●
「良い天気……紅茶日和ですわ」
小柄な体でテキパキと動き、メイド姿の斉凛(
ja6571)は簡易喫茶店の出店準備を進める。
柔らかな風と穏やかな日差しの中で飲む紅茶はきっと素敵なひと時だろう、斉はウキウキと微笑みながら準備を進める。
喫茶店の準備が着々と進む隣では、キャンプ調理セットを広げて木嶋香里(
jb7748)が大量の料理の仕込みに汗を流している。
「今日は忙しくなりそうっ」
もう少し上に登った処にある花見会場は既に賑わっているが、この辺りはこれから多くなってくるのだろう。
だが、忙しくなりだしたら仕込みを行う時間も無くなる。
今のうちにできることを、と仕込み作業を続けるのだった。
忙しそうに花見の準備が行われている中、ビールとお弁当をぶら下げて楽しそうに歩くのはエルナ ヴァーレ(
ja8327)だ。
「今日の運勢は最高、綺麗な花が沢山ある場所に行けば気持ちの良い一日が過ごせるかも。あたいの占いはばっちりね」
気持ちの良い天気に恵まれて、美味しそうなお花見弁当も手に入れられた。
ビールも大好きなドイツビールで、実はさっきから開けたくてうずうずしている。
せっかくなので見晴らしが良い場所を、と最高の場所を探して歩いていく。
エルナがきょろきょろと視線を巡らせて通り過ぎた木の下で、ヴィルヘルム・E・ラヴェリ(
ja8559)は桜に寄り掛かるように座って本を広げている。
いつもは部屋に籠って読書三昧なのだが、花見のボランティアの依頼を受けたのは、春の陽気に少しだけ心が浮かれたからだろうか。
外で読む本も悪くはない。
ヴィルヘルムは開いた本に舞い降りてきた花弁をそっと払って、本の世界に没頭するのだった。
「わっ、あっ、ごめんなさい」
桜を見上げて歩いていた月鳴 冴(
jb9738)は、静かに本を読んでいたヴィルヘルムが予想以上に近くに座っていたのに驚き、変な声をあげる。
驚いたことに誤りつつ、頬を桜色に染めて小走りに離れていくが、今度は別の人にぶつかりそうになり、また別の方向へと小走りに走る。
「はぁ、びっくりした。あれ、なんだろ……わぁ、美味しそうっ」
ぐーぐーと騒ぐお腹をなだめようと、花見客相手に弁当を売っている屋台の香りにひきよせられる月鳴だった。
「大丈夫ですか?気を付けて歩くのですよ」
草摩 京(
jb9670)はぶつかりそうになった女の子に声をかける。
舞い散る桜を追いかけるように庭園を駆けていく後姿に、草摩はくすり、と笑顔を浮かべる。
買ってきた稲荷寿司の包みを片手に下げて、見事な足捌きで急に後ろに下がってきたカメラを構えた青年をすっと避けて人ごみの中を縫っていった。
「わーぉっ♪綺麗な花だね☆」
藤井 雪彦(
jb4731)は楽しそうに持ってきたデジタルカメラを構える。
藤井は道を歩く美女を捕まえては写真を撮り、いつの間にか連絡先を交換していたりと、花見を満喫していた。
「んー?あれは……」
ふと空を見上げた藤井は、桜の上でたゆたう天使を見つけカメラを向けるのだった。
桜の木の上ではスピネル・クリムゾン(
jb7168)が緋色と闇の翼をはためかせ、空の上からの花見を楽しんでいた。
「み〜んな楽しそうだなぁ……喜びと幸せの感情って好きだなっ♪」
今日は沢山の笑顔と沢山のお菓子がある。
これ程の幸せがあるだろうか。
撃退士達はそれぞれのやり方で花見を楽しんでいた。
その黄色い球体が現れるまでは。
●
花見客でごった返す庭園で、どこからか怒号が響き渡る。
「ヤモリでもでたのかしら……?」
訝し気に呟くエルナの目の前に、不意に黄色の球体が現れる。
