●
「……まぁ」
月乃宮 恋音(
jb1221)は目の前に広がる光景に感嘆の声を漏らす。
岩山を模した園内の施設に、仔犬ぐらいの大きさのワラビー、小さなカンガルーの群れが思い思いに過ごしていた。
とりわけ目を引いたワラビーを見ていると、月乃宮に気づいたのかピョンッと塀の上まで飛び上がって愛らしい眼差しを向けてくる。
「あ、よかったら餌をあげませんか?」
驚いて固まっている月乃宮に、女性飼育員が笑顔で声をかけてくる。
「……ぇっと……ぁ」
どうぞどうぞと笑顔で押し付けられた餌の袋を手に月乃宮は小さな声で反応するが、ワラビーの期待に満ちた視線に負けて袋から餌を人すくい取って差し出す。
もしゃもしゃと月乃宮の手のひらに乗った餌を食べるワラビーに、月乃宮はほっこりと笑顔を向ける。
「可愛いでしょう?この子は人懐っこくて……あっ!」
手のひらの餌がなくなったワラビーは更なる餌を求めて、月乃宮の胸にふよん、と飛び乗って来た。
話しかけていた飼育員も驚いて声を上げるが、どちらかと言えばワラビーの行動よりもその足元に広がる悠久の双丘に驚いていた。
「わ、わ、ごめんなさいっ。今どかしますから……その、そ、そこからっ」
その証拠に、ワラビーをどかそうと手を伸ばすが、牡丹の花が淡く描かれた浴衣の間に収まったワラビーに視線を向けられない。
「……いえ、大丈夫ですよぉ。ほら、大人しいものねぇ」
月乃宮は飼育員の様子には気付かずに、ワラビーの柔らかい毛の手触りをもふもふと楽しむのだった。
「……あの、花火を見るのに穴場な場所ってあります?」
月乃宮がすっかり馴染んだワラビーを撫でながら飼育員に尋ねる。
飼育員はちょっと考えて、少し遠くの山を指さす。
「少し遠いんですけど、花火を上から見る事が出来るって地元では結構有名ですよ」
月乃宮はお礼を言って歩き出す。
お土産(最後までぎっしり明太子が詰まった焼き菓子)も買ったし、あとはゆっくりと花火を楽しみましょう、とにっこり笑うのだった。
●
西の空が赤く染まってきた時刻。
少し提灯の灯りが明るく見えだしたお祭り会場では、夜店の賑わいが一際大きくなってきていた。
焼きトオモロコシにかじりつきながら歩いていた雫(
ja1894)は次々と屋台を覗き見ては溜息を漏らす。
「屋台の値段は如何して高価なのでしょうね……」
今日は無駄遣いをしない、いや、控える……控えめにすると硬く心に決めていた。
そう簡単に無駄遣いをしないんだ、といつの間にか買ってしまったたこ焼きの袋を握りしめて再び心に誓う。
「デザートに林檎飴……いえ、ソース煎餅も捨てがたいですね……」
そして一歩踏み出すなり視線を彷徨わせはじめた雫は、一つの屋台に視線を止める。
「これは……可愛いですね」
夏の定番と言えばやはり、金魚すくいである。
涼し気に金魚が入った水袋を手に下げて夜店の間をある事こそ粋というものだ。
ポイを持って真剣な表情で座り込んだ雫は、そのまま暫し固まる。
「金魚が……私の近くに来ない」
滲み出るような威圧感を感じたのか、偶然そこに居ると食べられるという予感が金魚を襲ったのか、固まり続ける雫と冷や汗を抑えられない店主の姿は、時間が止まったかのようにそこにあり続けるのだった。
それからしばらくして、型抜きの屋台で高難易度の『傘』を抜く雫の姿があった。
「……話しかけないで下さい。集中力が殺がれます」
その姿は一流の彫刻家を彷彿させる緊迫感が漂っていたという。
●
がやがやとした賑わいを見せる夜店。
晴れやかな花毬柄が藍地に生える浴衣を着た蓮城 真緋呂(
jb6120)が楽し気に歩いていく。
「う〜ん、おいし〜い」
