●
まだ夜も明けぬ早朝、院内警備員の朝は早い。
非常灯と最低限の明りだけが灯された廊下を鳳 蒼姫(
ja3762)は一人歩く。
懐中電灯の明りに照らし出された自分の姿が真っ暗な窓に映りこむ度にびくりと体を竦ませてしまう。
鳳 静矢(
ja3856)が世話になっている病院の手伝いをするというので一緒について来たのだが、誰も居ない病院がこれほど怖いと知っていたらもう少し迷ったかも知れない。
「何をしてるのかねぇ、蒼姫は」
突然後ろからかけられた静矢の声に、今度こそ蒼姫は我慢できずに飛び上がる。
「ふぇっ。し、静矢さん。忍び寄るなんてずるいのですよぉ!」
顔を真っ赤にしてぽふりぽふりと静矢の胸を叩く。
優しく頭を撫でて蒼姫を落ち着かせていた静矢は、非常用の階段へと走る影を見つけた。
「全く、どうしてこう無茶をするのが多いのか」
仕事だよ、と蒼姫に後を追うように指示して自分は別の出口から先回りをする。
「待て〜っ!」
静矢が待ち構えているところへ蒼姫の声に押されるように全身包帯だらけの男が走り込んできた。
「げぇっ!鳳!」
包帯男はのけぞるように方向転換して、二人を振り切ろうと全力で駆ける。
「やれやれ、誰かは知らんが元気そうだな。なるべく加減はするが……痛いぞ」
静矢も全力で追いかけ、一気に抜き去ると共に、\スパパパンッ/と軽快な音を立ててハリセンを振りぬく。
その場で大げさに苦しみながら男は倒れるが、そこにふわっと霧がかかる。
「援護するのですよぅ」
蒼姫が発したスリープミストは男を深い眠りへと誘う。
「私も巻き込むのはやめてくれないかな」
霧が晴れると苦笑しながらも静矢が腕組みをして立っていたのだった。
「む、空が明るんできたな」
包帯男をベッドに寝かせ、差し込む光に気付いた静矢が窓辺に近づく。
「静矢さんもたまにはゆっくりするといいですよぅ」
「うん?私は重体の時はちゃんと療養して、る……ぞ?」
ふわっと広がるミストに完全に不意をつかれた静矢は対抗しきれずに崩れ落ちる。
「ゆっくり眠ってねぃ?」
空いているベッドに静矢を寝かしつけて、持参したフルーツの盛り合わせを剥きだす。
すやすやと眠っている静矢はまるで子供のようで、蒼姫は幸せそうに添い寝するのだった。
●
マキナ(
ja7016)は布団の中でパッチリと目を覚ます。
左手の指先、手首、腕、肩に力を入れ、続けてつま先から順に動かしていく。
毛布を蹴り上げて起き上がると、柔軟をして拳立て、天井の梁を掴んでの懸垂を行い、回復具合の確認を行う。
「よし、動ける……」
じくり、と傷口が開いた感覚があり、痛みは感じるが動けないことはない。
動けるのにベッドで寝続けるのは性に合わない。
着替えや枕を毛布の下に詰め込んで人の形に整えると、頬を両手で張って気合を入れる。
「今度こそ逃げ切ってやる」
「あら、メリーちゃんご機嫌ね。お兄さんのお見舞い?」
顔見知りの看護士さんに声をかけられてメリー(
jb3287)は手に提げたバスケットを嬉しそうに持ち上げて見せる。
「お兄ちゃんの為にお菓子作ってきたのです!」
誇らしげなメリーを見て周囲にいた大人たちは皆笑顔となって見守るのだった。
「おにーちゃんっ、起きてるー?」
病室に入って兄を揺り起こそうと手を伸ばしたメリーはそのまま固まる。
「……逃げた?あはは……お兄ちゃんったら……怪我人なのにね……うふふ……」
病院は騒然としていた。
小さな女の子が威圧感溢れる笑顔を浮かべて、金属バットをからからと引きずって歩いているのだ。
その尋常ではない雰囲気に誰しもが目を奪われて離せない。
「め、メリーちゃん……?」
来るときに声をかけた看護士が恐る恐る声をかける。
