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天魔に対しては無力とは言え、警察の捜索能力は馬鹿にしたものではない。
愛美の実家について、こと人間関係と金の流れについてはかなり詳しく調べられていた。
「存外普通という感じですねぇ」
警察署で、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が読み終えた資料を閉じた。呪術師の頭領と言ってもそれは数十年前までの事で、殆ど言い伝えの域だ。今では普通に田舎の資産家と言ったところか。四ヶ月前に愛美の祖父に当たる高齢の当主が亡くなったとあるから、長年当主に使えた鈴緒が跡取りである愛美を探していたのは頷ける。鈴緒の姪が愛美の母というから身内同然に信用されていたのだろう。
「おや、辰郎は当主が亡くなった時と七年前、二回に渡って大金を受け取っています。何だか不自然ですねぇ。おっと、鈴緒の方にも……こちらは数十年に渡って毎月かなりの額が」
新しい資料を持ってきた警官をちらっと見やる。
「二人とも金銭に困っていた様子はありませんが、金なんてあればもっと欲しくなるものですからねぇ」
大仰に肩を竦めると、次の資料に取りかかりながら独りごちた。
「呪いについては報告待ちですか」
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賑やかな声と食欲をそそる匂い。
愛美が亡くなってから文字通り火が消えたようになっていた巧の家のキッチンが、今日は久々に息を吹き返していた。
「そろそろ良いじゃろうか?」
「まだ熱いよ。もうちょっとがんばろう?」
「む、こう、か?」
テーブルの上に置かれた寿司飯を緋打石(
jb5225)と一緒になって麻衣が団扇で煽ぐ。
「はい、混ぜますよ」
具材を用意した蘇芳出雲(
ja0612)が手際よく寿司飯に混ぜ、綺麗に人数分の皿に取り分けると、麻衣と緋打石で錦糸卵やもみ海苔、紅生姜などを飾り付けていく。良いタイミングで牧野 穂鳥(
ja2029)が綺麗に切られた八幡巻きを運んできた。わぁ、と声を上げて麻衣の目が八幡巻きに向く。
「良かったですね、巧さんに麻衣ちゃんの好きなものを聞いておいて」
小声で言う出雲に、穂鳥は小さく頷いた。いくら巧に頼まれたという名目を用意しても、ただ話すだけでは麻衣の警戒心は解けないだろう。ならば、麻衣の好きな食べ物を持参して一緒に食べ乍ら話をするのはどうだろうかと提案したのは穂鳥だった。入院中の巧にその話を持ちかけると、巧は喜んで教えてく
れた。愛美が亡くなって以来、どうしても外食かコンビニ弁当になりがちという話もあり、どうせなら簡単にでも手作りしようという方向になった。
「いただきます!」
頼れる親戚なども無く、巧が入院してから麻衣はパンを食事代わりにしていたらしい麻衣は、嬉しそうに五目ちらしを口にする。その様子は普通の子供と変わりは無い。
依頼内容が天魔の仕業としか思えない事件なら、いかに相手が姿を見せない難敵であっても天魔の痕跡を追い、炙り出して倒せばいい。だが、この件では全く性質の違う愛美の死と辰郎の死が同じ背景の元に成り立っている為に、人の仕業か天魔が関わっているのか判断出来ない。
この疑問に一つの道筋を与えたのが、自らも巫女の家系に生まれ育ったという出雲の一言だった。
麻衣に『力』が宿っているのではないか?
