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ガンガンと壁を叩く音は大きくなり、別荘の壁がミシミシと音を立てる。
陽が沈み外は薄暗くなり、窓ガラスが部屋の灯りを反射して音を立てている者の正体が掴めない。
「何っ、何かでたっ!?ううう、僕こういうの凄く苦手なんだよね……」
永連 紫遠(
ja2143)は突然の騒がしい物音により立った鳥肌をさすり、薄気味悪そうに周囲を見回す。
「無断で侵入してしまった罰、でしょうか。状況はあまり良く無いですね」
ユウ(
jb5639)の漏らした言葉に、永連がひぇっと悲鳴を上げる。
「それにさっきの音……遠山さんと関係があるなら早急に対処しないといけませんね」
ユウの懸念に、それじゃやるか、とラファル A ユーティライネン(
jb4620)は偽装を解除した義肢を打ち鳴らしてにやりと笑う。
「人気は無くても天魔っ気は有ったって訳かい。昼間の相手みたいに逃げ回るよりもわざわざ来てもらった方が楽じゃねーか。ついでに追加報酬もあるかも知れねーぜ」
とりあえず作戦会議だ、と窓のカーテンを勢いよく閉めるのだった。
「それで、遠山くんはどこに行ったのかな」
永連が北村に尋ねるが、北村は首を捻るばかりではっきりとは分からない。
「確かキッチンに火の確認に行ったはずなんだけど……様子を見て来るわね」
蓮城 真緋呂(
jb6120)が遠山の行動を思い出し、慎重にキッチンに向かって歩いていく。
「あっ、僕も行くよ。ね、一緒に行こう」
「えっ、あ、はい……」
正体不明の相手との戦闘に緊張気味だったミーム=ロサ(
jc0447)の腕を取り、永連は蓮城の後を追う。
「セレスさん、気をつけてね」
続いてキッチンへ向かうセレス・ダリエ(
ja0189)の背後から、陽波 透次(
ja0280)が声をかける。
セレスは微かに首を傾げて陽波を見つめるが、やがて微かに微笑んでみせる。
「そんなに心配して下さらなくても、大丈夫、です」
陽波はキッチンへと向かうセレスの後姿を見送りながら、それでも、と呟く。
「みんな無事に切り抜けたい、からね。さあ、あなたの助けが必要です。よろしくお願いしますね」
呼び出したヒリュウがふんぞり返る姿に苦笑しながら、協力を頼み込むのだった。
激しい音を立てて壁を突き抜ける鈍い爪を眺め、大鎌を担いだ落月 咲(
jb3943)は死神のような暗い紫のオーラを纏う。
「また敵さんを斬れそうですねぇ」
妖艶な微笑みを浮かべる落月は、北村に向かって話しかける。
「そちらのソファ、窓に投げつけてみてください〜。ソファに釣られた敵さんの様子がわかるかもしれませんよ〜」
その言葉を聞いて北村はふんっとソファを持ち上げる。
「あれ、何で私一人で……ま、まあいいわ、それじゃ行くわねっ」
北村が投げたソファが派手に窓ガラスを粉砕し、戦いの合図が響き渡った。
●
「おーし、派手に暴れるぜーっ」
ラファルの肩口から煙幕弾が射出され、ソファに気を取られていた巨熊の周囲に煙幕を張る。
ナイトビジョンを通して巨熊の姿を捉えたラファルは仲間に注意を呼びかける。
「でけー熊みてーな奴だぜ」
その声に呼応するかのように、玄関の扉を鋭い爪が突き破る。
「了解ですよ。どこに居るのかわかり易くていいね」
陽波はスッと腰を落として刃こぼれした刀を左腕に持ち、肩の高さに腕を引き玄関に向けて剣先を合わせる。
右手を突き出し峰に添えて狙いを定めると、構えた刀はいつの間にか刃こぼれが消え、綺麗な刃紋を描いて水が滴るような輝きを見せる。
「……雷切」
刀を滑らせるように突き出すと、剣先からアウルが衝撃波となって玄関と一緒に巨熊を貫いていく。