笑顔のまま、ゆっくりと振り向いたメリーに看護士はごくりと生唾を飲み込むのだった。
「何か寒気が……」
マキナは病院内を堂々と歩きながら寒気を感じて腕をさする。
こっそりと借用した白衣を羽織ったマキナはメリーと鉢合わせにならないように、病院の反対側まで大回りに回って緊急用の出入り口から脱走しようとしていた。
もう少しで外に出られる、というときに院内放送から馴染みのある声が聞こえて来た。
『あはは、おにーちゃーん?みつけたよ』
「チッ、もう見つかったか」
看護士達の連絡網を使ってマキナを見つけたメリーからの放送に、血の気が引きながらもアウルを脚に集中させ、爆発的なダッシュで出口まで駆け抜ける。
徐々に迫ってくる外の光、そこに金属バットをぶら下げたメリーが笑顔のまま降ってくる。近道とばかりに3階から飛び降りてきたのだ。
マキナもここまで来たら止まれない。一気に脇を走り抜けるべくさらにアウルを込める。
メリーは振り上げたバッドに天の属性を帯びた光を纏わせ、近づいてくるマキナにあわせて迷いなく振りぬく。
仮にマキナが万全の状態であってもカオスレートの乗ったその一撃はかわすことは出来なかっただろう。ましてや重体の状態でかわせるはずもなかった。
光に跳ね飛ばされたマキナは自分の体が地面に叩きつけられるのを覚える間もなく意識を失った。
「お兄ちゃん、あーん」
目を覚ますとベッドの上で妹がスプーンを差し出していた。
まだ混乱したままマキナは反射的に口を開いたのだった。
(※重体理由:メリースペシャルを堪能したため)
(※すぐに治療されました)
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病棟に響き渡る誰かの叫び声を耳にして、宇田川 千鶴(
ja1613)は読んでいた本にしおりを挟んでぱたりと閉じる。
(また誰か脱走を企てたんやろか……まぁ、確かに暇やもんな……)
悪戯心がそっと疼き、窓の外をちらりと覗く。
(壁伝いならいけそうやね……)
丸めた毛布と枕に分身のイメージを貼り付け、毛布をかぶせるとちょっと見ただけでは寝ているようにしか見えない偽装が出来た。
窓をからからと開けていざ壁走りで逃げようと足をかけたところで、不意に声がかかる。
「……千鶴さん?」
にこにこと笑顔で呼び止めるのは恋人の石田 神楽(
ja4485)。
「何となく嫌な予感がしたので早足で病室へ来ましたが、正解でしたね……まず、ベッドに戻りなさい?」
石田はにこにこと笑みを浮かべているだけだが宇田川は逆らう気も無くなってしぶしぶとベッドに戻る。
「やって、暇やし、やし……」
「暇とかではありません。その気持ちは分かりますが千鶴さんは駄目です」
シーツに包まって言い訳をする宇田川に懇々と説教をしながら、石田は見舞いの林檎を取り出して器用に皮を剥いていく。
「何で私だけあかんねん、理不尽や……」
「え、何で?……ふむ、それは私の気分ですね」
石田はにこにこと笑いながら、はい、キツネさん、と短く皮を残した林檎を渡す。
宇田川はむくれたような表情でシーツから頭を出すと林檎を受け取ってまたすぐにシーツに引っ込む。
しばらく二人は黙って林檎を咀嚼していたが、やがて小さな声で宇田川は呟く。
「……毎回やし。毎回うまく出来ずに怪我ばっかり……こんな姿、見せたないし……」
新しいキツネさん林檎を剥きながら石田は慰めるように声をかける。
「悪いのは状況ですね。その状況をひっくり返せない私にも非はあります」
林檎、食べますか、と声をかけると、今度は手だけ出して受け取る。
「誰のせいでもない、私の怪我は私の所為……」
林檎を噛み締め、震える声を隠す。
石田は黙って座っている。
