「塩谷氏、この紙袋はなんぞ?」
そう言うが早いか、塩谷麻里奈(しおのや・まりな)が止める間もない素早さと、もしかしたら鋭い嗅覚で、秋桜(
jb4208)は紙袋をその手から奪い取っていた。
「これはなかなか……」
などと呟きながら次々と中身を取り出し、成年漫画だ薄い本だと、実に手際よく分類していく。
犯人め、実に心憎いチョイスだ。某有名サークルの新刊を惜しげもなくとは。
「とりあえずこれは、私が責任もって処理するぉ」
「しまってくださいッ!」
鼻息荒くパラパラとめくり始めた秋桜の手から、麻里奈はそれを取り上げようと手を伸ばした。しかし、肌色で埋め尽くされた紙面がバッチリと目に入り、慌てて目をそらしたせいで目測を誤り、床に突っ伏す。
「ピンクね」
歌音 テンペスト(
jb5186)が妙に嬉しそうに、頬を紅潮させて笑う。
「あぁッ、大丈夫かい?」
と、内藤 芝生(
ja4943)は手を伸ばし、麻里奈がためらっている間にその手を掴んで助け起こした。
「あ、ありがとうござい……」
「なに、大したことなんかじゃあないさ! キャワイイおにゃのこのピンチには颯爽と駆けつけるのが男ってもの! 男の中の男、さわやかイケメンと言えばこの内藤芝生! 内藤芝生をどうかヨロシク!」
「候補者ですか」
黄昏ひりょ(
jb3452)が苦笑いを浮かべる。
「立候補? そうさ、もちろん。ラブラブの恋人役に立候補中だ!」
困惑する麻里奈を、歌音がグイッと抱き寄せて芝生から引き剥がす。そして手にした薄い本を目の前で開き、頬を妖しく染めてささやいた。
「もぉ〜、まりなちゃんたら。あんな可愛いのなのに、こんな特殊なプレイに興味があるなんて、ダ、イ、タ、ン!」
「違います! 興味ありません! 私のじゃありませんからッ!」
「そうなの? まりなちゃんさえよければ、あたし、頑張ってみようって思ったんだけどな」
「なにをですかぁッ!」
「あんまり騒ぐと見つかっちゃうよ」
九 四郎(
jb4076)が、見上げるほどの長身をなるたけ屈めて、人差し指を立てた。1メートルほども低い背の麻里奈は、慌てて口をつぐむ。
「まったくもって素晴らしい文化をお持ちだ、この国は」
デニス・トールマン(
jb2314)がこぼれたうちの1冊を手にとり、ページを開いてみた。なにかのアニメのキャラクターなのだろうか。珍妙な格好で、こぼれんばかりの胸を揺らした金髪の女性が目に入り……なんとなく身内の面影があるような気がして、眩暈を感じて本を閉じる。
「読み進まないでくださいよッ!」
そんなデニスを、青鹿 うみ(
ja1298)は横目で睨み、頬をふくらませた。
肩をすくめて、「読んでたわけじゃない」とデニスは本を無造作に投げ捨てる。
「不潔ですよッ!」
と、うみは柳眉を逆立てて威嚇した。
「まったくもう! まったくもう! なんでこんなことするんだろうッ!」
「まぁ……場所は悪いなぁ」
その存在まで否定するつもりはないが。
改めて指摘されると、自身が悪いことをしているわけではなくても居心地が悪いのが男というもの。
井筒 智秋(
ja6267)は苦笑いし、疑いをもたれる前に本を袋に戻す。平気な顔をしているのはむしろ女性陣。秋桜や歌音の方である。
「……好みもまぁ、いろいろに見えるな。複数犯だろうか」
ばいーんのとか、つるーんのとか。あるいはにゅるにゅる〜とか。
「何でもござれのエロマイスターだったらお手上げだぉ」
「……否定できないな」
はは、と智秋は乾いた笑いをたてた。
