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町には時折、冬の訪れを感じさせる風が吹く。仮設住宅の建設も急いで進められているようだった。
「済みません、この人を探してるんですけど、何か心当たりはありませんか?」
その周囲で田村 ケイ(
ja0582)は避難者や作業員に逃亡した元撃退士の写真を見せて聞き回っていたが、捗捗しい結果は得られていない。
「……そうですか。はい、危険人物です。見かけたら用心して離れてください」
わからない、見かけなかったという反応が殆どで、中には忙しいと写真さえ見ない人もいる。
「見つけるのは難しくないと思っていたのに」
ケイと一緒に聞き込みに回っていたヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)は納得がいかないというように嘆息した。ケイ以上にヴィーヴルの聞き込みは上手くいっていない。
「信じられません。どうしてこの町の人達はこんなにも無関心なのでしょうか?」
仕方ないかもしれない。避難者も作業員も目の前のことで手一杯だ。逃亡した撃退士がここで何かやらかしたのならともかく、そこまで気にしていられないのが現状というところだろう。
「とにかく、ここで立ち止まっても仕方がないわね」
とりあえずは地道に聞き込みを続けるしかない。ケイは気を取り直したように別の人間に声を掛けた。
「ねぇ、大丈夫?」
町の商店街に近い辺りで道行く人に聞き込みをしていた藤井 雪彦(
jb4731)は、向こうから息せき切って走ってきた少女に声を掛けた。
「何か困ってるの?ボクで良かったら力にならせてよ」
少女は驚いたように雪彦を見た。少しくたびれたジーンズにトレーナー、蜂蜜色の髪を一括りにしただけという簡素な姿からして、避難者か作業に携わっている人間なのだろう。
「お願い!警察に連絡して!向こうで撃退士が暴れてて大変なことになってるの!」
「撃退士って、この人?」
元撃退士の写真を見せたが、少女は首を横に振った。
「違う。もっと若い人。それより」
「大丈夫、ボクが何とかするよ。向こうだね?」
ボクも撃退士だから大丈夫と言った後で付け加える。
「だから、後で名前教えてね〜♪」
町中の道を我先にと人が逃げていく。誰もが恐怖や焦りの目をして、誰かにぶつかろうが何かを踏みつけようが、気にする余裕も無い。
「落ち着いてください!大丈夫です!」
混乱の中で神雷(
jb6374)が声を上げるが、効果はない。それどころか、視界には突き飛ばされて転ぶ年配の女性が映った。
「大丈夫ですか?!」
駆け寄って女性を助け起こそうとするが、その余裕すら無い。抱え込んで庇うのが精一杯だ。更に女性は何かの発作を起こしたのか、咳き込み始めた。
「病人がいるっす!落ち着いて欲しいっす!」
神雷と同じく、聞き込みの最中にこの騒ぎに出くわしたフォルテ・ストラーダ(
jb7957)が二人を守るように立ちはだかるが、フォルテにも容赦なく肩や腕がぶつかる。撃退士でなければ転倒して大怪我だろう。
「頑張って!」
苦しそうにする病人の背をさすろうとする神雷だが、人々は彼女をも蹴り、踏みつけて逃げていく。
それでも、そこにいた人数が二十人に満たなかったのは不幸中の幸いと言えるだろうか。
「神雷ちゃん、フォルテちゃん!大丈夫?!」
雪彦がいつものチャラ男ぶりをかなぐり捨てて駆け寄った。神雷の着物もフォルテのシスター服も汚れ、所々足跡まで付いているが怪我は無いようだ。
「私らは平気ッす!けど、この人が!」
二人が庇っていた女性が一際激しく咳き込み、喉から笛のような音が漏れている。
「撃退士が暴れてるって聞いたんだけど?」
「皆さん、大丈夫ですか?」
騒ぎを聞きつけたのか、ケイとヴィーヴルも走ってくる。その後ろから医師と看護師らしい人物と、さっき雪彦が会った少女もついてきた。
「暴れてる撃退士って……あなただったの?」
皆の視線の先には、憮然とした表情の翡翠 龍斗(
ja7594)がいた。
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「彼らには悪いですが、これは好機ですね」
騒ぎの件で町役場に呼びつけられた六人を陰から見つつ、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は独りごちた。
彼は六人とは別行動での調査を選び、避難者に紛れて役場とその周辺を探っていたが、思いの外調べは難航していた。
役場は思った以上に人の出入りが多く人目につきやすい。その上物資の管理などをしている都合なのか、出入りする人間は結構チェックされる。遁甲の術もあくまで気配を薄めるだけなので、何処で見とがめられるかわからない。
しかし、今なら人々の注意は六人の方に向いている。中には持ち場を離れて様子を窺いに行く者もいるようだ。
(逃亡した撃退士がここを潜伏先に選んだのは偶然でしょうかねえ)
足音を消して、関係者以外立ち入り禁止の部屋を覗き込む。椅子が出しっ放しの席には電源が入ったままのパソコンが置かれていた。
「おやおや、IDもパスワードもそのままですか。不用心ですねえ」
さすがにそのものずばりの情報は取れないだろうが、手がかりはあるかもしれない。
「ふむ、確かに防災計画はよく練られていますがどうなんでしょうねえ……おや?」
画面に現れる資料を次々に流していたエイルズレトラの手が止まる。
「これは、健康保険課の……就学以前の子供の健康診断ですか。しかし、この数字は何でしょうか?」
普通の診断結果には無さそうな数値。しかも、項目の名前は無い。
「もしかしてアウルの適性?」
幼い子供に適性検査を受けさせるという話はあまり聞かない。やるにしても親が個人的にというパターンで、小さいとはいえ自治体規模でやるなら話題に上りそうなものだが。
(今回の件と関係があるかどうかはともかく、気に留めておいた方が良さそうですね)
もっと詳しく見たかったが、足音が聞こえてきた。
(拙いですね)
窓にはブラインドが降りているが、上げれば音がかなりうるさそうな代物だ。ドアの陰に隠れて、遁甲の術ですり抜けるか?
