自分の呼吸が、やけに大きく聞こえる。
左右を見渡せば……いや、もはや見渡さずともわかる。その獣臭い息づかいで、サーバントどもがこの場所を取り巻いていることが。
ぎらりぎらりと深紅の目を光らせて、こちらの様子をうかがっている。互いが頃合いを見計らうように、じろりじろりとこちらを睨んでいる。
「生意気に、隙をうかがってるつもりか?」
男の呟きに呼応したかのように、サーバントどもは雄叫びを上げて飛びかかってきた。
しかし男は冷静にその動きを見極めると、崖下から駆け上がってきた先頭の1匹を切り伏せる。
「始まった……?」
こだまする咆哮。アステリア・ヴェルトール(
jb3216)は顔を上げて呟き、口元を引き締める。
山々が連なるわけでもないのに、サーバントどもの叫び声が一帯にこだましているかのようだ。
それほどの数ということか。
アステリアは頭を振った。
「そのようだな。急ごう」
アステリアの呟きは小さなものだったが、朱史 春夏(
ja9611)は応えて歩みを早めた。
この場にいるのは、彼らふたりだけだ。撃退士らは数名ずつの班に分かれ、現場に到着している。3方向から突入する手はずである。
身を低くし、アステリアは様子をうかがう。そろそろ敵の気配が近い。
近いがしかし、いきなり斬りかかるわけにはいかない。あの撃退士のことは気がかりだが、包囲網が完成しなければ、サーバントどもを逃がしてしまいかねないのだ。
『すまない、待たせたか』
春夏の携帯が着信を告げる。別班の須藤 雅紀(
jb3091)からのそれを受けるやいなや、
「いや。始めよう」
と、春夏は短く答えて携帯をポケットに投げ込む。ポケットの中から、「了解」という声が尻切れに聞こえた。
頷きあったふたりは強く地を蹴り、サーバントどもの群れへと己の身体を割り込ませた。
「やぁッ!」
アステリアの剣が、サーバントが振り向くよりも速く振り下ろされ、獣の首が宙に飛ぶ。
うろたえながらこちらに向き直ったサーバントどもに向け、春夏は鋭い気合いを飛ばした。数匹のサーバントどもがまとめてなぎ倒され、無様な悲鳴を上げる。
「あの撃退士の目論見は的中、ということですね……」
アステリアの呟きは、すぐに戦いの音でかき消された。
一方、雅紀らも。
闇の中。銃声が響き、サーバントの頭蓋が打ち抜かれる。雅紀の放った銃弾は狙いを違うことなく、サーバントを絶命させた。
慌てふためくサーバントどもに、礼野 智美(
ja3600)が躍りかかる。闘志に満ちあふれた智美が忍刀を振るうごとに血しぶきが舞い、悲鳴がこだました。
「その程度かッ!」
恐れを知らぬサーバントどもは次々と飛びかかってきたが、智美の鋭い突きを喰らい、逆に仲間を数匹巻き込みながら吹き飛ばされる。
「1匹1匹は、大したことはなさそうだな……」
あとは、木々の向こうから次から次へと姿を見せる、数の多さだ。
「採石場があるんですね」
「そのようだな。奴が『立て籠もる』とすれば……そこくらいしかないんじゃないのかね?」
ロベル・ラシュルー(
ja4646)はそう言って、紫煙を吐きだした。
「そう思います。急ぎましょう……!」
そう言った龍仙 樹(
jb0212)が皆を先導する形で、撃退士たちのもう一手は山を登っていった。カーブの多い山道を登ることしばし、やがて道は非舗装路となる。
やはりここでも姿を見せたのは、サーバントどもの群れ。そして同じく、愚かにも背後に撃退士たちが迫っていることに気づきもしていなかった。
「さて……戦いは久しぶりだ。ここで肩慣らしといくか……」
蔵寺 是之(
jb2583)は『六花護符』を構えて前に出ようとしたが、
「まずは私にお任せくださいな」
氷雨 静(
ja4221)がそう言って立ち止まり、一度、大きく息を吐いた呼吸を整えた。
――汝、朱なる者。其は滅びをもたらせし力。我が敵は汝が敵なり。
「バーミリオンフレアレインッ!」
声と共に、赤熱した雲が巻き起こったかと思うと、炎は豪雨のようにサーバントどもに降り注いだ。
