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依頼内容は洋平と夏湖の説得と連れ戻しだが、この町にはおそらく逃亡した撃退士を死亡させ恭悟に重傷を負わせた何か、あるいは誰かがいるのだ。
「大丈夫、きっと、二人を無事に連れ戻せるよね……」
宮本唯(
jb8191)は福祉関係を専攻する大学生という触れ込みで捜索を始めたが、人々の反応は思わしくない。近くに隠れている訳では無いので、『響鳴鼠』を使っても期待できないだろう。
二人は何故この町に来たのだろう?彼らにここは冷たくないのだろうか?
見上げる空は、雪でも降りそうだ。
「これはこっちでいいですかねぇ?」
大鍋を抱えた九十九(
ja1149)が近くにいる人に声を掛ける。彼は撃退士であることを伏せ、ボランティアの留学生として公民館に来ていた。
仮設住宅が出来て小中学校の方は空いたが、数は少なくなったとは言え流れてくる避難者は絶えない。寒くなった事もあり、新しく来た避難者はここに一時身を寄せていた。
「やっぱり若い人が手伝ってくれると違うわぁ」
割烹着を着た初老の女性が感嘆の声を上げる。
「こんなところじゃ、ボランティアも滅多に来てくれなくてね。ホント、有り難うね」
感謝の言葉を聞いて、九十九は複雑な気持ちになった。
全てを救うことなど到底無理、手が届くところだけで精一杯なのは仕方がない。それは重々承知している。しかし、現実に格差を目の当たりにすれば遣る瀬ない気持ちになるのも又事実だった。
鍋の蓋を取ると暖かな湯気と共に食欲をそそる匂いが立ち上る。疲れ切った避難者の表情も、一時柔らかくなったように見えたのがささやかな慰めだろうか。
「まぁ、今はこんなことになってるけど、きっと撃退士が何とかしてくれるさね」
九十九と同様に立場を伏せ、避難者として配膳作業に混ざっていたアサニエル(
jb5431)が笑いながら口にした途端、和やかだった雰囲気に冷たいものが走った。
「ちょっと!ちょっとあんた……」
住民らしい一人の老女がアサニエルの腕を引っ張ってその場から連れ出す。
「あんた、ここに来たばかりみたいだから知らなくても仕方ないけど。ここでそういう事を言うんじゃないよ」
「何でさ?」
聞き返したアサニエルに、老女は深い溜息をついた。
「あんたに悪気は無いってのは見てればわかるんだけど。撃退士はねぇ……こんな辺鄙なところは無価値なんだとさ」
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「予想はしていましたが、撃退士への不信は相当なようですね」
逃亡撃退士の死亡と恭悟の怪我の関連について調べに来たという名目で役場を訪れ、町長のアキへの挨拶を終えた鈴代 征治(
ja1305)は同行している藤井 雪彦(
jb4731)へ溜息混じりに呟いた。
「うん、そうだね」
相槌を打ちながら、雪彦は何か探しているかのように気もそぞろだ。
前回の不祥事を陳謝する態度が効いたのか、追い返されるような事は無かったがしつこいくらいに一般人に危害を加えるなと念を押してきた。役場の職員や訪れた住民も警戒や猜疑の目でこちらを窺っているのがわかる。この分では、本来の目的を告げていたら妨害に遭ったかもしれない。
「これはどうにか払拭しておかないと……」
「あ、詩歌ちゃん!」
