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昔々、とでも付けたくなるような穏やかな語り口はどこか依頼内容に相応しくないとも思える。
だが、オフィリア・ヴァレリー(
jb1205) は口を挟むことも不満の表情を浮かべる事も無く、むしろ依頼者の言葉を一言たりとも聞き逃すまいとしていた。
依頼人が遠縁とはいえ紫と血縁があること、依頼人の父と紫の父は仕事上で付き合いがあったこと。
「紫はどちらかというと祖母似でしょうね。紫の両親は、当時子供だった私の目から見ても……気位は高いが弱い人達でした……」
画家と称していたが、その世界で生きていくだけの才も根性も無かった紫の父。それを決して認めず、無責任な甘言に踊らされて財産を食い潰す両親を嫌悪の目で見ていた幼少期の紫。綺麗だが冷たい瞳が悲しく、いつか違う光に輝かせたいと思った青年の頃の依頼人。
「私の思い上がりだったのかもしれませんが……」
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「有り難うございます。助かりました」
座敷に通された黒須 洸太(
ja2475)と柏木 優雨(
ja2101)は紫に頭を下げた。旅行中にちょっと山歩きをしていて道に迷った兄妹を装った洸太と優雨は思惑通りに千弥に出会い、屋敷に招じ入れられていた。
「いいえ。でも、この辺りは知らない方は迷われるようですね」
一見すると穏やかな笑みを浮かべた紫が答える。
「生憎と使用人が出払って何のおもてなしも出来ませんが、宜しければ今夜はここで泊まられては如何でしょう?」
「いいんですか?済みません、本当に助かります」
「お気になさらないで……あら?」
紫の笑顔が黙って眠そうな顔の優雨に止まる。
「ごめんなさい、気が付かなかったわ。妹さんはもう休まれた方がいいわね……千弥」
「はい、おかあさま」
部屋の隅にいた千弥が優雨を案内して座敷を出ていくと、洸太は更に愛想良く紫に話しかけた。
「でも、山の中なのに凄いお屋敷ですね。外に土蔵とか並んでいましたし」
「そんなことはありません。古くて広いだけで……ただ、街育ちの若い方には珍しいかもしれませんね」
ふふ、と紫は意味ありげに笑う。
「宜しかったら、後で蔵を御覧になりますか?」
「囮は首尾良く入り込めたようじゃの」
ヒリュウを召喚して囮の二人を追跡させていたリザ・ホルシュタイン(
jb1546)が庭木の陰でほくそ笑んだ。それにしても、と屋敷を見回す。
「ふむ。古い家柄のようじゃな。そういう家は、大抵面倒なものを抱えておるものじゃが…」
首をかしげる。自身も古い家柄を束ねる身だけに見る目はあるつもりだが、その目にはこの屋敷が古いと言う以上に荒んでいるように見えた。
「あまり良い歴史を刻んだとは思えぬの」
「憑き物筋ねえ……犬神とかその手の物はいくつか伝承があるけど」
別の意味で首をかしげたのは、リザと同様に裏から屋敷に侵入した蒼波セツナ(
ja1159)。
「今回はトウビョウに近いかしら。それにしても、体に取り憑くというのが気になるわ。内側から身体を食われないようにしないといけないわね 」
そこに、足音を忍ばせて二つの影が近づいてきた。
「おお、蔵の方はどうじゃった?」
「案の定ね。ホラー映画の世界だったわ」
「見るんじゃなかったって気もするぜ」
蔵を調べに行っていたグロリア・グレイス(
jb0588)と叶 心理(
ja0625)が表情に嫌悪感を滲ませた。
「まるで骨と皮以外は吸い尽くされたような死体が転がってたわ。数からして、行方不明になっていた人達に間違いないわね」
「あんなところに放り込んどくなんて、悪趣味だぜ」
「死体を放り込んだというよりも、あの蔵で犠牲者を喰らっていたという事じゃないかしら」
蔵ならば、上手く閉じ込めてしまえば獲物に逃げられる事も無い。
「それ……どうやら当たりだぜ。蔵を見物しねぇかとか言ってやがる」
鋭敏聴覚で聞き耳を立てていた心理の言葉に、一気に緊張が走る。
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「家族は……一緒が……良いの」
ぽつりと言った優雨の言葉に、千弥の足が止まった。
「千弥……お父さんは?」
「おとうさまは……ここにはこないの。これないの」
