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少し影が伸びて来た住宅地を撃退署の職員達が駆け廻り、住民を避難させていく。
ざわざわとした気配が町全体を覆う中、エルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)は北村香苗に手で合図をして、T字路を左右に分かれて進む。
その姿は蜃気楼のように揺らぎ、人気の少ない路地に消えていく。
二人が駆け抜けた路地のほど近く、シロがドラににじり寄りながら決断を迫っていた。
「君を助けるために必要以上の怪我まで負って見せたのだよ、カルフェン嬢。さあ、隠れん坊は終わりだ。一緒に戻ろう」
左手を差し出すシロの右手には、油断なく剣が握られている。
じりじりと下がっていたドラだったが、背中が塀にぶつかり、下がる事も出来なくなる。
「く、来るな!私はジンと一緒にここで暮らすと決めたんだ!」
「カルフェン嬢……それが答え、ですか」
目を伏せて叫ぶドラに、シロが目を細めて殺気を放つ。
「ほいほ〜い。お話し中に失礼しま〜す。大物がこんなに集まったら流石に目立ち過ぎやで?」
間延びした声をかけて来たのは、缶コーヒーを入れたコンビニ袋を手にしたゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だった。
のんびりとした様子のゼロに視線を送り、シロは警戒したようにドラから一歩距離を取る。
「探し人は見つかったみたいやな。ほれ、九郎もくつろげや」
ゼロを無表情に見つめるクロに向かって缶コーヒーを投げ渡すが、クロは表情を殺した視線をゼロに向けたまま、缶を受け取る。
「ふん……調べたのか」
「他意はないで。今のところはな?そっちの坊主も納得してへんみたいやし、状況ぐらい教えてもらえんか?」
クロの足元でジタバタともがいているジンに視線を送るゼロに、クロは缶を投げ返す。
「俺の邪魔をしなければ、それで良い」
言葉少なく無表情を貫くクロの様子に、ゼロは眉を潜める。
「それでドラさん見つけてどうするの?そろそろ教えてもらいたいなっ☆」
アパートの屋根を越えて舞い降りたユウ・ターナー(
jb5471)はクロに笑いかけるが、クロは黙殺して、じっとシロとドラに視線を送っている。
その反応に、ユウ・ターナーはゼロと顔を見合わせ、かくりと首を傾げる。
「何かイメージ変わったのかな……?」
以前とは異なる反応にユウ・ターナーは首を傾げたまま、何が違うのかクロを見つめて考えるのだった。
「……何の用だ」
シロがドラに身体を向けたまま、面倒そうにゼロが来た方向とは逆を見ると、そこには大剣を手にした少女・雫(
ja1894)が立っていた。
「私達には関係ない。そう言いたそうですね」
雫は無表情にそういうと、軽く頭を振る。
「ここで暴れられると周囲に被害が出るのは明白です。介入せざるを得ません。それは貴方も望まないでしょう?」
「だったら黙ってみていろ。すぐに終わる」
シロは冷たく言い放ちドラに向かって一歩踏み出そうとするが、突然目の前に現れたアスハ・A・R(
ja8432)に視界を遮られ、舌打ちしてさらに距離を開ける。
アスハは、ドラにもシロにも目もくれず、クロが踏みつけているジンに視線を送る。
「全く……逃げるか頼るかしろ、と言ったろう」
「アスハ、さん……?」
ジンはその声にクロから逃れようとしていた動きを止め、顔を上げる。
きょとんとしたその表情は、状況に関わらず子供らしい無垢な驚きに満ちていた。
「ふん、どうあっても邪魔をするつもりのようだな?」
苛立ったように眼鏡の位置を直して、シロはジワリと圧力を高めていく。
「失礼します。少し……よろしいでしょうか」
空からシロの側へと舞い降りて来たユウ(
