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「裏切り者が居る……」
『バーナード』狩野淳也の言葉に駆け出しかけた『パピヨン』北村香苗の足が止まる。
錆ついた扉が軋みながら開き、『ウィペット』百目鬼 揺籠(
jb8361)が埃だらけになったスーツからネクタイを乱暴に外しながら入ってくる。
「絶対に成功するはずじゃなかったんですかぃ?下準備、抜かったんじゃねェでしょうねぇ」
首筋から左半身にあると言う目の入れ墨が無表情に覗く。
「抜かったのは現場の人間だろう」
ウィペットに眇めた目を向けられた『ボクサー』尼ケ辻 夏藍(
jb4509)はせせら笑いを浮かべて入ってくる。
「派手な入れ墨でも見せびらかしてたんじゃないのかい?」
ボクサーの揶揄に蹴りを放とうとするウィペットだったが、間に入って来た『オーガ』九鬼 龍磨(
jb8028)に止められる。
「にははっ、誰がミスったかはどうでも良いじゃないですか。成功は成功ですよ」
オーガは体中に血がついているが、血の量にしては傷は少ない。
「お陰で僕も仕事が出来たってことですよ」
オーガに脱出の手伝いをしてもらったウィペットは、ボクサーをもう一度人睨みするがそれ以上は逆らわずに引き下がる。
「男ってやっぱり子供ねぇ。まだ暴れたりないのかしら?」
クスクスと笑って『ハスキー』ケイ・リヒャルト(
ja0004)が後ろから入ってくる。
まとめていた髪留めを外し、艶やかな黒髪を両手で広げると周囲に立ち込めた血と埃の匂いの中に妖艶な香りが混ざり合う。
「何かあったのでしょうか?」
大仕事を終え高揚した雰囲気で軽口を叩きあう仲間達を余所に、『サモエド』ジョシュア・レオハルト(
jb5747)は怯えた様子のパピヨンに静かに問いかける。
サモエドの紅い瞳に見つめられ、パピヨンは手にしたダイヤを咄嗟にポケットに入れる。
訝しげに視線を移したサモエドが倒れているバーナードを見つけてわずかに眉を寄せる。
「ち、違うのっ!撃たれた彼を私が連れて来たのよ!それで、彼が『裏切り者』が居るって……」
狼狽したパピヨンの要を得ない応えに、弛緩していた空気が一気に緊迫したものとなる。
「しっかり!貴方が居ないと僕らがヤバい!」
互いに疑いの視線を送り合う仲間達を置いて、オーガはバーナードの治療を行おうと駆け出す。
轟音と共にオーガの肩がはじけ飛ぶ。
最後に倉庫に入って来た『サルーキ』アスハ・A・R(
ja8432)がパピヨンの言葉を聞いて、無言で銃を取り出しバーナードに向けて撃ち放ったのだった。
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「ちっ……邪魔な」
突然射線に入って来たオーガにより、銃弾が遮られてサルーキは舌打ちをする。
「うおぉぉお!」
肩を撃ち抜かれたオーガは後ろを振り返ると同時に銃を抜き、サルーキに向かって撃ち返す。
サルーキを狙った銃弾は狙い違わず鳩尾に向かって飛ぶが、サルーキの身体はぶれるように動く。
瞬間的に位置をずらしたサルーキだが、運悪く右手に銃弾が当たり、手にした銃は弾かれたように飛んでいく。
「きゃああっ!何?なななんなの?」
突然始まった撃ち合いにパピヨンはパニックに襲われ、逃げ出そうと走り出す。
だが、焦り過ぎて周囲に立つ仲間にぶつかっては別の方向に駆け出し、また別の仲間にぶつかっている。
「落ち着きなせぇ。もう終わりやしたよ」
ウィペットに両肩を掴まれ、胸元の目の入れ墨と目線を合わせたパピヨンは過呼吸気味に喉をひくつかせて周囲を見回す。
サルーキはサモエドのマフラーにより腕を縛られて転がされ、オーガに蹴りつけられて血と胃液を吐き出している。
ハスキーとボクサーは面白そうに遠巻きにそれを眺め、止めようともしない。
