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ごう、と地響きが轟き、山の中腹で土煙が上がる。
村に到着したときは既に始まっていたその異変はまだ遠く、だが確実に村に近づいてきていた。
高瀬 颯真(
ja6220)は事前に貰った地図を取り出し仲間の前に広げる。
「この一帯は傾斜が緩いみたいですね、おびき寄せるのはこの辺りでどうでしょうか?」
「そうですね。もっと傾斜が少ない場所が良かったですがそれでは村から離れすぎてしまう」
地図を覗き込んだ神谷春樹(
jb7335)も頷き、仲間へその場所を指し示す。
「森林とはまた面倒な所へ…村の方がよっぽど戦い易いんですけどねー。でも仕事仕事っ」
ふんわりとした笑顔を振りまきエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)は呟く。
「それじゃあ、山狩りを始めるとするさね。」
アサニエル(
jb5431)はにやにやと笑いを浮かべ、ふらりと翼を広げ飛び立った。
斜面を蹴り、倒木を飛び越え、張り出した枝を華麗に避けながら、全力で奔る撃退士達は一陣の風のように山の斜面を駆け抜けていく。断続的に聞こえてくる地響きは予想以上の速さで村に近づいてきており、一瞬の間も惜しまれる。
「この辺り、ですかね?」
足元の感触が変わったことを感じて春名 璃世(
ja8279)が足を止める。これまでの崖のような斜面から、急な坂道程度の斜面に風景が変わっていた。
「ここみたいですね。僕等はここで準備を進めますので、敵の引き付けをよろしくお願いします」
神谷は周囲を見回して切るべき枝を見定めながら、春名に声をかける。
予め立てていた作戦通り、エリーゼが翼を広げ春名を後ろから抱きかかえる。
「神父さんが守る為に懸けた命を絶対に無駄にしないっ。村の為にも娘さんの為にも……!行って来ますっ」
ぐっと拳を握り決意を新たに飛び立つ春名達を見上げ高瀬は呟く。
「自分を犠牲にするのは、自分を大切に思ってくれている人への裏切りだよ。もっと別の……」
「祈りが通じたかどうか知らないけれど、祈りに答えた相手が間違いだったんだろうね。考えすぎないように背中に当ってるものを役得と思って仕事に集中するさね」
想いに耽る高瀬を抱きしめ、アサニエルが後を追うように飛び立つ。飛び立つ際に高瀬の焦る声が漏れたが、あっという間に木々の間に吸い込まれていった。
「サーバントを倒したくてディアボロになったのかもしれないけど……ま、なんにせよ倒すだけね」
春名の残した呟きにナヴィア(
jb4495)は肩をすくめて黒斧を担ぎ、周囲の木々の枝を切り落としていく。
ロザリオから放たれる羽ナイフで枝を落とすロジー・ビィ(
jb6232)はぽつりと言葉を返す。
「既に手遅れですが……それでも何とかして差し上げたいですわ」
「自分の娘を残すことに、何も思わなかったのか、その教会の男というのは」
ぼそりと無愛想に応じるのは泉源寺 雷(
ja7251)。枝を落としつつ、足場を確認して回っている。
「自らが死んでディアボロにしてもらえば、か?自己犠牲に陶酔するのは浅慮というものだ」
それはそうですが、と転落防止のロープを張りながら神谷は反論する。
「自己犠牲は簡単に出来るものではありませんよ。僕等が最初から来れればディアボロには成らなかったのでしょうが……」
僕等に出来ることは最善を尽くして村を守ることだ、続く言葉はそっと飲み込む。仲間の表情を見ればその想いは同じだ、と感じたから。
