●
徐々に明るさを増す陽射しに、様々な色合いの紫陽花が心なしか花開いていくように見える。
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は片手で髪をかき上げて、シェリルに向き直る。
「久し振りね、シェリル。大勢での歓迎は嬉しいけれど、私達も仔猫ちゃん達と遊んでる暇は無いのよ?」
ケイの言葉にシェリルは微笑みを浮かべて片手を上げる。
「ふふ、わずかばかりの心づくしですが、受け取ってくださいませ……死の恐怖という経験を」
嬉しそうににっこりと笑みを広げたシェリルが腕を振り下ろすと、背後の滑り台を滑っていた猫が構えた弓から矢が放たれる。
「……っ、大人しく従う筈はないわね、あたしは貴女の主人ではないのだから」
肩甲骨を抉るように背中に突き立った矢に顔をしかめながら、ケイは振り向き様に拳銃を抜き放ち、先頭を滑る弓猫に向かって銃弾を放つ。
「各自離脱しましょう」
短く言い放ち、只野黒子(
ja0049)はシェリルに向かって一気に距離を詰め、雷光と共に剣を突き出す。
凛とした鈴の音が空気を震わせる。
突き出された剣は巨大な戦斧に阻まれ、行き場を失った雷光が空気を焦がす。
「迷いの無い突きですわね」
眼鏡の奥で緑の眼を楽し気に歪ませ、シェリルの気配が鋭さを増す。
「突っ立ってるだけなら通してもらうぞ」
只野を見つめるシェリルに向かって脇から月詠 神削(
ja5265)が飛び込んでくる。
白い光を帯びた両の掌底をシェリルに向かって突き出してくる。
間違いのないタイミングで突き出された月詠の掌は、不意に目の前に現れた盾によって妨げられ、シェリルには届かない。
「にゃっ」
シェリルの横を掠めるように、盾を構えたまま仔猫が紫陽花の植え込みに投げ出される。
「貴女の思い通りにはさせませんっ!」
御堂・玲獅(
ja0388)が白銀の盾を振りかざすと、周囲に魔法陣が光と共に現れる。
魔法陣から光の柱が立ち上るが、シェリルは只野の剣を跳ね飛ばす動作で地面を抉る様に戦斧を振り回し、魔法陣を寸断する。
シェリルの背後では、杖を持った猫が慌てたように杖を振り回している。
何かを言いたげに振り向いたシェリルは周囲に漂う氷の粒子に気付いて目を閉じる。
次の瞬間、氷の粒が嵐の様に身体に突き刺さり、傷をつけていく。
「そんな土産はいらねーっての。っつーかおもてなしと何が違うんだよ」
黒夜(
jb0668)はシェリルが浮かべた微笑みに、手応えの薄さを感じて霊符を活性化させる。
シェリルと共に氷の粒を受けた杖猫は力が抜けた様にふらりと倒れそうになる。
その身体を叩き起こすように、鈴木悠司(
ja0226)が放った銃弾が杖猫の頭を跳ねあげさせる。
「再会できて嬉しいよ、シェリル。その力は……いや、そんなことはどうでも良い。何をしにここへ来たんだ?天使と逢引の予定でもあったのか?」
シェリルは鈴木に視線を向けて、微笑んだまま軽く会釈する。
「それはとても気を引かれるお話ですが、どうやらこの場所では無かったようですわ」
それより、とシェリルは悪戯を思いついたように浮かべた、微笑みとは異なる笑みを隠す。
「聞きたい事はそんな事で良いのでしょうか?」
含み笑いをこぼすシェリルに気を取られていた鈴木は、背後から射られた矢の風切音に咄嗟に身体を倒して奇跡的に回避するが、続けざまに放たれた矢に足を貫かれ、苦痛に歪めながらも地面を転がる。
「可愛い、と思ってしまいましたが、やはりこれは任務ですね」
仲間に襲い掛かる矢の勢いを見て、雁鉄 静寂(
jb3365)は表情を引き締める。
黒い銃を左手に構え、滑っていく弓猫に狙いを定める。