「オーガもそれぐらいで止めなせぇ。俺はサルーキの話を聞いてみてェんでね」
パピヨンが落ち着いた様子を見て、ウィペットがサルーキに銃口を突きつけているオーガを止めに入る。
「んあっ?あ?あぁ……この裏切り野郎、後で殴り殺してやる」
興奮した様子のオーガだが、ウィペットの言葉に大人しく引き下がる。
「くく……くっくっく……」
腕を縛られて転がるサルーキは自分の吐瀉物と埃にまみれた顔で笑って見せる。
「ハハッ、面白い事を言う。裏切り者が居るなんて情報を仕入れて来たバーナードが一番怪しいだろう?金が欲しければこんな真似はせんさ」
サルーキは身を捻って仰向けになり、仲間達をあざ笑う。
「やはりこいつが裏切り者で間違いないでしょう。そうじゃなくても邪魔なだけだ」
オーガが暗い目でサルーキを睨み低い声で呟く。
「あら、でも一理あるんじゃないの?あたしも怪しいと思うわよ、バーナードは。あなた血が頭に昇り過ぎよ?頭を冷やしなさい」
ハスキーはハミングを止めてサルーキの言葉を支持する。
オーガがハスキーに向かって一歩踏み出すが、サモエドがそっとオーガを押しとどめる。
「待ってください。仲間割れをしてる場合じゃない。大事なのはダイヤ、そうでしょう?」
静かな紅い瞳をパピヨンに向けて片手を差し出す。
「ダイヤを出してください。ポケットにしまったでしょう?……君が裏切り者でないならね」
呆けたような目を向けていたパピヨンだったが、最後の言葉を聞いて慌ててポケットを探る。
手を突っ込んだ瞬間、目を見開いて固まり、別のポケットを探り出す。
「もしかして……無くしちゃったんじゃないでしょうね」
涙目になって自分の服を探るパピヨンに呆れてサモエドが問いかけるのだった。
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「違うの、確かにここに……か、隠してないよ!」
ポケットに入っていたものを次々と出し始めたパピヨンだったが、背中に挟んでいた銃を取り出した瞬間、全員が銃を抜いてパピヨンに銃口を向ける。
「ひゃっ、撃たないでっ!ほら、撃つ気は無いからっ!」
慌てて銃を地面に置いてパピヨンは両手を上げる。
「ふう、分かってますよ。大丈夫、落ち着いてください」
安心させるような笑みを浮かべてオーガがゆっくりとパピヨンに近づいていく。
だが、先ほどの暴行と血だらけの体に恐れをなしたパピヨンは後退って距離を詰めさせない。
二人の様子を観察しながら、サモエドは立っている他の3人に話しかける。
「さっきサルーキを取り押さえていた時、僕とオーガさんはサルーキを取り押さえるのに手が離せなかった。その間自由だったのは貴方達3人だけです。……誰がダイヤを奪ったんですか?」
その言葉に銃を収めかけていた3人に緊張が走る。
「そういえばウィペット、君が彼女を落ち着かせてたね。君はどうにも手癖が悪そうな顔つきだ。独り占めは良く無いよ」
ボクサーは肩をすくめてウィペットに話しかける。
「いやはや」
ウィペットは収めかけた銃を勢いよく引き抜いてボクサーに突き出す。
「適当な決めつけは止めて頂きてェもんですねぇ。パピヨンが暴れた時にはあんたらにもぶつかっていたでしょうに」
ウィペットはボクサーに向けていた銃をハスキーに向ける。
「その時抜き取ったんじゃねェですかぃ。自分は関係ないってぇ面は気に入らねェですねぇ」
銃を向けられたハスキーは可笑しそうに笑いだす。
「ふふっ、面白い事を言うのね、坊や達。あたしがどこに隠し持ってると言うのかしら?」
ハスキーは胸元を開けて指を這わせて見せる。
「それともあたしを裸に剥きたいのかしら?そういうのはベッドだけにしてもらいたいわね」
次の瞬間ハスキーの手には銃が握られウィペットに突きつけられている。
ボクサーとハスキーの間でフラフラと銃口を動かしていたウィペットは隙を突かれ、ハスキーと銃口を向け合う。