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木々の間を縫って地響きの元にたどり着くと、そこには周囲の木々をなぎ倒す2体の巨躯が対峙していた。灰銀に輝く毛並みを持つ巨大な狼は口元を血に染め冷たい眼差しを浮かべ、苦悶した人間の貌を持つ大猿は歯をむき出しにして威嚇している。大猿の首には十字架が煌いているが巨躯に比べて玩具のように小さく見える。
撃退士達が慎重に近づくと、灰銀狼が木々を足場に駆け上がり大猿に体ごと突っ込み、樹上から吹き飛ばす。枝葉が邪魔にならない程度の高さを飛ぶ撃退士達は顔を見合わせて地上すれすれの高度までさがって行く。
高瀬はアサニエルに抱えられたまま大猿に近づき叫ぶ。
「こっちに来いよ!醜い猿野郎!」
ちらりと高瀬を見上げた大猿だったが、うなり声を上げて立ち上がる前に間に灰銀の影が飛び込んでくる。斜面を駆ける勢いに乗った灰銀狼の追撃を受け、二体の天魔は絡み合うように斜面を転がり落ちていく。
「貴方の相手はこちらです!」
エリーゼに抱えられた春名が厳かなオーラを纏い、威圧感を与える。大猿に牙を立てようとしていた灰銀狼は無理な体勢から首を捻り春名に目を向ける。
「成功しましたっ!このまま誘いだし……きゃぁっ」
注目させるように低空を飛んでいたことが災いし、反転して飛びかかってきた灰銀狼を避けられずにエリーゼごと吹き飛ばされる。
激しく木に叩きつけられ、くらくらと揺れる視界に両腕を組んで振り上げた大猿が目に入る。
とっさに盾を構えて拳を防いだが、足元を固める前に受けざるを得なかったため勢いを殺せない。
背後に衝撃が抜け背後の木がメキメキと音を立てて倒れていく。
「……くっ」
春名と木の間に挟まっていたエリーゼの右腕に折れた木が刺ささり、純白のドレスが朱に染まる。
「調子に乗るなよ犬っころっ!」
さらに追撃を重ねようとした灰銀狼の鼻先に高瀬がショットガンを撃ち込む。
意識の外からの銃弾に警戒した灰銀狼が下がったスペースにアサニエルと高瀬が滑り込む。
「行けるかい?大丈夫さ、そんな傷。跡も残さないさね」
アサニエルがエリーゼの傷に手を翳すと、エリーゼの腕を優しい光が覆い、突き刺さっていた木がゆっくりと抜けていく。
ほぉ、と一つため息をつき、エリーゼは春名を抱きかかえる。
「この借りはすぐに返して差し上げますよ。ふふふ、楽しみに待ってなさい」
天魔に楽しげな笑みを浮かべて言い放ち、仲間が待つ場所へと飛び立った。
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「あと5秒で到着しますっ」
春名からの連絡に闇を纏い準備していたナヴィアは翼を広げほんの少しだけ浮き上がる。
連絡からすぐに敵を誘い出しに行った春名達が戻ってきた。斜面に飛べない二人を下ろし勢いを殺さぬままに散開する。
転がるようにその場を離れた瞬間に、先ほどまで彼女達が居た場所へ灰銀狼が飛び込んでくる。
獲物を仕留め損ねた灰銀狼は次の獲物を探すべく首を振るが、その目の前には黒く闇を纏った斧が振り下ろされていた。しんしんと周囲の音を吸い込む、非可聴領域の振動を放ちながらナヴィアの斧が灰銀狼の頭を捕らえる。
斧に纏われた闇はそのまま灰銀狼の体を縛るように絡みつき、意識を刈り取っていく。
「さあて、これで逃げられないわよ」
間髪居れずに灰銀狼の体を雷の槍が貫く。動けぬまま体を捩って苦しむ灰銀狼を上空からふわふわとした笑顔で眺めるエリーゼの腕には、次の雷が集まりつつあった。
「私のドレスを汚したお返しが一度で済むなんて思ってないでしょ?」
エリーゼに向かって牙をむき出し唸る灰銀狼にロジーの矢と泉源寺の銃弾が突き刺さる。
「腹にまで剛毛が生えていたか。やはり頼るべきは己の力か」
手ごたえの無さを感じた泉源寺は光輝く刀を抜き、右肩に担ぎ上げる独特の構えを取り戦場の様子を伺う。