宇田川は小さく、本当に小さく、自分でも声に出たことが気付かないほど小さな声で呟く。
「……もっと、強くなりたいわ」
石田は微笑みを消さずに、宇田川を見守り、独り言のように呟く。
「ん、お互い強くなりましょう」
石田はそっと窓の外を眺めるのだった。
●
「大規模作戦が近いのよ!寝てる場合じゃない!」
病室のベッドに立ち上がり、一人気を吐くのは雪室 チルル(
ja0220)。
全身に巻きつけられた包帯を邪魔そうに外して、腕につけられたギブスが邪魔だと気付いてまた包帯を巻きなおす。
途中で絡んでしまって面倒臭くなり、だらんと垂れた包帯を丸めて隙間に押し込んだり、とバタバタしていたが、ああっ、と叫ぶ。
「笹食ってる場合じゃねぇ!じゃなくってこんなことしてる場合じゃねぇ!とにかく脱走……いや、エクストリーム退院よ!」
計画はシンプルだ、誰かに呼び止められそうになったら、忘れ物をしている人を追いかけてる振りをしてその場を乗り切ろうというものだった。
「あたいって天才かもっ」
自信満々で病室を飛び出す雪室だった。
ナナシ(
jb3008)はぺたぺたと玄関の掲示板にポスターを張り付けていた。
『この顔見たら警備室まで』とかかれ、写真がでかでかと貼られた脱走常習者達の手配書だ。
「ここは、これでいいかしら……あら、あれは」
一通り手配書を貼りつけて、その出来栄えを確認していると、遠くの病棟から何か言いながら歩いてくる人影が見えた。
「おーい!待ってー!……忘れ物をあたいが届けてるんだっ」
少し歩く毎に挨拶をしてくる看護士に大きな声で言い訳をしながら走ってくる姿は、実に良く目立ち、人々の注目を集めていた。
ようやく玄関にたどり着いた雪室は小さくガッツポーズをする。
「やった!脱出成功ね!」
「やっぱりベッドで寝てるのって暇なのかしらね」
急に声をかけられて驚いた雪室は慌てていい訳をする。
「だ、脱走なんてするわけないじゃん!あたい重体なんだよ?」
「重体なの?じゃあ、ベッドで寝てなきゃね」
脱走と聞いて、ナナシは『警備』と書かれた腕章を見せる。
「あっ!忘れ物!あたい忘れ物を届けなきゃっ!」
そう言って外へと走りだした雪室にナナシは空から追いかける。
「まぁ、逃がすつもりは無いけど」
ナナシは両手に雷光の剣を現出させ、狙いをつける。
そこへたまたまRehni Nam(
ja5283)が通りかかった。
大会に向けて異性装中だという彼女は、クールな紳士となるべく、日ごろから男装をしていた。
逃げ惑う雪室は藁へも縋る思いで助けを求める。
「た、助けてっ……」
だが、レフニーは冷たい眼差しで見返す。
「元気なのはいいけれど、だからと言って脱走は頂けないな。そんなに元気なら僕の隕石の直撃を受けても大丈夫だよね?」
真顔で怖いことを言い出したレフニーに雪室は(あかん……!)と思ったが時既に遅し。
次々と隕石と雷光が落ちてくるという世界の終わりを体験しながら、地面へと沈んでいくのだった。
「まあ、あれだ……イキロ?」
ナナシに担がれて運ばれていく雪室を見送って、レフニーは恋人の病室へと急ぐのだった。
(※重体理由:世界の終わりを堪能したため)
(※すぐに治療されました)
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柔らかな日差しが暖かく降り注ぐ昼下がり。
寛ぎの空間を提供するために良く手入れされた中庭は評判であり、過酷な戦いに立ち向かう撃退士へも、しばしの平穏をもたらしてくれる。
そんな癒しの空間を求めて、リチャード エドワーズ(
ja0951)とロキ(
jb7437)は中庭を連れ立って歩く。
「ここは静かで……いい場所だ」
