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人の背よりも高い雑草が生い茂り、道があるのかどうかさえもわからない。
「これはちょっと酷いですぅ」
自分の身長の倍はありそうな草をかき分けて深森 木葉(
jb1711)は何とか前に進んでいたが、正直どっちに進んでいるかだんだんわからなくなってきた。
依頼人への聞き取りに自分のような子供がいては、相手が馬鹿にしてまともに話してくれないかも知れないし、聞き込みの間に何か手を打たれてしまうかも知れない。
予め現地に行って情報収集が必要と先行してきたが、まさかのこの状態だ。
子供とは言え撃退士である以上は並の大人よりも体力はあるが、気分的にめげる。そんなところに、前方から人の声がした。
「誰かいるですぅ」
いそいそと声のする方に行くと、草茫々ではあるがいくらか見通しのいい場所に出た。そこにたむろしていた四、五人の男がぎょっとしたように木葉を見た。いきなり草の中から袴姿の童女という場違いな存在が現れたのだ。何かに化かされたような気分にもなるだろう。
だが、男達はすぐににやついた顔になる。退屈凌ぎの獲物を見つけた、そんな顔だ。
「お嬢ちゃん、まだ小さいのにこんなところに来るなんてなぁ」
「まずはここの仕来りに慣れないといけないんだぜぇ」
「これからゆっくりと教えてやるからな」
口々に言いながら、事情が飲み込めずにいる木葉を取り囲む。
「ぐほっ!」
おかしな声を上げて一人が前のめりに倒れた。後頭部に当たった枯れ枝がぽとりと落ちる。
「このロリコンどもが、しょーこりもなく!」
ツインテールの少女が駆け込んできて木葉の手を取った。
「こんな奴らの言うことを聞いちゃ駄目だよ!こっちに来て!」
そのまま木葉の手を引いて駆けていく。男達は追って来なかった。
●
「やっぱり、依頼人さんの事も聞いておきたいと思うんです」
木葉と少女が走り去ってしばらくの後、この場に着いた鑑夜 翠月(
jb0681)の言葉に、横に立った鷹代 由稀(
jb1456)はあまり気乗りしない様子で煙草を咥えた。
「あんまりお勧めしないわね」
ここに来る前に、翠月と由稀を含む五人の撃退士は依頼人に面会を求めた。
情報がいささか少ないということもあったが、札付きという評判だけで胡散臭いと決めつけるのも危険だと。
実際会ってみた依頼人はぱっと見は温厚な紳士然とした、言葉遣いも丁寧な中年男で、噂は単なる噂に過ぎなかったかと当初は思いかけた、が。
それは撃退士達が口を挟まず、依頼人だけが一方的に話している間だけのことだった。人々がどういう経緯で避難したのか、天魔が現れた時の状況はどうだったのか。確認して当然のそんな質問をした途端、依頼人は目に見えて不機嫌になった。
『君らはここに何しに来たのかね?天魔退治に臆して警察ごっこでお茶を濁す気か?』
所詮は子供かと此方を見下した態度を隠そうともしなくなった依頼人に、
『避難させた一般人がいるんでしょ?巻き込んだら拙いじゃない』
大人と呼べる年齢の由稀が釘を刺したが、依頼人の態度はますます高圧的になった。
『ふん、助けてやった恩も忘れて天魔に尻尾を振る奴らなど人間とは呼べんわ。そうではないか?』
天魔に囚われている一般人など助ける必要はないとばかりの言い草に、流石に一同は良い気持ちはしなかった。
『人死にが出てもいいって事?そんな依頼を出したって事がわかれば、あなたも只じゃ済まないわよ』
由稀が傭兵時代の顔を見せて凄んだが、依頼人も冷ややかに笑って見せた。
『儂が一般人を殺せといつ命じたのかね?君らは撃退士と天魔の戦いでどれだけ一般人が巻き添えになっているか、儂が知らないとでも思っているのか?』
肝が据わっているのか腹を括っているのか、寧ろ学生の負担を軽くしてやっているのだと言わんばかりの態度に、由稀も黙るしかなかった。