征治の言葉を最後まで聞かず、雪彦はホールで物資の仕分け作業をしていた人々、正確に言うとその中にいた少女に駆け寄っていく。
何しに来たのかと雪彦を見送った征治は、ふと首を捻った。その先にいるのは作業に向いたジーンズ姿の少女。
(どこかで会った……訳ではありませんね)
見覚えは無い。だが、どこか覚えがあるような感覚を手繰る内に、征治は一つの形を見いだした。
(あれは……)
「詩歌ちゃんボク覚えてる〜?」
「えっ……あ、藤井さん?」
「そう!藤井雪彦だよ♪」
覚えててくれたんだと笑う雪彦に、詩歌は困ったような顔をした。何事かと雪彦を見る周囲の目が冷たい。また詩歌に言い掛かりを付ける気かとでも言いたげだ。
「あの時、護れなくてごめん」
「え?」
目を丸くする詩歌の横から、中年の女性が割り込んできた。
「調子のいいことを言ってるんじゃないよ!あんたらがこの子に何したか、忘れたって言う気かい?!」
「忘れてません。目の前で詩歌ちゃんが石をぶつけられてたのに、ボクは突っ立ってただけでした」
日頃女の子は体を張っても守る、などと言いながらいざとなると何もしなかった。このままでは自分が許せない。
「だから……お詫びっていうか、この町の為、詩歌ちゃんの為に働きにきたんだ。ボクに何かやらせて♪ 」
「でも、あれは……」
言い掛ける詩歌を遮って、かなり重い段ボール箱が雪彦に押しつけられた。
「それじゃこれ、表の車まで運んどくれ」
「ちょ、ちょっと……」
それはあんまりだと詩歌が止めようとするが、雪彦は平然とそれを受け取った。
「こんなの軽い軽い」
「そうかい?」
段ボールが更に積み上げられた。
そんな雪彦を横目に見ながら、髪染めと眼鏡で印象を変え、偽名を使って避難者として入り込んだ田村 ケイ(
ja0582)はタブレットに映し出される仕分け表と現物を照らし合わせる作業を手伝っていた。
「悪いね、田中さん。細々した事まで手伝わせちゃって」
初老の男性職員が済まなそうに言う。以前に来た撃退士とは気付かず、ケイの仕事ぶりに感心している。
「いいえ、全然」
言いながら何かおかしい点は無いか周囲に目を配るが特にない。
「でも、こうして改めて見ると必要な物は多いですね。保管は大丈夫ですか?特に食品とか」
さりげなく、こちらから振ってみる。
「そうだね、ちょっと前までは気温が高くて物が腐ったり、蟻が出て駆除が大変だったりしたんだけど」
冬になってからそういうこともなくなったという。
「……そうですか」
蟻が天魔に関わっているのではと考えていたケイにとってはいささか肩透かしだった。が、同時に別の疑問がわく。
冬ともなれば燃料費が掛かる。ここにある物品の購入費用だけでも相当な筈だ。町の予算だけで足りるのだろうか?
改めて、ケイはタブレットに指を走らせた。
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昼近く、中学校の調理室は仮設住宅に配る弁当の炊き出しに大忙しだ。動き回る人の多くは六十代以上の女性で、男性や若い世代は見当たらない。
そんな中、丁寧に御飯やおかずを詰める支倉 英蓮(
jb7524)の甲斐甲斐しい姿は女性達に好意を持って迎えられていた。同じ部屋では夏湖も手伝いをしている。しかし、洋平の姿が見えない。
(二人一緒に居たい筈だと思ってた……けど……違う?)