木漏れ日の下を二人でゆっくりと歩いていると、激しい戦いの疲れも忘れられる、そんな風に寛いだ気分になる。
「……このベンチ日当たりが良くて暖かそう」
陽だまりが気持ちよさそうな白いベンチを見つけてロキは呟く。
リチャードはハンカチでさっとベンチを払い、ロキの座る場所を作る。
「少し座っていこう。たまにはゆっくりするのもいいものだ。でないと倒れてしまうからね」
並んで座ると、わずかに吹く穏やかな風が木漏れ日をふわりと揺らし、安らいだ気分になる。視線を巡らせると、病院で忙しく働く看護士や、元気に走り回る包帯だらけの撃退士が見える。
「んー……ナースに向いているっていわれたけれど……全然だめな気がする……」
「そうかい?君はやっぱり向いているような気もするが」
リチャードは返事をしながらも、陽射しで暖まった体は眠気を覚えてあくびを噛み殺す。
一緒にいると落ち着くのだから、と続けようとして肩にかかった重みに気付く。
同じく、陽だまりの気持ち良さに眠ってしまったロキが寄りかかってきたのだ。
リチャードは軽く微笑み、ロキを起こさないようにそっと体をずらしてロキの頭を太ももに置いて、ゆっくりと寝かせる。
(この平穏を守らなければならない)
その寝顔を見て、次の戦いへの決意を新たにするのだった。
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待合室で名前を呼ばれて雫(
ja1894)はゆっくりと立ち上がる。
「はぁ……憂鬱です」
怪我をしているわけでもないのに病院へ来るのは気が進まなかった。
いつも迷惑をかけている医師から何度も来るように言われて断りきれず、渋々健康診断にやってきたのだ。
「雫ちゃんだーっ!久しぶりねーっ!」
診断室へ入ると顔馴染みの看護士が飛びついてきて、ほっぺたをむにむにとしてきた。
「それ、セクハラ」
雫のほっぺたは揉み解されて真っ赤になっていたが、冷静に指摘する。
「やめなさいよ、まったく。ゴメンね雫ちゃん。でもちゃんと健康診断は受けなきゃだめよ?ちゃんと食べてる?無茶してない?怪我したらちゃんと病院に来るのよ?」
同僚を引き剥がした看護士も顔馴染みで、くどくどと生活態度について説教を始める。
「大丈夫、健診、しなくていいの?」
こくこくと頷いていた雫だったが、終わることのない質問にため息交じりで口を挟む。
二人の看護士は顔を見合わせて照れ笑いをして、雫を連れて行くのだった。
「二人を足して2で割れば丁度良いですが……良い人ばかりですけど……やはり病院は苦手」
健診が終わり解放された雫はもう一度ため息をついて、病院を後にするのだった。
●
「……それで、何故僕は縛られてる、のだ?」
病院に入るなり、橋場 アイリス(
ja1078)にぐるぐる巻きにされてアスハ・ロットハール(
ja8432)は疑問を口にする。
「アスハさんはいつも抜け出してるんです。この際に謝ってしまいなさい」
橋場はそのままアスハを引っ張って警備室へと向かう。
「いや、その、なんだ……逃げないから、この縄はいらん、な?」
戸惑いながら抗議するアスハの背中から呆れたよう声が追い討ちをかける。
「全くあなたって本当に懲りないのね……今回ぐらい大人しく連れて行かれなさい」
「……こんな扱いされてるなんて、一体どれだけ逃げ出してるのよ。ここまで来ると最早呆れるしかないわ」
橋場と共に健康診断にやってきたナタリア・シルフィード(
ja8997)とイシュタル(
jb2619)は無駄な抵抗をしているアスハに冷たい目を向ける。
「……何かおかしくない、か?」
アスハの抗議の声は完全に黙殺され、縛られたまま警備室へと向かうしか選択肢はなかった。
警備室へ行くと廊下にポスターが張り出されていた。
