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静かな夜だった。
いつもは夜の街特有の熱気に溢れている道も、息を潜めて静まり返っている。
その静かな道を駆け抜けるのは8人の撃退士達。
迷路のような路地を遠くから聞こえる銃撃音を頼りに最短距離を進んでいく。
「やれやれ、悪魔と交渉とはねぇ」
仲間からはぐれないようについていきながら九十九(
ja1149)は溜息をもらす。
どういうつもりであっても、九十九にとっては「面倒さぁねぃ」というしかない。
「誰の言葉だったかな。深遠を覗き込む者は……という奴だよね」
キイ・ローランド(
jb5908)は表情を引き締め真っ直ぐに前を見つめる。
「力無きを嘆き力を求めるのは良い。じゃが……」
白蛇(
jb0889)は不機嫌そうに顔をしかめる。
「ヴァニタスか。そのような考え無し殴って分からせてやろう」
拳を握り、蘇芳 更紗(
ja8374)は吐き捨てるように呟く。
「力が欲しい……なら……鍛えるべき」
猟犬のアウルを肩に浮かび上がらせて、浪風 威鈴(
ja8371)は眉をひそめる。
浪風 悠人(
ja3452)はぎりりと歯を噛みしめ、黙って足を運ぶ。
それでも、とキイは呟きを続ける。
「悲劇になると分かってて止めない訳にはいかないよね」
キイの言葉にアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は深く頷く。
「そうよ、悲劇は避けないと。ちょっかいかける前のイケメンに死なれるなんて悲劇でしかないわ」
アルベルトの真剣な表情に腰までの銀髪を棚引かせて走る由野宮 雅(
ja4909)はくすりと笑う。
「大丈夫、悉くを持って潰せばいいのさ」
しっ、と九十九が片手を上げて仲間を制する。
「もう間近さぁねぃ」
九十九は身体に暗紫の風を纏い阻霊符を展開し、それを合図に全員が駆け出した。
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曲がり角を曲がると、2体の蛇に追い詰められた狩野と男が目に飛び込む。
九十九は即座に天の力を身に纏い、籐を巻いた弓を引き絞る。
蒼い雷を帯びた矢は男に巻き付いた蛇の鎌首を貫き、蛇は奇声を上げて男の拘束を解く。
双銃を放って蛇と距離を取った男は、もう一体の蛇の牙から狩野を庇い、血を流す。
アルベルトは小さなライフルを手に、構え、狙い、引き絞るという動作を一息に行い、狩野を狙う蛇の背中に銃弾を撃ち込んでいく。
「狩野さん生きてるー?助けに来たよっ」
そのまま牙を向けてくる蛇の間を転がるようにすり抜け、狩野を守るように立ちふさがる。
狩野が顔を上げると、キイが送り込んだ柔らかな光が狩野の身体を包み、蒼白かった表情に血の気が戻ってくる。
「間に合ったか……ありがとう、助かったよ」
ほぉ、と息を吐いて狩野は礼を告げる。
「天木はどこに!」
駆けつけた悠人が狩野に問いかけると、狩野は蛇に銃を向けながら叫ぶように答える。
「後ろだっ!」
咄嗟に振り向いた悠人は、半壊した居酒屋の前に佇む小男と、片手を抑えて駆けていく天木の背中が見えた。
「そいつは悪魔だ、気をつけろっ」
狩野の言葉に頷き、悠人は宙を舞う。
助走も無しに飛び出した悠人は空中で体を捻り、天木の行方を塞ぐように地面に降り立つ。
「何処へ行くつもりだ、そして何を得るつもりだ。天木壮介」
目の前に突然現れた悠人に足を止めた天木の背中に、蘇芳の鋭い言葉がかかる。
天木の前には悠人が立ち塞がり、後ろには蘇芳、由野宮、威鈴が駆け寄ってくる。
天木を確保しようと悠人が手を伸ばした瞬間、血腥い風を浴びて周囲を囲んだ撃退士達は咄嗟に一歩後退る。
「邪魔をする気か……?」
居酒屋の前に佇んでいた小男はさっきから少しも動いては居ない。
