●
早朝、大きく伸びをしていた蔵寺 是之(
jb2583)は見覚えのある集団がぞろぞろと歩いている姿を見つける。
「ん……、お前ら来たのか……」
何の気なしに声をかけ、懐かしい思いで世間話を交わす。
\それではっ!/と声をそろえて去っていく男達を見送り、蔵寺は妙に嬉しそうな顔で自分のパン工房へと急ぐのだった。
「地方から来てんだからな……、盛大にお持て成ししねぇとな……」
●
「ここは……うん、良さそうだ」
小さな体に羽織った白衣をはためかせ、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は周囲を見渡す。
学園に数多くある演習場の一つ、広く起伏に飛んだ地形の一際大きな丘の上からは演習場がすべて一望できる。
教師に頼まれ午後に行われる演習の地形を把握しに来た鴉乃宮は丘の上で演習上の地形をノートに書き写し始める。
一通りノートを埋めて満足した鴉乃宮は、ぱたん、とノートを閉じて空を見上げる。
五月の空は見事に晴れ渡っていた。
日も高く上った頃、ディザイア・シーカー(
jb5989)があくびを噛み殺しながら学園を歩いていた。
ふと、前を歩く小さな人間が沢山の箱を抱えて歩いている姿に目を止める。
「どこへ運ぶんだ?」
手伝うぞ、と声をかけられた鴉乃宮は、ディザイアを見上げ、首をかしげる。
「……ふむ、そうだな。君、午後に時間はあるかな」
●
昼休みの到来を告げるチャイムが学園に響き渡ると、礼野 智美(
ja3600)は金色に輝く炎のようなアウルを脚に纏わせ、校舎の中を一陣の風となって走り抜けていく。
「こらぁっ!廊下でスキルをつかぅ……」
叱りつける教師の声もドップラー効果で消えていき、礼野の耳には留まらない。
部室棟に駆け込み、ようやく落ち着いてドアを開ける。
誰も居ない部室に小さく息を吐き、ホワイトボードをを確認する。
「今日の欠員は3名、と」
ひとつ頷いて、部室の台所に向かう。
途中で割烹着を素早く被り、手慣れた様子で大鍋でお湯を沸かしだす。
後から来るだろう部員達分の冷麺を戸棚から取り出しながら、礼野は彼女たちがにぎやかに食卓を囲む姿を思い浮かべて口許に笑みを浮かべる。
(『朝相談した通り冷麺ねー』『ふつうは部室に台所一式装備しないって』なんて言うんだろうな)
賑やかなひと時の予感に心を躍らせていると、ピーッと炊飯ジャーがご飯が炊きあがったことを知らせてきた。
「ん、ご飯を誰か炊いていたのか……そういえばお土産があると言っていたな」
友人の言葉を思い出しンがら、茹で上がった冷麺を網に入れて流水で粗熱を取り、冷水に付け込む。
麺を冷やしている間に、切っておいた具材を取り出そうと冷蔵庫を開くと、礼野の目に八朔が飛び込んで来た。
「これも、並べておくか」
八朔を切ると爽やかな柑橘系の香りが部室に広がる。
皮を剥いていると、続々と部員達がやってきた。
「今日は冷麺だ、暑い時はこれにが良いだろう」
準備が終わり、皆が席に着いたらいつものように声を合わせて食事を始めるのだった。
「いただきます」
●
レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)はかくりと首を傾げる。
迷子の子猫がちゃんと帰れるか見守っていたらいつの間にか知らない光景が広がっていた。
「あら、思ったより広いのですね」
周囲の様子を眺めていたら子猫が居なくなっていた。
「迷子になったら困りますわね」
このまま授業をボイコットしてしまう罪悪感に、言い訳を誰ともなく呟くと、見たことのない世界にどきどきと胸を躍らせて歩き出す。
「……へぇ、地方から来てるんですか、それじゃ僕が……ん?」
