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合同訓練なのか、参加している生徒の数は多い。見慣れない顔の一人や二人いたところで誰も気にしないだろう。それでなくても小柄な神雷(
jb6374)の姿は小学生に混じっても違和感が無い。正直、無理があるだろうと思った初等部の制服がサイズぴったりなのは少しショックだったが、この際そんな事は言っていられない。今は休憩時間、話しかけるには良いタイミングだ。神雷と、少し離れて窺っていた稲葉 奈津(
jb5860)は視線を交わし合って杏里を探した。
「居ました」
見れば、杏里は同級生に混じって他愛ない雑談に興じているように見える。聞いていたイメージと少し違うような感じを受けながら、神雷はいつもよりくだけた口調を作って話しかけてみた。
「坂本さん、です……だよね?」
「そうだけど」
杏里が穏やかに、少し首をかしげて神雷を見る。その様子は全く普通の少女のようで、これから自分のやろうとしていることに少し心が痛む。
それでも、やらない訳にはいかない。
「私、アカレコ専攻なんだけど、坂本さんもそうでしょ」
あぁそうかといった表情が神雷に向けられる。ここぞとばかりに神雷は言葉を継いだ。
「坂本さんって成績いいよね。ちょっとわからないところがあって、教えて欲しいん……だ。いいかな?」
作った口調は少しぎごちなく、不信を招かないかと心配になるが、それが初対面の優等生に話しかける緊張の為だと言えばそれらしく見える。
「私でわかる事ならいいよ」
杏里は特に訝しむ様子も無く、さらりと応じた。じゃあね、と、それまで話をしていた生徒達に声を掛けて神雷に向き直る。
「わからないって、どれ?」
「うん、ちょっとこっちに来て」
怪しむ様子も無く、杏里は神雷についてくる。訓練場から少し離れた校舎裏に座り、スキルや魔具の使い方などそれらしい話をした後、思いつきを装って聞いてみる。
「杏里ちゃんよく知ってるね。やっぱり放課後とか勉強してるの?」
少し慣れてきた口調が『話している内に親しみを感じてきた』という雰囲気を醸し出す。これは結構上手くいくかと思ったが、しかし。
「普通にはしてるよ。だって、落ちこぼれるのって嫌じゃない」
さらりとかわされる。もう少し突っ込んでみた方がいいだろうか。
「私は駄目。勉強しなくちゃってわかってるけど、ついあっちこっち行ってみたくなって。杏里ちゃんはそんな事ないの?」
「あるよ。でも、勉強の邪魔にならない程度にしてる」
再びはぐらかされる。その二人の前に、奈津が立った。
「ちょっといい?坂本杏里ってあんた?」
殊更見下ろすようにして声を掛ける。濃いめの美貌とモデル体型、小悪魔的な服装と相まって、そんな態度が妙に堂に入った感じだ。
「そうですけど」
淡々と答えながら杏里が立ち上がったので、神雷も慌てた風を装って立ち上がる。
「ねぇあなたどういうつもり?また何か企んでいるの?」
「何の事ですか?」
動じる様子も無く、型通りの受け答えをする杏里。これはなかなか手強いかも知れないと、奈津は威嚇するように睨んだ。
「とぼけても無駄よ?監視されてないわけ…ないでしょ?」
「監視は知ってますけど、それが何か?」
「監視って、何の事?杏里ちゃん?!」
いかにも驚いたという態で神雷が杏里の腕を取る。
「この杏里って子はね……」
杏里がかつて、サーバントの元に両親や近隣の人を引き込み、喰わせていたと語る。勿論、神雷もそのことは予め知っているが。
「杏里ちゃんが、そんな事するはずない!そうだよね?」
初めて聞いたように装い、杏里の腕を掴む手に力を込める。
心が冷めて、何もかもがどうでも良くなる気持ち。その部分に関しては、奈津にはわかるような気がした。
(でも、それは抑えてるだけ…諦めてしまってるだけ…私と同じようなら、気づいて欲しいな)
だが、それをそのまま言っても杏里に届くとは思えない。自分達は杏里にとって赤の他人だ。言い方は悪いが、何とか彼女を揺さぶって付け入る隙を作るしか無い。神雷もショック療法になるならと、杏里の過去を知って動揺する同級生の役を買って出たのだ。
いかにも勝ち誇った態度を作る奈津とショックを受けた様子を表現する神雷。そして、ちょっと首を傾げて二人をみる杏里。
「吐かないようなら…あなたのしてきた事を同級生に……」
「どうぞ」
「え……?」
余りにあっさりした杏里の声に、奈津は次に言う筈だった言葉を呑み込み、神雷は杏里から手を離してしまう。
「構いませんよ、事実ですし。言いたければどうぞ」
虚勢を張っている感じでも無い。本当にどうでもいいといった感じだ。
「あんたねぇ……」
言うわけないっしょ!という言葉を奈津が発するより早く、休憩の終了と集合を告げる声がした。
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骨組みだけ、あるいは残骸のみを晒したかつての建物の間を笛のような音を鳴らして風が抜けていく。杏里が行っているとすれば距離からしてここだろうと教えられた廃墟はそんなところだった。
アウル覚醒者とは言え、小学生が放課後から寮の門限までに行って帰れるだけにさほど遠い場所では無い。
(それなのに、全然違うんだね)
翼を広げて廃墟を見下ろしながら、九 みつか(
jb6080)は哀しい気持ちになった。