結局聞き出せたのは『天魔』の外見とそこに囚われている一般人の年齢構成、そして手下……もとい、部下が襲撃された時の様子だけ。
「評判だけで見方を偏らせるのは拙いと思ったけど、どうも評判通りみたいね」
「でも、昔からあんな感じだったんでしょうか?」
人に生まれながらの悪人など存在しない。あの依頼人にも色々辛いことや上手くいかない事が重なって今のようになったのだと……そこを理解し、癒やす何かがあれば人は変わるものだと翠月は思いたい。
「やっぱり僕は、手下さん達に昔の依頼人さんの事も聞いてみます」
「あんまり期待しない方がいいわよ。止めないけど」
煙草の煙を追うように由稀は視線を移す。その先には朽ちかけた元民家、そして屋根にブルーシートを掛けた平屋建ての元集会所がある。
「私は日のある内にあの辺りを調べておくわ。正面からだと話しにくい事があるかも知れないし」
●
「あの依頼人じゃ、まともな避難かどうかわかったものじゃないわ!」
元集会所を目指して歩きながら稲葉 奈津(
jb5860)は息巻いた。
「現にこれじゃない!必要な物だってまともに運べやしないわよ」
お洒落に気を遣う奈津に似合わず大きなリュックを背負い、更にその上に畳まれた毛布を積んでいる。
「否定できませんね」
やはり両手に荷物を抱えた鈴代 征治(
ja1305)も同意した。元々これらの荷物は車に積んでいたのだが、途中で車が通れるような道がなくなってしまったのでやむを得ず二人で運ぶ羽目になったのだ。
「一時的にとはいえ、人が生活するにはかなりの物資が要りますからね」
撃退士の体力腕力のお陰で何とか二人で運べているが、一般人だったら大の男数人がかりになるだろうか。しかし、念の為にここから一番近い町で聞き込みをしたものの、十人もの人間が暮らすのに必要な物資が買い込まれたとか運び込まれたとかいう話は聞かなかった。
「それに、僕は依頼人が言っていた『天魔』も気になります」
そう言って、征治は前方に現れてきた元集会所に目をやった。古びた建物の周囲に小さな白い花が慰めるように咲き乱れている。
依頼人の態度とこの廃村の様子から、ここに現れた天魔は自分が知っている存在だとほぼ確信に近い思いが征治にはあった。
「それで、どうするの?」
「ここは正面から行きましょう」
依頼人の話では足が竦んで入れなかったと言うことだが、今のところ二人にそんな影響はない。難なく正面扉の前に辿り着く。
元々頑丈に作られていたのだろうが、他の建物が朽ちるに任せてあるのに対してここはあちこち補修の跡が見られた。
「こんにちは、誰かいらっしゃいませんか?」
征治が奥に向かって声を掛けると、怯えたようなざわめきとそれを宥めるような声が聞こえる。
「はーい、ただいま」
およそ状況に似合わない、柔らかな若い女性の声と軽い足音。やがて、二人の前にバンダナで髪を覆い、ジーンズに割烹着という姿をした十代半ばに見える女性が顔を見せた。
「あら、久しぶりね。元気だった?」
凡そ使徒が撃退士に掛けるものとは思えない気軽さで、二人の前に現れたシーカーは懐かしそうに笑った。
●
雑草の中から風に煽られ、小さな頭骨と思しきものが転がり出して来るが男達は大して気に止めない。戯れに蹴飛ばしたりする程度だ。それを見て、雫(
ja1894)はほんの僅かに眉をひそめた。
「どうした、お嬢。ここに骨なんて意外か?」
「別に」
短く淡々と答える雫に、男は多少の侮りは見えるものの気易い笑いを見せる。彼らに会った時に使ったアウトローや友達汁の効果もあっただろうが、それ以上に雫の言動が彼らの気を緩ませていた。
自分は依頼を受けてここに来た撃退士だと、その点は正直に言った。一瞬動揺する彼らにさも依頼人に共感している言葉を続ける。
『他の皆はここにいる奴らを助けるべきだと思っていますが、私は違います。天魔にすり寄るような人間は死んでも仕方がありません』
