●
「……ぁ……ぇ!」
ばちばちと豆粒大の雨粒がレインコートを叩く音で、自分の声すらかき消される。
「え!?」
麻生 遊夜(
ja1838)は何やら話しかけてきた来崎 麻夜(
jb0905)に向かって聞こえないと叫ぶ。
「すごい!ねぇ!」
一匹の龍のごとく黒い奔流となった川を前に、来崎は声を張り上げる。
「なんともまぁ、遣り難い状況だな」
やれやれとため息交じりに言葉を返す麻生に来崎も聞こえない、と首を傾げてみせる。
麻生は肩をすくめて来崎の耳に口を近づけ、声を張り上げる。
「どんな状況だろうと!バッドエンドなんざ御免被るぜ!」
ボク達が来たんだからきっとハッピーエンドだよ、と来崎は笑顔に意味を込めて笑う。
にやりと笑った麻生にはちゃんと通じたようだった。
その隣で川をじっと見つめるヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は何かに納得したようにこくりと頷く。
「うん、この川、増水は、危険」
濁流に押し流されていくアスファルトの塊や木の根っこを見ながら、状況の悪さを再認識する。
「やれやれ、もっとお日柄の良い日を選んでくれたっていいんじゃないかい?嵐の時ぐらい大人しくしても罰は当たらないだろうにねぇ」
アサニエル(
jb5431)は顔に張り付いた赤い髪をかきあげ、ため息をつく。
レインコートなど意味をなさないとばかりに吹き付けてくる風雨に恨めし気に顔を歪めている。
山寺真人(
jb8868)は濁流に見え隠れする人魚を見つめ、訝しげな独白を漏らす。
「ディアボロにも思いがあるのでしょうか。まるで意思や意図があるかのような動きですね……」
二体の人魚は遊んでいるのか、争っているのか、互いに激しい勢いで高圧の水を打ち出しあい、周囲の地形を削っていた。
「どっちでも構わない。俺達は戦うだけだ」
風の流れか、山寺の呟きが聞こえた南條 侑(
jb9620)は人魚を睨み付けて呟く。
相手の意図を慮っている余裕はない。
やらねばならないことをやるだけだ、と橋に残された小さな影を見つめる。
「ぬぬっ!助けを求める声が聞こえるぅ!」
形容しがたい不可思議生物に変化したエルレーン・バルハザード(
ja0889)は橋の上に蹲る兄妹に向かってマッテテネ!と叫ぶ。
声が届かないとはわかっていても叫ばずにはいられないほど、濁流の中に見える兄妹の姿は小さく、頼りないものだった。
叫ぶことで、絶対に助けるから、大丈夫、と自分をも励ましている。
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はお気に入りの帽子に巻いたリボンが風になびくのを感じながら、水中眼鏡の奥で目を細める。
子供たちはまだ見える場所にいるから状況が分かるが、その先に居るという男たちの様子も気にかかる。
「とにかく、時間はかけられないよね。急がないと」
纏ったアウルで黒い半透明の翼を形成し、ソフィアはふわりと空へ舞いあがる。
バタバタとはためく魔女のローブは嵐の空に良く馴染んで見えた。
●
川に飛び込んだのは二人。
兄妹の残っている橋に辿り着かなければ、人魚へ攻撃が届かないだろう。
南條は流されるのを見越して、上流から川に飛び込む。
だが、あっという間に激流に飲まれるように姿が消える。
撃退士の身体能力をもってしても流れに逆らうことは難しい。
数秒後、かなり流された場所で、南條の頭が浮かぶ。
流される、だが少しずつ、確実に橋までの距離を縮めていた。
南條はただ、真っ直ぐに泳ぎ続ける。
もう一人、エルレーン――或いは一個の不思議な生命体――もその不可思議な微笑みを消すことなく川へと飛び込む。
