●
撃退士達が現場に向かう中、最初に気づいたのは火でも煙でもなく匂いだった。
生木の焼ける焦げた匂いが、全身に纏わりつき鼻の奥まで染みこんでしまったように感じる。
その頃には空が暗くなり、先ほどまで広がっていた青空が真っ黒に汚され、太陽は煙の奥から淡く輝くのみとなった。
最後にやってきたのは熱波だった。
撃退士達に向かって吹き付けてくる息がつまりそうな熱い風が押し寄せてくる。
燃え盛る山に向かって駆け抜ける撃退士達は、それぞれの想いで山を見上る。
斡旋所のミーティングルームを出る間際、暮居 凪(
ja0503)は狩野に呟いた。
「自殺願望、というけれど。それは、現役の学園生も似たようなものよ。名の売れた天魔に向かって一直線。どこも違わない」
小さく溜息をついて眼鏡に触れた暮居は、狩野を見透かすような視線を向けた。
「助けが間に合うだけ、今回の人の方がまだマシ、ね」
静かに視線を向けてくる暮居に、狩野は唇の端を歪めた笑みを浮かべて言葉を返した。
「そのために僕等が居るのさ。可能な限り情報を集め、準備を進める。そして」
「そして『英雄達』を送り出すつもり?」
言葉を遮った暮居は溜息に狩野は首をふって言葉を続ける。
「いいや、僕らは無事に帰ってくる君達の帰りを待って、後処理を行い、報告書をまとめるのさ。そうでなければならない。そうするために僕等の仕事があるんだ」
そう、と暮居は答えて背中を向ける。
「より良い手段の為に手を尽くす、その事を心の底から理解できていないのなら……いつの日か学園に矛先に向けることになりかねないわ」
暮居の残していった言葉をどう受け止めたのか、狩野は黙って現場の地図を見つめるのだった。
「……俺の親父の受け売りだけどよォ」
マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)は目の前を駆ける暮居に向かってぼそりと声をかける。
「命が欠けて奪われる瞬間に、何も出来無ェってのァ堪えるぜ」
まっすぐに前を見つめて奔る暮居の背中を見つめて、マクシミオは失った左腕に視線を送る。
「……天啓、とでも言ってやろォか。『尽くす手』なんてすっ飛ばしてよォ、やらなきゃならねえ、そう直感する瞬間が来ちまう奴ってのはいるモンだ」
だからよォ、とマクシミオはちらと振り返った暮居の視線から目を逸らしながら、呟く。
「この男もきっと出会っちまったんだろォよ。『天啓』って奴にな」
だったら名ばかりの天使でも救いに惨状して差し上げねェとな、とマクシミオは駆ける脚に力を込める。
●
やがて山が纏った炎の境界へとたどり着く。
木々の間を無数の火の粉が飛び、煙で薄暗くなった森を照らす。
津島 治(
jc1270)はシルクハットの庇を軽く上げ、炎を見上げて身を震わせる。
「嗚呼、炎に呑まれて焼身したい、煙に巻かれて酸欠になりたい……」
恍惚として願望を漏らす津島の隣で、炎を見上げていた莱(
jc1067)は無表情のまま津島から一歩離れる。
「私は火事に巻き込まれて死ぬのは御免です。九原さんだってそれを望んでるわけではないと思います」
莱の言葉に、我が身を抱きしめていた津島は、コホンと咳払いをして何事も無かったかのように、燃え盛る木々を見上げる。
「そんな場合では無さそうだね。出来る事ならまずは九原くんと合流したいものだ」
木々の合間にも立ち昇る熱気が空気を揺らし、煙を纏った炎が渦を巻くように立ち昇っている。
撃退士達は視界が良いとは言えない森に立ち、九原とディアボロを探して視線を彷徨わせる。
炎を前にして震える脚を押さえていた藍那湊(
jc0170)は、うりゃーと気合を入れて一歩踏み出す。
