時既に、司は駐在所にいなかったという。
そして、別の警官が村に確認に来た際には誰も遺体の事を知らなかった。それ以上に不可解なのは司の姿が消えたのを誰も気にしていない事だ。
この分では、村で聞き込みをするだけでは成果が得られないかもしれない。
(記憶は消えても記録は残るものだよね)
そして、事件の足下には公のそれから零れた事実が残っていたりするものだ。
考えながら資料を繰っていた征治の手が微妙な違和感にふと、止まる。画面には以前の事件直後に撮られた写真が映っていた。
「おや、これは……」
窓の外で揺れる白い花。それが写真の中には咲いていなかった。
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「こんにちわ!」
普段は年配か子供の客が殆どの村営商店に若々しい娘の声が響く。レジの向こうで驚いたような目をした初老の女性に、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は快活な笑顔を見せた。
「あら、ごめんなさい。こんな時間に若い人が来るなんて珍しいもんだから」
ソフィアの笑顔につられたように女性も顔を綻ばせる。その様子に不自然なところは見られない。ソフィアは自分が久遠ヶ原学園の撃退士だと告げた上で、以前の事件後に何か変わった事がなかったかと聞いた。
「変わった事?そうねぇ……」
女性はしばらく考えて首を横に振った。
「特にないわねぇ」
「道路の復旧現場で遺体が見つかったって聞いたんだよね」
「えぇ!?そんな事が?」
驚いた様子に嘘は無いようだ。
(嘘はついていない、でも事実じゃない。どういうことなのかな?)
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群れて咲く白い花が風に揺れ、甘い香りが漂う。
心和む筈の光景に、九鬼 紫乃(
jb6923)は苛立ったように地面を蹴った。
「聞き込みよりはましだけど、イライラするわね」
他人に対しては丁寧な口調の紫乃だが、今は傍にいるのが親しい間柄の黒瀬 蓮(
jb7351)だけな為か砕けた口調になっている。
「いきなり広がった謎の花か。どんなものか楽しみだよ」
村の何ヶ所かに当たり前のように咲き、村人も日常の一風景として何の疑問も持っていないかのような花。しかし、征治が調べていた前の事件の際の写真には映っていなかった。時期の問題かもしれないと村の年鑑なども調べたが、この季節のどの画像にも、この花が映ったものはなかった。それどころか、二週間前の画像にすら存在しなかったのだ。
「普通なら、それまでなかった植物が二週間掛けずにここまで増える事はないだろうね」
言いながら花を一輪摘んだ蓮だが、それを見て紫乃の目が尖った。
「それ、変じゃない?」
他の雑草に紛れて気がつかなかったが、こうして摘み取って見るとその茎には葉が出ていない。その上、花の大きさに対して茎が細すぎる。殆ど糸のようだ。それなのに、真っ直ぐ立つ形で咲いているのはどういうことだろうか。
「気に入らないわね。何で誰も気がつかないのよ」
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「いやぁ、お時間を割いていただいてありがとうございます」
小学校の応接室で、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が慇懃な物腰で教頭に礼を述べた。正面から身分を明かし、天魔に関わる事件が起こっている可能性があるので調査に協力して欲しいと申し入れたら快諾されたのだ。どうやら以前の事件で、教師や子供の親達は久遠ヶ原学園の撃退士に好感を持っているらしい。
とはいえ、今までの様子から聞き込みは望み薄だ。意図的に嘘をついているならやりようもあるが、そうではないのだから原因がわかるまで如何ともしがたい。ならば、事実から足りない情報を埋めていくしかないだろう。
「それで、何をお聞きになりたいのでしょうか?」
「そうですね、まず、前の事件で被害を受けた三人の子供さんに聞きたい事があるんですが、会う事は出来ますか?」
エイズレトラの言葉に、教頭は顔を曇らせた。事件直後は特にどうと言う事はなかったが、最近になって三人とも学校に来なくなったという。
