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木の葉が風にそよぎ、優しく葉擦れの音を響かせる。重なるように響くのは、楽しげな子供達の笑い声。
一見心和ませるそれは、繰り返される歪なお伽話。
それぞれに調べを終えた撃退士達は、図らずも森に集うことになった。
「あ、あの……町を調べたら……その、空っぽに……なってる家が七軒……」
アリシア・レーヴェシュタイン(
jb1427)がおずおずと口にした。
家族が消え、食事がテーブルの上に放り出されていたり、窓が開けっ放しになったりしているのに、周囲の人間は誰も気にしていなかった。
「煙が立ってるのに誰も気付かないって、どういうこった?」
旅行の途中で立ち寄ったという態で、町の人々が交わす会話に聞き耳を立てていた有田・アリストテレス(
ja0647)だったが、会話には失踪のしの字も出てこない。事前に聞いていてさえ、失踪事件など何かの間違いではないかと思ってしまいそうになる。
「それで、空っぽになった家に絞って調べてみたんだけど」
これは都市伝説や怪事件を取材中のリポーターと称して調べていた瑞姫・イェーガー(
jb1529)。
「子供がいる家が三軒、夫婦だけが二軒、未婚者が二軒だったね。目立った繋がりは無し。ただ、子供がいる三軒について言えば、子供への過度の期待とか、無視とか、そういうもので共通項はあったみたいだね」
口調にどこか苦いものが混じる。
「俺は過去の失踪事件を調べてみたのであるが」
二十年以上前にも失踪事件が起こり、未解決のまま。おまけにその事件に関わっていた子供が行方不明の民間撃退士だなんて、どう考えたって出来すぎというものであろう、と、ラファル・A・ユーティライネン(
jb4620)。
「当時の失踪者が子供達の親や親戚では無いかという推理は外れたのである。ただ、男は行き場の無い子供を拾っては奴隷のようにこき使っていたということと、失踪者が男よりも子供達に辛く当たっていたということは注目すべきであろう」
「……その男と子供達が住んでいた小屋ですが……」
糸魚・小舟(
ja4477)が小屋を調べた結果を述べる。
「……今でも残っていましたけど、当時でも雨露を凌ぐのがやっとではなかったかと……」
あと、かなり新しいものと思われる缶詰やペットボトル、酒の小瓶があったことから、最近誰かが出入りしたようだ。失踪した民間撃退士かもしれない。
「わんはいなくなった民間撃退士を探していると言って、町の人に失踪事件が起こった時期に変わったことがなかったか聞いてみました」
前の依頼で負った傷が癒えていないのか、時々苦しそうな天海キッカ(
jb5681)だが、事件はほっとけないし、家に仕送りしたいし、戦闘でなく調査ならと加わっている。
「特になかったみたいですけど、失踪した家の子がいろんな人に話しかけてたって何人かが言ってました」
「あと、この森の周辺ね。入っていったと思われる足跡は多いけど、出ていったのは子供の足跡だけ。どんな形にせよ、失踪した人は森にいる可能性が高いですね」
高虎 寧(
ja0416)が締めくくる。
だが、何かが足りない。
「サディクはどうした?」
アリストテレスが指摘する。いる筈の人間が足りないと。
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ーそれより少し前。
空をキューと名付けられたヒリュウが行く。Sadik・Adnan(
jb4005)が召喚したそれは、彼女と視覚を共有しながら森の上を飛んでいた。
「変哲もねえ森に見えるんだがな」
しかし、町の方も予め聞いていなければ平和な田舎町にしか見えなかっただろう。変哲もないからこそ異常なのかもしれない。
「ガキ……?」
森の中に子供の影が見える。他に人の気配がない森の中に子供がいるのか?詳しく見る為に、キューの高度を下げる。
「いたぜ……ガキが……何人か」
「よう」
