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快晴の青空の下、紅白の垂れ幕で囲われた白州の試合会場を前に幼いショーグンは期待の色を隠せない様子で落ち着かない。
「何れも家臣達が推挙してきた強者揃い。私もいつに無く胸が沸き立ちますな」
言葉は丁寧であるが皮肉な笑みを浮かべて狩野は鷹揚に答える。
「最初はどちらも武者修行中の者ですな。名前を聞かぬ者どもです」
太鼓の音が試合の始まりを告げ、見届け人が呼び込みの声をかける。
「第一試合を始める!両者参られーぇいっ!」
紅白の幕が跳ね上がり、試合を行う者が会場へと足を踏み入れる。
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新井司(
ja6034)は常に考えていた。
英雄とは何か。
未だ答えにはたどり着かず、様々な武術家と会い、仕合うことによりその答えを探し続けて来た。
真っ直ぐに挑み、打ち合う拳で会話をする。
そうして伝わる強き者が抱く想いが、己の求める英雄についての答えを導きだすのではないか、と期待する。
目前の幕が上がり、我名を告げられた新井は対面した相手をじっと見つめ、心の中で問いかける。
(キミにとって、英雄って何なのかしら)
先ほどまで眠っていたかのように見えた十三月 風架(
jb4108)は太鼓の音でゆっきりと身体を伸ばし、幕の前に進む。
拳に巻いた布の感触を確かめるように何度かにぎり、くすり、と笑みを浮かべる。
開いた幕の先、自分を見つめる相手の眼差しの強さから眩しそう目を背け、その両手に巻かれた布を見つめる。
自分と同じく手に布を巻きつけられたおり、その使い込み具合から拳を武器に戦うものだと推測される。
同じように見えて、全く違うもの。だけど、と十三月は考える。
(誰が相手でも全力で、ですかね)
「始めぇっ!」
試合開始の合図と共に十三月は後ろへと飛び退り距離を開ける。
一方の新井はじっと相手を見据えたまま、その場を動かない。
静かに観察の目を向けたまま隙をうかがう新井に気付き、十三月もその場で動きを止め、呼吸を悟られぬように息を詰める。
互いにぴたりと動きが止まり、空気が凍りつくような闘気のみを発し続ける。
緊迫して動かぬ二人に、観戦している者も雰囲気に飲まれ、呼吸するのも忘れて見入ってしまう。
その時間は数秒だったのか、数十秒だったのか。
ごくり
誰かが生唾を飲む音が静かに緊迫した会場に響き渡る。
機が熟したのか、不意に十三月が動き出す。
「緑の風は聖獣の力、風を操り万物を呼び出す力也」
白砂を巻き上げ、風の如く走り始めた十三月は瞬時に新井の背後へと回り込む。
新井も隙を見せまいとその姿を追って身体の向きを変える。
その素早さに目で追うのがやっとの状態であり、十三月が密かに巡らせた金属製の灰糸が首元を絡みつこうとしていることには全く気がつかなかった。
ただ、新井は十三月の拳が複雑に動くのを目で追っており、何を仕掛けられても対応できるように構えを変えようとしていた。
不意に動いた新井の動きを十三月は予測できず、軽く首元にひっかけようとしていた灰糸を肩で受けてしまい、血飛沫が上がる。
新井は自身の痛みよりも、相手のわずかな動揺に機を見出し、一気に距離を詰めて光を帯びた拳を突き出す。
「集灯瞬華。ねじ伏せる……!」
膝に伸びた拳を危うく避けた十三月は新井の狙い通り体勢を崩し、続いて伸びてきた拳に反応できない。
顔面を打ち抜くと見えたその拳は、鼻の先に触れるか触れないかの距離で不意に止まり、拳圧で十三月の髪をふわりとそよがせる。
「参った!」
拳が届く直前に両手を広げて降参した十三月に気付き、瞬時にその動きを止めたのだった。
「しょ、勝負ありっ!勝者新井殿!」