「壮観だな」
のたうち回るサーバントどもの姿に、ロベルは思わず呟いた。これほどの威力を持つ呪文は、そうそう目に出来まい。人は見かけによらないとは、よく言ったものだ。
感心ばかりしてもいられない。ロベルは苦悶の声を上げるサーバントに飛びかかり、得物のサバイバルナイフで『スマッシュ』の一撃を加えていく。
しかし、彼らの目的はここでサーバントどもを包囲することではない。
「先を急ぎましょう!」
薙刀を構えた樹が先を指し示す。サーバントどもの群れの向こうに、上から転落してきたとおぼしきダンプトラックの残骸が道をふさいでいる。
そう。この群れを突破し、あの撃退士の元へ赴こうというのだ。
さて、何匹屠ったか。
数えるのは面倒だから、止めた。実際には、朦朧として数えていられなくなっただけだが。
それでも男は倒れない。剣をなかば杖代わりにしつつも、襲い来る敵の牙をかわす。
目論見通り、採石場に立て籠もった男への攻撃はぎこちなく、連携もとれていなかった。しかし時間とともに徐々に男は苦境に立たされ、苦戦を強いられていく。
「やっと来たか……」
増援の気配だ。サーバントどもの動きが変わったのが、ここからでも分かる。これまた目論見通り、仲間の撃退士たちがサーバントどもを包囲したに違いない。
「だが、これは誤算だったな……」
それは、先の戦いで食い破られた傷が、思いのほか多くの出血をともなっていたということだ。血液の不足は男の足取りを徐々に重くし、避けきれずに受けた傷がさらに出血を生む。
まぁ、いい。自分が倒れ、死骸を食い荒らされるより前には、仲間たちは奴らを蹴散らしてくれるだろう……。
「てめぇか……、無茶しやがる、生意気な要救助者は……!」
爆発が辺りの空気を震わせたかと思うと、男の傍らにはいつの間にか、はぐれ悪魔とおぼしき男が立っていた。どうやらしばしの間、気を失っていたらしい。
「助けにまいりました! よくぞご無事で……」
静は撃退士に駆け寄ると、手にした救急箱から包帯を取り出し、手早く腹に巻き付けた。あっという間に赤く染まるが、ないよりはおそらくマシだ。
「なんだ……?」
眉を寄せる男に向けて樹は、その身をかばうようにサーバントどもの前に立ちはだかった。
「やらせはしません!」
飛びかかってきたサーバントの牙を薙刀を盾にして受け止め、怯んだところを切り捨てる。
この依頼に駆けつけた撃退士は総勢10名。そのうち約半数の4名が敵の包囲網を突き破り、ここに駆けつけた。つまり、この撃退士と同じく敵から熾烈な攻撃を受ける側に立ったということだ。そして彼らがここにいるぶん、敵を包囲する力は弱まる。
それでも樹は怯まない。
「そのことも、あなたの目論見も承知していますよ。しかし、そのためにあなたを見殺しになど、できません」
依頼に参加した者全員が、承知の上で決めたことである。
「チッ。面倒なことに首をつっこみやがって……」
撃退士はそう言って、膝をついた。
「くッ……!」
1匹のサーバントの横腹あたりに槍を突きこんだ雅紀だったが、姿勢が崩れた隙をもう1匹が狙ってきた。口を大きくあけ、だらだらと滴る涎にまみれた牙が襲い来る。
すんでのところでそれを避け、石突きでその横っ面を叩く。しかしそのときには先の1匹が再び、血を滴らせながらも襲いかかってきた。
それに気づいた香月 沙紅良(
jb3092)が放った矢が、サーバントの右前肢を貫いた。
それは致命傷には至らなかったが、サーバントの突進を止め、雅紀に立ち直らせる時を与えた。
雅紀は落ち着いて槍『雷桜』を構えなおし、右前肢を赤く染めつつもなお、雄叫びを上げることを止めない敵を突き殺す。体勢を整え、今度はかばう位置に立つ。
「助かりました」
次々と襲い来る敵を前に、もはや雅紀はライフルから槍に得物を持ち替えていた。
「大丈夫ですか?」
さすがは歴戦の撃退士と言うべきか。奮闘を続ける智美が駆け寄ってくる。しかし彼女にも疲労の色は濃い。いったい、なんど刀を振るったことだろうか?