そんな風に声を掛けられ、森にいた十二才くらいの少女はいくらか不審の念を浮かべた目で振り返った。
「こんなところで、秘密基地でも作ってんのか?」
声を掛けたサディクが自分とさほど年の違わない女の子だったからか、少女はすぐに警戒を解いた笑顔を見せる。
「秘密基地じゃないよ。この先に私の家があって、お父さんとお母さんがいるんだよ。来てみる?」
少女が指しているのは森の奥だ。家などある訳がない。だが、もしかしたら、これは糸口になるかもしれない。
「いいぜ。行ってやるよ」
二人はまるで、仲のいい友達であるかのように肩を並べて森の奥へと歩き出した。
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一見すると豊かに見える森だが、よく見ると荒れた感じが目立つ。
(……こ、こんなところに……子供だけで……)
失踪した人間を探しながら、アリシアの胸中に苦いものがよぎる。人事に言うほど子供は純真でもなければ単純でもない。欲望も憎悪も小さな体に抱え込んでいる。
総てが天魔の仕業で済めば気が楽だろう。だが、もしかしたら……探し出すことで悲しい事実を暴き出してしまうかもしれない。
(……でも……探さないと……)
犠牲と罪がひたすら重なっていくのだろう。探さなくてはならないのだ。
「親子だからって、関係が良好とは限らないよね」
瑞姫もアリシアと似たことを考えていた。もし、親や大人を憎む子供が何かの偶然で力を持ってしまったら?力や憎しみを押さえることが出来るだろうか。その力を与えたのが天魔で、力に代償を求められるとしたら。
ぞっとした瞬間、森のどこかで銃声が響いた。
心臓の動きに合わせて癒え切らない傷が痛む。目の前には自分に銃口を向けている、三十代くらいの男。来る前に確認した、行方不明になった民間撃退士の写真と同じ顔だ。何がどうしてこうなったのか、キッカにはわからない。
ただ、五、六才の兄妹らしい子供二人を見つけて保護しようと声を掛けただけなのに。
(わんが死んだら、沖縄の家族、泣くだろうな……)
だが、銃弾が飛んでくることはなく。
「あの子達には近づくな。サーバントの道具にされたくなかったらな」
銃口が下ろされ、意外に穏やかな声で語りかけられる。
「今のおまえでは取り込まれかねん」
「どういうことか、俺にも聞かせて貰いたいである」
銃声を聞きつけたのか、ラファルと小舟が現れた。
二十数年前、理不尽な扱いを受けていた子供の前に現れた一人の少女と一本の木。子供は彼女に言われるままに憎い大人を誘い出し、誘い出された者はそのままいなくなった。
一人がいなくなる毎に木は生長し、実を結ぶと彼女と木は消えていた。
「その子供が、お前であろうか?」
「さて、どうだろうな」
早く忘れなさいと言われて大人になったかつての子供は、それでも忘れられなかった。樹木に実がなり、種が芽吹いてまた木に育つように、あの出来事が繰り返されるような気がして。
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「着いたよ!」
少女が嬉しそうに言う。
「お父さん、お母さん、新しい友達が出来たよ!」
しかし、そこには家もなければ他の人もいない。大きく枝を広げ、葉を茂らせている木があるだけだ。
どういうことかと問おうとした時、不意に優しい匂いがサディクを包んだ。
暖かく柔らかな空気が肌を撫でていく。胸の奥が締め付けられるほどの懐かしさ。気が付けばそこは森ではなく家で、目の前には一組の男女がこちらに笑顔を向けている。
父さん、母さん。そんな言葉が脳裏に浮かぶと同時に声が響く。
お帰りなさい。今までよく頑張ったね。もう大丈夫だよ。
優しく、力強く抱きしめてくれる腕、頭を撫でてくれる手。このまま眠ってしまえたら、そして目覚めた時にこれが『現実』になっているとしたら、どんなにか幸せだろう。
……だけど。
脳髄を浸食するような甘い夢を振り払うように叫ぶ。
あたしは美味しい餌を待つだけの籠の鳥じゃない。あたしは自由だ!