きょとん、と首を傾げたエルナの手元から弁当を箱ごとパックリと食べて黄色の球体は次の得物めがけてフワフワと飛んでいく。
取っ手だけになった袋を見つけてぼんやりとしていたエルナだったが、やがてふつふつと背中を震わせたかと思うと、拳を固めて叫びをあげる。
「あたしのお弁当ォォォ!」\どごーんっ/
謎の効果音と共に紫のオーラを噴き上げて光纏したエルナは、透明なタロットカードを目の前に創出し、正拳突きで叩き割る。
ガラスのように粉々になったカードの欠片が燃え滾る闘争心を現すように体を纏うのだった。
「ああ、お弁当が……」
月鳴も同じくして弁当を食べられた一人だった。
弁当が食べられた瞬間、手づかみで黄色の球体を掴もうとしたが、すっとすり抜けてしまう。
「これは……天魔!?」
とっさに光纏する月鳴は我先にと逃げ始めた花見客を誘導しながら、静謐な刀を黄色の球体へと構える。
「これじゃせっかくのお花見が台無しです!必ず成敗してあげますから覚悟してください!」
緊張に剣先はわずかに震えていたが、しっかりと敵を見据える目は力強いものだった。
斉と木嶋は屋台に群がってくる黄色の球体を、バチンバチンと叩き潰して必死に屋台の食べ物を死守していた。
シルバートレイを振り回し黄色の球体を彼方へと弾き飛ばした斉は、拳銃に持ち替えて木嶋の屋台に迫る球体に向かって引き金を絞る。
「ありがとうっ!助かったわ」
パンッとはじける球体を見て礼を言う木嶋に、斉は優雅な笑みで一礼する。
「つまみ食いなどとはしたないことをなさるお方には、お仕置きするのもメイドの役目ですわ」
盾を振るって魔法の刃で球体を切り裂いた木嶋は、仕込んだから揚げをタッパーごと掴んで走り始める。
「楽しいイベントを台無しにするのは許せないわっ!あの広場に集めるからお願いねっ!」
こっちよっ!と叫んで走り出した木嶋につられて、屋台に群がっていた球体もふわふわと飛んでいく。
ヴィルヘルムは騒がしい声に本の世界から現実に戻されて、不機嫌そうに周囲を見回す。
「皆の、楽しい集まりを邪魔するのは、悪い奴のすることだね」
ゆっくりと立ち上がり、目の前を通り過ぎようとした球体に本を振り下ろす。
はじけ飛ぶ球体を見てにっこりと笑う。
「うん、今日も調子が良いね。……あれは、何だろう?」
ヴィルヘルムの視線の先で、球体が一升瓶をラッパ飲みしていた。
酒を飲むほどに真っ赤になる球体は近くの黄色の球体を食べて一気に一回り大きくなった。
「あ、これ放っておくのはまずそうだね」
やけに重そうな本を担いで走りだすのだった。
騒ぎの原因を見極めると、草摩は走り出した。
巫女服の上に赤い甲冑を顕現させ、槍を片手に庭園の外周部を駆け巡る。
はぐれ出そうとしている球体を見つけては、槍を振るい内側へと押し込むと同時に、手にした稲荷寿司を誘いに敵を引きつけていく。
草摩もヴィルヘルムと同様に、赤い球体が生まれるのを見つけ、ショットガンに持ち替える。
「離れてください、撃ちます」
短く警告の声を上げると、赤い球体に噛みつかれていたヴィルヘルムは持っていた本で殴ることで敵を振り払い、バックステップで後ろに下がる。
ヴィルヘルムを追いかけるように前に出る赤い球体だったが、横殴りにショットガンの銃弾を浴びて吹っ飛んでいく。
そのまま黄色の球体を引き連れて駆けていく草摩を見送り、ヴィルヘルムは周囲のお酒を回収し始める。
「お酒があると危険だからね。んー、それにしても、広いなぁ……」
ざっと見回しただけで無数に乱立する酒瓶に溜息が出てしまう。
スピネルは騒ぎが起きたのに気づくと、黄金の大鎌を担いでふわりと地上に降り立つ。