『この顔見たら警備室まで』と書かれたポスターにはデカデカとアスハの顔写真が張り付けられていた。
「それじゃ、後はよろしくお願いします」
「ええ、『歓迎』するわ」
警備室から沢山のポスターを抱えて出てきたナナシに橋場はアスハを引き渡し、友人の待つ待合室へと戻っていった。
「そのポスター、まさか病院中に貼るの、か?」
一人残されたアスハは、ナナシの両手に抱えられたポスターを見て、唖然とする。
「大丈夫よ、貴方のだけじゃないから」
「あまり大丈夫ではない、な?」
さらりと言ってのけるナナシに、無駄と思いつつ抗議するが、やはりここでも黙殺されてしまった。
「そんなことよりもみんな待ってるよ」
ナナシが警備室のドアを開けると、その奥で目を光らせた屈強な男達が腕組みをして満面の笑みを浮かべていた。
「……その節は、色々世話になった、な」
そっと目を逸らしつつ謝るアスハを扉の向こうに押し込んで、ナナシはポスター貼りに向かっていった。
橋場、ナタリア、イシュタルの3人は名前を呼ばれるまでの待ち時間の間に、ハーフに関する資料を探していた。
待合室には小さな子供用の絵本や塩分を控えた料理の本などに混じり、最新の医学雑誌なども本棚に並んでいる。
最近悪魔とのハーフであることが分かった橋場のために、皆で手分けして雑誌を漁る。
「ハーフって何か人間と構造的に変わってたりするんですかねぇ……。まぁ、翼が生えてたりする辺り、変わってるんでしょうけど……翼は出せますけど、私の、透けてるのです」
「身体的に多少の変化はあるのだろうけれど……私もやっぱりメインは翼の有無だと思うわね」
橋場の呟きにイシュタルが応じて、雑誌をぱらぱらとめくり、とあるページに目を止める。
「興味深い記事があったわよ。ハーフの翼はエネルギー体を体外に出して物質化したものだって記事があるわ」
ほら、とその記事のページを広げて見せる。
「本当ですね……あ、でも形は変わらないんですね」
橋場は記事を読みながら首を捻る。
「身体的な特徴もそうだけど、内面だと性格の変化や昂ぶり……悪く言えば精神疾患等があってもおかしくはないと思う」
ナタリアは違った切り口で情報を調べる。だが、見つける情報は不確かな噂話程度のものばかりで決定的なものは見つからなかった。
「翼なんかと違って性格は分かりにくいものね」
イシュタルは雑誌をめくるナタリアを慰めるように声をかける。
「イル……あら、私たちの番みたいね」
看護士に呼ばれて、3人は診断室へと入っていった。
「まぁ……こんなものよね……」
3人が健診を終えた頃に、警備室での説教で検診が後れたアスハも合流する。
「色々酷使してるし、な。体のメンテも必要、だろう」
まじまじと健診結果を眺めている3人を見て、特に深く考えることもなく声をかける。
「ナタリア、はともかく……アイリスもイシュタルもまだ伸びる可能性はある、だろう……な」
その言葉が発せられた瞬間、周囲の空気がぴしり、と固まる。
「ふむ。死にたいようですね、アスハさん。いえいえ、ここはちょうど病院、重態にして病院に拘束してさしあげましょうか?」
「……アスハ……人間界でいうお話?というものが必要なのかしら?」
橋場とイシュタルが全く目の笑っていない笑顔を浮かべ、アスハに迫っていく。
「あー。いや、その、な……落ち着こう、か?」
笑顔で二人に詰め寄られるアスハをナタリアは呆れ顔で見つめるのだった。
「……まあ、せめての温情として骨は拾ってあげるわよ」
(※重体理由:不用意な一言を口にしたため)
(※すぐに治療されました)
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「そろそろももにーさんお菓子もってくるやろかなー」
