●
底冷えするような風も吹かなくなり、朗らかな陽射しを浴びると生命の躍動を感じる、そんな春の気持ちの良い日に、依頼を受けた撃退士達は問題の寮へとやってきた。
まだ新しく綺麗な寮だったが、タイミング悪く雲が出てきたせいか、生ぬるい風が気持ち悪く体にまとわり付いてくる。
よく見ると雨の後がシミとなって壁を這い、見ているだけで黴臭い匂いを思い起こされる。
人の居ない建物はどことなく『棄てられた』空気が漂い、いかにも都市伝説のネタになりそうな佇まいを見せていた。
「確認するだけの簡単なお仕事、ね」
月臣 朔羅(
ja0820)は寮を見上げてぽつりと呟く。
「一体何がどうなってんだか……」
人の居ない寮を寂しそうに見上げていた佐藤 としお(
ja2489)もつられたように言葉を漏らす。
「赤い塊の正体は何でしょうねぃ?」
鳳 蒼姫(
ja3762)は鳳 静矢(
ja3856)の側で首を捻りながら尋ねる。
「この時勢、天魔と判断するのが妥当だろうな」
厳しい表情で静矢は腕組みをしていたが、蒼姫の顔を見て表情を緩めると、ぽふぽふと頭を撫でる。
「人魂……!?うふふ、まぁ、怖いっ!」
何故か嬉しそうにマリア(
jb9408)は点喰 縁(
ja7176)を背中から抱きしめる。
背の高いマリアがしがみ付くと点喰は襲われているかのようにばたばたと手を動かす。
「ちょ、マリアさん、すんませんがちぃっと離れてくんねぇですかぃ」
苦しそうに声を出す点喰にマリア、シャイなのねぇと呟きながら腕の力を緩めるが、肩に手を置いたまま考える。
「うーん、でも管理人さんは困ってるのよね……。此処は一つ探偵ごっこといきましょう」
ばちんっ、とハートが飛び出てきそうなウインクを受けて、点喰はため息が出そうになるのを何とか推し留める。
●
「依頼人はここに住んでいるんだよね」
龍崎海(
ja0565)はメモを片手に探し出した家を前に、月臣に声をかける。
訪れた先は寮から歩いて十数分程度の古い一戸建てだった。
鬱蒼と茂る手入れの行き届いていない庭木が訪問者に重々しく圧し掛かってくるようだった。
「あんたら撃退士か?」
呼び鈴を鳴らそうと指を伸ばしたところに、突然庭木の間から声をかけられる。
「そうよ。貴方が依頼人?」
月臣が短く答え、相手の素性を問いかけると、木を掻き分けて出てきた初老の男が黙って玄関を開けて家の中へ入っていく。
「上がりなさい。お茶ぐらいはだそう」
龍崎と月臣はちらりと視線を交し、男の家へと入っていった。
古いが意外と小奇麗に片付けられた和室に通された二人は、早々に質問を始める。
「夜の2時頃に電話で起こされて自転車で向かったよ。その日は住民は出払っていてな、部屋に居たのは私を呼んだ青年だけだったよ」
男はぽつぽつと話し、阻霊符についての質問については首を傾げるのみだった。
それでは、と龍崎が質問を始める。
「事件があった部屋に入った時、扉には鍵がかかっていたとのことですが、窓等はどうだったのでしょうか?」
龍崎の問いかけに男は思い出そうとするように遠くを見つめる。
「窓は……覚えてはない。部屋は酷い有様だったんでな……」
男は自分の言葉に引っかかりを覚えたのか、あぁでも、とため息のように言葉を繋げる。
「玄関を開けた途端に血生臭い風が吹き付けてきたな」
そういって首を捻る男に龍崎は質問を重ねる。
「被害者の交友関係なんですが、寮の人とは仲良くやっているようでしたか?」
「あぁ、彼はまだ寮に来たばかりだからそれほど親しくないんじゃないかな。最近の若い人は共同生活って感じは薄くなってなぁ」
そうですか、と龍崎は出されていたお茶に手を伸ばす。