一拍遅れて見届け人の声が会場に響き渡る。
観戦していた誰もが詰めていた息をほぉと吐き出した。
「これが武術者の戦いか……」
幼きショーグンが息を吐き出すように感想を述べ、狩野は深く頷く。
「ふむ、これは見事でしたな。一瞬の攻防で全てが決まる。我々凡人には窺い知れぬ領域ですな」
狩野も感慨深げに唸りを上げる。
「む、次の試合はあの夏野家の娘が出るようですぞ。オエドの力を見せ付けてくれることでしょう」
試合開始の太鼓が響き渡る。
「第二試合を始める!両者参られーぇいっ!」
引き上げられる幕の後ろから新たな武術者が足を踏み入れる。
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夏野 雪(
ja6883)の人生は盾と共にあった。
先祖代々受け継がれてきたショーグンの盾となる一族に生まれた夏野は両の足で立ち上がるよりも早く盾を握らされ育った。
何をするにも盾と共にあり、その人生の意義はショーグンの盾たること。
この度の試合も盾の一族としての矜持に賭けて、絶対の自信と共に挑む。
目を瞑ったまま静かに待ち受けるのは翡翠 龍斗(
ja7594)。
家臣が行った予選会に集まった武術者達を相手に、目を瞑ったまま戦い、勝利を勝ち取った実力者だ。
翡翠が家臣に出した要求は唯一つ。夏野雪と戦わせて欲しい。
かつて見かけた面影を胸に、翡翠はゆっくりと目を開く。
「翡翠鬼影流が伝承者、翡翠龍斗。いざ、尋常に勝負」
「夏野雪、推して参る。貴様の力、私の盾でもって征し……砕く」
始まりの合図と共に夏野は盾を掲げて相手との距離を詰めていく。
盾を掲げたまま近づき、その圧力で相手の拙速の一手を誘う。
翡翠は正面から迫ってくる夏野の隙のなさに、自らが打てる手を考える。
古びた布を巻きつけた両拳を盾にぶつければ、打ち砕くことも可能かもしれない。打ち砕けなくとも相手の姿勢を崩すことが出来れば隙を見出せる可能性もある。
だが、翡翠の望みは相手を砕かずに勝利を得ることであった。
相手から見えている目線と足で蹴りを放つと見せ、独楽のように自らを回転させながら背後へと回り込む。
背後に回りこみ姿を追って振り向いた夏野の不安定な足元に水平に回し蹴りを放つ。
がくりと揺れる夏野の右腕を取り、間接を決めたまま背負い投げを試みる。
夏野は重心を下げてその場に留まり、盾を振り上げる。
極められた間接がゴキッ折れる鈍い音を聞きながらも、単純に盾を振り上げ、振り下ろす。
奇を衒う事の無い、故に避けがたい一撃だった。
翡翠は半身をずらしてかわそうと試みるが、身体の重心を戻しきっていない状態では避けられず、肩に盾を突き立てられる。
夏野はそのまま盾を振り回し、槍を引き抜くと止めとばかりに盾を翡翠の頭めがけて水平に振りぬき、その意識を断ち切ろうとする。
確かな手応えを感じた夏野だったがすぐに唖然とした表情に変わる。
肩が抉られ、顔面も血塗れになりながらも、平然と翡翠は立っていた。
「修羅を甘く見るな」
夏野も翡翠も動かせる片腕を構え、真っ直ぐに突進する。
互いの間合いが合わさった瞬間、再び夏野の盾は振り下ろされる。
翡翠は突進の勢いを瞬時に止め、盾をやり過ごす。
盾の内側に足を踏み入れることでその動きを止め、顔面への裏拳と腹部への正拳突きを同時に打ち抜く。
夏野は盾を手放し、崩れ落ちるように意識を失う。
「勝負あり!勝者翡翠殿!」
やがて意識を取り戻した夏野は、勝負がついたことに気付くと悔しそうにした後で、満足気に頷き、ショーグンに向かって平伏する。
「私の未熟を痛感いたしました。旅に出て世界を知りたく存じます。出立をお許し下さい」
「相判った、許そう!」
狩野は何か言いかけたが、駆け寄って来た近習が耳打ちをすると、目礼をしてその場を慌しく離れて行った。