足元にアウルを集中させ、水の上を地上であるかのようにしっかりと踏みしめ……流れていく。
高速で流れる川に飛び出すことは、高速道路でトラックから飛び降りるようなものだった。
ぱしゃっぱしゃっぱしゃっぱしゃっ……
激しく流されていくかに見えたエルレーンは、その手足を激しく動かすことにより、川の流れに順応した。
大きく上下左右に揺れながらも、転ぶことなく流れに逆らって走るエルレーンの顔には変わらず微笑みが浮かんでいた。
「バルハザートさんっ!大丈夫ですかっ!」
スレイプニルに乗って空中を駆け抜ける山寺はエルレーンが流れに飲まれたように見えて叫ぶが、すぐに元気に駆け抜ける生物の姿が見え、ぐっと前を見据える。
幼い兄妹は橋にしがみつくのに必死でまだ撃退士には気付いていないようだった。
「護法魔王尊のご加護がありますように……!」
既に捨てた信仰に縋る思いで祈りをささげながら、スレイプニルに意志を伝える。
早く、もっと、早く、と。
川の流れに苦戦する二人の様子を見て、麻生は麻夜とヒビキに頷く。
「すまんな、よろしく頼むぜ」
「はいはーい♪ボク達がお送りするよー」
麻生の仕草と表情で意を酌んだ麻夜はクスクスと笑いながら麻生の肩を担ぐ。
「ん、つかまって?」
麻夜と反対側からヒビキは両手を広げて麻生にくっつく。
二人はタイミングを合わせて麻生と共に空へと飛び立つ。
陰と陽、二人の翼に抱えられて、麻生は銃を構えて警戒しながら川を渡る。
ソフィアも長大な杖を川に向けて3人を庇うように飛び立つ。
先の見通しの悪い嵐の中、孤立することは危険だと感じ、空を行く仲間とタイミングを合わせて飛んでいく。
「ここは先に行くと良いさね」
アサニエルがソフィアの側で飛びながら声をかける。
どれほど激しく雨が降ろうと、濁った川に隠れようと、アサニエルは人魚の位置を正確に把握している。
生命の輝きがその場所をアサニエルに告げているのだった。
「あたしたちに任せておきな」
アサニエルはにやりと笑い、川に向かってアウルを込めた手を向ける。
「雨時々流星雨に注意ってね」
嵐の中で暗雲が湧き出したかと思うと、雲を突き破るように拳大の彗星が落ちてくる。
雨よりも激しく水面に突き刺さる彗星群に、人魚はたまらず水面へと飛び出してくる。
自分を攻撃してきた相手、アサニエルに向かって人魚は鋭い高圧水流を飛ばす。
高圧水流を避けることなく受け止めたアサニエルは、破れたレインコートを脱ぎ捨て、人魚へ牽制を行いながら橋と仲間を巻き込まないように位置を変えていくのだった。
●
川の上を走る不可思議な生物は気が付けば2体となっていた。
エルレーンの溢れる感情が生み出したもう一人の自分、影分身。
ただし、水の上を走る事は出来ず、高速犬かきで川を漂っている。
「えいっえいっ」
川に沈みそうになりながらも、影は丸太に攻撃を加えて橋に当たらない流れに押しやる。
丸太の処理を自らの影分身に任せ、エルレーンは水の上を走る。
「もう大丈夫だよっ。安心してねっ!」
橋にたどり着いたエルレーンは兄妹に声をかける。
ようやく声が届いたのか、はっとしたように兄は頭を上げる。
「え……?」
エルレーンの姿に戸惑いを覚えたように目線を周囲に走らせる。
その時、人魚がこちらを睨んでいることに気づいた兄は叫ぶ。
「危ないよっ!」
兄の叫びよりも早くエルレーンは走る。
人魚が放った水圧を受け流そうと空蝉を行おうとするが……無かった。
身代わりとするものが無く、避けるタイミングも失ったエルレーンは自らの身体で水圧を受け止める。
「大丈夫……怪我は無い?」
「うんっ!大丈夫よ!」
体から血を流しながらも、兄妹を気遣う不思議な生物に、妹は力強く頷くのだった。
