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「え? 北村さんって留守番だったの?」
和やかに北村と話していたシェリー・アルマス(
jc1667)は驚いて声を上げる。
「えへへー。私って頼られる存在っていうの? 何でも出来ちゃうんだよねこれが。だから留守番ぐらい簡単っていうか……ぁ」
だらしなく緩んだ笑みで自慢げに語っちゃう北村だったが、自分の言葉で我に返る。
「……留守番、だった。ど、どうしよ、忘れてたぁぁぁ!」
動揺する北村に、シェリーは小さな拳を胸元でぐっと握って北村を元気づける。
「ディアボロの襲撃があったんですから、仕方ないですよ! 私が一緒に説明してあげますっ!」
シェリーの言葉に感動した北村は、その手を握りしめて首を振る。
「だめよ、これは私の責任だわ。私は戻らないと……それじゃ後はお願いっ!」
覚悟を決めた悲壮な表情で、北村は走って行った。
「……四国だよな、ここ」
何処かへと走って行く北村を見送りながら黒羽 拓海(
jb7256)が呟く。
留守番が必要だった久遠ヶ原へ戻るには果てしなく遠い。走って帰るつもりだろうか。
黒羽はそっと目を閉じ、北村の事は忘れる事にした。
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「ポゥッ!」
「ひっ!……ふふぁ〜」
撃退士達が駆けつけた時、遠山は鳩人間のようなディアボロ(略してハトボロ)の緩急付けた攻撃に身も心もほぐされていた。
その姿を、金棒を持った鬼……もとい、棘付鉄球メイスを持ち鬼のお面を付けた全身鎧の何者かが見つめていた。
「……何だ、コレ」
黒羽は疲れたように目を閉じ、そして再び目を開く。
「……何なのだ、コレは」
現実は変わらなかった。
現実は変わらないが、ハトが増えていた。
地面に落ちた豆を一心不乱に啄む姿はまさにハト、ロンベルク公爵(
jb9453)だ。
「豆! 豆! この世界の豆は全て私の物だ!」
ぽぽ、ぽぽ……とリズミカルに首を動かしては次の豆へと走るロンベルクは不用意にハトボロへ近づき、豆鉄砲を撃ち込まれる。
「この気配……! 豆だッ!」
飛んで来る豆をダイレクトに咥内へキャッチしたロンベルクは、驚いたように目を見開く。つまりいつもと同じ表情ではあるが。
「豆! 旨し! 豊かな大地の力強さを感じさせる食感! 噛み砕いた瞬間に広がる得も言われぬ芳香! まさに至高の一品! ……まめ……うまい」
あまりの美味さにかたまるロンベルクに再びコツンと豆がぶつけれられる。
「おい! お前ら! 豆を飛ばすとは何事だ! こんな美味い物を……! 豆だぞ! 分かってるのか!」
言語道断万死に値する、とばかりにバサバサと飛び蹴りを加えようとするロンベルクだったが、地面に転がっている豆に目を止めて、ぽぽぽぽ、と再び啄むのだった。
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一方遠山を見つめていたキアーラ。
問いかけに対する答えを気長に待っていたのだが、返事がない。
いっそディアボロと一緒に吹っ飛ばすか、と愛用のメイスに手を伸ばしたところ、横から話しかけられる。
「やあ、久しぶりだね。覚えてくれているかな?」
尼ケ辻 夏藍(
jb4509)の言葉に振り返る鬼の面。
「ほう、貴様は……。いや、知らぬな。私は鬼アーラであるからな。傘を振り回す妙な男のことなど覚えているはずがない」
お面の裏からくぐもった声で応えるキアーラに、尼ケ辻は微かに頬を緩める。
「ふ、なかなか素敵な仮面をお召しだ。僕等は君と事を構えるつもりはないよ」
「む、貴様の趣味は変わっているな……。いや、人の好みに口を出すつもりはないが……」
素敵な仮面と言われて安っぽいお面を外して確認するキアーラ。
しげしげと眺めてから、はっ、と気づいたように慌てて被りなおす。
「ふぉあーっ!」
叫んだ。
「み、見たか!? いや、貴様は何も見なかった! な!」
大声をだせばごまかすことが出来る。そんな気がしたキアーラであった。
「おやおや、尼サン。なんか楽しそうですねぇ。もしかして恋の予感って奴ですかぃ?」
鬼の面を見つめて何やらぶつぶつと言っていた百目鬼 揺籠(
jb8361)は二人の様子にからかいの声をかける。