手にしたカラフルなチョコバナナを可愛くはむりと口にして、幸せそうに眼をつぶって味わう。
「さて、次は何にしよっかな〜」
瞬時に食べ終わってしまったチョコバナナの余韻を楽しみつつ、次はどこに行こうとキョロキョロしていると、突然後ろから声をかけられる。
「お姉ちゃん探し物かなー?俺達も一緒に探したげよっか」
軽い口調で話しかけて来たのは、派手な髪型に浴衣を着崩した若い男の二人ずれ。
「え、良いの?次何食べよっかなって思ってたんだけど」
可愛く首を傾げる蓮城にニヤリと笑う男達。
「あ、そうなんだ丁度俺も何か食べたかったんだよね」
「俺達が奢ってやるよー」
連城の様子を見てこれはイケルと思ったのか、男達は上機嫌に口を滑らせる。
「え、御馳走してくれるの?嬉しい♪」
純粋な笑顔で応えて、連城は早速とばかりに屋台へと駈け込む。
「そのから揚げ串と、焼き鳥とー。箸巻きに、じゃがバターでいっかなー。あっ、イチゴ飴も食べておかないとねっ♪それから……」
猛然と注文しだした蓮城の姿に、男たちはひきつった笑顔でそっと人ごみに消えていくのだった。
「あ、そうだ。あなたたちも食べるんだったよ、ね……?あれ?居なくなっちゃった。ま、いいか。タコ焼きと綿あめもたべなくっちゃっ」
夜は始まったばかり、まだ見ぬ料理の数々に蓮城は胸を躍らせるのだった。
●
からん、ころん。
慣れない浴衣は歩きにくいけれど、下駄が鳴る音は何故だか愉快に感じる。
ラナ・イーサ(
jb6320)は転ばないように帯を掴んでいるネイ・イスファル(
jb6321)を見上げて首を傾げる。
「悪いね。付き合わせて」
「いいんですよ。人界はいつも賑やかで活気に満ちてますね」
のんびりと歩くネイは周囲の賑わいにわずかに口を歪める。
「そろそろお腹空いたね。良い匂いが漂ってるから仕方ないよね」
ラナが香ばしい香りを漂わせているイカ焼きの屋台に惹きつけられたように目を細めてネイに話しかける。
「……最近食べ物関係ばかり巡っているような……いえ、良いのですが」
ラナに引き摺られるように、屋台へ入ったネイは苦笑を浮かべつつもイカ焼きを買ってラナに渡す。
「ラナさん……いつのまに……」
ネイがイカ焼きを差し出したラナの手には小麦色の泡だった飲み物が握られており、逆の手で素早く受け取ってもきゅっと口に入れる。
もぐもぐと口を動かしながら頃合いを見計らって、こきゅっ、と小麦色の命の水を流し込む。
「……それを、私にも」
ネイはおいしそうにのど越しを堪能するラナの様子に興味を持って、自分も同じものを頼んでみる。
慎重にカップを口に運び、白い泡をちびりと舐める。
端正なネイの眉がきゅっと顰められ、目にはうっすらと涙が滲む。
「……苦いです」
そんなネイの様子を不思議そうに見つめて、ラナはいつの間にか買っていたステーキ串を一口食べて、片手に持ったカップで一気に流し込む。
「慣れたら美味しいよ。人間界の味はなかなか病みつきになる」
ラナの健啖っぷりに圧倒されたように見つめていたネイは、自分が持て余していた飲み物に気づいて、ラナに渡すのだった。
そんなネイだったが、甘い匂いに誘われてたい焼きの屋台で立ち止まる。
「ネイさんは割と甘党だね」
肉のうまみとホップの香りを楽しみながら、ラナはネイの選んだ屋台に意外な気持ちを隠さない。
ネイはたい焼きのお腹からカプリと食べ、満足そうに頷いている。
「いえ、別に甘党ではありませんよ。辛いのだって好きですよ。……苦いのは勘弁してください」
苦笑を浮かべてラナの言葉を否定するネイだったが、たい焼きを食べつくすと、店主に追加を頼む。
「美味しいですよね、これ。家では作れませんし。……お土産ですよ?」
