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「よーし、それじゃベースから出してくれ」
ステージから反対側の奥に機器が積み上げられたPAブースからSHOW(
jb1856)が声をかける。
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)はボンボンと低い音から弦を弾き始める。やがて一つのフレーズを刻み始め、徐々に激しさを増していく。弦がしなり、細かく震える音が連なることで緊張感を呼び起こす。
やがて金属的な硬い音に変わり、さらにその演奏は早くなっていく。
SHOWが両手で大きく丸を作り、ヤナギの演奏を止めると江戸川 騎士(
jb5439)に合図を出す。
江戸川も最初はシンプルな音だし、やがて複雑なコードやエフェクター類を順番に踏んで行き、違った音色を鳴らしていく。SHOWは音の反響を聞きながら慎重に機器のつまみを上下させ、一番心地好い響きとなるように調整していく。
「それじゃ、後はリハをしながらだな。『お客さん』も待ってる、ノリノリで行こうぜ!」
SHOWの合図で川知 真(
jb5501)がスイッチを入れると、打ち込まれたドラムがカウントを始める。作戦の始まりの合図に、会場に集まっていた厳つい男達、撃退庁の撃退士達が緊張した面持ちで身構える。
激しく歪ませた江戸川のギターがリフを刻み、ヤナギのベースが音に厚みを加えていく。川知のキーボードが透き通った音でメロディーラインを導き、亀山 淳紅(
ja2261)のハイトーンボイスにユウ・ターナー(
jb5471)の軽快なコーラスが重なっていく。
徐々にライブハウスの雰囲気をバンドの音で塗り替えていき、棒立ちだった観客の中にもちらほらと頭を動かし出す者が現れ始める。
ギターとベースが激しくリズムを生み出して行き、ヤナギが要所で叫ぶデスボイスに会場全体がじわじわと揺れ始めた。
SHOWは音が加わるたびに微調整を重ね、観客と演者に違和感を持たせないようにバランスを調整する。さらに、曲の盛り上がりに合わせて照明を点滅させ、スポットを当てる。
SHOWはその忙しい作業を行いながらも頭を大きく上下に振って、テンションを上げていく。亀山が握るマイク、V兵器とアンプ類の相性も問題ないようだ。
ギターソロが始まり、観客からどよめきが起こる。高速で繰り広げられるギター、それを支えるように力強く響くベースが会場の意識をステージへひきつける。
歓声が響きわたる中、狼が天井から現れた。
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天井を透過して現れた狼男は観客席に降り立ち、禍々しいギターをかき鳴らす。その動作に合わせて、バンドの全てをかき消すようなノイズが轟音で会場を圧する。ノイズの中から突き抜けるようにクリアな、それでいて微妙な揺らめきを感じさせるメロディーが響き渡る。
ノイズから逃れようと、聴く者の意識がそのメロディーにひきつけられる。
観客達は、一斉に走り出しライブハウスから逃げ出していくが、所々で暴れだすものが現れ、光纏の輝きが瞬く。だが、周囲の者が押さえつけ運んでいくため、大きな混乱には発展せずにすぐに会場には狼男と6人の撃退士だけになった。
「せっかく盛り上げるための場所だってのに、無粋な奴だぜ全くよぉ!」
SHOWは機材を積んでいたテーブルに飛び上がり、一斉に避難を始めた観客の合間から銃を構え、狙いを付ける。
江戸川は煩そうに顔をしかめ、用意していたイヤホンから交響曲を大音量で流し始める。
「交響曲の五月蝿さには手前の雑音なんか目じゃないぜ」