「美味しいお弁当は皆で分けるんだよ?独り占めはだ〜め〜な〜の〜!」
頬を膨らませて黄色の球体を叱りつけるが、球体は言うことを聞かずに弁当を平らげていく。
どうしようか悩むスピネルに、藤井が声をかける。
「こいつら食べ物に集まるみたいだから、ぐるっとこの辺走り回ったら集められるんじゃないかなっ」
藤井は木嶋や草摩が黄色の球体を引き連れて走る姿を指さして、作戦を提案する。
「それじゃ始めよう。作業効率あ〜っぷ♪」
にこっとスピネルに笑いかけると、藤井を中心に風が起き、藤井とスピネルの体を覆う。
「りょ〜かいっ♪かおちゃんがそっちから行くなら、あたしはこっちからだね〜♪」
スピネルは、不規則に桜の木を縫うように飛んでいく。
スピネルのお菓子に群がるように黄色の球体が追いかけだす。
スピネルの背後から零れていくお菓子を食べる球体だったが、たまにパチンパチンとはじけて消えていく。
「お〜にさ〜んこ〜ちら〜♪だよ?えへへ、おバカさんは痛い目に合うと良いんだよ!」
アウルで形成したお菓子を混ぜてばらまくことで、追いかけてくる球体の数を調整しながら、スピネルは走り回る。
「スピネルさん速いね〜っ♪露出高いから何だか照れるっ!」
藤井は自分で作ってきたサンドイッチで球体を引きつけながら、デジカメを構えて仲間の写真を撮影していく。
「木嶋さんってスタイルいいなぁ〜☆日本美女って感じ〜☆草摩さんは……激しいね〜それもカッコイイね♪」
黄色の球体が飛びついてくるサンドイッチを軽い動きでかわしながら、カシャカシャと仲間の写真を撮って行く。
●
「食べ物の恨みは恐ろしいってことを教えてあげるわ……!」
ゴゴゴゴ……と地面を震わせるアウルを拳に集め、エルナは再び目の前にアウルでできたタロットカードを浮かべる。
「桜の肥料にでもなっちゃいなさいよォォ!」
闇のアウルを纏った拳をタロットカードに叩き付けると、タロットカードは闇のアウルでピシピシと空気を割る音を立てながら真っ直ぐに突き進む。
「わわっ、これってエルナさんの拳魔法?スゴッ!」
スピネルと反対方向にさっと左右に分かれつつも藤井のデジカメはベストショットを逃がさない。
エルナの魔法は地面を抉りながら黄色の球体を多数巻き込んで進んでいく。
「あら、まだ沢山取りこぼしてますわ。ちゃんと隅々までお片付けするのがメイドですわよ」
斉の声と共に、一発の弾丸がフワフワと漂う球体に着弾する。
その瞬間球体の周囲にアウルの炎が立ち上り周囲の球体を巻き込んで天へと駆け上っていく。
「おぉ〜、凛ちゃんの銃捌きカッコイイ♪それじゃボクの術式もごちそうするよっ☆」
藤井がパチンと指を鳴らすと、右往左往する球体の真下に魔法陣が現れる。
不穏な気配を察したのか、球体は魔法陣から逃げ出そうとするが、すでに遅く、轟音と共に現れた炎に包まれて消えていく。
ヴィルヘルムは激しい戦いから目を逸らして手元の袋を見つめる。
「激しいなぁ……これ、回収してて良かったね。……あ、一本忘れてた」
一体の球体が地面に埋まりかけた一升瓶を咥えて、呷るように回転する。
一回転すると、空になった一升瓶をぺっと吐き出し、真っ赤になって近くに集まっていた黄色の球体をどんどん吸収していく。
人の身長ほどに大きくなった球体は、ゴォ、と吠えて撃退士達を威嚇する。
花見客達は安全な距離まで下がって、撃退士達の戦いを見守っていた。
黄色の球体が撃退されるたびに歓声が上がっていたが、巨大な真っ赤な球体の吠え声に悲鳴が上がる。
「大丈夫です。今みんなが頑張っていますから。すぐにお花見が再開できますよ」
月鳴の落ち着いた声と穏やかなアウルに触れて、徐々に花見客達の動揺も収まっていく。