「九原さーんっ!助けに来ましたよーっ!」
藍那の呼びかけに、「ここだっ」と正面からやや左側から声が返ってくる。
「よォし、そっちだな」
マクシミオが声が聞こえた方向に向かって、纏っているアウルを広げていく。
半眼で集中していたマクシミオはすっと右腕を上げて森を指さしていく。
「ひとつ……ふたつ……みっつ、動きの鈍いひとつを取り囲んでやがる。ビンゴだぜェ」
マクシミオが指さした方向に向かって、水無瀬 雫(
jb9544)は低い姿勢で飛び出してレガースを振り抜く。
その軌道から瑞々しく清浄なアウルを滴らせた大蛇が飛び出し、木々を薙ぎ倒して真っ直ぐに進んでいく。
木々の奥に居た炎狼の背中を水の蛇の咢が抉り取り、さらに先の木々を薙ぎ倒して消える。
するすると倒れた木が立ち上げる炎を乗り越えて、莱が打ち倒された炎狼に迫る。
だが、莱のナイフが届く前に弾かれたように立ち上がった炎狼はとっさに飛び退って莱から距離を取る。
さらに一飛び。先ほどまで居た場所にアウルの白刃が突き刺さる。
「おや、外れてしまったのか。これだから犬は嫌いだよ」
津島は不敵に笑う。
「さあ、かかって来給え、狼共よ」
炎狼に向かって手招きをする津島に向かって炎狼は唸り声を上げる。
●
「九原さんですね」
炎に包まれた木を背中に弓を構える男に声をかけ、頭上に金の茨を浮かべた藍那が駆け寄る。
だが、藍那を遮る様に目前に炎狼が飛び込だしてくる。
「むう、熱い……沸騰しそうー」
咄嗟にサイドステップでかわした藍那だったが、炎を立ち昇らせた木と炎狼に挟まれて汗を滲ませる。
「怖い、のは、お前じゃない……!」
炎にすくみそうになる体に気合を入れて、雪のように白い直刀を振るう。
金色に煌めく瞳が炎を纏った炎狼の身体を捉え、直刀は的確に炎狼の前脚を切り裂く。
炎狼が苦痛の咆哮をあげる側を、マクシミオは突っ切るようにすれ違い、九原に向かってアウルを送り込む。
「覚悟来めてたっぽいとこ悪ィな……救わせてもらうぜ」
熱と傷でふらついていた九原は、マクシミオに突っ込んでいった炎狼に向かって矢を放つ。
鼻先を掠めるように放たれた矢に、炎狼は一瞬動きを止めるが、構わずにマクシミオに飛びかかっていく。
「充分だぜ、その一瞬だけでな」
マクシミオは地面に倒れ込むように転がり、炎狼の攻撃を避ける。
そのマクシミオに爪の一撃を浴びせようと、最後の一体が燃える樹を蹴りつけて飛び上がる。
「君はなぜ真っ直ぐ歩いていると信じてるんだい?」
津島が嗤う。展開されたアウルはその場にいる全ての者に軽い酩酊感を感じさせ、方向感覚を狂わせる。
樹を蹴り、マクシミオに飛びかかった炎狼の爪が切り裂いたのは、マクシミオがかわした炎狼だった。
炎狼同士がぶつかり合い、新たな炎が舞い上がる。
「そこですっ」
水無瀬が放つ2匹目の蛟が2体の炎狼を襲い、周囲の木々ごと削って行く。
「この辺り、邪魔ですね」
炎と共に樹が倒れ、周囲の熱はさらに増して行くが、視界は開けてきた。
その様子を見て、莱は視界を遮る樹にナイフを振るい、蹴倒す。
森の中はまさに火の海といった様相を見せて来たのだった。
●
燃え盛る炎に身を隠し、炎狼は森を走り回る。
樹を切り倒していた莱は迫ってくる炎狼に気づくが、既に最後の一蹴りという距離まで迫って来ていた。
莱はかわすことを諦め、身を屈めてアウルを愛用のナイフに集めていく。
牙をむき出しにして飛びかかって来た炎狼に肩口を切り裂かれるが、構わずにナイフで薙ぎ払う。
近距離で振り抜かれたナイフは炎狼の顎に深々と突き刺さり、顎を切り裂きながら炎狼を弾き飛ばす。