亀山も同様にイヤホンを耳に付け、音楽を流し始め、それに合わせて歌おうと口を開く。だが、自分の声すらも聞こえない。轟音が聞こえ続けているのに肌がビリビリと震えるような空気の振動を感じない。
「これは魔法やね……」
消すことの出来ないノイズに戸惑いを見せるのだった。
川知は江戸川とSHOWに聖なる刻印を与えた後に、周囲を見渡して観客が居なくなったことを確認する。
「そろそろ始めましょうか」
川知はぼんやりとした表情で呟くと、拳を固めて亀山の口元を目掛けて振りぬく。
後ろを振り向いて口をぱくぱくさせて何か伝えようとしていた亀山は驚いた表情を浮かべ、川知の拳をまともに受ける。
ステージの端まで吹っ飛ばされた亀山の頭上から闇の逆十字架が亀山と狼男の上に振ってくる。
亀山が振り返ると、頭を振っている江戸川の姿があった。
「おかしい、狙いが定まらないな」
江戸川は自分が幻惑にかかっていると経験から感じ取り、頭を振って意識をはっきりさせようと試みる。
なおも口元を狙おうとする川知を取り押さえ、耳元で叫ぶ。
「僕は亀山や!落ち着いてよう見てや!」
体を揺さぶると、はっと目を見開いて焦点が合う。慌てて頭を下げる川知に頷いて、亀山は狼男に目を向ける。
「そのお口を縛ってあげるねっ!」
ユウはヨーヨーを狼男の口元へと投げつける。勢い良く飛んで行くヨーヨーは狼男の口に当るが、武器自体が纏ったアウルにより弾かれて、上手く巻きつけることは出来ない。
「うーん、難しいのね。仕方ないからガンガン戦っていくよ!」
ユウは目を閉じ、集中すると取り巻いていたアウルの輝きがさらに深みを増していく。
ヤナギはさほど広くないライブハウスの壁を横向きになって走り、狼男の背後を取る。
「今日のゲストは無粋だねぇ。神聖なハコを穢そうってンなら倒させて貰うゼ」
ヤナギが手にした小ぶりの扇子を振り切ると、アウルの炎が狼男の背中を焼く。
そこへSHOWが放った銃弾も当り、狼男は苦しそうに天井に向かって吼える。天井に並んでいる照明が大きく揺れ、いくつかの照明が落ちてくる。
「あぁっ、くそっ!スポットライトが落ちやがった!」
SHOWは忌々しげに舌打ちしながら、銃弾をさらに撃ち込む。
江戸川はようやく意識をはっきりさせて、ライブハウスに響き渡るノイズを打ち消すようにV兵器をかき鳴らす。
江戸川が鳴らすジャズベースから発せられた衝撃に襲われて狼男はよろめき、ギターをかき鳴らしながらステージ上へ飛び上がる。江戸川と狼男の間に居た亀山が立ち塞がると、肩口に牙を突き立て、そのまま首を振って亀山の肩の肉を抉り取り、跳ね飛ばす。
狼男はステージの上でさらにギターをかき鳴らし、撃退士達の意識を揺らし続ける。
SHOWは構えた銃口を誰に向けているのか思い出せなくなる。妙に集中力が無くなり、ノイズの中で響く旋律が気になって仕方がない。
攻撃を続けなければならない、その事だけが脳裏の片隅に残っている。
「分の悪い賭けほど燃えるからよぉ!当った奴は運が悪いと思って諦めてくれよっ!」
一人の姿に狙いを定め、銃を放つ。狼男が放つ苦痛の咆哮を聞いてぐっと拳を握る。
「Yeaaah!銀じゃなくてワリィが、たっぷり食ってきな!」
賭けに勝ったと、SHOWは叫ぶのだった。
川知は苦痛の叫びを上げる狼男に近づき、口の中に腕をねじ込む。
「これで吼えられないでしょう。私のことは気にせず攻撃どうぞ〜」
狼男に噛みつかれた腕の苦痛に顔を歪めながらも、仲間に向かって声をかけるが、ノイズが響くライブハウス内では、その行為が幻惑によるものかどうか判別が付かない。
「真おねーちゃんを放しなさいっ!」
ユウはヨーヨーを狼男に投げつけるが、川知に当ることを恐れて効果的な場所は狙えない。
ヤナギは壁から壁へと駆け回りながら、隙を見て狼男の背中に炎のアウルをぶつける。
苦痛の呻きで口を開いたため、川知の腕が抜けてしまう。血と涎でどろどろになった川知の腕は力なく垂れ下がっていた。