へー、という顔で見つめて来たラナに、ネイは自分の食べる分ではないと言い訳のように付け足す。
ラナは分かってるとうんうんと頷く。
「まぁ、こういう、外での食事もまたオツなものだが」
ネイの顔に、くすり、と素直な笑みが浮かんだのは光の加減だったのだろうか。
ネイとラナは賑やかな雑踏の中へと離れないように歩いていくのだった。
●
「あっ……!」
パウリーネ(
jb8709)は駆けこんだ屋台に見つけた林檎飴に手を伸ばそうとして、それがトマト飴であることに気づいて悲嘆のの声をあげる。
絶望に顔を覆うパウリーネの肩をとんとんと叩いて、ジョン・ドゥ(
jb9083)は隣の屋台に注意を向けさせる。
「そう落ち込むな。ほら、あっちの屋台には林檎飴があるぞ」
ジョンの声にパウリーネはがばっと顔をあげて、林檎飴を探す。
「こっちだ。走って逸れるなよ」
その視線はさながら狩人の目つきのようで、ジョンはころころと表情が変わるパウリーネに微笑みを浮かべて、手を引いて林檎飴の元まで連れて行き、美味しそうなものを一つ取って渡す。
「これを……これを食べたかったんだ!」
嬉しそうに林檎飴を口に持って行くパウリーネと一緒にジョンは祭りを楽しむ。
ジョンは屋台を眺めながら、ふと疑問を口にする。
「スーパーボールすくい、か。金魚を掬うのに使うポイと同じなのかな?」
その呟きにパウリーネはシュタッと片手を上げる。
「スーパーボールすくいやりたいですお兄さんっ!」
パウリーネの勢いにジョンはそうか、と頷いて屋台目掛けて人ごみをかき分けて歩く。
「スーパーボールすくいは浪漫なんです!ポイの限界に挑み、破れたその瞬間の絶望感!持って帰った時に置く場所に悩むあの感じが最高なんです!」
熱く語るパウリーネにポイを渡してジョンは一緒に座り込んでボールを狙う。
そっとポイを水に入れてボールをすくい上げる。
流れる水がポイを揺らし、ボールを逃がしていく。
「ふむ、なかなか難しいな」
破れ始めたポイに悪戦苦闘するジョンに、パウリーネは慣れた手つきでやって見せる。
「ふちで弾くように、こうやって……ほらっ取れた!見て見て!綺麗な赤いやつ取れたよ!」
子供のようにはしゃいだ姿にジョンの微笑みで気づいたパウリーネは我に返ったようにコホン、と咳払いをしてボールをジョンに差し出す。
「……う、えーと、折角だしこれはジョンにあげる!」
結局パウリーネは持ちきれないほどのボールを取り、綺麗な色だけを選んで獲得したのだった。
二人で金魚の絵が描かれた袋にボールを入れて、次は何をしようかと歩き出す。
「ふー……若干喉が渇いた……」
あれだけ楽しめば喉も乾くか、とジョンは笑い、目に留まった夜店を指さす。
「それじゃ、アレはどうだ?」
「あっ!ラムネ飲みたいっ!」
パウリーネはジョンの腕を引っ張って歩き出す。
雑踏に二人は消えて行き、さらに祭りは賑やかになっていく。
●
「今日は目一杯楽しまねぇとなっ!」
大狗 のとう(
ja3056)は目の前に広がる夜店の輝きにテンション高く友人達に呼びかける。
その声に応えて、真野 縁(
ja3294)も鼻息も荒く両手の拳を握りしめる。
「はりきって買い込むんだね!端から端まで全制覇なんだよー!」
「三人で全制覇を目指すのなっ!」
制覇に向けて気合いを入れる二人の間から、紅 鬼姫(
ja0444)は腕を伸ばして一つの屋台を指さす。
「お祭りには作法がありますの」
指さした先には色とりどりのお面が並んでいた。
「いっしし!二人とも似合ってるのな!」
ひょっとこのお面を斜めに被った大狗は二人の友人を見て嬉しそうに笑う。
「お面ってかっこいいんだね!二人とも可愛いんだよー!」