「親御さんの話ですと何故だか怖がっていて、部屋に閉じこもってしまったとかで」
食事も親が部屋の前に置いていく状態だという。
「最近……というと、いつ頃の事ですか?」
教頭が口にした日付は遺体が消えたという通報があった日に近い。何か、三人の恐怖心を刺激するような事があったのだろうか。
「差し支えなければ、僕達で話を聞きたいのですが」
「それは……いいかもしれませんね。助けて下さったのと同じ撃退士の方ならあの子達も安心して話せるかもしれません」
子供達の保護者に話をしておきますねと教頭が携帯を取り出した時、部屋の外で何やら騒ぐ声が聞こえてきた。
昇降口に程近い当たりはちょっとした恐慌状態になっていた。校舎の奥に駆け戻る子、大声で教師を呼ぶ子、更には泣き出す子と収拾がつかない状態を前にしてジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は苦笑するしかなかった。
ジェラルドはただ子供達から話を聞こうとしただけだったのだが、日頃知らない人には気をつけなさいと言われていた子供達にとって、いきなり入ってきた見知らぬ大人はそれだけで警戒の対象になる。加えて挨拶抜きで話しかけたり、へらへらした調子で突っ込もうとするジェラルドの癖がそれに拍車を掛ける。こうなると何か言おうとしただけで騒ぎが大きくなるのだから、相手が悪かったとしか言いようがない。
「みんな落ち着いて。大丈夫だから」
教師らしい女性が出てきて声を掛けると、よく知っている大人に安心したのか子供達はその周囲に集まり、騒ぎはいくらか収まった。
撃退士の方ですねと教師に念を押され、へらりと笑ってジェラルドは頷いた。が、なぜか教師が申し訳なさそうな顔になる。
「済みません、ちょっと誤解があったらしくて、その、駐在さんに通報してしまいまして……」
「駐在さんに連絡が取れるんですか?!」
顔を出したエイルズレトラが反応した。司は姿が見えないと聞いていたし、少し前に駐在所に寄ってここ数日人がいた形跡がなかった事を確認もした。
この教師はどこに通報したと言うのだろうか。
「駐在所に人がいない事もよくありますから、学校や役場にはスマホの番号が知らされていますけど」
単身赴任の駐在にはある事らしい。
「本当に済みません。すぐに間違いだと伝えないと」
「いや、そのままでいいよ。どうせその駐在さんにも用があるんだし」
ジェラルドはへらへらと手を振った。
「不案内なボク達が探し回るより、向こうから来てくれるならその方が早いからね」
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「あたし達で最後かな?」
小学校の会議室に、三人の子供から手分けして話を聞いていたソフィアとグリムロック・ハーヴェイ(
jb5532)や御神島 夜羽(
jb5977)が入ってきた。
「それでは、司さんが来る前に改めて情報を整理しておきましょうか」
まず、不審な花はこの小学校付近に群生し、村内のあちこちで見られる事。
村の住人はその殆どが一種の認識障害にあり、遺体やそれに関連するとは全くわかっていない状態である事。
ただ、前回の被害者である三人は認識障害の例外であり、学校近くで動く遺体を目撃している。
三人に例の洞窟への道を教えたのは逮捕された相沢美幸。その道は洞窟奥の隙間から小学校の裏山に続いていた。
前の事件で洞窟の中に咲いていた花と、今村内に咲いている花とは違っている。ただ、大元は同じではないか。
名簿と比較して見たところ、所在のわからない子供や教職員が数人いる。
駐在の茶木司は姿を消しているが、村人から見ると普通に仕事をし、連絡も取れるという。
「ほぼこの学校が中心と言えるな」
グリムロックがポツリと言った。それは確かだ。そして、消えた遺体も学校かその近くにある可能性が高い。
「やはり、司さんが何らかの鍵なんでしょうか?」
前回、今回、そして二十年前の事件と全てに関わっているのは司だ。征治は予め調べてきた報告書の内容を思い出していた。
二十年前、洞窟には司もいたのではないか?だとすると母親が無理を押してでも迎えに行った事も頷ける。
「だけど、気に入らねぇよなぁ。何でこうも子供が絡むんだよ?」
口調は冷ややかだが、夜羽は心から忌々しそうだった。