jb5639)がシロの殺気を逸らすように、柔らかい口調で話しかける。
「雫さん説明された通り、私達も無駄な争いはしたくないのです。敢えて邪魔をするつもりはありませんが……貴方の目的を教えて頂けませんか?」
取り囲む撃退士達を横目に、シロは肩をすくめてあっさりと答えを返す。
「カルフェン嬢は失敗しただけでなく失踪までしてしまったので探していたのさ。堕天や逃亡を追うのが私の仕事なんでね」
「ここで戦闘になれば三つ巴ですよ。それではあなたの目的は達成できないのでは?」
雫の言葉をシロは鼻で笑う。
「はっ。それなら君達が説得すると良い。荒事で困るのは君達の方だろう」
シロは剣を収めて、にやりと笑う。
「だが、邪魔をするなら……」
シロが手を上げると、座り込んでいた2体の狼型サーバントが突如立ち上がって別々の方向へと走り出す。
「何やら騒がしいがそれでも餌は沢山ある。果たしてどれだけの人間が逃げられるだろうかね」
シロはそう言ってふてぶてしく笑うのだった。
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狼が夕陽に白い毛皮を煌めかせながら、逃げ遅れた人間を探して走り回る。
走り出した狼の前に陽炎のように揺らめかせながらエルネスタが立ち塞がる。
「……騒ぎを起こさずに収められないのかしら?」
狭い路地に立ち塞がるエルネスタを警戒して、狼は唸りながら距離を開ける。
遠くの方で北村の威嚇の声が響いているところから、もう一体の狼も抑えられているようだ。
「こっちは抑えてるわ。会談は任せたわね」
通信機に告げると、紅蓮の槍を振って地面に一本の線を引く。
「大人しくしていなさい。それ以上踏み込むなら容赦しないわよ」
言葉が通じたわけでもないだろうが、エルネスタの殺気を浴びて狼は隙を伺うように踏み込まずに唸り声だけを上げるのだった。
「……だ、そうだ」
通信機から漏れてくるエルネスタの声をシロに聞かせて、アスハは片手に魔具を現出させる。
シロは薄ら笑いを浮かべて、アスハの動きに応えるように剣を抜く。
「あれだけが手段だと思うのか?まあ、良い。邪魔をするならまず君を始末させてもらおう」
「邪魔?しないさ。こちらが彼女を殺しても問題あるまい?」
アスハは片手を背後のドラに向けて振るう。
五指につながる細い金属の糸が、それぞれ生命を持ったかのようにうねり、ドラの周囲を取り囲む。
「やめろぉっ!」
シロは制止の声と共にアスハに向かって剣を突き出す。
両者の動きはその場にいる誰もが予想しておらず、誰も動けないままに鮮血が地面を濡らす。
緊急活性した藍色の布を巻きつけた右腕でシロの剣を逸らせようとしたアスハだったが、手の甲から肩口にかけて切り裂かれている。
「助けたいなら素直に、話すんだ、な」
完全に視力を奪われてしまったアスハは、見えなくなった眼差しをシロが居ると思しき方向へ向けて呟く。
「結局はこうなるのですか!」
シロが飛び出したのを見て、雫は身体に似合わない武骨な大剣を振り上げる。
「剣を引きなさいっ!ここで暴れることは許しませんっ!」
ユウは漆黒の大鎌を構え、雫と共にシロへと肉薄する。
雫の大剣から放たれたアウルの刃がシロを襲い、ユウの鋭い突きがシロを捉えたと思われた次の瞬間、シロの姿は掻き消え二人の背後に現れる。
無防備な背中を見せた二人に向かってシロは剣を振り上げるが、二人との間に飛び込んで来た黒い姿に剣を止める。
「やれやれ、急いては事を仕損じるって言葉知らんみたいやな。大丈夫や、今日は喧嘩なしやで」
寸止めで止められた剣の刃先を大げさに避けながら、ほい、とシロに良く冷えた缶コーヒーを差し出す。
「なんやよう分らんけど、話はこれからや」
なあアスハさん、とゼロが振り返った瞬間、爆発が起きた。