「グガァァッ!」
突然の痛みに熊のような巨熊は咆哮を上げる。
「今ですっ!」
陽波の合図で陽波とラファルは棒立ちとなって巨熊をすり抜けるようにして、外へと出ていく。
「それでは私達も〜」
続けて通り抜けようとした落月に向かい、巨熊は玄関の破片を爪にひっかけたままの腕を振り下ろしてくる。
注意を払っていた落月だったが、大きな身体に似つかわしくない速度で振り下ろされた腕をかわすことは出来ず、二の腕をえぐられてしまう。
「痛いですねぇ〜。切り刻む楽しみが増えたわね〜」
飛び散り頬についた血にぺろりと舌を這わせて、アウルで加速させた大鎌を振るい、残っていた玄関の扉ごと巨熊の腕をさくりと切り飛ばす。
「ふふふ〜。綺麗に切れましたねぇ〜」
目を細めて頬を上気させている落月の横から、北村の悲鳴が飛び込んでくる。
「こ、こっちからも来たよっ」
ソファを放り投げた窓から盲滅法に腕を振り回しながら、2体の巨熊が窓枠を破壊している。
大きな身体が災いしてすぐには入ってこれないが、牽制のために剣を振るう北村もまた身動きが取れない。
その北村を援護するように、小さな影が巨熊に向かって飛んでいく。
巨熊の腕をかい潜り、額にぶつかって巨熊をよろけさせたのは陽波のヒリュウだった。
「あ、ありがと……ございます?」
ふんぞり返って北村を見下ろすヒリュウの眼差しが一瞬鋭くなった気がして敬語をつけたすと、ヒリュウは満足したようにクゥと喉を鳴らした。
●
リビングから窓ガラスが割れる音が聞こえ、何者かの咆哮が聞こえてきた。
「始まりましたね。行きましょう」
キッチンの灯りを消し、開け放たれていたドアの向こうの様子を伺っていた撃退士達は動き出す。
ユウは暗闇に溶け込むような翼を広げ、空へと飛び立ちフラッシュライトを点灯させる。
地上では同じようにフラッシュライトを点灯させた蓮城が周囲の様子を伺う。
二つのライトによって昼間のように照らし出された裏口周辺に、二つの大きな影が浮き彫りになる。
大きな熊のような姿をした敵が、同じく灯りに晒された撃退士達を見つけて唸り声を上げて突進してくる。
「何だやっぱり天魔じゃないか!それなら問題なしっ!全力で撃破してあげるッ!」
向かってきた1体の巨熊を緊急的に活性化させた円形盾で受け止める。
「ううっ、ちょっと重いね……だけど、これぐらいっ!」
永連は勢いを止めた巨熊に対して、巨大な鈍器のような大剣を振りかぶり、緑の軌跡を描かせながら真っ直ぐに振り下ろす。
踏み込みが少し浅く、鼻先を切り裂かれた巨熊は戦意を失うことなく永連に向かって牙をむき出す。
「居ました!斜め前の樹に引っかかってますっ!近くに大きな熊のような姿、天魔が1体居ますっ!」
空から探していたユウが遠山の位置と周囲の敵の位置を大声で知らせる。
最初に動いたのは地上で捜索していた蓮城。
ユウの指し示す方向にライトを当てると、逆さまになって気絶している遠山の姿が浮かび上がる。
駆け寄る蓮城の目前に、『これから振り抜かれる』爪の軌跡が暗闇に浮かび上がる。
咄嗟に大剣を構え、予測通りにやってきた爪を受け流す。
「邪魔するなら……切る」
緋色の瞳を煌めかせ大剣を振り抜くと、巨熊が引き寄せられるように大剣の前に身を投げ出してきた。
巨熊の身体を抉った大剣の根本を掴んで強引に力の方向を変えて巨熊の攻撃に備える。
激しく叩き付けられる前脚の力を、大剣で斜めに受けて勢いを殺す。
瞬間、大剣から手を離し間近に迫った巨熊に向かって両手を伸ばす。
手応え無く受け流されて体勢を崩した巨熊の頭を両手で挟み、両手に帯電させたアウルを流し込む。
細かく痙攣しながらぷすぷすと煙を上げる巨熊から、すぐに距離を取り、ヒヒイロカネに戻っていた大剣を再び活性化させる。