真野は久遠戦隊のお面を被って目をキラキラとさせている。
「私は何にしようか迷いますの……これなら食べられそうですの」
紅が綿菓子を買っている間に大狗と真野は両手に持ちきれないほどの食べ物を抱えていた。
「次がまだあるよーっ!次行こうっ!」
抱えきれない筈なのにさらに増えていく食べ物。
その訳は真野の口の端についた串のタレが物語っているが、大狗は自分の荷物が軽くなっている事に気づかないまま、新たな料理をゲットしに走るのだった。
結局、3人が両手に荷物を持って場所を取っていた小高い丘にたどり着いたのは、間もなく花火大会が始まるという時刻だった。
さっそく焼きイカと焼きトウモロコシを両手に持って、幸せそうにぱくぱくと食べだす。
「にししっ、いっぱい買ったにゃ。焼きそばに林檎飴に、串焼き……あれ、串焼きどこに行ったのだ?」
「ほらほら、もう始まっちゃうよー」
無くなった串焼きを探そうとしていた大狗に、口の周りをベタベタと汚した真野があきらめさせようとしている。
紅は冷やし飴と綿菓子を近くに置いて、持っていた真野の買った食べ物を渡す。
「少々買い過ぎてしまったかもしれませんの……二人とも、そんなに食べられますの?」
自分の買った分だけでも持て余しそうに感じ、二人の料理の量にかくりと首を傾げる。
「夜風が気持ちいいな……」
大狗は空を見上げて吹き抜ける風を気持ちよさそうに受け止める。
そして、風に乗って来たイカ焼きのおいしそうな香りにお腹がなり、少し顔を赤らめるのだった。
「は、花火は始まるまでソワソワするのだ」
言い訳にはなっていないが、そう言って大狗も買ってきた焼きそばに手を伸ばす。
そんな様子を見て、紅はぽんと手を叩く。
「そうでしたの。鬼姫、お紅茶を用意しますの」
持参したカップにこちらも持参した魔法瓶から注いだ紅茶を二人に差し出す。
なんていう女子力なんだ、と感心する二人を余所に、自分のカップにも注いだ紅茶を一口のみ、その上品な香にほぉ、と溜息をついて空を見上げる。
「……あ。始まりましたの」
ポツリとつぶやいた紅の声は、続く爆音にかき消される。
次々と上がっていく花火の競演に、3人は言葉を失って見とれる。
「夜空に咲く華……綺麗ですの」
「うぉうー……綺麗だなー」
思わずといった風情で微かな感動を覗かせる紅と、普段の賑やかさが影を潜める大狗。
そんな様子に真野は嬉しくなって大きな声で叫ぶ。
「た〜まや〜!なんてね!」
その声に大狗は立ち上がって一緒になって叫ぶ。
「たーまやーっ!」
にゃははっと笑い合う二人に紅も立ち上がって空を見上げる。
ふと、紅が目線を下げると、あれほどあった料理がすべてなくなっていた。
「……もう無くなってしまいましたの。……魔法の様なお腹ですの」
足元に散乱する食べ物の包み紙と、小さな真野の姿を見比べて紅は目をぱちくりと瞬かせるのだった。
「鬼姫と縁。一緒に見れて俺ってばとっても嬉しいのなっ」
花火の合間のわずかな時間に、大狗は縁に話かける。
真野が振り向くと、大狗と紅が手にした袋から可愛くデコレーションされた小さな包みを取り出していた。
「縁が誕生日なので鬼姫と一緒にお祝いするのだっ!サプライズ、ってやつだな!」
差し出されるプレゼントに、真野は驚いて口元に手を当てる。
「鬼姫は風鈴と、3人で食べようと思ってゼリーを選びましたの」
真野が包みを開くと、金魚の絵がつけられた可愛らしい風鈴と、小さな星が散りばめられた青いゼリーが出て来た。
「俺ってば懐中時計を選んだのだっ!にひひ、面白いだろう?誕生日おめでとうな!」
大狗から贈られた小さな懐中時計には文字盤に星が散りばめられたような不思議な色合いをしていた。