「いやぁ、こいつぁ良い物を見れたってもんですねぇ。あの執念深いロリコンがついに妙齢の女性に……おいちょっと」
調子づいてからかい続ける百目鬼は尼ケ辻の表情の変化に気づくのが遅れてしまった。
ガッと顔面を掴まれ、ギリギリと米神に喰い込み指を抑えながら慌てたように文句を言うが、尼ケ辻は笑みを深める。
「遠山君が新しい扉を開こうとしてる。百目鬼君止めておいでよ」
ぶん、と顔面を掴んだ腕を振って、百目鬼をハトボロの群れの中へと投げ込む。
なにすんですかぁぁぃ、と叫びながら百目鬼は弧を描いて飛んでいった。
ぽふん。
百目鬼が落ちた先にはもっふりとした鳩胸のベッドが広がる。
「え、ちょっと」
百目鬼はその感触に戸惑いを覚える。
「なに……こんな……やさしい……」
とぅんく、と百目鬼の心の奥底で新たなゲートが開き始め、もふもふと白い草原に沈み込んでいくのであった。
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「……で、なんでお前さんはこんな所にいるんだ?」
一連の騒ぎに溜息をついて、話を進めようとするのは向坂 玲治(
ja6214)だ。
キアーラのお面についてツッコミたいところだが、話が長くなりそうなので見なかったことにすると決めたのだった。
もちろんもふられ続ける遠山と、新たにもふられ始めた百目鬼も見なかったことにする。
嬉々として飛び込んでいくシェリーや、地面の豆を幸せそうに啄んでいるマントを纏ったハトの事も気づかないふりをしなければならない。
見たことを認めた瞬間、あの地獄絵図に巻き込まれるだろうと、本能で察したのかもしれない。
「ふっ、愚問である。騎士たるもの鍛錬は欠かせぬものであろう。いや、私は騎士ではないが……。鍛錬に適した人気の無い場所を探していたまでだ」
胸を張って応えるキアーラに向坂は周囲を見回す。
ハトボロの群れに戯れる撃退士達がやかましい。
その周りを取り囲んでスマホで撮影会を始めている一般人達。フラッシュが眩しい。
道にはみ出して渋滞を作り出し、盛んにクラクションが鳴らされている。
「……人気の無い場所、ねぇ」
向坂の言葉に沈黙が落ちる。長い沈黙だ。
微かに汗を滲ませたキアーラは固まったように動かない。
「……なるほど、つまりあのディアボロはお前が追っている悪魔なりの物なんだな」
眉間を指で揉みながら考え込んでいた黒羽が、唐突な結論を導き出す。
「ふぇ?」
何を言っているのだとばかりにキアーラから変な声が出た。
「追っていたんだろう? お前は、悪魔を」
「ん? 悪魔とは何のこ……」
意味が分からないとばかりに問い返すキアーラを遮るように黒羽は続ける。
「人間の街とはいえ、悪行を行う悪魔の手先に我慢ならず手助けを申し出たという事か、なるほど、あの騎士団らしい」
「いや、助ける代わりに道を案内してほしいと」
ばっと掌を突き出してキアーラの言葉を遮る黒羽。
「それ以上は言う必要はない。そういう事にしておけ……俺も奴に迷子の騎士団員にあったとは言いづらい」
幼子に言い含めるように説得し、苦笑を浮かべる黒羽。
「奴……? あっ、わ、私は騎士団など知らぬぞ! 我は鬼アーラという通りすがりのものであるからな!」
キアーラは黒羽の言葉に少し引っ掛かりを覚えたが、それよりも偽名を貫き通すことが大事だとばかりに、大声を出して言い張る。
「あー。ま、どっちでもいい。そろそろあいつ助けてやんねーか? 終わったら道案内でもなんでもやってやるよ」
どんどんと話がずれて行くキアーラとの会話を止めて、向坂はくい、と親指で後ろを指し示す。
地獄絵図が酷いことになっていた。
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「もふもふだーっ!」
シェリーは百目鬼が白いふわふわに埋もれて行くのを見て我慢できずに飛び込んでいく。
イッツァフライングボディもふもふ。
柔らかく、暖かいその天然羽毛は通気性も抜群だ。
シェリーの身体を優しく受け止め、もっふもっふと包み込む。
あぁ、あと5分……。
そんなシェリーがどこまでも沈み込んでいくと、急にもふもふ感が無くなりすべすべだがごつごつとした感触がぶつかってくる。
「きゃー! 変態! 白タイツは駄目! 駄目ったら駄目!」
えいっ、と可愛い気合と共に繰り出される必殺の一撃がハトボロの股間を抉る!