銃弾を受けた弓猫が姿勢を崩すが、手すりに身体を預けて落下には至らない。
「そんな不安定な足場から放たれた矢にそうそう当たるか」
翼を顕現させて空中へと舞い上がる龍崎海(
ja0565)の足元を矢が掠めていく。
空中で手にした白色の槍を扱き、弓猫を睨みつける。
「行くぞ、潰してやろう」
龍崎は宙を駆け抜ける。
「それでは私の番ですわね」
シェリルは閉じていた目を開き、にっこりと笑い、地面を蹴る。
短い距離をさらに詰めて来たシェリルに、御堂は盾を掲げて守りを固める。
「まずは、あなたから」
盾を無視するように振り上げられた戦斧に体重を乗せて、身体ごと回転するように叩き付ける。
「くっ……重い」
盾でシェリルの攻撃を凌いだ御堂が視線を上げると、目の前に次撃が迫っていた。
再び受け止める重い一撃は盾越しに御堂を押しそうとする。
「これで、一人目」
頭上から聞こえて来た声に、御堂は咄嗟に上体を逸らせるが、シェリルの一撃を胸に受け血飛沫を上げる。
崩れ落ちそうになった御堂はよろけた脚を踏みしめて必死にその身体を支える。
「まだ、倒れるわけにはいきません」
御堂の体を白色のアウルが覆う。さらに只野が御堂の周囲に送った柔らかなアウルの風が御堂の髪を揺らし、胸の傷を塞いでいく。
「うふふ、簡単に壊れてはいただけませんか」
シェリルは頬に飛んだ御堂の返り血をそのままに、笑みを深めるのだった。
●
滑り台へと飛び込んでいった龍崎目掛けて複数の矢が放たれる。
「かすり傷に構ってられないからね」
振り上げた槍は弓を構える猫を貫こうと唸りをあげて突き出される。
弓猫の胸を貫くはずだった槍から伝わる硬質な手応えに、怪訝そうな表情を浮かべる龍崎に、槍を突き立てたままの仔猫が矢を番える。
「……鎖帷子?」
飛んできた矢を槍で弾き、遠ざかっていく仔猫に視線を送る。
「矢が飛んでくる範囲が広すぎるわ……邪魔ね、この滑り台」
突き立った矢を引き抜けぬまま、新たな矢が体を掠めていく。
流れ出す血に眉をしかめながら、ケイは拳銃をヒヒイロカネに収納し、新たな武器を活性化させる。
取り出したのは九股にわかれた金色の鞭。
軽く振るうと鋭く空気を打ち、革が弾けるような音を立てる。
「ふふ、お遊びはおしまいよ」
足を踏み出し、全身のバネをしならせて鞭を振るう。
打ち据えたのは滑り台の赤い骨組。
断末魔を上げるように金属が歪む異音を立て、滑り台が崩落する。
滑り台を滑っていた弓猫はなす術も無く斜面へと転がり落ちる。
「奪ってしまうのは心苦しいですが……」
雁鉄は意識を集中して、斜面を転がる弓猫に狙いを付け、放つ。
ようやく回転が止まり、滑り落ちながら体勢を立て直そうとする弓猫は弾かれたように再び倒れる。
起き上った時、その手に握られた弓は真っ二つに折られているのだった。
手にした壊れてしまった弓を見て、ふるふると打ち振るえる仔猫の上から、新たな仔猫が落ちてくる。
「それっ!」
龍崎が気合と共に槍を一閃させ、破壊された滑り台の下へと仔猫を叩き込む。
ふっ、と一呼吸置いて残る弓猫に視線を走らせると、背後の味方に向かって矢を放っていた。
狙われていたのは一人仲間から離れていた鈴木。
シェリルを警戒して離れた位置から、銃で杖猫の牽制を行っていたがそれが災いして孤立していたのだった。
「それ以上させないっ!」
宙を駆け、鈴木への射線を塞ぎながら後ろ手に光を飛ばし、龍崎は鈴木の傷を癒すのだった。
●
「一度下がりますっ」
御堂はシェリルから距離を取り、戦場を見渡し、血を流しすぎて足取りが危ういケイへ癒しのアウルを送り込む。