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シロがアスハを斬りつけた時、その場のすべての視線が二人に集中していた。
一瞬の空白地帯に居たクロは静かに左手の小指を口許へ運び、喰い千切る。
「シロ、お前は甘すぎる」
クロは小さく呟き、銃に自分の小指を詰める。
そして無造作にドラに向けて銃を構える。
「何してるのか分からないけど、それはやらせないよっ☆」
クロの様子に平常とは異なる雰囲気を感じていたユウ・ターナーだけが、クロの不審な動きと呟きに気づき、とにかく動きを止めようと背後から釘バットで殴りつける。
完全な不意打ちに地面にクロは勢いよく地面に転がる。
だが、転ばせることを目的とした一撃は、クロの意識を奪う事は無く、転がった反動でクロは引き金を引いてしまう。
それと共に鳴り響く銃声。そして爆発。
暴発した銃は、クロを縛り上げようと近づいていたユウ・ターナーに至近距離から直撃し、天の性質を帯びた爆発がユウ・ターナーの意識を一瞬で刈り取るのだった。
エルネスタの前で身を屈めていた狼型サーバントは、爆発音を合図に地面を蹴って飛び出してくる。
「未来を越えるには、遅すぎるわ」
左目に浮かぶ天蠍の紋章が描き出す未来の光景。
エルネスタは、予測通りに飛び込んで来た狼の牙を紙一重で避け、その動作を攻撃につなげる。
紅蓮の閃光となって繰り出された槍は、一刺しに狼の身体を貫く。
身を捩って抜け出した狼の足元を無数の蔦が縛り上げ、エルネスタは蔦を潜り抜け、狼の背後へと駆け抜ける。
脱出しようともがく狼の頭上から、白雪のように冷たい光を帯びた紅蓮の槍が一気に振り下ろされ、その首だけが拘束から逃れて転がっていく。
「……避難を急ぐ必要がありそうね」
天使と対峙している仲間達の居る方へ視線を送り、すぐに撃退署の職員達と合流して避難誘導を続けるのだった。
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クロの銃弾がユウ・ターナーを吹き飛ばした事は、誰もが予想外であり、わずかな時間だが状況把握の為に動きが止まる。
戸惑いから最初に抜け出したのはジンだった。
目の前に転がるクロに向かって駆け出すと同時に、筆を抜いて自らの左腕に絵を描き始める。
「ドラは僕が守るんだっ!」
左腕に描かれたのは、鎌のように鈍く光る大きな刃物だった。
一本の鎌と化した左腕を振り上げ、体勢を立て直そうとするクロに向かって体当たりをする。
「ぐぁぁっ!」
勢い余ったジンと一緒にさらに転がったクロは、苦悶の声を上げて右肩から血を噴き上げながらのた打ち回る。
「誰にも、触れさせない……」
「ジン!それ以上は駄目だ!」
目を血走らせたジンがさらに追い打ちをかけようと筆を振り上げ自らの体に描こうとするのをドラが制止する。
「それ以上力を使うな!戻れなくなっちゃう!」
「でも……僕が守らなきゃ!今度こそ……!」
ジンはドラを振り切り、クロに迫ろうとするが、空から降って来た傘に視界を妨げられる。
「やあ、御機嫌よう。久しぶりだね、元気そうじゃないか」
腕を失って呻きを上げるクロの上に着地して、ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は芝居がかった様子で傘を回す。
片手に持っていたアイスの最後の欠片を口に放り込み、周囲の様子を見渡して、アイスの棒を放り投げる。
「君の意志を尊重したくはあったのだけどね。残念ながらアイスも無くなってしまった。ここらで終わりにしようじゃないか」
うんざりとしたような表情を大げさに浮かべて肩をすくめる。
「そこの白い君はドラ君を助けたい。ドラ君はジン君を助けたい。ジン君はドラ君を助けたい。ならば、答えは決まり、2人とも連れて行きなよ」
ハルルカの言葉に応えるように、クロがうめき声を上げるがハルルカは無視してシロに話しかける。