もちろん子供が利用された天魔事件は多い。その多くが人質であったりサーバントやディアボロの材料であったりなのだが、今回はどこか違っている気がする。司、美幸、そして三人の子供。彼らは皆生き残り、そして。
「美幸さんが言っていた約束って、本当は何だったんでしょうか?」
征治がその疑問を口にした時、会議室の扉が開いた。
「失礼します」
その声と共に入ってきた制服姿の警官に、ごめんねと呟いてソフィアがその額に掌を当てる。シンパシ−によってソフィアの頭に流れ込んできたもの、それは。
乾涸らびていく遺体と、そこから伸びていく根……否、菌糸に近いイメージだろうか。そこから更に分かれて伸びる菌糸の先に咲く、白い花。
「あなたはわかってるんだよね、茶木司さん。他の人とは違って」
ソフィアに問われ、司はゆっくりと頷いた。
「天魔が取り付いた母の遺体は、この近く、体験学習用の小屋に……」
裏山にある小さな小屋。遺体はそこにあるという。
「あれは日のある内だと殆ど動けない……いえ、今となっては全く動けないで
しょうね。ただ、既に他の人間に胞子を飛ばしてるでしょうから、本体から伸びた菌糸を先に切っておかなければ意味が無くなりますが」
窓から差し込む、傾き掛けた陽に目をやって司は呟いた。暗に早く行けと言っているようにも見える。
「いきなりどういうことかな?」
チャラついた笑顔に隠れて、ジェラルドが探るような目を向ける。
「終わりにしたいんです。あの日の約束を」
司が重い口を開いた。
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ミイラ化した皮膚から伸びた無数の糸。それがいわば発信器である花に力を供給するパイプであり、それを断てば花も人に取り付いた胞子も枯れて消える。それから本体を倒せばいい。司の言葉を信じればそういうことになる。
「カオスレートは天界寄り……サーバントですか」
何でこんなものを作ったのかと征治は首を捻った。感情を搾取するなら、もっと直接にやれる方法が幾らでもあるだろうに。
「それでは、速やかに終わらせるとしますか」
エイルズレトラがそう言ったのが合図となった。
あの日、目の前で起こった事故と美幸の罵倒に押し潰されそうだった司の前にお姉さんは現れた。枯れた筈の花が蔓となって美幸を締め上げ、最初は罵っていた美幸も命乞いを始めた。
お姉さんは美幸の命を助け、司に大人になるまでの間優しい記憶をくれる代わりに、言ったのだ。
『その時が来たら、ここに一面の花を咲かせて』
『そうしたら、皆幸せになれるから』
お姉さんの言う『幸せ』が何なのかを考える事もなく、司と美幸はそれぞれ約束した。ここに一面の花を咲かせてたくさんの人をあげる、と。
とどめの瞬間、どこかで悲鳴が聞こえたような気がしたが、あり得ない。
そのサーバントに、声を出す機能など既に無かったのだから。
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退治と言うより始末と言うのが相応しいほど呆気なく、それは終わった。終わらなかったのは人間の方だった。
「あのおばさん、大丈夫かな」
車の中で、ソフィアはふと聞き込みをした女性を思った。
認識障害が解けた後には、当然その反動が来る。人は様々な事を知りたがり、知りたくなかった事も引きずり出される。
「それでも知りたいですよ、僕は」
征治は遠くなっていく村を見た。司が会ったお姉さんー正体は天使、もしくはシュトラッサーと思われるが、その目的はわからない。
けれど、彼女の言った『幸せ』は本当に幸せだろうかと思う。
「幸せでしょうね」
紫乃が冷ややかに言った。閉ざされた中で、何の疑問も持たずに生きていれば、それはそれで幸せかもしれない。
でも、私は嫌い。
声にならない言葉をすくい取るように蓮が話を変える。
「司さん、警察を辞めるそうだね」
事情はどうあれ一度は天魔に手を貸した形になるのだからそれも仕方がないだろう。
夢の終わりに待っているのは、いつだって冷たい現実だ。
「いいんじゃないの、それで」
いくら優しくても、終わらない夢はいつか腐り果てる。必要なのはハッピーエンドを夢見て動く事だよとジェラルドは笑う。
「いずれにせよ、幕は下りたんです。また、始めるだけですよ」
エイルズレトラはもう、振り向く気は無いようだった。
少なくとも、司の中で永いあの雨の日は終わった。
彼は一人で歩いて行けるのだ。