ベッドの上で亀山 淳紅(
ja2261)は窓の外を見ながら鼻歌を歌っていたが、暇をもてあましてうずうずしていた。
重体見舞いにお菓子を持ってきて、と姉の彼氏である百々 清世(
ja3082)におねだりの電話をしていたのだ。
『は……なんで俺が亀ちゃんの見舞い行くの?』
と最初は渋っていた百々だったが、お菓子お菓子とねだる亀山に負けて、見舞いに行くことを了解したのだった。
そろそろ来る頃なんやけどな、と窓の外を見ていた亀山の耳に賑やかな声が聞こえて来た。
「亀ちゃんよく怪我して大変でしょ、なんか仕出かしたら俺に連絡くれていいからね」
看護士ときゃっきゃと話ながら病室へ案内されてきた百々が、病室にちらりと顔を出して、亀山に声をかける。
「元気―?あ、姉ちゃんには内緒にしとけよ。あ、これ俺のメアドね〜」
一言声をかけて釘を刺すと、看護士とメアドの交換をしている。
「見舞い短っ!呼んどいてなんやけどホンマ見舞う気ないやろ!ってか病院に来てまで女の子?もー、お菓子!お菓子!」
手を振って看護士を見送った百々は亀山の声にまた顔を見せ、てへっとウインクをする。
「あー、あれな……来るまでにちょい小腹空いちゃったんだわ……で、亀ちゃん。正直な話よ。可愛い女医とかナースちゃんとかいんの?」
お菓子がないと知った亀山は唖然とした表情でぷるぷる震える。
(お菓子ないとか……まじおこやし!くそー姉ちゃんにちくるんは駄目言われたし……そうや)
「あー、知ってるで。この病院で一番のおねーさん紹介したるよ」
亀山は長い入院生活で入手した独身絶賛婚活中の38歳婦長さんのメアドを百々に教える。
「サンキュー!亀ちゃん大好き。じゃあまたなーっ」
ぽちぽちとメールを打ちながら手を振って百々は去っていった。
「もう、お菓子なかったのがっかりや……こうなったらリク室で歌うでーっ!」
松葉杖をつきながら亀山も元気に出て行くのだった。
●
リクリエーション室には一般患者が多く集まり、舞台にむかって拍手をしていた。
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は物静かで優雅なジャズをピアノで奏で終わり、患者に向かって軽く一礼をする。
続けてもう少し軽快で、皆が知っている曲を弾き始める。曲に合わせて歌を歌いながら、患者に頷いて呼びかける。
「さあ、今度は皆で一緒にお歌を歌いましょう。きっと楽しくなれますわ」
テンポをすこし落としゆっくりと最初から始める。歌いやすいように歌いだしの前にアクセントをつけて微笑みならが歌を歌う。
会場の雰囲気も盛り上がってきて、歌っている人たちに笑顔もみられるようになってきた。
付き添いの看護士達が気を利かせて患者達に鈴を配っているのを見て、シェリアは立ち上がってバイオリンを構える。
「それじゃ、今度は踊りましょうか。踊れない方は鈴を鳴らしたり、歌ったりしましょう。体を動かすのも楽しいですよ」
柔らかな笑顔を浮かべて、誰もが知っているようなポップな曲を弾き始める。
バイオリンを弾きながらクルクルと回って見せると、見ていた子供達がきゃっきゃと笑いながら真似をしてあちこちでクルクルと回りだす。
「はい、皆さんも歌って踊って!」
曲が終わる頃には患者達は皆笑顔になっていた。
(辛い事とか嫌な事が気にならなくなるくらい、うんと元気になってくださいね)
祈りを込めて一礼すると会場から大きな拍手が響くのだった。
「いい曲やねー。自分も歌ってええかなー?」
リク室に遊びに来ていた松葉杖姿の亀山が舞台の上のシェリアに声をかけると、シェリアは快く頷く。
「ピアノは僕に弾かせてくれないかい?」