自由を旨とするだけに雑然としているが、活気に満ちた現在の学園とは違う。死の気配すらも遠ざかった空っぽの場所。ここにもかつてはいろんな人がいて、いろんな思いがあったのだろう。
でも、今は残骸だけが取り残され、朽ちていくのを待つだけだ。
(今の彼女の気持ちも、こんな感じなのかな)
その杏里の姿は、まだ見えない。
「特に何も無いですね」
崩れかけた建物など、何かありそうな場所を一通り調べた桜木 真里(
ja5827)は合流した坂本 桂馬(
jb6907)に声を掛けた。天魔が出没する気配も無く、何かの犯罪が行われた形跡も無い。
「あの教師、ガセ情報を掴ませやがったんじゃないだろうな」
杏里の行動が廃墟で天魔と接触するためだと踏んでいた桂馬からすれば、当て外れもいいところだ。
しかし、状況からして杏里が足を運ぶとしたらここしか無い。
(彼女が何を感じて何を思ってここに来ているのか、俺には想像することしか出来ないけど)
朽ちかけた建物を見ながら真里は思う。
もしかしたら、天魔絡みとは違う理由なのかもしれない。
一人になりたかったのかもしれないし、あるいは自分を認めてくれる誰かを待ってるのかもしれない 。
「待ってるといっても、こんなところで何を待つってんだ?それこそ天魔か犯罪者くらいしか……ん?」
言いかけた桂馬が黙り込む。
風の音に混じって人の声がする。それも、数人の子供の声だ。
「こら!何をしているんですか!」
訓練後に生徒達に紛れて出かける杏里を尾行したものの、この廃墟近くで見失った満月 美華(
jb6831)だったが、代わりに二、三人の小学生を見つけてしまった。
美華の声を聞いた小学生達は奇声を上げて一目散に逃げ出す。後を追ったが、見通しが悪いのと障害物が多いのとで見失ってしまった。
「ふぅ……見つかったのに懲りて、ちゃんと帰っていれば良いのですが」
気にはなるが、天魔や犯罪に関わっているようには見えなかった。おそらく面白半分に入り込んだのだろう。
それはそれで問題だが、今は杏里を見つける方が先決だ。
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連絡を取りながら杏里を探したものの、なかなか見つからなかった為に六人は一旦集まった。
「もしかしたら、逆効果だったんでしょうか?」
皆が集まると、神雷がぽつりと漏らした。良かれと思ってしたことが、ただ彼女を一層頑なにしてしまったのかもしれない。
「そんなこと、ないよ」
みつかが慰めるように言う。
「大体、色々と話が違うだろうが」
桂馬が咥え煙草の端を軽く噛みながらぼやいた。この廃墟に他の子が出入りしてるなど聞いてないぞと。
「もしかしたら、俺たちは大きな見落としをしているのかもしれないね」
知らず知らずのうちに杏里の過去にばかり囚われ、現在に対する視野を狭めていたかも知れない。教師に聞いた情報だけに頼り、同じ見方しか出来なくなっていたのだろうか。
真里がそう言おうとした時、誰かが立ち止まる乾いた音がした。
「何やってるんですか?」
そう言ったのは、当の杏里だった。
「それはこっちの台詞だ」
「良かった、無事だったんですね!」
状況に呆れ気味な桂馬の声に、ほっとしたような美華の声が重なる。
「何やってるじゃないわよ!今度こそ……」
言いかけて奈津は首を振って笑みを浮かべた。これ以上誤魔化しても仕方が無いと。
「本当は、先生から依頼されたの」
「良かったらここに来てる理由を聞いていいかな」
真里の問いに、杏里はあっさりと答えた。
「クラスでやる肝試しの下見です」
「はぁ?」
意外な、それでいてこの時期なら充分あり得そうな答えに思わず力が抜ける。
「どうせなら久遠ヶ原らしい肝試しをやろうって事になって、場所をここに決めたんです。先生には内緒っていうのも肝試しの一部なんです」
いかにも子供らしい理由。けれど、杏里の目は裏腹に冷たい。
嘘、という言葉を皆が呑み込んだ。
彼女の言うことは事実かも知れない。けれど、真実とも思えない。とはいえ、杏里の言うことを嘘だと断じる事実も情報も手にしていない今、おそらくそれを言っても何も変わらない。
「ちょっといいかな」
それでもと、真里が口を開く。
「君はすごくたくさんのことを頑張れるんだね」
その努力は尊い。いつか一緒に頑張る仲間が出来て、たくさんの人の力になれる時が来るだろう。そうしたらきっとその人達は笑顔と言葉をくれるから。
でも、今は言えない。ただ、
「きっと強くなれるよ」
今は、それだけ。届かないところへ、声にならない言葉。
「ありがとうございます。でも、こんなに騒がれているなら止めた方がいいですね。監視対象の所為で迷惑を掛けるのも嫌だし。クラスの皆には肝試しの場所を変えるように言ってみます」
「監視対象って……君は、君だよ」
みつかの言葉は杏里に届いたのか。
杏里自身はどうするのかを巧みに避けた言い方で事態に幕が引かれていく。
彼女の言葉を報告すれば、それでこの依頼は終わるだろう。告げる筈だった言葉と告げたかった言葉が、廃墟の風に消えて、それぞれが各々の場所に帰っていく。
「それじゃ、私はもう行きます」
踵を返した杏里の背に掛けられた言葉。
「一緒に帰ろうか」
「どうせ方向は同じなんでしょ?」
あの窓に、まだ灯りは灯らない。
それでも帰る道だけは、まだ閉ざされていないのだと確かめるように。