「いったい誰がこんな事をしたのかはわからないんですけれど……ともかく、こんな本を図書室に置いておくわけにはいきません」
紙袋との微妙な距離感を保ちつつ、気を取り直した麻里奈がきっぱりと宣言する。
「学園を脱出っすね。ミッションなんちゃらみたいっす」
四郎が一同を見渡し、にっこりと笑った。
昇降口に向かって、歌音と麻里奈が手をつないで歩いていく。
一見すると仲の良い女子中学生だが、歌音の絡めてくる指が過剰だ。麻里奈はその戸惑いと、何より緊張とで足下がおぼつかない。
「大丈夫ですよ。目立つ荷物じゃないですから」
「は、はい……」
後ろからついて行くひりょが声をかけるが、麻里奈は上の空できょろきょろしている。
「いやぁ、それにしても蒸し暑いですね。もう梅雨なんですねぇ」
「は、はい……」
男女3人が連れ立って帰るくらい、珍しい光景ではない。世間話でさりげなさを演出しようというのに、相変わらずきょろきょろ。むしろ、その態度の方が目立つ。
ひりょは「まいったなぁ」と言うように肩をすくめた。
いま、麻里奈の持つ紙袋に入っている肌色本は10冊ほど。
彼女が「脱出」を始める前に、うみが、分割して運ぶことを提案したのだ。
いったんは「図書委員の責任感」から戸惑いを見せた麻里奈だったのだが、
「作戦を成功させるためだ」
と、以前からの顔見知りでもあるデニスにも言われて渋々と……たぶん本当はホッとして……了承したのだった。
まぁ、そこは作戦の成否というよりも、
「いいか塩谷。万が一にでもバレてしまえば……お前が、どういう目で見られるか考えてみろ。たとえば、図書委員の後輩とか……?」
と、厳つい顔でニヤ〜リと笑って見せたのが一番の脅しになったからかもしれない。
昇降口では自主風紀会が行き交う生徒たちをつかまえ、傍らに設置した長机で鞄を開けさせている。さすがに全員というわけではなさそうだが。
デニスの強面はよく目立つ。しかもデニスは、ことさら自身に注目を集めるようにし向けている。案の定、さっそく声をかけられてしまう。
「あぁん? なんだテメェらは……?」
「自主風紀会の者だ。さ、荷物があれば見せてくれ。ポケットの中もだ」
マフィアと並べても区別のつかない強面という事は自覚しているデニスにも、生徒は物怖じすることなく手を差し出した。
デニスら一行がそうであるように、この学園では性別も年齢もバラバラの集団が多くいる。その状態に慣れている生徒からしてみれば、「多少」年をくっていようが、「多少」人でも殺していそうな顔をしてようが、怯まない剛の者もいるらしい。
「……やれやれ。熱心なことだ」
毒気を抜かれて、デニスはため息をついた。まぁ、自分の関心を向けてくれるのなら、好都合なのだが。
その一方で、秋桜は声をかけられるやいなや、わざとらしく鞄を胸に押し抱いてUターン。
「逃げるぉ」
「あ、こら待ちなさいッ!」
声をかけた自主風紀会の女生徒は傍らの同僚に目配せし、秋桜を追う。秋桜の目論見通りである。まぁ実際、見られたら困る物がたくさん入っているのは事実であるし。
「さぁ塩谷、今のうちだよ」
もしかして、自主風紀会とやらは図書委員……あるいは麻里奈自身を狙って彼女を陥れようとしているのかもしれない。その疑いも持っていた四郎だったが、昇降口に配置されたうちの数人は秋桜を追いかけていってしまった。麻里奈には見向きもしないで。
どうやら杞憂のようだ。四郎は麻里奈をいざない、昇降口を駆け抜ける。その後ろに、同じく肌色本を分担した仲間たちも続いた。