こういう人間に信用され一目置かれるには、自分が力ある存在であることと同類であることを示すのが一番だ。
『大体、奴らを助けても一文にもなりません。家族も親戚も天魔に殺された私が頼れるのはお金だけですから』
男達と行動した方が依頼人の受けも良く、いい金になりそうだ。勿論芝居だが、彼女が幼く見えても撃退士であることがその素振りに説得力を増した。元々金と力に群がってきた男達は、そんな雫を利用できそうだという打算も手伝って同類として受け容れていた。
「ここいらには結構転がってるぜ。馬鹿な奴らが随分野垂れ死にしたからなぁ」
その声に他の男達も笑い声を上げた、その時。
「あの、済みません。見張りの方ですよね?」
ひょっこりと翠月が姿を姿を見せた。男達の表情と足許にあるものを見てぎょっとしたような顔になる。
「何か用かい、お嬢ちゃん」
今は女装している訳ではないが、可愛らしい容姿の所為でラフな格好をした少女にしか見えない。男は雫に見せていたのとは違う、値踏みでもするような目で翠月をじろじろと見た。
「僕は天魔の退治を依頼された撃退士ですが、少し伺いたい事が」
今現在の様子を聞かせて欲しいという翠月に、男は不快げに鼻を鳴らして相変わらずだと答える。
「中にいる皆さんは逃げようとは思わないのでしょうか?」
「相手は天魔だからな。それに、元々あいつらにそんな気力は残っちゃいねぇよ」
「どうしてそう言えるんですか?」
「それはな……」
言いかけた男を、別の男が制して翠月を睨む。
「お嬢ちゃんは一体何しにここに来たんだ?おまえらはさっさと天魔を退治すりゃいいんだよ。それが仕事だろうが」
「でも、人が囚われているなら助けないと。依頼人さんだって本当は出来れば助けたいって思ってるんじゃないでしょうか?」
「ひょっとして怖じ気づいてんのか?だったら帰りな」
けんもほろろにあしらわれても食い下がろうとする翠月の前に雫が進み出た。
「いい加減にして貰えませんか。いい子ぶって出しゃばられても邪魔なんです」
そう言う一方、アウルで作り出した木枠から翠月にしか聞こえない声を作り出して届ける。
『依頼人のやってることは評判以上に酷いですね。天魔被害者から財産をむしり取った後、もう金にならないと見た人間をここに捨てているんです』
『口封じに殺すとしても一番厄介なのは遺体の始末ですが、ここなら簡単には見つかりませんし』
『自分達は手を下さず、飢えや絶望で野垂れ死にさせてるらしいです』
耳を覆いたくなるような情報に
「そんな?!」
翠月は思わず声を上げる。男達の何人かが怪訝そうに見るが
「依頼人の機嫌を損ねて報酬を減らされたらどうしてくれるんですか」
雫が取り繕い、上手く話を合わせる。
『この辺りにはそうやって死んでいった人の遺体が放置されているようです。見つかっても死因が飢えや衰弱では依頼人の悪事の証拠になるかどうかわかりませんが』
『私はもう少し、この人達からの情報収集と監視を続けます』
「わかったらさっさと行ってください。他の人にも言っておいてくださいね」
暗に行けという雫の意図を察し、翠月はいかにも傷ついたという風で踵を返した。その足が次第に速くなる。
一刻も早く皆に情報を伝えなくてはという気持ちもあったが、いたたまれないのも又事実だった。
思いやりではどうにもならない、寧ろ悪化させてしまう悪意もある、その現実に。
●
「シーカー!そいつらから離れてください!」
奥から血相を変えた青年が走ってくる。征治や奈津を見る目は猜疑に満ちていた。
「淳也君、大声を出さないで。皆が怯えるから。それに、私は大丈夫」
「すみません。でも、そいつらは撃退士でしょう?それも、あの男から依頼を受けた奴らです。信用できません」
「ちょっと。随分な言い草じゃないの、それ」
奈津が唇を尖らせて言い返す。
「確かに私達はちょっと信用できない依頼人からの依頼を受けてここに来たわ。でも、依頼人の言うことだけを鵜呑みにするほど馬鹿じゃないつもりなんだけど。とりあえず、この荷物を下ろしていいかしら?」