「ふ、二人とも大好きなんだよーっ!」
真野がプレゼントを大事そうに手にして、二人に抱き着く。
それと同時に、花火が再開され、煌めく天の華の灯りがいつまでも抱き合っている3人を、祝福するように照らすのだった。
●
「人が多くて蒸し暑いよ、百目鬼君」
長身の二人連れが夜店の間を歩いている。
「あゝ、暑いね。クーラーの風が恋しいよ。百目鬼君。どうしてこうなったんだか、ねぇ、百目鬼君」
気鬱げな尼ケ辻 夏藍(
jb4509)が隣を歩く百目鬼 揺籠(
jb8361)にうんざりとしたように話しかける。
「でぇい、尼サンはしつこいですぜ!」
黙って歩いていた百目鬼だが、すぐに苛立ったように怒鳴る。
「夏がきたってぇのにいつまで引きこもってんですかぃ。てめぇのせいでクーラー代嵩んでんですよ」
怒鳴る百目鬼に対して、尼ヶ辻はそっぽを向いて知らぬふりをしている。
なおも言い募ろうとした百目鬼は尼ヶ辻の視線の先を追って、にやりと笑う。
「お、良いのやってんじゃねぇですか。冷やかしましょうぜ」
視線の先にあるのは輪投げの屋台。
「負けたら奢りですぜ」
にやりと笑う百目鬼に少しイラッときたのか尼ヶ辻は頷いて屋台へ足を向けるのだった。
「おーやおや、尼サン。占いは当てるくせにこっちはノーカンですかぃ?」
いくつか外してしまった尼ヶ辻に対して、百目鬼は余所見をしながらひょいひょいと投げて全て当ててしまう。
「百目鬼君は単純だね。そんなに得意気になって、まあ」
尼ヶ辻は肩をすくめて知らぬふりをする。
景品を受け取りながら、百目鬼はくすりと笑う。
「何とでもいいなせぇ。俺の勝ちが悔しいなら悔しいって言うもんですぜ」
百目鬼の言葉に尼ヶ辻がぴたりと足を止める。
「勝ち……?誰が勝負は1番だと言ったんだい?」
怪訝そうな表情を浮かべる百目鬼を残して、尼ヶ辻が歩み寄った屋台には『金魚すくい』の文字が描かれていた。
「くっ……無事な部分はもう残りわずか……次で決めますぜ」
真剣な表情で金魚の動きを見定める百目鬼。
その手にもたれたポイは散々に破れ、形を保っているのが不思議なほどであった。
構える手の震えが止まり、ここ一番の集中力を見せる。
「おやおや、百も目がある割に魚を捉える事も出来ないのかい?」
くすり、と鼻でわらった気配を感じ、百目鬼の手がピクリと揺れる。
次の瞬間、狙っていたのとは違う金魚がポイに飛び込んできて、あっけなく敗れ落ちるのだった。
「あーもー!誰かさんが横でごちゃごちゃうるせぇから破られちまったじゃねぇですか!」
「横で話しかけられても私は失敗しないがね。そもそも百目鬼君の方が煩いじゃあないか」
言葉に詰まった百目鬼の喉から、ぐぬっ、と妙な声が漏れるのだった。
人ごみを離れてビルの屋上で、尼ヶ辻は焼きそばを食べている。
「ったく、これだから人見知りは困りまさぁ」
百目鬼は尼ヶ辻の隣で安全柵に寄り掛かりながら綿あめを舐めている。
そんな二人を大輪の花火が照らし出す。
「へぇ。いつの世も花火ってぇのは綺麗なもんですねぇ」
「まぁ、花火自体は悪くはないね」
百目鬼の感嘆の言葉に、尼ヶ辻も同意を述べる。
「ほぉら。偶には外に出るのも良いもんですぜ」
自分のお陰だと言わんばかりの百目鬼の顔を見て、尼ヶ辻は肩をすくめて答えるのだった。
「次は1年後か、短いね」
「何で来年まで引き籠る話になってるんですかねぇ」
色取り取りの光に照らされながら、仲良く口喧嘩は続くのだった。
●
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は取り逃がした使徒・クロこと『春坂九郎』について、調べていたが手がかりは得られずにいた。