シェリルは御堂を深追いせず、今度は只野の懐へと身体を預けるように深く踏み込む。
「私の技を覚えていますか?」
幸せそうに微笑むシェリルが戦斧を地面へ叩き付ける。
足元の地面に叩き付けられた衝撃波は、柔らかな土を陥没させると同時に周囲に向かって暴風を巻き上げる。
只野はシェリルが近づいた時点でシールドを展開していたが、不意をつかれた月詠と黒夜はまともに衝撃を受け、骨が軋むのを感じる。
特に黒夜は血反吐を吐き散らしながら地面に叩き付けられる。
だが、荒い息を吐きながらもゆらりと立ち上がった黒夜を見て、シェリルは目を細める。
「その光は……」
視線を移すと、強い光を瞳に灯した御堂と目が合った。
シェリルが只野に視線を戻すと、朧気な燐光に包まれ、先ほど吹っ飛ばした3名の傷が癒えていくところだった。
只野が剣に雷光を纏わせるのを見て、シェリルはくるりと戦斧を回転させて構えを取る。
「素晴らしいですわ。やはり、貴方達相手に手は抜けませんわね」
ひび割れた地面を蹴って飛び込んでいったのは、月詠の懐。
下から救い上げるように戦斧を叩き込むが、全身に淡い光を纏った月詠は、地面に縫い付けられたようにその場から一歩も引かず、月詠は煽る様に話しかける。
「吹っ飛ばすつもりだったのか?ぶっちゃけ、その技は見え見えだ。ほら、隙だらけだぜ」
一瞬動きが固まったシェリルの隙を逃さず、雷光を纏った只野の剣がシェリルの肩を切り付ける。
シェリルは只野に向き直り、背中に回した戦斧に力を集めようとする。
だが、その姿を白い光が覆い、シェリルの視界を塞ぐ。
「貴女にはそれ以上何もさせません」
御堂の展開した魔法陣に絡め取られたシェリルは、戦斧の重さに身を任せ、方向転換し、御堂を袈裟切りに切り下す。
再び深く切り開かれた胸の傷から血が流れるが、只野の展開した淡い燐光に包まれ、すぐに傷は塞がっていく。
シェリルは片手を横に広げ、背後で黒夜と鈴木に追い詰められている杖猫に短く呼びかける。
「力を」
傷を舐めて血止めをしていた杖猫は、慌ててその杖をシェリルに向ける。
杖から放たれた紅い光に身を包み、シェリルは恭しくお辞儀をして微笑みを深くする。
「参ります」
先ほどよりも速く、深い踏み込み、そして重さを増した戦斧の軌跡。
ぶちぶちと筋肉と骨を断ち切る音と共に、御堂の体は後方へと投げ出される。
それでも白い光に身を包んで立ち上がる御堂を、シェリルは変わらず静かな微笑みで見つめるのだった。
●
「暴れちゃだめよ」
仔猫を鞭で縛り上げ、妖艶に笑みを浮かべるケイ。
滑り台から落ちて来た弓猫達が逃げ出さないように鞭で縛り上げる。
まだ滑り台の上に残っている弓猫から放たれた矢を、鞭で弓猫を縛ったが故に動きを制限されてしまったケイは、避ける事も出来ずに矢を身体で受け止める。
深々と刺さった矢を見つめ、不思議そうな表情を浮かべるケイに、龍崎が声をかける。
「大丈夫だよ。僕のアウルが守ってくれる」
自然と抜け落ちる矢を見つめていたケイはふと手にした鞭が引っ張られていることに気づいて顔を上げる。
鞭で拘束していた弓猫が矢を番えた弓を引き絞っていた。
再び体に突き刺さる矢と確かに死を感じさせる衝撃を覚え、ケイは、ほぉ、と溜息をもらす。
勝手に矢が抜け落ちる先ほどと同じ光景に、ケイは首を振って鞭を持つ手首を鋭く払う。
縛っていた弓猫を弾くと共に、仔猫が手にした弓を巻き込んで遠くに弾き飛ばす。
「奇妙な体験だったわね。助かったわ」
龍崎に短く礼をいうケイの側で、雁鉄が最後に落ちて来た仔猫の弓を撃ち抜く。
「こちらは無力化完了ですね」
ケイと雁鉄は視線をかわし、シェリルが待ち構える後方へと振り返るのだった。
