ここしばらく雨は降っていない。流れはとても緩やかで、どちらが上流か下流かも分からないほどになってしまったまま、陽光に照らされた濁った水の臭いが、かすかに鼻に届く。
依頼を受けた撃退士たちは、苦り切った顔をしていた。
「くだらない依頼だわ」
赤星鯉(
jb5338)は腕組みをしたまま、苛立たしげに人差し指をトントンと動かす。川から顔を背けた拍子に、ツインテールの髪が大きく揺れる。
「まぁな」
月詠 神削(
ja5265)はそう言って頷いただけだが、きつく結ばれている口元が、彼の抱く不快感の表れだ。
撃退士だって人間だ。挫けそうになるときもあれば、何かが嫌になるときだってある。ずるい考えだって頭に浮かぶ。しかしアツシのやっていることは、撃退士がどうとかいう前に、人として許し難い所行ではないか。
見過ごすわけにはいかない。
アツシの行いが学園の撃退士の行いだと、世間には思って欲しくない。
鬼牙龍賢(
ja6913)が依頼を受けたのも、そういう理由による。
「……正直言うとな」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)はニィッと笑みを作って見せたが、その笑みにおは不穏な色合いが濃く現れていた。
「そういう手合いは、正論言っても無駄だと思うんだがな。説得とか」
「そう……かな」
崎宮玄太(
jb4471)は素直には頷かない。そこまでの悪人はそうそういるものではない、と思いたいところだった。
ラファルはその玄太を振り返ってニヤリと笑い、
「人間、そう簡単には変われないからな。ちょいと向きを変えられたら上出来ってところだろ」
「……お手柔らかにな」
ふふふ、と笑うラファルに、玄太はかろうじてそれだけ言った。
「まぁ、小僧っ子のちょっとした悪さだ」
と、ヴァルデマール・オンスロート(
jb1971)。世間様には迷惑だが、小さな事と言えば小さな事である。
「そういうときは『身内』が拳骨ひとつ落として、矯正してやればよかろうよ」
「おや、俺の出番か?」
大げさに両手を広げてみせたのは、みるからに前世紀末のファッション。モヒカン(
ja0191)だ。
「モヒカンさんに任せると、『汚物は消毒だー』って燃やしてしまいそうで怖いんですが」
「なんでよ、玄太ちゃん? 俺様、優しいお兄さんよ? 天魔が怖いって気持ちには共感してやれるし? やっぱ痛いの怖いしヤなもんだしな?」
「いや、まぁ……」
「だからって馬鹿な真似は馬鹿な真似だけどよ」
「そう、ですね」
「ばるも忘れてもらっては困るのじゃ! 悪いヤツには『めッ!』じゃぞ」
と、円 ばる(
jb4818)は懐からハサミを取り出してチョキチョキチョキ……。
「では、ばるは張り込みを開始するのじゃ!」
アツシが目を覚ましたのは、12時近くなってからだった。このところ急に暑くなった。明るいのはいいが、日差しの強さに辟易しながら身を起こす。寝間着代わりのTシャツに汗がにじんでいる。
枕元の携帯電話が鳴ったのは、ちょうどそのときだった。
「なんだよ、まったく……」
頭をかきながらそれに出たアツシは、ますます不機嫌そうに声を上げる。
「はぁ? 清掃作業? そんなの、この間やったばかりじゃねーか。なんだって、今日? 急に馬鹿言うな。俺は忙しいの。仕事だってあるんだからよ」
電話の相手は、先日の清掃作業で一緒になった、学園のなんとかいう生徒だった。
仕事というのは嘘だ。今日はバイトも休み。特に予定もない。
だからといって、そんなかったるいことにつきあってられるか。この前はバイトを紹介してくれた先輩の手前、仕方なく顔を出しただけだ。
「あー、ちくしょう。目が覚めちまったじゃねぇか」
アツシは二度寝しようとして……暑さにそれをあきらめ、
「そうだ、この間の戦利品、売りに行くか……」
と、シャツを脱いだ。
急遽、清掃活動という名目で集まってもらった生徒は、困った顔をして龍賢の方を振り返った。
「駄目だったぞ? いや、悪かったぞ、無理を言って」
清掃活動に呼び出せば、噂通りに拾った物をくすねるところが目撃できるのではないかと思ったのだが。考えてみれば、つい先日にも清掃をしたばかり(なにやら拾っているという噂が広まることになった、例の回である)。不審に思ったのかもしれない。
「うーん、困ったぞ。せっかく集まってもらったのに」
「集めておいて解散、というのもな。よければこのまま清掃活動をやってもらおうか」
と、ヴァルデマールが生徒たちに提案すると、素直な彼らはこころよく承諾してくれた。
「ムハハハハハ! 近頃の若い連中もなかなか捨てたもんじゃないな。よし、そんな感心な若者たちには、後でわしがジュースでもおごってやろう!」
「はぁ、どうも……ありがとうございます」