息抜きに訪れたお祭りで羽を伸ばそうとぶらりと歩いていると、頭を抑えて呻いている北村を発見して声をかける。
「北村ちゃんやないか。どないしたんや?」
「うぇっ!?ゼ、ゼロさん……!い、いや、えーと……」
北村が抱えているバケツのようなかき氷と背後の看板に書かれた『10分で食べたら1万円!』の文字を見比べて、ゼロはにやりと笑う。
「なんや祭りやのに色気無い事しとんなぁ。一緒に行くか?」
「あ、行きますっ……うげっ」
元気に立ち上がってついて行こうとした北村だったが、店主に首根っこを掴まれてお代を払わされていた。
財布の軽さに涙目の北村に「ほれ」と熱々のたこ焼きを渡して慰める。
「そういや、狩野さんはどないなん?」
「はふっ、お医者さんの、はふっ、話では峠は越えたので後は狩野さんの体力次第だとか……あふっふぁっ」
たこ焼きを頬張って目を白黒させている北村だった。
「そうか、そいつは良い話やな。そういや奴等が探しとったドラって誰なんやろうなぁ」
「あっ、それ知ってますよ。多分、この辺りで騒ぎを起こしていた天使じゃないかな……。狩野さんが詳しんだけど」
ほぉ、と面白そうに笑うゼロだったが、唐突に背後から肩を掴まれる。
「おい、春坂っ!てめぇ、よくものこのこと……っ!?うわっ、すまん!人違いやった!」
「ええよええよ。ただ、ちょぉっと話聞かせてもらおうか……。あ、北村ちゃんは狩野さんにその話よう聞ぃとってな」
お土産にたこ焼き買って帰りぃとお金を渡して北村を先に帰らせ、ゼロは男を引き摺って暗がりへ消えるのだった。
●
花火大会は最高潮に盛り上がっていた。
その花火を最も近くで見ていたのは雪室 チルル(
ja0220)だろう。
一番高い所で花火を見るのだと気合いを入れて選んだ場所は、湾にかかる大橋の柱の上。
吊り橋であるこの大橋の中央の柱は花火に最も近く、かつ高い位置にあり、真っ直ぐ花火を見られる最高のポジションだった。
若干どころではないほど危険な場所ではあったが、その迫力に目を輝かせている雪室にとっては大きな問題では無かった。
この場所を確保するために、撃退士として最大限に後片付けを行うことを約束して、大量の資材を運んで見せたりとアピールしたのだ。
許可をもらったのは橋の上だったが、ここも橋の上には違いなく、より高い所を目指す雪室は頑張ってよじ登って来たのだった。
「夏と言ったらやっぱり花火大会よね!」
連続して打ち上げられた花火がバリバリと空を焦がす音に、雪室は大きく叫ぶ。
「た〜まや〜!ってこういう時に言うのよね!」
花火に取り囲まれたような幻想的な光景に、雪室は手を打って喜ぶ。
「か〜ぎや〜!……あれ、なんでかぎやって言うんだろう?まあ、細かいことは気にしないわ!」
また一つ打ち上げられた大きな花火をキラキラとした目で見上げる。
ただ、雪室は知らなかった。
この花火大会の最大の大仕掛け、ナイアガラの滝と呼ばれる花火が足元の橋の下に仕掛けられている事を。
その花火を見ようと身を乗り出して係員に見つかる事になるのだが、それはまた別のお話で。
●
「どこか良い場所はない、です?」
チョコバナナやチュロス、綿あめなどを両手に抱え、華桜りりか(
jb6883)は迷ったように辺りを見回す。
花火を見るのに高い場所は無いだろうか、と視線を巡らせた先は湾を見下ろすような小高い山。
街の光を映し出してぼんやりと白む空に、突き出したような人工物のシルエットが見えた。
「展望台……です?ちょうど良さそうなの、です」
呼び出した鳳凰に乗り、ふわりと夜空に舞い上がるのだった。