「千弥は……お母さんのこと、好き?」
「すき」
「お父さんのことは……?」
「すき」
「ん……そうなの。私にとって……お母さんは、誇り……なの。私は……お母さんみたいに、なりたいの。千弥は?」
「わたし……わたしは、おかあさまはすき。だけど……」
俯きながらも、はっきりとした言葉が響いた。
「わたしは、おかあさまみたいになりたくないの。いやなの」
千弥は顔を上げると、優雨が思わずたじろぐ程にまっすぐ見上げてきた。
「おねえさん、ほんとうはなにしにきたの?まよったなんてうそでしょう?だって、おにいさんもおねえさんも、わたしをみてもおどろかなかったもの」
まるで、最初から知っていたみたいに。
「そう……私は、千弥のお父さんから……頼まれたの。千弥とお母さんを助けて……どうしても駄目な時は……千弥だけでもって……」
「だめな、ときは?」
「だけど、私は……千弥のお母さんも……助けたい……きっと、千弥のお母さんは……周りのことが、恐いの」
周りのこと、それは多分、過去の偏見だけではない。優雨の脳裏に、ここに来る途中見た廃村の姿が浮かぶ。
かつて紫の家を憑き物筋と呼んで疎んじた村は、とうの昔に過疎化の波に呑み込まれてなくなっていた。就職や進学を機に人が流出して村の機能は失われ、それでもとどまった者も老いて死に、あるいは若い者を頼って出ていって、残っているのは朽ち果てた廃屋ばかり。
人々に傷つけられた自分は残っているのに、傷つけた者達は何事もなかったように知らん顔で変わり、忘れていく。
それはまるで、傷ついた者の存在を否定し消し去ろうとしているようで。
「周りが恐いって…結構厄介なの。世界で…1人だけ取り残された感じ。胸にぽっかり…穴が開いて、でも埋められないの。何も信じられなくなって…信じたくなくなって…。周り全部が…敵に見えて…最後には、自分の殻に篭るの。ちゃんと…味方がいるって、気づかないと…出てこられないの」
助けてあげよう、お母さんを。
そう言った優雨の言葉に応えたのは、走り去る足音だった。
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(…ふん、何が憑き物に縛られた血だ。死人を出し続けてでも、化け物に身を委ねるつもりか……まぁ、化け物が言えた立場では無いがな )
樹上に身を潜め、リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)は侮蔑と自嘲がない交ぜになったような呟きを胸中に零した。
紫に対しては何ら同情するところはない。
だが、千弥は助けると請け負った。だから、何かあったら危険から遠ざける為に皆と離れて監視していた、筈だった。
だが、通り過ぎると思っていた千弥は、リンドのいる木の傍で止まり、その瞳が樹上を見上げる。
「天狗……さま?」
その呼びかけに、思わずリンドは苦笑した。
悪魔という種族を見たことがないのか、千弥の目には龍人の姿をしたリンドが昔話に聞かされた天狗に見えたらしい。
「天狗さま、おしえてください!」
「俺は……」
天狗などではなく、ただの化け物だと言おうとして言葉を呑み込ませたのは千弥の言葉だった。
「わたしは、なにをしたらいいのですか!?おかあさまになにをしてあげたら……おかあさまはおかあさまにもどれるのですか!?」
それは、千弥の中でずっと、形になれずに渦巻きながらも封じられてきた想い。優雨の言葉に触れて想いが形になり、迷いに揺れながらも真摯な幼い目が一心にリンドを見上げている。
(まあ、いいか)
元々囮や学園との関係は隠すつもりだったのだ。千弥が勝手に勘違いしているならむしろ好都合だろう。
「母親を助けたいか?」
「はい!」
「それなら、話を聞こう。来るか?」
千弥が母親を助けたいなら、憑き物に擬態したサーバントに取っては都合が悪い事だろう。それなら、他の者が行動を起こすまで千弥はここから遠ざけておいた方がいい。
リンドが差し出した手を千弥が取る。
少女を抱えた『天狗』は翼を広げ、山へと飛び立った。
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灯りはないが、外は月明かりで意外と明るい。洸太は紫に案内されて蔵の前に来ていた。
「済みません、優雨……妹は寝てるみたいで」
「構いません。妹さんも後でいらっしゃるわ」