すっとさりげなく舞台に上がったのは男装の麗人レフニー。亀山は突然現れた彼女に驚きの声を上げる。
「あれ、レフニーもお見舞い?はっ、自分も入院してたんやっけ……?」
「ジュンちゃんのお見舞いですよー!」
ぷくっと膨れるレフニーの様子に亀山は慌てたようにマイクを握り締める。
「ま、まぁほら……一緒に演奏しょー!」
二人の様子にクスクスと忍び笑いが漏れる会場に、3人の賑やかな演奏が響き渡るのだった。
●
「ん……だんだんよくなってきてるな」
黒夜(
jb0668)はようやく終わった検診の結果を見て呟く。
以前の危ない状態からはすこし回復して、体重が増えてきていた。
充分とはいえないが、少しずつ食事を取れるようになってきた結果かもしれないと一人頷く。
健診に来たついでに入院している知り合いの見舞いに向かう。
マキナの病室には主の居ないベッドがあるだけだった。
「また無茶しやがって……」
きっと脱走したのだろうと確信して、見舞いの林檎だけを置いていく。
亀山の病室にはナースに囲まれた男が居たが、亀山は居なかった。
「亀ちゃんなら歌うでーとか言ってどっか行っちゃったよー」
亀山を探す黒夜に百々が教える。ふーんと呆れた声を漏らし、見舞いの林檎を男に預ける。
後ろからラッキー、と聞こえてきたが多分大丈夫だろうと、影野 恭弥(
ja0018)の病室に向かう。
だが、影野の姿も病室にはなかった。首を捻る黒夜に、通りがかった看護士が声をかける。
「影野君ならリハビリするって言ってたわねぇ」
看護士に礼を言うと、教えてもらったリハビリ室に向かう。
リハビリ室へ行くと、影野が包帯を巻いた腕でダンベルを持ち上げてトレーニングをしていた。
「やっと見つけた……何してんだよ怪我人」
黒夜の声に影野は振り向いてダンベルを下ろす。
「やることなくて暇なんだよ」
「だからって無理して良いって事にはならないだろ」
ん、と見舞いの林檎を放って渡す。
片手で受け取ってそのまま丸かじりするが、黒夜の話は右から左に聞き流しす。
「腕が立つのは知ってるけどさ……あいつも居るんだから無茶するなよ……心配になるだろ……」
小言を言っているうちにだんだん泣きそうになって俯いてしまう。
聞き流していた影野だったが、その様子をみて焦ったように頭を撫でる。
「別にいつものことだろ……そんな心配するなって」
ほら、大丈夫だから、と黒夜が落ち着くまで頭を撫でるのだった。
●
平行棒に掴まり黙々とリハビリを続けている九条 静真(
jb7992)の姿を見つけ、九条 白藤(
jb7977)は心配そうな表情で駆け寄ってくる。
「こないな怪我して、勝手に病室抜け出して……あほちゃうか……!」
白藤は静真が逃げ出さないように服を掴む。
「静真、逃げられると思いなや」
静真はため息をつくと掴まれたままで再びリハビリに励む。
(俺かて、痛いのは嫌やし……けどこの怪我は必要やったから。俺が怪我せんかったら姉さんがしとった)
だから、と歯を食いしばって無理やり脚を動かす。まだ怪我が治りきっていないため、脚が思うように動かずに一歩足を進めるたびに体が大きく揺れる。
「……なんか、うちに言う事あるんちゃうん!」
黙ったままの静真に白藤は怒ったように言い放つ。
『ご め ん』
静真は心配する白藤に向かって一文字ずつ区切るようにして口を動かし、言葉を届ける。
だが、白藤には分かる。静真が謝ったのは怪我をしたことではなく、自分を心配させたことだと。
「もう、うちなんか守って怪我せんで……!」
首を振りながら俯く姉に、静真は苦笑しながら頭を撫でる。
(もうせん、なんて言われへん。姉さんが怪我するのは絶対に嫌なんや)
頭を撫でられ、白藤は震える声で呟く。