彼らとは別の場所で戦いを続けるアステリアと春夏も、苦しい戦いを続けている。
「おっと……!」
春夏の眼前に、サーバントの真っ赤な口腔が迫る。春夏はあえて一歩踏み込み、その首を狙って横に一閃、太刀を振るった。
いったんはサーバントどもの背後から奇襲することに成功したわけだが、そのまま敵を殲滅するには至らなかった。
「そう簡単にやらせてはくれませんか……!」
むろん、みすみす後れを取りはしないが、数的な優位は圧倒的に向こうにある。囲まれそうになったアステリアは背中の翼を……炎のごとき赤い翼で舞い上がり、敵の攻撃を避ける。
ガチリ、とむなしく顎を閉じてうろたえるサーバントの背に、剣を突き立てた。
別班で行動する智美は、場所を移動しながら敵を掃討すると言っていた。春夏らも、敵を求めて場所を動かす。……もっとも、「求める」必要などないほどに、敵はすぐに見つかるのだが。
まるでひとつの生き物のようだ。
サーバントどもは倒しても倒しても怯むことなく、目の前の撃退士たちに襲いかかってくる。その連携は奴らの知恵というより、本能のようだ。
「うおッ!」
崖の上から飛びかかってきたサーバントの牙を、ロベルはナイフで受け止めた。急いで振り払おうとするが、敵は食らいついたままなかなか放そうとしない。
その隙にロベルに襲いかかろうとしていたサーバントの体表で、爆発が起こる。是之の『炸裂符』が、深手を負わせるには至らぬまでも、
「足止めくらいには……なるんだよ!」
サーバントの動きを鈍らせる。
「……もっとも……これで打ち止めだがな……」
「奇遇だな、こっちも大技使う気力は残っちゃいない」
是之もロベルも、肩で息をしていた。
「危ない!」
樹が叫ぶ。満足に身動きできなくなっている撃退士を、サーバントが襲う。出来うることならばこの場から逃がしてしまいたいのだが、彼の護衛もサーバントの殲滅も一緒くたになっている今の状況では、かえって危険だ。
「くぅッ!」
樹は撃退士の前に立ちはだかり、己が身代わりとなる。腕に激痛が走り、樹の顔が痛みに歪んだ。
「樹さん!」
「大丈夫、さほど深手ではありませんよ」
それでも顔色を(樹にだけわかる程度に)変えた静は、サーバントどもに視線を向けた。その冷たい怒りに気圧されたわけでもあるまいが、サーバントどもは彼女を取り巻くようにして、うなり声を上げる。
「今度はこちらの番でございますよ……!」
巻き起こった旋風が、サーバントどもを吹き飛ばす。
「やれやれ、巻き添え食わないようにしないとな」
ロベルが汗をぬぐいつつ、肩をすくめた。
さらに、1匹。
いったいこの戦い、はいつまで続くのだろう?
さすがに撃退士をかばう全員の疲労が激しくなってきた、そのとき。
「みんな!」
呼ぶ声に顔を上げてみると、林の中から智美が姿を見せた。
一緒に現れた美森 あやか(
jb1451)がすぐに撃退士の元に駆け寄り、治療にかかる。
そのときになってやっと気づいた。辺りから、サーバントどもが消え失せていることに。
しばらくすると、春夏とアステリア、それに雅紀も姿を見せた。
「やっと片付いたか」
治療の効果はあるだろうが、春夏は念のため救急にも連絡し、撃退士を病院へと搬送する。
「少し、無茶のしすぎではありませんか? 死んでしまっては元も子もありません」
「なに……お前らを信用してたのさ」
「まぁ。それは光栄ですね」
担架に乗せられニヤリと笑う撃退士に、アステリアは苦笑した。
「なぁ、お前さん。俺にも1本くれないか?」
そんなことを言い出す撃退士にアステリアは驚いた顔をしたが、声をかけられたロベルは、
「仕事の後の一服が格別なのさ」
と、撃退士に煙草を差し出した。
「そういうことさ。どのみち、しばらくは好きに吸わせてももらえそうにないんだからな」
「悪い大人たちですこと」
「……さっさと、傷を治してこい。そうしたら俺の……特製パンを食わせてやる……」
なんだよ? と、ことさらぶっきらぼうに仲間たちを振り返った是之に、
「あぁ。腹の傷がふさがらないうちだと、食ったはしから出ていっちまいそうだからな!」
と、男は笑った。