●
西に沈みゆく夕陽を鬱蒼と茂る木々が遮り、徐々に薄暗くなっていく森の中。
立ち塞がる白い男と対峙する撃退士達を面白そうにシェリルが見守る。
「やれやれ……、貴様とはどうも対峙する縁でもあるのかな。あぁ、そういえば、例の連れ帰った二人は元気にしているのか?」
呆れたように呟くのはアスハ・A・R(
ja8432)。
白い男はふっ、と鼻息を漏らしてアスハに構えた剣先を揺らめかせる。
「ふん、君に心配されなくとも生きてはいるさ。しかし、どうやら君はまた私の剣を味わいたいと見える。次は思う存分切り刻んでやるから今日は帰るんだね」
白い男の挑発が聞こえなかったかのようにアスハは横を向いてシェリルを見ていた。
「メイド……。竜公に縁の方ですか」
アスハの視線を追ったマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は呟く。
マキナの言葉に興味を持ったのか、シェリルはかくり、と首を傾げて見せる。
「あら、彼女のお知り合いなのね」
元気にしてたかしら、と柔らかく微笑むシェリルに、白い男が苛立ったように声を掛ける。
「おい、話しているのは私だ。聞いているのか?」
無視された形になった白い男に、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は肩をすくめて見せる。
「お前の気持ちは分かるでぇ、シロ。……ま、そんな事よりもやな、今日の要件は何や? 殴り合いなら歓迎するで?」
ぽきぽきと指を鳴らすゼロに、シロと呼ばれた白い男は気を取り直すように眼鏡を押し上げる。
「私は殴り合いなどするつもりは無いがね。帰るつもりが無いなら、黙ってすべて終わるのを待ってるんだな」
剣を構えなおして言い放つシロ。
ゼロはおどけて両手を上げて見せながら、隙を伺う。
「あのメイド。メフィストフェレスの直属だぞ? 俺達以上に通すとまずいんじゃないか?」
月詠 神削(
ja5265)はシェリルを引き合いに出すことでシロを揺さぶろうとするが、その言葉に真っ先に反応を見せたのはシェリルだった。
「御前様のお名前を軽々しく扱うのは感心できませんわ」
シェリルが何かをしたわけではない。
ただ、シェリルのアウルが肌をひりつかせるのを、その場に居た者達は感じた。
「協定範囲外であり、非戦闘地域でもない。とはいえ、こちらも二体同時に相手をするほど馬鹿ではない」
シェリルの気配が攻撃的に高まっていくなか、アスハは静かに告げる。
「……行きたいのなら、こちらを気にせず抜ければ良い」
くすり、と笑うシェリルは戦斧を一振りして周囲の木々を薙ぎ払いシェリルは高めていたアウルを霧散させる。
「こちらの方が興味深く思われますわ。そうですわね、私は黙って通ろうとしている方をお留しておきますわね」
一礼するシェリルは倒れてくる巨木の背後へと跳躍し、森の中へと消えて行った。
●
いつの間に姿を消したのか、シロの目前に立つ撃退士は二人少なくなった4名となっていた。
「チッ、逃がしたか。遊んでる時間は無くなったな。お前達を片付けて追いかけなければならなくなったのでね」
剣を構えてシロが前に出る。
「あの剣は少々厄介、でな。……斬られるなよ、偽神?」
シロに合わせて前に出るマキナへ、アスハが声を掛ける。
「忠告、頭には入れておきます……が、正直間合いとなると厳しいですね」
右腕から黒焔を噴き上げ白外套を靡かせるマキナの背中は、それでもためらうことなく前へと突き進む。
「まずはご挨拶やなっ」
樹上へと飛び上がったゼロは、周囲に生み出した闇から三日月のように鋭い刃を生み出して次々とシロに向かって放つ。