二人が辞去しようとすると箪笥に飾られた写真がぱたり、と落ちた。
「この人は……?」
月臣が拾い上げた写真には小さな食堂の前で優しそうに笑う管理人と満面の笑みを浮かべる女性が写っていた。
「妻だ。随分昔に亡くしてしまったがね」
一瞬だけ、写真のように優しげな笑みを浮かべたが、すぐにむっつりと口を曲げて二人に頭を下げる。
「あの寮は、妻の願いでもあるんだ。悪い噂が立たないように、よろしく頼むよ」
深々と頭を下げる男に、二人は短く頷くのだった。
「天魔、と限定するのは危険かなぁ」
寮へと戻りながら二人は管理人の言葉を検証する。
「人間同士での事なら、密室殺人という厄介な話になるよね。窓が開いていたとしたら分からないけれど……。天魔が壁をすり抜けたとなると、話は別よね?」
「天魔事件だったとしても、無差別ではなく目的があっての行動かもしれない。難しく考えずにはぐれの眷属による事件かもしれないけれど」
龍崎の言葉に、首を捻る月臣はため息をついて再び歩き出す。
「もう少し情報が必要、ということよね。私は現場をもう一度確認するよ」
「俺はもう少し聞き込みをしてみるよ」
二人は別れ、重苦しい曇天の下をそれぞれの道を歩き出す。
●
佐藤は近くの不動産で寮についての情報を聞き込みを行っていた。
人の良さそうな丸顔の店主は、事件の話を聞くと眉を顰めて哀しそうな表情を見せる。
「あの人も災難だねぇ。やっと念願の寮を作ったっていうのにさ」
「念願、ですか……。あの寮がある場所には何があったんですか?」
佐藤は店主の言葉に疑問を覚え、詳しい話を促す。
「あの寮の管理人さんはさ、昔あそこで学生相手の食堂をやっていたんだよね。あの夫婦には子供が居なくてさ、食堂に集まってくる学生さんを子供みたいに可愛がっていてねぇ」
店主の話によると、家賃が高いという学生の悩みを聞いているうちに寮を作ったらもっと面倒をみれる、と夢を抱いたらしい。
だが、過労により奥さんが倒れ、旦那だけで必死に働いてようやく寮が出来た矢先の事件だったということだった。
「そんなことが……奥さんが亡くなったのは、その、今回の事件みたいに、でしょうか?」
佐藤が言葉を選びながら尋ねるが、店主は戸惑い顔で手を振る。
「そんな恐ろしいことじゃないよ。奥さんだけじゃなくてこの辺であんな事件が起きたのは始めてさ」
店主の答えに佐藤は思案顔で尋ねる。
「それじゃ、事件のことはやっぱり噂になってるんでしょうか」
「それなんだよねぇ。これからも続けられるといいんだけれど、難しいかなぁ、やっぱり」
眉を下げて哀しげに手元を見つめる店主に佐藤はある考えを持ちかけるのだった。
「その件で相談なのですが……」
●
寮の近くで噂になっているという赤い塊について、静矢と蒼姫は近隣の住民に聞き込みを行っていた。
「人魂はいつ頃出るんでしょうかねぃ?」
明るい表情で尋ねる蒼姫に、赤い塊を見たという青年は困ったように答える。
「俺が見た時は……終電に乗り遅れて歩いて帰ったから、大体2時頃かなぁ。赤い塊はクルクル動いてたからなぁ。多分3つ……いや、5つ、かな?」
「ありがとうですねぃ」
蒼姫は礼を言うと、別の住民に聞き込みを行っている静矢の元へと駆け寄っていく。
静矢も丁度話を聞き終わったところで、飛びついてくる蒼姫を優しく迎える。
「こちらの話では5体だったな。叫び声を聞いた住民も見つけたよ。発見者が犯人、という線は薄くなったな」
「目撃した時間はどちらも夜ですねぃ。連絡しておきますねぃ」
蒼姫は電話を取り出し、仲間へ得られた情報を伝える。
「はろはろ?何か変わった事はありましたですか?」