肩をバシバシと叩かれつつ、素直で良い子の学園生徒は曖昧に笑って礼を言う。
「ところでそのアツシって奴、どんな奴なの?」
「そうですねぇ」
鯉に問われた生徒は少し考え込み、
「あまり愛想のいい人じゃないですけど……」
と、言葉を濁した。素直で良い子の彼らは人のことをあれこれ悪く言ったりはしなかったが、察するところたいしたやる気を見せることもなく、可能な限りサボりながら嫌々参加していたのだろう。
「でも、自由参加のボランティアですから。やる気は様々だと思いますし」
「人を悪し様に言わないのは吉だね」
しかしアツシという男の人となり、どうにも好意を抱けそうにはない。そういう態度で日々の生活をおくる者には、やがて凶兆があらわれるであろう。
ともあれ、こちらの策に乗ってくれないのなら、あちらが動くのを待つしかない。
「ふふッ! うちうにんじゃにお任せなのじゃー!」
その名探偵なんだか忍者なんだかのバルたんは、弓手にあんパン、馬手に牛乳パックという万全の状態でアツシのアパートに張り付いていた。
ちうちうと牛乳を吸いながら、ときおり首から提げたデジカメでアパートの様子をパチリ、塀の上を通りかかったぶちゃいくなブチ猫をパチリ。
「ややッ! こちら、ばる。目標がアパートから出てきたのじゃ! 黒のTシャツにくたびれたジーンズ……デートにはとても着て行けそうにないのじゃ。もうちょっとオシャレしても罰は当たりそうにない感じじゃ!」
『それは余計なお世話ってものだな』
そういう感想は不要だ。神削は苦笑いしたが、せっかくばるが見せているやる気をそぐほど野暮でもない。彼女に任せる。
「追跡を開始するのじゃッ!」
通話を終了したばるは、あんパンの残りを口いっぱいに頬張り、もぐもぐやりながら後を追った。
「了解了解。それじゃあ俺も、奴さんの様子でも見に行ってみようかね」
ラファルはそう言って、周囲の風景にとけ込むように、身を隠してアパートの方に向かっていった。
「証拠集めかぁ? だったら俺様もひと肌脱いでやろうじゃねぇか」
そう言って、橋の欄干にもたれかかっていたモヒカンも身を起こした。
「あー、クソ暑い……」
アツシはズルズルと靴底を引きずるようにして、川沿いの道を歩いていた。まだ5月だというのに日差しは強く、照りつける日差しに腕が熱くなるのを感じるほどだ。
目の前の川では学園の生徒たちが何人か、清掃活動を行っている。その連中の視界に入らないようにする煩わしさを覚えながら、アツシは上流の方へ足を向けた。
今日は外に出なければよかったか。そう思わなくもなかったが、朝っぱら(あくまで彼の感覚で)から不愉快な電話をかけてこられた苛立ちをどうにかするには、ちょっとばかり『楽しいこと』を盛り込む必要がある。
懐には、この前拾った赤い石のついたペンダント。
大きさの割にずっしりとした重さがあるから、ガキのオモチャではないだろう。まぁ、それほどの戦果を期待しているわけでもないが、万が一に紙幣に化ければ万々歳だ。
ちょっとしたゲームのようなものだ。バイトの口利き程度とはいえ、いまだに学園の関係者と関わらないといけない煩わしさ、クソのような毎日を、少しばかり刺激的にしてくれる。
そう思うことでわずかに気分が良くなったアツシは川の方に視線を落とすと……。
「なんだ、あれ?」
コンクリートの壁に張り付いた、錦繍の巾着袋。そこまでアツシには分からなかったが、なにやら煌びやかなのはわかる。しかし……。
なんであんなところに? いや、問題はそこじゃない。よく見ると巾着袋はコンクリートに張り付いているのではなく、全身を灰色に塗りたくって、ある意味芸術的に背景と一体になった男の首元からぶら下がっているのだ。
くらり、と眩暈を起こしてよろめいたアツシだったが、かろうじて標識にもたれかかって立ち直り、何も見なかったことにしてその場を立ち去った。
「……チィッ! 奴め、エサには食いつかなかったか。うぅむ、なかなかやるじゃねーか!」
「……本気ですか?」
神削は痛む頭を押さえ、モヒカンに近づいた。擬態の邪魔だからと言って、モヒカンが身につけているのは猥褻物陳列にならないギリギリの一枚のみ。もちろんそれだって、十分に不審者として通報される。
「おいおい、勘違いするな。俺を変態呼ばわりするんじゃねぇ。いいか、俺は奴の悪行を食い止めようと、我が身を犠牲にやってるんだぞ、ホントだぞ?」
「なぁ、モヒカン。巾着の価値が分かってないのかもしれんぞ。わしの財布も使ってみた方が、エサとしてはわかりやすいかもしれん」
「よぉし、じゃあもう一度場所を変えてやってみるか。先回りだ……うぅ〜む、今度は何に偽装すべきか。水草の方が自然だったかもしれねーなぁ」
「ヴァルデマールさん、ちょっと止めてくださいよ。アドバイスしてないで」