「一体何の荷物だ?!」
淳也という青年は根っから不信感を抱いているらしい。依頼人だけでなく、撃退士にも。
「食料品とか日用品とか、そんなものよ。あの依頼人じゃ、こういう物にも困ってるんじゃないかと思って」
「毒でも仕込んであるのか?あの依頼人ならやりそうなことだ」
「何よ、それ?!そんな馬鹿じゃないって言ったでしょ。撃退士がボランティアやっちゃいけないって決まりでもある訳?」
奈津と淳也はお互いうなり声でも上げそうな様相になってきた。見かねた征治とシーカーが窘めようとそれぞれ口を開いた時。
「淳也さーん、その人達敵じゃないよ。味方かどうかまではわかんないけど」
ツインテールの少女が引き戸の影から顔を出す。
「ごめんなさい。未緒ちゃんに全部お話してしまいました」
少女の後ろから、更に木葉がぺこりと頭を下げた。
●
心尽くしと見える清潔なテーブルクロスが掛けられた折りたたみテーブルにお茶が置かれた。
「どうぞ。こんな物しかないけど」
奈津が淳也と睨み合いつつ、未緒に案内され木葉と共に荷物を運んでいったので、応接室には征治とシーカーが残された。
「率直に言いますが、僕達は『三体の人型天魔を退治又は追い払う』という依頼で来たのですが」
依頼人には不審な点が多すぎること、何よりも囚われているという一般人には何も言及せず、寧ろ死んでも構わない位に思っているらしい事。
「ですから、依頼人側の言い分だけで行動は起こせません。そちらから見た状況を教えて頂けませんか?」
「いいの?もしかしたら、依頼人の利益にならないかも知れないわ」
「それは聞いてから判断します。僕達がどうするかも」
シーカーは一つ溜息をついて静かに語り出した。
「ここに悪質な団体に財産を奪われ、その上病気や高齢、過去の病気の所為で労働力や臓器売買にも使えないと思われた人の『捨て場』になっていると聞いたのは少し前の事よ」
かつてはシーカーだけであちこち回っていたが、今では力を貸してくれる者も増えている。淳也や未緒もそうだ。新たな被害者が放り込まれたと聞いて二人がここに向かい、そして見たものは。
「…酷いものね。反撃する事も訴える事も出来ない相手に、まるで暴君のように振る舞うなんて。何十年経っても人間は変わらない」
人々は最初、二人に対しても怯え、凍り付いた表情をしていた。が、焦らず優しく接し、体力を回復するのに必要なものを持ち込み、介護して行くにつれて凍り付いた感情が溶け出した。
「唇を震わせて今までの事を話す人、怒りを露わにする人、中には私達に涙を流して感謝してくれる人までいた」
そして、十人の人々はシーカーについていく事を寧ろ望んだ。
今更人間社会に戻ったところで生活も出来ない。野垂れ死ぬだけだ。
誰も自分達を見てくれもしなかった。
自分達を塵屑のように捨てた人の社会などに何の未練もない。
それならば、助けてくれたシーカー達が守る地に賭ける。それはこのまま人の世にしがみついて生きるより、ずっとマシな事に違いない。
「それで、今は体力の回復に努めてるの。でも、あの人達を捨てた人間はそれが目障りのようね」
余計な事を喋りはしないか、天魔の手を借りて復讐するのではないか。
「久遠ヶ原に依頼を出したのも、世間知らずの学生ならどうとでも丸め込めると考えたのでしょう」
シーカーの面上に初めて苦々しい色が浮かぶ。
「以前、僕はあなたのやっている事が許せなかったし、わかりませんでした。所詮人の弱みにつけ込んで騙し、感情を搾り取る天魔のやり方だと思って疑わなかった」
しかし、騙されていると思った人達は全てを知ってなお、シーカーを仲間と断じたのだ。
「あれから、僕も少し考えが変わりました。もしかしたら、あなたのやっている事の中には人間と天使が共存する道があるのかも知れない。だからこそ許せません。それを公にせず、こんな風にこそこそとやっている事が」