「銃を置くんだね、二人とも。巻き込まれるのは我慢ならないよ」
ボクサーは銃をハスキーに突きつけ、3人で牽制し合う。
その時、再び轟音が鳴り響いた。
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パピヨンはその時、オーガに壁際に追い詰められていた。
「悲しいけど……信用できない、ものね」
オーガが銃をゆっくりと持ち上げた瞬間、轟音と共にオーガの額が内側から弾ける。
「借りは返す主義、でな」
そこには左手で銃を構えたサルーキが立っていた。
全員の視線が自分から離れた時を逃さず、瞬間移動で拘束から脱出したのだった。
「銃を下げなせぇ!」
「撃つな!」
「あんたが先に降ろしなさいっ!」
銃声を聞いてウィペットとボクサー、ハスキーの3人は互いに銃を降ろせと叫び合う。
サモエドはその場に伏せ、じっと状況を観察する。
サルーキは3人の様子を興味無さ気に眺め、血の混じった唾を吐き捨てる。
「早く撃て、よ」
小さく呟き、ゆっくりとバーナードに向けて銃を持ち上げる。
三度目の轟音が鳴り響く。
立て続けに2発。
倉庫に居た者達は地面に身体を投げ出して身を伏せる。
崩れ落ちたのはサルーキ。
震える手で硝煙の香るオーガの銃をパピヨンが握りしめていた。
パピヨンはオーガの『中身』を頭から被り、瞬きもせずに見開いた目は虚ろに宙を見つめ、カチリカチリと引き金を引き続ける。
「もうやだ……もうやだ……もうやだ……」
口の端に涎を溜めて呪文の様に呟き続けるパピヨンの手をウィペットがそっと押さえる。
「もう死んでやすよ」
その声を聞いてパピヨンは力が抜けたように崩れ落ちる。
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「ふぅん、これで生きてたらゾンビだね」
興味なさそうにつま先でオーガとサルーキを探っていたボクサーが肩をすくめて見せる。
その言葉に反応する者はおらず、ウィペットはパピヨンを宥め、ハスキーはわれ関せずとハミングをしている。
バーナードの容態を確認していたサモエドは立ち上がって淡々と告げる。
「バーナードは病院に今すぐ連れて行かないと危険ですね。彼が生き残らないと報酬が得られない。でしょう?」
その言葉にハスキーはくすりと笑う。
「ふふ、あなたが連れていくのかしら?それで捕まるの?」
残念だけれど、とバーナードの血の気の引いた顔色に視線を送り、ゆっくりと仲間をひとりずつ見回す。
「捕まってもダメ、彼が死んでもダメ……ね、それじゃダイヤを『私の』組織へ持ち込むと言うのはどうかしら」
ハスキーはそう言うと意味ありげにウィペットを見て微笑む。
「見つかれば、ねぇ。身体検査でもしたら簡単に見つかるかも知れないわよ?」
「『私の』と来ましたかぃ。あんたが裏切り者だったってェことですかねぇ」
ウィペットは放心状態のパピヨンを支えて立ち上がり、ハスキーに向かって攻撃的な笑みを見せる。
笑みを浮かべてにらみ合う二人に、サモエドは間に割って入る。
「待ってください。報酬を貰える、という保証はあるのですか」
サモエドの質問にハスキーは可笑しそうにくすくすと笑う。
「こんな状況で何が保証になるのかしら?」
「何も保証とは成り得ない……だが、この現状を打開するには悪くないね」
サモエドが口ごもった間を埋めるようにボクサーが賛同する。
その言葉を聞いて、サモエドもウィペットに振り返る。
ウィペットはパピヨンを自分の体の前で支え、ゆっくりと後退っていた。
「仲間も信じられねェってのは悲しいもんですねぇ。俺はここらでお先に失礼させてもらいやすよ」
パピヨンを前に突き飛ばして近くにあった木箱を燃やしながら倒し、出口へと走り出す。
ハスキーはパピヨンが射線を遮るのも構わずに引き金を引く。
倉庫に轟音が鳴り響き、ウィペットは出口まであと一歩のところで突き飛ばされるように倒れる。