陽動が功を奏したか、もともとすべての生徒を調べるには無理があったのか、彼らを追う自主風紀会の生徒は見えない。
しかし、校門を通過するのは不可能に思えた。昇降口に勝る人数が張り付き、不満を口にする生徒たちにも有無を言わせぬ様子で持ち物検査を行っている。
「こ、ここを通るのは難しそうですね……」
紙袋を抱きしめ、猫背になった麻里奈がゴクリと生唾を飲み込む。
「こうなったら、塀を乗り越えるしかないね」
そう言って歌音はヒリュウを呼び出し、飛び越えるには少々難儀する塀を、その背に乗って乗り越えようとした。
しかしながら、いかにもその姿は目立つ。
「そこッ! 校門から出入りしなさいッ!」
リーダー格らしき女生徒がいち早く気づくと、数人を引き連れて駆け寄ってくる。
「学内でみだりに召喚するんじゃありません!」
その剣幕に驚き、塀を越えようとしていた麻里奈が足を滑らせる。どこかに引っかけたのか、布地の破れる音がして、ドシンと尻餅。
お尻を押さえて涙をぬぐっているヒマもない。リーダー格らしき女生徒に腕を捕まれそうになったが、歌音がその手を払う。
「きゃあ、変態〜!」
わざとらしく鞄の中身をぶちまけると、辺りに散らばるのは白やら水色やらの小さな布地。
「変態って……こんなもの大量に運んでるアナタはなんなの!」
「あたしのだもん、持ち歩いて何がおかしいの」
「何枚パンツはく気よッ!」
騒ぎを聞きつけて、校門の方からますます自主風紀会の連中が集まってくる。
「ここはあたしが引きつける! かまわず行って、まりなちゃん!」
などと、引き裂かれる恋人同士のような悲壮感を見せつつ、叫ぶ。明らかに演出過多である。
しかし麻里奈はそれを真に受け、小さく頷くとその場を走り去った。
「あらら、ピンクがちらちら……」
破れたスカートが走るたびにめくれるのを見送りながら、歌音は頬を赤らめて「うふふふ」と笑った。
一方で、中庭に向かった一行は順調に事を運ぶ。
「うは、うははははッ! この程度の雑草なんぞ、俺様の剣にかかれば瞬く間に一掃しちゃるぜッ!
……お? 幹に当たった。まぁいいや、大したことないない!」
「もう少し周りに気を配ってくださいよッ!」
木の幹に食い込んだ両手剣を「よいしょ」と引っぺがして、なおも振り回す芝生。うみは渋い顔で、ちまちまと草を抜いている。
校舎を出たふたりはおもむろに、雑草が伸び放題になっている中庭の清掃を始めていた。
少し黙ってればなー、少しは残念じゃなくなるのに。
うみはため息をついて、用意した黒いゴミ袋に刈り取った草をつめていく。
ゴミ袋がいくつか満杯になる頃。声をかけてきた女生徒には、「自主風紀会」の腕章が。
「俺様かい? 今日は天気がいいから……蒸し暑いな……まぁサウナ気分ってのも悪くないから、自主的に中庭の清掃をしてただけだよ? ほらほらほら見て見て! たったの5分で、こぉんなに刈れちゃうよ! 俺様すごすぎない?」
「はぁ……わかりました」
肩に手を回すような勢いで迫ってくる芝生に明らかに辟易しながら、女生徒は頷いた。
怪しまれた様子はない。うみは確信し、
「ところでこのゴミ! ゴミなんですけど、どこに捨てちゃえばいいですか? そこらへんのゴミ箱ってわけにもいかないしッ」
うみが掲げた黒いゴミ袋の中には、件の肌色本が2、3冊ずつ入っている。彼女にしてみれば、「ゴミ」と呼ぶことに何のためらいもない。こんなの、ゴミだゴミッ!