だが、周囲にいる撃退士達はその禍々しい存在感に目を離す事が出来なくなった。
「俺は浪風悠人……悪魔、お前は何者だ」
悠人は目を離せない悪魔へと問いかける。
「名前?……虚空蔵、と呼ばれた事もあったな」
虚空蔵と名乗った悪魔はにたりと口を歪めて悠人を見る。
「その男……その男は好きにしろ。ここで捕まる程度に運が無ければ興味はない。だが、女。死にたいのでなければそれ以上踏み込むな」
悠人へ名乗った悪魔は、その隙に居酒屋へ入って行こうとしていた威鈴を睨み警告するように指を突きつける。
緊迫した空気の中、ガラスの割れる音が響き渡る。
「しまった!……くそっ!威鈴、ここは任せたっ!」
通りに面したビルの窓を突き破って逃走を図った天木を追い、悠人もビルへと駈け込んでいく。
ちら、と悪魔の動きに目をやり、にたにたと笑うばかりで動こうとしないことを確かめて、蘇芳もまた天木を追っていくのだった。
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「あぁっ!」
銃弾で蛇をけん制するアルベルトだったが、蛇は器用に頭を振ってアルベルトを尻尾で弾く。
アルベルトは背中からビルの壁に叩き付けられるが、手にした銃をしっかりと握って離さない。
ビルに背中を預けたまま、狩野に向かって行く蛇の頭に銃弾を撃ち込む。
撃たれた蛇がわずかに怯んだ隙を見逃さずに、狩野は身体を道へ投げ出して蛇の牙から逃れる。
「おいたが過ぎるな。大人しくしていろ」
キイは円形盾を振り抜くようにしてアウルを飛ばす。
盾から放たれたアウルの塊は、道を塞ぐ蛇を弾き飛ばし、道を切り開く。
膝をついて辛うじて意識を保っている男に駆け寄り、肩を支えながらアウルを注ぎ込んで傷を癒していく。
「立てるかな?自分たちが来たからにはもう大丈夫だよ」
「あぁ、お前たちの強さは知ってるよ」
支えるキイに男は口の端を歪めて笑いかけ、開いてる手で銃を構えて蛇に向ける。
「一斉にいくさねぇ!狩野さんの前の蛇からさねぃ、3……2……1!」
銃を構えた男と狩野の姿を見て、九十九は弓を引き絞ったまま呼吸を合わせ、掛け声と共に矢を放つ。
九十九の声に重なるように2つの銃撃音が鳴り響く。
2つの銃弾と一本の矢を3方向から頭部に被弾した蛇は、頭を弾けさせて、その巨体は道に横たわる。
5人の撃退士達は、残る一匹の蛇を取り囲むのだった。
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悠人がビルに飛び込むと、真っ白な泡に視界が包まれた。
「……消火器かっ!」
視界を塞ぐ正体に気づき慌てて眼鏡を拭う。
「何をしているっ、追うぞ!」
悠人のそばを蘇芳が駆け抜けていく。
白い泡を抜けてビルの裏口から路地へと走り抜ける。
そこには天木の姿は無く、蘇芳はどちらに向かったのか一瞬迷いを見せる。
「上だ!階段だ!」
消火器の泡が薄れてきたことで、悠人は特に泡が立ち込めていた場所にを見つける。
悠人の声に階段を駆け上がる足音が聞こえて来た。
階段を駆け上がる悠人と蘇芳に屋上のドアが開け放たれる音が聞こえる。
屋上に飛び出しながら、悠人は制止の声をかける。
「動くな!逃げられないぞ!」
屋上の端に居た天木は諦めたように両手を上げて溜息をつく。
「もう追いついたのかよ……お前ら撃退士ってのは本当に反則だよな……」
自嘲するように笑う天木に蘇芳は怒りをあらわに怒鳴りつける。
「くだらんっ!そんな理由で……!人間を止めたいなら、わたくしが辞めさせてやろう」
無造作に近づく蘇芳から逃げるように、天木は身を翻してビルから飛び降りようとする。
「諦めるんじゃねぇよッ!」
怒りのあまりに威圧するオーラを放った悠人の声に、天木はびくりと身体を震わせて振り返る。
その瞬間に蘇芳に髪の毛を鷲掴みにされ、引き倒される。