木々を蹴り、宙を泳ぐようにして刃の間を駆け抜けるシロ。
その目の前を塞ぐのは黒焔を一瞬の翼と成して森中を飛ぶマキナ。
突き出す右拳は一際黒い焔に覆われ、シロの身体を穿つ勢いで迎え撃つ。
「か……はっ……」
咄嗟に身を捩って受け流したシロであったが、脇腹を抉られ多量の血をまき散らして地上に墜落する。
若木をへし折りながらも姿勢を制御したシロは、着地後すぐに飛び立ち、マキナを切り裂こうと両の脚に力を溜める。
だが、その力を開放する間もなく蒼い槍が上空から追撃してくる。
堪らず地面を転がって避けようと試みるシロだったが、四肢を掠めた槍により、その動きは精彩を欠いていた。
「あのメイドとは戦い難そうだったな?」
シロが転がった先に待ち構えていた月詠は立ち上がるシロの懐へ飛び込み、光に覆われた両手を揃えて掌を突き出して胸を打とうとする。
背中から地面に倒れ込む勢いでのけ反って月詠の攻撃を避けたシロは、再び地面を転がって距離を取る。
血まみれになり、落ち葉や小枝を全身に絡んだまま、くい、と眼鏡を押し上げながらシロはゆっくりと立ち上がった。
「やれやれ、君達は勢いに乗せるとやっかいなことこの上無い」
全身を淡い光に包んで傷を癒しながら、シロは仕切り直すように剣で宙を切る。
「だが、どれほど地面を這う事になろうが、ここは通さない」
さあ、続きをやろう、とシロは剣を構えるのだった。
●
「……ふん」
影野 恭弥(
ja0018)は目の前にシロが立ち塞がってすぐに、気配を消して森の中へ消えていた。
撃退士達がシロやシェリルと会話をしていた事もあり、影野が姿を消していたことには誰一人として気づく者は居なかった。
獣道すら外れた道無き道。
影野は僅かに見え隠れする撃退士達の姿と争いの音を頼りに、静かに、そして速やかに森を進む。
そして、大きな樹を回り込んだところで足を止め、手にした銃を構える。
微かに聞こえていた息遣いすら、木々の葉が風に揺れざわめく音に消えゆき、さらに深く気配を森に溶け込ませていく。
引き金を引くその時まで。
●
立ち塞がるシロに向かい、撃退士達は攻撃の手を緩めない。
ゼロが刃を放ち、月詠とマキナが地上と上空から距離を詰めていく。
迫ってくる脅威に対し、微動だにせず半眼で待ち受けるシロ。
刃が、拳が、黒焔が、交差する一瞬。
シロの姿は掻き消え、撃退士達の攻撃は宙を泳ぎ、藪を切り裂く。
「そこだ」
後方で様子を伺っていたアスハは、上空に現れたシロに向かって片手を突き出し、掌から生み出した光の槍を放った。
シロはアスハの攻撃を避けられないと判断し、身を捩って背中を向ける。
背中に叩き込まれた光の槍により、肉が抉られ血が噴き出す。
シロは背中に受けた衝撃のままに錐揉みに回転し、加速した剣を眼下に飛ぶマキナへと叩き込む。
マキナを地面に叩き付け、シロは勢い余ったように自身も地面を転がる。
よろけながらも立ち上がったシロは、撃退士達から距離を取って剣を構えなおす。
「改めて告げよう。失せろ。ここは通さない」
全身を包む淡い光が塞ぐよりも多くの傷に白い服を血に染めながら、シロは姿勢を揺るがせずに撃退士達を睨みつけていた。
●
かさり、と藪をかき分けて山を登っていた数多 広星(
jb2054)は目の前に立ち塞がった人影に目を止めて溜息をつく。
「四国の悪魔、ですね」
数多に声をかけられたシェリルは、その言葉には答えずに質問を投げ返す。
「貴方はあの天使と戦わないのかしら? それはとても残念で面白みにかける事だとはと思いませんか?」
柔らかな微笑みを浮かべたまま、手の中で戦斧をくるりと回すシェリル。
数多は小さく首を振る。