●
「ありがとうごぜぇやす。引き続き頼みますぜ」
仲間からの情報を元に、点喰は目撃情報を地図に書き込んでいく。
「あらぁ、何だか方向が偏ってるわねぇ。こっちに何かあるのかしら?」
点喰の地図を上から覗き込んでいたマリアが、書き込みが一部に集中していることに気付く。
「こっちの方向ってぇと……あの山ですかぃ」
西の彼方を仰ぎ見ると、小さな山が目に入ってきた。
寮から見ると高い建物もなく、真っ直ぐに見える山だった。
「犯行時刻も人魂の目撃情報も大体同じ時間だし、寮には発見者と被害者以外誰も居なかったわけね。状況証拠から見ても天魔の可能性が高いわねぇ」
「天魔であれば撃退対象ってぇことになりやすね」
二人は西の山に視線を送る。山の稜線に徐々に近づいていく夕日に目を細める。
「あの山まで調べると暗くなるわねぇ。寮で待ったほうが確実ね。アタシ達も戻りましょ」
●
事件の現場となった部屋は、まだ血臭がとれずに生臭い空気で満ちていた。
真っ赤に染まったベッドと周囲の状態を見ていた静矢は独りごちる。
「ベッドの上以外にあまり地が飛び散っていないことを考えると……真上から押しつぶされたか、噛み千切られでもしたか、かね?」
「そうとも、限らないかもしれない」
部屋の荒れ具合と窓を調べていた月臣が反論する。
「密室の中、たった10分で跡形も無くなる、という点が気になるのよね。それに」
この部屋は密室じゃなかった、月臣は推論を続ける。
「部屋には血痕も肉片も無い。ただ、窓のふちに血が付いていたわ。被害者は連れ去られた可能性がある、でしょ?」
ふむ、と頷く静矢の横で、蒼姫はかくりと首を傾ける。
「でもこれだけ血が出ていたら、生きてないんじゃないですかねぃ?」
「いいえ、ベッドは血だらけ、だけど」
月臣は話をしながら、血塗れのベッドを手で押してみせる。
「内部には染みこんでないわ。つまり外側についているだけ、血の量としてはそれほどじゃないのよ」
「ベッドの血糊は血を浴びた天魔が付着させた可能性もある、ということか」
静矢が補足するように説明を続ける。
「肉片も無いのは確かにおかしい。連れ去られたのなら筋は通るな」
「それなら、記憶を探れば見つかるかもですねぃ」
蒼姫は力瘤をつくるジェスチャーで張り切った様子を見せるのだった。
●
龍崎が静かに目を開くと重苦しい暗闇が広がっていた。
空を見上げるが雲に隠れて星はおろか月すら見えず、地上にも所々に街灯の灯りが見える程度の寂しさ。
その暗闇の中、赤くぼんやりと光を纏った血塗れの生首が空を飛んで迫ってきていた。
「やっぱりこっちから来たわ。アタシ達の出番ね!」
龍崎が点けたライトの灯りの元で、マリアがロッドを活性化して身構える。
「証言どおりの数ですねぃ。行くですよぅ」
蒼姫の周囲に風が巻き起こり、迫ってく赤い人魂に先制の一撃を放つ。
人魂はさっと左右に分かれるが、先頭の一体はまともに受けて漂うように勢いを失う。
左右に分かれた人魂は、一方は壁に張り付いていた月臣と前に飛び出した龍崎に、もう一方は佐藤とジェガン・オットー(
jb5140)が待ち構えるベランダへと飛び込んでいく。
月臣は壁を駆け巡って人魂の突撃をかわし、龍崎は盾を活性化させ、その勢いを受け止める。
アウルを目に集中させ人魂の動きを的確に捉えた佐藤は、銃弾で人魂の勢いを逸らしてベランダに近づけさせない。
「貴様達の相手は私がしてやろう」
紫のアウルを燃え上がらせて太刀を掲げる静矢に、人魂はひきつけられるように殺到してくる。
「集まったら俺様の獲物だぜ!オラァッ!」
野太い気合と共にマリアがアウルを展開させると、人魂を囲むように魔方陣が現れる。