組み伏せられた天木に悠人は更に怒りをぶつける。
「自分の力が足りないからと言って!悪魔に力を求めてどうするッ!俺達は何の為に居る!お前は撃退庁で何をしていたんだ!一人で何でもできるわけないだろうッ!」
悠人の叫びに天木は顔色を変える。
その表情は怒り。
蘇芳に拘束されたまま、悠人に向かって唾を飛ばして怒鳴る。
「それでどうなった!あの悪魔を表に引き摺り出したのは俺だ!俺を追いかける前にアイツを倒して見せろよ!」
蘇芳は天木を引き起こし、顔を近づけて低い声で囁く。
「その結果ヴァニタスになり更なる災厄を振りまくのか?どうなるかぐらい判るだろう。本末転倒も甚だしい」
血走った眼で蘇芳を睨み、天木は言葉を返す。
「それでも、アイツに、ジンに人殺しをさせる前に止め無ければいけないんだよ!」
蘇芳はすっと目を細めると天木の頬を殴りつける。
その勢いでよろける天木を悠人が支える。
「頭を冷やせ。己がしようとした事、もう一度よく考えるんだな」
蘇芳の言葉に唇を噛みしめ黙り込んだ天木を引き立て、悠人は仲間の元へ歩き出す。
その時、 ビルの下から聞こえた叫び声が聞こえて来た。
「威鈴っ!?」
悠人は顔色を変え、天木を蘇芳に投げるように渡して駆けだす。
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悠人と蘇芳の二人がビルへと消え、しばらく膠着状態のままにらみ合いは続く。
このままでは一般人を救うことが出来ないと、威鈴は覚悟を決めた表情で居酒屋へに向かって一歩踏み出す。
だが、空気が揺れた、と感じた次の瞬間には目の前に悪魔が迫っていた。
「よかろう、それがお前の望みか」
悪魔が突き出した掌底と交差するようにライフルが突き出される。
ライフルが火を噴くと同時に、威鈴は地面に転がり吐瀉物をまき散らす。
悪魔は弾丸が突き刺さった胸を手で払い、何事も無かったように威鈴に向かって歩き出す。
「俺は不良だが吐き気のする敵意や殺意はわかる……だから俺が裁く!」
長い柄を短く持った由野宮が、悪魔の側面から槍を突き立てる。
鈍い感触と共に悪魔の首筋に突き刺さるかに見えた槍は、薄皮を一枚切り裂いただけで止まる。
こきり、と首を曲げて槍を顎に挟み、悪魔は身体を捻って縦向きに回し蹴りを放つ。
その蹴りは威鈴が放った銃弾ごと由野宮の眼鏡と鼻を叩き折り、錐もみに地面へと叩き付けられた由野宮の髪の毛から白銀の輝きが消える。
首をもう一度こきりと傾け、悪魔は表情も変えずに一歩、また一歩と威鈴へと歩いていく。
「うぉおあぁっ!」
口の端から涎が垂れたまま狂犬のように唸り声を上げて、威鈴は銃弾を放つ。
威鈴の銃弾は確かに悪魔の身体を抉り、その身を傷つけては居るが、悪魔は顔色も変えずに威鈴に向かって手を伸ばす。
そのまま、ふと動きを止め、悪魔はぼそりと呟く。
「もう一匹居たか」
銃口を向けて来た威鈴に向かって手刀を振り下ろすと、威鈴の身体は糸が切れたように崩れ落ちる。
悪魔は空を見上げて、居酒屋の屋根へと駆け上がっていく。
「待てっ!」
蛇を退治し終わった狩野と男が悪魔に向かって銃弾を放つ。
キイは動かない由野宮と威鈴の治療に当たり、アルベルトと九十九は路地を走り、逃走中の蛇を追いかける。
「大丈夫、この傷ならすぐに動けるようになるよ」
ほっとした様子でキイは頷いてアウルを流し込む。
威鈴、由野宮はキイの治療により意識を取り戻し、悪魔が去って行った方角を見上げる。
「少し……無茶を……した……ね」
駆け寄ってくる悠人を見上げて、威鈴は戸惑ったように呟いた。
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九十九が蛇へ最初の矢を撃ち込んだ頃、白蛇は自らの力の一部を司っていたと言う分体を召喚する。
「わしは空から参ろう。先に行くぞ」