こんなものに絡め取られてたまるか。もっと、もっと強くなって、大きくなって、そして……
叫んでいるはずなのに、自分の声が聞こえない。聞こえるのは、優しい優しい子守歌。
「顔も知らねぇ、声もしらねぇやつがっ!あたしに優しい事すんじゃねぇよ!!くそがっ!」
喉が潰れるほど叫んだ瞬間、乱暴に腕を捕まれ、引きずられる。
「おい、大丈夫か!」
肩を掴んで揺さぶられ、甘い痺れの中で止まりかけていたサディクの思考や感覚が戻ってきた。少し強張った表情のアリストテレスと目が合う。皆がここに集まってきていた。
「どうやら、あの木を中心にして、強力な幻惑効果が張り巡らされているようですね。木それ自体がサーバントの偽装なのか、木の中に潜んでいるのか、どっちかな?」
傍に居た寧が冷静に観察する。その木は腕のように枝を広げ、歌うように葉を風に鳴らす。そしてサディクをここに連れてきた少女を含めて四人の子供がうっとりした顔で幹に頬を寄せ、あるいは枝に寄りかかっている。
「失踪の原因はこいつみたいだな。住民が何も気付かないのもこいつのせいか?」
アリストテレスが光纏し、銃を取り出す。
「子供を利用して捕食していたというところであろう」
ラファルが頷き、身構える。だが。
「森に木を隠すって訳か。ふざけた真似をしやがるぜ」
銃を握りしめたまま、アリストテレスが低く呟く。銃ならば幻惑が届かない位置から天魔を攻撃できるが、子供達が張り付いていたのでは無理だ。引きはがすにも、下手をすればミイラ取りがミイラになる。さっきもサディクを引っ張り出すのがやっとだったのだ。
「あなた達!目を覚ましなさい!」
瑞姫が声を張り上げて子供達を叱るが、子供達には届かない。
「人間なんて簡単に操られるし、逃げたがる。子供達自身が望んで無ければ良いけど」
ただ利用されただけでなく、子供達自身が天魔に縛られることを望んでいたなら、助け出すのは難しいと瑞姫は苦い想いで呟く。
と、その時。近くの樹上に光が走り、天魔の周囲にある地面へと銃弾が叩き込まれた。何事かと目を見張る撃退士達の前で、地面ごと枝葉や幹が大きく揺れる。
「そうか、木を支えるのは根だということであるな!」
幹の根元には何本か、地面に太い根らしきものが見えている。上手くやれば、子供達を避けて攻撃できそうだ。
「いきます」
「あなた…に、恨みは…ありません…が…消えて…頂きます…」
寧とアリシアの手から放たれた手裏剣と苦無が叩き込まれ、瑞姫のトートタロットが追い打ちを掛ける。幹が、枝葉が苦悶するように大きく捩れた。
「やめて!」
正気を取り戻した少女が両腕を広げて撃退士達とサーバントの間に割って入る。その後ろで、三人の子供もサーバントを守るように立っている。
「お父さんとお母さんをいじめないで!」
「それは天魔なんだよ!あなたの両親じゃないの!」
瑞姫の言葉にも少女は怯まない。
「それでもいい!天魔でもいい!お父さんとお母さんがいれば、あんな親なんて要らないの!」
明確な意思でもっての拒絶。それは同時にサーバントの幻惑が薄れたことも意味していた。
「わりぃがな‥‥てめぇ等の両親だろーと関係ねぇんだ!」
サディクがゴアと名付けたティアマットを召喚し、子供達に超音波を浴びせる。すかさずアリストテレスと小舟が子供達をその場から引き離し、キッカに託して下がらせる。
僅かに垣間見た、優しい幻。あの中に溺れ、そのまま生きて行けるならそれはそれで幸せなのだろう。
だけど、自分には出来ないとサディクは思う。
「おらゴア!暴れていいぜ!ぶちのめせ!」
優しい幻よりも、現実に強くありたいと望んだのだから。
子供達、そして幻惑という盾を失ったサーバントに撃退士達の攻撃が集中する。土中から引き出された根が撃退士達を捕らえようとうねるが、その動きは次第に緩慢になっていく。
そして、ラファルの腕から放たれた魔法弾がサーバントを貫くと、耳障りな音を立ててサーバントは倒れ、動かなくなった。
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撃退士達が町に戻ると、町の住人達は夢から覚めたように危機感を取り戻していた。サーバントが根を張っていた跡からは失踪者の遺品が見つかり、無事に遺族の手に渡ったが、同時に遺族達は何故そんなことになったのかと当然ながら知りたがる。
「あの子達、どうなるんでしょうか?」
学園に帰る為に乗ったバスの中で、キッカがぽつりと言った。答える者はいない。
サーバントが子供達を通じて町に影響を及ぼしていたことも、そして自分達の親を含めた何人もの住民を森に誘い込んでサーバントの餌にしていたことも、いつの間にか知られていた。と、言うより、住民達は元々子供達を疑っていたようだ。
疑っていたなら、どうして何もしてやらなかったのだろう。サーバントにすがりついてしまう前に。
「……あの子達は…」
小舟がぽつぽつと語り出す。
「…どんな家庭環境に生まれついたのでしょうか…」
二十数年前も、今も。天魔という存在の影で忘れられ、そして、またどこかで繰り返されるのだろうか。
「……辛く理不尽な扱いをされても……あきらめずに現実を生きてほしいと思います……最悪な状況から抜け出す機会は、わずかであっても、必ず訪れると思います……」
何人かは、そっと振り返る。
森に、幻の父母を呼ぶ声はもう聞こえない。