魔方陣から出ようと暴れる人魂をかき消す勢いで爆発が起きる。
「これは派手な技でやすねぇ。おっと、逃がしゃあしませんぜ」
点喰は魔方陣から飛び出して来た人魂を確実に槍で突いていく。
「静矢さんっ!」
「おぉ!」
囲みを抜けて隙を伺っていた蒼姫へと向かった人魂に、そうはさせないと静矢が太刀を走らせる。
二人の想いを乗せた一撃は鋭く疾い。
瞬時に4つに断ち切られた人魂は自ら纏った炎に焼かれ、燃え尽きていく。
「後ろに来てるぞ」
龍崎の声に静矢は台形の盾を構えて噛み付こうとする人魂を受け止める。
「蒼姫、いまだっ!」
静矢が盾で受け止めている間に、蒼姫は人魂の額へと手を伸ばす。
その手に何か感じたのか、とっさに距離を取ろうとした人魂だったが、急に動けなくなった。
「私の髪は噛み切れないようね」
月臣が幻影の髪で人魂を縛り、その動きを束縛する。
人魂の額へ手を伸ばした蒼姫は、静電気が走ったかのように人魂から手を離す。
静矢を振り返るその表情は真剣で、真摯なものだった。
「まだ、間に合うかもですよぉ!」
蒼姫の声は仲間へ響き、撃退士達はさらに攻勢を強めていく。
「一気に決めるわ、手加減は無しね!」
月臣は人魂の真ん中へアウルを圧縮した黒球を投げ込む。
黒球は棒状の突起を伸ばし、さらにその先からも複雑に枝分かれしていく。
仲間を避けるように突起は伸び続け、的確に人魂を串刺しにしていく。
「貴様はここで終ってな!」
マリアは片刃の戦斧を振り回し、漂っていた人魂をせん断する。
●
「あ、こっちも終わってたんですねー。部屋に入ろうとした人魂も片付けましたよ」
佐藤が屋上に上がってきた頃には戦闘は既に終わっていた。
「あらぁ、貴方も頑張ったのねぇ」
マリアがご褒美とばかりに佐藤を抱きしめる。
決して背が低くは無い佐藤もマリアに抱きしめられると硬い胸に顔が潰されて、ジタバタと暴れている。
「こりゃ、ちゃっちゃと片付けちまいやすかねぇ」
屋上には戦闘の余波ではじけたタイルや、ヒビが入ったコンクリートが散見されるものの、大きな損傷は無い。
ライトの灯りの元、点喰はノートを取り出し、簡易な見取り図を書き込んでいく。
「そういえば、さっきは何が分かったのかしら」
月臣は蒼姫に声をかける。
静矢の怪我を治療する龍崎の横でわたわたとしていた蒼姫は、思い出したように、ぽんと手を打つ。
「そうでしたねぃ。あの山に被害者が居ると思いますよぉ。人魂達が連れて行く途中で落としてましたからねぃ」
蒼姫は真っ直ぐ西にある山を指差す。
蒼姫が持ってきていたトマトジュースを味わっていた静矢は、電話を取り出し、警察へと連絡したのだった。
被害者は大怪我を負っていたものの、命に別状は無い状態で発見された。
●
『分け有り物件生活○○日目
今日も何事も無し。やっぱり噂なんて当てにならないですね。
残念だけど諦めて引っ越します』
パチパチとキーボードを打っていた佐藤は、背もたれに体重をかけながら大きくあくびをする。
事件があった部屋に住んで、『何も起きない』ことを残念そうに実況していたのだった。
事件後しばらく人が寄り付かなかった寮だったが、何も起きない部屋で撃退士が暮らしていると分かり、徐々に人も戻ってきた。
開放感からか、いつしか椅子の上でうとうとしていた佐藤は、ふんわりと暖かな声を聞いた。
『ありがとう』
その声を聞いてがばっと起きた佐藤は、きょろきょろと部屋を見渡す。
阻霊符を展開しており、部屋から抜け出すことなど出来ないはずなのだが、部屋には佐藤しか居なかった。
「夢……だよね?」
呟く佐藤に答える者は居なかった。