通りすがりの青年が電話で話しながら歩いて来て、レティシアに目を止める。
レティシアは片足を斜め後ろに下げて、もう片足を軽く曲げ、優雅に挨拶をすると、何事も無かったかのように歩き出す。
「ちょっと……あぁっ、すみません、今迷子の子が居たような……」
戸惑う青年には気づかずに、レティシアはとことこと歩いていく。
まさに意識の死角を渡り歩く匠の業ですわ、と自らの才能に慄き、両手で自らを抱きしめるのだった。
佐藤 としお(
ja2489)は電話を切って、迷子の子供が消えていった方角を心配そうに見つめていたが、聞こえてきた昼休みの終わりを告げるチャイムに慌てて走り出す。
今日の授業は既に終わり、特に急ぐ必要はないのだが、佐藤にはやらねばならないことがある。
地方から体験に来ているという撃退士達へ久遠ヶ原の「オ・モ・テ・ナ・シ」というものを味わってもらわねばならないと、使命感に燃えていたのだ。
急いで寮に帰ってきた佐藤は、こんなこともあろうかと昨日の晩から仕込んでおいたスープベースの味を確認する。
「うん、良い出汁が出てるね」
このスープベースを活かすには、と暫し考えた佐藤はおもむろに冷蔵庫や戸棚から具材を取り出す。
シンプルな醤油ベースのタレを調合し、スープベースと合わせて味を確認する。
佐藤は何度か調合を試し、満足する配合をメモに取っていく。
「やっぱり味見はしておかないと、ね」
小さな鍋で一杯分のラーメンを作り始めるのだった。
授業中にも関わらず、大狗 のとう(
ja3056)は暖かな日差しと幸せな満腹感のために、うとうとと眠りの世界からの誘惑に負けていく自分を感じていた。
がくっと、首が落ちた衝撃で、少し目が覚めた大狗は目を覚まそうと外の光景に目を移す。
綺麗に晴れ上がった青空の下でふわふわと楽しげに歩いている少女の姿を見つけ、大狗は決意する。
(こんなすっげぇ良い天気で閉じこもってるなんて勿体ないな!)
教師が黒板に向いている隙に、体を屈めて授業を抜け出すのだった。
●
演習場では地方撃退士達が土煙を上げながら10人ずつ4つのチームに分かれて演習を行っていた。
わーわーと声を上げて互いの体に付けた風船を手にした木刀でぱちぱちと割りあっている。
「賑やかにやってるな……」
蔵寺が演習場の丘の上に大きな箱を運んでくると、優雅に紅茶を飲みながら鴉乃宮が地方撃退士達を採点していた。
「うん?君もやるかい?良ければ彼等に気合を入れてやってくれ」
鴉乃宮が蔵寺に声をかけると、横で見ていたディザイアがにやりと笑みを浮かべ、肩をぐるりと回す。
「ようやく俺の出番ってわけか」
気合の入った表情のディザイアは隣にいる蔵寺に悪戯を仕掛けるように笑いかけるのだった。
●
「ひとまず蔵寺との組手でも見てもらおうか」
距離を取って向かい合った二人の横で、地方撃退士達は座って二人の戦いを見ている。
ディザイアが布を巻きつけた拳をパシンッと合わせると、淡い色合いのアウルが全身を包み込む。
「やる気じゃねぇか……」
蔵寺はお札に覆われた破魔弓を活性化してディザイアの様子を伺う。
鴉乃宮の合図で一気にアウルを高める二人。
先に動き出したのはディザイアだ。
「数ある戦い方の内の一つ、だ。……ちゃんと見てろよー」
地方撃退士に聞こえるように声をかけると、にやりと笑って真っ直ぐに蔵寺に向かって駆け出す。
蔵寺は翼を広げて空へと飛び立ち、弓を構える。
「まずはいつも通りやってみるか……」
轟音を上げて雷光を纏う光の矢がディザイアに迫る。
「オラッ!」
小型の盾を緊急活性させて、光の矢を真正面から受け止めたディザイアは、同じく翼を広げて空へと飛び立つ。