声を大にして人々に訴えれば多くの人の耳目に触れる。踏みにじられ、今まで諦めていた人々も声を出す勇気を奮い起こせるだろう。それらはやがて、より力を持つ上を動かせる筈だ。
それなのに隠すようにして行動しているのは可能性を棒に振っているようなものだ。そこに生じるのは理解ではなく猜疑でしかない。
「事を公にして、上同士が話し合うように持って行くべきです。そうしなければ、いつまで経っても何も変わらない」
それがわからないシーカーではないだろうと征治は思う。ならば、わかっていてどうしてこんなやり方を続けるのか。
「筋を通さないのであればいつでも僕はあなたを討ちに来ます」
駄目押しのような言葉に、シーカーは首を横に振り、溜息をつくように言った。
「その上が動くまでに、一体どれだけのものが失われなければならないのかしらね。私を討つならそれも仕方がないわ。私にはもっと重いものがあるから」
●
食堂では奈津と淳也の睨み合いが続いている。
「いつまでそうやって睨み合ってるつもりー?」
未緒が“大人げない”とでも言いたそうに奈津と淳也に声を掛けた。木葉は困ったように淳也と奈津を見比べている。
「確かにこっちもちょっと不躾だったかも知れないわよ」
渋々という感じで、それでも奈津が口を開く。
「でも、いきなり信用できないとか、毒でも仕込んでるとか、あんまりな言い草じゃないの?」
「そーだよ。淳也さん謝って」
未緒にまで言われ、淳也は溜息と共に言葉を吐き出した。
「あぁ、悪かったよ。でも、こういうところにそんな格好で来るなんて、誤解してくれって言ってるようなものだろ?」
ギャル系のメイクや服装の事らしい。
「ほっといてよ。それより」
言いながら奈津は食堂の奥に目をやった。確かに人の気配はするものの、どうやら怯えているようだ。しかし、どちらかというと囚われている怯え方ではない感じがする。この分では、無理に押し切ってもいい結果は得られまい。そう思って奈津は淳也に向き直った。
「私達は『人型の天魔が三体』って聞いたんだけど。シーカーはともかく、あなた達は天魔に見えないわね。他に天魔がいるの?」
「さあ?正直見てないな。でも、その依頼人にはどうでもいい事だろうな。とにかく自分にとって都合の悪いものを天魔って事にしておけばいいって奴だから」
「確かに、あの上から目線にはイラッと来たけどね」
「あんた達の依頼人が本当に消して欲しいのは天魔じゃない。ここにいる人達なんだよ。普通に口封じをすれば警察が突っ込んでくる。でも、天魔が関わるとなれば撃退署が主導するだろう?撃退署が調べるのは天魔の事だし、天魔となれば警察は遠慮する。その隙間で、あいつらのやった事は有耶無耶になるっ
て寸法だな」
「何よそれ?!あの依頼人、私達に人殺しをさせる気だったの?!」
「天魔との戦いに巻き込まれたと言えば、不運な偶然で済むからな。負い目を持たせておけば追求もしてこないと踏んだんじゃないのか?」
「……だとしたら、皆が人間捨てたくなる可能性もあるわね」
まして、ここにいる天魔がシーカーなら。
奈津の記憶する限り、シーカーは人の意志を無視して捕らえるような事はやりそうにない。子供や弱者を踏みつけにする者には老若男女問わず容赦なさそうでもあるが、それも踏みつけられ、味方がいなくなった人間の目には頼もしく映るだろう。
「皆さん、シーカーちゃんのところに行きたいみたいですぅ。未緒ちゃんの言う通りならそれもわかりますけど」
楽園ではないが、天使に守られ普通の生活が出来る場所。天魔と何かあっても迫害される事もなく、当たり前の日常が送れる場所。
天魔の被害を受け、誰も助けてくれず、救いに見えた手に搾取された人々に取ってはこの上もなく心惹かれるものだろう。
「そうかも、ね」
撃退士としては間違っているかも知れない。だが、引き戻す事が人々を救う事になるのだろうか?