呼び出された翼と蹄を持つ生き物に白蛇は飛び乗り、宙を駆けて空へと舞い上がっていく。
上空から眼下を眺めると、半壊した居酒屋の破れた屋根から丸く太った蛇が翼を広げて飛び立つ姿が見える。
「人の子を奪うのはあやつじゃな。わしらは一体、その蹄はわしの足、そのいななきはわしの叫び、その翼はわしの翼。行くぞ!」
自らの感覚を召喚獣と一体化し、白蛇は宙を駆け下りフラフラと飛行する蛇の背中へと勢いよく降り立つ。
その勢いで蛇の背中に生えた小さな翼の片翼がもぎ取られる。
片翼を奪われた蛇は甲高い叫び声を上げて身体を蠢かして暴れ、白蛇を振り落そうと身体をよじる。
「こっ、これっ!大人しくするのじゃっ!」
激しく揺れる視界に白蛇は有利な位置取りを維持しながら、残る翼を撃ち抜こうとライフルを放つが、狙いは定まらず的を捉える事が出来ない。
外せば下の街や蛇が飲み込んだ人々へ被害が出る可能性がある、と判断した白蛇は一度離脱し、再び突撃を試みる。
一直線に空から駆け下りてくる白蛇にとって、動きの鈍くなった蛇を捉える事は造作もないことであり、身を捩って避けようとする蛇を地上へ向かって追い落とす。
頭部にぱっくりと割けた傷から血を流しながらも、辛うじて意識を保った蛇はそれでもまだ空からの逃亡を図る。
「さて、落とすのは簡単じゃが、落下させると人の子が危ないのぅ……」
どのように止めを刺すか悩みながら再び旋回する白蛇は、近づいてくる殺意に背筋を凍らせる。
振り向き様に狙いも定めずにライフルを放つ。
小柄な悪魔が無表情に空を奔り、アウルの銃弾を首を曲げるだけでかわし、白蛇の間合いの内に入り込む。
「貴様……っ!」
白蛇が何かを為す前に、その胸に悪魔の手刀が突き刺さる。
「ごふっ」
肺を傷つけたのか、溢れ出す生臭い血を口腔から吐き出し、地上に向かって落下していく。
震える手を意思の力で抑えながら飛び去ろうとする蛇に狙いをつける。
せめて一人でも助けるために。
だが、突然背中が弾けるように割け、反動で狙いは逸れる。
消えゆく意識の中で悪魔に切り裂かれる召喚獣の姿が見えた。
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「白蛇さんっ!」
地上に落ちる白蛇を見上げて九十九が声を上げる。
せめて蛇を撃ち落とそうと天の輝きを纏わせた矢を放つが悪魔に遮られて蛇には届かなかった。
アルベルトも首を振って届かないことを告げる。
白蛇が落ちた場所に駆けつけると、周囲に血だまりを広げて横たわっていた。
九十九が応急手当を行うと、うっすらと口を開く。
何か言いたい事があるのかと九十九は白蛇の口許に耳を近づける。
「わし……の、ことは……白蛇様、と……呼ぶのじゃ」
呆れたように溜息をついた九十九は、血で汚れるのも構わずに白蛇を背負う。
「とにかく急いで治療が必要さねぃ。皆と合流しよう」
アルベルトに告げて、駆け戻っていくのだった。
白蛇と天木を載せた撃退庁の救急車の音が遠ざかっていくのを聞きながら、残された撃退士達は座り込んで口を開かずに空を見上げていた。
由野宮の吸う煙草の煙が、じじ、と焼ける音だけが響く。
「ね、狩野さん。お酒でも飲みに行こっか」
アルベルトがふと思いついたように狩野へ声をかける。
じっと何かを考え込んでいた狩野は、言葉の意味が分からないようにきょとんとした目を向ける。
「こんな時はさ、一人じゃない方が良いよ。私もイケメンとデートしたい気分だしさ」
おどけたように舌をぺろりと見せるアルベルトに、狩野はふっと息を漏らす。
「そうだね、この事件の報告書を書き終ったら一緒に行くか。さあ、皆疲れたところ悪いが戻ったらもう少し付き合ってくれ」
事件はこれで終わりではない、ここからあの悪魔を追い詰めていかなければならないのだから。
狩野は皆を促して学園への帰路へつくのだった。