「その使徒を助ける義理は無いね。殺さないまでも連れていく必要はない」
シロは冷たい眼差しをジンに向けて、興味無さそうに返事をする。
その声に反応して、アスハが一歩踏み出す。
「ゲートを捨ててまで守り合った仲、だ。……引き裂くにしろ道理は必要だろう」
アスハの言葉に、シロはチラリとドラとジンの様子を見る。
覚悟を決めたような表情でドラの前に立つジンと、彼の服を握りしめるドラの姿に、眼鏡をくい、と押し上げる。
「あぁ、そうだ。2人を互いに人質にしてしまえば大人しくもなるさ」
アスハの言葉を引き継ぐようにハルルカが唆す。
「くく、それに、キミはドラ君を助けたくてたまらない様じゃないのだろう?選択肢は他にないんじゃないかい?」
ハルルカの指摘にシロは何かを言いかけて、不機嫌そうに口を曲げて黙り込む。
そのやり取りにシロが答える前にジンが叫ぶ。
「でも、捕まっちゃえば絵を見せてやれなくなっちゃう。ドラに見せるって約束したんだ!」
だが、ハルルカは両手を広げてひらひらと振り、くすり、と笑う。
「絵は何処でも描けるさ?どの道このままだと絵が描けなくなりそうじゃないかい、キミ。それよりもまだ見ぬ世界へドラ君と一緒に行きたまえよ」
「でも、それじゃドラが……!」
ジンはドラの境遇について、最後まで口にするのを怖がっているように口をつぐむ。
そんなジンの様子を静かな目で見ていたドラは、ジンの肩をそっと押して道を開け、シロの前に足を踏み出す。
「私達は一緒だ。それが最大の譲歩。私を、助けてくれるだろうか?私はまた、ジンの絵を見られるのだろうか?」
ドラの言葉に、シロはくせ毛を手櫛で整えながら、しっかりとドラを見つめて頷く。
「善処するよ。だが、私が動いている時点で、カルフェン嬢を救おうとすることは許可されていると考えていいだろう。数十年の禁固で済むんじゃないか、と思っているよ」
そして、眼鏡を押し上げながらハルルカを見つめる。
「そろそろその使徒を開放してくれないか。いずれまた使い道があるだろう」
「おっと、足場が不安定だと思っていたらこんな所に居たのかい。何してるんだい、キミは?」
ハルルカは踏み潰していたクロからひょいと降りて呆れたように声をかけるのだった。
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ジンは最後尾を歩いていたが、足を止めて振り返ると深々とお辞儀をする。
「色々とありがとう。また、絵を描くよ。きっと、誰も見たことの無い絵を描けるんじゃないかな」
鎌になった腕にはドラの幻影がかけられ、普通の腕に見える。
その腕を抱きかかえて天使達の後を追って歩き出したが、再び足を止めて振り返る。
「あ、そうだ。絵……ドラに見せる事が出来たら、見せに来るね。その、約束、したから!」
ジンはアスハに笑いかけ、小走りで駆けていく。
「そういえば、そんな事も言った、か」
アスハはジンの背中を見送りながら、ポツリと呟く。
再びジンがこの地を踏むまでにどれほどの時間がかかる事か、と思いを馳せらせ、軽く溜息をもらすのだった。
「いったぁい……。あれ、終わったの?」
気絶していたユウ・ターナーが意識を取り戻して、周囲に視線を巡らせると、ぐったりとしたクロを抱えたシロが、ドラの腕を取って遠ざかっていくところだった。
エルネスタ達が、天使達が町中から去るまで監視を行うために距離を取ってついて行く姿も見える。
「大丈夫かいな。えらい目にあったなぁ」
ゼロはユウ・ターナーを助け起こして缶ジュースを渡す。
自分でも缶コーヒーを飲みながら、シロに担がれたクロを見送る。
「そんなんで良かったんかいな、九郎……」
一瞬感傷を見せたゼロだったが、すぐに缶を呷って、あくびをする。
「ま、ええか」
肩をすくめて背を向けるのだった。