「目の前の人を助けるって、どういうことなのかしらね……」
●
「やっぱり正面からだけだと限界があるわね」
『天魔』から話を聞けたが一般人からの話は聞けていないと知り、暗くなり始めた建物の影で由稀が呟いた。
こういう場合、一般人からまともに話を聞くのは難しい。天魔に脅されているのか人間に怯えているのかはわからないが、他の人間に知られない状態で話を聞き出す必要があるだろう。
とりあえず、『話を聞きに来た。裏の鍵開けて欲しい。無理なら窓越しでいいから話を聞きたい』と書いたメモを扉の隙間から差し込み、次いで学生証を差し込もうとした時、人の気配を感じた。見ると、近くの窓から老婆が此方を見ている。丁度いいかと身振りでメモの存在を知らせようとした時、近くの裏口が開いた。
「早く入りなさい、早く!」
先ほどの老婆が由稀を促す。何か違うと思いながら、招じ入れてくれるなら願ってもない事だと由稀は身を滑り込ませる。
由稀が中に入ると、老婆は急いで裏口の鍵を閉め、つっかい棒を掛ける。
「あ、あなた大丈夫?まだ若いのに気の毒に……あいつらに酷い事、されなかった?」
「はい?」
どうも何か勘違いされているようだ。このまま相手の勘違いに便乗してしまおうかと思ったが、ばれた時が厄介だと思い直す。どのみち、中に入る事は出来たのだ。
「悪いけど、違うのよね」
なるべく相手を刺激しないように言葉を選んで由稀は此方の事情を説明した。
自分は天魔退治を依頼された撃退士である事。だが、どうも依頼人が信用できず、何をさせられるかわからない事。その為に事実が知りたい事。
「まあ、そういうわけなの」
「天魔を……退治……」
その口調に違和感を覚えて、ふと由稀は相手を見た。白くなった髪やくすんだ肌から老婆と思い込んでいたが、近くで見るとさほどな年ではない。おそらく四十に手が届いていないだろう。
過去にこういう人間を見た事がある。自分の意志とは関係なく全てを奪われ、身も心もすり減らして死んだように生きていくしかない存在。
「教えて。悪いようにはしないから」
由稀の声が、僅かに鋭さを帯びた。
●
いつの間にか高く上がっていた月が穏やかに建物を照らす。ここで起こった事がまるで嘘のように静かな光景。
だが、それは征治の心に静けさをもたらさなかった。近くの廃屋に残った縁側に座り、シーカーとの話を反芻する。
自分の考えが間違っているとは思わない。だが、シーカーが最後に言った言葉も気になる。
「まあ、お久し振りですわね。お元気でしたか?」
本日二回目のお久し振りという言葉を掛けられて征治が振り向くと、そこに立っていた女性が淑やかに一礼した。
「あなたは……!」
忘れもしない、泉堂グループの秘書として紛れ込んでいた悪魔だった。
咄嗟に手首のチェーンに手を掛けた征治だったが、すぐにその手を離す。少なくとも今、悪魔から害意や敵意は感じない。それに、ここで戦えば元集会所の人々を巻き込む上に、シーカーもどう出るか。相手の戦力自体未知数だ。ここは情報を引き出す事に徹した方がいいだろう。
「堅実ですわね」
征治の内心を察したように、悪魔は優雅に微笑んだ。
「では、その賢明さに敬意を表して一つ、お教えしましょう。シーカーがどうして事を公に出来ないかという事を」
「知ってるんですか?!」
「ええ。あなたたちよりもずっと長く、私共悪魔は天使と敵という名のお付き合いを続けておりますもの。一口に申せば、天使にも人間と同様に上の派閥争いというものが存在しておりまして」
人間を単なる資源と見なし力での搾取が当然と考える派閥にとって、当然シーカーとその主のやり方は良く思われない。今は特に目立つような真似をしていないので見過ごされる形だが、上への働きかけなどすれば途端に睨まれる事になるだろう。
「既に天界に対するシーカーの忠誠心に疑いを抱き、叛意の証拠を掴もうとしている天使もおりますのよ。ジュスフェリア、つまりその天使の主張が通ればアルクス……シーカーの主は処罰を受け、ゲートの管理者はジュスフェリアに変わるでしょう。そうなれば占領地域とその周辺に至るまでの数万の命は一月
保つかどうかというところですわ」
「数万……?それは本当ですか?」
「さて、どうでしょう。代償無しでお教えするのはここまでですわ。御機嫌よう」
再び一礼すると、悪魔は翼を広げて飛び立った。その言葉が本当なのか嘘なのか、或いはここで何故そんな事を告げるのか、新たな疑惑を残して。