痛みをこらえて立ち上がる夏野は、同じく腕を押えて見つめてくる翡翠に声をかける。
「お前は流浪の旅をしていると言ったな。私に世界の広さを見せてくれないか」
「あぁ、俺はお前さんに惚れた。どこまでも連れて行ってやろう」
互いに目線をかわしつつ、退場していく二人であった。
しばらくして戻ってきた狩野は苦々しい顔を浮かべながらも対戦者を確認する。
「次はどちらも高名な武術家ですな」
「うむ、楽しみじゃな!」
狩野の紹介に幼きショーグンは愉快そうに頷き、太鼓の音に導かれる次の対戦者を見つめた。
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「……楽しみ」
太鼓の音を合図に幕の後ろで試合開始を待ちながら染井 桜花(
ja4386)は呟く。
透き通るような白い肌に華奢な身体という見た目からは想像できないほど激しい戦い方で名を上げてきた武術家だ。
全てをぶち壊すように圧倒する戦い方はオエドの街でも噂に上ることが多い。
戦いを前に真っ赤な瞳がキラリと光る。
「その刀を使うのか。高河の真剣な戦いが見られそうだな」
高河 水晶(
jb5270)の控える幕内では高河の所属するオオトリブジュツ阿有流道場の仲間が応援に詰め掛けていた。
師範である鳳 静矢(
ja3856)の言葉を受け、高河は苦笑いを浮かべて答える。
「有効に召還獣を使えそうにないのであるなら己自身で戦うのみである」
師範代・鳳 蒼姫(
ja3762)や兄妹弟子の支倉 英蓮(
jb7524)からも声援を受けて、幕の前で試合開始を待つ。
「……紅牙剣闘円舞術の桜花」
白州の中で相対した高河に染井が敬意を込めて名乗りを上げる。
「水理流舞刀術の高河である」
高河も同様に敬意をもって応える。
「……参る」
試合開始の合図と共に槍斧を構えて舞い踊るかのように左右に動きながら高河の隙を伺う。
対する高河はじっとその場に相手の動きを伺う。
染井が大きく踏み込んだ瞬間、両者同時に距離を詰める。
先に間合いを得たのは槍斧を構える染井。
「……円舞・乱れ桜」
武器に重心を置き、その重さで舞うように回転して斜め上から切り下ろす。
対する高河は体重を乗せた斧槍の一撃に拳を添え、その軌道を変えることには成功したが、その拳は無事ではなく、痺れを覚える。
ために、白州を抉った槍斧を破壊しようと峰打ちに振り下ろした一撃は握りが甘くなり、効果を上げられない。
勢いを止めずに全てをなぎ倒す勢いで染井は斧槍を回転させ続ける。
静かに相手の動きを伺いつつ、攻撃をかわす高河は、何度か懐に入ろうと試みるが回転の速さになかなか踏み込めない。
当てられない染井もいつまでも回り続けることは出来ない、3回目の攻撃をかわされた瞬間に、身体に染みこんだ型はほんのわずかなタメを作る。
その隙を逃さず接近した高河は峰打ちで胴を打ち抜き、その勢いのまま、腰投げで染井を投げ飛ばす。
息が詰まったところに投げ飛ばされたことにより、染井は斧槍を手放してしまう。
追撃する高河から転がって距離を取り、懐に仕込んであった銃を取り出す。
銃を構える染井に対して、高河は独特な歩行で迫る。
銃口の向きに身体を置かぬようにして迫る高河に狙いを定め、銃撃を放ちつつ接近していく。
銃撃はわずかに高河の頬を抉るが、皮一枚でかわされる。
互いに接近した勢いで高河は相手の勢いを利用し、入身で背中に回りこむと、八相に構えた刀を峰打ちに背中に叩きつける。
どさり、と染井は意識を失って崩れ落ちた。
「勝負あり!勝者高河殿!」
「最後の試合は先ほどの高河と同じ道場の支倉というものですな。対するは流れの修行者、さて、どのように戦うのか楽しみですな」
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「いいか焦るなよ!勝てない相手じゃないはずだ!」
