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「歪んだ愛情か…最悪の事態は避けたいわね。だけど」
初等部の授業が終わり、騒々しさを増している校舎内。華やかな外見とは裏腹の地道な聞き込みを終えて稲葉 奈津(
jb5860)は呟いた。目を見張るような情報が得られる訳ではないが、それでも小さな情報の欠片は見える形を作り出してきた。奈津にとっては記憶に新しい存在を。
「多分、杏里ちゃんが一枚噛んでるでしょ…肝試しも表向きな理由って感じだったからね」
「どうして?」
一緒に聞き込みをしていたエローナ・アイドリオン(
jb7176)が傍で首をかしげる。手にした謎の人形の頭も揺れる。
「え?根拠?私の勘よっ!」
以前の依頼で杏里にしてやられたという想いが奈津にはある。
「えーっと、杏里ちゃんって葉月ちゃんのお友達なんだよね?」
エローナが奈津と人形を交互に見ながら頷いた。
「一緒に葉月ちゃん助けようって言ってくる。怖いのから守るのも、悪い事しない様に止めるのも友達の役目なんだもんね」
「え?ちょっと!そんなんじゃ無理よ!あの子は絶対、私並みに素直じゃないからっ!」
奈津の声が、放課後の喧噪に吸い込まれていく。
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「御園葉月ってのはてめぇか」
校舎の出入り口で江戸川 騎士(
jb5439)は葉月に声をかけた。
「そうだけど、あんた誰?」
「てめぇの母親が逃げ出して、久遠ヶ原に来てる。知ってるか?」
静佳がどうやって病院を脱走し、久遠ヶ原に入り込んだのかも気になるが、それ以上に気掛かりなのはそれを葉月が知っているかどうかだ。殊更教える者はいなくても、現代なら知る方法は幾らでもある。
「知ってるけど、それが何?」
「俺の仕事はおまえの母親を確保する事だ」
「勝手にすれば?」
臆さない葉月の目に、騎士は生への強い執着を持つ『獣』の気配を感じた。おそらく静佳を見れば、躊躇うことなく殺しにかかるだろう。
「四六時中、護衛が付くのは鬱陶しいかもしれないが、協力して貰うぞ」
「さて、喜劇となるか悲劇となるか」
離れた場所で、双眼鏡越しに葉月を見ながら鷺谷 明(
ja0776)はクスクス笑った。
「親殺しの気分とはどんなものなんだろうねえ?」
それは罪には違いないだろうが、醜悪の一語で切って捨てられる静佳のそれに比べれば小気味よい程だ。
「そこまでやるのなら高く強く生きるが良いさ」
笑いを濃くしながら、明は独りごちた。
手助けはしないが無責任に応援ぐらいはしてやるさ、と。
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初等部の生徒が行き交う廊下で矢野 古代(
jb1679)は思わず苦笑した。つかず離れず杏里を監視し、携帯などを見るようならさりげなく近づいて確認する筈だったのだが。
杏里が校舎内にとどまったのは予想外だった。いくら目立たず行動するのが得意とは言っても、初等部に三十代男性はさすがに目立つ。携帯を覗いたりしようものなら、おまわりさんこっちですとでも言われかねない雰囲気だ。
(ん、む……どうにも違和感が拭えんな?)