「学外のしかるべきところで捨てさせてもらいますねッ!」
そう言ってゴミ袋を一輪車に乗せ、「おつかれさまでーす」などと言いながら自主風紀会の守る校門を過ぎていく。
隠蔽が上手かったのか、分けて運んだことが効果的だったのか。
「ずいぶん人も少ないなぁ」
「それはもう、天が俺様のために道を開いてくれてるってことだろう?」
そんなことを言いつつ、半ばあっけにとられたような自主風紀会の面々を尻目に、あっさりと校門を通り抜けた。
「うはッ! みっそんこんぷりーつ! さぁて、愛しのカワイコチャンはうまく俺様の胸に飛び込んでこられるかな〜?」
「……こないと思いますよ、飛び込んでは」
「仕方がないな」
こんな事態になっても、なるべく事を荒立てたくはない。
ひりょは麻里奈を追う自主風紀会の生徒が走っていく横で、よろよろと壁にもたれかかると、そのまま倒れ込んだ。
リーダー格らしき女生徒が慌てて駆け寄り、助け起こす。
「いえ、ちょっと気分が悪くなって、眩暈がして……」
むろん、嘘である。しかしリーダー格らしき女生徒は心配したようで、
「誰か、保健室に!」
と、仲間を呼び寄せた。悪い人ではなさそうなのだが。
そうした騒ぎをよそに、智秋は校舎にとどまって沈思していた。
下校時刻もとうに過ぎ、校舎内は生徒たちの声も少なくなり、静寂がおとずれている。
考えているのは、本を紛れ込ませた犯人のことだ。
なんにせよ、騒ぎが犯人に伝われば、何らかの動きを示すに違いない。
智秋は校舎の外の様子をうかがった。麻里奈がスカートを翻して懸命に走っている。
「そろそろ放ってもおけないか。風俗研究のための資料、ということにすれば、自主風紀会の連中も納得してくれるだろうか」
そんなことを言いつつ立ち上がったとき、自主風紀会の生徒とは様子の違う男が、校舎の外を走っているのに気づいた。
すぐに教室を飛び出し、男の後を追う。
用具室などの立ち並ぶ、普段はほとんど人気のない校舎裏。
智秋は仲間たちに連絡を取り、男を追いかけた。男の方もすぐにそれに気づいたようで、笑貌を見せて振り返る。大学部の学生だろう。
「君が犯人かい?」
智秋が問うと、男は肩をすくめた。
「犯人とは人聞きの悪い。ちょっとした啓蒙活動だよ」
「啓蒙?」
つい問い返してしまうひりょ。すると男は待ってましたとばかりに、大きく頷いた。
「そう。これもまた我らの活動の一環なのだ。エロスこそ人間の魂の根幹! 日々を活きる心の支えなのだ!
我らはプロジェクトIO! 生きとし生けるもの、すべてにエロを与えんッ!」
拳を高々と掲げ、これ以上ないほどの爽やかな笑みを浮かべる。
「た、たしかに青春と桃色は渾然一体っすけど……。男の夢とロマンを悪用するとは、この馬鹿ッ!」
「小事にとらわれすぎだぞ、君は!」
非暴力的パーパンチ、すばわち四郎の平手打ちを、男はハッシと受け止める。思わず目を見開く四郎。
「うわ、無駄に腕利きっすよ、この人」
「な、なんなんですかいったいもぉー!」
やりとりを聞いていたらしい。汗だくになった麻里奈が手をバタバタと振り回して抗議の態度を見せる。やっとのことで、引き離してきたようだ。
「ははは、せっかくの我らの活動の芽を摘まないでおくれよ図書委員くん。なに、怒りはしない。それらは君に進呈しよう。君が目覚めてくれるなら、我々はそれでいい」
「いりませんッ!」
身を翻す男を智秋は追いかけようとしたが、
「塩谷さん、とりあえず先に脱出を!」
壁を走ってきたうみが手を伸ばし、それに応えた麻里奈が塀を……かなりギリギリで……よじ登る。
間もなく自主風紀会の生徒たちが彼らを見つけ駆け寄ってくる。一行はこれ以上の面倒はごめんだ、とばかりに逃げ散った。
「き、気づかなかった。破れてたなんて……!」
「だいじょうぶだいじょうぶ、可愛かったから。早くいっしょに汗流して、ベッドで並んで肌色本、読もう?」
「読みませんよぅ……」
さめざめと泣く麻里奈の横で、秋桜が大仰に天を仰いで呟く。
「エロマイスターで、複数犯……」
「まったく、日本人は未来に生きてるな」
デニスは、大きなため息をついた。