「そんな面倒な。自分はこの先に用事があるだけですからね」
目の前のシェリルも面倒だと言外に匂わせつつ、数多は思いついたように言葉を付けたす。
「そうだ、アラドメネクを知っていますか。知っていればどこに居るのか教えて頂きたい」
数多の言葉にシェリルは残念そうに視線を落として首を振る。
「さあ、聞いたことがあるような無いような。お力になれず……」
「どうせ知っていても教えてくれる義理も無いでしょうし、それが本当か確かめる事もできません。気にしなくて良いですよ。嘘を掴まされても面倒ですし」
シェリルの答えに落胆した様子も無く。
「もしもアラドメネクに会ったら伝えてください。腰抜けかよ、って」
それでは、と歩みを続けようとした数多の行く手を戦斧が遮る。
「ふふ、その伝言は承れませんわ。男の子ならばそういう言葉は直接本人に告げるものですわよ。そうですね、お力になれない埋め合わせとして貴方をおもてなしして差し上げますしょう」
シェリルの様子に数多は再び溜息をついて、面倒臭そうに剣を抜く。
「おもてなしというなら、紅茶やお菓子が良いんですがね。あぁ、でも貴女みたいな脳筋怪力似非メイド、失礼、傭兵みたいな方には美味しいクッキーを焼くなど到底無理でしょうね」
数多の言葉にシェリルは面白そうに微笑み、戦斧をくるり、と振り回す。
「私はメイドですので、紅茶も淹れられますわよ。でもどうでしょう? ゲストのお望みを叶えるのが正しいおもてなしとは思いませんか?」
シェリルの戦斧を叩きつけられ、背後の木々を薙ぎ倒しながら吹っ飛ばされた数多は、ごぼりと血を吐き出しながら吐き捨てるように呟く。
「美味しい紅茶とクッキーを出してみてください。そうしたら認めてあげますよ」
足が震え、立っているだけでも苦しい様子の数多だったが、それでも折れない様子にシェリルはにんまりと笑みを広げるのだった。
●
「ボロボロの癖に強がる奴やなっ」
ゼロは樹木の枝を蹴り、翼を利用して空中で軌道を変えることで複雑な軌道を描きながらシロの間合いに飛び込んでいく。
だが、振り下ろした大鎌はわずかに届かず、すれ違いざまに振り上げられたシロの剣に胸を切り裂かれる。
「あかんっ、まぶしっ!」
眩い光に視界が埋め尽くされ、ゼロは目を押さえてよろめく。
先ほどシロの攻撃を受けたマキナも眉をしかめて探る様に足元を固めている。
シロを追いながらその様子を見たアスハは小さく呟くのだった。
「歩きにくい、な……均す、か」
その言葉に過敏に反応したのは騒いでいたはずのゼロと、すぐ側で呟きを聞いたマキナだった。
マキナは身を投げ出すようにその場に伏せる。
「この上雨に降られるのは御免やでっ!」
見えないシロをけん制するように大鎌を振って、ゼロは背後も確かめずに後方へと飛ぶ。
木立ちを突っ切ってゼロが離脱した直後、シロを中心に光の雨が降り注いだ。
斜面は抉れ、土砂が舞い上がり、木々は薙ぎ倒される。
光が収まると、そこにはぽっかりと拓けた荒野が広がっていた。
無数の雨に穿たれた服を身に纏い、立ち尽くすシロだけがその場に残っていた。
「くっ……」
レンズが砕け散った眼鏡のそれだけが残ったフレームの位置を整えながら、癒しの力が傷を癒すのを待つシロ。
だが、シロの身体を覆ったのは淡い光ではなく、黒焔だった。
「ぐああっ」
黒焔に身を焼かれたシロが叫び声を上げるのとは対照的に、地面に伏せていたマキナが体にかかった土を払いながら立ち上がる。
「視界は戻った、か」
「ええ、まあ」
体の調子を確かめるように軽く腕を動かしていたマキナはアスハの問いかけに短く応える。
シロは剣を振って身を焼く黒焔を振り払うと、マキナに向かって猛然と駆け出した。