これだけ周囲から浮いていれば気づかない筈はないのに振り返りもせずに歩いて行くのもそうだが、この依頼を受けた時から古代は何か噛み合わないものを感じていた。具体的な根拠があるわけではなく、勘に近いのだが。
その時、杏里が足を止めて振り返った。
「そろそろいいんじゃないですか?」
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「何か、います」
廃墟の一角で生命探知を使っていたRehni Nam(
ja5283)の口から出た短く緊張した声がイヤホンマイクに吸い込まれていく。
「そちらの近くです。歩く程度の速さで北へ移動中」
対象の位置を知らせるレフニーの声は黒夜(
jb0668)と鬼灯丸(
jb6304)に伝わる。二人の前には、半ば崩れかけた廃屋がある。レフニーからの情報と照らし合わせれば、対象は反対側から建物に入って行く筈だ。二人は気配を消すと黒夜は窓から、鬼灯丸は反対側の入り口に回った。
廃屋の中は薄暗いが、物の影程度はわかる。夜の番人を使うまでもないだろうと黒夜は先に進んだ。やがて該当の人影が見える。そのまま踏み出すと、黒夜は対象を深い闇に巻き込んだ。
「どわーっ!」
だが、響いた声は女性ではなく若い男性のものだ。
「誰ですか?」
追いついてきたレフニーのスキルが周囲を照らす。聞いてみれば静佳とは何の関係もなく、ここに何か『出る』という噂を聞いて面白半分に来てみただけらしい。
「紛らわしいよね」
鬼灯丸が足下を軽く蹴ると、妙に軽い音と共に何かが転がった。
「あれ?」
転がったのは空のペットボトルだった。薄暗い時には気づかなかったが、片隅にかなりの本数、空ペットボトルが寄せられている。どれも新しい物だ。
「静佳かな?」
静佳がここに潜伏していたのは間違いなさそうだ。だが、ここに誰かいる気配はない。
「ここから動いたのでしょうか……?」
静佳の目的が葉月なら充分あり得る。むしろ、今までおとなしくここに潜伏していた方が不思議かもしれない。
(親を毛嫌いする子供に、自分の欲のために子供を欲する親か……)
転がる空ペットボトルが、まるで使い捨てられた愛のように鬼灯丸の目に映る。
(あたしはどんなに歪んだ愛情でも、それが親の愛なら受け入れたい。親に愛情を向けてほしいって思うけどね)
静佳は何を思ってこれらを手にしていたのか。
「ホオズキマルさん?」
「何でもない、と。あはは!仕事中に考え事してたらダメだよね」
それが愛なのか、決めるのは自分の仕事ではない。
「矢野の読みが当たりかな」
ぼそりと言った黒夜の声が、鬼灯丸を現実に引き戻した。
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「……はじめまして。矢野古代、と言うちゃちな射手だ 」
こうなったらと、古代は杏里に直球を投げて見ることにした。
「何故、君は葉月ちゃんに協力したのか教えてくれるか?」
「教えたら何かありますか?」
穏やかな口調で返す杏里。何か要求しているというよりこちらの出方を見ているようだ。
「何の成果も得られないと……大人の面目ってもんがあるんでね、悪いが答えてもらいたい」
こういう時に子供と侮っての下手な誤魔化しは逆効果だ。古代の答えが気に入ったのか、杏里はさらりと言った。
「ああいう大人は私から見ても傍迷惑なんです」
「それだけか?」
「大人達は親の気持ちっていうお題目に弱いですから。結局子供の私達が何とかするしかないじゃないですか」
「……はっきり言おう。君は葉月ちゃんの母親にも協力しているんじゃないのか?」
たとえ見つかる可能性が高かろうが、執着しているなら葉月の近くを頻繁に彷徨いてもおかしくはない筈だ。だが、実際はそうではない。誰かが、葉月を直接見なくても落ち着いていられる程の情報を静佳に流しているのではないか。
戦闘時にも情報伝達を重視する古代にはそう思えた。そして、それが可能なのは杏里くらいしか思い浮かばない。
とはいえ証拠があるわけではない。知らないと言い張られたらそれまでだ。
「そうですよ。だって、野放しにしたらこっちが危ないでしょう?」
意外にも、杏里はあっさりと古代の言葉を肯定した。
「君は葉月ちゃんを罠に掛けたのか?」
「それは違います。こっちに不利な動きをされない為のことです。これは御園さんも承知の上の事。何と言っても相手は大人ですから」
杏里の言葉に、古代がまた引っかかりを覚えた時。
「杏里ちゃんだ!」
二人の間に、エローナがトコトコと駆け寄ってきた。
「こんにちは。私はお仕事で葉月ちゃん守りに来たんだよ。ママさんがね、葉月ちゃん捕まえに来てるの」
杏里にとっては言わずもがなのことだが、エローナは一生懸命に訴える。
「杏里ちゃんは葉月ちゃんとお友達なんだよね?一緒に葉月ちゃんを助けようよ」
考えなしの子供の言葉と言えばそうだ。しかし、と古代は思う。泣いて笑って大人に甘えるのが子供の仕事だ。それを経てこそ子供は大人になっていく。古代の目に杏里の姿は、まるで羽化を焦りすぎて羽が縮んだままの蝶のように見えた。
「ありがとう。でもね」
杏里は古代にともエローナにともつかない調子で呟いた。
「きっと、もう遅いの。だって……」
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学校から出てコンビニに寄った葉月を、騎士は横目で見た。もし静佳がここに現れれば、葉月は静佳を殺しにかかるだろうか。
(そうなったら……半殺しはいいよな?)