真っ暗な展望台を歩いて一番良く見渡せる場所に座る。
最初の花火が打ち上がり、この場所を選んで正解だったと華桜は満足気にチョコバナナを一口食べる。
ふと、気配を感じて隣を向くと、そこに最近見知った天使の顔があった。
「……どうぞ、ですよ」
自然な動作で華桜が差し出したチョコバナナを、シロは戸惑ったように受け取るのだった。
「私を邪魔しに来たわけではない、のだな」
チョコバナナが気に入ったのかもぐもぐと食べながら、花火を見つめてシロはポツリと呟く。
「花火を楽しみに来たの、です。綺麗なの……みなさんの気持ちが少しでも安らぐと良いの……です」
ふん、と鼻息を一つついて、シロは黙って花火を見つめる。
そのまま花火を見つめていたが、今度は華桜が話しかける。
「馴染みの方を連れ帰るのに戦う事は必要なの、です?」
「言ったはずだ。邪魔するな、と。邪魔が無ければ戦うつもりはない」
シロの答えを聞いて、華桜は一枚の紙を渡す。
「こう……歩み寄れたらと思うの、です」
シロは黙って紙を仕舞い、花火を見つめるのだった。
●
「ほら、こっち。ここなら周りの光も遮られるから花火が綺麗に見えるはずさ」
黒い生地に赤い縁取りを施した振袖のように大きな袖とがついた、同じく黒と赤を基調としたフリルの多めなドレスの、短めのスカートをくるりと回して、帝神 緋色(
ja0640)は恋人の桜井・L・瑞穂(
ja0027)に振り向く。
「本当に。素敵な場所を見つけましたわね、緋色っ♪」
桜井は淡い水色の生地に白い花を散りばめた浴衣を着て、帝神に手を引っ張られるまま周囲を茂みに囲まれたベンチへと座る。
少し小高くなった丘にある小さな公園。
あまり管理されていないのか、生い茂った茂みが周囲を隠すように育ち、ベンチは花火だけが見えるような特等席となっていた。
桜井の頬がほんのりと染まって見えるのは、ここまで歩き慣れない浴衣で小走りに走って来たからなのか、花火に照らされているからなのか、それとも帝神の手がぎゅっと手を握りしめているからなのか。
周囲にも人の気配は無く、ベンチに座った二人は、二人だけの為の世界でそっと寄り添う。
お互いの温もりを感じながら空を見上げていると、赤い花火が空に満開に咲き、遅れて花火の炸裂音と振動が体に響き渡る。
「最高の気分ですわ……ふふふ」
花火を見上げていた桜井の耳元に、帝神が吐息がかかるほど近くで囁く。
「ふふ、でもこうやって二人きりで花火を眺めるって……何か」
耳にかかる息にひくり、と身を震わせながら、緋色を見るとじっと桜井を見つめる悪戯っぽい帝神の瞳に視線がぶつかる。
「……緋色?如何しましたの?」
さらに近づく帝神の顔に、桜井は少しのけぞりながらも期待をするように唇が震える。
「何か……雰囲気出てきちゃうよね……♪」
これ以上近づけないほどの距離で、互いの体温を味わう二人を、花火だけが照らし続けるのだった。
●
「きゃっはぁ」
盛大に打ち上がった花火に歓声をあげるのは黒百合(
ja0422)だ。
「夏と言えば祭り、そして花火ィ……楽しまなきゃ損よねぇ♪」
かき氷を片手に祭りを楽しんでいる黒百合だったが、通りすがりにスリを打ち倒して警備に引き渡したり、迷惑なナンパ男どもを蹴散らしたりと、治安維持にも抜かりはなかった。
撃退士としてきたからにはゆっくり楽しめと言われても、ある程度は協力すべきだろうと目に留まった範囲でつかまえていたのだった。
そして、おもむろにカメラを取り出して、撮影始める。
学園で見かけたことのある顔もチラホラと見かけ、その祭りの記念に取っておいてやろうという気持ちもある。