確証は無いが、そう考えれば一連の事件に筋が通る。天魔が関わっているかどうかはわからないが、麻衣が事件の要であるのは間違いないだろう。
「そうそう、麻衣ちゃんは撃退士の仕事って知ってますか?」
焦って話を聞き出そうとするのは禁物だ。何気ない風で、出雲は水を向けた。
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「呪いにせよ何にせよ、はた迷惑な話だよ」
愛美の実家について調べていたアサニエル(
jb5431)は、いつもの余裕ありげな笑いに少しばかり苦笑を織り交ぜながらスマホを取り出した。
「実家じゃ大した収穫もなかったんだがね、ちょいと気になる話があったんだよ。わりかし若い奴らに言わせると、『呪い』ってのは、元々それだけで人を殺せるようなもんじゃないってね。せいぜい人に幻覚とか幻聴とかを起こさせる程度だったとさ」
ただ、その力の存在を巧妙に使い、人の畏怖心を煽って握った権力と財力。それが愛美の実家が持っていた力の正体だという。
「けどさ、過ぎた金だの権力だのは人をおかしくさせるもんだね」
握った力を失わないために、常軌を逸した閉鎖主義や血族結婚がザラに行われ、二十年前までは子供を学校に通わせる事さえしなかったという。
「子供は家を維持するための道具扱いで、外に出て余計な事を覚えられると困るってことだったんだと。全く胸糞悪い話だよ」
その胸糞悪い話に終止符を打ったのが天魔の襲来だったと言うから、皮肉なものだ。
天魔と戦えるのはアウルの力に覚醒した者だけ。今でこそ常識だが、まだやっと天魔の存在が人々に知られた程度の時代の事。天魔という、普通では考えられない脅威に対し、周辺の人々はこの家に伝えられるという力を頼った。そして、結果は言うまでも無く。
比較的若い年代の者が呪いに対して距離を置いた見方をするのはその所為であるらしい。
脅威に対して全くの無力であった為、当然ながら周囲への影響力は無くなる。とはいえ、完全に没落したわけではなかったが、実際には多くの者が鬱状態になり、連鎖的に自殺や病気で亡くなっている。
「一族が死んでいったのはオカルト的な呪いじゃなくて、状況の変化に耐えられなかったストレス障害の所為って事だね。地元じゃ殆どの人が知ってるみたいなんだよ」
ならば、当然鈴緒や辰郎も知っていた筈だ。それなのに何故、返りの風などというものを持ち出してきたのだろうか。
単に財産目当ての脅し文句か、それとも他に理由があるのか。
「どっちにしろ、鈴緒って婆さんには話を聞く必要がありそうだね。
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「呪いなんて恐くない、呪いなんて恐くない……」
悪魔にして撃退士という立場の神雷(
jb6374)だが、正直オカルト関係は苦手だ。それだけに、少なくとも愛美の死や巧の怪我は実体のない返りの風ではなく、鈴緒という人間が関わっていると思っている。
(鈴緒も辰郎も、金銭的に困ってはいなかったようですが……)
しかし、単に財産目当てなら、愛美の死後にわざわざ現れる必要は無いように思う。麻衣はもとより、巧も愛美の親族に関しては何も知らなかったのだから。そのまま黙って財産を処分し、行方をくらませてしまえば良い。
鈴緒の真意はどこにあるのか。
彼女について、巧や麻衣のご近所と偽って介護士の女性に聞いたところ、言いにくそうにこう言われた。
『あの方は病気で、もう長くないんです。そっとしておいてください』
それが事実なら、尚更このままではいけない。
多少強硬手段になるが、鈴緒から直接聞き出そうと神雷は介護士のいない時間を狙って鈴緒が住んでいる家を訪ねた。
一通りの挨拶を済ませると、
「あなたも辰郎さんが亡くなって辛いでしょう。……良ければ相談に乗りますよ?」
悪魔の囁きで作った隙を突いて、優しく語りかける。どこか能面めいていた
鈴緒の表情が、どこか哀しげに歪んだ。