「オゥ……」
その光景を見た男達がきゅっと内股になる壮絶な一撃。
夢見心地になっていた遠山と百目鬼も一瞬で正気に戻る激しさだった。
「ひでぇ目に会わせてくれやがりましたねぇ、尼サン。お返しですぜ!」
百目鬼は苛立ち紛れに足元に居たハトを尼ケ辻に向かって蹴り飛ばす。
「ぽぽぽぽーっ!?」
足元の。ハト。
そう、ロンベルクだ。
無心に豆を食べていただけの平和の象徴公爵。
彼はこの瞬間、生涯で一番早く飛んだ、かもしれない。
「百目鬼君は焼き鳩は好きかい?」
尼ケ辻が笑顔で浮かべた炎の球体が、飛んできたロンベルクや蹴り飛ばした百目鬼を巻き込みながら周囲のハトボロを焼き尽くす!
辺りに漂うお腹の空くいい香り。
百目鬼の髪がぷすぷすと煙を上げて縮れていた。
「遠くからとは卑怯じゃねぇですかねぇ! 武闘家の風上にも置けませんや!」
百目鬼の脳裏には遠山のことなど既になく、尼ケ辻に向かって一気に跳躍する。
\ゴンッ/
尼ケ辻が広げた濃紫の傘に頭からぶつかり、硬質な音を立てる百目鬼。
傘の前には五芒星が広がり、如何なるものの侵入も防いでいた。
「やあ、今日は晴れ時々百目鬼君というところかな。傘を用意しておいて良かったね」
はは、と笑う尼ケ辻に鼻の頭を赤くした百目鬼がいきり立って掴みかかろうとした時、背後からバサバサと羽音が迫って来た。
「私は鳩では無い! 誇り高き吸血種、アルフォンス・ロンベルクだっ! 血を啜るぞっ!」
「いたっ、痛いっ! ちょ、鳩と呼んだのは尼サンですぜ。突かねぇでくだせぇ!」
ちりちり頭を嘴で突かれた百目鬼は頭を押さえて逃げ回る。
ロンベルクはゲシゲシと百目鬼の頭を踏みしめているうちに何をしていたのか忘れて、居心地が良くなった頭の上で身づくろいを始める。
「おやおや、百目鬼君の頭に鳥の巣が出来たようだね」
他人事のように笑っていた尼ケ辻だったが、キアーラがメイスを構えてハトボロへと向かって行くのを見て、笑みを収める。
「いつまで遊んでるんだい、百目鬼君。そろそろ真面目に働くよ」
「誰のせいで……あー、もう邪魔だ邪魔だ、下がってなせぇ!」
急に真剣な表情になった尼ケ辻に、百目鬼は舌打ちをしながらも周囲の一般人に声をかけて再びハトボロへと向かのだった。
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ハトボロはそもそも真剣になった撃退士達の敵では無かったが、キアーラの力によってその力が底上げされた彼等に敵うものでは無かった。
必死に豆鉄砲を撃ってくるが、全て機敏な動きを見せた一羽のhロンベルクによって空中で豆を食べられてしまう。
影から伸びた腕がハトボロを拘束し、機敏な動きで死角から放たれる剣閃が羽毛を散らし、近寄る先からハトボロを蹴り飛ばしていく百目鬼を火炎が襲った。
「狙ってるわけじゃねーですよねぇ!?」
チリチリな上に煤だらけな百目鬼に幸あらんことを。
気が付けば、現場には無数の豆が散らばり、ロンベルクがせっせと回収作業を行っている光景が広がっていた。
一人大きな負傷を追った百目鬼は、シェリーと尼ケ辻が傷を癒している。
なぜかとても不満げだった。
「それで、どこへ行きたいんだ?」