「久しぶりの接近戦だな……少し試してみるか……」
蔵寺は弓から二本の小太刀に持ち替えてディザイアの突撃を待ち受ける。
凶器となったディザイアの拳を二本の小太刀をクロスさせて受け止めた蔵寺は、間近に迫ったディザイアに向かって、額を振り下ろす。
だが、不意を突いたはずの頭突きは盾に阻まれ、視界を塞がれた蔵寺は死角から放たれた蹴りにより、地面に叩き付けられる。
「さあ、まだまだ行けるぜ?」
ディザイアはにやりと笑みを浮かべ、蔵寺の後を追って急降下する。
蔵寺が立ち上がったところに、ディザイアの勢いをつけた蹴りが襲い掛かる。
その蹴りを避けることなく正面から受けた蔵寺は、血を吐きつつもディザイアに向かって両手を向ける。
「油断したな……」
蔵寺がアウルを高めると、呼応するようにディザイアの周りを淀んだアウルが取り巻き、地面から舞い上がった砂塵が切り刻む。
「この程度で……何っ!」
砂塵に切り刻まれながらも前へと歩き出したディザイアを強靱な布が巻き付き、その動きを拘束するのだった。
「そこまで!」
鴉乃宮の合図で、二人は気勢を削がれたように動きを止める。
「お疲れさんだ、良い経験になったぜ」
「あぁ、こっちもな。捕まえて素手でボコろうと思ったが、天魔相手じゃ使えねぇ手だよな……」
二人は握手を交わし、互いに傷を癒しあう。
激闘に息を飲んでいた地方撃退士はその姿を見て歓声を上げるのだった。
●
講義を受け終え、寮に戻る途中だった宮鷺カヅキ(
ja1962)は演習場から聞こえてきた歓声に興味を惹かれて足を踏み入れる。
「何をやってるの……」
「面白そうな事やってるじゃないかーっ!俺も混ぜて混ぜてっ!」
白衣の鴉乃宮を見つけて話を聞こうとした宮鷺の言葉は、同じように歓声につられて舞い込んで来た大狗の勢いに遮られる。
「模擬戦っ?俺ってば、この子とペアを組むにゃ!」
戸惑っている宮鷺の手を取ってはいはーいっと手を上げる。
「君と俺で、天下無双ってやつなのだ!よろしく頼むのなっ!」
大狗の勢いに宮鷺はくすりと微笑み、鴉乃宮によろしいですか、と問いかけるのだった。
「力の差は歴然としているが、諦めてはそれまでだ。力が無いなら頭を使え。今回演習を共にする者たちを吃驚させてやると良い」
白衣を翻しながら鴉乃宮は整列した地方撃退士の前で訓示を行う。
「己を大事にしろ。慢心は身を滅ぼす。仲間は見捨てるな。それだけ覚えておけばそう簡単には死にはしないだろう」
大事な事だ、と鴉乃宮は繰り返し叩き込む。
宮鷺と大狗、蔵寺とディザイアは二手に分かれて地方撃退士を待ち受けている。
「模擬戦といえど、手加減不要ですよね。全力で当たることが一番の礼儀です」
白衣の襟を正しながら、宮鷺は真剣な表情で魔具を選ぶ。
「ワイヤー……は、さすがに止めておきましょうかね」
やはりこれでしょうか、と使い慣れた拳銃を取り出し、重心の確認を行う。
「よーし、俺達二人が相手すっから、かかって来いよ」
ディザイアは爽やかな笑顔で拳を鳴らす。
蔵寺は片手を額に翳して相手の数を数える。
「さすがにこの量で攻められたら厳しいかもな……親玉の気持ちが良くわかるぜ……」
眼前に広がる撃退士達に、蔵寺は溜息をつくのだった。
●
「始めっ!」
鴉乃宮の合図でまず走り出したのは大狗。
「わっはー!いくぜいくぜー!」
\うぉーっ!/と半ば自棄になって地方撃退士達も突進してくる。
大狗が合図をするとどこからともなく大小様々な犬が現れ地方撃退士に尻尾を振りながらまとわりついていく。
「くっ……だ、だめだ、俺は、もう……はっはっは、可愛い奴めーっ」
先頭を走っていた地方撃退士は犬の幻影に心奪われ、もふもふとした毛並に埋もれていく。