紫が微笑んで蔵の鍵を開ける。
「さあ、お入りになって」
蔵の中には、高所にある明かり取りの窓から月明かりが差し込んでいるものの明るいのは中央部だけだ。そして、薄暗いところには……
驚いた態で振り向く洸太の目の前で、紫の顔に膨れ上がった筋が浮かぶ。
何かが切れるような音と共に、紫の全身から無数の蚯蚓のようなモノが這い出て絡まり、一体の生き物のようにうねうねと動く。
「大丈夫、すぐに何も考えられなくなりますよ……苦痛で」
扉を背にした紫が笑う。
憑き物……いや、憑き物を模したサーバントが洸太に迫った瞬間。
不思議な旋律が流れた、と、幾つもの影がサーバントに絡みつき、魔力の鎖で縛り上げていく。
「そう簡単には戻らせねぇぜ!」
暗がりから飛び出した心理がサーバントと紫の間に割り込んだ。続いてグロリアとリザも姿を現した。ダガーと銃弾がサーバントに叩き込まれ、サーバントの一部が千切れ飛ぶ。
しかし、苦痛の声を上げたのは心理だった。見れば、サーバントの欠片が蠢き、心理の首に食らいついている。咄嗟に洸太がそれを引きずり出してサーバントにたたき付けた。
その隙に、紫がサーバントに駆け寄ろうとする。
心理が紫を抑えたが、その手はまだサーバントに差し伸べられていた。
「何を血迷っておる!それはおぬしを守りなどせぬ。おぬしとてわかっておろうが!」
「わかっているわ!これがなくなれば、私には何も残らない!もう嫌なのよ!無力で、ただ悲しむだけの私なのは!力があれば、もう誰憚ることはない、私は私でいられるの!誰の目も気にすることはないの!」
その言葉に、リザの目が尖る。
「半世紀も生きぬ小娘風情が何に絶望しておる。血じゃと?家じゃと?周りの目じゃと? 戯けが!!そんな下らぬもの、貴様の気一つで如何様にもなったはずじゃ! 」
何よりも許せないのは、そんな身勝手に幼い我が子を巻き込んだ事だ。
「貴様はもう、守られるだけの無力な子供ではなかろう。夫がおる、子がおる……貴様は母であろう。貴様が母に求めたものは何じゃ?父に求めたものは何じゃ? 千弥は……今、それを得られておるか?」
だが、紫の答えは狂気のような笑いだった。
「ええ、私が両親に求めたのは力よ!強い事よ!だから、私はこの力を千弥に授けるの!誰よりも強い力を……」
声が途切れる。閉ざされた扉が開かれた。
「おかあさま、もうやめて!」
そこにいたのは千弥と、千弥を守護するように立つリンド、そしてリンドに合図を送った優雨だった。
「わたしはそんなもの、いらないの!」
「千弥……あなたまで……私を裏切るの……」
「まだ戯けた事を!千弥が貴様を救わんが為に耐えておることすら解らぬのか!」
「確かに御主は、この家の血脈に縛られていたのやもしれぬ…だが御主は母親だ、この娘を守らねばならぬ存在だろう」
リンドが紫の前に進み出た。
「自分と同じ命運を我が子に辿らせるのが本望だというのなら、真の化け物は御主だ……だが、御主にまだ母親として、この娘を守る意志があるのならば……まだ、人間に戻る事もできよう。己自身の力で、この娘の母であり続ける意志を見せろ」
「おかあさま!そんな力なんてなくなっても、わたしもおとうさまもいなくなったりしないから!おかあさまがいなくなったら、わたしがみつけるから!」
「千……弥……」
紫の腕がゆっくりと伸ばされる。サーバントではなく、千弥へと。
「ちょっと、こっちは拙いわよ!」
サーバントはセツナが〈連環なる裁き〉で束縛し、グロリアと洸太で牽制していたが、決定的な攻撃が出来ない。下手に破壊すれば飛び散ってさっきよりも非道いことになる。束縛が切れたらジリ貧だ。
「あの、役立つかどうかはわかりませんが」
千弥を抱いた紫が遠慮がちに口を出す。
「私にあの憑き物……サーバントを寄越した天魔が言ってたんです。これは、絡むことで形になるって……」
「絡んだ部分、つまり連結部が弱点と言う事かしらね」
グロリアがサーバントを睨む。連結部は可動部分に覆われて、攻撃はまともに当たりそうもない。
「……だったら」
「これならどうかしら?」
青白い炎の蝶、そして紅蓮の火球がサーバントを包み込み、可動部分がのたうつように広がり、むき出しになった連結部に攻撃が集中し。
一つ、大きく身を震わせて、最後は呆気なくサーバントは滅した。
やがて日が昇る。
永遠に続くかのような夜を越えて、静かに時が流れ出した。