一方、高瀬は地上に降り立ったところを大猿に襲われていた。ショットガンで迎え撃とうとするが、木々を使って空中を飛び回る大猿の動きを捕らえきれず翻弄される。不意に飛び掛ってきた大猿の重い一撃を受け、斜面を転がり落ちる。
「ちょこまかと煩いぞ猿野郎っ。逃げ回るんじゃないっ」
すぐさま体勢を立て直し、次の一撃に備えてショットガンを構えなおす。
神谷はじっと観察を続ける。大猿の動きを追い、次に飛び移る木の枝を見定める。
高瀬に一撃を加え、再び樹上へ飛び移ろうとした大猿の動きを読み、大猿が体重をかけた枝を打ち落とす。仲間が誘い出しに行っている間に周辺の余計な枝を切り払ったことで、大猿が飛び移る枝の選択肢を狭め、視界を広くしたことが効を奏し、針の穴を通すような精密な狙撃を成功させる。
バランスを崩し、為す術もなく地上に落下した大猿を全身に光を帯びた高瀬が大鎌を振りかぶって襲う。鋭く空気を切り裂く音と共に天の光が大猿にダメージを与える。胸を切り裂かれた大猿がよろけた所に泉源寺が振りかぶった刀を裂ぱくの気合と共に振り下ろす。
「片腕が使えなければ木々の移動も辛かろう?」
とっさに体をずらした大猿は肩口を深く切り裂かれ耐え切れずに斜面を滑り落ちる。
「好機ですわね、覚悟なさいっ」
斜面を滑り落ちていく大猿に、ロジーはダメ押しとばかりに上空から両刃の剣を振り下ろす。刀に天の光を帯びさせ、上空から滑空しながらの一撃は深々と腕を切り裂く。
灰銀狼は次々と飛んでくる撃退士達の攻撃を受け、体中から血を流していた。硬く体を覆っていた銀毛は所々剥がれ落ち、ピンと立っていた耳も片耳が裂けてぶら下がっている。
その灰銀狼の様子を盾を構えた春名はじっと見つめていた。資料にあった民間撃退士の証言、そこに書かれていた灰銀狼の毛針を警戒していたのだった。
そのため、不意に灰銀狼の全身が逆立ったことに気づいたのは春名が一番最初だった。
「毛針、来ます!」
灰銀狼から目に見えない細い毛針が無数に放たれ、周囲の木々が粉砕されていく。
春名の警告の言葉に瞬時に反応できたのはエリーゼのみ、彼女はもともと高所を飛んでいたため、毛針が飛んでこない高さまで瞬時に飛び上がる。
ナヴィアは腕を顔の前に上げるのが精一杯で体中に針を立てながら斜面を滑り落ちていく。
「守ります!」
全身を覆うアウルをさらに活性化させ、盾を構えた春名がアサニエルと狼の間に立つ。
細い毛針のすべてを防ぐことは出来ず、アサニエルにも毛針は降り注ぐ。しかし、その大部分を春名の持つ盾で受け止める事に成功する。肩と膝に毛針を受けたアサニエルは空中でバランスを崩して地上へ落下する。地面に叩きつけられる前に泉源寺が受け止める。
「あら、ありがとう。男らしいじゃない」
「ロープ程度では信用ならんからな」
軽口を混じりに礼を言うアサニエルに泉源寺は無愛想に応じる。
降りろ、と言い放ち、アサニエルと入れ替わるように灰銀狼に向かって斜面を駆け上がる。
闇から開放された灰銀狼の頭部を狙って刀を振り下ろすが、灰銀狼は首を振って紙一重でかわす。少し遅れて駆け上がってきたナヴィアの闇を纏った斧も飛び越え、駆け寄ってきた春名の盾を蹴り付けることで空中で身を翻し、エリーゼが放った雷の槍から逃れる。
次々と仲間の攻撃をかわす灰銀狼を見据えながら、アサニエルはナヴィアの傷を癒す。
「ほらほら、傷傷を見せて……これでよし、山の肥やしにならないようにきりきり働きな」
仲間を鼓舞するかのように軽口を叩き、ナヴィアの肩をばしんと叩く。
「ありがとう。でもこっちはもう終わったみたいよ」
傷の癒えた腕を軽く振りながら、アサニエルに礼を言う。