試合前に志堂 龍実(
ja9408)の助言を受けて頷くのはフィル・アシュティン(
ja9799)。
二人で鍛錬を重ねて自分の武術を高めてきた。
この場には自らの実力を高めるために参加したのだった。
「落ち着いて相手の出方を見るんだぞ。隙が出来たら逃さずにもてる力をぶつけてくるんだ!」
フィルに言い聞かせるように志堂は助言を重ねる。
「ありがとう龍実。がんばってくるね!」
太鼓の合図に立ち上がるフィルの表情は真剣なものへと変わっていた。
「きゃー、我が家の愛猫たちー。がんばって!」
師範代の蒼姫の応援に支倉は決意を込めた表情で立ち上がる。
「栄光は……師範と師範代へ捧げます……」
幕が上がり始めると同時に伸身捻り宙返りで幕を飛び越えて入場し、所定の位置で斧槍を構える。
「オオトリブジュツ阿有流道場門下生、槍之陣・妖猫舞の支倉英蓮……いざ尋常に勝負」
「彩渦流剣術のフィル・アシュティン、正々堂々と戦うよ!……勝負だ!」
名乗りと同時に駆け出す両名。
フィルは白刃の直剣を多彩に繰り出し、幾つものフェイントの後に腹部めがけて真っ直ぐに剣を突き出す。
その剣の軌跡は間合いに入る直前に方向を変え、支倉の足元を切り払うように払われる。
支倉は虚を疲れて後ろに倒れそうになるが、無理な体勢のまま斧槍の柄でフィルの剣を受け止める。
フィルは驚いて、目線で支倉の足元を確認する。
支倉は両足を浮かせながらも、二股に分かれた尻尾でその身体を支えていた。
そのまま尻尾を基点として宙返りを行って距離を取ると、斧槍の間合いからフィルの肩を切る。
肩を切り裂かれたところに、支倉が回転させた柄で足を払われて、フィルは尻餅をつく。
続けて振り下ろされてきた斧槍をフィルは白州を転がることでかろうじて避ける。
体勢を整えると、追撃してきた支倉に向かって剣を振りぬく。
「ここだっ……はああっ!」
支倉は宙返りでかわそうとするが、フィルの剣から阿有流の光が放たれる。
光に打たれた支倉が蹲ったところに追い討ちをかけようと、剣を構えて駆け寄る。
「臨兵闘者皆陣烈在前っ!殺禍・黒鬼灯!」
支倉はフィルが近づくまでに九字を切りその刃に死霊達の怨嗟を纏わせる。尻尾で地面を突くことにより加速を載せた黒い爆炎と共に刃を突き出す。
「これが私の……彩渦流剣術!」
避けられ得ぬ呼吸で放たれたはずの支倉の業は、回転するフィルの直剣に絡め取られ、フィルの刃と身体を削りながらも空へと逸れて行く。
自らの最高の業を受け流され、唖然とする支倉の喉にぼろぼろになったフィルの直剣が突きつけられる。
「勝者!フィル殿!」
フィルは支倉に微笑みかける。
「……どちらが勝っても不思議じゃなかった。良い戦いをありがとう」
勝負がついて残念そうな支倉に師範の静矢は満足気な表情で出迎え、頭を撫でる。
「水晶も英蓮も今日はよくがんばったな」
「見事な勝負であった!褒美を取らそう!」
狩野の言葉と共に盛大な花火が打ち上がる。
その音に騒然とする家臣達であったが、どこからか入ってきた色黒の商人風の男が高らかに告げる。
「殿!狩野様が私財を使い盛り上げて下さいましたよっ」
商人の言葉に狩野は立ち上がって息を飲むがショーグンの声に制される。
「さすが狩野じゃ!皆の者、見事な勝負を見せてくれた武術者達をねぎらうのじゃ!」
ショーグンの一声で混乱は賑やかな宴会へと変わっていく。
胡椒にむせる声と狩野の怒鳴り声が響く頃、屋敷を出たゼロ=シュバイツァー(
jb7501)はぺろりと舌を出したのだった。
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新井は自分の部屋で目を覚ます。
夢の詳細は覚えてはいない、だが、夢の名残を感じる。
まだまだ英雄は遠い、と。