主に洋平を説得することを考えていた英蓮は戸惑ったが、今ここを離れるわけにもいかない。
「お疲れ様。片付けはおばちゃん達がやるから英蓮ちゃんと夏湖ちゃんは御飯にしてね」
やがて配達用の弁当が全て運び出され、英蓮と夏湖に弁当とお茶が渡される。
「夏湖ちゃん……ここだと邪魔かもしれないから……向こうに行かない?」
「はぁい。あ、事務室があったかいんだよ。行こ!」
周囲の大人達と同様に、夏湖も英蓮に好感を持っているように見える。これなら上手くいくかもしれない。
「夏湖ちゃん……まだ小さいのに……しっかりしてるんだね。感心しちゃった」
並んで廊下を歩きながら『友達汁』を使う為にさりげなく夏湖に触れようとした。その瞬間。
夏湖はビクッとしたように飛び退いた。英蓮を見る目が怯えたものになっている。
「あ……あの、ごめんなさい!」
我に返ったように謝る夏湖。その姿は、英蓮にあることを連想させた。
「違ってたらごめんなさい……夏湖ちゃん……お父さんやお母さんに打たれたりしてたのかな?」
夏湖の表情が、笑う形のまま凍り付く。それも又、英蓮には覚えがあった。
「ごめんなさい……でも、自分も……そうだったから……」
言わなければならないと思う。スキルで事を有利にするのではなく、自分の言葉で。
夏湖達を助けたいということを。
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灯油タンクが次々と配達のトラックに運び込まれていく。単調だが、大人でもきついこの作業を洋平は黙々とこなす。
「小さいのに…よくがんばるね?」
そんな洋平に声を掛けたのはラグナ・グラウシード(
ja3538)。彼も又、避難者を装ってこの作業を手伝っていた。高齢者が多いこの町で、力仕事を積極的に引き受ける若い男手は頼りにされる。
「兄ちゃんもやるじゃないか」
洋平もニヤッと笑う。ラグナを見る目に、ライバル意識と連帯感が入り交じっていた。
「よーし、積み込み終わりだ!洋平も兄ちゃんもありがと、な!」
おー、と声を上げて手を振る洋平に見送られてトラックが走り去ると、ラグナは口を開いた。
「君は手伝いをしてとても偉いね……君のお父さんお母さんも避難してきているのかな」
ありふれた質問の筈だが、洋平はラグナを見上げて唇を噛んだ。
「それにしても、素晴らしく力持ちだな、君は」
話題の方向を少し変えてみる。
「まるで撃退士みたいだな!」
「違うよ!おれはそんなんじゃない!」
それだけ言って閉じた唇が震えている。何か言いたいのを押さえているようだ。
「一緒に荷運びをした仲だ。言いたいことがあるなら、私に話してくれないだろうか?」
洋平は暫く宙を睨んでいたが、やがてポツリと言葉を口にした。
「おれ……撃退士を殺しちゃったんだ……」
聞いた一瞬、ラグナは表情を強張らせたものの、穏やかに促すような調子で洋平の肩に手を置く。
「あいつ、おれを連れて帰ろうとして探し回ってたから……おれ、ここに居たかったのに。皆はおれのこと、庇ってあいつにしらばっくれてくれてたけど……」
見つかって連れ戻されるのは時間の問題だ。危機感を募らせた洋平は、逆にその撃退士ーー恭悟の後を付け、隙を見て町の外れにある崖から突き落としたという。
「ふむ、それからどうしたのだ?」
「どうもしない。あいつ、動かなくなって怖かったから、そのまま逃げて帰ったよ……」
涙声になった洋平の言葉が、堰を切ったように溢れ出してきた。
「だって、仕方ないじゃないか!幾らここの大人が庇ってくれたって、母さんが親権とか持ち出したら勝てないんだろ?!おれは親子だってだけで殴られたり蹴られたりしても有り難がらなきゃならないなんて、もう嫌だったんだよ!」
外からはわからない親子というものの闇。そこから飛び出して辿り着いたのがここだったのか。
「そうか……辛かったのだな」
その一言で緊張の糸が切れたのか、洋平は泣いていた。その背を優しく撫でてやりながら、ラグナは引っかかるものを感じていた。
その程度で撃退士が重体になるのだろうかと。
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いくつかの通話とメールが密やかに八人の間を駆け巡る。