向坂は鬼のお面に羽毛が纏わりついて白鬚を生やしたようになっているキアーラに話しかける。
キアーラは羽毛の感触が気持ちいいのか、髭を触りながら少し考えて答えた。
「誰も居ない、静かな場所へ」
短く応えるキアーラに髭はとても良く似合っていた。
「目的地も決めてねぇのか……」
そりゃ迷子になるよなと生温かい視線を送る向坂に、キアーラは気づかない。
「訓練する場所を探していると言っていたね。そうだね、山などどうだろう。地図ぐらいなら……いや、君ならナビでも使った方が良いかも知れないね」
尼ケ辻は少し思案して、視界に入った山を見て提案する。
「ナビなら任せなせぇ。こちとら歩くじーぴーえすって言われてまさぁ!」
百目鬼は胸をポンと叩いて道案内をかって出る。
チリチリになっていた髪の毛は、尼ケ辻の治癒膏で回復していた。
ベッタベタのポマードを塗りたくったような7:3になっていたが。
「それじゃみんなで行こうっ! 山に着くまでに鬼アーラさんにもふもふの素晴らしさを教えてあげるよ!」
白鬚を撫で続けるキアーラの様子を見て、シェリーはキアーラにモフリストの片鱗を感じ取り、目をキラリと光らせる。
「もふもふ……?」
キアーラはふむ、と白鬚を撫で興味深そうに頷いた。
「そういえば、騎士団の面々はどうしてるだろうか?」
ロンベルクをもふりながらもふもふの素晴らしさについてシェリーが語る道中、不意に黒羽がキアーラに訊ねる。
「アセナス様は日に日にたくましくなっていっている(気がする)。ただ、部下がたるんできているので鍛え直さねばならぬと……いや、私は鬼アーラだ。騎士団など知らん」
饒舌に騎士団の話を語り出したキアーラは、既に癖になってしまった白鬚を撫でる仕草の途中で正体を隠していたことを思い出した。
本当に危ないところだった。
ただ、何故か生温い視線を感じたキアーラだった。
「ふむ、確かに悪くは無い……」
日が沈む頃になってようやく足を止めたキアーラは周囲を見回して満足げに頷く。
どこを見ても山ばかり、これならばどんなに迷っても街に彷徨い出てくることはあるまい。
向坂はしっかりと頷き返して更に遠くの山の頂を指し示す。
「折角だ、あの山の頂上まで行ってはどうだ。険しい山を登るのも訓練になるんじゃないか?」
周囲と隔絶するように垂直に切り立った崖の上、訓練というよりも修行とか、荒行という言葉がしっくりする風景だ。
しっくりしないのは全身鎧に羽毛をまぶした鬼のお面というキアーラの格好だけだったりするのだが。
「なるほど、良き場所を案内してくれた。では早速部下達を呼び寄せるとしよう」
そう言い残して、キアーラは走り出した。
「いいか、もう街に戻ってくるんじゃないぞ……! 戻ってくるんじゃないぞ! 絶対に戻ってくるんじゃないぞ!」
芸人だったらどんな障害があろうと戻ってこなければならない気持ちにさせる言葉で、念押しをする向坂だった。
もっともキアーラは駆け出した瞬間、道から外れて崖の下へ落ちていたが。
崖の下から気合いの入った声が聞こえるので無事なのだろう……多分。
なお、北村香苗はが学園へたどり着いてすぐに、進級試験を乗り越えた土下座の冴えを見せたり、山から恐ろしい叫び声が昼夜を問わずに響いてくると、久遠ヶ原学園に依頼が舞い込んで来たりしたが、それはまた別のお話。