立ち尽くして微動だにしない巨熊の様子を伺いながら、蓮城は油断せずに大剣を構える。
巨熊の攻撃を常に一手先を読んで捌く蓮城の背後を、ミームが走り抜ける。
遠山の吊り下がっている木の下にたどり着き、儀礼服を跳ねあげるように翼を広げる。
「どうやったらそんなところに飛んでいくのでしょうか……」
裏口からの距離と高さに首を捻りながらも飛翔し、遠山を抱えて絡まる木から助け出す。
「確保しました、援護をお願いしますっ」
そのまま、ユウに声をかけて別荘に向かって飛ぶ。
別荘の近くで永連を攻め立てていた巨熊が、ミームの姿に気づいて後ろ足だけで立ち上がる。
そのままでも大きな体を更に立ち上げると、屋根にまで手が届くほどの背丈となる。
爪でミームを狙う巨熊に、ユウの狙撃と永連の大剣が襲う。
それでも立ち続ける巨熊の腹に火球が爆ぜ、たまらずに地響きを立てて倒れる
毛の焦げる匂いが辺りに立ち込める中、裏口からセレスがふらりと現れる。
「獣は火を畏れると思いましたが、天魔はどうでしょう」
セレスは分厚い魔法書を片手に次の魔法の準備を進める。
傷を負った巨熊は頭上のミームを諦め、永連に突進する。
そこへ飛び交う銃弾と雷撃。
ミームは喧噪から離れた屋根の上にそっと遠山を寝かせ、覚悟を決めた表情で銃を構える。
「私が出来る事は……」
ミームは薄暗い屋根の上を駆け抜ける。
●
「弾けやがれェッ」
派手な閃光と轟音を立ててラファルの指先から砲弾が放たれる。
玄関先に集まっていた3体の巨熊はいずれも身体を麻痺させており満足にかわすことが出来ない。
激しい連射に体中を撃たれ、3体はなす術も無く身を縮こまらせることしかできない。
3体の巨熊は別荘の壁に叩き付けられて壁を揺らす。
「いらっしゃい〜」
玄関先に顔を突き入れた巨熊の目の前に大鎌が振り下ろされる。
顔を庇いながら転がる巨熊の肩を切り裂いて、落月はその切れ味に身を震わせる。
「逃げても無駄ですよねぇ。さあ、切り刻みますよ〜」
「危ないっ!」
これから大鎌が切り裂く肉の感覚に恍惚として目を細め、大鎌を振り上げた落月は、北村の警告が聞こえたと同時に背中を強打される感覚だけを感じる。
倒れた巨熊を飛び越え浮遊しているような不思議な感覚を覚え、スローモーションのように景色が流れていく。
地面に叩き付けられてから、ようやく痛みと音が追いついてきた。
背中を強打して空っぽになっていた肺に勢いよく空気を送り込むと、背中が焼け付くような痛みを感じる。
別荘の玄関で敵と対峙しているラファルと陽波の姿を後ろから眺め、何が起きたのか混乱しながらも立ち上がる。
「動けますか?」
短く問いかける陽波は、巨熊の攻撃を最低限の動きで巧みにかわす。
空振りをして身体が流れた巨熊の首に向かって刀を振り、その首を切り落とす。
首を失った巨熊は、どぉ、と勢い良く倒れて地面を揺らす。
だあ、倒れた巨熊を踏みつけるようにして、新たな巨熊が玄関から出てくる。
「何が起き……あ〜、なるほど〜」
状況を把握しようと口を開いた落月は、玄関から無傷の巨熊が現れたことで状況を理解する。
誰も目を向けていなかった温泉への扉。
その扉から別荘内に侵入していた巨熊の突進を背中に受けて吹っ飛んだのだ。
「あぁっ、しつこい奴等だぜ」
新たにやってきた巨熊を巻き込んで煙幕弾を放ち、ラファルは忌々し気に呟く。
「ちッ、弾切れか、仕方ねーなッ」
煙幕で動きが鈍っている間に、元に戻っていた偽装を再び解除し、凄味のある古刀を抜きつつ距離を詰める。
陽波が翻弄する新手の巨熊は任せ、麻痺から立ち直ろうとする残りの巨熊へ勢いを乗せた一撃を放つ。