藍那に牙をむけた炎狼は、目の前に出現した氷柱を額で突き破り、その勢いのまま藍那に体当たりをする。
勢いの弱った体当たりに藍那はよろけながらも、倒れることなく走り抜ける。
目指す場所は九原の側。駆け寄った藍那は手にしたV兵器を九原に差し出す。
「武器、傷んでいませんか?使い慣れてないかもですけれど……」
九原は差し出された銀色の洋弓に手を伸ばす。
「助かる。これなら、奴等を貫けそうだ」
洋弓を手にとり感触を確かめている九原に、藍那は力強く頷きかける。
「火を消すための『火力』です。貴方も、俺達も。独りで戦わないでくださいね。俺達は、貴方を残して行かない」
その言葉に九原の表情が微かに歪む。
「俺が遅れただけだ、あいつ等だけで行かせてしまった……」
小さく呟いた言葉は同じく近くに近づいていた津島の耳にもとまる。
「九原くん。君には家族が居るそうじゃないか。未練残して死ぬのは宜しく無いとは僕の持論。死ぬ覚悟があるなら死に場所を僕に譲ってくれないか」
家族という言葉に反応した九原はぴくりと頬を引きつらせる。
先ほどまでの悲壮な表情とは異なる、より切羽詰まった表情で、洋弓を持つ手が白くなるほど力を込める。
「……ガキに伝えてェ事があるんなら、育ってからちゃんと言葉で伝えてやれ。言わずともわかってくれるだろう、ってのァ最悪の形だ」
マクシミオの言葉に、九原は短く頷き朦朧としている炎狼目掛けて矢を放つ。
先ほどまでよりも鋭いアウルの矢は炎狼を確かに捉え、たじろがせる。
「ああ……死ぬつもりはないさ」
九原の言葉に津島は朗らかに笑う。
「そうかそうか、君は大切な者の為に生き給えよ。死ぬ時と場所は僕が貰おう」
和やかな空気を醸し出す津島の法具から突如球状の水のような塊が放出される。
水無瀬が咄嗟に放ったアウルの水壁に飛び込んで来た炎狼は、勢いを殺されながらも津島の腕に噛みついた。
「まだ敵を倒したわけではありませんよ。ミイラ取りがミイラにならないようにしましょう」
水無瀬は仲間に注意を促しながら炎狼を蹴りあげる。
「はっはっは、なあに、頭を噛まれなければ良いのさ」
津島は炎狼を腕に噛みつかせたまま、腕が焦げるのも構わずに淡い光を放つ数珠を炎狼に押し付ける。
そこから放たれた白刃に身を切り裂かれて、炎狼はたまらずに距離を開けるのだった。
「僕を殺せないのなら君達が死んでくれ給え」
焼け焦げた腕に数珠を握りしめ、津島はそう嘯くのだった。
●
「それにしても、暑い……おわう」
藍那は暑さでよろめいた所で炎狼に襲われ、咄嗟に氷柱を出現させる。
氷柱を突き破って来た炎狼の勢いに、燃える樹を薙ぎ倒しつつ地面に転がされる。
よろけながら立ち上がった藍那は、翼を広げて仲間に注意を促す。
「みんな気をつけて……冷やしてしまうから。凍るぐらいに……」
翼をはためかせ、周囲の砂を巻き上げて氷のようなアウルを纏わせる。
それはさながら氷の結晶が舞うダイヤモンドダストのように周囲を白く染め上げる。
燃え盛る木々も、唸りをあげる炎狼も、身構えた仲間達も巻き込んで、山は赤から白に変わる。
「火の勢いが予想以上ね」
空から山を探っていた暮居は炎と煙に邪魔されて狙いを付けられずにいた。
炎も煙も上へと指向する。
空からの索敵は困難を極め、戦闘音から予想される場所の上空から炎狼の姿を探すが、はっきりと狙いを定める事が出来ずにいた。
だが、戦闘が激しくなるにつれ、木々は倒れ徐々に戦闘の様子が見えてくる。
そこに吹雪が吹いた。
一瞬ではあるが火の勢いが消え、煙の隙間からディアボロの姿が現れる。
「見えたわね。もう逃げられないわよ」
ライフルを構え、空中で衝撃に備える。