大狗に向かって殺到する撃退士達。
だが、振りかぶった剣は銃弾に弾かれて飛んでいく。
続けて大狗に向かって飛来してきた矢も次々と届くことなく撃ち落とされる。
「飛び道具は私の前では無駄ですよ」
銃を構えて適格な射撃を繰り返す宮鷺に、地方撃退士達は半ば恐慌状態で弓を投げ捨て突撃してきた。
「接近戦を選びましたか、実は私も、接近戦が専門でして」
しゃりりと音を立てる鎖鞭を持ち上げ、大狗の横に並び立つ。
大狗は側にやってきた宮鷺と目を合わせて、いっしし、と笑うと、群がる撃退士に向かって槍を振振り回す。
大狗の後ろに回り込もうとした撃退士に向かい、宮鷺は鎖鞭を振り回して撃退士の足元を叩き、動きを止める。
怯んだ相手に、くい、と手招きをする。
「まとめてかかっていらしてください」
その言葉に誘われるように宮鷺に向かって足を踏み出した撃退士は、宮鷺が引いた鎖鞭に足を取られて引きずられていく。
足元に横たわった撃退士の顎を踏み抜いて意識を断ち切ると、続けて突き出された槍の上を転がるように体を回転させ、撃退士の体に鎖鞭を絡めていく。
慌てて数人で駆け寄ってくる撃退士達に向かって縛り上げた撃退士を鎖鞭で投げつける。
飛んできた仲間を受け止めようと両手を上げた撃退士の脇腹を鎖鞭が強かに叩きつける。
「脇が甘いですよ」
崩れ落ちる撃退士を諭すように穏やかに語りかけるのだった。
治癒を施しながら止血の方法などを教えていると、蔵寺が持ってきた段ボールからアンパンを配る。
「遠い中お疲れ様だ……。朝焼いたアンパンだ……食ってくれるよな……?」
きちんと包装されたアンパンは、袋を開けると焼きたての香りがほのかに漂う。
怖い顔で地方撃退士達の反応を伺う蔵寺だったが、\う、う、うまーいっ!/と叫ぶ彼らに満足そうに頷くのだった。
●
そこへ佐藤が屋台を引っ張ってやってきた。
「皆様お疲れ様でした!差し入れのラーメンですよ!」
机や椅子を屋台の周りに並べていく佐藤が元気に呼び込みを行う。
「はいはい、麺の硬さはお好みを教えてくださいね!メンマにネギ、ほうれん草に煮卵、もちろんチャーシューも準備してますよー」
食欲を誘う香りにふらふらと地方撃退士達は口々に注文をしていく。
目の前に並んだラーメンに目を輝かせて口に運ぶと、シンプルな醤油のスープから煮干し出汁のいい香りが広がり故郷の海を思い浮かべた一人がうっすらと涙を浮かべる。
少し縮れた麺はスープとよく絡み、麺独自の味わいをさらに引き立たせる。
大狗は旨そうな香りにくんくんと鼻をひくつかせるが、今は甘い物な気分だった。
満面の笑みを浮かべて宮鷺に駆け寄り、手を引っ張る。
「なぁなぁ、君ってばこの後暇か?俺ってば身体を動かした後は甘い物が欲しくなるのよな!」
宮鷺はきょとん、と一度瞬きをするも、すぐに微笑んで引っ張られるままに歩き出す。
「ええ、良いですね。一緒に行きましょうか」
●
レティシアは柔らかな日差しの下で気の向くままに歩き続ける。
この学園に来る前と今のこの穏やかな時間の以外に、くすぐったいような楽しい気分になり、軽い足取りで歩く。
ふと、目をやると広場で大勢の人が集まっていた。
そこには天魔や人の区別なく、にこやかに騒ぎながら何かを食べている。
いつもの学園の風景、だが、レティシアはその光景には常に衝撃を覚えずにはいられない。
だが、その衝撃は決して嫌なものではなく、いつもレティシアの心を軽くしていくのだった。
『レティシア・シャンテヒルト、職員室まで来なさい』
自分の名前を呼ぶ声が辺りに響く。
「あら、お呼びですね。参りましょうか」
微笑みを浮かべて、レティシアは職員室を探して歩くのだった。