巨熊が身を守ろうと構えた腕を勢いよく跳ね飛ばし、更に腹を切り裂く。
だが、切れ味が良すぎたが故に深く刺さり、刀が骨に引っかかって抜けなくなる。
その隙を見逃さずに、傷口から血を吹き出しながら巨熊は腕を振るう。
「ぐふぅ」
倒したと思った瞬間の一撃は完全に不意をつき、ラファルは受け身も取れないままに膝をつく。
身体を折り曲げ痛みに耐え、すぐにその場を離れようとするが、巨熊の腕はすでに振り降ろされようとしていた。
衝撃を覚悟して身体を丸めて転がるラファルの脇を、玄関から伸びてきた雷撃が通り過ぎ、巨熊の身体を貫く。
「間に合いましたね」
玄関の奥には身体を覆うアウルで髪を揺らめかせ、魔法書を片手に歩いてくるセレスの姿があった。
「……セレスさん」
巨熊の攻撃をかわした陽波は一瞬セレスの姿に気を取られる。
別荘の壁を使って無理矢理体勢を変えてきた巨熊が陽波の隙を襲おうとするが、鼻先に銃弾が撃ち込まれて動きが止まる。
「ルーキーだからって甘く見ないで欲しいわ……!」
完全なる死角となった屋根の上から放たれたミームの銃弾により、巨熊は新たな敵を警戒して後ろに下がる。
敵を見失って距離を取った巨熊に、更にユウの銃弾が襲い掛かる。
度重なる銃撃に血だらけになって咆える巨熊の脇を蓮城が走り抜け様に脇腹を切り裂く。
倒れ伏す巨熊を振り返る事も無く、連城はリビングで奮闘している北村の援護に走るのだった。
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北村が傷つきながらも抑えていた2体の巨熊を全員で取り囲み、撃退するまでの時間はほんのわずかなものだった。
周囲に残っている敵が居ないか警戒に行ったセレスと、別荘の被害状況をまとめると言うユウ以外の全員は疲れ果てた様子でリビングに座り込む。
「あ〜ぁ、派手にやっちゃって〜」
血を流しすぎて青ざめた表情で陽波の治療を受けている落月だったが、ボロボロになった別荘を見てからかうように軽口を叩く。
「寝室の方はまだ被害は少なそうだったね。今日はゆっくり休もうよ」
自身のアウルで傷を癒す永連もあくびをしながら提案する。
「そうね、とにかくもう、ゆっくり寝たいわ」
お先に、と断り、蓮城はふわふわとした足取りで寝室に向かって歩いていく。
「とんだ休息になりましたね……」
緊張感から解放されたミームも一気に疲れを自覚して柔らかいベッドを求めて寝室へ向かう。
「あれ、温泉があんのに入らねーのかよ」
ごそごそと荷物を漁っていたラファルはタオルを取り出したところで周りの仲間を見回す。
「お風呂、木片が散らばってて返って汚れそうですよ」
写真を撮り終えたユウが戻って来て温泉の様子を伝える。
巨熊が打ち破ってきた温泉は壁の木片が散乱してリビングから丸見えだった。
ちぇっ、と舌打ちをしてラファルも諦めて寝室へ向かうのだった。
女子達が二部屋の寝室へ分かれて入って行った後に、陽波はリビングで途方に暮れる。
「流石に同じ部屋は不味いよね……」
唯一の男子としてここは敵に備えて寝ずの番をするべきか、と独り悩む。
「……陽波さん?」
そこへ見回りを終えたセレスが戻ってくる。
「……寝ないの、ですか」
「僕は見張りを、ね」
困ったように頬をかいて陽波は答える。
そうですか、とセレスはそのまま歩いていく。
おやすみも言い忘れたな、と陽波がぼんやりと考えてると、後ろから湯気がたったマグカップが差し出される。
「……どうぞ。でも……少しは身体、休めた方が良いと思う……無理強いはしないけれど」
「ありがとう、いつも優しいな、セレスさんは……」
セレスの差し出すマグカップを受け取り、陽波は暖かいものを感じて微笑むのだった。