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亀山が駆け寄ろうとするが、江戸川が放った衝撃波が、亀山を襲う。
亀山は体勢を崩してステージから転がり落ちる。
「けほっ、このままじゃ駄目やね。この音止めんと大変やな」
亀山は背中をさすりながら立ち上がり、周りの仲間の様子に目を走らせる。
銃を適当な方向に構え叫んでいるSHOWの姿を見つけ、そちらに向かって魔法歌を放つ。
「Canta!Requiem」
SHOWの足元に複雑な配置に並んだ血色の音符が展開され、そこから伸びてきた死霊の腕がSHOWの体を抱きしめる。
SHOWは突然現れた爛れた腕に驚き、誰も居ない空間に向かって銃弾を放つ。
「うぉっ、なんだくそっ!」
ジタバタと暴れて腕を蹴飛ばして何とか抱擁から逃れる。
折れた腕を無理やり振り回して川知は再び亀山に殴りかかっていく。
亀山は慌てて距離を取って川知も死霊の腕に捉えさせる。駆け寄っていた川知が、死霊の腕に足を取られてがくんと体勢を崩した瞬間に、先ほどまで川知の頭があった場所を衝撃派が駆け抜けていく。
気配を消して背後に迫っていた江戸川の放った衝撃波を偶然かわした。
ヤナギはフリーになった狼男に向かって小太刀を構えて走り寄る。
狼男は気配を察して後ろを振り向き様に咆哮を放つ。
狼男の動きを読んでいたヤナギは、床のゴムを切り裂き捲り上げることで、自分と狼男との間にゴムの壁を作る。
咆哮による衝撃はわずかにしか減衰しなかったが、そのわずかな効果により耐え凌ぐ。
だが、ゴム板の陰から回り込んで放った一撃は、惜しいところでかわされてしまった。
反撃とばかりに、狼男が振り回したギターに顎を跳ね上げられる。
混乱を極めるライブハウスの真ん中で、ユウはぼんやりとする頭で必死に考える。
「えーと、さっき真おねーちゃんの近くに居たのが狼男で、今ヤナギおにーちゃんと戦ってるのも狼男で……そっちに居るのも狼男?うーん、わかんないけどこっちね、きっと☆」
混乱する頭で無理やり納得した相手にヨーヨーを投げつける。
たまたま狼男に当り、ダメージを与えるが、ユウにはよろける相手がヤナギに思えて慌てて次の一撃を放つ。
ユウが放った一撃はヤナギに当り、ヤナギはたまらずに転がる。
「ったく、こっちじゃねーよっ」
口に溜まった血を吐き出しながら、ゆらりと立ち上がるが、ダメージは重く、足元はふらついていた。
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亀山は仲間達から距離を取り、ライブハウス内の状況を眺める。
轟音のノイズが空間を支配する中、仲間同士で殴り合いが始まり、まさに地獄絵図となっていた。
暴れる仲間を抑える心積もりであったが、混乱した仲間が多すぎて手が回らないと判断した亀山は、問題の根源を抑えることにする。
「もうこんなのは嫌や!終わりにさせてもらうで!」
亀山は意識を集中させて狼男を見つめる。
最初はふわり、と風がそよいだと感じる程度だったが、すぐに激しい風となり、嵐がライブハウス内を駆け巡る。
竜巻の中心に居た狼男は風に翻弄され、捻られ、血しぶきを上げる。
血色の風が治まった時、そこにはた狼男の残骸が転がっていた。
「良い演奏やった、魂にくる良い音やったで!一緒に演奏してみたかったなぁ」
その男が音楽を愛していたことは、捻れた腕で必死にギターを抱え込んでいる姿を見れば分かることだった。
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「終わったみたいだな、掃除は撃退庁の連中に任せよう」
川知が仲間の怪我を治癒していると、コートを羽織った狩野が姿を見せる。後ろから特殊な掃除道具を持った厳つい男達がぞろぞろとライブハウスに入ってきた。