「あたいだって……あたいだって……さっさとお酒飲みたいのよオオッ!」
エルナの拳が打ち出す闇の魔法が赤い球体に迫る。
赤い球体は大きく口を開き、食べた。
「食べすぎは体に毒ですよっ!」
背後から木嶋が盾を叩き付けて食育について説くと、ぼよんと球体は地面を跳ねて飛び上がる。
「お酒飲んで暴れる子にはオシオキなんだよ?」
空へと飛び上がったスピネルが鎌を振るい、球体を叩き落とす。
そこへ、斉が背後から銃を突きつけるのだった。
「チェックメイト、ですわ」
突きつけたライフルから放たれるのは、貫通力の高いアウルの弾丸。
その弾丸までは食べることができず、球体は弾けて消えるのだった。
●
「心が温まる紅茶はいかがですか?お酒のチェイサーにも良いものですわよ」
『出張喫茶キャスリング』の看板の元、斉は紅茶を花見客に振る舞い、その素晴らしさについて語っている。
興味を持って話を聞く客に、紅茶講座を始めると、花見客達は桜の下で紅茶を味わいながら、話に聞き入るのだった。
「沢山ありますから大丈夫ですよっ。並んでくださいねーっ」
その横では、木嶋が香ばしい匂いを辺りに振りまいていた。
お弁当を食べられてしまった人への振る舞うために、仕込んでいた料理を焼いているのだった。
草摩は泣いている子供を見つけて、慰める。
「どうしました?怖かったのですか?……そうですね、強くなって克服できるように舞を見せてあげましょう」
草摩は周囲の人に声をかけ、スペースを空けてもらう。
「さあ、祭りはこれからですよ。沈んでいる暇はありませんよ」
細見の剣を活性化させると、ゆっくりと、だが無駄のない動作で舞い始める。
その舞は巫女服も相まって神へと捧げる戦舞のようにみえ、見ているものを元気づける。
桜吹雪の中で繰り広げられる激しくも優雅な舞いに、花見客は唯々見とれ、泣いていた子供もぐっと拳を固めて泣き止むのだった。
「……ねぇ、この惨劇の片付けってあたいたちの仕事?」
大きくえぐれた地面を均しながら、エルナは近くで酒を持主の元へ配っているヴィルヘルムに愚痴をこぼす。
「まー……ほとんど君のせいだよね。んー……それにしても広いなぁ……」
正論を返されてエルナは返事に詰まるが、手をひらひらとさせて片付けに戻る。
「細かいことは良いじゃない。ま、頑張るわ」
作業が終わった後のビールの味を思い浮かべて、エルナは作業を続けるのだった。
「はいっ、お疲れ様ですっ」
月鳴はお酒を配り終わったヴィルヘルムにどうぞ、と焼き鳥の串と紅茶を差し出す。
戸惑うヴィルヘルムに月鳴は照れくさそうに笑う。
「戦闘中ずっといい匂いがしてるんですもの。お腹空いちゃいました」
月鳴は自分の串と紅茶も渡し、怪我見せてください、とヴィルヘルムの傷に癒しのアウルを送る。
ヴィルヘルムは串と紅茶を持ったまま、戸惑ったように立ち尽くす。
「私もお花見を楽しんで……いいのかい?」
少しづつ、嬉しそうな微笑みがヴィルヘルムの口許に浮かんでくるのだった。
「う〜ん、初々しくて良いね〜♪」
桜の花と一緒に二人の姿をデジカメに押さえ、藤井は何気なく空を見上げる。
不意に吹いた風が花弁を舞い上げ、空を桜色に染め上げる。
綺麗に撮れたから皆に渡そう、藤井は楽しいことを思いついたように笑うのだった。
スピネルは再び空へ浮かび、のんびりと花見を楽しむ人々を眺めている。
風に煽られて届いた花弁にそっと指を伸ばし、掴もうとするが花弁はすっと離れていく。
「悲しくて散るの?それとも、嬉しくて散るの?」
散っていく桜を見て、スピネルは独り、物思いに耽るのだった。