ナヴィアは目線を上に、ほら、と呟く。つられて目線を上げたアサニエルの視界に雷の槍を構えたエリーゼの姿が目に入る。攻撃をかわしたばかりの灰銀狼が体勢を立て直す前に放たれた雷の槍は今度こそ、その巨躯を貫き断末魔の叫びを上げさせる。
「本気を出せばこんなものでしょうか。森の狼さんにはお返しが済みました。あとはお猿さんですね」
ふんわりと笑うエリーゼに顔を引きつらせながらアサニエルは大猿と戦う仲間を振り返る。
大猿が激しく転げ落ちた先で撃退士達はその姿を見失っていた。
周囲の木々が揺れる音から大猿が近くに居ることは感じていたが、視覚に捕らえることが出来ないでいる。
「困りましたわね……どこから現れるのかしら」
弓を構えて周囲を警戒しながら木の下を飛ぶロジーの背後で、がさっ、と大きな音が鳴った。
さっと振り返ったロジーの横から両腕を広げた大猿が飛び掛ってくる。慌てて射掛けた弓は外れ、体を掴まれたロジーは地面へ叩きつけられる。
ゴッ、と鈍い音を立てて肩から不自然な角度に腕が曲がり、ロジーは苦痛の声をあげる。
「ふざけるなぁっ!」
高瀬が駆け寄りざまに光を纏わせた大鎌を振るい、ロジーを掴んでいる大猿の腕を切り裂く。
逃がすまいと神谷が膝を狙って狙撃をするが、再び樹上へ飛び上がった大猿を捕らえることは出来ずに銃弾は地面を抉る。
「大丈夫かい、ロジー」
駆けつけたアサニエルが地面に蹲って肩を抑えるロジーに癒しの光を送り込む。
「ありがとうございます。ディアボロはどこに」
「大丈夫さね、ナヴィアが捕らえてる」
神谷の銃弾から逃れた大猿は駆けつけて着たナヴィアと真正面からぶつかり合う。腕を振るう大猿と闇を纏わせた斧を構えるナヴィアが空中ですれ違う。ナヴィアは着地をして少しよろけたが、すぐに大猿が過ぎ去った方向へ向き直る。大猿は闇に縛られ、地面でもがいていた。
「私の闇からは逃れられないわよ」
満足そうに笑顔を浮かべて動きを止めた大猿を見る。
「うふふ、ディアボロも絶望を覚えるのかしら」
雷の槍を中空から生み出しながらエリーゼは楽し気に笑う。
「早く楽にしてあげましょう」
決意した表情で細剣を振り上げる春名。
他の撃退士達も次々と攻撃を加え、大猿はその凶暴な姿を消していった。
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「はい、コレを探してるんでしょ」
エリーゼは血塗れになった十字架をロジーへ投げ渡す。
「私は特に興味がないので帰りますー」
既に自分へのご褒美に心を奪われた様子のエリーゼはそう告げて帰る。
村に戻ると撃退庁の職員に付き添われた娘が不安気な様子で撃退士達を待っていた。
「みなさん御無事で……」
そこに待ち望んでいた人影が居ないことに気づいた娘は、言葉を続けることが出来ずに黙り込む。
「御愁傷様だったな」
泉源寺は言葉少なく悔やみの声をかける。
その言葉に下を向いて頭を下げる娘にロジーは血を拭った十字架を差し出す。
「これを……どうかこれからも貴女にお父様と父なる神のご加護を」
差し出された十字架を震える手で受け取り、娘はぎゅっと胸元に抱きしめる。
「貴方のお父様は英雄でした。僕が目指すべき姿だと思っています」
「ありがとう、ございます」
十字架に力を貰った様に娘はかすれた声で礼を絞りだす。
そんな娘を春名はそっと抱きしめる。
「立派な人じゃなくていい……ただ、傍に居て欲しいだけなのにね。でも、そんなお父さんだからこそ大好きなんだよね」
春名に抱きしめられた娘は堰が切った様に泣きじゃくり始めた。
春名の言葉に、自分の悲しみを分かち合ってもらえるような、悲しんで良いんだ、という気持ちを持った瞬間、嗚咽を抑えることが出来なくなった。
そして優しく頭を撫でてくれる春名に頭を押し付けながら、疲れ果てるまで涙を流したのだった。