その懐から細い鳴き声で子猫も生きていることを告げている。
「猫を助けたのですね。大変、勇敢でした」
エルレーンに少し遅れ、山寺も兄妹の元へと駆けつける。
山寺が乗るスレイプニルの大きさに唖然とする妹だったが、兄は興奮したように目を輝かせる。
「かっ……格好良い!」
「気に入りましたか?それなら君はこちらにどうぞ」
山寺は兄をスレイプニルに担ぎ上げ、スレイプニルのお尻を軽く叩く。
勢いよく駆け出していく召喚獣を見送り、エルレーンの背中に猫を抱いた妹を乗せる。
「揺らさないように、お願いしますね」
「わかってる!しっかり掴まっててね!」
ここまで来るのに川の上の走り方のコツを掴んだエルレーンは勢いよく走り始める。
要は流される前に駆け抜ければいいのだ。
そんな強引なコツを胸に一気に川を渡る。
足元さえ違わなければ多少流されても気にすることはない。
全力で走るエルレーンの目には、川はゆっくりと流れているように見えるのだった。
●
「アリアケデアオウ」
そんな言葉と共に人魚を引きつけていたエルレーンの影が沈んでいく。
次の獲物を探す人魚に、炎を纏った扇子が叩き付けられる。
さらに南條のアウルにより生み出された蛇の幻影が扇子を追いかけるように人魚に噛みつく。
「酷い目にあった……環境破壊は禁止だ」
ようやく川を渡り橋へ上った南條は、荒い息を整えながらも確かな手応えを感じる。
人魚が身を焼く毒に苦しんでいる様子が見える。
追撃しようと扇を構えた瞬間、人魚は南條に向かって高圧水流を放つ。
「くっ」
太ももを抉られる痛みに顔を顰めながらも、扇を放ち人魚に一撃を加えることは忘れない。
「もう少し粘るよ。仲間が戻ってきたら、勝負をかけるからね」
別の一体の人魚を足止めしていたアサニエルが南條の側に降り立ち、声をかける。
二体の人魚は争っていたのが嘘のように共通の敵である撃退士に対し、足並みを揃えて攻撃を仕掛けてきた。
タイミングを合わせて高圧水流を放とうとする人魚達に身を固くするアサニエルと南条。
「集まってくれて良かったです」
不意に山寺が声をかけると、橋の下からストレイシオンが水面を割って飛び出し、一声咆える。
そこに生まれた結界が水流の勢いを弱くする。
南條は再び水流を受けるが、今度は抉られずに済んだ。
「助かったよ、今のうちに怪我を治すよ」
アサニエルが南條の足に手をかざすと、柔らかなアウルの光に包まれて、傷口がみるみる塞がっていく。
礼を言う間も惜しみ、人魚への追撃を行う南條とストレイシオン。
完全に前に意識が引きつけられた人魚たちは、背後から迫るエルレーンに気が付かなかった。
「えーいっ、しんでゃえであぼろッ!」
エルレーンが川を蹴って長巻を振るいながら人魚の背後から切りかかる。
視界の悪い雨が幸いしたのか、不可思議なアウルがまとわりつく長巻は勢いよく人魚の身体を抉る。
怯んだ人魚が川の中へと逃げ込んだが、アサニエルはにやにやと笑う。
「逃がしゃしないよ」
彗星群が川へと叩きこまれ、人魚は力なく川を流され、残る人魚が威嚇の声を上げるのだった。
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男達が取り残されているという田んぼに向かった4人は、ぬかるんだ地面を蹴って駆け抜ける。
田んぼの近くに止められたトラックと、水門を殴りつける岩の塊のようなディアボロの姿が見えてくる。
「おかしーね。誰か戦ってるはずだけど」
来崎は話に聞いていた、ディアボロを引きつけているはずの男の姿を探して辺りを見回す。
「居たっ。誰か倒れてる」
空を飛んでいたソフィアが倒れている男を見つけ、地上へと降りてくる。