その時、ドアの外で声がした。
「おかし、ちょうだい」
持ち場に戻ろうとした職員の傍でそんな声がした。見ると、アルビノのような色彩の、小学校中学年くらいの女の子がちょこんと立っている。
「お嬢ちゃん、あのね……」
注意しようとして、職員は苦笑した。
「わかったよ。お菓子貰ってきてあげるから、そこで待ってて?」
素直に頷く様子に職員は安心したように去って行った。
「いやぁ、助かりました」
ドアから顔を出したエイルズレトラが、避難者の子供を装った柘榴姫(
jb7286)に軽く頭を下げた。
「結構何とかなるのよね。お菓子も貰えるし」
普通なら子供が彷徨いていれば不審がられそうなものだが、柘榴姫の儚げな容姿が見る者の不憫さを掻き立てるのか、とりあえず仕方ないくらいに思われているらしい。
「何かわかりましたか?」
「町についてはあんまり収穫は無いのよね。ただ」
「ただ?」
「蟻が多いからお菓子をこぼすなって言われたのよ。なんか気になるの」
「蟻、ですか……」
引っかかる。元撃退士が逃亡したのは、蟻型の天魔からだった……
「僕は他の場所を調べますけど、あなたは?」
「もう少しここにいるの。お菓子貰うから」
気をつけて、とエイルズレトラはその場を離れた。
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「どういう事か、説明していただけるわね」
「済みませんでした」
「ごめんなさい」
厳しい顔つきのアキを前に、龍斗以外の五人は頭を下げた。
あの騒ぎの原因を作ったのは龍斗だった。町中で聞き込みをしていた際にいきなり光纏し、その力を放ったのだ。
「わかってるの?殺傷力の有る無しに関わらず、撃退士が犯罪者でもない一般人に力を向けるのがどういうことなのか」
アキの視線が六人、特に龍斗に向けられる。
「それなら聞くが、何故ここだけは天魔の被害を免れている?そして、逃亡した撃退士が、この町でだけおとなしくしているのは何故だ?」
配慮が足りなかったと言われればその通りだ。けれど、龍斗にも彼なりの理由がある。
「その理由は、この町に天魔がいるからじゃないのか?上位の天魔がいれば他の天魔はおいそれと近付かない。それどころか、この近辺を襲っている天魔の黒幕はそいつだったりしてな」
それは龍斗の推測で、根拠と言える事実はない。だが、そう考えれば全ての辻褄が合うと龍斗は考えていた。
「早くそいつを炙り出さないと、大変な事になるんじゃないのか?」
「それで、その天魔は炙り出せたの?」
「いや……」
スキルの範囲外にいた者までパニックになり、誰が何の影響で恐怖に駆られているのかわからなくなったのだ。
焦りすぎていたのかもしれないのは認める。ただでさえ強いストレスにさらされている人の中で『咆哮』を放てば、スキル自体の影響でなくてもストレスを爆発させてパニックになるのも仕方ないかもしれない。
「残念ながらこの町に天魔がいるとは聞いたこともないし、天魔事件が起こったこともないわ。その一方、あなたの行動で死にかけた人がいる。それは事実よ」
その言葉に、龍斗は思わずたたみ掛けようとした言葉を飲み込む。とっさに言葉を失った彼らの上に、更に厳しい言葉が掛けられた。
「問題の撃退士に関する捜査は警察にお願いします。連絡があるまで、あなた方はここにいてください」
その方がお互いの為ですから。表面上は静かだが有無を言わさぬ態度で決めつけたアキを、フォルテが複雑な表情で見つめていた。
(この人の目、何だか昔の私を見てるみたいっす……)
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逃亡した撃退士の行方も掴めないうちに足止めを喰らったとはいえ、ただ腐っている訳にもいかない。
「あー!」
それならばと、役場の中で聞き込みを始めた雪彦は、窓の外に蜂蜜色の髪を見つけて手を振った。
「あ、もしかしてあの時の撃退士さん?」
向こうも気がついたらしく、作業の手を止めて向き直る。
「うん。でも、ボクの名前は撃退士じゃないよっ。藤井雪彦っていうんだ。覚えてほしいな。で、君の名前も教えてよ♪」