それでも、数万の命というその言葉は、征治の胸に重く残っていた。
●
閉じこもってばかりでは気が滅入るだろうと、木葉は未緒と三人の子供を散歩に連れ出した。木葉と未緒を両端にして、皆で手を繋いで月明かりの下を歩く。
「ねぇ、木葉ちゃんも一緒に行かない?」
不意に未緒が言った。
「私達の土地は、木葉ちゃんも気に入ると思うんだけどなー」
「でも、あたしは撃退士ですから〜」
「関係ないよ。淳也さんだって元撃退士だもん」
「そうなんですか〜」
内心で天魔や撃退士への憎しみを持ちながらも共存を望む木葉にとって、未緒の誘いに心が動かないと言えば嘘になる。けれど、学園も簡単に捨てられる程軽い存在ではない。
「木葉ちゃんだったらみんな大歓迎だと思うんだけどなー」
「でもぉ……」
その時、未緒が足を止めた。傍の草木がガサガサと揺れる。
「誰?!」
「あ、翠月ちゃん」
木葉の知り合いとわかると未緒はやや警戒を解いたが、三人の子供は身を竦め表情を強張らせている。
「こんばんは。良かったら食べませんか?」
怯えさせまいと翠月は優しく声を掛け、金平糖を差し出した。いかにも子供が喜びそうな綺麗な色の金平糖だが、子供達は手を出そうとしない。
「金平糖、嫌いですか?」
「そうじゃないよ。この子達、お菓子にガラス片とか仕込まれたり持ってたお菓子を踏みつけられたりしてたっていうから、そのせいだよー」
天魔の同類とか言われてねーと未緒が言う。本人はフォローしたつもりかもしれないが、翠月は本気で悲しくなった。どうしてそんな事が出来るのだろう、と。
そんな気持ちを逆なでするように、微かだが嫌な臭いがした。
嫌な臭いの正体は、男達が元集会所の周囲にこっそりまいている油だった。
「大丈夫ですかね。撃退士も中にいるんでしょう?」
「何、元々あいつらがさっさとやらないのが悪いんだ。どうせ化け物並の連中だ、死にゃしねぇ。むしろ手を汚さずに金が入るんだから文句はねぇだろ」
勝手な理屈を口にしながら、男の一人がライターを取り出す。
「そこまでよ!」
鋭い声と共に奈津が姿を見せた。ぎょっとする男達に
「あなた達みたいなのは、どうせ何かやらかすと思ってたわ。尻尾を出すまで待ってたのよ」
別の方向から由稀が立ちはだかる。
「な、何の事だかなぁ?」
往生際悪く逃げ出そうとする男達の前に、雫が無表情に立つ。
「お、お嬢いいところに。こいつらをやっちまって……」
最後まで言わせず雫の鉄拳が男の顔面にめり込んだ。
「我慢も限界ですね。芝居はここまでです。汚いやり口はしっかり確認させていただきました。大人しく縛につきなさい」
実力差を目の当たりにして腰を抜かした男達に雫が冷たく言い放つ。
「お、おまえら天魔の味方を……」
「確かに私は天魔に対して恨み辛みは有りますし、撃退士は天魔と戦うのが仕事。ですが、それを免罪符に横暴な真似をする外道に成り下がる気はないので」
「天魔だろうと人間だろうと、あなたたちみたいなのは許せないわ!」
「精々、ボスに対する言い訳でも考えておくのね」
冷ややかな、或いは厳しい声が男の戯言を黙らせる。
月が、冴え冴えと愚かな姿を照らし出していた。
●
白い花が糸で結ばれた蝶の群れのように舞い上がり、遠く去って行く人々を追っていく。それが花でも蝶でも無く、毛色の変わったサーバントだと思っていても、まるで夢のように美しかった。
「行ってしまいましたね……」
草をかき分けて作られた一本道を見ながら、翠月が寂しそうに呟いた。人々には証言して戦う気力は既に無く、皆シーカー達に守られながら去って行った。人の地図に載る事の無い、天使が占領する町へ。
「問題ないでしょ、ほっといても。天魔の力を借りて復讐なんて考えて無かったしね」
由稀が咥えた煙草から紫煙を吐き出す。
依頼人は別に連れ戻せとも行かせるなとも言わなかったし、天魔がここから去った事に変わりは無い。依頼は果たされたのだ。
また、証言はとれなかったが、男達を放火未遂犯として突き出せば警察がたっぷりと絞り上げてくれるだろう。
……もっとも、裏取引や尻尾切りが無いとは言えないが。
「あの人達、幸せになるかしらね?」
「さあ……」
奈津に淡々と応じた雫の目に、形にならない疑問が揺らぐ。
「少しくらいのお手伝いなら……駄目かなぁ?」
小さく呟いた木葉に、征治が小さく首を振る。今の段階では無理なのだ。
様々な思いと、様々な事実。それが連なってどこへ向かうのか。
まだ、誰も知らない。