倒れて動かないウィペットの元へ歩き出そうとするハスキーを押しとどめ、サモエドが歩き出す。
「……僕が確認してくるよ。君がダイヤを手にいれたら一人で逃げそうだからね」
サモエドが警戒しながらウィペットへと近づいていく。
やがて、ウィペットの倒れている場所にたどり着き、後ろを振り返って手を上げる。
サモエドがウィペットのポケットを探っている姿を見ながら、ハスキーはボクサーに流し目で視線を送る。
「貴方は良いのかしら?」
ボクサーは肩をすくめて前を見たまま答える。
「君に背中を見せろって?悪い冗談だね」
「……ホントね」
ハスキーは銃を持った手を真っ直ぐに伸ばし、サモエドの背中に狙いをつける。
「あったよ」
サモエドがダイヤを手に立ち上がり、振り返ったと同時に銃声が鳴り響く。
ハスキーが放った銃弾はサモエドの額に小さな穴を開け、後頭部を吹き飛ばす。
「この音はもう聞き飽きたわね」
ハスキーは疎ましそうに呟くのだった。
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二人がダイヤを拾い上げた時、遠くで車が止まる音が聞こえた。
「流石にこれだけ騒げば気づかれるようだね」
溜息をついてボクサーが呟く。
「それで。それだけ落ち着いているってことは何か考えがあるんでしょう?」
ボクサーの余裕の表情に、ハスキーが平静な声で尋ねる。
「あるよ」
ボクサーは短く答えて一歩踏み出すが、何かを思い出したようにハスキーに問いかける。
「……ところで私の報酬は80%でいいかい」
「……50%よ」
「ふーん?」
「60%、これ以上は駄目よ」
「君は捕まると出られないだろうねぇ」
「わかったわ、65%でいいでしょ」
「こっちだよ」
ボクサーはにっこりと笑って歩き出す。
その背中を見て、ハスキーも含み笑いをしながら歩き出した。
「裏切り者っ!」
地面に倒れていたパピヨンが突然起き上りハスキーを突き飛ばす。
さらに飛びかかろうとしたパピヨンだったが、ボクサーに後頭部を殴打され、地面に叩き付けられる。
「このっ!」
ハスキーが怒りに顔をひきつらせて、気絶しているパピヨンに向かって引き金を引くが、既に弾は無く舌打ちをして銃を捨てる。
「遊んでないで行こう。もう囲まれたようだよ」
ボクサーは倉庫の片隅に立ち、側にあった木箱を動かし始める。
木箱を押し退けると、地面に扉が付いていた。
「地下道だよ。車はその先だね」
二人の姿が地下に消えて数分後、扉を蹴破って警官達が流れ込んで来たのだった。
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天木壮介は強盗団のアジトと思われる倉庫に駆け込み、その壮絶な光景に言葉を失った。
至る所に血まみれの死体が転がり、地面では木箱がくすぶり続けている。
「仲間割れか……」
慎重に倉庫を歩いて回る天木は、地面に転がる少女が漏らしたうめき声に足を止める。
「おいっ、生存者がいたぞっ!誰か救急車を呼んでくれっ!」
天木が部下に叫んでいると、死体を確認していた部下が何かを手にして駆け寄ってきた。
「天木警部っ、こちらを!」
渡されたものはGPSの受信機だった。
その中で一つだけ動く光点。
「車を回せっ!こいつを追跡するぞ!」
天木は先回りをしようと倉庫の外へと駆け出していくのだった。
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自分の体が運ばれていくような浮遊感を感じて、北村香苗は意識を取り戻す。
すぐにどこかに置かれる感触があり、バタンと扉が閉められる音がする。
「おい、生きてるか?」
頬っぺたを叩かれて無理矢理目を開けると見慣れた顔があった。
懐に入っているダイヤが体に食い込む感触を感じ、その顔に笑いかけるのだった。