放たれた銃弾は真っ直ぐに戦場へと降り注ぐのだった。
莱は一体の炎狼を追い回していた。
時折振り向いて爪を伸ばしてくるが、それは同時に莱の射程距離でもある。
近接戦闘は臨むところ、と愛用のナイフを振り回し、打ち合う事数合。
木立ちを挟んで莱の背後を突こうと走る炎狼の思惑を察し、木立ちに向かってナイフを突き出す。
「……斬れないとでも思いましたか」
木立ちの炎に腕を包まれながらも、炎狼の横腹を切り裂き、莱は落ち着いて後ろに下がる。
火傷と爪の傷が追撃を許さない事を、自分でも感じ、不意を突かれないように距離を取ったのだ。
「あまり無理すンじゃねーぞ」
マクシミオから飛んできたアウルに包まれ、莱の身体の傷が癒えていく。
飛び出してきた炎狼からさらに距離を取って小さく頷く。
莱を追いかけて迫って来た炎狼が、不意に見えない拳で殴られたように横っ飛びに吹っ飛ぶ。
空を見上げれば暮居がライフルを構え、次の標的を探していた。
「これで、まだ、動けます」
莱はナイフを握る手に力を込め直して身構える。
「この程度の炎、水無瀬の名に懸けて絶対に負けるわけには行きません」
三度、蛇を模った水が舞う。
水無瀬が放った蛟が炎狼を襲う。
1体の炎狼が後ろ脚を喰い千切られ、残る2体は蛟を避けて大きく退く。
だが、その大きな隙を見逃す撃退士では無かった。
マクシミオの手にした書物から飛び出した青黒い燐光を帯びた翼を持つ生き物の幻影が襲い掛かり、さらに九原と津島の攻撃が幻影と戦う炎狼に襲い掛かる。
最後の1体には藍那と莱が飛びかかり、切り刻まれながら距離を取ったところで、暮居が冷静に一撃を加えていく。
撃退士達に圧倒され始めた炎狼だったが、3体同じタイミングで顎が外れそうなほど大きく口を開く。
「何か、まずいよっ!」
炎狼の眼前に居た藍那は反射的に氷柱を立ち上げ、身を守る体勢を取る。
水無瀬が放ったアウルにより、莱の足元から水の球が浮かび上がり、莱の身体を包み込む。
反応できたのはそこまでだった。
炎狼の口から炎がまき散らされ、あっという間に藍那と莱の周りからアウルが霧散する。
もう一体が放った炎は津島を襲い、その身体を焦がしていく。
「悪あがきしてんじゃねーよ」
マクシミオが津島の火傷を癒している間に、暮居の狙撃が一体の炎狼を撃ち抜いた。
それと同時に水無瀬と藍那は身体の炎が弱まった炎狼目掛けて奔り寄り、渾身の一撃を振りぬく。
水無瀬に蹴りあげられた炎狼は、口元から吐き出した炎に自らの身体が焼かれ、崩れ落ちていく。
そして藍那により頭部を切断された一体は残った首からチロチロと炎を上げながら、動かなくなったのだった。
●
「さて、と。ディアボロを退治したら炎が消える、なんて都合よくは行かないようだね」
炎狼が動かなくなったことを確認した津島は、再び勢いを増してきた火災の様子を見回す。
森に踏み込む前に準備していた水や保冷剤は既に蒸発し、肌をじりじりと焼く炎の前では無力であった。
「ここに、留まれば皆死んでしまいかねない……。折角もらった命だ。俺は、ここで無駄死にするつもりはない」
唇を噛みしめた九原が撤退を提案し、全員で焼け落ちてくる枝をかわしながら山を下る。
「うう、やっぱ熱いのは駄目だ……帰ってアイス食べたい……」
一行が住民の避難が済んだ村まで降りてくると、先に戻っていた暮居が待っていた。
煤だらけになり、干からびた唇をした仲間達に、よく冷えたミネラルウオーターを準備していたのだった。
渡す時に、暮居は告げる。
「これで新しい人を救いにいけるわね」
撃退士達は迫ってくる炎を見つめ、それぞれの想いを抱きながら水を飲み干すのだった。