軽い態度に苦笑しながら、それでも少女は堀田詩歌と自分の名を告げた。
「しいかちゃん?へぇ、詩歌って書くんだ。君にぴったりの可愛い名前だね♪」
調子よく口説こうとした雪彦の表情が強張った。詩歌が悲鳴を上げてその場にうずくまる。その傍に、小石がぽとりと落ちた。
「ちょっと、あんた!」
詩歌の近くで作業をしていた中年の女性が、小石を飛ばした龍斗に喰ってかかる。
「どういうつもり!目にでも当たったら大変な事になってたよ!」
それに対して龍斗は酷く不満そうな顔をしたが、渋々ながら頭を下げた。
「……悪かった」
「詩歌ちゃん、ごめん!またね!」
踵を返した龍斗を、雪彦は慌てて追いかけた。
「あいつは確かに『咆哮』の範囲にいた。怯えて逃げ出したように見えたが、後で考えたら、然程応えていなかったと思う」
会議室で、だから、天魔かどうか確かめる為に石をぶつけてみたのだと龍斗は主張した。
「でも、ボクは女の子に石をぶつけるような確かめ方って、やっぱり賛成できないよ」
雪彦が控えめに異を唱えると、龍斗が甘いと呟く。
「だが、天魔が何かを企んでここに人を集めているとしたらどうだ?何千もの犠牲が出てからでは遅い」
それを聞いたヴィーヴルが軽く頭を振る。
「でも、今のところそんな気配はありません。そもそも、天魔だから何か企んでいるという決めつけはどうなんでしょうか。上に立つ者として、そういうのは公平では無いと思います」
久遠ヶ原にも多数の天魔がいる。彼ら・彼女らを見ていると、必ずしも天魔=邪悪とは思えない。
「この場合、そこまでこだわることなの?」
ケイも淡々と賛成できない意志を示した。
「それより先に、やるべき事があったと思うのよね」
町の調査はあくまで二次的な目的であり、優先すべきは第一の目的。二次の目的の為に第一の目的が果たせなくなるのは本末転倒ではないか。
「田村様の言われる通り、このままでははぐれ撃退士の捜索もままなりません」
「ところが、そうでもないんですよ」
いきなり窓の外から声が掛かる。見ると、エイルズレトラが逆さまになって窓の外から覗いていた。ケイが窓を開けると、くるりと一回転して中に入ってくる。
「ちょっと面白い話がありましてね」
柘榴姫が聞きつけた蟻の話。そもそもの発端が蟻型天魔だった事を考えると無視すべきではないと思いませんかと、エイルズレトラは居合わせた四人を見回した。
龍斗達には厳しい周囲の目も、身をもって病人を庇った神雷とフォルテにはいくらか柔らかく、話を聞いた際も真面目に考えてくれる人が多かった。
「蟻はいなくなってるっすね」
「枯葉の下にいるかもしれませんけど……」
季節柄だと言えばそうかもしれないが、話題に上るほど目についていた蟻の群れが、こんなにすぐ消えるものだろうかとも思う。
「ここっすか?」
「そうみたいですね」
いくつもの印がついた見取り図を覗き込み、二人は目の前の建物を見上げた。印は蟻の行列を見かけた位置だが、それをつなぐと役場の敷地内にあるこの場所に辿り着くのだ。図面には冷凍庫とあるが、全体が錆び、扉が少し開いている。機能が失われて久しいのだろう。
二人は用心しながら、重い扉に手を掛けた。
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逃亡した元撃退士は発見した。ただ、彼は最早説得を聞くこともなければ話をすることもない。
「まだ冷え切っていません。死んでからそんなに経っていないのでしょう」
エイルズレトラの飄々とした口調にどこか悔しさが混じる。
「でも、回りに怪しい生物はいなかったのよ」
ぬかりなく『索敵』や『鋭敏聴覚』で周囲を探っていたケイが呟く。
「これで、依頼完遂ってことなのよね……」
依頼内容は逃亡した元撃退士の発見、生死を問わずの確保。遺体はこれから然るべき機関に回され、調査の後に葬られるのだろう。
ふと、フォルテは町長室の方を見上げた。
アキははこうなることを知っていたのだろうか?
それともこうなることを望んだのだろうか?
戻ることのない応えに変わるように枯葉が舞う。
ー枯葉が土に帰り、土を肥やし、新たな芽が育つように、ここに蠢く何かが形になるには今少しの時間が必要であるらしかった。