「前は静真から声を取った、次は何をとってしまうかわからんのんが怖いんや……」
白藤はいやいやをするように首を降り続けるが、静真に手を取られて、顔を上げる。
静真は白藤の掌を口元に当てて言葉を伝える。
『おれは、つよくなる』
(俺の力は護る為の力……姉さんの為に、戦う力や)
強く決意した視線で見つめられた白藤は、それでも、と思う。
二度と怪我をしないで欲しいと。
姉弟は寄り添いながら、互いを思いやり見つめあうのだった。
●
日が傾き、中庭も日陰が多くなってきた頃、ロキは夢の続きを探すように目を開ける。
一瞬、横になった世界に混乱するが、自分がリチャードの膝の上で寝ていることに気付いて、慌てて起き上がる。
起き上がった拍子にかけられていた上着が滑り落ちたが、リチャードは何事もなかったかのように拾い上げロキに羽織らせる。
「そろそろ肌寒くなってきた。風邪を引く前に戻ろうか」
差し伸べられたリチャードの手を取ってロキはベンチから立ち上がる。
「えと……ごめんね、寝ちゃってたみたい……。今度、何か埋め合わせするね」
リチャードは微笑を返し二人連れ添って病院を後にするのだった。
●
インレ(
jb3056)は病院の玄関を通って中に入っていくのに一人苦笑を浮かべる。
(いつもは脱走する時だからのう。堂々と通るのは妙な気分だのう)
だが、玄関に貼られた自分の顔写真付きのポスターを見て、首をすくめる。
看護士から身を隠すように、非常階段から病室へ向かうことにしたのだった。
階段を上っていると、槍を担いだ大炊御門 菫(
ja0436)の姿を見かけ、その真剣な表情に声をかけることが躊躇われ、そのままついていくことにした。
屋上に出た大炊御門は周囲に人が居ないことを確認し、槍を構える。
ぴたりと静止した姿勢で呼吸を整え、夕霞に赤く染まった空を睨みつける。
空を打ち抜くように真っ直ぐに槍を突き出す。何百、何千と振ってきた動作。
だが、まだまだ未熟だと、共に戦った仲間が受けた傷が脳裏に浮かび、背筋が凍りつくような思いがする。
凍りついた気持ちを溶かすように槍を振るい、斬線に陽炎が立ち上る。
そのまま振り絞った弓を放つように槍を振りまわし、衝撃波を飛ばす。
私自身を含めて全てを活かすし、仲間と共に強くなる。ただ、それだけのこと。
目前に仲間を傷つけた敵が居るかのように、五月雨のように連続突きを放つ。
そのまま突き続けると、分断された空気が冷気を発し、塵雪が残って卯の花のように舞い散る。
だがそれだけのことも叶わぬ己の技前の未熟さ。
靄のようにまとわりついたアウルを打ち抜き、落雷のような爆音を鳴らす。
槍を仕舞い、脚に纏わせたアウルを収斂させて音よりも早い踏み込み。
そして活性化と共に突き出す槍は風の抵抗で自らも読めない不規則な動きを見せる。
悔しい。
恥ずかしい。
身を低くして踏み込み、槍を回転させて石突を下から跳ね上げる。
沈み行く夕日を押し留めるかのように一撃を放ち、残心のまま静止する。
インレは大炊御門の演舞を黙って眺め、物思いに耽る。
仲間の為に傷つく事を厭わぬ心。尊きものだと思う。
だが、若き者が身を削り、命を燃やすことは在るべき姿ではない。
必要なことであったとしても。
止めても無茶をするのだろう。ならばせめて。
老いた身を賭し守り抜こう。
尊き想いを。
やがて演舞が終わった大炊御門にインレは近づいて、乱暴に頭を撫でる。
「無茶したらしいな……心配させおって」
「無茶ではない、やれると……『皆とならやれる』そう思ったんだ」
頭に置かれた手を退け、大炊御門は呟く。
今はまだ出来ないだけ、皆と共に強くなろう、そう心に誓う。
留めることが適わなかった夕日がその姿を消して行くのを、二人は心に誓いを抱き、見つめ続けるのだった。