元々母親の暴力にさらされていた洋平は、耐えきれなくなって家を飛び出した時、偶然自分と同じような仕打ちに遭っていた夏湖を見かけて思わず連れ出し、そして。
「二人を見つけて、一時避難の形でこの町に連れてきたのが出資を募る為に町を出てた職員……正確に言うと、同行してた詩歌って子なのよね」
これはケイが職員から聞き出した情報だ。
「うん、詩歌ちゃんもそう言ってたよ。本当はいけないことだけど、ほっといたら死んじゃうって思ったって」
そんな話をしてくれるくらいだから、許してくれたのかなと雪彦。
「ここは……夏湖ちゃんや洋平君には天国みたいなところだったって……」
それまで、何をどう頑張っても無視され罵られるだけだったのが、ここでは自分達が元気にしているだけで喜ばれ、大人を手伝えば褒められる。初めて認められる喜びを知ったのだ。
だからこそ、二人はここを失うことを恐れた。
「この辺は撃退士の恩恵が薄いっておばさん達が言ってたんだ。撃退署にもう少しどうにかならないかって訴えたら、貴重なアウル持ちを何だと思ってるんだって怒鳴られた事もあったと言ってたんだよね」
サバサバしたアサニエルの口調にも苦さが滲む。それならば影響されて二人が撃退士に反感を抱き、連れ戻される恐怖を増大させる事もあるだろう。
「洋平はここでの暮らしが脅かされることを恐れて撃退士を崖から突き落として殺したと言っているが、私はそうとは思えないのだ。突き落としたのは事実かも知れないが」
ラグナの疑念に改めて地形を調べた唯が応じる。
「それに、洋平くんが撃退士を突き落としたという崖は川から距離があります。彼上恭悟さんは下流に流されているところを発見されたのでしょう?不自然です」
洋平がその場から逃げた後、誰かが改めて恭悟に傷を負わせ、川に放り込んだと見るのが妥当な線だろう。
では、その誰かとは、誰なのか。
「多分、警察内部の……あるいは、この町の警察自体かもしれません」
沈んだ声で征治が言った。
「前回の依頼から、この答えは出ていたんだと思います」
天魔には無力でも警察は捜査のプロだ。そして、地元のことをよく知る存在でもある。逃亡した撃退士が発見された建物を見逃すのは不自然だ。
しかし、何故警察が?
「僕の勘ですが、ここで事を荒立てない方が良策のような気がします……町長さんに報告して様子を見るしかないですかね」
それに、これが二人を説得する鍵になるような気がする。それが、ここで出された結論だった。
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「それで、この町の警察が関与している確かな証拠でも見つかったのかしら?」
征治の報告を聞いたアキの態度は予想通りのものだった。しかし、肝心なのはそこではない。
「全て推測に過ぎないと言えばそうです。ただ、その点をはっきりしなければ洋平君と夏湖ちゃんは戻れません」
「戻る?」
「はい」
この町で暮らすにせよ、撃退士として久遠ヶ原学園に行くにせよ、社会の中にいる以上は然るべき手順というものがある。それを経なければ、二人はこの先も連れ戻される事に怯え続けるだろう。
「昔、小さな町が天魔に襲われた事があったのよ。町の外に逃げることが出来ず、警察は撃退署に連絡して町の人を避難所に集め、撃退士が来るまで何とか持ち堪えようとしたそうよ」
けれど、撃退士は来なかった。もっと大きな町でゲートが作られた為、そんなところに回す人的余裕は無かったのだと役人は言った。
「撃退士って何を守っているのかしらね」
それは肯定と取っていいことなのかと征治が問おうとした時ドアが開き、蜂蜜色の髪がふわりと靡いた。
「お話は終わりましたか?」
「えぇ、もう終わりよ」
その時、征治は何故詩歌に覚えがあるような気がしたのかを悟った。以前の事件で証言されていた『約束』のお姉さんと似ているのだ。
『中立者』を使えば詩歌の正体はすぐにわかる。だが、征治はそれを使わなかった。
撃退士は何を守っているのか。
その言葉が心に谺する。
ハーメルンの笛吹き伝説に関する解釈の一つに、子供達は跡取り以外を単なる農奴としか見なさない親や街に見切りを付け、自ら新天地を目指して出て行ったのだという。
それを認めようとしない者達は口を噤み、沈黙の中から伝説が生まれた、と。