男の様子を確認したソフィアは男を担ぎあげて仲間へ声をかける。
「大丈夫、まだ生きてるよ。気絶してるだけみたい」
「こっちに連れて来てくれ」
トラックに兄妹を押し込んだ麻生はソフィアに手を振る。
「少しの間待っててくれよ?」
兄妹の頭を撫でて麻生はライフルを活性化させる。
岩男は水門を破壊しようと殴りつけていた。
水門は歪み、今にも弾け割れそうな様子を見せていた。
その背後からぬかるみを疾走する足音が響いてくる。
ヒビキは空中へ飛び上がると、宙返りで勢いをつけて岩男の背中に蹴りを放つ。
何か気配を感じたのか、岩男がタイミング良く振り向いたことで、ヒビキの蹴りは空を切る。
だが、目的通り注目を集める事には成功し、ヒビキに向かって突進してくる。
「そう、貴方は、私と、遊んでいれば、いいのよ?」
クスクスと笑いながら、自分の身長よりも大きなピコピコハンマーを構える。
「そうすれば、ユーヤ達が、来てくれる、から」
振り下ろされる岩の腕に吹っ飛ばされるが、ヒビキは空中で体を捻り、地面に片手を突きながらも倒れるのを防ぐ。
レインコートは破れ飛び、羽織った特攻服に浮かぶ文字を泥で汚すわけには行かない。
ヒビキは岩男を見つめ、コクリと頷く。
「ほら、ね」
雨に紛れるように暗闇を纏った来崎が、岩男の背後に近づき細かい羽状態のアウルを霧散させる。
「ふふ、貴方は何も見えないの」
クスクスと笑う来崎はすぐにその場から下がり、麻生の射線を開ける。
既にライフルで狙いをつけていた麻生はスコープを覗きながらにやりと笑う。
「初御目見えだぜ?後衛に思えや」
放たれた弾丸は着弾と共に腐乱の蕾を生む。
岩男の背中、首筋の部分にじわりじわりと蕾が大きくなり、身体にヒビが入り始める。
「田んぼが駄目になっちゃう前に終わらせないとね」
上空で風に煽られて揺れるソフィアは、しっかりと狙いをつけて魔力弾を放つ。
魔力弾が纏うアウルが周囲を眩しく照らし出し、岩男の体に弾ける。
爆発する音が周囲を圧し、数瞬後、再び雨の音が周囲を覆う。
ヒビキは麻生の攻撃によりヒビが入った背中へ向かって魔具を薙ぎ払う。
ぶぉんと重く風を切る音に続き、ピコッ!と可愛い音が響く。
「ん、硬い手応え……?でも、ピコハンが、敵を叩けと囁くの」
確かに広がったヒビと、壁を叩いたような硬い手応え。
岩男の意識を飛ばすつもりの一撃は、頑強な体に阻まれてヒビを広げるに留まる。
攻撃終わりのヒビキを狙うように腕を振り上げる岩男の周囲に無数の妖蝶が舞い、岩男を惑わす。
だが、スキルを仕掛けたことにより、来崎はその位置を知られてしまう。
頭を振って耐えた岩男は来崎に向かって口を開く。
「おっと、これは危ないねー」
急いで避けようとした来崎は足を取られ、飛んできた礫により田んぼに叩き落とされる。
「あぁ、これ終わったらすぐにお風呂だ」
だらりと下がった腕を庇い、来崎はフラフラと立ち上がりクスクスと笑う。
敵の注意を引きつけるという自分の仕事は既に終わったのだ。
麻生は黒と赤の翼を背負い、放った白い弾丸を見つける。
「存分に味わえや、偽物やけどな」
その一撃で全身にヒビが広がり、胸に大きな穴が開く。
それでも攻撃の意思を見せる岩男に太陽と見紛うほどに輝く火球が降ってくる。
「太陽の火花、あなたには耐えられないよね」
ソフィアは炎と共に崩れ落ちるディアボロの側へと降り立つのだった。
●
トラックを走らせ、橋があった場所へと戻ってくると、川での戦いも既に終わっていた。
アサニエルは傷ついた仲間の傷を癒していたが、トラックの音に気付いて顔を上げる。
「おや、雨は止んだようだね」
雲の間から差し込んで来た光に目を細め、仲間達を出迎えるのだった。