コイツらに任せて大丈夫なんだろうか? 頭痛は激しさを増したようだった。
玄太と鯉は「気になること」があって、アパートの近所にあるリサイクルショップに足を運んでいた。
「こういう人、最近店にやってきますか?」
「まぁ、そうだね。何度か。何か事件?」
怪訝そうに問い返す店員(店長かもしれない)に、玄太は「まぁ、ちょっと」とあやふやな物言いで返事をする。初めは何のことかという様子だった店員だったが、玄太が撃退士であることが伝わると、多少興味がわいたようだった。
お互いに突っ込んだ話になるのは避けたが、店員によるとひと月に一度か二度ほどやってきて、小物を売ることがあるという。買うことはない。
「わりと雑多な物を持ち込むんだよね」
と、店員。
「口の軽い店員ね」
と苦笑いしつつ言った鯉によれば、もしアツシが金になりそうな物を拾ったのなら、どうせそんな事に夢中になっているような男だ。すぐに換金に走るだろう、ということだった。
そこまで悪くは考えられない玄太ではあるが、この店に足を運ぶかもしれないというのは同じ考えだった。そして、それは正しかったようだ。
入り口のチャイムが鳴って1人の男が、きょろきょろと左右を見ながら入ってくる。
アツシだ。
ふたりがレジを離れて辺りの物を品定めするふりをしていると、アツシはまっすぐレジにやってきて、懐から赤い石のついたペンダントを取り出した。
「これなんだけどよ……」
と、言いかけたときだ。鯉がその手をガシッと握る。
「これ、売っちゃうとマズイ品なんじゃないの?」
「な、なんだこの女ッ!」
「アツシさん」
その前に立ちはだかった玄太が口をへの字に曲げ、痛ましげに呼びかける。
「そのペンダント、捜索願が出ています。……拾った物ですよね」
「クソッ! お前らさては撃退士だな!」
玄太が言い終わる前に、アツシは左手で傍らにあった壺を掴み、鯉に向けて叩き付けた。
「くッ……!」
防いだものの、力が抜けた瞬間にアツシは鯉の手を振り解き、店を飛び出した。
飛び出したものの、ここに来るまでの道中は撃退士たちによって見張られている。ヴァルデマールはアツシに向かって、
「撃退士をやめて、やることはそんなせこい真似か?」
と、呼びかけた。しかしアツシは聞き取りにくい罵声を浴びせ、入り口近くに積まれていた野球のボールを投げつけ、脱兎のごとく駆けだした。
「待つのじゃ! 故郷の母君も泣いておるぞー!」
「うるせぇ!」
ばるの言葉にも耳を貸さないアツシだったが、ヴァルデマールは少しも残念な様子もみせず、
「まぁ、こんなものだろうな」
後は任せた、と肩をすくめる。
落ちこぼれた撃退士とはいえ、アツシの身体能力も常人に勝る。あっけにとられる通行人をすいすいとかわし、路地に入り込み塀を乗り越え、アツシは走った。2m程の高さを飛んで川に飛び降り、飛び石を伝って向こう岸まで渡ろうとする。
龍賢が辺りに響く咆哮を上げると、アツシは必死の形相でそちらを振り返った。
「あがくねぇ。でも、こっちへの注意がお留守だよ」
足音も立てずに横に立ったラファルはサッと足を払い、アツシは派手な水しぶきとともにもんどり打って倒れた。
とっさに掴んだ手が握りしめていたものは……。
「おっと残念、そいつは俺様の巾着袋だ!」
目の前にいたのは、水草を全身にまとわりつかせた(やはり巾着を下げた)半裸のモヒカン。
進退窮まったアツシはなおも、川底に落ちていたゴツゴツとした岩を握りしめて振り上げたが……。
「いい加減にしろ! そこまでやったら、ただじゃすまないぞ!」
神削がその頬を張り飛ばした。
「いいか、お前のやっていることは立派な犯罪だ。お前も撃退士の端くれ、その犯罪は俺たち撃退士の手で裁いたっていいんだぞ……!」
睨み付けて、鼻血を流すアツシの襟元を掴む。
「おいおい、怖い警官役は俺じゃなかったのかよ」
と、ラファルが苦笑した。
「アツシさん、このままだと本当に警察に逮捕だぞ……」
龍賢の言葉に、アツシはがっくりとうなだれた。
「これは借りていくわよ」
そういう鯉に対し、玄太は半ば強引にアツシを同席させた。
「まぁまぁまぁまぁ! あれから、学園の皆さんで探していてくれたのね! 本当にありがとう! もうね、すっかり諦めちゃってたのよ。だってこんな小さくてちっぽけなペンダントだから、水草が絡まったらもう、埋もれちゃってわからなくなるでしょう。
そういえばあの川、一昔前はゴミだらけで水も濁ってたけれど、最近はだんだん綺麗になっているわね。ゴミの清掃をしてくださってる皆さんのおかげなのねぇ……」
落とし物には、探している人がいる。それが見つかることで喜ぶ人がいる。
そのことが伝わればよいのだが。
頬杖をついて表情を見せないアツシの横顔を見つつ、玄太は祈った。