『獣』を躾けるのは言葉ではない。鮮やかな鞭の痛みと心溶かす飴が必要だ。
コンビニを出ると、ほら、と葉月はお握りとお茶を袋から出して騎士に差し出した。
「どういうつもりだ?」
「傍で見てられると食べ難いんだよ。嫌ならしばらくどっか行っててよ」
要らんと言おうとした騎士の脳裏を、飯と服は黙って受け取れという恩人の言葉がよぎる。さっき騎士の目の前で買ったからおかしな細工をする余裕は無い筈だし、そんな事で懐柔される自分ではない。まあいいだろうと、騎士は公園のベンチに葉月と並んで食べる事になった。
「ん?」
騎士のスマホが震えた。レフニーから、静佳を確保できなかったという情報が伝えられる。
「葉月!」
常軌を逸した声と共に、木立から入院服姿の中年女性が飛び出してきた。肌は青黒く、突き出す腕はゴツゴツし、まるで鬼女を思わせる姿だが、静佳だ。
「てめぇは下がれ!」
騎士はとっさに葉月に声を掛けて静佳を凍てつかせようとしたが、その発動は止まった。静佳の様子がおかしい。足下がふらついている。半殺しどころか、即死するのではないか。
「死ねよ!」
一瞬の隙を突いて、両手に短剣を持った葉月が静佳に躍りかかる。
とっさに騎士はその短剣を叩き落として葉月を押さえた。
「てめぇには一飯の義理が出来たからな」
だが、落ちた短剣を拾い上げた静佳が二人に迫ってきた。殺しても仕方がないと騎士が思い定めた時。
静佳の顔面をアウルの銃弾が見舞った。ダメージを与えるものではなかったが、静佳が一瞬怯む。足音も立てずに走り込んできた黒夜の闇が静佳を包み込み、鬼灯丸が放ったワイヤーが絡め取った。
「間に合いましたね。アンリさんがヤノさんにここを教えてくれて、良かった」
レフニーが安堵したように息を吐く。
公園の入り口からは、マーキングを放った古代を先頭にして、奈津、エロ−ナ、そして杏里が走ってきた。
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拘束された静佳を、騎士に腕を捕まれた葉月が鋭く睨む。
「葉月ちゃん、怖いのを消えちゃえってしたくなるのは解るけど悪い事は駄目なんだよ?」
エローナが幼いが故の正論を言う。
「ママさんはちゃんと遠くに連れていくし、もしまたってなったら皆で何回でも捕まえちゃうんだよ」
「ウチも母親が久遠ヶ原にいたら存在を消してーと思う」
一見面倒くさそうに黒夜が口を開いた。
黒夜も元々親に虐待され、自らの存在を消された子供だった。立場が変われば葉月と同じになるかもしれない。
けれど、黒夜は葉月に同情はしない。ただ、これは仕事なのだからと。
「だが、おたくがやろうとしていたことは、方向性は違っても、結果的には母親がしていたことと同じことだが……いいのか?」
「それがどうしたよ!どのみち絶ち切るには、生きてる側と死んだ側に分かれるしかないだろうが!」
葉月の瞳から、殺意が消えることはない。
「どうして、何がいけないの?!」
静佳は本当にわからないようだった。
「子供を守れるのは親だけなの!ここにいたら、いずれ天魔に突き出されるだけじゃない!」
「それがわからねーんなら、病院に戻って頭冷やしてこい。娘の意思も見ずに、自分の欲望にしがみついて……最低じゃねーかよ」
ほとんど呟くような黒夜の声が、静佳の声にかき消される。
「あなたに何がわかるの!親でもないくせに!」