「あれは……仕方が無かったんです……」
話してくれる、と神雷が身を乗り出した時。
「そっとしておいてと申しませんでしたか?」
嘲笑うような声。いつの間にか介護士が傍に立っていた。
「そんなに知りたければ教えてあげましょう。何もかも、その方とあの子が望んだ事なのですよ」
クスクスと笑う女性は、既に本性を隠そうとしていなかった。その背にはコウモリのそれに似た黒い羽根が見える。
「やっぱり天魔が関わっていましたか」
その声と共に、芝居がかった仕草でエイルズレトラが降り立った。
「これで何もかもが繋がりました」
「あんたはあの家の信用を一気に落とす原因を作ったっていう悪魔かい?」
部屋の出入り口を塞ぐようにしてアサニエルも立っている。
「さぁ、何の事でしょう。それよりあなた達、こんなところにいて良いのかしら?あの女の子、今頃どうなってるか」
口調を替えた悪魔がからかうように言うと、鈴緒が引きつるような声を上げた。
「どういうことですか?!話が違います!」
「違わないわよ。貴女の望み通り、あの子の力に少し私の力を加えてあげたわ。素体に実体が無いからそんなに強いのは作れなかったけど、あの子が悪だと思った人間を攻撃するには充分よ。あの子が自分を悪だと思った時の事までは約束してないでしょう?」
どっちにしても、私の用はもう終わり。
そんな声が遠ざかっていく。
「しまった、僕とした事が!阻霊符を持ってさえいれば!」
エイルズレトラが天を仰ぐ。どちらにせよこの場で戦う訳にはいかなかったのだが。
「お願いします!あの子の、麻衣のところへ!」
「わかった。けど、後で聞かせて欲しい事がある。いいかい?」
アサニエルの問いに、鈴緒は小さく頷いた。
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麻衣は真剣な表情で出雲の話を聞いていた。一般の人々からはヒーローか、逆に化け物のようにも思われる撃退士達の悩みや苦労。
力への知識は学べば身につく。力を扱う技量は鍛錬で伸ばす事が出来る。
だが、結局その力をどうするのか、その力で何がしたいのかを決めるのは人の心。心は自分の物であるのに、自分ではどうにもならない事も多いのだ。
その所為で助けるべき人を傷つけ、その苦悩が更に罪を重ねる方向へとねじ曲がる事も珍しくは無い。
「だからね、大きな力を持つ人ほど、多くの理解者や協力者が必要なんだ」
黙ってしまった麻衣に、ちょっと言い回しが難しかったかなと思った時。
「……駄目なの」
ぽつりと麻衣が口にした。思わず三人とも麻衣を見つめる。
「お母さん、死んじゃった……お父さんに怪我をさせたから、お父さんはきっと私の事が嫌いになる……私、悪い子なんだ……」
まるで呪詛のように響く声。一陣の風が周囲を薙ぐ。
「麻衣さん!」
「麻衣ちゃん!」
穂鳥と出雲の声がまるで耳に入らないように、麻衣は目の前に現れた物をぼんやりと見つめている。黒い影……犬のような体だが、首から上はまるで双頭の蛇だ。
「私、悪い子だから、罰を受けるんだ……そうなんだ……」
「いけません!」
咄嗟に光纏し、マジックシールドを纏わせた穂鳥が飛びかかってきた『犬』
から麻衣を庇う。
「罰……受けないと……お母さんみたいに……」
「騙されないでください!」
エイルズレトラ、アサニエル、神雷が扉を蹴破る勢いで雪崩れ込んできた。
「それは天魔です。麻衣様を罰する権利など持ちません!」
「成る程、そういうことじゃったか」
神雷の言葉に何かを察したのか、緋打石は打刀を『犬』に突きつけた。
『犬』が姿勢を低くして唸る。
「どんなに心を鍛えた者とて、心が闇に惑う事などいくらでもある。麻衣殿は悪などではない。見るが良い!」
打刀が『犬』に振り下ろされる。短い呻き声と共に、『犬』は霧のように消えていった。
「返りの風……そういうことだったんですね」
出雲の声が、静かにその場に染みていった。