それに、人の集まるところには案外何かが潜んでいる事に気づかないものだ、と写真を残しておけば何か見つかる可能性があると思われたのだった。
型抜きを全制覇する少女や、山ほどの食べ物を持って楽しそうに歩く女性、友人同士で祭りを満喫する人々など、思い出となる写真が沢山撮影された。
その撮影された写真の数枚に、後日大きな騒ぎとなる人物が映し出されていることには、その時には黒百合にも分かっていなかった。
その写真には、ドラとジンが浴衣を着て竹馬に乗っている姿が映し出されていたのだった。
不思議な事に、周囲も、撮影した黒百合さえもそれがおかしな事だとは思っていなかったのだった。
●
花火大会の会場は花火だけでなく観客の格好もきらびやかだ。
特に女性の思い思いに着飾った浴衣姿は、恋人や友人との思い出に欠かせない大きな要素の一つである。
(……この場違い感)
陽波 透次(
ja0280)は常に無く虚ろな目付きで心静かに花火を楽しめる場所を探して、彷徨っていた。
普段ならば考えられない事であるが、注意力が散漫していたのか、すれ違ったカップルにぶつかり、脚をひっかけてしまう。
「すっ、すみません。大丈夫で……えっ?」
転んだ青年を助け起こそうとして躓いたのは、竹馬だった。
なぜここに竹馬が、という疑問を覚えながら青年を見ると、そこには見覚えのある少年の姿があった。
「君は、ジン……?」
思わずついて出た名前を聞いて、にわかに殺気立つドラとジン。
陽波は慌てて両手を広げて敵意の無い事を示しつつ、半歩後ろに下がる。
「待って。君達の事を誰かに伝えるつもりは無いよ。……そうだ、一つ伝えておかないといけなかった」
警戒を解かない二人に向かってそっと足元の竹馬を放り投げ、陽波は警告を伝える。
「白い天使と、クロという名の黒い使徒がドラを探している。……気を付けて」
陽波の言葉を聞いてドラだけがわずかに反応したように見えた。
「邪魔したね。ごめん」
一言も口を開かない二人から、そっと後ずさりながら、陽波は人ごみに消えていく。
二人の互いにかばい合うような様子を想い、ほぉ、と溜息をつく。
二人が幸せそうで良かった気持ちと、一人で歩く自分の感傷とを抱えて、陽波は会場を彷徨うのだった。
●
「あぁ、びっくりした……」
ジンは陽波の気配が消えたのを感じてほっと緊張感を解く。
「しかし、ジンよ、なぜぶつかったのじゃ?透過を忘れておったのか」
ジンを注意しようと威厳を持った話ぶりをするドラに、答える声があった。
「阻霊符を使ったからな。悪戯防止のつもりだったんだが、そういう事もあったか」
不意にかけられた声に二人が振り向くとそこにはアスハ・A・R(
ja8432)の姿があった。
度重なる撃退士との遭遇に固まる二人だったが、アスハ自然体を崩す事無く話しかける。
「どうだ?彼女と一緒に素敵な物を見てるか、少年?」
「かか彼女だなんてそんなでへっへへ」
アスハの質問にドラがなぜか挙動不審になるが、ジンは素直に笑みを浮かべて朗らかに答える。
「素敵な物は毎日見てるよ。一度見えなくなったからかな、何でも凄く鮮やかに感じるんだ。今日もドラに無理言って花火に連れてきて貰ったんだ」
そうか、とアスハは小さく頷いて思い出したように付け加える。
「危なくなったら、逃げるか誰かを頼るかしろ、よ?」
そう告げるアスハをジンは不思議そうな顔で見つめていたが、真剣な表情でコクリと頷いた。
一方置いてけぼりになったドラは、私が守るから良いのっ、と呟いていた。
アスハはそのまま去りかけたが、ふと立ち止まってジンを振り返る。
「いつか、攻撃してこない絵でも見せてくれ」
「うんっ!」
元気に答えるジンを置いて、アスハもまた人ごみに消えていくのだった。