だが、次の瞬間、シロの踏み出した足元の土砂が爆発的に舞い上がり、光と闇を両拳に帯だ月詠の一撃がシロに叩き込まれる。
意識外の一撃にシロは堪らず距離を取り、打たれた胸を押さえて膝をつく。
「つーか、俺も居たんだけど、ね」
地面を転がって距離を取るシロを警戒しつつ、血と土にまみれた月詠は恨めしそうにアスハを睨む。
睨まれたアスハは肩をすくめて見せるのだった。
●
「さあ、おしまいにしましょう。私のおもてなしはお気に召しましたでしょうか?」
微笑みを浮かべてシェリルが振り上げた戦斧の鈍い輝きを、傷だらけの数多は悔しそうに見つめていた。
「あだっ、あだだっ!」
そこへ藪を突っ切って飛び込んで来たゼロが、後ろ向きにシェリルの胸に飛び込んできた。
シェリルは戦斧を振り上げたまま軽く飛び上がり、転がり込んで来たゼロを避ける。
ゼロは首を振って視界が戻っている事を確認し、転がったままシェリルを見上げて笑いかける。
「そこの綺麗なお嬢ちゃん。よければ一緒に踊ってくれへんか?」
ゼロの言葉に何度か瞬きを繰り返したシェリルは、にっこりと笑みを浮かべる。
「情熱的なお誘い、嬉しいですわ」
手を差し伸べてゼロを助け起こし、ほんのりと頬を上気させて戦斧を振り上げる。
「それでは、踊りましょう。私の戦斧と貴方の大鎌。素敵な踊りを楽しみましょう」
「なんか思うてたんと違う……!」
振り下ろされる戦斧に、ゼロの叫びが森に響き渡るのであった。
●
「はぁ、はぁ……まだ、まだだ。もう少しで終わる」
地面に突き立てて体を支えていた剣を重そうに持ち上げるシロを木の陰から、影野が見つめる。
構えた銃の照準はしっかりとシロの姿を捉えており、影野はゆっくりと絞り込む様に引き金を引く。
音も無く、光も影も無く。
放たれたアウルの矢は、約束されていたかのようにシロの身体を貫く。
崩れそうになりながらもシロはなんとか踏みとどまり、自分を襲った新手の姿を探し求めるように視線を巡らせていた。
「次は痛いだけじゃ済まないかもな」
静かに場所を変えながら影野は独り言ちる。
影野の姿をとらえられず、近づいてくる撃退士達を警戒するシロに狙いを定める影野は、森が拓けたために差し込んでいた夕陽が遮られた事に気づいて視線を上げる。
上空には、一羽の鴉が旋回していた。
奇妙な事に片翼を失ったまま、優雅に空を舞う鴉に不穏な物を感じた影野は、鴉に向けて狙いを定める。
影野が銃弾を撃ち込んだのと、鴉が一鳴きしたのはほぼ同時だった。
「クロか……間に合った」
その声を聞いたシロはその場から姿を消し、射ち落された鴉を空中で受け止めた姿を最後に、撃退士達の視界から消え失せていった。
●
「仕留めそこなったか……」
影野は手応えを感じながらも天使も鴉も最後を見届けることが出来なかった事に物足りなさを感じて呟く。
そのまま、警戒を解かずに森が消失してぽっかりと開いたスペースに集まる撃退士達の元へと歩み寄って行く。
そのスペースには、アスハとマキナ、月詠が不穏な気配を漂わせつつ立っていた。
影野はその雰囲気を気にすることなく、遠巻きに足を止める。
姿が見えないゼロと数多、そしてシェリルを警戒して視線を巡らせる。
やがて、時をそれほど置くこともなく、数多がゼロを背負って森から現れた。
「あのメイドは帰って行きましたよ。今回はこれで満足したそうです」
どさりと地面に降ろされる白目のゼロ。
とりあえず生きているようだと見て取った撃退士達は特に顔色を変えることなく山頂へと視線を向ける。
「邪魔は居なくなったことだし、先を急ごう」
月詠の言葉に、撃退士達は無言で歩き出す。
ゼロが回収されるのは、応援先へ合流を果たした帰り道のことであった。