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「警察の捜査資料を再検討した結果、意外な事がわかりました」
エイルズレトラが両手を広げるような動作で口火を切った。彼が資料を調べていた警察署の一室を借りて、六人の撃退士と二、三人の警察官、そして鈴緒がそこにはいた。入院中の巧はさすがに無理だったのと、麻衣は巧の傍に居させた方がいいという判断でこの場にいない。
「DNA鑑定の結果、辰郎と麻衣の間柄はほぼ間違いなく親子関係と出ました。つまり、麻衣の実父は辰郎だったんです。最も結婚していた事も無いし、合意の上での関係だったとも思えませんが」
「事の起こりは、愛美の実家が天魔襲来を切っ掛けに信用をなくしたあたりさね」
その際、かねてから家を嫌っていた跡取り息子が妻子を連れて出奔した。
「年より連中に言わせると、その跡取り、実は主人が使用人に手を付けて生ませた子だって事だ。その使用人ってのが、あんただね?」
その言葉に、鈴緒はゆっくり頷き、ぽつりと言った。
「あの時の私はあまりにも弱かった……ただ、御当主に使える事しか知らなかった……」
出奔したものの、普通の環境に耐えられなかった息子はすぐに亡くなり、女手一つで愛美を育てた息子の妻も愛美の成人を待たずに亡くなった。そんな両親から血と共に家への恐怖と嫌悪、そして閉鎖的な感覚を受け継いだ愛美にとって、他人は卑しくおぞましい存在だった。そんな時に辰郎が愛美に近づき、無理矢理に関係を結んで麻衣が生まれた。七年前に辰郎が手にした大金は、麻衣の存在を盾に当主からせびり取ったのだろう。
だが、麻衣という子供を得た愛美は勇気を振り絞って麻衣と共に辰郎から逃げ、そして巧と出会った。
それら全てを、鈴緒は当主の死後に知ったのだ。
「巧さんとの暮らしが幸せであるほど、過去への恐怖は強まった……亡くなった日、愛美さんは辰郎さんに出くわしてしまったのですね?」
穂鳥が確認する。愛美は辰郎から逃げ出し、運悪く……
「愛美の実家にとって返りの風とは、代償を払っていると思わせる事で無意識にたまる穢れを払う舞台装置だったのじゃな?無意識は人の手が届きにくいが知らず知らずの内に負の感情が溜まりやすい所じゃからのう」
緋打石の言葉に、鈴緒は深く頷く。
「でも、どうして麻衣ちゃんを巧さんから引き離そうとしたのですか?」
出雲の問いに、信じられなかったからだと鈴緒は答えた。麻衣が相続する遺産の事を知れば、巧も辰郎と同様に卑しい根性をむき出しにするかもしれない。そして、鈴緒自身の余命も幾ばくも無い。せめて、麻衣に自分自身を守るだけの力があれば。
そんな気持ちを悪魔につけ込まれたのだ。
「あのお二人は大丈夫です。きっと、愛美様の分までこれから強く生きて行かれると思います」
人という種は、ある意味とても強いものなのだから。
神雷の言葉に応えたのは、鈴緒のすすり泣きの声だった。
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「どうもありがとうございました」
と、まだ包帯の取れない巧が丁寧に頭を下げる。その横で、麻衣も倣って頭を下げる。
撃退士達は知り得た真相の全てを巧に話した。彼には知る権利があり、知る義務があると思ったからだ。
「帰っちゃうの……?」
麻衣がか細い声で呟く。出雲の言った大勢の理解者と協力者。自分にそんなものが出来るのか、不安に苛まれる表情だ。
「大丈夫。お父さんから始めて、増やしていけば良いんですから」
ひいお婆ちゃんである鈴緒も含めて。
「うん……」
まだ寂しそうな顔をしている麻衣の頭上に、いきなり
「フハハハハ!」
珍妙な笑いが響く。いつの間にかカボチャマスクにタキシード姿になったエイルズレトラが大仰に口上を述べた。
「私は怪人パンプキン!いつでも君の傍に居る!また会おう!」
それが現実になることのない言葉でも。
麻衣はいつまでも流されるだけの子供ではいない。いつか、自分の意思で生きていく日が来るのだろう。
言葉はその日を迎えるための糧。
いつの日か。