「ええ、私には全然分からないのですよ……子供を愛しているのなら、何でそんな酷い事が出来るのです?」
レフニーが首を横に振る。
「少しでも本当の愛があるなら……お願い。もうハヅキさんの前に姿を見せないで 。それが、貴方にできる最後の愛情の見せ方だから……」
せめて、葉月の前から消えることで彼女に新しい人生を歩ませてやってほしい。けれど、それは静佳にとっては全ての否定。
「あなたに今だから出来ることは一つだけ」
否定された静佳に、まるで教えを説く聖職者のように明が囁く。
「それは『子供に殺されてあげること』だ。そうすれば本当の意味で子供を世の中に送り出すことが出来る。そうすれば世の中の人は讃えるだろうさ。何て献身的な母親なんだろう、とねぇ」
喘ぐように静佳の喉が鳴る。その口元に、ペットボトル入りの水が差し出された。優しく飲ませるようにボトルが傾けられる。
「駄目よ!」
奈津が杏里の腕を掴んで引き戻した。ペットボトルの水が零れる。
皆が葉月と静佳に注目する中で、奈津は杏里から目が離せなかった。そして、さりげなく静佳に水を差しだした杏里の目は、以前の依頼で見た時の目と同じだっのだ。
「この水が、どうかしましたか?」
「あなた、まだ何か隠してるでしょ?私は……しつこいわよっ」
「こんなの、ただの水です」
いかにも何でもないとばかりに杏里は喉を鳴らして水を飲み始めた。
「やめてよ!諦めた振りなんて!」
杏里はどこか昔の自分に似ている。だから、杏里を救いたい。
(勝手な思い入れだけど……私自身も『あの人』に救われたから……いいえ、私が『あの人』のようになりたいからだね)
単なる身勝手かもしれない。それでも。
「やめなさい。もう、やめるんだ」
古代が強引に杏里から水を取り上げる。水は杏里の服を濡らし、微かに薬品臭が漂う。
「もういいよ、坂本」
葉月が小さく笑い、そして言った。
「あたしはこれから強くなるから。こんな女なんか問題にならないくらい強くなるんだから」
「仕方、ないね」
杏里がぽつりと言って髪を揺らす。ただ、それだけだった。
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その後、いくつかの事実が判明した。
杏里が飲んだ水には薬物が入っていた。それ自体は覚醒者を死に至らしめる程ではないが、静佳の体には既にかなりの毒が蓄積されており、飲んでいたら危険だったという。
つまり、杏里は三重に策を巡らせていたのだ。静佳に情報と共に薬入りの飲料を提供し、敢えて食料を与えないことで毒を吸収しやすくしておく。
葉月が静佳を確実に殺せるように。
依頼が出たなら、どさくさに紛れて殺せるように。
そして最後が末期の水。
(俺に情報を話したのも、静佳が危険な存在だと印象付けるためか……)
ぽつぽつと窓明かりが灯る校舎を見ながら、古代はやや苦い想いを噛み締めた。
杏里を少しでも理解してやりたかった。出来る限り寄り添って居たいと思った。だが、もう依頼は終わるのだ。
依頼が終われば消える繋がり。古代はその事実を認められない若造ではない。同時に生きていれば次の機会があることを知る大人でもあった。
その時の為に、今は後悔に浸るだけではいられない。ただ、願わくばその時が遅すぎないように。
空に日没の光は既に無く、月と星だけが輝いていた。