只野と月詠を相手に、戦斧を振り回すシェリルに向かい、龍崎は声を張って問いかける。
「種子島には干渉しないと言っていたのに、関東に出てきているのは何故だい?それ以上の価値がここにあるのか?」
月詠の相手を盾猫に任せ、只野の剣を斧でいなしたシェリルはくすり、と笑う。
「それは御前様の思し召し次第ですわ」
力任せに振り上げた戦斧は只野の剣に受け止められ、只野の身体をふわりと浮かせる。
その時、シェリルは日が遮られた事に気づき頭上を見上げる。
そこにあったのは闇を帯びた漆黒の十字架。
地面に身を投げ出して避けたシェリルの背後で、仔猫達の悲鳴が聞こえてきた。
立ち上がるシェリルに飛びかかる様に只野が迫る。
只野と武器をぶつけ合って飛び退るシェリルに、黒夜はぶっきらぼうな声をかける。
「天界勢が埼玉で活躍していた。おたくらは把握しているか?」
「さあ、どうでしょうか」
ほんの一瞬揺らぐ視線。
その揺らぎを只野は見逃さない。そして、見られたことをシェリルも悟る。
「あちらも粗方終わってしまったようですね。それではこちらも……終わりにしましょうか」
腰だめに背中に担ぐように戦斧を構え、戦斧に光を集める。
力を溜め、振り抜こうとした瞬間に、只野が盾を構えて身体ごとぶつかってくる。
動き始めの腕を盾で抑えられ、動きを止められたシェリルは碧の目を見開く。
動きの止まったシェリルに突き刺さる只野の雷光を帯びた剣。
凛とした鈴の響きが止まり、そして再び鳴る。
一撃では倒せないと察した只野がシェリルの反撃を受ける前に剣を引き抜いたのだった。
体から流れる熱い血潮に、シェリルの頬は紅く染まる。
「うふ、ふ、やはり貴方達は面白いですわね」
予備動作の無いバックステップ。
ちょこんという仕草で離れるステップは、距離を埋めるには絶望的な一歩だった。
「お土産ですわ」
振り抜かれた白く光る戦斧。
白い奔流が視界を埋め尽くす。
光が収まった後には、抉られた地面の上に転がる撃退士達の姿があった。
立っていたのは盾を構えた只野と、辛うじて範囲外に立っていた黒夜、空を舞っていた龍崎、そして全身の皮膚を焦がしながらも突進してくる鈴木の4名だけだった。
特に身を隠して近くまで迫っていた雁鉄はピクリともせずに地面に横たわっている。
「その力、どうやって、何を……!」
もはや言葉にならぬほどに傷を負いながらも、真っ直ぐ突き進み、シェリルの身体を切り裂こうと黒い糸を振るう。
最も不意を突いたタイミング、最高の角度で振り抜かれたワイヤーは、シェリルの身体を捉える。
「生き残っていれば、おのずと」
優しい笑みを浮かべて、シェリルは鈴木の身体を引き寄せて斧を振るう。
鈴木とシェリルの間に入る二つの影。
只野と、ケイが鈴木の身体を弾き飛ばすように、シェリルの懐へと入り込む。
「天使は何をしてるの、教えて」
シェリルに抱きつきながら、ケイは耳元でささやく。
斧を盾で受け止めた只野はじっとシェリルを見つめる。
シェリルは答えず、ケイを振り払い、鈴木と共に後方へと弾き飛ばす。
「撤退しますっ!」
御堂は雁鉄に覆いかぶさるように両手を掲げ、手のひらに生み出した種子を発芽させ、光を降り注ぐ。
「悪い、ウチ、おたく以外にまだ倒さねーといけないヤツがいるから」
だから、またな。
息を吹き返した雁鉄を担いだ黒夜が、シェリルの側を駆け抜けていく。
撃退士達は去り、最後に残った只野もじりじりとシェリルから遠ざかる。
「天使が動いたから動かざる得なくなった、そういうことですね」
只野の言葉にシェリルはスカートの端を摘まんでお辞儀をする。
否定はせず、穏やかな微笑みを返事として。
只野も黙って公園を去っていった。