「まだ元気は余ってるか?疲れた顔ででかい音を鳴らしても観客は喜ばないだろう」
薄ら笑いを浮かべる狩野の言葉に江戸川はイラついた様子で詰め寄る。
「狩野って言ったけ?音楽を『でかい音』って言うあんたもなかなかいけ好かないぜ。そこで俺達のライブを見てろよ、俺様の『超真剣ネ甲モード』のライブを聞かせてやるよ」
その言葉に狩野は後ろを指し示す。
「こいつらにも聞かせてやれよ。せっかくのライブだ、僕だけじゃ寂しいだろう」
掃除が終わり、男達が去ると待ち構えたように一般人が駆け込んできた。
しばらくライブが行われていなかったため、フラストレーションが溜まっていた音楽好きな若者の間で噂が流れていたのだ。
今日、このライブハウスで凄いことがある、と。
騒ぎが始まってすぐに野次馬が集まっていたが、撃退庁が引き上げ、店長が看板を出すと歓声が上がったのだ。
看板には派手な飾り文字で『本日の出演バンド:wolfhound』と書かれてあった。
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「レクイエム替りにといっちゃーなんやけど、本番ライブいきましょーか」
亀山がマイクの調子を確認するように仲間へ声をかける。
跳ねるようなドラム音にギターとベースが軽快なメロディーを奏でる。
最初の曲は音を楽しむ喜びに満ちたようなポップな曲だ。
キャッチーなフレーズのサビを歌う亀山にユウのコーラスが映える。
亀山が歌いながら曲に合わせて腕を左右に振って見せると、観客達も楽しげに真似をする。ライブハウスいっぱいの観客が腕を振る姿は壮観で、さらにバンドのテンションを盛り上げる。
場が盛り上がったところで、ギターの印象的なリフから始まるロックなビートの曲が始まる。
ステージ上の5人は同時に飛び跳ねながら、演奏を続け、観客も一緒に飛び跳ね、会場の熱気はどんどんと高まっていく。
江戸川のギターソロが始まると、ステージに飛び上がりダイブを始める観客が現れる。
その一人がベースのコードに足を引っ掛け音が飛ぶアクシデントが発生するが、亀山がアカペラでサビを歌いながら前に出てくると、観客席から手拍子と合唱が始まり、ライブハウス全体で盛り上がる。
SHOWはその間にステージへ駆け上がり、外れていたコードを見つけて修復、メンバーにサムズアップしてみせる。
アカペラにあわせるようにベースとギター、キーボードの音が一斉に鳴り始め、歓声が上がる。
ステージでは次の曲が始まり、ギターとベースが競い合うように激しい高速フレーズを奏でていた。
リハーサルで見せた時よりもさらに早く、激しいテクニックを見せ付けていく。
ヤナギは上着を投げ捨て、頭を前後に激しく動かしながら演奏を続けると、最前列の観客も一緒になってヘッドバンキングで頭を振り回す。
デス声で吼えるヤナギに会場からもレスポンスが響き、会場一体となって熱気は最高潮に盛り上がる。
曲が終わり、一息つくと、今度はキーボードから静かな曲が流れ出した。
伸びやかな透き通るような川知の声が熱くなった会場に、涼しげに響き渡る。
先ほどまで騒いでいた観客達もうっとりと体を揺らしながら聞きほれ、さらにそこにユウのハーモニカが加わることで、琴線に触れた観客は自分でも気付かないうちに涙を流すのだった。
ライブは大盛況のうちに終わり、観客がまばらに帰って行く中、川知は狩野に駆け寄る。
「あの!狩野さん。お疲れ様でした。今日の事なんですが、今日狼男さんがここに来たのは、大きな音を出したからではなく、好きな音楽が聞こえたからだと思います。だから、『大きな音を出せばいい』なんてそんなこと、もう言わないでくださいね」
狩野はくすりと笑って「良いライブだった」と頷くのだった。